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蛍場出身の人たちも

 葬儀が終わってから従妹のひとりが言いました。「おじちゃんのお陰で懐かしい人たちに会わせてもらった」と。わが家ばかりではないことですが、こういう機会だからこそ普段なかなか会うことのできない人たちが集います。
 きょうは父が蛍場(私が32歳まで住んでいた場所・尾神地内)で子ども時代を一緒に過ごした人たちが3人もわが家に来て下さいました。一番遠いところは長岡市与板(旧与板町)からです。みんな声を掛け合ってこられたようでした。たまたま、数十年前の蛍場の人たちが写った画像を何枚かもっていたので、パソコンの画面で見てもらったところ、大喜びしてもらいました。私の祖父・音治郎と娘、井戸尻(屋号)のお父さんの結婚式、大西(屋号)に集まった蛍場の子どもたち、これらの写真を見た人たちは、「今度、ホトロバ(蛍場)会をやろうね」と言っていました。ぜひ実現させたいものです。
 夕方、昨日から泊まりに来ていてくれた板山の伯母が帰りました。30年ほど前、母が屋根から落ちて5か月も入院した時以来、母に何かあるといつも伯母がそばにいてくれます。今回もまた、母が一番せつない時にいてもらいました。


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コメント (1)

三重県・いなべ市:

橋爪さん、家族のみなさん。お知り合いのみなさん
お父さんが亡くなって寂しい思いされていることでしょう。
 「村八分」のことわざがあります。付き合いもしない、仲間はずれだとのことですが、残る二分(火事と葬式)はどんなことがあっても、人間としての道だと教えています。人が亡くなるのは誰しも辛く悲しい、一方では、故人によって自分という人間が作れてきたのです。
 私の実家に来てもらう住職は通夜や法事の時によく言われることがあり、私もなるほどとうなずくところです。「私達は毎日忙しい日々を送っています。今日は亡くなった○○さんの法事。法事のたびに皆が集まって、お前達、仲良く元気にしているか。みんな、生きる道を失ってはいないか。とご先祖がいっている。○○さんのおかげで考える時が法事なんです」
又、お通夜では「亡くなった人を思い、自分が生きているのはこの人のお陰です。お通夜のことを夜伽とも言います。 夜を通して御伽はなしをする時です。」
 亡くなった人を通じて自分の生き方を考えさせ、昔の人々が作ってきた文化を育てて行くのが、今を生きる私達の役目ではないか。戦後ベビィーブームに生まれた私、「父や母はどんなに苦難な時代を生き抜き、子ども達に平和で豊な国でることを願い生きたことであるう」と思います。

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概要

2009年04月14日 23:49に投稿されたページです。

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