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日々の想い への全投稿

2012年05月02日

一冊にまとめた随想「春よ来い」に感激

 びっくりしたというよりもうれしくて、うれしくて……。今朝、昨日届いたメール便を開けてみたら、「春よ来い」の101回から200回までを一冊にしたものが入っていました。こんな形で200回到達を祝ってくださる方があるなんて、もう最高の気分です。ありがとうございました。いただいた1冊をヤマザクラとタラの芽をバックに写真に収めました。

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 このプレゼントの送り主は新潟市在住の大野隆一郎先生です。地団研の調査で吉川区に来られた時以来、何度かお会いし、地質のこと、植物のことなどいろいろと教えてもらってきました。「春よ来い」をまとめたもののプレゼントは100号到達のときに続いて2度目ですが、今回はブログに掲載した関連写真も掲載してあって、私が振り返って読むには便利な編集となっています。

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 今回の冊子には「ふろく」というものを掲載してありました。そのひとつは先日の市議選で当選したことを報告したブログです。いまひとつは、吉川区東寺にある大きな石についてのコメントです。この石については、私がホームページの「私の好きな風景」に掲載していますが、コメントには「東寺の大石が露頭であるならば、まさにこの地で最初の火山活動が起こったことになる」など興味深いことがいくつも書いてあります。また、先生と一緒に山を歩きたくなりました。

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2009年10月07日

誤解のないように

 一昨日、記者会見して、今回の市長選挙については候補を擁立できなかったこと、いま名乗りを上げている人たちについてもマニフェストなどを検討した結果、支持できないことを明らかにしたことはご案内の通りです。ところが、どこでどうなったのか、おかしな話を耳にしました。その記者会見から一日も経たないうちに、「橋爪さんや上野さんなどから○○を応援してもらえることになった」とある陣営で報告があったというのです。今回の選挙では怪文書が飛び交ったりして、何でもありだなと思ってはいましたが、まさか、こんなことまで起きるとはびっくりしましたね。私どもは記者会見したこととは違った発言も行動もしていませんので、誤解のないようにお願いしたいものです。

 さて、きょうは市役所で当面する課題の整理をした後、事務所に戻り、市民アンケートの印刷に精を出しました。このところ、印刷機の不具合が多発していたので、最初はひやひやしながら印刷したのですが、思った以上に順調に印刷できて、とてもいい気分です。印刷の合間に、次の月曜日に京都市で行う出版企画会議の準備も始めました。こちらは、ちょっとの時間でやれる仕事ではありませんので、イメージづくりだと割り切って、いろんな資料をめくったり、メモをしたりしました。私の場合、文章を書くのに、このイメージづくりが十分でないと納得のいく文章は書けません。

 夜は中学時代の恩師の先生などと一杯やりました。先生は英語とテニスを教えていただいた方です。酒を飲みながら話したのは、もちろん、中学時代の思い出話です。英語の授業で忘れられないのは、「go on a picnic(ゴーオンナピクニック) 」。「ピクニックに行く」という意味ですが、先生からは、「いいか、ピクニックに行くには一人で行ってはおもしろくないね。女性と一緒だと楽しい。だから、ゴー女ピクニックなのだ」と教えていただきました。何でも憶えるには関連付けが大事です。楽しいひと時を過ごさせてもらいました。


2009年10月01日

再び清里区へ

 午前は清里区へ。青空が広がったので、山間部での稲刈り風景を撮影したいと思って向かったのですが、早すぎました。もう3、4日後でないとコシヒカリの刈り取りは本格化しない感じです。同区の青柳から北方向を望むと頸北三山が見えます。きょうは米山、尾神岳、兜巾山ともしっかり見えて、標高差もよくわかりました(画像)

 同区での写真撮影は、地域再生をテーマにした取材の一環ですが、きょうは農村文化協会からシリーズ「地域の再生」の案内が送られてきました。同じテーマでいくつもの出版社が本を出そうとしているのには驚きました。以前、いわゆる「限界集落問題」で『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)を出した時と同じ動きが始まっています。でも、こうしたことは出版界では当たり前のことなのかも知れません。

 午後からは市役所へ行き、9月議会の残務整理をしました。資料の後片付けを始めたところ、これまでの不要な資料、文書も目に入り、約2時間もこの作業に没頭しました。紙ヒモでしばったら、なんと8つもできてしまいました。この作業ができたおかげで、これまで4人の議員の机で一番整理してなかった私の机がすっきりとしました。やれやれです。


2009年09月30日

ハマゴウの咲く砂浜で

 上野議員に誘われて国体の公開競技、ビーチバレーを観てきました。会場は直江津海岸の砂浜。私が現地に到着した時間は女子、男子の決勝戦が始まる30分ほど前です。

 会場へ行ってびっくりしましたね。コートの周り、スタンド席、すごい人の数でした。1000人はいたのではないでしょうか。私が座ったところは女子の決勝戦が行われたコートのスタンド席。ちょうど決勝戦は新潟対神奈川で、新潟代表は地元の上越のチームとあって、「ああ…」「よし!」などの声だけでなく、いいプレーには拍手も送られる。熱の入った応援が繰り広げられました。

 勝負は2対0で新潟チームの勝ち。第二セットの前半は拮抗した点の取り合いになりましたが、あとは新潟チームの力が圧倒していました。私もソフトテニスをやっていたことがあるのである程度わかるのですが、コートでの試合は基本練習と試合経験の数がものをいいます。相手コートのどこに球を打つか、瞬時に判断しなければならないその能力は簡単には身につきません。それにしても見事な試合でした。明日の地元新聞のトップはこれを伝えることでしょう。

 試合が終わっての帰り道、砂浜で紫の花が咲いているのに気がつきました。初めて見る花です。あまりにも美しかったので、いったん市役所に戻り、デジカメを持参して撮影しました。花は草花ではなく、海岸にある低木、ハマゴウ(画像)でした。


2009年09月20日

「ありがとう」がいっぱい

 なかなか時間が取れなくて待ってもらっていた生活相談のひとつにやっと着手できました。長岡市まで出かけてきました。きょうも青空が広がるいい天気となりました。ここまで来たら、ぜひ一度行ってみたいと思っていた山古志まで足を延ばしてきました。

 ゆっくり車を走らせ、山古志へ。以前、小国の法末集落へ行った時もそうでしたが、ここでも「ありがとう」という文字が入った旗がいっぱい立てられていました。写真集などで見た黄色い棚田は少なく、まだまだ復興途上という感じがしました。でも、私の想像をはるかに超える被害を克服してがんばっている人たちが大勢います。「幸福市」で一生懸命案内しているお母さん、市役所山古志支所で「ありがとうまつり」に取り組んでいる青年のみなさんの姿はとても気持ちの良いものでした。

 きょうは幸運にも闘牛のある日でした(画像)。虫亀闘牛場へ行ってびっくりしたのは車の数です。山の中のイベントに県内はもとより関東ナンバーの車がたくさんあったからです。私は道路に駐車して観戦させてもらいました。角と角を激しくぶつからせると「ヅン」というにぶい音がします。血を流している牛もいました。いい闘いになると歓声が上がり、拍手も起こります。興奮しました。闘いの音声はこちらをクリックしてみてください。それにしても牛とは久しぶりの再会でした。牛の鳴き声、匂い。涙が出そうになるほど懐かしかった。

 山古志では、東竹沢にも行ってきました。ここは私の後援会員である細井孝さんが小学校の校長をしておられたところです。地震による地滑りで学校のそばにダムができ、大変な状況となっている様子はテレビで何度も見ました。ここへ行くと、中越地震がもたらした被害の大きさを目で確認できます。地震発生の時は「しんぶん赤旗」の配達中、大きな余震の時は役場の二階の事務室でした。激しい横揺れで味わった恐怖を思い出しました。

 夕方、家に戻ると旧上越市内の人から電話で生活相談が入っていました。生活相談に連休は関係ありません。お急ぎの相談はどうぞ遠慮なく、お寄せ下さい。


2009年09月15日

感動!聚楽第行幸図屏風

 質問の前にどうしてもこれだけは観ておきたい。そう思ったのは、12日から市立博物館で始まった「御所参内・聚楽第行幸図屏風」特別公開です。朝の8時半前に博物館へ行き、開館を待ちました。きょうはトップで観させていただきました。

 いやー、感動でした。後陽成天皇を迎えに行く豊臣秀吉の行列と、御所を出発して聚楽第に向かう天皇の行列が横長にドーンと描かれていて、すごい迫力です。秀吉が九州攻めで島津氏を服従させ、居城を大阪城からこの聚楽第に移したのが1587年でした。この屏風はその翌年の歴史的な出来事を描いたものです。牛車を引く牛の表情が得意満面といった感じでしたが、これは秀吉の顔じゃないかと思いました。行列とは別に、北側の小路では子どもたちの遊ぶ様子やお年寄り、修験者などが描かれていました。当時の庶民の暮らしが分かります。それにしても、これほどのものが上越市内にあるとは素晴らしいことです。特別公開は来月4日まで。詳しくはこちらをご覧ください。

 きょうから一般質問が始まりました。今回は市長の任期最後の定例議会ですが、すでに市長が引退表明していることもあって通告者はわずか16人です。議会運営委員会では5日間の日程を用意したものの、明後日までの3日間で終わりとなります。ちょっとさみしいですね、これじゃ。


2009年08月24日

新潟県民が燃えた一日

 日本文理はやはりすごかった。午後からの議会基本条例策定検討委員会の前にパソコンで生中継を観ていた時は2-1でした。委員会が終わってヤフーのニュースをドキドキして見ました。10-9で負けてはいましたが、取られたら取り返す粘りの連続。応援している人たちはものすごく興奮したのではないでしょうか。妻の勤務校では、教室にいた野球部員たちが日本文理のヒットのたびに太鼓を鳴らし、点をとると大歓声だったといいます。きょうは新潟県民が燃えた一日となりました。

 きょうは総括質疑通告を提出後、吉川区に戻り20分ほど街宣車と行動を共にしました。その後、すぐにまた市役所に戻り議会基本条例策定検討委員会の準備、検討委員会、総括質疑のヒアリングと続きました。

 総括質疑通告書には、決算認定と補正予算について、行財政運営の評価、地域振興事業費、冬期保安要員設置方針などの質疑項目を盛り込みました。朝の2時頃から委員会資料などを読み、質疑項目を決めたのであまり深みのない質疑にならなければいいがと心配しています。でも、まあ、ハードスケジュールのなかでの準備ですから割り切ってやるしかありません。
 
 夕方、車を走らせていて思ったのですが、窓を開けていると寒く感じました。明け方近くに大きな雨が降って、気温がガクンと下がりましたね。外で吹いている風はもう完全に秋の風です。明日も引き続き気温が低いそうです。こんなにも早く長袖がほしくなるとは思いませんでした。
 


2009年08月16日

死んだ者に国境はない

 二日続けて心に残る法話をお聴きしました。

 きょうは江口議員のお母さんのお通夜でした。お経を終えて法話をされたのは市内春日新田にある真宗大谷派覚真寺のご住職、藤戸秀庸さんです。

 藤戸さんは、法話の中で、先先代のご住職についてのエピソードを紹介されました。私のじいさんは「悪い」エピソードがたくさんございました。しかし、ひとつだけ、みなさんにお伝えできる良いエピソードがございます。第二次世界大戦の末期、直江津に捕虜収容所がありましたが、そこに収容されていたオーストラリア兵が飢えや寒さなどで60人ほど亡くなりました。その人たちの遺骨を預かるところがなかなかない中で、じいさんは、「死んだ者に国境はない」と言って、本堂の一角に預かったのでございます。時には憲兵がやってきてサーベルをドンと突くことがありましたが、じいさんは動じなかったといいます。

 この話に出てきたおじいさんとはかの有名な藤戸円理さんです。覚真寺という名前を聞いた時、どこかで聞いたことある名前だと思ったのですが、円理さんの孫さんからお話をきかせていただくとは。とてもうれしく思いました。

 秀庸さんはまた、ご自身の娘さんとおばあさん(秀庸さんのお母さん)が一緒にお風呂に入った時の会話も紹介されました。娘さんが10歳、おばあさんが70歳の時といいますから、もう10数年も前のことなのでしょう。娘さんにとっておばあさんは60年も長く生きた大先輩です。背中をゴシゴシやってくれている孫から「おばあちゃん、これまでの人生で一番良かったことは何?」ときかれ、おばあさんは言葉が出てきませんでした。切なかった苦労はたくさんしていて、憶えているけれど、良いことをと言われても思い浮かばなかったというのです。逆に、おばあさんが娘さんに「これまでの人生で一番いかったことはなんだい」とききました。その答えは、「お父さんやお兄ちゃんに出会えたこと」でした。「いのちのつながり」というごく当たり前のことに価値を見出していることに秀庸さんは感動したといいます。この話も心に響くものがありました。

 法話は亡くなられた江口さんのお母さん、キクさんの話が最初と最後に入っていて、故人をしのびながら参列者が自らの人生を考える構成になっていました。こんな風に話が出来るようになりたいものです。

 


2009年07月29日

もう虫たちが鳴いている

 夜の8時過ぎ、「ドン、ドン」という音に誘われて外に出てみました。「パン、パン、パ、パ、パ、パ」。空中で破裂した音も聞こえてきました。どうやら海岸部での花火の音らしい。その花火の音が消えた時、今度は近くの草むらから虫の鳴き声が聞こえるじゃありませんか。もう虫たちが鳴き始めたのです。これがその鳴き声です。本格的な夏がやってくる前に秋がやってきた、そんな感じです。

 きょうは生活相談で市役所へ行き、帰りに市民プラザへ寄ってきました。市主催の平和展を見るためです。広島に落とされた原爆の被爆者で、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルともなっている佐々木禎子さんと折り鶴の話は有名ですが、2歳で被爆してから12歳で亡くなるまでのことをパネルでまとめて紹介されていました。会場には若いお母さんと子どもさんの2人しかいませんでしたが、ひとりでも多くの人に見てほしいものです。パネルのひとつに6月議会の一般質問で紹介した「伸ちゃんの三輪車」の写真もありましたよ。

 いつもより早く吉川区に戻り、「しんぶん赤旗」の集金をしました。早く帰ったのはこの他に、後援会ニュース配布もしたいと思っていたからですが、家に着いた途端に電話が鳴りました。生活相談の電話です。このところ、相談ごとが続きます。


2009年07月28日

耳鼻咽喉科での診察は異状なし

 朝、病院へ行く途中、ミンミンゼミの鳴き声を聞きました。ことし、初めてです。車を運転していて気付いたのですが、妻は「よく聞こえたわね」と感心していました。季節の花、虫やセミの鳴き声など、どういうわけか、私の体はこういうことには敏感に反応します。

 病院は耳鼻咽喉科での診察です。3年ほど前にも診ていただいた病院ですが、担当の医者も替わっていました。約2時間待って、診察の結果は異状なし。安心しました。ただ、なぜ声がかすれたのかが解明されないので、その点は気がかりです。たまたま待合室に持ち込んだ永井一郎の『朗読のススメ』(新潮文庫)によると、疲れが声に影響するとありました。目の疲れが肩こりに影響し、肩こりが声に影響する。こう書いてあるのを読むと、人間の声は体が健康でないとだめであることがよくわかります。

 午後からは生活相談と原稿書きでした。原稿は中山間地振興条例の前文(案)づくりです。「です、ます調」で10行くらいにまとめようと、何回も書き直しました。なかなか気に入ったものにはなりませんが、集団的に検討するたたき台にはなったと思います。


2009年07月16日

臨時議会の準備で市役所に

 朝、高田を回って市役所へ。高田では大手町の市営駐車場に車をとめて、青田川にかかる市之橋、儀明川にかかる歓喜橋周辺を歩きました。これは市政レポート1405号からスタートしたシリーズ「上越市内の橋」の取材です。東京都の面積の半分もある上越市ですので、市内の橋には多くの市民のみなさんから知ってもらいたい橋がいっぱいあります。謙信公大橋、平和橋、平等橋、猫橋、桜橋、仁上橋……。ちなみに、シリーズ第1回は柿崎区の出合橋、第2回は歓喜橋の予定です。

 市役所では夕方まで生活相談、臨時議会の準備などで動きました。臨時議会の議案が配布されてから議員団全員がそろう日はきょうしかなく、きょうは総括質疑の通告内容をどうするか話し合いました。すでに4会派から通告が提出されていて、私たちの議員団は5番目です。国の追加経済対策に対する市長の取り組み姿勢、4つにまとめられた重点についての考え方、公の施設のデジタル改修計画などについて質疑を行うことにしました。登壇するのは私です。

 夕方は岩崎議員のお母さんのお通夜でした。正面に飾られた写真を見た瞬間、岩崎議員の笑顔と同じだと思いました。同議員はお母さん似だったのです。年齢はまだ83歳。女性としてはちょっと早かったように思います。会葬者への謝辞で、「母のライフワークは田んぼと畑でした」という言葉を聞いて、とても親しみを感じました。


2009年07月13日

火葬場で解散日程のニュース聞く

 昨日の深夜、というより今朝早くと言った方がいいのでしょうか、都議選の結果を知りました。結果は極めて残念と言うしかありません。自民党が大敗したのは当然ですが、都政の対立軸、問題点が今回ほどくっきりとしたことがなかったのに、日本共産党が議席を大きく減らす結果となったからです。「東京外郭環状道路の、総額1兆8千億円、1メートルあたり1億円以上という巨大建設工事をやめて福祉や教育に」という分かりやすい訴えは有権者に浸透しなかったのでしょうか。自民か民主かという政権選択論だけで判断し、投票した有権者が多かったのでしょうか。どうあれ、日本共産党が前回よりも得票を伸ばしたものの、議席も得票率も減らしたのは残念です。今回の結果をきちんと分析し、総選挙でこれと同じことが起きないようにがんばらないといけません。

 きょうは葬儀でした。一番心配した雨も出棺時はパラパラで、助かりました。亡くなった「精米所のお父さん」は性格がおだやかな人でしたが、棺の中でも普段と同じく、やさしい、とてもいい顔でした。酒と文学をこよなく愛した「精米所のお父さん」、市の公民館主催の石川啄木セミナーに参加された時のことが思い出されました。修了証書をもらい、受講者を代表して挨拶したお父さんの姿です。頭を低くして、訥弁ながらも、受講した人たちの感謝の気持ちがよく伝わった挨拶だったことを覚えています。「精米所のお父さん」が旅で退屈しないようにと棺の中に入れられた1冊の本は阿刀田高編『お笑いを一席』(新潮文庫)でした。

 火葬中、外の天気は雨風となって荒れました。火葬がほぼ終わろうとしている時間に、外へ様子を見に行ったところ、迎えに来ていたバスの運転手さんから「橋爪さん、たいへんですね」と声をかけられました。私は、わが家からはじまって、わが家の2軒の親戚にも不幸が続いたことを言われたのかと思ったのですが、運転手さんは続けて、「来月、30日になりましたよ。選挙」と言われたのです。21日に衆議院を解散することを決めたというニュースをラジオで聞いたのだそうです。明日からは、総選挙モードに突入です。


2009年07月11日

「精米所のお父さん」亡くなる

 また悲しいお知らせです。午前10時45分頃、親戚の「精米所のお父さん」が亡くなりました。亡くなった時、お連れ合いと二人の子どもさん、それに私が病室にいて、励まし続けました。最後の2秒間、左右の目をあけ、私たちの呼びかけにうなずくようにして息をひきとられたのが強く印象に残りました。

 自分の父親の実家ということもあって、「精米所のお父さん」は私が小さかった頃、ときどきわが家にやってきました。私がよく覚えているのはカメラを持参しての姿です。わが家へやってくる人のなかでカメラを持っていたのはほんの数人でした。私の子どもの頃の写真はほとんどが「精米所のお父さん」が撮ってくださったものです。わが家にとっても私にとっても、大事な人でした。享年76歳。「精米所のお父さん」、ご苦労様でした。

 お通夜は明日の夕方6時から原之町の自宅で、葬儀は13日午前10時から大潟区の「JA虹のホールおおがた」で行われます。きょうに続いて明日も、精米所の家で葬儀の準備となります。


2009年07月10日

親戚の人が重体に

 視察を終えてやっと直江津駅に着いた午後7時半過ぎ、携帯電話が鳴りました。電話をかけてきたのは母です。精米所のお父さんの容態が急変した、危ない状態だというのです。それで家には帰らず、直ちに入院先へと行きました。すでにお連れ合いとお父さんのキョウダイの人たちがみえていました。酸素マスクをしてやっと呼吸をしている状態で、とても心配です。いったん、家に戻りましたが、明日以降の予定は最低限に抑えなければならなくなりました。
 精米所というのは吉川区の中心部・原之町にある親戚の屋号です。いま入院している人の父親(故人)と私の祖父・音治郎(故人)はキョウダイです。


2009年07月03日

仏壇に酒ふたつ

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 朝の書き込みです。いまはもう8時過ぎです。昨晩は生活相談などで遅くなり、書くことができませんでした。昨日のことをふたつだけ書いておきたいと思います。

 ひとつは5月下旬に夫婦ふたりが事故で亡くなった親戚のその後についてです。事故当日、入院した親戚の長男に先日、両親とも亡くなったことが正式に伝えられました。私はその場に立ち会わなかったのですが、長男は涙をぽろぽろ流し、とちゃは、『おれが死んだら仏壇に酒をあげてくれ』と言っていた、とだけ言ったということでした。昨日、久しぶりに蛍場の、この親戚の家に行ったところ、仏壇には酒の入ったコップがふたつあげられていました。とうちゃんとかあちゃんが仲良く、酒を飲めるようにとふたつあげたのでしょう。お参りしていて、ジーンときました。

 わが家ではいまプラムがちょうど食べごろです。私の方はなかなかもぐ(収穫する)チャンスがないので、後援会のTさん夫婦に、「よかったら、もいでもらえないか」と頼んでいました。夕方、いつもより早めに家に戻ったところ、ちょうどTさん夫婦がもいでいる最中でした。プラムはもぐタイミングが遅くなるとすぐ落ちてしまいます。昨日は、落ちるまでもう3日くらいのタイミングでした。見た目は青いのもありますが、みんな熟していてとても美味しかったです。収穫量は5キロ弱くらいかな。

 写真はわが家のプラムです。大きいので直径2センチくらいあります。
 


2009年06月15日

金平糖

 ㈱杜氏の郷で買い物をしてきた妻がおもしろいものを見せてくれました。金平糖です(画像)。子どもの頃、大好きだった食べ物ですが、買ってきたものは単なる金平糖ではありません。㈱杜氏の郷で造っている「有りがたし」という酒の粕をもとにしたもので、酒の匂いがふわっとしてとてもいいのです。車の中で見せてもらった時、「これはいける」と思いました。きょう、市役所で何人かの人から食べてもらいましたが、「なつかしいいい味だね」「素朴でいいです」という評価でした。
 きょうは市役所で議会基本条例検討委員会でした。2つの班に分かれて、どういう条例を目指すかを話し合いました。私の班では、「上越市議会らしさ」が話題になり、これまでの町議会との比較や市議会の改革の歴史のことなどが出て、とても興味深い展開となりました。
 夜になって、母の体調がよくないと長女から言われ、母と一緒に寝ることにしました。どうも、このところの疲れがたまっているようです。


2009年06月12日

ホタルブクロが咲き始めた中で

 一般質問が予定よりも早く終わったので、きょうは休会日となりました。金曜日は一週間で一番忙しい日ですが、おかげさまで、いつものように市政レポートの作成、「しんぶん赤旗」日曜版の配達などができました。
 今朝は5時に起床。まず、「しんぶん赤旗」日刊紙を配達です。途中、大潟区に住む弟に会ったら、「兄貴、ホタルブクロが咲いていたよ」と言います。ホタルブクロは私の大好きな花の一つです。少し前につぼみを見ていたのですが、6月の議会でバタバタしている間に花が咲き始めたんですね。この一言で、きょうの配達はホタルブクロを意識した配達となりました。
 6時半頃、家に戻り、今度は市政レポートづくりです。先週の土曜日、日曜日と行われた総合事務所の地区別懇談会を特集しました。裏面も利用して昨日の一般質問も載せようと思ったのですが、昨日の質問は1回目のやりとりだけではつまらないし、なによりも全部を載せるにはスペース的に無理でした。
 レポートは9時過ぎに出来あがり、印刷して配達に出たのは10時前でした。きょうの「しんぶん赤旗」日曜版配達では読者の方とどこでも会話になりました。市政レポート先週号に久しぶりに「春よ来い」を書いたことから、「よかったね。目出たいことがあって」「おらちも結婚式があったら、じいちゃんの写真かざってやろと思ってさ。ありがとね」などと声をかけてもらいました。それと昨日の一般質問、思った以上に大勢の人たちが見ていてくださったようです。「夜にたまたま11チャンネル(地元上越市のケーブルテレビ)つけたら、おまん手をあげていてさ、それから全部見たよ。がんばっていてくんなるね」「今回は騒ぎでばか忙しかったすけ、質問しなんねがかと思ったけどやんなったね。いかったでね」などという声を聞くことができました。昨日の質問はよくて60点の出来でしたので、こんなふうに声をかけていただけるとうれしくなります。
 きょうは昼前にいったん市役所へ行き、午後から2時間ほど「議員自己改革勉強会」にも出てきました。夕方には、朝からずっと思っていたホタルブクロ(画像)にも出合うことができました。


2009年05月31日

悪夢と希望と

 朝起きても頭がすっきりしません。テレビを見ていてもすぐうつらうつらしてしまいます。考えてみると、昨日までの1週間はこれまでになく緊張した1週間となりました。
 何よりも井戸尻(屋号)の夫婦の突然の死は信じがたいものでした。昨日会った親戚の人たちも「働き者で指が太い人だったのう。この間、人生は真面目にコツコツと生きるに限るなどと話したばかりだったのに」などとびっくりしていました。愛知県からやってきた弟も昨日、事故現場を訪れてお参りしてくれました。現場では、事故当日の午前、近くで仕事をしていたというUさんから説明してもらったといいますが、みんな信じられないと言っていました。
 昨日の結婚式は、4月に続いての不幸があった直後だったこともあって、喜びもひとしおでした。これで流れも希望へと変わることでしょう。東京在住の中学時代の同級生(サントリー勤務)からお昼頃電話があり、秋に同級会をやろうということになりました。母はあきれるほど元気です。きょうは同級会だとか言って、大山温泉へ出かけていきました。


2009年05月29日

思い出した戦争体験

 拙い文章でも書いておくもんです。先日の市政レポートで1945年5月5日の直江津空襲のことを書きましたが、これを読んだ柿崎区阿弥陀瀬出身の女性から、「あの記事を読んで空襲のことを思い出した」そう言っていただきました。こんな形で役立つなんて、うれしいことです。以下はこの人の話。
 空襲があった頃、私は信越化学に勤めていました。そこには外国の捕虜の人たちもだいぶ働いていました。溶鉱炉などで仕事をしていたように思います。お昼に弁当を食べていると捕虜の人たちがこれをほしがってね。空襲の時、米軍機は工場を直接狙ったのではなく、捕虜がいたからわざと外したのではないでしょうか。落ちたところにいた人たちは本当にお気の毒でした。爆弾が落とされてから、私の記憶では歩いて阿弥陀瀬まで帰ったと思います。私の家からは黒井の方面がよく見えたんですよ、当時は。黒井がやられたことはすぐ分かったのだと思います。私が家に帰ると、父は「生きていたのか。よかった」と言って抱きしめてくれました。
 この話を聴いて思ったのは戦争体験集の役割です。戦争体験を多くの人たちに知ってもらい、平和の大切さを広げていく。上越市では昨年、戦争体験をまとめ出版しましたが、今回の女性のように、これを読んで自分の体験を思い出したという人も少なくないはずです。体験集は1集で終わることなく、2集、3集と続けてほしいものです。
 きょうは晴れ渡り、米山、尾神岳がとてもきれいでした。「私の好きな風景」にこれらの写真を掲載しました。また、先日、お約束したクルマムグラの写真も掲載しました。いずれもトップページから入ってごらんください。


2009年05月27日

涙雨

 一家の中で一人でなく二人が同時に亡くなり、その葬儀の取り持ちをするというのは初めてです。きょうは井戸尻(屋号)の父ちゃんと母ちゃんの納棺、通夜でした。忌中札を二つ立てる、焼香台の上に遺影を二つ並べる。もちろん、位牌も二つ、棺も二つです。一人だけでも悲しいのに、二人分のものを用意して儀式を進めるというのは悲しみを何倍にもします。その悲しみが最高潮に達したのは湯灌、納棺の時でした。

 まず湯灌。沐浴人(もくよくにん)に参列者の一人ひとりがアルコール液を含んだガーゼを渡し、母ちゃんの体を清めてもらいました。一巡りしたら、今度は父ちゃんの方です。父ちゃんのところを一巡りしてもガーゼが残りました。参列者は残ったガーゼで直接、二人の顔、手、足をふくことになりました。「父ちゃん、こんなに指が太かったんだ。ご苦労さんだったね」「母ちゃん、さみしいだろね。また会おうね」みんなが声をかけます。私は二人の足をふきました。父ちゃんの足を見たら、手術の痕が残っています。「また百姓しねかならんすけ」そう言って病院でリハビリをしていたことが思い出され、涙が流れました。

 続いて旅支度と納棺。この頃から、外は雨になりました。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)などを着け、足袋を履かせます。これも母ちゃんから。次いで棺を用意し、遺体をみんなで支えながら仰向けにして棺の中に納めました。棺の中には杖も入れました。それから花です。葬儀屋さんの方であらかじめ用意してくださった花ビラ、参列者はまず二個ずつもらい、一個は母ちゃん、もう一個は父ちゃんの顔の周りに入れました。花は悲しみを深めます。父ちゃんの姉にあたる人が泣き始めてから、遺体が安置してある小さな部屋はすすり泣く声でいっぱいになりました。

 棺の中への花入れは今回、親族だけでなく、尾神や坪野地区の住民の方々にも参加してもらいました。地区住民のみなさん方も花入れでは、「まあ、まるで眠っていなるようだね」「いい顔してなる」「世話になったね。ゆっくり休んでくんないや」などと声をかけてくださいました。この時、外の雨はトタン屋根をたたくような大粒の雨となりました。花ビラを持った人たちが何人も言いました。「こりゃ、涙雨だ。父ちゃん、母ちゃんが死んでみんな泣いている」と。この久しぶりの雨、後でわかったことですが、吉川区でも山間部だけに降ったのでした。 
 


2009年05月25日

懐かしの版画集と思わぬところで…

 飾ってある彫刻や絵画を鑑賞する。展示してある特産物を見る。普段あまり行かない場所で会合があると、そこでブラブラする癖が私にはあります。きょうの県道新井柿崎線整備促進議員連盟総会が行われた高田の高陽荘でもそうでした。ロビーに展示してあった教育関係出版物の中をのぞき込んで、うれしくなりましたね。いまから18年前に当時の吉川町立源小学校の統合記念全校児童版画集が置いてあったからです。

 「ふるさと体験学習 みなもと」と題した版画集には1年生から6年生まで全員の作品が掲載されています。自分たちの住んでいる地域の歴史や言い伝えなどを親や集落の人たちから聞いて描いたものなのでしょう。尾神岳の「風穴」のこと、山中の旦那様についての言い伝え、薪を使ってご飯を炊いている様子、尾神の深田の池の開発と美田のことなどが子どもらしく、じつに生き生きと描かれています(画像)。会議が始まるぎりぎりの時間まで版画集を見させていただきました。

 さて総会ですが、昨年の取り組みを振り返り、今年度の方針と予算を決めました。今年度は県への働きかけをいつもよりも早めることを確認、6月下旬に現地調査を実施し、7月には県庁へ出向いて要望書を提出することになりました。

 総会後、上越地域振興局の地域整備部及び上越市の都市整備部の関係部長、課長などと意見交換会を行いました。上越振興局管内の道路関係補助事業は53億7800万円で、前年比0.8%プラスとのことでしたが、このなかで歩道整備や防雪柵設置、交差点改良等を進めていかなければなりません。県上越地域振興局の白石秀一地域整備部長は挨拶の中で、「主要地方道新井柿崎線は上越市の南北を結ぶ重要路線。改良率は99%だが、旧規格での話だ。歩道の整備率が36%にとどまっていることなどで明らかなように、まだまだ整備が必要。皆さん方のご意見も参考にして整備していきたい」とのべました(画像)

 きょうは地図上に整備要望箇所と関係写真を載せた資料が配布されました。住民の暮らし、安全にかかわる要望ばかりです。厳しい財政状況だけに、党派を超えて力を合わせて整備を進めていきたいと思います。


2009年05月20日

あなたの情熱をうれしく思う

 新潟での会議、市議会主催の議会報告会と忙しい一日でした。党議員全員が平良木議員の車に乗り込み、新潟へ。行きの車の中での話題は今朝の「しんぶん赤旗」と新潟日報です。
 まずは赤旗。先日、日本共産党の志位委員長がアメリカのオバマ大統領に送った、核廃絶を訴えた書簡に返書がきました。しかも、「この問題にたいするあなたの情熱をうれしく思う」と書いてあります。樋口議員は何度も「すごいね」と言っていましたが、私もそう思います。アメリカも大きく変わっていく予感がします。
 新潟日報は一面の、木浦上越市長が三選不出馬の意思を固めたという報道です。22日の記者会見で退陣表明するだろうというのが大方の見方でしたから、びっくりでした。「なぜきょうの時点での報道となったのか。今度の記者会見は荒れるかも」「6月、9月の議会での一般質問はどうするか」など賑やかでした。新潟日報の記者からの電話取材もありました。木浦市長については、災害対策などこちらが出した意見や提案を党派関係なく検討してくれたことなど一定の評価をしていること、2期目の選挙での企業献金をめぐって説明責任を十分果たさず、それが契機となって議員などとの信頼関係が崩れていったこと、慎重な対応は理解できないでもないが、重要問題での決断力が欠けていたのではないか、そんなことを話しました。
 市議会主催の議会報告会は三和区での開催です(画像)。市民プラザでの15人前後を大きく上回る55人が参加しました。地元選出の市議が独自に参加を呼びかけたことが大勢の参加につながったようです。市民からの質問、要望は議会関連のものよりも河川改修、農道の舗装などどちらかと言えば行政向けのものが多く出ました。合併5年目の年ということもあって、「合併によってメリットはあったのか」「悪くなったことが多い気がする」など合併評価についての発言も目立ちました。


2009年05月19日

「発言09」に青木勝さん登場

 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の1面、「発言09」に長岡市山古志支所長の青木勝さんが登場しています(画像)。青木さんは、『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)のなかで中越大震災復興と集落再生などについてじつに生き生きと語られていたので、強く印象に残っている方です。
 きょうの「発言09」のなかでも中山間地問題や地域づくりを考える場合の大事なことをコンパクトにまとめて発言されているので、繰り返し読みました。「歴史の積み重ね、集落の温かさがあり、ほとんど自給できるコメ、野菜、山菜、加えて高齢になっても安全に暮らせるつながりがあり、街にはない美しい自然と景観がある。これが地域力だと思います」「自治のある地域づくりが大切です。地域個性が光るまちというのは、われわれが議論してきた合併の大前提です」「国土保全は、中山間地域に人々が住み、そこで生活することで持続可能になります」。いま上越市議会で中山間地問題を議論していますが、参考となる基本的な視点、議論のポイントがここにあると思いました。
 青木さんは私と同年齢の人です。にいがた自治体研究所の福島さんから「すばらしい人間だ」とお聞きしていますが、ぜひ一度お会いしたいものです。
 きょうは昨年まで一緒に議会活動をしていた人のお父さんの葬儀に参列後、デスクワークでした。高田からの帰り道、車の窓を開けて頸城郵便局付近を走っていた時、ニセアカシアの甘い香りが流れ込んできました。旧保倉川の河川敷に数十本あるニセアカシアの木の花がいま満開です。香りはそこからのものでしょう。
 ※画像が全部見れない場合は、「画像」のところを右クリックし、「対象をファイルに保存」してご覧ください。


2009年05月11日

樋口了一の『手紙』

 ひょっとしたら糸魚川市議の鈴木勢子さんのところにも届いていたのでしょうか。連休最後の日に届いた岡谷市の毛利正道弁護士からのメルマガ、非戦つうしんミディア437に樋口了一の話題の本と曲『手紙』(本は角川書店)のことが書かれていました。
 「私は親に育ててもらったんだということ、それを思い出すだけで随分と、気持ちが楽になるかも知れない」というコメントが目にとまり、角川書店のHPの該当箇所を開いてみました。どんどん老けていき、体も頭も思うようにいかなくなっていく人の思いがひしひしと感じられ、じっとしていられなくなりました。そして、すぐに本とCDを求めて車を走らせたのです。
 CDもよかったのですが、本に書かれた短い文(歌詞)がとても気に入りました。特に、「いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ 出来なくなるかも知れない」「足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったら」「あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの手を 握らせてほしい」という箇所は死んだ父の姿そのものです。歌詞は父の言葉のように思えてなりません。
 本を購入してから、声を出して何回も朗読しています。繰り返し朗読することによって、イメージは膨らみ、気持ちがやさしくなっていくことを感じます。


2009年05月07日

野の花を食べて味わう

 いま山の木々で白い花を咲かせているのはウワミズザクラ(画像)です。私たちのところでは杏仁子(あんにんご)とも呼んでいます。昨日の囲む会への行き帰り、車中で、この花のことが話題になりました。サクラという名前が付いているけれども花の形は他のサクラとまったく違う。若い花穂と未熟の実を塩漬にして食べた時の味は格別だなどという話が出ました。毎年塩漬けにしているというAさんは、「早すぎても遅すぎてもいけない。適期は数日」と未熟の実を採るタイミングのむずかしさを言っておられました。私が塩漬けにした未熟の実を初めて食べたのは数年前、長岡市小国町法末の宿泊施設でのことでした。塩漬けにしたものを巻いた白いおにぎりは美味しかった。
 この時期の野の花で食べて美味しいのは、ウワミズザクラだけではありません。フジの花の酢もの、ニセアカシアの花の天ぷらもいいですよ。今年は自分でウワミズザクラの塩漬けとニセアカシアの天ぷらに挑戦してみようと思います。
 きょうは本当の連休明け。休み中に溜まった雑用の処理と生活相談で忙しい日となりました。午後の時間帯では議員自己改革勉強会もありました。議員間討議をどうすすめていくかをめぐって賑やかな議論となりました。
 


2009年05月06日

連休最後の日

 私の携帯電話のカレンダーでは、きょうの日は黒い数字となっています。つまり、休みではないのです。この誤りに気付いたのは昨日でした。「ほら、カレンダーを見てみなさいよ。ちゃんと赤になっているわよ」と妻に言われるまで平日だと思い込んでいたのですからどうしようもありません。
 いうまでもなく、私のスケジュールでは、休み明けの日程を入れていました。ポスター貼り、草刈、懇談会など。
 ポスター貼りは連休前にやるべき仕事でした。都合で延び延びとなっていたものです。枚数は10数枚でしかないのですが、一軒一軒、改めて承諾をもらいながら作業を進めましたので、いろいろな話が出て2時間近くもかかりました。意外だったのは、田んぼの水についてです。今年は雪が少なかったことから、水が足りないと思っていたのですが、ある地域で、「今年は昨年よりも川の水が流れていて助かる」という声を聞きました。一方、山間部では水不足を心配して早めに田植えをしているところもありました。
 「橋爪法一を囲む会」では、昨年の改選後の市政の課題と議会活動について30分くらい報告し、懇談しました。話題はどうしても新しい情報にもとづくものが中心になります。7月から予定されているデマンドバスや中越沖地震における神社の被害などについて質問がいくつも出ました。県道や市道の修繕が遅いのでなんとかしてほしい、などの要望も寄せられました。
 懇談会終了後、農道や畑の草刈りをしました。約1時間の労働です。気分は最高。暑くなって、半袖シャツ1枚になって作業を進めました。牛の乳を搾りながら町議をやっていたとき、「体を動かす労働で半日、机に座って仕事をするので半日」のときが一番体調がいいと感じていました。もっと体を動かす時間を増やしたいものです。


2009年05月04日

下見

 妻と一緒に大島区、さらに十日町市松之山温泉へと出かけてきました。大島区は板山です。昨日、相模原市から従兄がわが家にやってきて、母を励ましていってくれました。そのお礼として母が竹の子の煮物を作ったとかで、それを従兄の実家まで届けに行きました。幸い従兄夫婦がいて、楽しいおしゃべりをしてきました。従兄からは少年時代にわが家まで柿もぎに来て、「柿を背負って帰ろうとしたが、真っ暗になってしまい、たいへんだった。その当時の歩いたルートを知りたい」という話がありました。私もそうですが、少年時代の思い出は探りたくなるものなのでしょうか。板山の伯母は山の根曲がり竹の子の皮むきをしていました(画像)。とても元気でいいやんべです。
 
 松之山は下見です。じつは、柏崎の義父を温泉に招待し、温泉付きの部屋に泊まってもらおうという話を妻のキョウダイなどとしています。「普通の温泉では体力的に無理だから、宿泊する部屋に温泉風呂があるといいね」ということになり、調べたところ、松之山温泉にそういう部屋があることが分かりました。
 
 きょうは松之山温泉の駐車場に車を止め、そのホテルに行きました。ちょうどお客さんが帰って部屋の掃除をする時間帯でしたが、女将さんが気持ちよく案内してくださいました。インターネットで調べた時に感じた以上に落ち着いていて、くつろげるいい部屋だと思いました。部屋には露天風呂がついていて、そこからは芽吹いて間もない木々が見え、小さな川の流れもあります。小鳥たちの声も聞こえてきました。これなら満足してもらえるでしょう。
 
 連休中とあって、きょうは温泉も食堂もいっぱいでした。お昼を大山温泉でと思っていたのですが、ここも満席でした。結局、お昼過ぎにわが家に帰って食事をし、テレビを楽しみました。映画、「おしゃれ泥棒」は初めて観ました。衛星放送は時々いい番組をみせてくれますね。

 そうだ。ひとつ書き忘れました。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙の「本と話題」欄に学生時代からの友人、弁護士の毛利正道著『平和的生存権と生存権が繋がる日 イラク派兵違憲判決から』(合同出版。1500円)が載っていました。「憲法を学ぶ」と題して取り上がられた何冊かの中でトップで紹介されています。そこでは、同書について、「同判決(昨年4月、名古屋高等裁判所が、自衛隊のイラク派兵を憲法違反と断じた判決)の画期的意義を力強く解き明かします。政府見解にもとづいて違憲性を認定したことが、政府に衝撃を与えていること。平和的生存権について、裁判所に法的措置を請求できる「具体的権利性」をもつ場合があるとしたことが、今後の運動に大きな力となること…。弁護士としての裁判経験にもとづいた説明は説得力があります」と高く評価されています。毛利弁護士のこれまでの本もそうですが、切り口の良さと多くの講演できたえた分かりやすさがこの本でも発揮されています。まだお読みでない方はぜひお求めください。


2009年05月02日

全段広告

 きょうの朝日新聞などに㈱NTTドコモが全段広告を載せました。「積極的に守り、築く、ケイタイの安心・安全」をテーマにNTTドコモの取締役執行委員 社会環境推進部長の中村克央氏とキャスターの木場弘子さんが対談したものが載っています。事業者としてケイタイの「安心・安全」をどう考えているのかを知るにはわかりやすい対談です。中村氏は上越市吉川区の出身。父親である中村市兵衛先生の次男で優秀な方だと聞いていました。大企業の宣伝とはいえ、郷土出身の知っている人が出てこられると、うれしくなります。
 紙面1ページすべてを使った全段広告は全国版なら四桁のお金がかかるはず。これをいくつかの全国紙に掲載するというのですから、金がなければできることではありません。そんなことを考えていたら、日本共産党中央委員会から地区委員会経由でファックスが届きました。明日の読売新聞に憲法記念日に合わせた全段広告を掲載するというのです。ドコモのように数紙に掲載とはいかず、一紙だけですが、それにしても党中央も思い切ったことをやるものです。具体的な内容はまだ分かりません。でも、明日の憲法記念日の宣伝で活用するビラの版下が届いていますので、おそらくこれとほぼ同じものとなるでしょう。明日の朝刊が楽しみです。
 きょうは山間部で約3時間かけて市政レポートの配布活動をしました。久しぶりに会った人も多く、父のことなどで話をしながらの配布となりました。まわりの山々の緑がきれいでしたね。


2009年04月30日

「限界集落」の春

 6日前にテレビ局からいわゆる「限界集落」についてインタビューされたことはお知らせしたとおりです。2時間ほど記者の取材につきあいましたが、その時のことが3分ほどの映像にまとめられました(画像)。夕方のUX新潟テレビ21の「スーパーJチャンネルにいがた」です。いろいろ話をした中で何をピックアップしてくれるのか楽しみにして待ちました。
 「限界集落の春…夢を抱いて暮らしている」というタイトルで放映することをテレビの番組表で確認し、正直言ってホッとしました。農地の荒廃の状況、崩壊した家屋などが前面に出て暗いイメージを拡大することにならなければいいがと思っていたからです。山間地の住民の暮らしの中には人間として生きていく本当の暮らしが残っている。食べ物も美味しい。人と人の付き合いもいい関係になっている。私が「限界集落問題」を議会で取り上げたのは、その点をふまえながら集落の維持・再生に向けて対策を講じてほしいと願ってのことでした。きょうの番組は柿崎区の水野集落にスポットを当て、私の思いと共通の構成になっていました。春祭りを準備する人たちの表情、じつに生き生きとしていて良かったですね。
 アナウンサーが最後に言いました。今後も「限界集落」を取り上げていきたいと。今回は「限界集落の春」でしたから夏、秋、冬と続くのかも知れません。今後は、こうした集落が消滅の危機を乗り越え、再生させる道は何なのかについてもふれる内容に発展させていってほしいと思います。こちらも、市議会中山間地対策特別委員会で頑張っていかなければ……。


2009年04月27日

宗教人と日本共産党との懇談会

 笑って、学んで元気が出る。今晩の「宗教人と日本共産党との懇談会」(画像)はじつにいい取り組みとなりました。会場には110人ほどの人たちが参加し、イスに座れない人もいるほど盛況でした。
 真宗大谷派西性寺住職の田中圭悟 さんなど宗教人9人の呼びかけで取り組まれたこのような懇談会は北陸信越では初めてといいます。受付をしていた関係で、呼びかけ人を代表しての田中さんの挨拶はお聴きすることが出来ませんでしたが、日本共産党中央委員会書記局次長の佐々木陸海さんの挨拶以降、参加者の発言を全部聴くことができました。
 発言の皮切りは妙高市在住のキリスト教関係の青年でした。「殺してはいけない」「むさぼってはいけない」という十戒の精神を引用しながら、政府の労働政策を批判し、自殺者年間3万人という実態にふれました。中小業者のSさんは「いりいろな宗派があるがなぜこのように分かれているのか教えてほしい」と質問、この発言を契機にたくさんの発言が続きました。きょうの懇談会では、「憲法9条を守ろう、平和を」という発言と信仰についての率直な質問が多かったように思います。
 市内で活発な活動をされているカトリック高田教会のマリオ神父の話は初めて聞きました。同神父は、「9条の会の存在はありがたい。直江津の平和公園は素敵な公園になってうれしく思っている。共産党がこのように懇談する努力はありがたい。今後も続けてほしい」とのべました。
 日本共産党関係者の発言のなかでは、衆院比例北陸信越ブロック候補の山口典久さんの発言が印象に残りました。「宗教についてどう考えるか」といきなりふられたにもかかわらず、能登半島沖地震の際、大きな被害を受けた地域のあるお寺ががんばって翌日、いつものように鐘を鳴らした。その音を聞いた住民には大きな励ましになった。こういう事例を織り交ぜて話をしました。心にひびく話でしたね。


2009年04月26日

強風と雨でも山菜の集い実施

 やはり強風と雨になってしまいました、きょうの山菜と音楽を楽しむ会は。でも後援会員の人たちが一生懸命努力して準備してくださり、実施することができました。集まってくださったのは区内の人たちを中心に30人ほどです。本当によくきていただいたと感謝しています。
 会では私の議会報告の後、山菜料理を食べながら、柏崎市の重野昌平さんと区内のギタリスト、山岸協慈さんの演奏をたっぷり楽しみました。山岸さんのギターは何度聞いてもすごい。そして重野さんのオカリナ演奏(画像)では懐かしい曲がいっぱいでした。とくにNHKドラマ「北の国から」のテーマソングの演奏は人間愛を感じるとても素敵なムードをつくりだしました。
 小田順子さんからは私が書いたエッセイ、「父の『旅行』」を朗読していただきました。父のことをよく知る小田さんならでは語りで、私も涙が出ました。
 今回の会の特徴のひとつは議会活動について活発な発言が相次いだことです。「自由発言」という時間帯を設けたところ、矢祭町のような議員報酬をどう考えるか、政務調査費はどんなふうに使われているかなどの質問が次々と出ました。田植えが終わってから、区内などで小さな議会報告の集いを実施する計画ですが、当面の暮らしの問題だけでなく、議会のあり方についての議論も活発になりそうな予感がします。


2009年04月22日

わずかな時間を利用して

 壇払い(壇引きともいいます。父の姉妹と私の弟、裸人足の人、家族だけでやることにしました)の前日です。ほとんど家にいましたが、家で少しでも時間があれば、パソコンで弔問客など名簿一覧の整理をしました。この名簿は手書きの香尊帳を基にしたものです。葬儀後のものは私が記載していますので、他人が読める字ではありません。誰かがなくなった時に、香典などをどれくらいいただいているか、などをチェックする際に役立てるようにしておくにはキチンとした文字で整理しておく必要がありました。整理したものをプリントして香尊帳と一緒に仏壇に入れておけば、誰でも活用できるはずです。
 きょうは天気の方もまずまず。この間から、時間をつくってぜひ行ってきたいところがありました。それは尾神地区の山菜が採れる山です。山菜を楽しむ会を準備する人たちが確実に採ってこれる場所へ案内するためにも事前調査をしておきたいと思っていました。きょうは午前の時間帯に今年初めての山菜採りをしてきました。車での移動時間を含めわずか1時間、山菜採りは実質30分ほどでしょうか。ねらいはウドです。手頃なウドを採るにはちょっと遅いくらいでしたが、北向きの斜面のある山で買い物袋に2つ分ほどウドを採ることができました。
 夜、妻との会話の中で大塚直吉さんの遺作集『春日山城とその支城群』(画像)のことが話題になりました。先日、町田城跡に行ったことで妻ももっと知りたくなったのでしょう。じつは一昨日、私も本屋でこの本をのぞいてみました。吉川区に関しては顕法寺城跡と町田城跡のことがこの本の中で紹介されていました。大塚さんの本の魅力は丁寧な調査とそれに基づく城跡の絵です。この間書いた町田城跡の堀切について言えば、私たちが登り下りした大きな堀切に負けない大きさのものが天守閣の反対側にもあることが描かれています。また行きたくなりますね、こんなに詳しい絵図を見ると。


2009年04月21日

さがしもの

 父が帰らぬ人となった日、家族、親戚などで家の中の片づけをしました。その時は大忙しだったようで、どこへしまったか定かでないものもあります。きょうは母からの注文で、父が大事にしていた皮のカバンをさがしました。母によると、戦争中に使ったものだそうで、そのなかには母が宝物にしていたものも入っていたといいます。押入れ、牛舎などあちこちさがして、夕方には見つかりました。居間の戸のところにぶら下がっていたもので、私も見たことのあるものです。母はホッとしていました。
 探しものをしていて、病院から持ち帰った品々も久しぶりに見ました。紙おむつ、ガーゼ、綿棒、椅子などじつにたくさんあります。病室の狭い物入れの中によく入っていたものです。
 一つひとつのものを見ていると病室での父のことが次々と浮かんできます。それらの中のひとつに「アイ浄綿」という目の周りをふく専用の綿がありました。父の目ヤニをとるために、私が毎回のように使っていたものです。1包みを朝晩2回に分けて使っていたのですが、箱の中には封を切った包みが残っていました。父が死んだ当日の夕方に使うつもりでいたものです。ちょっと切なくなりました。
 それにしても大量の紙おむつ、どうしたらいいものか。妻に話したら、1年4か月の入院期間中、ほとんど病室が一緒だったHさんにまず声をかけてみようということになりました。


2009年04月16日

「介護労働実態調査結果報告書」

 久しぶりに高田・直江津地区に出かけました。父が亡くなった8日以来です。きょうから勤務復帰の妻を職場まで送り、その後、父が入院していた病院へ寄ってきました。1年4か月あまりにわたって病院に通い続けていたこともあって、病院へ行くと父に会えるような気がするから不思議です。病院ではお礼を言わないままとなっているある病院関係者を訪ねたのですが、残念ながら仕事中のため会えませんでした。病院から出る前、売店に立ち寄りました。朝飯を食べる余裕がなかった時に、ここで1個150円の大きなおにぎりを買って市役所に向かうクセがついています。今朝も食べていなかったので、いつもの「たらこ入りおにぎり」を買い求めました。

 短時間でしたが、市役所にも寄ってきました。議員向け連絡用のボックスに書類などがたまっているだろうと思ったからです。土日をはさんだ期間でしたので、思ったほど書類はありませんでした。ただ、そのなかに、ずっと待っていたものがありました。上越市が実施した「介護労働実態調査結果報告書」です。概要版は先月10日の市議会厚生常任委員会で出ていたのですが、全文が掲載された報告書はまだだったのです。この調査は、私が一般質問で実施を求めてきたものですが、国の調査データと比較できるところに特徴のひとつがあります。そのなかには興味深いものがいくつもあります。たとえば、きょう読み進んでいくうちに、「現在の仕事を選んだ理由」というところで、「働きがいのある仕事だと思ったから」(56.1%)「資格・技能が活かせるから」(40.8%)に続いて「お年寄りが好きだから」が36.7%にものぼっていることがわかりました。これは国の調査よりも9.4ポイントも高いのです。これはうれしい数値でした。報告書の全文は上越市のホームページに掲載されています。

 家に戻ったのは午前10半過ぎでした。郵便受けをのぞいたところ、見たことのある手書きのハガキが一枚届いていました。『ざ・むーん』の柳川月さんからです。父が旅立ったこと、それについてこの日記などに書いていることを誰かが月さんに伝えてくださったのでしょう。素敵な手書き文字で励ましの言葉を寄せてくださいました。そこには、「紅こぶし 咲く春を逝き たまひしと 人伝てにきく 父君の訃を」という短歌もそえてありました(画像)。月さん、ありがとうございました。


2009年04月14日

蛍場出身の人たちも

 葬儀が終わってから従妹のひとりが言いました。「おじちゃんのお陰で懐かしい人たちに会わせてもらった」と。わが家ばかりではないことですが、こういう機会だからこそ普段なかなか会うことのできない人たちが集います。
 きょうは父が蛍場(私が32歳まで住んでいた場所・尾神地内)で子ども時代を一緒に過ごした人たちが3人もわが家に来て下さいました。一番遠いところは長岡市与板(旧与板町)からです。みんな声を掛け合ってこられたようでした。たまたま、数十年前の蛍場の人たちが写った画像を何枚かもっていたので、パソコンの画面で見てもらったところ、大喜びしてもらいました。私の祖父・音治郎と娘、井戸尻(屋号)のお父さんの結婚式、大西(屋号)に集まった蛍場の子どもたち、これらの写真を見た人たちは、「今度、ホトロバ(蛍場)会をやろうね」と言っていました。ぜひ実現させたいものです。
 夕方、昨日から泊まりに来ていてくれた板山の伯母が帰りました。30年ほど前、母が屋根から落ちて5か月も入院した時以来、母に何かあるといつも伯母がそばにいてくれます。今回もまた、母が一番せつない時にいてもらいました。


2009年04月12日

昔の話をいっぱい聞いて

 きょうもまた晴れの天気となりました。葬儀が済んだものの、忙しさは相変わらずです。朝の7時半頃に一人目の方が見え、それから夕方までお参りに来るお客さんの対応に追われました。
 お客さんや母、妻と一緒になって父のことや私の幼い頃の話をたくさん聞かせてもらいました。乳搾りをしていた父にとって、旅行は数少ない楽しみのひとつでした。牛に足の指を踏まれて骨折したにもかかわらず、すぐに医者に行かず、旅行に出ていった話を初めて聞きました。おそらく、温泉旅館で歌をいっぱい歌いたくて、足の痛みをがまんしたのでしょう。私がまだ母の背中におんぶしていた頃、顔に出来物ができて、近所の若いお母さんたちと一緒に柿崎のあるお寺まで歩いて行ってはらいをしてもらったという話も初めてでした。そこのお寺のご住職は、私を見て、頭の大きい子どもだと言ったとか。
 いつものことながら母の記憶力のすごさには感心します。きょうは疲れなおしにこれから温泉に行ってきます。


2009年04月11日

最後の対面

 父の葬儀の日。昨晩は1時間ほどしか眠れませんでした。どういうわけか、布団に入っていてもぐっすり眠ることができません。それで、朝の4時頃から「しんぶん赤旗」日曜版の配達をはじめました。時間が時間ですから、読者の方に会ったのはほんの数人だけです。2時間半ほどで配達が終わりました。また、吉川区、大潟区の新聞屋さんのところにも行き、毎週発行している市政レポートの折り込みを依頼してきました。
 葬儀では喪主として挨拶しなければなりません。きょうもたくさんの方が参列してくださいました。そのなかには通夜、葬儀ともに参列してくださった方もおられますので、なるべく昨夜の挨拶とちがった話をするように心がけました。私の大学時代の生活費などの仕送りを最優先し、牛のエサ代の支払いが滞ったこと、歌好きの父が病院内でも「岸壁の母」などを歌っていたなどのエピソードを紹介させてもらいました。どんな父だったか、少しでも知っていただければうれしい。
 父との最後の対面はやはりつらかったですね。病院ではいつも専用のガーゼを使い、目ヤニをとってやっていました。きょうも父の目がくっついているのが気になり、そこをそっとさわり、「じいちゃん、ありがとう」と声をかけました。そこまでは何とかもったのですが、母が父の頭をなでている姿を見たら、涙が流れました。
 私の祖父は72歳で他界しました。祖母はもっと早く亡くなっています。満80歳を過ぎてからの父の口癖は、「おれ、80になった」でした。よほどうれしかったのでしょう。家族からも、「じいちゃんえらいねぇ、80だもんね」と言われつづけました。父は82歳と2か月生きたことになりますから、大往生です。でも、さみしいですね、骨になってしまうと。「おい」でも「ああん」でもいい。たまには、その声を聞きたいです。
 市政レポートNO1392掲載しました。また、「春よ来い」第103回「べにこぶし」も載せました。ご笑覧ください。


2009年04月10日

棺にはウドやコブシも

 きょうは納棺、通夜と続きました。父の棺に何を入れようかと考えた時、一番先に浮かんだのはわが家のコブシ。これは私だけではありませんでした。何人もの人たちが「コブシの花、忘れなんな」と声をかけてくれました。山間部出身のHさんはきょう採ったばかりのウド、コゴミ、タラの芽を持ってきてくれました。太くてしっかりした山菜です(画像)。見れば、父もびっくりすることでしょう。父が入院してからいろいろ手伝ってくれた弟は手紙を書いて入れました。
 こうして、父の棺には、葬儀屋さんが用意してくれた花のほかにコブシ、ウドなどが入りました。私は明日、私が書いた最初の本、『幸せめっけた』(恒文社)を入れたいと思っています。9年前、この本を出した時に、父が繰り返し読んでいた姿を思い出したからです。
 通夜の会場に向かう時、霊柩車はわが家の牛舎に立ち寄り、クラクションを鳴らしてもらいました。おそらく、父にとっては4年ぶりくらいでしょう、牛舎を見たのは。だんだん足が弱り、歩くのはいよいよ限界という時に、父は朝早く、麦わら帽子をかぶり、新聞を片手に持って牛舎へ来ました。その姿を見て、これで最後になると私は直感しましたが、その通りでした。久しぶりに牛舎を見て、きょうは喜んでくれたと思います。
 明日は葬儀です。みんなで相談して父の酒づくり唄を流してもらうことになりました。「揃た揃いました コラヤノヤ、一ころニころ四ころにゃ足りない 三ころ突きゃ揃た 三ころづき…」という「三ころ」です。この唄は父の18番でした。大勢の人から聴いてもらえれば、父も大満足だと思います。


2009年04月09日

父の唄を聴いて

 父が他界して2日目になりました。毎日のように通っていた病院へ行かないでよくなったというのは落ち着きませんね。エレベーターに乗って6階へ行く。ナースセンターで訪問名簿に書き込む。病室へ入って、父の顔の位置を確認して、「おはよう」と挨拶する。額に手を当てて、熱があるかどうか、咳はしていないかをチェックする。1年4か月間にすっかり体にしみ込んだことがぷつんと切れるとおかしな気分です。病室ですっかり顔なじみとなったHさんの奥さんはきょうもステッキカーを押して通い続けているだろうか。心配しないでいいことまで考えてしまいます。
 きょうは、一日中家にいて、通夜や葬儀の準備をしました。昨日ほど電話が来なくなり、静かになったものの、時間はどんどん進んでいきます。
 夕方には、父の姉妹3人が顔をそろえました。3人とも足が悪いので、椅子に腰かけて「あと残ったのはおらたちだけか」とおしゃべりです。私のパソコンで祖父の懐かしい写真ファイルを開いたところ、3人とものぞき込んで(画像)、「こりゃ、誰だ」「男親だこて」などと言っては喜んでいました。数年前、父がうたう酒造り唄などのテープを作成しましたが、これを弟から持ってきてもらい、みんなで聴きました。元気だったころの父の声を聴くのは久しぶりという人がほとんどです。伯母たちはとても喜んでくれました。父が唄う「長持ち唄」の触りをお聴き下さい。


2009年04月08日

紅辛夷(べにこぶし)が咲いて父逝く

 午前11時頃でした。父の容態が急変した、すぐに来てほしいとの電話が病院から入りました。市議選の応援で糸魚川市能生地区へ行っていましたので、高速道路で病院へ直行。病室に着くと、看護師さんたちが心臓マッサージをしていているところでした。死亡が確認されたのは午前11時54分、私が病室に着いて数分後です。担当医に聞くと、痰がつかえたらしい。直接の死因は急性呼吸不全でした。
 父は4日ほど前から熱が上がり、昨日は38度7分もありました。でも今朝は、36度8分まで下がっていたので大丈夫だと思っていたのです。父とは午前8時50分頃、話をしました。「夕方にはまた寄るから、さみしくてもがまんだよ」と声をかけたときには首を縦に振ってくれました。それから2時間後に急変したことになります。ですから、まさかと思いました。
 わが家の庭では昨日、紅辛夷(べにこぶし)が開花しました。父の大好きな花です。昨日はひと枝を病室に持ちこみ、「ほら、じいちゃんが植えたこぶしの花が咲いたよ」と言って父に見せると、うなずいて喜んでくれました。リポビタンDの小瓶に入れた病室の紅辛夷は朝の段階では咲き始めたばかりだったのに、昨日の夕方、満開となりました。父もそれを見てホッとしたのかも知れません。どうあれ、昨日、見せてやって本当によかったと思います。
 父がわが家に戻ったのは1年4か月ぶりです。この間、お見舞いに来て下さったみなさん、治療にあたってくださった病院のみなさん、たいへんお世話になりました。きょうはお天気もよく、庭の紅辛夷は満開でした(画像)。そこへ父が戻ったことになります。「おい、とちゃ、見てみろ、紅辛夷がきれいに咲いているど」。父の声が聞こえるようでした。

 ※父の通夜は10日(金)午後6時から、告別式は11日(土)午前10時からとなります。いずれも上越市大潟区雁子浜441番地1「JA虹のホールおおがた」(電話025-535-1210)にて。


2009年04月07日

「花のまち」上越の切手

 市内高田公園の桜が開花し、きょうは五分咲きくらいになりました。この調子なら、次の土日あたりが一番見ごろでしょうか。穏やかな天気でしたので、きょうはお客さんもかなり出たようです。
 さて、今朝の地元新聞に郵便局がこのほど発売したフレーム切手のことが載っていました。今回の切手は「花のまち上越」と題して高田公園の桜をアピールしたもの。高田郵便局と上越鴨島郵便局の局長さんが木浦市長と上越コンベンション協会の田中会長にこの切手を贈呈したことが写真付きで報じられていました。写真を見てびっくりしました。そこに、懐かしい顔があったからです。上越鴨島郵便局の増村登局長さんは私の高校時代のクラスメートでした。私と違って、体型も顔かたちも高校時代と全く同じ。うらやましいかぎりです。きょうは40年ぶりに増村さんと電話で話をすることができました。「声も顔も変わらないねぇ。こんなに近くにいるなんて思わなかった」「去年の夏の同期会で会えると思ったんだけど…。時々、橋爪のことが話題になるんだよ」「懐かしい声をきかれてよかったよ」話がはずみました。
 さて、この「花のまち上越」切手ですが、シートには50円切手が10枚あって900円で発売されています。私もこのシートを前島密記念館がある前島記念池部郵便局(長谷川均局長)で購入しました。「花暦春…桜」と書いてあるところをみると、夏、秋と続編が出るのかも知れません。夏の花ならササユリかカキラン、秋は…、シロバナサクラタデがお薦めです。今回のシートは郵便局の通販ショップでも購入できます。


2009年04月04日

大きな事故にならなくてよかった

 このところ疲れが取れず、あくびばかり。昨日は病院を出て交差点で信号待ちしていたら、そこで眠ってしまいました。ほんの一瞬ですが、クラクションが鳴るまでわかりませんでした。車のギヤはドライブでしたので、ブレーキが効いていてよかったなと思いました。
 これだけでも何とかしなければいけないと思ったのですが、きょうはこれを上回る大変なことになってしまいました。成人式が終わって帰宅途中のことです。今度は車を運転していて眠ってしまいました。これも一瞬の出来事でしたが、無意識のうちに右側走行し、コンクリートの壁にぶつかってとまったのです。対向車は一台だけ、幸い歩行者がいなかったからよかったものの、もうちょっとで大事故になるところでした。
 というわけで、きょうは午後から1時間ほど昼寝をして、「しんぶん赤旗」日曜版の配達集金に出かけました。短時間でも睡眠の効果はあったようです。夕方、何もなく家に戻ることができました。最近、疲れの残っている状態が慢性化しています。土日に疲れをしっかりとる生活スタイルにしないといけません。


2009年04月02日

川谷経由で大島区へ

 やるべきことがいっぱいあって落ち着かない。3月議会中に頼まれ、「議会が終わるまで待って下さい」と言っておいた生活相談がいくつもたまっています。それに加えて、議会が終わってから連絡をいただいたものも出てきました。一つひとつやるしかないのですが、解決済みの件数はなかなか増えていきません。
 きょうは午後から、吉川区上川谷経由で久しぶりに大島区へ出かけてきました。上川谷経由としたのは途中でネコノメソウ(画像)など野の花の写真を撮ろうと思ったからです。ネコノメソウは撮れたのですが、他のものはだめでした。下川谷から上は雪が降って、今朝は除雪車が出動したとのこと、野山は雪に覆われていました。上川谷は冬場、2軒が関東方面に出ていましたが、すでに戻ってきていて、6軒になりました。2軒増えただけで明るくなった感じがします。
 大島区は仕事上の問題での相談です。専門家の力も借りて対応することにしましたが、解決までには時間がかかりそうです。帰りに、気分転換も兼ねて大山温泉に入ってきました。ここのヌルヌルした湯はいつ入ってもいいですね。温泉から出たところで大島区総合事務所の新しい幹部とバッタリ出会いました。「(ご利用)ありがとうございます」と声をかけてもらいました。


2009年04月01日

新鮮!新年度スタート

 たった一日でこんなにも雰囲気が変わるものでしょうか。きょうから新年度がスタートしました。市役所では新たな部署に着いた人たちの表情がとても新鮮です。毎日、市役所から出て帰ろうとするときに必ず目に入る男性職員がいます。昨日まで窓際にすわっていた人ですが、きょうからは副課長席にすわっていました。何となくうれしそうな感じがしました。議員控室で原稿書きをしていたところへ挨拶に来てくれた職員もいます。まだ20代か30代前半の若い人です。えらいなぁ。顔に緊張感が出ていて、こちらもちょっぴりかたくなりました。
 きょうは午後2時過ぎまで議会報用の原稿や私の議会報告の原稿書きをし、その後、病院に立ち寄り、旧頸北地区へ。独り暮らしの高齢者の生活相談です。耳が遠くなった方で、お連れ合いが入院中とのこと。医療費や退院後予想される通院費のことなどをゆっくりとした口調で話されました。約1時間の訪問の中で、相談ごとだけでなく、世間話も次々と広がりました。独り暮らしのさみしさがよく伝わってくる方でした。


2009年03月30日

年度末の挨拶

 08年度もあと1日となりました。市役所の職員さんのなかには4月1日付で異動する人、31日をもって退職する人たちがいます。すでに内示が出ているので、この時期は異動・退職に伴う挨拶が交わされます。
 今回退職される職員さんについてはそれぞれ思い出があります。
 Aさんはサムライのような風貌をもちながら限りなくやさしい心の持主。市議になってからすぐに憶えた職員さんでした。私についても、「共産党から出てくるなんて、どんな人かと思った」と関心を寄せてくださいました。そんなこともあって、市民からの生活相談ではずいぶんお世話になったものです。議会の委員会では三つ指をついて、テキパキと答弁されるので強く印象に残りました。
 Bさんは合併前から知っていた職員さんです。この人については上越市が発行した子育て関係の本で初めて知りました。この人とは議会で論戦することになるのですが、誠実な人柄が答弁ににじみ出ていて、つっこみづらかった。ほんとに。
 このほか総合事務所のCさんなどずいぶん大勢の人に助けていただきました。退職される方の中には新たな分野で仕事をされる方、自宅で悠々自適の生活をされる方などさまざまです。今後ともがんばってほしいですね。


2009年03月22日

生活相談など次々と用事が出て

 3連休最後の日。一日中、一般質問の準備をする予定でいたのですが、生活相談など次々と用事が出てきて、家にいたのは2時間ほど。最終的に家に戻った時間は夜9時過ぎとなりました。
 きょうは小雨を伴った強い南風が吹き荒れました。しばらく落ち着いていた父が昨日あたりからまた熱を出しているというので、急きょ病院へ行ってきました。ここでも風が強く、傘はさせなかったです。父は熱は下がっていたものの、いまひとつ元気がない感じがしました。でもまだまだ大丈夫。
 生活相談のうち1件は高齢者からのもので、手紙を代筆してほしいというものでした。私はキーボードを使って書くのはなんとかなるのですが、手書きとなるとまったくの筆不精になってしまいます。きょうはこうした自分にむちうち、この代筆を含め3通の手紙を書きました。
 写真は昨日、「しんぶん赤旗」配達中に撮ったエゾエンゴサク。毎年4月に見かける小さな花です。今年はもう咲きました。ezoenngosaku090321.JPG


2009年03月15日

恋ヶ窪

 最近、私の日記を読んでメールをくださった方の文を読んで、いいなと思ったのは、その方のご住所です。東京都内の「恋ヶ窪」というところに住んでおられるとのこと。それだけで一度お会いしたくなりました。私の生まれ育ったたところは「蛍場」、蛍がいっぱい飛び交っていたところでした。上越市吉川区には、「平和橋」という橋がありますし、「出合川」という川もあります。地名、川や橋の名前には魅力的なものがいくつもありますね。なお、「恋ヶ窪」からメールをくださった方は男性です。
 きょうは、朝から生活相談で動きました。日曜祭日ならいると思って電話をくださる方が多いのですが、きょうはちょうどいた時に電話が鳴りました。昼間とはいえ薄暗い部屋の中で、電気をつけず、ストーブなしで暮しておられるのを見て、まずびっくりしました。仕事を失い、生活に困っておられる方の相談でした。今後、こういう人から声をかけられることが多くなりそうな予感がします。いまの政治、早くなんとかしないといけませんね。
 午後からは明日の常任委員会審査の準備をしました。明日は総務部、企画・地域振興部関係の議案審査です。さっと見ただけですが、限られた時間の中で何をとりあげたらいいのか迷いました。こういう時には近くの山に入るのが一番です。少し寒かったですが、キクザキイチゲが美しく咲いていました(画像)。私の一番好きな野の花です。


よみうり子育て応援団大賞特別賞受賞記念祝賀会

 また、日記の書き込みが翌日になってしまいました。昨日の夕方、消防組合議会でお世話になっているKさんから「また、バッタンキュウしないようにね」と言われたばかり。でもビールとワインの力は絶大です。書き込み不能に陥ってしまいました。ああ、情けない。
 昨日は朝早くから「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達でフル回転。何とか目標の午後2時半までに終わらせることができ、高田へ急行しました。よみうり子育て応援団大賞の選考委員特別賞を受賞したNPO法人・マミーズネットの記念講演と祝賀会に出席するためです。
 NPO法人・マミーズネットは「親が幸せでなければ幸せな子どもは育たない」をモットーに1996年に発足した団体です。子育て中のお母さんたちのおしゃべりの場の開設や勉強のための講座を開催するなど大変頑張っています。今回の特別賞はこうした活動が評価されたものですが、「NPO法人・マミーズネットは最後まで大賞を競った団体だ。大賞と比べてもそん色がない」(よみうりからのお祝いメッセージ)という評価はすごいですね。
 昨日はこの祝賀会だけでなく、もうひとつ参加を約束した会合もあって、途中で失礼しました。時間を気にしながら移動したところ、記念講演・祝賀会のテーブルのところにメモを忘れてきてしまいました。京都大学大学院教授の鍋島陽一さんの講演では、人の年齢ごとの特徴の説明などおもしろくお聴きしました。メモがあれば、もっと具体的に書けるのにごめんなさい。会場では高校時代の同級生の高島さんや市役所のOBの方などと久しぶりに会い、楽しい時間を過ごすことができました。
 


2009年03月12日

青木先生と久しぶりに会話

 昨晩から2度ほど留守電が入っていましたので電話をすると、何と東工大名誉教授の青木志郎先生でした。吉川町時代、総合計画の策定や地域づくりなどでたいへんお世話になった方です。合併後の上越市の動きについて知りたかったということでしたが、お生まれになった塩尻市小野のことや亀田郷土地改良区のこと、にいがた自治体研究所の長崎明先生のことなど次々と話が広がり、懐かしい電話対談となりました。先生は現在85歳。とてもお元気そうなので安心しました。電話を切ろうという段階で、「こっちで9条の会もやっているよ」という声も聞こえてきました。またお会いしたいものです。
 さて、きょうは午前に市議会建設企業常任委員会を傍聴し、午後からは一般質問の聞き取り調査でした。聞き取り調査は、最近はつい話が長くなります。課長、副課長さんなどと議論していると、論点整理もできます。きょうは、頭の中がだいぶすっきりしてきました。ただ、明日からの総務常任委員会の準備が遅れています。行政改革や第三セクター問題などで突っ込んだ議論をしたいと意気込んでいたのですが、勉強不足のまま審査を迎えてしましそう。困った。時間が欲しい。


2009年02月28日

初めて「あさひ雪あそび」に参加

 雪割草にばかり気がとられていて毎年、開化日がいつになるか調べていたマンサクのことをすっかり忘れていました。今朝、このことに気づいて、牛舎のそばにある木を見上げてみたら、もう満開一歩手前でした(画像)。10日くらい前には開花していたのでしょう。ちなみに昨年の開花が3月2日、一昨年が暖冬のため2月8日でした。
 きょうは朝早くから「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版の配達と集金で動きました。午後からは住民団体「まちづくり吉川」の「学びinまちづくり吉川」に参加してきました。きょうのメインである料理研究家の井部真理さんの講演は今回も食育がテーマ、「繊維質たっぷりの食事を」「地産地消にこころがけて」の話はいい話でしたが、スライドがよく見えなかったのは惜しかった。恒例となった休憩時間のだんごまき、町内会長連絡協議会長さんなどとともに私も参加させてもらいました(画像)
 そして夜は大島区旭地区で行われた「あさひ雪あそび」へ。川谷の人たちから「一度は見てきない。おらも行くがだ」と誘われたのです。きょうは上々の天気でしたので星空、会場である「庄屋の家」脇の広場には500人近い人が出ていたのではないかと思います。とにかく大勢でした。
 大島区旭地区は母の故郷、3人の従兄たちが地域づくりなどでがんばっています。従兄たちのうち2人は屋台(テント)の中で餅売りです。孟宗竹をけずり串をつくるのでたいへんだったといいますが、餅を炭火で焼き、竹の串にさして「ふき味噌」をつけて1個200円。どれくらい用意したのかわかりませんが完売でした。もうひとりの従弟は寸劇に登場(画像・右から3人目が従弟)、マイクの調子がいまいちで、声がよくとおらないなかでがんばりました。かっこいかったど。
 「あさひ雪あそび」ではカラオケ、レクダンス、寸劇、三味線、花火など盛りだくさんの内容でした。地元の人たちがみんなで楽しみ、賑わいをつくり、地域外の人たちと交流を深めていく。これは「越後よしかわやったれ祭り」と通じるものがあります。いい取り組みでした。
 ※久しぶりに「私の好きな風景」に2枚の写真を掲載しました。ごらんください。


2009年02月26日

八十路の灯り

 びっくりしました。長岡市在住の星野四郎さんから一冊の本がおくられてきたからです。星野さんは元農業試験場の先生です。30年ほど前になります。茨城県の酪農家で、「二本立て給与法」の実践と普及に努力されていた鈴木茂さんから牛のエサ給与法を教えていただいた私は、吉川の牛飼いの仲間と一緒に長岡市の農業試験場を訪問しました。目的は野草であるススキの研究をされていた星野先生に会うためでした。当時、牧草地をほとんど持っていなかった私たちは山野にあるススキに注目していました。ススキを牛のえさとして有効に活用する方法を学びたい、その思いで試験場に出かけたのでした。
 驚いたのは、その時、たった一度しかお会いしたことがなかったにもかかわらず、私のことを憶えていてくださったからです。私の方は、その訪問で、ススキは一年に何回も刈ると絶えてしまうことなどを学びましたので憶えていますが、まさか、ごく普通の酪農家のことをおぼえていてくださるとは……。本にそえられた手紙には、「農業試験場で一度お会いしました。『幸せめっけた』と最近の議会活動に感動し、冊子をお贈りします」とありました。うれしかったですね。
 おくっていただいた本は『八十路の灯り』というタイトルの歌文集です。短歌あり、小論ありの150ページ。まだ読み始めたばかりですが、星野さんは農業研究者としてだけでなく、歌人として、平和運動家としても活躍されていることを初めて知りました。表紙のあとに写真とともに10首の歌が掲載されています。そのなかに、医療生協の親子グループの芋掘りについて歌ったものがありました。「スタートの 合図またずに とびだして 芋づるを引く 子らの喚声」。私のお気に入りです。


2009年02月24日

糸球体ろ過量

 昨日の地域協議会で初めて聴いた「糸球体ろ過量」というのが気になりました。そもそも何が問題なのか。自分の数値はどうなっているか。昨年11月に行った人間ドッグの結果データを見ても「糸球体ろ過量」という言葉はありません。そこでインターネットで調べてみました。共同通信社の「最新医療情報」によれば、「糸球体ろ過量(GFR) 糸球体は腎臓にある毛細血管が球状になった構造体で、血液をろ過している。ろ過の能力を示すのがGFRで、腎臓が何パーセント機能しているかの指標となる。血液中の老廃物であるクレアチニンの検査数値と年齢、性別から推定。数値が大きいほど機能が残されていることを示し、慢性腎臓病(CKD)の5段階の病期分類にも使われる」とあります。そこで改めて人間ドッグ結果データをみると、腎機能検査の中に今回から(eGFR)という検査項目が入っていることがわかりました。私の数値は77です。慢性腎臓病の5段階の病期分類でみると、「2期 GFR 軽度低下」ということになります。ひょっとすると60ちょっとかなと思っていたのでホッとしました。でも要注意ですね。
 
 さて、きょうは市議会中山間地対策特別委員会でした。午前中に財団法人大島農業振興公社を視察し、その後、菖蒲地区のみなさんと懇談させてもらいました。
 農業振興公社では、初代の大島区総合事務所長だった江口さん(退職後、ここで勤務)から案内をしていただき、鉄骨温室(ハウス)を見学をしました。豪雪地帯でありながらハウスをやっている。まず、そのことに驚きました。同公社では5年前から市内公共花壇の花苗を引き受けています。公共花壇だけでも6万7000鉢、そのほか「花とみどりの協議会」などにもほぼ同じ数量を出しているそうです。ハウス内ではサクラソウとシネラリアがきれいに咲いていました(画像)。ハウスでは、このほか、メロン、イチゴ苗、オータムポエムもやっていて、頑張っていました。農業振興公社は山間地の農地の守り手としてもなくてはならない存在です。耕作を依頼される農地は条件不利の地域のものが多く、経営的に厳しいと聞きました。どういう形で支援していったらいいのか、検討が必要です。
 
 菖蒲地区のみなさんとの懇談会。訪問したメンバーの自己紹介の際に、「戸籍上は吉川区尾神で生まれたことになっていますが、実際に生まれた場所は大島区の嶺です。ここにおられる岩野議員とは仲良くさせてもらっていますが、れっきとした内山系統の人間です」と言ったら、会場は爆笑。「この人は『のうの』の親類だ」という声も聞こえました。会の中では、「ソバの産地づくり交付金をせめて1万円上乗せしてほしい」「直接支払が終わってしまうと、田んぼをやめる人が何人も出てくる。これからどうしたらいいものか悩みの種だ」「(14市町村が)合併しても市役所(木田事務所)に行ったことがない。総合事務所にもっと金と権限を渡してほしい」などの声が次々と出されました。


2009年02月22日

酒飲み受難

 きょうになったら、足が痛みます。昨日、あちこち歩き回ったせいでしょう。
 午前から「しんぶん赤旗」の配達・集金活動をしました。足が疲れた話をあるお寺で話したところ、「京の寺詣りは歩き疲れるんだよね」。言われてみれば、妙心寺にしても境内の広さは甲子園球場が8つも入る大きさだと案内役の人から聞きましたから、当然です。
 集金をしていておもしろいなと思ったのは、ここのところ、酒飲みの人が中川財務大臣のおかげで迷惑をしているという話です。飲みすぎで醜態をさらした大臣のことが報道され、「そういえば、あんたも…」と、もうすっかり忘れられたはずの昔話を持ちだされたとか。うっかり、大笑いしてしまいました。
 明日は上越市の予算が発表され、3月議会の日程を決める議会運営委員会も開かれます。いよいよ予算議会です。


2009年02月21日

東本願寺へ

 初めて東本願寺へ行ってきました。わが家は真宗大谷派専徳寺の門徒ですので、一度は行ってきたいと思っていました。やっと実現したというわけです。
 京都駅から歩いて5分。お城のような大きな建物がそこでした。松の木があり、池があって、塀にはこれまた大きな看板が目に入ります。「今、いのちがあなたを生きている」。親鸞聖人750回御遠忌のテーマです。
 まずは阿弥陀堂へ入り、お参りをさせてもらいました。朝の9時頃でしたので、お参りをしている人はほんの数人でした。そのなかにグレーの防寒着をきて、リュックを背負っている女性がいました。おそらく身近な愛する人を失われたのでしょう、長時間にわたってずっと手を合わせている姿が強く印象に残りました。
 御影堂は修復工事がほぼ終わっているとはいえ、まだ大勢の建築工事の人たちが仕事中でした。阿弥陀堂から御影堂への渡り廊下に東本願寺再建の用材を運んだという大橇(そり)、鼻橇が置いてあります(画像)。明治16年3月12日、尾神岳の中腹で大きなケヤキ材を運んでいる時に雪崩が発生し、27人が犠牲になった事故がありました。その時にも使用されていた橇だということです。事故の当日運んでいた用材は上野實英先生の最近の研究で吉川区川谷から出たものであることが明らかになっていますが、説明書きはまだ修正してありませんでした。
 接待所の近くに「いのちのかたち」というコーナーがあり、そこの展示されていた作品にひかれました。心に障がいを持っている人たちによる粘土などの作品です。縄文時代の遺跡から出土した埴輪・土偶のような作品もあれば、独創的で宇宙のどこかから持ち込まれたようなものもありました。どんな形をしていようとも、いずれも生命力あふれたものばかりでした。
 東本願寺での用を済ませてから、時間がありましたので、妙心寺の三門(山門ではなく三門。天井の飛龍図等が23年ぶりに公開された)、衡梅院(山水図)、仁和寺の金堂・経蔵にも行ってきました。これらは通常、非公開文化財ですが、今回、3月18日まで特別公開の対象となっているものです。贅沢な時間を過ごさせてもらいました。


2009年02月15日

ビデオを見て拍手

 昨日に続いて、きょうも朝からいい天気でした。気温は15度くらいになったのではないでしょうか。午前中は後援会ニュースの配布などをしたのですが、動いていても気分が良かったですね。わが家の近くでも小鳥たちがやってきて鳴き声を聞かせてくれました。(録音した鳴き声は)たぶんヤマガラです。
 午前中で党活動は終わり。午後からは休みです。妻の実家へ遊びに行きました。先日から、懐かしい写真データやビデオを整理しているのですが、義父母にもみせてあげたいと思っていたのです。私の子どもの時からの写真は妻も初めて見たものも含まれていました。いまよりも体重が20キロも軽い青年時代の写真を見て、「これは誰?」にはまいりましたね。父の病院での様子も見てもらいました。
 一番好評だったのは、20数年前のビデオ映像です。妻が子どもたちに父親の働いている姿を見せようと作成した絵本についてのビデオです。長女、長男が仔牛と遊んでいる映像を見て(画像)、「この顔、よく憶えている」と義父母も大喜び、終わった時には拍手までしてくれました。今度、父の状態がいい時に、同じものを見せてあげたいと思っています。


2009年02月12日

『一握の砂』を朝日文庫版で読む

 国際啄木学会の前会長、近藤典彦さんからメールが来ました。『一握の砂』を朝日文庫版で読む…というタイトルでブログをはじめたというお知らせです。近藤さんとは『Fゼミ通信』(古厩忠夫著)の編集などでこれまで5回ほどご一緒させていただきました。いつも若々しくて、しかも楽しい人です。これまで啄木の研究者として何冊もの本を出版されていますが、今回、もっともっと多くの人に読んでもらいたいと思い、ブログをスタートさせたといいます。
 9日のブログでは、「特に10代後半から~40代の人たち、とりわけ1700万人を超えるという非正規雇用労働者の方々に、啄木の歌集『一握の砂』を読んでもらいたいと思います。小林多喜二の『蟹工船』が働く人を使い捨てにする社会を告発し、その社会にあって闘うことを訴えた小説であるとすれば、『一握の砂』はそういう社会に生き、闘う人の心(胸のうち)を表現した歌集である」と書いておられます。まだ、はじまったばかりですが、おもしろいですよ。一度訪問してみてください。
 さて、きょうは午後から「トキめき新潟国体」を成功させるようと頑張っている市民団体と市長との「現場でトーク」がありました。これまで国体に関するイベントに参加できないでいたので、何とか時間をつくって2時間ほど参加してきました。
 国体は上越市にとって、今年度の大きな取り組みのひとつです。国体を盛り上げようと頑張ってきた柿崎区の満田恵美子さんと清里区の横山文男さんの報告にひきつけられました。
 満田さんはこれまで取り組んできた花いっぱい運動やマスコット「トッキッキ」の制作・販売だけでなく、昭和39年の新潟国体での思い出も語りました。当時、柿崎町はテニスの町として有名で、国体のテニス競技の開催地に。宿泊施設が足りず、遠くから参加した選手には民家に泊まってもらい、その家の人たちが家族ぐるみで応援したといいますが、それが誇りになっている。今回のハンドボール競技でも、開催地となったことを誇りにできるよう頑張りたいと決意をのべました。
 横山さんは、リハーサル大会で延べ10日間ほどボランティアとして関わった体験を生き生きとのべました。このなかで横山さんは、「駐車場係のところには食堂から名所がどこにあるかまでなんでも問い合わせがくる。ボランティアと行政は情報を共有していくことが大事だ。駐車場の地図には番号をつけた方がいい」など秋の国体に向けた改善提案をいくつも語り、注目されました。とにかく、一生懸命でしたね。
 休憩に入る前に、トランポビクス(画像)のインストラクターの指導で体をほぐす体操をしました。音楽に合わせて、手や足をたたいたり、首をねじったり(これじゃ、表現が貧困かな)。久しぶりに運動したのですが、インストラクターの笑顔にひかれて、最後までやれました。音楽に合わせて体を動かすのがこんなに楽しいとは思いませんでした。


物忘れ外来患者?

 ああ、情けない、情けない。今朝、日記の更新やメールチェックをしようとしてもつながりませんでした。原因がなかなか分からず、とうとう30分以上もばたばたしてしまいました。じつは、昨晩、この日記を書き始めたころ、雷が激しくなったので電源を切り、ネットの接続もできないようにしたのですが、そのことをすっかり忘れていました。最近、こんなばかばかしい失敗を何回かやっています。そろそろ、「物忘れ外来」にかかった方がいいのかも知れません。
 昨日は父を見舞い、普段なかなか時間が取れなくてできなかった用事をいくつかこなしました。父のところへは毎日のように行っていますが、最近、気付いたことがあります。「どこか悪いところないかね。風邪ひきなんな。がんばるんだよ」など、ありきたりの励ましの言葉を何度も繰り返すといらいらした表情を見せるのです。会話らしい会話もできず、どうしても同じ言葉で声をかけることになっていますが、先日、母が私と同じように励ましの言葉を言っていたところ、父がいきなり、「分かってるわ」と大きな声を出したというのです。
 そこで、ここ数日間は、その日の出来事などを伝えることにしました。家のそばのケヤキの枝が大きくなったので、枝を切ってもらった。梅の木が白い花を咲かせ始めた。どこどこのじいちゃんと会った。議会の用事で新潟へ行ってきたなどです。まだ、喜んでいるかどうか分かりませんが、しばらくこの調子で続けてみようと思っています。
 最新情報をひとつ。糸魚川市の市議会議員、新保峰孝さんがホームページを立ち上げました。ささやかな幸せが大事にされる社会であってほしい…というメッセージが新保さんの人柄を感じさせます。時々綴る「思いつくままに」が面白いです。


2009年01月22日

たたかいと料理と

 夕方から上越地区労連の旗開きでした。ここ数年、休まず参加していますが、加入している各組織の決意を聴きながら、改めて今年はたたかいの年だと思いました。私の隣に座ったNさんは、1月上旬に解雇されたばかりです。解雇撤回を求め、今月下旬には団体交渉をやり、その結果次第では裁判闘争も辞さないとの決意を語りました。Nさんには大きな拍手がおくられました。きょうは参加していませんでしたが、青年ユニオンに入っているHさんも裁判闘争になりそうだと聞いていますから、上越地区労連は同じ時期に2つの労働裁判闘争をやることになるかも知れません。
 旗開きではいろんな出会いがあり、興味深い話も聴けます。ひょんなことから私が先日、この日記で紹介した鍋料理が話題になり、ある組合事務局の女性から、「世界一うまい料理」のことを教えてもらいました。この方の話によると、その料理は、「大根サラダ」。大根を千切りにし、塩を少し入れしんなりさせる。それに細かく刻んだレタスとシーチキンを入れ、かき混ぜて出来上がりです。私でも間違いなくできそうな料理ですが、この方の家では、大きな皿に山盛りにして出しても子どもさんたちがあっという間に食べ終わってしまうとか。「世界一うまい料理」という言葉は、この子どもさんたちの評価だそうです。作ってみたくなりました。


2009年01月15日

「合格祝い」

 午前中は胃カメラでした。午前9時過ぎには予約してあった医院へ行き、9時半から検査です。ベッドの上で横になり、胃カメラが口から食道へ、食道から胃へと入っていきました。自分の胃の中の様子を画像で見せてもらいながら、医者の説明も聞くというのは緊張します。胃カメラでの診断そのものは5分くらいで終わったのですが、麻酔が切れて、医者からの最終的な説明を受け、すべてが終わったのは11時半過ぎとなりました。心配したポリープはなく、結果はマルでした。大丈夫となると食欲が急速に出てきて、お昼は八宝菜とラーメンのセットを食べ、「合格祝い」をしました。
 午後からは市役所です。総括質疑の質問テーマを定めるために団会議で議論を重ね、事実経過や基本的なことでわからないことがあると担当課に訊く、それを繰り返しました。中身によっては、担当課と議論になることも。19日の総括質疑には上野議員から登壇してもらいます。


2009年01月13日

小さな番組紹介

 日本列島くらしのたよりは、新潟県上越市からの話題。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙のテレビ・ラジオ欄、「ラジオ深夜便」のところでこの文章を見つけました。「さて、なんだろう」と思って新潟日報や上越タイムスのラジオ欄を見ましたが、まったく紹介してありません。こうなると、気になってしょうがないのが私の性分です。放送は夜の11時20分から。災害時用(?)のラジオをひっぱりだし、ガーガー雑音が入った放送を聴きました。NHKのアナウンサーの紹介で登場したのは、何と知り合いのMさんでした。「そちらは、雪はいかがですか」という質問からはじまって「さいの神」のことに話題が進みました。今晩の放送は「さいの神」の話題だったのです。久しぶりに聴くラジオ、Mさんのアナウンサーとの落ち着いた話しぶりにも驚きましたが、ゆったりとした気分で楽しめていいもんでした。


2009年01月10日

行方不明だった本と写真を発見

 一昨年の中越沖地震、わが家でも水道管がやられたほか、家具、本棚などが倒れて、めちゃくちゃになりました。私たちの地方の方言で言うと、「かんもされた」という言葉になるのかな。この後片付けをしたのはしばらくたってからですが、その際、どうしても見つからなかったものがいくつかありました。1981年(昭和56年)に発行された雑誌と何枚かの写真です。それがきょう見つかったのです。
 発見した雑誌と写真(画像はその一部)は、妻が『おとうさんのしごと』という絵本を自費出版した当時のものです。NHKテレビやいくつかの新聞、雑誌などがとり上げてくれましたが、これは、私たち夫婦にとってはもちろんのこと、わが家にとっても宝物でした。この雑誌は妻の絵本を紹介してしばらくしてから廃刊になっていますので、わが家で見つけることができなければ簡単には入手できないものでした。それだけにうれしかったなぁ。きょう、最大の収穫です。
 きょうの発見は、党頸城支部で話をするスライドづくりの過程でのことでした。きょうの話のねらいは、私がどういう環境の中で育ち、日本共産党に入党していったのか、どんなことを心がけて活動してきたかを知ってもらい、「これなら共産党でがんばっていける」という気持ちを再確認してもらうことでした。話を楽しく、興味深く聴いていただくためにどういうスライドがいいか考えていた時、ふと思いついたのが行方不明になっていた雑誌と写真でした。きょう、話す機会を与えてくれた仲間に感謝です。


2009年01月08日

冬晴れ

 いま、病院から帰ってきたところです。父の病気が悪化したわけではありません。私が昨年の人間ドッグで要精密検査となっていたので、きょう、やっと出かけてきたのです。ドッグは毎年受けているのですが、肝臓、胃、胆のうに黄信号がついていて、いつもより精密検査の項目が多くなっていました。きょうの検査では、胃以外はなんとかパスしました。残る胃はポリープができているとかで、15日に胃カメラを飲んで調べてもらうことになりました。
 ところで、昨日といい、きょうといい、ほんとに暖かいですね。昨日は市役所の近くにある文化会館で介護保険運営協議会を傍聴した後、エレベーターのところまで行ったところ、目の前に米山と尾神岳の雄姿(画像)が見えました。雪のない正月は、個人的にはありがたいですが、いつまで続くのでしょうか。頸城区では、もうスイセンが咲いていました。
 朝3時過ぎまでスライドづくりをしていて、日記を後回しにしていたら、昨日分は書けなくなってしまいました。


2009年01月05日

負けちゃいられない

 昨日の新潟日報の10面に、岩塚製菓㈱の槇春夫社長、絵本作家の中村麻美氏、日本画家の大矢紀氏のてい談が掲載されていました。NHKの大河ドラマ『天地人』が始まるその日という絶妙のタイミングで、直江兼続の魅力を語り、ふるさと新潟の〝雪国の心〟を語り、岩塚製菓㈱が製造した「天地人紀行」に込めた思いを語る。見事なてい談でした(画像)
 「見事な」と書きましたが、ここには、『天地人』の放映を絶好のチャンスととらえ、ふるさと新潟をアピールする見本とも言うべきスタイルがあったからです。中村麻美氏は火坂雅志氏の『天地人』が新潟日報で連載されていた時に挿絵を描いた人です。そして大矢紀氏は与板出身の著名な日本画家です。てい談で中心に据えられていたのは、「謀略や裏切りが渦巻き、親子や兄弟間でさえ争った戦国時代に、義と愛の精神で民のことを考え続けた存在」「生き方は無欲そのもの。ぎらぎらした欲望はなく、あくまでも主君をたてて生き抜いた姿は、忠義以前に人間として素晴らしい」(大矢氏)などといった兼続の魅力です。そういうなかで槇社長が、米菓王国・新潟の土産ブランドにしたいと、お菓子の「天地人紀行」の宣伝をしっかりやっていたのにも感心しました。
 ただ、このてい談を読んで残念だったのは、直江兼続の活躍の中心舞台だった上越市のことが全くといってよいほど触れられていなかったことです。てい談をまとめたら、たまたまそうなっただけなのかも知れませんが、南魚沼市や長岡市与板のことが出ていて、上越市のことが出ていないのは納得がいきませんでした。きょう、このことについて市内のある金融機関の職員さんに話したところ、「そりゃ、中越にゆかりの人たちが話をすればそうなりますよ。上越の人たちはもっと宣伝上手にならなきゃ」と言われてしまいました。負けちゃいられませんね、上越も。


2009年01月04日

いつも風が吹いている絵

 上越市消防団の出初式を終えてから、新年になって初めて高田の町へ出かけてきました。大和デパート5階で開催されている村山陽先生の絵画展(6日まで)を観るためです。村山先生は私の高校時代の芸術の先生でした。私は直接習っていないのですが、高校時代から先生の絵には関心を持ってきました。
 会場には大きい作品や小さい作品が100点ほど展示されていました。実家が蹄鉄屋さんだったこともあって、その仕事の絵がとても力強く描かれているなと思いました。私もそうですが、親がやっている仕事には特別の想いがあります。展示されていた作品の中で強くひかれたのは、「なんにもだいらの樹たち」と絵本『はんの木のみえるまど』のなかの夕日の絵です。森の中の雪の色、赤というよりはピンク色に近い夕日、私の気持ちとぴったりで、その場にじっとしていたくなりました。先生の風景を描いた作品を観ていて、きょう、発見したことがあります。どの作品でも風が吹いているのです。絵には直接描いてなくても吹いているのです。それが絵に勢いを感じさせ、観る人をひきつけているなと感じました。
 きょうの絵画展には村山先生もおられました。会場で新潟日報事業社からこのほど発刊された『村山陽作品集』を買い求めた際、先生から少女の絵とサインをもらいました(画像)。先生がペンを持ち、絵を描かれる姿を見るのは初めてでした。少女の横顔を描かれているときの丁寧さ、先生のお人柄がにじみ出ていました。
 市政レポート1378号及び「春よ来い」第101回をアップしました。トップページから入ってご笑覧ください。


2009年01月01日

年賀状書き

 新年おめでとうございます。今年は町内会の新年会当番が仕事始めです。6年に1回の割合でまわってくるのですが、会場の準備、酒の燗だけでなく、司会をやることになったのは今の町内会に移り住んでから初めてでした。新年になると、何をやるにも新鮮さと緊張感があります。開始から終わりまで約1時間、無事に終わってホッとしました。
 新年会が終わってから地元のお寺をお参りし、その後は、年賀状書きです。市内は公選法上返信しか出せないので、ついつい市外の親戚や友人のところまで書かずじまいになっていました。きょうは、妻の実家へも挨拶に行ったのですが、そこでも年賀状を書きまくり、夜になってようやく書き上げました。宛名だけでも準備しておけば楽なのに、そう思われるでしょうが、それがなかなかできません。
 妻の実家からの帰り道、偶然にも上弦の月とその下方に位置する金星がきれいに見えました。きょうは悪天候で見ることができないと思っていただけに感激でした。


2008年12月31日

一年間ありがとうございました

 2008年も、あと3時間ほどになりました。まずは、この「ホーセの見てある記」を訪問してくださった皆さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 今年は年明け早々から市議選の準備、そして選挙戦と大忙しでした。100日間に及ぶ辻立ち、「こんばんは街頭演説会」、すだれ宣伝など私が初めて経験した取り組みは一生忘れることがないでしょう。吉川区内外から党派を超えたご支援をいただき、お陰様で定数1の議員選挙で2回連続当選することができました。
 改選後は党議員団の団長を務めることになったことで、これまでになく重い責任を意識しながら、市民生活を守るために奔走してきました。景気の悪化に伴って、生活相談は増え続けました。市政の重要問題も目白押しでした。その中で、党議員団として市民のみなさんの生の声をお聴きし、議会で市民代表として発言していく活動、そして初めての議案提案権の行使など、いくつかの新しい挑戦をしてきました。これらは今後の議会活動に大いに役に立つものと確信しています。
 新年は総選挙、市長選が行われる年です。どんなことが待ち受けているか分かりませんが、時間を作って重要課題を学び、国民本位、市民本位の政治実現めざして頑張っていきたいと思います。また、ホームページでは、「ふるさとの音の風景」「民話」なども発信していく予定です。どうか、これからもお付き合い下さいますように。それでは、よいお年をお迎えください。


2008年12月18日

休みます

 明日の議会で、㈱よしかわ杜氏の郷への出資金を含んだ補正予算にどう対応するかで上野議員などと議論をし、少し前に帰ってきたところです。いまは午前1時23分です。一日の中で緊張する場面が多く、すっかり疲れました。きょうは、もう休みます。


2008年12月11日

人探し

 先日、妻と一緒に長峰温泉に行った帰りのことです。星空を見ていて、突然、一人の「少年」を思い出しました。名前は柴山貴彦さんといいます。いまから40年ほど前に新潟で家庭教師をしていた時の教え子です。とても素直ないい子どもで、何よりも星が好きな子どもでした。どうしているか知りたくなり、インターネットで検索してみたものの、見当たりませんでした。たぶん、名前の漢字が違っていたのでしょう。がっかりでした。元気でいれば、40代の男性です。
 そういうなか、東京都在住の60代の女性から3日ほど前、手紙が来ました。ご自身のお連れ合いと学生時代付き合いのあったある男性がおられたのですが、その人の奥さんを知っていないかという問い合わせでした。その女性は、インターネットで検索していたところ、私のホームページに探している人の手がかりを見つけたのです。こちらも40年ほど前の人を探しておられたのです。私はすぐに連絡を取り、お役に立てたのですが、きょう、お礼の手紙が届きました。前回は6枚もの手書きの手紙、今回も3枚にもおよぶ手紙でした。こういうこともあるのですね。感激でした。
 きょうは一般質問の2日目でした。きょうも6人の質問で終わりましたので、明日の私の出番はなくなりました。私は15日の午前となる可能性が高くなりました。


2008年12月02日

短期保険証でなく、一般保険証を高校生まで交付

 うれしいお知らせです。党市議団は先月13日、上越市長に対して、子どもからの「保険証の取り上げは、医療にかかる権利を奪うものであり、憲法で保障された生存権の侵害です。また、上越市子どもの権利に関する条例に照らしても、あってはならないことです。子どものいる家庭はもちろん、すべての世帯で取り上げを中止すべきです。このたび明らかになった実態を踏まえ、子どもからの国民健康保険証の取り上げを直ちにやめ、短期保険証でなく、一般保険証を交付するよう」申し入れていましたが、きょう、高校生まで一般保険証を交付するとの回答が文書でありました。文書(画像)は土橋市民生活部長と池田保険年金課長が党議員団の控室まで持参され、「満額回答です。よろしくお願いします」と挨拶がありました。県内の自治体でも子どもの保険問題がクローズアップされ、方針転換をする自治体が相次いでいますが、上越市の措置はそのなかでも先進的なものとなりました。
 上越市ではこれまで、国保税を長期間滞納し、納税相談にも応じてもらえない世帯に対して、世帯単位で資格証明書を出してきました。この12月1日からは、①18歳に到達する年度末までの子どもには資格証明書又は短期証を発行しない、②子どもには通常の保険証(一般証)を交付する、③現在、短期証を発行している世帯の子どもは、更新時に一般証に切り替えるとした方針に転換しました。今回の方針転換にあたって市は、「滞納は保護者の事情に起因するものであり、子どもには何ら責任がない」「福祉や教育的観点を踏まえ」対応することにしたとしています。11月28日現在、市内で資格証明書を交付している世帯と子ども数は19世帯30人で、短期証を交付している世帯と子ども数は122世帯205人にのぼります。
 きょうは、もうひとつ、うれしいニュースがあります。地元で議会報告を終え、夜9時に夕食の時間となりましたが、テーブルの上に新潟市の地質研究者、O先生から冊子小包が届いていました。先生は、私の随想「春よ来い」が100回になったことを記念して、冊子を2部作成してくださいました。そのうちの1冊を手元に置き、もう1冊を私に送ってくださったのです(画像)。冊子に添えられた手紙には、「傍らに置いておくだけで、雲が湧き上がってくるような気持にさせられます。まさしく読む人に希望と勇気を与えるものです」とありました。ここまでほめてくださる方があるというのは感無量です。先生、ありがとうございました。


2008年11月27日

小さな町のスケッチ

 くびき野の大地からまた1冊の素敵な本が誕生しました。児童文学作家杉みき子作の『小さな町のスケッチ』(上越タイムス社)です(画像)。挿絵は村山陽さん。これまで二人のコンビで何冊も児童文学が作られてきましたが、今回は一味違う本ができました。普通ならまず文があり、その文に見合った絵を画家が描くということになりますが、この本は村山さんの絵を見て杉さんが物語を書いたのです。まさに絵から生まれた物語です。
 今夜、この本の出版を祝う会が高田で行われました。100人を超えたでしょうか、杉さん、村山さんとかかわりのある人たちがお祝いに駆けつけました。
 地元ケーブルテレビのアナウンサーによる作品の朗読、お祝いの挨拶に続いて、おふたりがこの本について語る時間がありました。上越市民の歌の作詞者・上原みゆきさんがきき手です(画像)
 遠くから見るとかわいいベストを着ている感じの杉さんが「今回は村山先生に楽をしていただこうと逆をやろうということになりました。やってみたら、とても楽しいんです。はじめに枠をはめられて、その中でやることがこんなにも楽しいものかと思いました。野菜や魚が飛び出してきてしゃべりはじめる…。私の本のキーワードは『希望』と『待つこと』の2つです。読む人が最後に明日への希望を持ってほしいと願って書きました。またやりたい」と今回の本づくりについて語られました。
 高田高校の教師をやっていた時から話す時は立つことにしているという村山さんは、「これまで杉さんの原稿に追っかけられてきました。今度は私が(杉さんに)宿題を出そうということになりました。(上越タイムスでの連載)1回分の文のために3、4点の絵を出し、そこから文を書いてもらいました。日常生活の中でいいなと思ったこと、おやっと思ったことを描いています。家内がカニを料理していていいなと思えば、『ちょっと待った』と声をかけ描きます。これで、その晩はカニが食べられなくなってしまうわとぼやかれますが。文章は最後まで行かないとわからないが、絵は一瞬で入落が決まります」と、時折ユーモアをまじえて思いをのべられました。
 本に書かれた物語は上越タイムスに連載された時に読んでいましたが、このふるさと、くびき野の風景や住んでいる人たちへの愛情であふれています。『くびき野ものがたり』『金谷山ものがたり』に続く今回の本の出版で、くびき野三部作は完成したことになりますが、おふたりは元気いっぱいです。まだこれから作品が出てくる、そんな予感がしました。
 祝う会の会場では、高校時代の同級生など懐かしい人たちと再会できました。また、岩の原葡萄園の新社長、坂田敏さんなどと地域づくり、会社運営などについて意見を交換することができましたし、エフエム上越㈱の熊田唯志局長さんなどから声をかけていただきました。ありがたかったです。それと今晩の最大の収穫は、私自身の心の中で新たな創作意欲が湧いてきたことです。どんなものをどんなふうに書いていくか、それは秘密です。


2008年11月21日

疲れピーク

 明日からの3日間は杜氏の郷関係の市民説明会などがびっしりです。特に明日は午前8時半から説明会がはじまるとあって、昨日からきょうにかけて大忙しでした。市政レポートの作成、印刷はいつもより1日早く行い、そのほかのことも少しでも早くやっておこうとしたものですから、昨晩は、3時間の睡眠しかとれませんでした。そのため、車の運転はスピードが一定せず、ときどきダウンする有様でした。というわけで、きょうの「見てある記」はほどほどにしておいて休みます。


2008年11月20日

初雪

 今朝は市役所からの発信です。昨晩、すっかりお酒をいただいて高田に泊まったからです。
 まずは雪のニュースから。昨日の朝、尾神岳に雪が降りました。そしてきょうは、高田平野にも雪が降りてきました。尾神岳や米山が3回白くなると、平場にも雪が降ると言われてきましたが、今年はそうはなりませんでした。私はタイヤを数日前にスノータイヤに履き替えていましたので、どんぴたりでした。
 さて、昨日のことについて少し記録しておきましょう。昨日は新潟市にて党の全県議員団会議でした。12月議会に向けての研修です。国民の生活苦が一段と深刻化しているなかで、どう議会で論戦し、住民の暮らしを守っていくか、いつ総選挙になってもいいように、運動をどう発展させていくか、を学びました。感心したのは、自治体部長が先日の上越地区議員団研修でわれわれが指摘した、「もっと総合的な対策を提案すべき」との声に応えて、雇用や中小企業対策、医療などの分野で充実した提案をしてきたことです。子どもの無保険の問題や低所得者対策での最新情報はとても参考になりました。
 昨晩は高田で「郷土料理とバイキングを楽しむ会」でした。1年に2回ずつやって、今回で10回目。市内の合併前上越市、13区すべての郷土料理を紹介したことになります。今回は清里区と桑取地区の料理でした。いつものことながら、山菜や地元で採れたものを使った料理がおいしい。それと楽しみなのは、普段なかなか会えない人と再会できるのもありがたいですね。昨晩は元市健康福祉部長のTさんをはじめ、何人かの懐かしい人と会い、話をさせてもらいました。三和区で運輸関係の仕事をしている親戚筋のIさんとも会いました。「応援していますよ」の声に励まされました。


2008年11月15日

人間ドック

 昨日は午前中、人間ドックでした。体重は昨年のドックの時よりも増えているのではないかと思っていたところ、約1キロ減でした。前日、たくさん食べなかったせいかもしれません。ちょっとでも数字が落ちるとうれしいですね。でも安心できる状態ではありません。メタボの目安になる腹回りは10センチ近くもオーバーしていましたし、運動不足はコレストロール値に出ました。最低でも10分間くらいは歩いてください、休肝日は忘れずに。最後に保健指導で言われた言葉です。
 ドックから戻り、市政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。そして夜は、吉川区総合事務所による㈱杜氏の郷問題の市民説明会に出席してきました。前日の党議員団の議会報告会同様、ここでも「これまで市の監査はどうだったのか」「私募債は返せるのか」「上越市が出資すると筆頭株主になる。仮に赤字になった時どうしていくのか」など質問、意見が続出しました。総合事務所では市としての方針が確定した後の30日、吉川区内3か所で説明会を開催していきたいとしています。
 ドックで下剤を飲んだら、お腹の状態が安定せず、昨晩は10時頃には眠ってしまいました。この頃、頑張りがきかなくなってきたみたいです。


2008年11月12日

このときを待っていた

 市役所へ行く時、必ず通る道に1本のイチョウの木があります。吉川区山方の敬徳寺の大イチョウです。この時期になると、いつ一番美しい黄葉になるか楽しみにしています。そして毎年、気に入った写真を撮ろうと構えているのですが、きれいに黄葉して最高の時となっても空は曇り空であるなど、なかなかいいチャンスはやってきませんでした。ところが、きょうは5年に1回あるかないかのチャンスがやってきたのです。もう説明はやめましょう。きょうの写真は「私の好きな風景」に掲載したものよりもよく撮れていますよ(画像)
 市役所では国保運営協議会を傍聴しました。12月議会提出予定の条例の一部改正や補正予算案について話し合いが行われていました。注目したのは、「その他」の事項で市が説明した国保の資格証明書の発行についてです。当市における国保加入世帯数は2万6374ですが、滞納が始まって2年くらいたっても納税相談に応じない世帯に被保険者資格証明書を出しています。その数、234世帯。このうち、子どものいる世帯数は18世帯です。被保険者資格証明書世帯では、保険診療扱いとなっても医療費は10割自己負担です。事実上、医者にかかれません。最近、「子どもが医者にかかれないことになっていいのか」という世論が高まっていますが、上越市では高校生までを対象に短期被保険者証を発行する予定であることを明らかにしました。一歩前進ではありますが、子どもの権利条例を制定した市の対応としては不十分です。党議員団で至急検討し、市当局に最善の対策を申し入れたいと思います。
 もうひとつ、きょうは市役所で興味深いビデオを見ました。先代の柳家小さん師匠と事実上の師弟関係にあった上越市在住の舞踊家との友情を描いた物語です。今年、ある民放で放映されたものだそうです。学生時代、小さん師匠のもとに飛び込んでいったものの、落語界のきまりのなかで弟子になれず、ふるさと直江津に戻って舞踊家になった青年が落語名人会を毎年地元で開催し、文化活動を推進していきます。その名人会には、毎回、小さん師匠の姿がありました。地元で金が集まらず、開催を断念しようとしたときもありました。師匠の病気が進み、医師から上越行きを強行すれば命の保証がないと言われたときも、小さん師匠は上越市にやってきました。命ある限り上越へ、弟子との約束を守るために。事実上の師弟関係にあったその人は何と現職の市議、佐藤敏さんです。胸が熱くなりました。


2008年11月05日

「子宝土偶」登場

 新潟日報全県版に「合併上越文化財めぐり」というのが掲載されています。上越市には指定文化財が353件あります。このなかで私がもっとも好きなものは、吉川区の長峰遺跡から出土した考古資料中の妊婦の形をした小さな土偶です。人間の手の親指くらいかな。お腹が大きく膨らんでいて、お尻もどっしりしていて、とてもかわいいのです。この土偶がきょうの「合併上越文化財めぐり」に載りました(画像)。この土偶には名前が付いていませんが、吉川区内では「ミニ土偶」「ET土偶」などと呼ばれています。私が勝手に使ってきたのは、「子宝土偶」です。これを見ているだけで子どもを授かる、そんな気がしませんか。この土偶はひとりでも多くの人に見てほしく思います。見たい方は、吉川区総合事務所(電話025-548-2311)教育文化グループにお尋ねください。
 さて、きょうは朝から市役所で、チラシ、スライド作成などの作業をする予定でしたが、途中で生活相談が数件入り、それらの解決のために動きました。きょうの相談の中には、衣食住といった生活の基本にかかわるものがありました。こういうものは、最優先です。


2008年10月26日

『春よ来い』は100回に

 『幸せめっけた』に続く随想のシリーズとして市政レポートの裏面に書き続けてきた『春よ来い』が今回の「赤とんぼ」で100回目となりました。第1回が2004年の1月ですから、4年と10か月書き続けてきたことになります。この間、応援してくださいましたみなさんに心から感謝いたします。
 この随想は、私の家族や親戚の出来事、吉川区内でがんばって生きている人たちのことを中心に書いてきました。心を揺さぶられ、すぐに文字にしたものもあれば、何回か取材して書いたものもあります。おもしろいもので、自分が書いた文章は一晩寝かせて翌日になると違って見えてきます。できるだけ良い文章にしたいと何回も書き直したものもあります。でも、書きなおしたものがよく読まれるとはかぎりません。文章としてはいまいちでも、「良かったよ」と言ってもらえるものもあります。
 いまや、私の活動の一部分となった随想の執筆ですが、ありがたいのは、いつも楽しみにしていてくださる方が何人もおられることです。「いつもビラの裏、読んでるでね。続けてくんないね」こういう励ましの言葉を寄せていただいたからこそ続いてきたんだと思います。残念なのは、最近、執筆の時間がなかなかとれないことです。でも、書かないではいられないことが必ず出てきますので、寝る時間を削ってでも続けていきたい。これからも応援よろしくお願いします。


2008年10月12日

大島区で法要

 きょうは大島区の伯母の1周忌法要と伯父の33回忌法要でした。私たち親戚筋では「足谷」と呼んでいる家での法要です。お経は午前10時から約1時間半にも及びました。33回忌法要はわが家の祖父の時以来でした。お寺のご住職の法話のなかで伯父が馬をひき、米を運ぶ話が出てきたこともあって、法要終了後のお斎では、久しぶりに伯父の話や30年、40年前の思い出話をしました。従兄のひとりは、わが家まで「村屋柿」(むらやがき)をもぎに来て、リュックにいっぱいつめて帰ったものの、途中で陽が落ちてしまい、親たちに叱られたことを教えてくれました。
 伯母と伯父の法要とあって、参列者は50人近くにもなりました。ここ何回か、葬儀や法要で顔を合わせ、顔なじみとなった人も少なくありません。伯母の葬儀の前日に、初の日本共産党演説会を大島区で開催したことから、私の活動についても関心をよせ、春の市議選で吉川区在住の仕事仲間に支持を訴えてくださった人もありました。何よりも、従兄弟たちが協力してくれたことが大きく影響しています。改めて感謝です。
 お斎が終わって、「足谷」の家でまたご馳走になりました。従兄のお連れ合いが腕をふるって用意してくれた美味しさいっぱいのふるさと料理を堪能させてもらいました。山ウド、ワラビ、地の野菜などが美味しく味付けされていて最高の料理でした。この中には、私の母が前日送っておいたコンニャクを活かしたものも(画像)
 今回の法要では従兄弟たちに食べてもらおうと、吉川区の山間部で採れた天然のサルナシを一握り持参しました。びっくりしたことに大島区の従兄弟たちを含め、食べたことのない人たちがたくさんいました。畑にあった「すいっかし」と間違える人もありました。千葉や埼玉の従弟たちももちろん初めて、珍しがって食べてくれました。
 伯母や伯父のおかげでこうした楽しい交流ができました。良かった、良かった。


2008年10月11日

前橋市で結婚式

 きょうは前橋市駅前のホテルで親戚の結婚式でした。こちらから10人乗りのタクシーに乗って朝6時半頃出発、帰りは午後7時半頃になりました。近くに住んでいても普段あまり会話もできない伯母や従妹夫婦などと一緒でしたので、車中はたくさんおしゃべりをして楽しい時間を過ごしました。
 結婚式は10時半から、披露宴は12時からでした。新郎新婦の高校の同級生や会社の同僚、親戚の人たちが盛り上げてくれ、とてもいい結婚式でした。新郎は子ども時代の姿しか記憶が残っていません。背が伸びて、若かりし頃の小林旭風の素敵な男性に成長していました。あまり口数が多くなく、真面目な男性でしたが、人にやさしいところが最大の魅力。新婦もここにひかれたようです。新婦の父親、母親とも私やわが家の子どもたちがお世話になった教育者です。不思議なご縁を感じました。
 結婚披露宴はずいぶん変わりましたね。映像技術の発達するなかで、新郎新婦の生い立ちと出会いの紹介はプロジェクターを使い、鮮やかに映し出されました。若い二人の魅力がコンパクトに紹介されていてとてもわかりやすいものでした。披露宴の最終場面、新郎新婦が退場してからも映像で、きょうの結婚式の様子などがプロジェクターで大きく映し出されました。披露宴に参加した人たちもどこかに登場していて、最後は出演者(参加者)の名前がずらりと出てくる。まるで映画に出演した錯覚を起こしそうな演出がされていました。
 きょう一番印象に残った映像は新郎がおばあちゃんの手をとり、歩いている後姿のシーン。正面からでないのに、なぜか正面からよりも人間の内面が見えてきて素敵でした。


2008年09月27日

大きなハガキ

 午前は県内の議員と党機関役員の合同会議でした。昨日、開催された第7回中央委員会の報告と討論が行われました。行きの車の中でざっと目を通し、県委員長の報告を聴いたのですが、改めて勉強しなくても、これまで市議選などで訴えてきたことをそのまま話して支持を広げていくことが可能な情勢であることがよくわかりました。
 家に戻ったら三宅島から差出人の名前が書かれていない大きなハガキが届いていました。裏面は竹かごを編む外国の女性の写真です。表面には、見たことのある美しい文字で、「すっかり秋の気配につつまれました。お変わりありませんか。いよいよ出番ですね…(中略)新潟の稲作は順調でしたか。食の安全が問われる今日、気をひきしめてがんばりましょう」とあります。間違いなく三宅島在住のSさんからです。新潟は吉川区のコメを食べていてくださるというSさんの久しぶりのお便りでした。
 お便りといえば、2日ほど前にも東京から封筒が届いていました。こちらは中に入っていた文面が私以外の人宛の内容なのでびっくり、すぐに差出人のWさんのところへ電話をしました。他人の靴を履いて帰るなど昔からあわて者のところがある人でしたが、おかげで楽しいおしゃべりができました。なお、手紙は結婚報告で、とても目出度い内容でした。
 Sさん、Wさんとも手書きです。どちらもうれしいお便りでした。


2008年09月06日

燃料代の経営圧迫、3セクも

 きょうは土曜日。勤めに出ていて稲作をやっている人たちにとっては大事な日でした。「しんぶん赤旗」の集金に行っても稲刈りで留守が多く、なかなか進みませんでした。天気は午前中は安定していたものの、午後からは時々雨が降る状態に。田んぼで稲刈りをしている人たちは、午後からの天気には泣かされたようです。
 午後、第3セクターで仕事をしている人と会い、いまの経営状況について話を聞くことができました。景気の悪化でお客さんが年々減少していること、そのために経営側は苦労していることは承知していましたが、「今年になってからの燃料代の高騰にはまいった」という話は深刻でした。この人が務める会社では、施設で使用する燃料代だけで昨年度よりもおそらく600万円くらいは増える見込みだといいます。原油の高騰による経営悪化はいろんな分野で広がっていますが、改めて、そのすごさに驚きました。
 夕方、病院経由で妙高高原へ向かおうとしました。ところが、居眠り運転直前の状態となり断念しました。体を休めなさいということなのでしょう。


2008年09月01日

Sさんの葬儀

 Sさんの葬儀でした。葬儀は12時半から。午前の総務常任委員会が11時半頃に終わったので、何とか間に合いました。
 Sさんのお連れ合いは私の叔父の姉で、わが家(と言っても尾神に住んでいた時の家)の隣の出身でした。それで、Sさん一家とは小さい時からお付き合いをさせていただいています。Sさんはなかなかの働き者で、田んぼだけでなく、こびき(製材)、酒屋者とがんばってこられました。現在のわが家は尾神にあった家を移築したものですが、大きな柱などはSさんなど3人の製材職人さんからひいてもらいました。
 遺族を代表して挨拶したHさんによると、働き者であったが、たいへん酒を好んだ人でもあったということでした。5年ほど前のこと、大雨で裏山が崩れてきた時、みんなでSさんとお袋さんを町道(当時)まで運んだ記憶があります。その当時から寝たきりに近い状態でしたから、本人も家族もたいへんだったと思います。Sさん、ゆっくりお休みください。


2008年08月29日

思わず笑った魚

 きょうも議案の勉強会と「質問取り」の一日でした。お昼休みのこと、議員控室で樋口議員が「しんぶん赤旗」日曜版(8月31日号)を広げながら、「ねぇ、この顔、誰かに似ていない?」と言って笑っています。新聞の36面に掲載されていたフサギンポの写真(画像)です。「さて、誰に似ているだろう…」と考えていたら、「橋爪さんにそっくりじゃない」と同議員。顔が丸くて、ゆったりしている感じの写真です。「目が違うね」と言ったものの、言われてみれば、どこか雰囲気が似ているのかも知れません。
 高校時代、「オコゼ」というあだ名のついた先生がおられました。押しつぶされたような顔形、とがった口、そっくりでした。人間の顔が魚の顔に似ていると感じた初めてのケースでしたが、まさか、私の顔が魚に似ていると言われるとは思いませんでした。でも、ま、いいか。樋口議員との会話のおかげで、「思わず笑った魚」というタイトルのついた福田幸広さんの写真とエッセイを楽しく読むことができましたから。


2008年08月24日

民主県政の会街頭宣伝、喫茶店、伯母を訪問

 民主県政を実現する会の宣伝カーに乗ったのは久しぶりです。知事選で戦うことになったばかりの前県労連議長の山崎栄三さんが上越市入りするというので、同行しました。演説箇所は3か所、いずれも旧上越市内でした。長年にわたって国鉄、JRに席を置き、労働運動にたずさわってきた方だけに、「時給1000円を保障し、人間らしい労働の一歩を」「政府与党の合意を見直し、並行在来線の存続を」の訴えに力が入っていました。

 上越市内で最後の演説が終わったのは午前11時半頃です。すぐ近くに喫茶店、プー横丁があったので、コーヒーを飲みに入りました。思いついて入ったのですが、入って良かった。店主と映画『蟹工船』の話になり、良い物をいただきました。映画は1948年の作品ですが、当時の、この映画の宣伝チラシをもらったのです。縦25センチ、横70センチはあるでしょう。黒っぽい赤色の蟹工船という文字がなんともいえませんでした(画像)。チラシの裏面には、この映画のあらすじなどがびっしり書いてあります。これはわが家の宝物にしようと思います。プー横丁では珍しい人とも再会しました。20数年前に新築したばかりのわが家の牛舎へやってきた人です。牛乳の味がどうだったとか、牛の種付けがどうだとか懐かしい話をしました。

 夕方、母に頼まれて大島区板山の伯母のところまで出かけてきました。母と一緒です。伯母は91歳ですが、最近、足などにしびれが出るようになったとか。畑仕事などで元気に頑張っている姉がどうしているか心配だ、顔を見に行きたい、と母が言い出したのです。昨日の祭りの時に作った押し寿司や玉ねぎなどを土産に持って行きました。事前に伯母と連絡してあったらしく、いつものように手作りの料理を飯台の上にたくさん並べて待っていてくれました(画像)。最近の畑の様子、近所で民宿をやっている人のこと、嫁に来た当時の思い出など次々としゃべる伯母の様子は健康そのものでした。これなら、まだまだ大丈夫です。


2008年08月19日

タモリの弔辞

 「赤塚不二夫の葬儀でタモリが読んだ弔辞は白紙だった」という記事を読み、どんな内容なのかと、スポーツ紙に掲載された弔辞全文を読んで驚きました。赤塚不二夫と初めて出会った時のこと、故人の生活ぶり、仕事、性格などを実に生き生きと書かれていたからです。文章として読んでも見事にまとまっています。いくら、しゃべりの世界に生きている人であっても、これを原稿なしに読むとはすごい。
 ひょっとすると、新聞社の方で手を入れたので、きちんとした文章になっているのではないか。そう思って、今度は、インターネットの動画で実際の映像を見ました。一字一句違いませんでした。いかにも書かれた文章を読んでいるような調子で「読み上げている」姿を見て、また、びっくりしました。タモリが赤塚不二夫の訃報に接したのは2日、告別式まで5日間ありました。その間に、どんなことを弔辞に盛り込もうか、どういうふうにやろうか考えたでしょう。メモくらいは書いたことと思います。それにしても、弔辞の内容といい、原稿なしのやり方といい、すごいとしか言いようがありません。
 きょうは、午前中、吉川区内で仕事をし、午後から議員団会議でした。保倉川の放水路問題、廃棄物処分場問題などについて協議しました。新潟県境に近い長野県信濃町で廃棄物処分場が建設される予定だとの情報がお盆前に入ってきていましたが、25日に妙高市、信濃町の党議員団とともに現地視察をすることにしました。県内を流れる関川に近いこともあって、心配です。事業計画書を読んだだけでは分かりませんので、現地で内容もしっかりとつかんでこようと思っています。


2008年08月17日

ぽか

 ああ情けない、情けない。ずっと楽しみにしていた高校時代の同期会の日を間違えてしまったのです。明日だと思い込んでいた会は何と昨日だったのです。原因はスケジュール表の16日のところに記載すべきものを誤って18日のところに記載してしまったことにあります。幹事さんからわが家に電話もあったそうですが、その時は留守。結局、誰にも会えずに終わるという最悪の事態になってしまいました。幹事さんや心配していただいた皆さんには本当に申し訳ないことをしました。心からお詫びします。
 さて、きょうは、妻を俳句の会まで送り、その後、生活相談とビラ作成などで動きました。最近はガソリンが高いので、車の運転をする時、クーラーは最小限にと心がけています。窓を開けて風を入れることが多くなっていますが、きょうは冷たい風が入ってきて、とても気持ちの良い日となりました。雨が何日も降ったのですから、しばらくはこういう天気が続いてほしい。


2008年08月16日

オリンピックの卓球、日本勢大健闘

 今朝もまた土砂降り。これで13日から連続しての雨です。ちょうど、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達の時間と重なり、ひどい目にあいました。吉川は濁流となり、一気に増水しました。もう1時間雨が降り続けば、間違いなく災害になったでしょう。
 きょうはお盆休みの中で一番ゆっくりできる日でした。朝からオリンピックの卓球を楽しみ、夜は韓国ドラマ『春のワルツ』を観ました。番組はテレビの故障でNHKの衛星第1と第2しか見られません。卓球は1セット、2セットと相手方にとられ、3セット目から大逆転するパターンが続き、ハラハラドキドキ。ものすごい試合でした。
 朝からテレビをずっと見っぱなしだったわけではありません。午後、市立博物館へ行き、『上越市の文化財展』を見に出かけてきました。全体の3分の1にあたる100点あまりの指定物件が展示されていましたが、見事というか、「こんなにもすばらしいものがあるのか」とうれしくなりました。吉川区内にある赤沢の雲門寺の上杉景虎の書状、長峰遺跡のミニ土偶なども展示されていました。吉川区の物件も上越市の宝物の一部を構成していて、存在感十分でした。


2008年08月15日

ナイロン風呂敷

 今年のお盆は天気が不安定です。今朝は7時半過ぎに土砂降りの雨となりました。これは一時でやみましたが、ここしばらくは雨が降りそうです。
 きょうは午前中に親戚を3軒、あいさつ回りをしました。このうち1軒は区外です。お茶をご馳走になっている時、「同級会で図書館整備問題が話題になり、共産党がよくやっているという声が出た」と教えてもらいました。普段、私たちの党活動についてほとんど話をしない人ですが、うれしそうに語っている姿を見て、こちらもうれしくなりました。
 夕方、妻の実家へ行きました。妻の姉夫婦、その子ども、孫たちも来ていて、とても賑やかでした。2人の小さな子どもたちはナイロン風呂敷をかぶったり、体に巻いたりして、飯台の周りをグルグル回って楽しそうに遊んでいました。ナイロン風呂敷はわが家の子どもたちも大好きでした。子どもにとって、時代を超えた人気の遊び道具なのかも知れません。


2008年08月12日

病院で足の治療

 お盆までにやるべきことがたくさんあるのに今年は足の具合が悪くて大苦戦しています。やり残している「しんぶん赤旗」の集金、生活相談など関係者にはご迷惑をおかけして申し訳なく思っています。
 きょうは足の痛みがひどく、予約を入れてなかったのですが、病院へ行って足の治療をしてもらいました。お盆前ということもあって、病院はたいへん混み合っていました。日記で化膿と書きましたが、化膿ではなく、縫った部分が切れて口が開き、そこから血などがにじみでている状態ということです。医者からは、なるべく足を安静にしているようにと言われました。あまり心配はしていませんでしたが、組織検査の結果も出ました。悪性の腫瘍ではなかったそうです。
 治療はまだしばらく続くそうです。治癒まで早くて2週間、遅ければ3ないし4週間かかるといわれました。9月議会の開会が2日ですので、それまでには治したいものです。


2008年08月01日

足が痛み出す

 午前は病院で治療を受け、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。自力で総合事務所の読者分を配達してみて、無理はできないなと判断。午後からは、私が車を運転、仲間から配ってもらうようにしました。何人もの人から、「どうしたがだね」と声がかけられ、心配してもらいました。
 無理をしないようにしたつもりですが、半日ほど動き回ったのが悪かったのか、夕方からは左足の裏がジンジンと痛みだした。本を読むことすら集中できず、夕方からはテレビの前でごろりとなって内閣改造のニュースやふるさとなんとか劇場などを観て過ごしました。
 明日は吉川区最大の祭り、「越後よしかわやったれ祭り」です。それまでに痛みがひいてくれればいいのですが……。


2008年07月30日

集金、生活相談、見舞い

 昨日の雨が効いたのか、ちょっぴり涼しくなったように思います。きょうは、「しんぶん赤旗」の集金と生活相談を中心に動きました。今度の土日もイベントが入っていますので、平日に少しでも集金しておかないとすすみません。
 午後からは2つの病院、市役所などを回りました。従姉のお連れ合いを見舞った際、吉川区の2人の人とばったり出会い、話をしました。そのうちのひとりはMさん、おじいさんが入院されていると聞いてびっくりしました。春の市議選の時はとても元気で動いてくださった方だったからです。
 高熱が続いていた父はようやく平熱になりました。病室に入ると、私の顔を見るなりニコッとし、耳垢をとろうとすれば「いいがど」と大きな声を出す。いつものスタイルが戻ってきました。
 


2008年07月24日

ソバの海苔巻き

 母を送って十日町市松代(旧松代町)まで行ってきました。母が同級生の人と温泉に泊まるというのです。温泉に行く前に、その人の家に行くと、いまかいまかと待っていてくださいました。「さーさ、お父さんも入って」と誘われました。お茶をご馳走になり、さっと帰るつもりだったのですが、すでにお昼ごはんを用意してあって、飯台に次々と美味しい食べ物が出されました。サヤインゲンの味噌和え、キュウリの酢もの、赤飯、ナスやタラの煮物、漬物などどれも美味しかったのですが、とびきり美味しかったのは、ソバの海苔巻き(画像)でした。ソバをこんなふうにして食べるというのは初めて、これははまりそうです。

 午後からは市役所へ。たまたま会った小関信夫議員と歓談した後、市政レポート吉川版の作成にとっかかりました。いつも吉川区の市民にとってできるだけ身近な話題をと考えているのですが、明後日から市立博物館で展示される長峰遺跡のミニ土偶の写真ファイルを探すのに手間取りました。2年前に津南町で展示されたことを思い出し、やっと「発見」。解像度の落とされた写真でしたが、これで我慢することにしました。思った以上に時間のかかったレポートづくり、今回も、裏面まで手が出せませんでした。

 明日は朝早くから大阪に向かいます。自治体学校でどんな情報を入手できるか、どんな出会いがあるか、楽しみです。返ってくるのは、明後日の夕方になります。昨年、一昨年と参加できなかった特別養護老人ホーム「ほほ笑よしかわの里」の祭りの開始には間に合わせる予定です。


2008年07月23日

足の腫瘍、手術へ

 足の裏に違和感を感じるようになったのは2週間ほど前のことでした。靴の中に小さな石ころが入っている、そんな感じがしたのです。ところが、靴を脱いでも石もゴミもない。何だ、気のせいかと思って、再び靴をはくとまた同じ感覚です。そして靴下を脱いで見たら、足の裏に小さなほくろのようなモノができていました。友人に皮膚科へ行くことをすすめられ、見てもらいました。その結果、別の病院へ紹介状を書いていただき、検査することになったのでした。

 きょうは、診察をしていただいただけで終わりました。担当の医師の診察では、悪性とは考えられないが、ほくろのようなモノは内部から出てきている腫瘍であり、切除をした方がいいということでした。切除の手術は来週の木曜日と決まりました。局部麻酔をかけて切除するという簡単なものです。ただ、腫瘍ができた場所は、足の力がかる部分で、2週間ほど安静にしているようにとのことです。そうしないと、傷口がすぐ開いてしまうのだそうです。松葉杖を使うまでもないし、どんな形で安静にしていればいいのか。困ったことになりました。

 きょうは父の入院している病院へ行き、紙おむつを手配。その後、市役所で原稿書きをしました。金曜日の早朝、大阪での自治体学校に行きますが、そこへ行くためにはやっておかなければならないことがいくつもあります。そのひとつが原稿書きでした。明日は市政レポートも書いて印刷しておかねばなりません。母のアッシー君を務めたりしながら、大島区へも行く予定です。


2008年07月13日

新聞配達、そして校友会に

 昨日は高田に泊まってきました。一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をやり、夕方からは高田高校の校友会でした。配達を終了したのは6時半すぎでしたので、校友会には遅刻でした。「遅いぞ」と同級生に叱られ、その後は一気に酒とビールを飲んで、楽しいおしゃべりをしました。昨年、上越市に戻ってきたという人が私の『幸せめっけた』を読んだと感想を述べてくれました。この本の紹介をしてくれたのは、恩師の先生だということです。ありがたいです。
 これから吉川区の体育祭です。


2008年07月08日

今年初めて尾神岳へ

 強烈な雨と雷でした。大雨になるかも知れないと思うような降り方は梅雨に入って初めてです。県職員のSさんから電話をもらうまで、上越地方に大雨洪水警報が出ていることを知りませんでした。きょうは雨が落ち着くまで吉川区にとどまり、その後、病院、市役所へと動きました。市役所では、13日午後7時から市民プラザで行われる岡田知弘京大教授の講演会の準備をしました。

 病院は父が入院しているところとは別の病院です。夜中に従姉のお連れ合いが救急車で運ばれたというので、お見舞いに行ってきたのです。脳血管障害で緊急入院したSさんは、10年ほど前にも同じ病気で入院し、その後、頑張って社会復帰した人です。「たいへんだね」と言うと、「おまんの大変さに比べればたいしたことないさ」という言葉が返ってきました。今回は前回よりも症状が軽そうなので一安心しました。

 夕方、尾神岳に登りました。考えてみたら、今年になって初めてでした、尾神岳に登ったのは。大好きなふるさとの山とはいえ、市議選、6月議会と忙しい日が続き、すっかりご無沙汰していました。きょうのねらいはエゾアジサイ(画像)です。市道沿いに青い花をたくさん咲かせていました。花の色は鮮やかで、葉も例年のように虫食い状態ではありませんでした。それと、きょうは野ウサギと何回も出合いました。ウサギは増えていますね。


2008年07月07日

肥満の原因は疲労か

 うーん、まいった、まいった。夏用のズボンを一本ほしいと思ってデパートでさがしたところ、いつものサイズのものがなく、少し大きめの94(腰回り?)を試着してみました。ところが、これがなんとぴたりだったのです。またもや太ったこと、まちがいなし。試着室の鏡で見ると、腰は大きく膨らみ、お腹は出ています。この調子でいくと、いま持っている背広が着られなくなり、ズボンがはけなくなるのは時間の問題です。なんとかしなければなりません。

 ある本に、肥満の原因は疲労だとありました。疲労とは体の中に老廃物がたまった状態をいい、体内に増えすぎた老廃物を封じ込めるために「ぜい肉」がつくのだそうです。夜型の生活、不規則な生活が続き、体をゆっくり休ませることがない人は疲労がたまって太りやすい体質になるとの指摘もあります。私のいまの生活そのものです。きょうも、午前中、議員控室で上野議員とともに議員団ニュースをつくろうと思っていたのですが、椅子にすわると、すぐに眠くなってしまいました。どこかでゆっくりと休み、食事も落ち着いてとるようにしないと…。

 きょうも暑い一日となりました。父の入っている病院へ行くと、病室には父の姿がありませんでした。お風呂に入れてもらっていたのです。毎日のように見舞っていますが、お風呂に入っている時と重なったのは今回が初めてでした。30分くらい待ったでしょうか、頭の毛がしっとりとした状態で病室に戻ってきた父に、「気持ちいかったかね」ときくと、こっくりしました。もともと、父はお風呂が大好きです。お風呂上がりの父は上機嫌でした。


2008年07月05日

「時間切れ行政の必勝」

 きょうは上越市自治基本条例施行記念フォーラム(画像)の日でした。第一部で基調講演をした辻山幸宣先生は、旧吉川町時代からたいへんお世話になった方です。自治基本条例をまちづくりにどういかしていくかが講演テーマでしたが、直江津図書館等整備問題を頭に浮かべながら、聴かれた方がたくさんおられたのではないでしょうか。市民の権利はどうだったか、市長や議会の責務はどうであったか等など。それぞれの持ち場でこの条例を考えると、とても勉強になる講演だったと思います。

 辻山先生は政策形成過程への市民参画のひとつ、パブリックコメントについてふれ、「これからは以前よりも1か月前倒ししなければなりません」と語られました。そのとおりです。第二部の自治基本条例を語る会で山岸議長は、今回の直江津図書館の件でいくつかの会派から議会として議会報告会をやるべきだと提案があったとのべました。そのひとつは私たちの議員団です。今後、定期的に議会報告会を開催していきたいと議長は市民に約束しましたが、議会内にいくつかのチームをつくって全市をまわればよいと思います。

 この日のフォーラムが6月議会前に行われておれば、直江津図書館等の問題は違った展開をしていたはずです。まず、パブリックコメントの扱いの状況からいって、6月議会に提案できなかったと思います。議員の質疑や質問を市民にわかりやすくするために委員会での議論にプロジェクターを持ち込む委員も出てきたかも知れません。議会報告会、あるいは市民の声を聞く会を開く会派は私たちだけでなく、複数にのぼったでしょう。どうあれ、自治基本条例をもっと意識してこの問題を考えたはずです。講演が終わって休憩時間に辻山先生と言葉を交わしました。先生いわく、「レジュメを送ってから図書館問題を知ったけど、『時間切れ行政の必勝』と書いていたのでびっくりしたよ」。もし、7月4日の契約期限が延長されていたら、どうなっていたでしょうか。

 夜、久しぶりにテレビをゆっくりみました。NHK衛星で放映されていた黒澤明監督の『醜聞(スキャンダル)』です。画家役の三船敏郎と弁護士役の志村喬の見事な演技に酔いました。黒澤監督作品はこれまで『七人の侍』しか観たことがなかったのですが、映画作成のテーマ・ねらいをはっきりさせていること、映画の構成、流れがしっかり練られていて、俳優もベストの人を持ってくる。変に凝っていなくて、わかりやすく、心を打つ。議会の質問でもこうしたことをやれるようになりたいものです。そうそう、最近では、人間をモノのように使い捨てにする派遣労働の深刻な実態を告発した、2月の志位和夫共産党委員長の質問がそうでした。


2008年06月07日

全県の党活動者会議

 加齢による判断ミスというのがあるそうです。私はまだ還暦前ではありますが、最近、うっかりミスとは違ったミスをすることがあります。先日は車のドアを閉める時に、自分の足を挟むという馬鹿なことをしました。幸い、軽い打撲で済んだのでよかったのですが、きょうは、他人の車に乗せてもらうというのに、直前に「あさつき」をぱくりとやってしまいました。たまたま自分の車の後部座席に1個落ちていたのでもったいないと思っただけなのでしたが、食べれば、「あさつき」の強烈な匂いがぷんぷんです。運転をしていた上野議員や大潟区の仲間の皆さんにあやまり、飴をなめたり、高速のサービスエリア売店で口臭防止の清涼菓子を買ったり。「年のせいだよ」と言われてしまいました。

 きょうは全県の党活動者会議がありました。山口典久さん(北陸信越ブロック衆院比例候補)を1回で当選させるためにどういう活動をしていくかを考え、経験交流する会です。党中央の増子典男さんの講演で衆院選勝利のためにどうすべきかを学び、山口さんの決意表明や県内各地で頑張る人たちの発言を聞いてきました。増子さんの講演は初めてでした。21年間、埼玉の党組織を指導してきた人ですが、新潟との関係をたっぷり話して、新潟の良さを語り、それから総選挙勝利をめざす党勢拡大の意義をのべる。ユーモアがあり、わかりやすい話でした。県内の仲間から先の上越市議選の経験を聞きたいという声が強いとのことで、私と上野議員も発言しました。上野議員は頸城区内のほとんどの集落で、参加者の要望や意見を引き出す双方向型の懇談会を成功させた経験を語りました。気軽に懇談会をやり、「しんぶん赤旗」の購読や入党を訴え、味方の陣地をどんどん大きくしていった経験は全県の仲間たちを励ましたと思います。

 私は帰り道、途中で妻と一緒になり、柏崎の義父を見舞いました。昨年の今頃入院し、医師に「暑い夏を乗り切れればいいのですが」と言われたのですが、おかげさまで元気に自宅で療養生活をしています。患部は肺、再び暑い季節を迎えるので、無理をしないでほしいと思っています。


2008年06月06日

『春よ来い』の感想が書かれたお便り

 埼玉県は所沢市のOさんからお便りをいただきました。吉川区山直海出身のTさんのすすめで私のHPを知り、私の『春よ来い』を求めてくださった方です。中身はこの本の感想がほとんどです。Oさんは東京生まれの東京育ちですが、生家は米軍の空襲で焼けてしまったそうです。焼かれる寸前に埼玉県にあるお母さんの実家に疎開、風呂たき、牛の世話、炭焼などを体験されました。この体験があったことから、私の本についてはとても懐かしい思いを抱きながら読んでくださったようです。お便りのなかでは、「『議員の奮戦記』だと思い込んでいたのとは、まるで違っていました。日常の出来事を飾ることなく、飾ることなく、淡々と書いてあるだけで意外でした。しかし、そこにはふるさとや家族など周りの人たちへの愛情に溢れていました。そここそ、私たちが忘れていた日本のふるさとの原風景だと思います」とまでほめてくださいました。お便りの最後のところで、「近所に吉川高校出身の女性がいますので、この本を読んでもらおうと思います」とあります。どこの集落のご出身なのかはわかりませんが、私の本がこんな風にして読まれていくことをとてもうれしく思います。Oさん、ありがとうございました。


2008年06月04日

赤旗をゆっくり読んで

 朝早く市役所に着くとちょっとした余裕が生まれます。きょうは8時半過ぎに着いたので、「しんぶん赤旗」をゆっくり読むことができました。ここ、一か月ほどはまだ市議選の余韻が残っていて、新聞記事も選挙の時に訴えた内容に関連するものに目が行きます。

 後期高齢者医療制度の廃止法案の審議の行方は一番先に読みたくなることですが、今朝注目したのは、参院厚生労働委員会でわが党の井上哲議員がとりあげた厚労省全国調査です。一般の商業新聞では、全国調査をやったところ、これまでよりも保険料が安くなるとして大々的に宣伝していました。井上議員は、厚労省全国調査は、土地や家屋などの「資産」がない世帯も「資産」があると仮定して保険料を計算していること、負担増となりやすい世帯構成を除外していることなどを指摘し、負担増の実態を隠すものとなっていると批判しています。京都府宮津市で試算した場合、「資産」がない場合は8割が負担増となるという実例を示しての追及には説得力がありました。

 妊婦健診の公費負担の全国平均回数が4月時点で5.5回に増えているという記事もすぐに目にとまりました。これはわが党の笠井亮衆院議員が予算委員会でとりあげ、厚労省が2008年度実施状況の再調査を約束していたことが出発点でした。同省が調査結果を笠井議員に明らかにしたのですが、その結果は、昨年8月の調査を大きく上回っていました。上越市は5回分公費負担ですので、現時点では全国平均以下ということになります。同調査では、里帰り先での妊婦健診も公費負担の対象にしている自治体は63.9%にのぼっていること、助産所での健診の公費負担も24.7%で行われていることが明らかになったといいます。これは、さっそく資料を取り寄せなければなりません。

 きょうは生活相談と質問準備で一日が終わりました。総括質疑は昨日の議員団会議では、やるべきだという声と委員会審査でいいのではないかという声、どちらもあったのですが、学校評価をめぐる新事業を調べていくうちに、これは総括でやっておかないとまずいなと感じています。明日、議員団の仲間と相談して最終決定したいと思います。


2008年05月11日

母の日に

 若い人の葬儀はつらいものがあります。まだ50歳という若さでした。市議選が始まって2日目に親戚のMさんが病院に運ばれたと知ったのはつい先だってのことでした。そろりとお見舞いに行かなければいけないなと思っていた矢先に、亡くなったとの連絡が入りびっくりしてしまいました。具合が悪いと言われてはいましたが、まさかこんなにも早く逝くとは。

 事情があって、葬儀はこじんまりとしたものでした。出棺直前、棺の中に参列者全員がきれいな花をたくさん入れました。Mさんの、父親ゆずりの垂れた太い眉を見て、数年前の正月、Mさんのお袋さんが囲炉裏端で串餅を焼いてくれたことを思い出しました。いまごろ、天国でお袋さんが涙を流して彼を抱いていることでしょう。

 きょうは母の日。私の母も妻の母親もお陰様で元気です。たまには、母の日のプレゼントをしようと、妻と一緒に買い物に出かけました。柏崎の義母には、足が痛いというので座イスを、花の好きな私の母にはブーゲンビリアを贈ることにしました。妻の実家では、電気カーペットの上で横になったら、ぐっすり。ろくに話もしないで、2時間あまり眠ってしまいました。午前はぐずついていた天気も夕方には晴れ上がり、田植え後の風景(画像)がとてもきれいに見えました。


2008年05月06日

10数年ぶりに学生時代の友人と再会

 連休最終日。ずっと気になっていた学生時代の友人と再会することができました。人生のいろんな場面でアドバイスをしてもらい、いつも励まし合っていた大事な友人です。選挙後まもなく、「上越市の結果を日刊紙で読みました。すごく詳しく伝えていましたね。貴方の奮闘振りが目に見えるようで嬉しくなりました。とにかく地道で誠実な活動が人の心を動かしているのだなあと思いました」とメールをくれました。時間をつくって会おうねといいながら、なかなか会う時間をつくれないでいたら、あっという間に10数年が経っていました。

 定年まであと2年、子ども好きな友人は小学校の校長先生になっていました。糖尿病と闘い、少しやせた彼に、「ちょっと顔が変わったんじゃないか」と言おうと思っていたところ、彼から先に、「顔、変わったな」と言われてしまいました。こちらは太りすぎによるものです。大学での同窓、同級生情報は、私よりも彼の方がたくさん持っています。同級生のなかには自分の子どもと別れて第2の人生を歩き始めた人もいました。学校以外の場で最も楽しんでいるのは畑仕事だそうで、何でもつくっているという彼の意欲にはびっくりでした。待ち合わせた親不知のピアパークで約2時間、楽しいひと時をすごした後、海沿いの国道を通って帰ってきました。ピンクの花をつけるタニウツギがもう咲きはじめましたね。

 


2008年03月09日

民意は健全

 今朝の新聞に全国世論調査の結果が載りました。興味深かったのは、景気が悪くなっているとみている人が急速に増えていること、消費税引き上げに反対が圧倒的であること、そしてもうひとつ、食料自給率を上げた方が良いと思っている人が80%を超えていることでした。最後の食料自給率については、どうすれば上げることができるかについてもアンケートがとってありました。小麦や大豆など輸入に頼る農産物の生産量を増やす(29.6%)、農業などの振興のため、公費支援を増やす(25.9%)が1番、2番にあがっていました。民意は健全ですね。

 先週の市政レポートに「次号から区内の民家に咲く雪割草を紹介します」と書きました。ところが、先週は肌寒い日が続き、なかなか咲かず、「掲載は先送りします」とせざるをえませんでした。今朝も冷え込みましたが、わが家の敷地内にある雪割草の花がようやく開き始めました(画像)。この花はわが家の山林に咲く雪割草を持ってきて植えたものです。雪割草は場所を選ぶので、植えても消えてしまうのではと心配したのですが、毎年、紫色と白い花を咲かせてくれます。今年も紫色から咲き始めました。

 市政レポート1337号を掲載しました。ご笑覧ください。


2008年03月08日

8年前の本がまだ読まれていて感激

 うれしい電話とハガキが来ました。電話の主は高崎市在住の従姉からです。伊勢崎市の従兄の家を訪ねたところ、私の『春よ来い』(同時代社)が目にとまり読んだ、いろいろな思い出が次々と浮かんできた……。従姉からは、伊勢崎市の従兄夫婦の健康状態や最近の様子も伝えてもらいました。昨年の春、山菜を採りにきたばかりだというのに体調を崩したという話を聞いて、信じられない思いでした。電話をかけてきた従姉はいつもどおり、元気な声でした。

 ハガキは高校時代の恩師から。同窓会などで何度か話はしているのですが、ハガキをもらったのは初めてです。趣味の活動で知り合った吉川区出身のYさんから私の『幸せめっけた』(恒文社)を借りて一気に読んだ。自分も幼少の頃、田舎暮らしを体験しているのでほとんどの内容が理解でき、なつかしかった、と書いてあります。この本は8年前に出したものですが、本屋になくても、こんな形でまだ読んでくださる方が広がっているのは感激でした。恩師からは「市議選がんばってください」ともありました。


2008年03月07日

おばあちゃんへのメッセージ

 市川前議長のお連れ合いの葬儀は参列者数が500人を超えたのではないでしょうか、すごい数でした。前議長の付き合いの広さ、お連れ合いの若さなどが多くの参列者につながったのだと思います。まだ67歳、突然の死ににかかわらず落ち着いて参列者にお礼を述べていた前議長の姿に感動しました。また、4人の孫さんが遺影の前に出て、小学校6年生の子が「おばあちゃんへのメッセージ」を読み上げました。孫たちが訪ねて行くと、いつも「水羊羹をつくってくれた」おばあちゃんはとても喜んだはずです。大人の弔辞に負けない、心のこもったメッセージでした。

 午後からは老人保健施設を訪ねました。どこの施設も冬場だけ預ける人たちがいますが、私が訪ねたところも例外ではありませんでした。3月中は満室で、4月にうまくいけば入れるかなというところです。胃ろうで流動食の人については入所者中何人という制限もあります。この制限もクリアーできないと入れません。3月議会が終わったら何とか入れてほしいのですが……。病院の父はきょうも機嫌は上々でした。昨日から相部屋に移ったのですが、きょうも「岸壁の母」を披露してくれました。認知症が進んでいても、大好きな歌はしっかり頭の中に入っているようです。


2008年02月15日

半日がかりで市政レポート作成

 寝不足から原稿書きが進まず、昼過ぎまでかかって市政レポートを作成しました。中心は国保税値上げ問題です。来年の「トキめき国体」についても、吉川区に関する部分だけでもふれたい。そして、できれば、きのうから、書きたいことがグツグツと動き始めている「春よ来い」も書きたい。こうして、欲張ったものですから、半日仕事になってしまいました。外は久々に本格的な雪。きょう、明日と、雪の中で「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしなければなりません。きょうは貴重な情報提供がありました。明日はどんな情報が寄せられるか。


2008年02月04日

牛飼い時代からの習慣

 牛を飼っていた頃からの習慣というのはなかなか変わらない。朝早く目が覚めるのもそのひとつです。そのお陰で、朝仕事がけっこうできるからありがたいものです。特に原稿書きなどは、この時間帯が一番よく書けるような気がします。今朝も昨日書いた市政レポートやこのHPに掲載したものを読みなおし、納得のいかないところを何か所も直しました。同じ人間なのに、夜書いた文章と朝書いた文章ではずいぶん違うし、朝に書いたものの方がすっきりしたものになるように思います。きょうは、「春よ来い」の「花になる」の最後の1行を朝一番のひらめきで変えました。

 いまひとつ、なかなか変わらない習慣は、目が覚めた時に、その日の一日の行動の段取りをすることです。まず、その日にやるべきことを頭に浮かべる。その一つひとつをどういうふうにしてやっていくかシュミレーションする。それから動き始めるのです。以前はこの段取りをする時に、天気予報を見て、牛乳入りコーヒーを飲みながらやったものですが、最近は、パソコンの前で数分間、これをやっています。きょうは、「しんぶん赤旗」読者、郵便局、農協、病院、市役所とまわってイメージした通りのことができました。こういう時は気分が良く、一杯飲みたくなりますが、きょうは休肝日でした。


2008年02月02日

父は車いすに乗って

 「しんぶん赤旗」日刊紙配達、朝立ち、市政レポート作成、印刷、日米共同訓練反対集会、病院、「しんぶん赤旗」日曜版配達、柏崎へ。これがきょう1日の行動でした。これだけ日程が混んでくると、ちょっとしたハプニングが予定を狂わせます。きょうは、印刷段階で狂いが生じました。「ドラムに原紙が残っています。取り除いてください」の表示が消えず、印刷できない状態に苦しみ、専門業者の方から休日にも関わらず来てもらいました。Sさんのおかげで、狂いは30分で済みました。

 病院へ行ったところ、病室に父の姿が見えなかったため、何があったかと心配しました。談話室などをさがしてから、ナースセンターの方を見ると、車イスに乗せてもらっている父がいました。病室と同じ階の廊下を車イスを押しながらゆっくり動きました。東西南北すべて眺望できるので、入院して初めて、外の景色をみせてやることができました。尾神岳が見えるところでは、「あれが尾神岳だよ。その隣は兜巾山。分かるかね」と言うと、うなづきました。私の気のせいか、父の目が輝いたようにみえました。ふるさとの山が見えてうれしかったのでしょう。

 夕方からは柏崎です。父の入院で年末年始の挨拶にも行かず、義父の病状も気になっていました。妻と一緒に、ほんとに久しぶりに出かけてきました。思っていた以上に、義父の体調は良好のようで、安心しました。妻は久しぶりの実家で、おしゃべりを楽しんだようです。私は、炬燵で横にならせてもらい、眠ってきました。帰ったら、午後11時を回っていました。


2008年02月01日

休みます

 パソコンに向かうといつも眠たくなる状態が続いています。先週の市政レポートの時もそうでしたが、今号でも一行書くのにどれだけ時間がかかったことか。というわけで、きょうは休みます。


2008年01月31日

1月の終わりに

 早いですね。ついこの間、年を越したと思ったら、もう1年の12分の1が終わるのですから。この1月は昨年同様、暖冬でした。わが家で自家用除雪機を使ったのはたったの1回です。家の周りは白くなっているものの、積雪はわずか25センチほど。大寒を過ぎてから冷え込みました。でも、雨の日もありました。私が街頭で朝の挨拶をしている場所にはアジサイが植えられています。そこの芽が少しずつふくらんできていることもわかるようになりました。

 きょうは、地元で訪問活動をした後、党地区委員会事務所、病院へと動きました。父が緊急入院してから1か月と4日目になりました。父は右の肺に痰が溜まりやすいため、一定の時間ごとに体の位置を動かしてもらっています。きょう訪ねた時には、右肺をやや下にした姿勢で横たわっていました。顔のすぐそばには枕があって、まるで人形を抱いて寝ている子どものようです。一緒に病院へ行った妻から、「おじいちゃん、明日から2月ですよ。14日になれば、おじいちゃんは81歳ですよ。がんばってくださいね」と声をかけられ、父はにっこりしてうなづきました。父の誕生日はバレンタインデーでもあります。


2008年01月30日

人間らしい暮らしのヒント

 法政大学人間環境学部の教員と学生の有志が設立したNPO法人・人間環境ネット21のニュースレターが送られてきました。今号は第5号、今月12日の川谷地区冬まつり、「さいの神」、それから、昨年11月に遊ランドで開催された「吉川ふるさと再発見ワークショップ」のことなどが載っていて、吉川区特集と言ってもよいほど吉川のことが書かれています。

 そのなかで注目したのは、年配の人も若い人も共通した「暮らしのヒント」を持ちつつあるということでした。前にも紹介したように、「吉川ふるさと再発見ワークショップ」で講演された澁澤寿一さんは、いまの暮らしには人間らしさが失われている、深刻化する地球環境問題などを考えると、いまの暮らしを見直す必要があるが、その暮らしのヒントはかつての山村の暮らしにあると訴えられました。ニュースレターでは、大学を出て3年目の星山さんが、「棚田で米をつくることから見えてくるもの」という文章を寄せ、「現地の風土に根ざした活動から見えてくるものがたくさんあります。この『見えてくるもの』が、実は今の日本にとって非常に大事なものではないか。そういう気がしてなりません」と書いています。星山さんもヒントに気づき始めたようです。

 ニュースレターを読みながら思ったのは、『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)を若い人たちにも読んでほしいなということでした。私のつたない文章はともかく、山古志の暮らしと再生を語り合った福島さんと青木さんとの対談、高橋剛さんの長岡市小国町法末集落の取り組みを読んでもらえば、「人間らしい暮らしのヒント」を具体的につかめるはずです。


2008年01月24日

母親との別れの切なさ

 きょうは新井議員のお母さんの葬儀でした。パーキンソン病の夫をずっと介護し、市議になった息子を支え続けてきた人でした。まだ76歳、女性の平均寿命を考えたら、早すぎる死です。喪主を務めた新井議員の挨拶は母親に対する愛情にあふれたもので、参列者の涙を誘いました。農家に嫁ぎ、苦労に苦労を重ねたお母さんは、3人の子どもを一生懸命育てます。そして70を過ぎ、顔とお腹がくっつくほど腰が曲がりました。亡くなった日も台所に立ちました。踏み台を使って、包丁でトントンとやっていたといいます。お風呂から上がるのがあまりにも遅いと風呂場の戸を開けた時、新井議員の目に入ってきたのはうつ伏せになって亡くなっている母親の姿でした。体重はわずか30キロ、同議員は初めて小さな母親を抱きしめたのでした。

 先日も知人のお母さんの葬儀がありました。息子のHさんが私にこう言いました。「いやー、親はどちらも大事だけど、母親をおくるのはつらいね」。こちらは90代でお母さんが亡くなられたのですが、いくつであっても母親というのは特別な存在なようです。きょうの葬儀が終わった時に、この話を同僚議員にしましたら、U議員は、「そうなんだよ。おれも、父親、母親と別れたけど、父親の葬儀の時には気も張っていたのか、しっかりした気持でやれた。でも、母親の時はだめだったね。あのチーンという鐘の音が心に響いて、切なかった」と語りました。私の母親は83歳、まだまだ元気です。「どこどこから、じちゃの見舞いもらったが、ちゃんとお礼をいってくれや」「ひと様に会ったら、しっかり挨拶しろ」。息子がいくつになろうと、子どもは子ども、きょうも苦笑いしながら、母の「説教」を聞きました。元気で、長生きしてくれているだけでもありがたいことです。


2008年01月18日

朝立ち2日目

 昨日から朝立ちを始めました。有権者にたいする朝の挨拶です。市議選の投票日まで100日という時点でスタートさせるつもりだったのですが、じつは足し算を間違えて102日前からのスタートになったのです。きょうは2日目、相手候補となるN氏が私の姿を見て、緊張した表情で通り過ぎました。たぶん、びっくりしたのでしょう。でも、たいしたもんです、敵も。そのまま、家に帰らずに、N氏もまた、別の場所で朝立ちを始めたのですから。1日とはいえ、こちらは朝立ちの先輩です。がんばらねば……。

 さて、きょうは朝立ちをしたのち、市政レポートの作成、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と続きました。「春よ来い」で父の緊急入院を知っていただいたせいか、「じいちゃん、どうしたね、大丈夫かね」「看病で、おまんが倒れないようにしてくんないや」などたくさんの方から声をかけていただきました。ありがたいですね。夕方、病院へ行くと、父はぐっすり寝ていました。「じいちゃん、来たよ」と耳元で囁くと、目をぱっちり開けて、ニコッとしました。しかし、すぐにまた眠りにつきました。きょうは、父の顔のひげを剃ってやるつもりで出かけたのですが、すでに剃ってありました。誰が剃ってくれたのか。感謝です。

 午後6時半からは市職労の旗開きでした。昨年に続き、2度目の参加です。いろんな人との出会いがあり、知っている人ともこれまでにない話ができました。市職労幹部のひとりIさんとは、私のブログのことや質問の評価について聞くことができました。前から思っていたのですが、Iさんとはなんとなく心の波長が合います。きょうも漫才のような話を次々とやり、大いに笑いました。いま、ひとり、大島区田麦出身の男性から声をかけてもらいました。彼もまた、私のブログを読んでいてくれて、大島の話がたびたび出てくるのでとても楽しみだと言っていました。不思議なもので、吉川区だけでなく、大島区出身と聞いただけで親近感を覚えます。


2008年01月14日

アイスバーン

 昨日からグーンと冷えて今朝は凍りました。新聞配達をするため車を走らせたのですが、道路の路面は真っ白、凍ったところに雪が5センチほど積もっていました。以前は、こういったときに、スキーの長距離をやっている選手の人と出会ったものです。こちらはスキーの練習をするようにはいきません。カーブのところでは間違ってもブレーキを踏めない、下り坂はスピードを落として緊張した運転をしました。きょうは雪が降り続き、午後になってブルも出動しました。

 きょうは成人の日だそうです。選挙準備で動いてくれている人たちに言われて初めて気が付く私が遅れているのか、成人の日を毎年動かすことを決めた人たちがいけないのか。ひと昔前までは成人式と言えば、1月15日、さいの神もこの日の夜と決まっていました。休日を増やすために3連休を生み出すようにしたことはいいことには違いありませんが、小正月を楽しみにしていたドキドキ気分を喪失させる連休だけは変えてほしいものです。ちなみに、来年の成人の日は1月12日ですって。


2008年01月10日

思い切って、ゆっくり過ごす

 疲れをためてはいけないよ。思い切って、一日ゆっくりと過ごす日をつくった方がいい。そんなアドバイスもあって、きょうは後援会有志の人と一緒に湯につかり、食べ、昼寝をしてきました。行く途中、山の木々がうっすらと雪をかぶっていて、見事な風景を作り出していました。お風呂の中でおしゃべりをしていたところ、Sさんが「あれ、いま、見覚えのある顔が見えたよ」というので、脱衣室まで行くと、そこには上野公悦市議団事務局長の姿がありました。彼の方は仕事です。私が来ているというので、わざわざ顔を見に来てくれたのでした。この温泉施設では帰り際、従兄のお連れ合いとも偶然出会いました。「じいちゃんの看病、たいへんだね。選挙もあることだし、手伝うことあったら、遠慮なく言ってくんない」と激励してもらいました。家に戻ったのは午後5時過ぎでした。夕飯を食べ、市政レポートの作成の前に、ちょっとだけ休もうと、テレビの脇で横になったら、午後11時過ぎまで寝てしまいました。きょうは仕事をしない方がいいようです。


2008年01月09日

寝不足は危険

 昨晩は病院で2時間くらいしか眠れませんでした。新聞配達の途中、家に寄り、着替えて再び病院へ。ところが、その途中、とんでもないことをやってしまいました。運転中に運転モードに切り替えておくのを忘れ、携帯電話がブルブルと動いたので、車のスピードを落として道路わきに停まりました。停まってモシモシとやり始めたら、近くにいた車がクラクションを鳴らしたので、何事かと思いました。びっくりしましたね。私が停まった場所は、何と、T字になっている道路の信号機のある場所だったのです。寝不足の時、車を運転するのは危険であることを改めて知りました。

 午前は政治倫理検討委員会でした。市議を対象にした政治倫理条例をどうするか話し合い、議長への最終答申をまとめましたが、一般的な政治倫理基準はあっても、市議の身近に業者がいても請負辞退はしない、市議の資産公開はしないというまとめです。もし、こういう内容で条例案を作成して、パブリックコメントにかければ、市民から厳しい批判が出るでしょう。県内で最先端を行く条例ならば、胸を張れますが、これじゃ恥ずかしいというか、笑い物になるだけです。答申を受けた議長がどう対応するか、注目です。

 昼過ぎからは、長女と交代して父の付き添いを夜の7時半過ぎまでやりました。もう2週間近くお世話になっているので、病院が一日、どんな動きになるのか、よくわかります。一定の時間になると、看護師さんが回ってきます。病室掃除の人も毎日来ます。トイレ掃除の係りの人もいます。ゴミを専門に処理する人もいるようです。きょうは、エアコンのフィルターを交換する人もやってきました。病院というのは、いろんな人たちの労働によって動いているんですね。


2008年01月08日

付き添いの中で 

 病院での生活はだいぶ慣れてきました。きょうは午前中に生活相談で動き、午後から明日の午前の会議まで病院で付き添いです。父の言わんとする言葉は何度も聞くうちに、前よりは理解できるようになりました。分かる言葉は、「ばちゃ」「おかあさん」「とちゃ」など家族の呼び名の他に「小便」「牛」「ごはん」など少しずつ広がってきています。

 与えられた環境のなかで努力して覚えることがあります。これまでパソコンを使うときにはマウスなしでは何もできなかった私ですが、付き添いのなかでマウスなしでも作業ができるようになりつつあります。この調子で行くと、マウスが邪魔になるかも。病院では、やりたくてもこれまでなかなかできなかったことも少しずつやっています。そのひとつは写真整理です。整理する中で、HPの「私の好きな風景」に昨年の秋に撮影した写真を4枚掲載しました。

 この日記は市役所で書いています。今晩は家に帰りませんので、メールの返信はできません。お許しください。


2008年01月07日

ある店長さんに声をかけられ

 きょうから役所も平常に戻ります。私もそうしたいところですが、父の付き添いを中心にしながらの動きとなりました。午前9時に病院に到着。その後、10時から約1時間、議員団会議のため付き添いを弟に代わってもらい、あとは夕方まで病室にいました。ありがたいのは、父が入院している病院では携帯電話が使えることです。病室で2つの生活相談に対応することができました。これでインターネットが使用できれば最高なんですが、公衆電話でも活用しない限り無理でしょう。

 夕方、市内木田地区のあるお店に入ったら、店長さんに「橋爪さん、お茶を飲んでいきませんか」と声をかけられました。「吉川の方は雪はどうですか」と聞かれ、さてどなただろうと思いだそうとしても思い出せません。それもそのはずです。コーヒーをご馳走になりわかったのですが、まったく初対面の人でした。ただ、店長さんの方は、議会のテレビ中継で私の質問をよく見ておられ、顔を覚えていてくださったのです。「私も曲がったことは嫌いでね…」というこの店長さんからは、旧上越市選出議員の評価などいろいろな情報を教えていただきました。旧上越市内の有権者の生の声、とても新鮮でしたね。

 夜は市議選対策会議でした。父が入院という事態の中で、どういう形で選挙準備を進めていくか、相談させてもらいました。仲間の人たちからは、無理をして体を壊さないようにと言われました。ありがたいことです。


2008年01月05日

市政レポート新年号作成

 軽トラックから軽乗用車に変えて初めての冬を迎えています。同じ四輪駆動車であっても、両者にはいくつかの違いがあります。そのひとつは乗用車の方が車高が低いこと。きょうはそのことを頭に入れずドアを開けてバックしました。ところが、道路わきの固い雪を抱き込んでしまい、ドアを壊してしまいました。軽トラに乗っていたときの感で運転したのが間違いのもとでした。かなり傷めてしまいましたので、金がかかりそうです。

 今朝は日刊紙の配達のため、病院を5時45分頃に出ました。配達が終わってからは、年末に予定していた市政レポート吉川版新年号の作成に集中しました。昨晩から病院で原稿を練っておいたつもりだったのですが、原稿を寝かせる余裕がなく、作成して、すぐに印刷しました。明日になれば、また間違いに気づくのでしょうが、新聞折り込みの期限があるのでいたしかたありません。新年号には昨年を振り返り、新年の課題を思いつくままに書いてみました。「春よ来い」も久しぶりに書きました。いずれもホームページに掲載しましたので、ご笑覧ください。

 父の方は昨日、体温が38.2度まで上昇しましたが、きょうは37.1くらいまで下がったとのことです。昼間は次男と長女などが付いてくれました。これから、妻とまた病院に向かいます。


2008年01月01日

新しい年を迎えて

 新年は市内の病院で迎えました。妻と一緒に父を看ながらの年越しです。12時少し前に病室にやってきた若い看護師さんが「もうすぐ年明けですね」と言い、妻が「そうですね。明けますね」と応じました。長谷寺の鐘の音がテレビから聞こえてきたとき、妻は「年が明けたね。おめでとうございます」と声をかけてきました。新年で最初に言葉を交わした相手は妻です。一時は、父と一緒に年越しができないかもと思っただけに今回の年越しはいつも以上にうれしさがこみ上げてきました。

 年を越してから本格的に年賀状書きをしました。毎年、27日頃から書き始めていたのですが、今年は父の入院で書けなくなりました。それで、きょうは年賀状書きが初仕事というわけです。朝までほとんど眠らず頑張り、予定した年賀状を書き終えました。地元町内会の新年会は午前9時からです。病院から出たあと、コンビニでおにぎりとお茶を買い、車中で朝食。新年会ではお酒でなく、お茶を飲みかんべんしてもらいました。

 昼過ぎに病室に戻ると、驚きましたね。父がゼリー状の食べ物を食べようとするところだったからです。朝、担当の医師から、「ゼリーの食べ物」という話が出て以来、父の頭からゼリーが離れなくなったそうです。ほんの少ししか食べませんでしたが、大きな前進です。酸素の吸入もストップしていましたから、数時間の間に、こんなにも変化するのかと信じられない思いでした。

 さて新年は、いつ総選挙があっても不思議でない状況が続いています。市議選は4月27日と決まっています。合併に伴う定数特例を2回使うことになっていますので、今回も定数1の中で勝利を目指すたたかいとなります。アンケートや集落懇談会で有権者の声をたくさんお聞きしました。期待は高まってきましたが、相手陣営も並々ならぬ決意で挑んできています。ふるさとを守り、上越市民の命と暮らしを守るためにも絶対負けるわけにはいきません。「ホーセの見てある記」の読者のみなさん、今年もよろしくお願いします。


2007年12月31日

一年間ありがとうございました

 いよいよ大晦日になりました。政治の世界もわが家も激動の一年でした。わが家については、何とか家族全員で新しい年を迎えることができそうです。一年間、「ホーセの見てある記」をお読みいただいたみなさん、ありがとうございました。

 入院中の父はお陰様で、だいぶ、調子が良いようです。長女からの連絡によると、父の大好きな平成音頭を歌ってやっている時に、途中で歌詞を忘れたら、何と、その続きを父が歌ったといいます。きょうは、新聞代の集金をしていたところ、90代の男性が肺炎から立ち直って元気にしているという話を聞きました。父と症状が似ているので、とてもうれしくなりました。

 これから、病院で付き添いです。大みそかは家族でカラオケに出かけようという計画は先送りとなりましたが、これは、きょうでなくてもいい話です。まずは父に元気になってもらわなければ…。それでは、良いお年をお迎えください。


2007年12月30日

爆睡

 3日連続、病院で泊まったので疲れがピークに達し、きょうは午後から家に戻りました。2時間だけ睡眠をとり、新聞代の集金に出かけました。議員団ニュースの欄外に「父の緊急入院で配達・集金が通常通りいかなくなりました」とお詫びの言葉を入れておいたこともあって、「お父さんの具合はどうか」「こんなことをしていないで病院へ行かなくていいのか」などとたくさんの人から声をかけてもらいました。夕方、雷の影響でパソコン通信は不可能となりました。それを直していただいてから、ちょっと一休みと思って横になったら、もうこの時間です。まだ何時間も眠れそうです。

 父の状態はいま小康状態から回復に向かって動き出している感じがします。夜は痰がたくさんでますが、今朝は黄色い痰を自力で出す場面がありました。痰は切れるようになりつつある。体温は36度7分と普通、血圧も上が120、下が75です。ただ酸素は供給してやらなければならない状況だと言います。ベッドの近くで、うっかりお茶を飲んだら、父は両手をさっと伸ばし、「おれにもよこせ」といった表情をしました。点滴による栄養補給だけでは満足できずに、飲食物に興味を持つようになっただけでも一歩前進かも知れません。


2007年12月23日

ハリ治療

 腰痛がひどくなりました。朝、蒲団から起きようとしてもなかなか立てませんでした。歩くときは腰を曲げないと歩けません。そんなわけで、新聞配達はきょうも手伝ってもらいました。配達が終わってからハリ治療をお願いして、やってもらいました。腰の右側が炎症を起こしているとのことです。ハリ治療は20年ぶりくらいでしょう。治療が終わったとき、うつぶせになっていたのですが、腹をまったく浮かせることができませんでした。明日も治療を予約してきました。

 夕方、妻とともに柏崎の父を見舞いに行ったのですが、義父は私の格好を見るなり、「なんだ、俺よりも悪いねか」と言いました。妻は生協で購入した食材の一部を大きなナイロン袋に入れて土産として持参しました。きょうは千客万来だったとか。義姉夫婦も私たちよりも早く見舞いに来て、掃除などの手伝いをしていったようです。義父もうれしかったのでしょう、ナイロン袋を見ながら、「サンタのおじさんがクリスマスプレゼントを持って来てくれたようなもんだのう」と笑顔でした。


2007年12月21日

ぎっくり腰が再発

 恐れていたことが現実になりました。ぎっくり腰が再発してしまったのです。朝、父の着替えを手伝っていたときでした。電気毛布による低温やけどで父の右足の外側が「赤めどこ」状態になっていることを長女が発見、薬を塗るというので父の体を後ろから抱き上げようとした瞬間、腰がぐずぐずとしてしまったのです。午前は車を運転して市役所へ行ったものの、午後からは、椅子から立ち上がるにも手間取るようになりました。歩いていても、腰を伸ばすことができません。困ったことになりました。

 きょうは午前に議員団会議、午後から文教経済委員会、学校給食を考える会と市教委の話し合いと続きました。文教経済委員会では佐渡汽船の小木直江津航路問題がテーマでした。新潟県と佐渡、上越両市が現在取り組んでいる航路に関する意見募集をめぐって厳しい意見が相次ぎました。2隻体制を前提にした公的資金の投入を始めた初年度に1隻または1.5隻体制案を示して意見を募集するとは何事か。案に関するデータは貧弱で、どういう運航体制に持っていこうとしているかが見え見えだ。案を示しての意見募集は中断してやり直せ。市民の税金を投入することについて、市民代表として厳しく対応するのは当然のことです。

 学校給食の民間委託をめぐっても予定の1時間をオーバーする議論となりました。既報のように、市教委は、新年度は城北中学校での民間委託(請負)は継続し、新たに4校で民間委託を目指し、初年度は労働者派遣による給食を実施し、次年度から同じ業者に民間委託(請負)させる方向性を示しています。この方向性について、「法の網をくぐって民間委託をさせるやり方はやめるべきだ」「契約は単年度契約のはず、次年度に同じ業者にまかせるということは、どんな契約をするつもりか」などという意見や質問が続きました。きょうの議論を聞いていて、新年早々から、来年度に労働者派遣で給食をやろうとしている学校の保護者説明会をやろうとしても無理だと思いました。


2007年12月17日

小包

 「千葉から小包、届いているど」と母が声をかけてくれたのは昨日のことでした。「はいよ、ありがと」と答え、取りに行ったら、郵便局の宅急便でした。通称、ユーパックというのだそうです。
 「小包」といわれると頭にパッと浮かぶのは、白い紐で縦横にしばってある小さな箱です。子どもの頃は、郵便屋さんが小包を届けてくれると中に何が入っているかワクワクしたものです。いまは紐をほどく時のワクワク感はだいぶ薄れました。でも、ここ数年、千葉や埼玉などから届く「小包」には特別のうれしさが伴います。以前の送り主が亡くなっても、叔父などの気持ちを引き継いでくれる人がいる。これがとてもうれしく感じるのです。
 千葉からは、今年もJRのカレンダーと海苔が届きました。Eちゃん、ありがとう。


2007年12月14日

ミスとトラブルと

 まいった、まいった。昨日から悪いことが続きました。議員団控室でこの日記を書いてから市政レポートづくりを3時間くらいかけてやったのですが、ファイルの保存がうまくいかず、かまっているうちに、ファイルをうっかり削除してしまったのが最初でした。書いた文章の記憶が多少は残っているにせよ、もったいないことをしました。杉本議員にこの話をしたところ、「そりゃ、おれのホームページ読んどくべきだったね。まずファイルの名前を付けて、Ctrl+Sで保存するクセをつけておかなきゃ」と言われました。

 この失敗のおかげで、きょうは昨日書いた部分を書き直し、さらに裏面も新たに書きました。要した時間は3時間半。さあ、今度は印刷だ、と意気込んで印刷を始めてまもなくでした。紙がからまって、ドラムが動かなくなってしまったのです。とても私の手で直せるトラブルではありませんでした。機械屋さんにきてもらい、、印刷が終了したのは午後2時半すぎでした。

 午後3時前から、今度は「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出て、途中から大潟区総合事務所へ。地域事業について自主審議をするというので傍聴してきました。何よりも関心があったのは市長に提出するという意見書(案)です。会長と副会長が用意してきた案文をみんなで話し合ったのですが、発言する人が多いのには驚きました。「財源を確保では弱い。当初の配分事業費を確保…と書くべきだ」「議会で総合計画が通ったあとで、意見書を提出して意味があるのか」なかなか厳しい発言が相次ぎました。


2007年12月08日

一字脱落

 きょうこそはと一枚のビラづくりに専念しました。私のプロフィールなどを紹介するビラです。すでに下書きはできていて、あとは原稿の最終的なチェックをして印刷をするだけ。それだけなら、すぐに終わると思われるでしょうが、新しいパソコンを使って印刷するのは、じつは今回が初めてでした。プリンターとのつなぎの設定、そして印刷物の刷り具合の調節(写真の濃淡など)で予想を大きく上回る時間を要しました。2時間はかかったでしょう。

 そしてやっと印刷に入り、目標枚数のほぼ3分の2まで進んだときでした。近くにいた仲間のSさんが「あれー、この文章、すすめら、になっているよ」と言うのです。なんということでしょう、「すすめられ」と書くべきところを「すすめら」と書いてあったのです。どこで、こんな単純ミスが生まれたのかはわかりません。ビラづくりに慣れている3人がチェックをしてゴーサインを出したというのに。おそらくチェック後、何かの拍子にデリートキーを押したのでしょう。

 間違いに気付いてそのまま印刷を続けるというわけにはいきません。すでに印刷したものは廃棄し、新たに印刷しなおすことにしました。色上質紙を使っていましたので、紙を買いに行き、印刷などすべての作業が終わったのは午後3時過ぎとなってしまいました。たった一字の間違いと見る人もおありでしょうが、一字がないだけで文章のお粗末さが大きく見えてしまいます。今度からは試し刷りをしたら、もう一度チェックをすることを心がけたい。


2007年11月27日

常任委員会審査の準備

 きょうも一日中、雨模様の天気となりました。市役所の議員控室なら集中できるに相違ない。そう思って市役所に出かけ、30日の文教経済常任委員会審査の準備をしました。定例会開会の前日である割には市役所にいる議員は数人でした。ほとんどの人たちは自宅で準備しているのでしょうか。わが議員団の控室でも、控室に行ったのは私だけでした。

 準備の方はまずまずといったところです。民間施設を活用した公共施設づくりの全国での経験はどうなっているか、学校給食の民間委託と法的な問題点、政府与党がまとめたコメの緊急対策などの中身などについて調べました。ほとんどがインターネットを使っての調査です。私の悪い癖は、そこで新たに見つけたことをどんどん追いかけてしまうことです。そのため、準備作業は3分の2くらいまで進んだところで時間となってしまいました。

 夕方、市役所の近くの本屋さんに立ち寄りました。目的は「ワード2007」の解説本をさがすことです。数日前に新しいパソコンを使い始めたのですが、マイクロソフトのオフイス関連ソフトは2007になっていました。慣れないためか、一番使う頻度が高いワードは2003と比べて使いにくく、基本的なところだけでも解説本に頼ろうと思いました。でも、どれを買ったいいか迷い、結局、買わずに家に帰りました。


2007年11月26日

ご褒美は月と竹輪と発泡酒

 更年期のため体調を崩していた妻もお陰様で順調に回復してきています。今朝の新潟日報読者文芸欄には妻が投稿した短歌と川柳が掲載されていました。妻が作ったものが掲載されたのは半年ぶりくらいになります。また好きなことを始めたということです。私は最初、短歌しか気付かなかったのですが、川柳には私のことが書かれていました。議会での質問が一段落した時に、自分で自分にご苦労さんと言って、135円の発泡酒をひと缶いただいたのをちゃんと見ていたんですね。ご褒美は月と竹輪と発泡酒。つまみに「豪華な」ものを食べていることもばらされてしまいました。

 きょうは定例の議員団会議でした。一般質問の調整をしたのち、いくつかの調査をはじめました。午後からは、杉本議員と直江津駅前のホテル・センチュリーイカヤを訪ねてきました。今定例会に、同ホテルの新館の1階から3階を使って直江津図書館と社会教育館の機能を持たせようという計画作りが出されているからです。支配人などから案内していただき、普段は見ることのできないホールの裏側や厨房、物置などまで見せてもらいました。図書館が予定されている3階大ホールは、県内のホテルではホテル新潟に次ぐ大きさということですが、それを支える裏の空間があるとは知りませんでした。管理本部長さんから聞いたホテルの歴史や直江津駅前の変遷の話はとてもいい勉強になりました。


2007年11月24日

トラブルは解決しました

 思っていた通りでした。パソコントラブルは何も手を打たないのに解決しました。ストーブもつけずにスイッチを入れただけでプリントできる状態に復帰したのです。トラブルの原因はよくわかりませんが、急激な環境の変化にパソコンが対応できなかったということでしょう。寒いところから暖かいところへいきなり入れられて、ちょっと戸惑ったようです。パソコンは思った以上に敏感なんですね。これで、またひとつ勉強になりました。

 市政レポートを印刷してから、きょうは、床屋さんへ行き、その後はずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をしました。床屋さんへ行くと、いつもはぐっすり眠ってくるのですが、きょうは話し相手が2人もいて眠らずに過ごしました。山間部では先日降った雪が残っていて寒かったですね。何人かの読者の方から、「東京はどうだったね?」と訊かれましたので、「今回のレポートに書いておいたすけ、見てくんない」と答えました。配達から戻ると早速反応がありました。「おらちの親戚が出ていた」というのです。うれしいですね、こうやって喜んでもらえるなんて。

 市政レポート最新号、1322号は昨日、HPに掲載しました。ご笑覧ください。


パソコントラブル

 私が使っているパソコンは2台ですが、1台はもう5年ほど使っています。そのパソコンでビラ類を作成しているのですが、プリンターと接続しても反応してくれなくなりました。昨晩はこれを復旧させようと、いつもお世話になっている営業マンと連絡をとりながら頑張ってみました。結果は残念ながら駄目でした。そのあおりを受けてこの日記は、昨日は書かずじまいになったというわけです。印刷しようとしたビラは市政レポート最新号です。すでに「しんぶん赤旗」に折り込む分は印刷済みですが、印刷後、裏面に時間的な間違いを発見しました。これを直さないでおくというのは、性格上できないので、きょうはその復旧仕事からはじめようかと思っています。
 日記が書いてなくて、心配して声をかけてくださった方がありました。ありがとうございました。


2007年11月18日

東京吉川会15周年記念総会

 「いろんな人から楽しかった、楽しかったという声があがりましたから、やはり楽しかったのでしょう」総会が終わって関沢英世会長は、東京吉川会の役員や吉川区から駆けつけた私たちを前にしてこう挨拶されました。東京は晴れ。会場となった四ツ谷のスクワール麹町には約100人が集まりました。集まった人たちは関東へ出て暮らしている吉川出身者が殆んどです。郷土が同じ人間が励ましあう組織として2003年10月に結成された東京吉川会は、きょうで15回目の総会を迎えました。何よりも郷土の情報を一番知りたがっている会員さんたちです。佐々木博一総合事務所長の口から語られた中越沖地震の被害状況やコシヒカリが1万円に下落した話などに耳を傾けました。会場では、同級生や同じ集落出身者と情報交換する姿があちこちに見られました。

 私は、この総会には確か5回目の参加だと思います。いつも新たな出会いがあり、懐かしい人との再会もあるので楽しみにしています。きょうは東田中地区出身のKさんが声をかけてくださいました。なんでも、私の『春よ来い』(同時代社)を読んで故郷が懐かしく思い出されたとかで、私に会いたかったのだそうです。うれしい出会いでした。代石出身の人たち(画像)や旧源中学時代の先輩の人たちとは1年ぶりの再会です。先日の吉川高校の閉校記念式典のことや地震の話などをしました。それともうひとつ、この会には来賓として参加していますので、壇上の出し物を至近距離で見ることができます。昨年は女性歌手のすばらしい歌をすぐそばで聴くことができましたし、今回はバリ踊り(画像)を3メートルくらしか離れていないところから観させていただきました。指の動きや目の動き、そして激しく揺さぶる腰の動きに、びっくりでした。

 きょうは朝6時の出発でした。マイクロバスに総勢15人が乗り込んで車中のおしゃべりなどを楽しんだのですが、帰りが怖かった。越後湯沢から雪が降っていたのです。比較的前の席に座っていたのですが、雪が降り始めてからは、みんな、体を前のめりさせ、路面の状況を見つめ続けました。川口までシャーベット状の雪があり、運転手も乗っている人間も緊張しましたね。行きは4時間ちょっと、帰りは6時間くらいかかりました。いよいよ、雪のシーズンです。


2007年11月13日

須藤友三郎さん宅へ

 きょうは木田の市役所でほとんどを過ごしました。妻を職場まで送ってから、すぐに木田事務所に入り、議員控え室に閉じこもって仕事をさせてもらいました。主な仕事はパワーポイントでのスライドづくりと原稿書きです。昨年度の決算データなどで数値を確認しながらの原稿書きは結構時間がかかりましたが、国保会計などは一昨年度のデータと比較できて勉強になりました。

 午後2時頃、市役所を出て、先日亡くなられた須藤友三郎さん宅へ行ってきました。葬儀の時はちょうど吉川高校閉校記念式典や惜別の会と重なっていたので、参列できませんでした。それで、ご自宅へ行ってきたというわけです。奥さんや妹さんなどがおられ、葬儀の時の模様などを語ってもらいました。三浦さんの弔辞も読ませていただきました。毛筆で書かれた美しい原稿には、須藤さんの歩みの紹介や憲法9条を守る決意などが盛り込まれていました。遺影はだいぶ若い時のものでしょうか、数年前、柿崎町(当時)の人から、「須藤さんの演説を聴いて感動したものだ。いま、どうしてなるね」ときかれたという話をした時の、うれしそうな表情が浮かびました。

 明日は「郷土料理とバイキングを楽しむ集い」です。吉川区からは押し寿司、柿の白和え、冬瓜のデザート、ズイキの煮しめ、自然薯の天ぷらなどが出ます。太るかもしれないなんてことは忘れて、大いに食べて楽しんでこようと思います。


2007年11月09日

退院後初めての外泊

 夏前に入院した柏崎の義父はおかげ様で退院後、自宅で療養生活を続けています。ただ、酸素ボンベなしには生きていけないので、なかなか外に出ることができませんでした。というより、出ようとしなかったといった方がいいのかも知れません。その義父を外に連れ出そうという話が義兄などから出て、すぐに話がまとまりました。そして、きょうがその実行日だったのです。

 近くのホテルに義父母を連れて行き、妻のキョウダイ全員と連れ合いが一緒になって懇親会をやる。酒を飲む以上は泊まる。それだけの計画でしたが、義父にとってはとても楽しみなことだったのでしょう、ホテルに着くとずっとニコニコ顔でした。義兄たちが酸素吸入に必要な機器を運んでくれました。私はバタバタして何も手伝いできなかったので、もらったばかりのサルナシを持参しました。それが大当たりでした。生まれて初めて食べた、美味しい、どこで採れたのか、ツルか木か、と私はたくさんの質問を浴びることになりましたが、役に立ってよかったです(サルナシと義父の画像)

 夜遅くなってからは、スライドを上映しました。今年の夏、柿崎海岸で見た夕陽、数年前に群馬県や長野県へ家族旅行に行った時の写真、野の花写真をホテルの一室の壁に次々と映し出したところ、みんな乗ってくれ、スライド上映は3時間にも及びました。懐かしい写真がいっぱいあったことや義兄が野の花を好きだったこともあり、話はつきませんでした。最後に映し出したのは、このホテルでサルナシをめずらしそうに見ている義父の姿です。夕方撮ったばかりの写真を見て、「もう映せるのか」と喜んでもらいました。


2007年11月08日

雁の飛び立つ光景に出会い感動

 きょうも上天気でしたね。ただ、朝晩は寒かった。暦の上ではきょうが立冬ですが、早朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達でホンダの軽乗用車に乗り込んだ時、体がブルッときました。配達のため大潟区に向かう途中、雁が一斉に飛び立つ場面に出会いました。時間は6時13分です。朝日池近くの田んぼから、「クワッ」「クワッ」という鳴き声を出しながら飛び立っていく姿に愛車を止めてしまいました。本当は車を降りて撮影すればよかったのでしょうけれど、降りては絶好のタイミングがずれてしまう、そんな気がして車の中からその模様を撮影(画像)しました。

 議員団ニュースを作成後、きょうは家を出て、一日中、市役所にて仕事をしました。主に資料の整理と市政レポートの原稿書きです。原稿書きが思うように進まず、もんもんとしていたところ、すぐそばの議場で賑やかな声がするので、行って見たら、上越青年会議所のみなさんでした。夜に模擬議会をやるための準備に来ていたのです。10人ほどの青年たちが音楽を聴きながら、「こころの教育党」「上越JC党」などの席を用意し、質問でプロジェクターも使えるようにテストを繰り返していました。とても楽しそうでしたね。議会改革は青年会議所の模擬議会の方が進んでいると思いました。

 日中、党市議団事務局長の上野公悦さんから電話があり、びっくりしました。長年、上越地区党の責任者として頑張ってこられた須藤友三郎さんが亡くなったというのです。83歳でした。須藤さんは衆院選挙に、たしか7回くらい出馬されたと記憶しています。いつも張りのある声で、しかもわかりやすく演説されるので定評がありました。80歳を過ぎても足腰がしっかりしていて、この人は100歳前後まで生きる人だと思っていたのですが、最後はガンとの闘いでした。とても残念です。須藤さん、ゆっくりお休みください。ありがとうございました。


2007年11月05日

『ざ・むぅん』300号

 上越市大和にお住まいの柳川月さんから『ざ・むぅん』最新号(画像)が届きました。今号は第300号です。地元新聞でも話題となっていましたので、いつ来るかと楽しみにしていました。封筒を開きます。B4二つ折りの新聞をすっと抜いて手にしたとき、いつも思うのは手で書かれた文字がとてもきれいだということ、それだけでほれぼれしてしまいます。私は学生時代からチラシや手づくり新聞をたくさん見てきましたが、この書体はガリ版でそうとう鍛えてこられたのではないでしょうか。一字一字が丁寧に書かれていて、全体を見ても美しい。こんな文字を書けたらいいなといつも思います。

 今号は、300回も継続できたことがトップ記事です。「どうやら300号にこぎつけました」で始まる文章は柳川さんの人柄がそのままにじみでていて、励まし、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちが書かれていました。創刊は1972年1月とありますから、私が大学を卒業した年です。創刊が35年前だというのに、私が『ざ・むぅん』に初めて出会ったのは昨年のことでした。初めて読んだ時、人とのつながりをとても大事にされている方だという印象を持ちました。今号でも、家族新聞などを受けとった記録、「風だより」はびっしり、交流の広さには驚きます。

 10月の中旬頃より右手親指の付根が痛くなったとありました。痛む部位にビップエレキバンを貼って完治、と書いてありましたが少し心配になりました。「えんぴつの会」などの会合に出て、歴史講座では勉強をする。さらに映画鑑賞、平出修旧宅清掃ボランティアも。すごい行動力です。柳川さんとは、お会いしても、ゆっくりと話をしたことがありません。いつか、時間をつくっていただき、手づくり新聞の心を学びたいと思います。


2007年11月01日

コンニャク持って大島区へ

 母に頼まれて大島区まで出かけてきました。奈良県から実家に泊まりに来ている従姉のところへコンニャクと柿を届けに行ってきたのです。この従姉からはいつもたくさんのお土産をもらっているので、母が得意とする手づくりコンニャクを食べてほしかったのでしょう。大島区では、お昼をご馳走になってきました。いくつかのオカズを食べて思ったのは母の味と似ていることでした。私の母の味は大島仕込みだったのだと改めて感じました。きょうは一日中、どんよりした天気でした。天気さえ良ければ、大島行きは紅葉も楽しめるはずだったのですが。

 きょうは吉川区内で「しんぶん赤旗」の集金をすることにしていました。大島区行きの時間を除き、その仕事に専念しました。こういう平日に、ゆっくりと集金できるのは久しぶりのことです。何軒かでお茶をご馳走になってきましたが、驚いたことに、先日泊まってきた小国町の法末集落とかかわりのある人が2人もいました。訪ねた時の様子や中越地震から見事に立ち直って、集落再生に向けて頑張っていることを伝えると、目を輝かせて話を聴いてくださいました。

 このところ、カバンの中に1冊の新書を入れて持ち歩いています。岩波新書の新刊で、辰濃和男の『文章のみがき方』です。時間のある時に、少しずつ読んでいるのですが、『文章の書き方』の姉妹編と宣伝されているだけあって、とても参考になります。「日々、たゆまずに書く。そのうちにはきっとあなた自身の文章が形をなしてゆくはずです」「日記は野球でいう素振りでしょう」。こういう文章を読むと励まされます。文章を書くためには本多勝一の『日本語の作文技術』と辰濃和男の『文章の書き方』を読むといいよと後輩に薦めてきましたが、『文章のみがき方』も加えたくなってきました。


2007年10月30日

救急車3台が走行距離20万キロ以上

 上越地域消防事務組合議会、13区議員の会、月例議員懇談会、勉強会と続きました。一日中、びっしりと日程がつまっている時は疲れますね。

 消防事務組合議会では妙高市の組合議員が変更になり、新副市長、新議会議長が新たに議員になって参加されていました。私の隣の席には佐藤栄一さんが座られ、少し言葉を交わしましたが、同じ高校の同級生です。世間は狭いと感じました。会議の中では、中越沖地震での救急車の出動状況をたずねたところ、地震が発生した当日、出動要請があったのは柿崎区7件、吉川区1件、旧上越市内1件だけということでした。予想を大きく下回る数字でしたね。小堺消防長は、「あれだけの激しい揺れの中で件数が少なかったのは不幸中の幸い」とのべていましたが、あの地震での重軽傷者は157人で、そのうち重傷者は22人もいましたから、自家用車などで病院に行った人も大勢いたということでしょう。時間があれば、要請があってから到着までの時間、今後に向けた課題などをただすべきでした。きょうもたくさんの資料をいただきましたが、驚いたのは救急車の走行距離です。管内にある11台の救急車のうち3台が20万キロを越えていたからです。このうち1台は26万キロを越え、あちこちの部品を交換して使っているとのことでしたが、今回、消防整備計画で更新対象にあがっていたのはこの1台だけです。これでいいのかと思いました。

 月例議員懇談会後の勉強会。きょうの講師は山梨学院大の江藤俊昭教授です。「都市内分権と住民自治…住民と歩む議会改革」と題する講演は中身が濃くてとても勉強になりました。江藤教授とは東京都内のセミナーで一度お会いしたことがありますが、とても人懐こい顔をされていて、親しみを感じます。講演では、左手で時々マイクをなでおろしながら、「市議会のみなさんはなぜ全国市長会のバッジをつけられるのでしょうか。自治を考えるなら、その市のバッジをつけるのがいいと思うのですが」「住民参加は執行機関の専売特許でいいのでしょうか」「議会は質問の場ですか。議論の場ではないでしょうか」などと「当たり前になっていることに」次々と疑問を投げかけました。北海道栗山町議会の議会改革についてもビデオで見せていただきました。今回の講演を契機に上越市議会をどう変えていくか。それが問題です。


2007年10月28日

ハグラウリの漬物

 10月、11月の日曜日は休日と呼べるような日があるかどうか。おそらく1年の中で最もイベントが集中する月なのではないでしょうか。きょうは「しんぶん赤旗」の集金、民主商工会の商工カーニバル、地元集落の収穫祭と続きました。
 
 集金の際、1軒のお宅で、「お茶飲んでいらんねかね」と声をかけていただき、ご馳走になってきました。お茶をご馳走になる時、最近の一番の関心は、漬物です。どんな漬物が出てくるのか、とても楽しみなのです。きょうは「ハグラウリの漬物」(画像)とミョウガの漬物を食べさせてもらいました。前者の実は比較的薄く、見たことのあるウリですが、「ハグラウリ」という名前は初めて聞きました。少しこりこりしたところがあって、いい味でした。漬物を食べると食べ物の話だけでなく、いろんな話につながっていきます。

 上越民主商工会がきょうのような商工カーニバルに取り組んだのは初めてではなかったでしょうか。天気が良かったこともあって、会場となった上越北厚生会館はとても賑わっていました。各ブースにはいろんな商品、展示品が並んでいて、私は果物、パンを買ってきました。1杯450円のラーメン屋さんは大繁盛、一時は30分待たないと食べられないほどだったとか。吉川区の会員さんたちは、包丁とぎでがんばっていました。

 市政レポートは先週、アップしたつもりだったのですが、どういうわけかうまくいきませんでした。今回は大丈夫のようです。1317号1318号をアップしましたのでご笑覧ください。


2007年10月23日

生活相談、そして本

 生活相談が続きました。朝からいくつかの相談に手を打ってホッとしていたところ、近くに来たということでTさんが顔を出してくれました。最近、生活相談で議員控え室を訪れてくださる吉川区の方はありますが、その他のことで訪ねてくださるのは本当に久しぶりです。要介護の親を抱えた時ならではの悩み、福祉施設と利用者の特徴などについてたくさん教えてもらいました。私の父もかなり進行しており、他人事ではありません。母の体のことを考えると、父には申し訳ないけれど、いずれは特養ホーム、あるいは老健施設入所を考えなければならないのです。

 新しく出た本について、お年寄りからも何人も注文をもらい、自宅に届け始めています。夕方、そのうちのひとりの人を訪ねたら、やはり、『春よ来い』の続編だと思っておられました。これは専門書ですとも言えず、本を手にとって見ていただいたところ、「わー、うれしい。これ、分場の写真(旧源小学校水源分校の航空写真)かね」と喜んでもらえました。私のルポが載っていて、見たことのある風景や人が載っている、それだけで買ってくださるなんてありがたいことです。この方からは、遠くのキョウダイ、友人にも見せたいと3冊も購入してもらいました。

 今晩は十三夜、お月さんがよく見えました。高い木の上で鳴いていたアオマツムシはもういなくなって、低い草むらで「ギー、ギー」という虫の鳴き声だけが聞こえてきました。3年前の今ごろは町役場で余震におびえていました。中越地震から3年しか経っていないのに、中越沖地震がやってきて、激しい揺れの恐怖はなかなか消えてくれません。3年前も今年も10月23日は寒くて冷たい日。私の部屋もそろりとストーブを入れないと、パソコンにも向かえなくなりそうです。


2007年10月21日

「ホーセの見てある記」1500回

 昨日は「にいがた自治体学校」でした。長岡市小国で午後から開催され、1日目だけ参加してきました。基調講演の1つは京大の岡田教授による新潟県経済の今後についてでした。本日発売された『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)の執筆者の1人でもありますが、ハードスケジュールの中で新潟県の経済データを集め分析しての講演には圧倒されました。新潟県の遅れがくっきりと出たデータは今後、市町村経済の分析にも使えるものがいくつもありました。米価暴落の背景、今後の闘いの方向を示した新潟県農民連の町田拡会長の報告も良かったです。

 夜は法末集落にある「やまびこ」という宿泊施設で懇親会をやり、ここに泊まってきました。県内の議員との交流も良かったですが、ここで出された料理が気に入りました。とくに良かったのは、「いもご」の天ぷらです。この中にはアケビもちょっと入れ、隠し味にする。美味しかったです。それとおにぎりが最高でした。海抜300メートルの天水田で作った新米の味は忘れることが出来ません。おにぎりには、「ごま」がついたものと、「ウワミズザクラ」の実を漬けたものがのっているのがありました。「ウワミズザクラ」の実は初めて食べました。

 この日記は、このHPに掲載したものだけで1500回になりました。それ以前にも1年以上書いていたのですが、HPの容量の関係で以前に削除してしまいました。これまで愛読してくださったみなさんに感謝します。次は2000回をめざします。


2007年10月17日

うれしかった高橋村長の推薦の言葉

 朝、「いもご」はないかと家の周りをブラブラしていて、いいものを見つけました。アケビです。紫色の実は3個ついており、その真ん中のものはすでに口が開いていました。実は透き通っていて、じつに美味しそうです。口の中に入れて、種と実を分離させ、種をブッと飛ばしました。私が食べたのは1個だけ、残りの2個は友人のお連れ合いにあげることにしました。実はまだしっかりと締まっていましたから、おそらく、当分の間は飾りにしかならないでしょうが。

 きょうは7月の末に受けた人間ドッグの成績報告書を持って、大潟区の医院に行ってきました。9月議会が終わったら、直ちに行こうと思っていたのですが、とうとう、きょうまで延ばしてしまいました。報告書では、胃体部の硬化、胆のう症の疑いがあると記載されていました。お医者さんによれば、太っている割には血圧、血糖値とも正常だとのことでした。胃カメラと腹部エコーによる検査を予約してきました。来週の木曜日です。

 家に戻ったら、自治体研究社からメールが来ていました。20日に出る本、『山村集落再生の可能性』のカバー写真です。なかなかいい本に仕上がりました。本の帯には長野県栄村の高橋彦芳村長の推薦の言葉が書かれています。「住民はみんなここから離れたくないと訴えている。集落こそ自然と人間、人間と人間の豊かな関係性を秘めている土地であるという思いに共感する。経済優先の数値論で山里の崩壊を顧みない現在の動向に腹が立つ。今、住んでいる所で住み続けたいということは、人間の基本的な権利だ。本書は居住福祉の新しい展開の重要性を示唆している」。この言葉は、私を含め、本を執筆した人たちの思いとピタリです。とてもうれしくなりました。


2007年10月14日

母の実家で法要

 吉川区第3回(通算43回目)駅伝と大島区の伯父と伯母の法要が重なりました。駅伝は30数年前からずっと関心を持ち続けてきたイベントです。きょうは、来賓としての案内もいただいていましたので、開会式で挨拶をして、法要に向かう途中、2区で応援しました。距離が短いこともあって、2区は1区とともに、スピード勝負、みんないい走りをしていましたね。大下の中継地点では大勢の人たちが応援に出ていました。天候は曇り時々晴れ。私が乗ったタクシーの運転手さんは、快晴よりもこの方が走りやすいと言っていましたが、ひょっとするとこの人も若かりし頃は駅伝ランナーだったのかも知れません。

 法要は母の実家で行われました。父の介護で動きがとれないので無理でしたが、本来なら母も出かけたかったはずです。伯父が亡くなったのは6年前の1月、伯母は昨年の10月でした。時の流れの速さを感じました。2人のお坊さんのお経を聴きながら、たびたび見たのは伯父と伯母の写真です。仏壇の上の方に掲げられていて、伯父の写真は白黒、伯母はカラーと色の違いはありましたが、2人ともおだやかな表情をしているのが印象に残りました。伯父が亡くなってからしばらくして伯母を訪ねた時、伯母が「オラもいつ逝ってもいいんだがね」と言っていたことを思い出しました。2人とも天国で仲良くしているような写真でした。

 法要が終わって、お坊さんが興味深い話をしてくださいました。宮沢賢治の短編、『やまなし』を紹介しながら、いのちの継続性について語ってくださったのです。川底にいるカニの子どもたちが水面を見つめていると、やまなしが流れてきたのか、落ちてきたのか、子ガニたちをびっくりさせます。お父さんガニが一緒にこのなしを追いかけ、最後は熟させて自然に酒になるのを待つ。その酒をいただくことは、やまなしの命をいただくことだと。人間も多くの命を引き継ぎながら生きている。そんなお話だったように思います。この話を聴いた後、お斎の席で、従兄が「ここにいる子は、母が亡くなって1週間後に生まれた子です」と孫を紹介してくれました。その子の顔をよく見てみると、何となく伯母に似ているところがあるような気がしました。おもしろいものです。

 お斎の席では、いろいろな情報交換が出来ました。お坊さんのうち1人は、京都で大学教授をやっておられる方ですが、私のHPで5月27日の池田勇諦さんの講演について読んでいてくださり、真宗大谷派と平和、憲法9条のかかわりについて教えてくださいました。埼玉県在住のUさんは元教育長さん、社会教育の場で、私の『幸せめっけた』『春よ来い』の中の話を題材に使っていると語りかけてこられました。特に「ナシ泥棒」はいい題材になるとか。この「ホーセの見てある記」を毎日、見てくれている従弟たちからも情報をいくつも寄せてもらいました。「たまに誤字があるけど、疲れているんだろうと思って」「尾神岳の報尽碑に行きたくなった」。みんな、うれしい情報でした。


2007年10月11日

小さな喫茶店

 いつか行ってみたいと思っていた喫茶店があります。その名は「プー横丁」、上越市高田にある小さな喫茶店です。店主の増村俊一さんはジャズが好きで、本も映画も大好き。また、真宗大谷派寺院の住職でもあります。私とは『幸せめっけた』(恒文社)を出版して以来の付き合いですが、彼のお店には行ったことはありませんでした。いつか、ゆっくり話したいものだと思っていたところ、先日、市役所のエレベーター内でばったり出会い、「ぜひ一度店に出かけてきてください」と誘われました。というわけで、きょう、初めて、コーヒーを飲みに出かけてきました。

 丁度、お昼の時間でした。「こんちは」と声をかけると増村さんは笑顔で迎えてくれました。店内にはなつかしい本がずらりと並び、文化サークルの資料などがたくさん置いてありました。偶然、お客は私ひとり。たっぷり話をすることが出来ました。彼の檀家に大工さんをやっているHさんという家がありますが、私に知っているかと尋ねられ、びっくりしました。私と同じ尾神で育った小中学校の同級生だったのです。そして尾神岳報尽碑の話からはじまって、親鸞聖人遠流800年記念大会での池田勇諦さんの講演内容がすばらしかったこと(この日記の5月27日付をご覧ください)、さらには映画「ふみ子の海」の話にまで広がりました。増村さんは私が思ったとおりの人で、一緒にいれば、2時間でも3時間でも楽しく語り合えそうです。

 夕方、増村さんとの話に出てきた映画「ふみ子の海」を観に出かけてきました。本当は18日に観る予定だったのですが、たまたまインターネットで日程を調べたところ、「新着情報」の中の「新潟県内上映、初日!」のところで出てきた写真が、尾神岳からわが家のあった蛍場の山々を望む秋の風景写真だったのです。増村さんの話とこの写真で18日まで待つことができなくなりました。脚本は1年ほど前に全部読んでいましたが、やはり映像が出てくるとまた違います。尾神の深田の池が2回も出てきたり、大賀の棚田も何回も出てきて、親近感が増しました。美しい芸者さんが軍人さんにはっきりモノを言う場面やサダが死ぬ場面は脚本を読んだ時以上の迫力がありました。映像で一番感動だったのは、最後の場面です。海に向かって「かあちゃーん」と大きな声で叫ぶ姿はいつまでも忘れないでしょう。


2007年10月08日

子ども時代の感動はいつの時代も同じ

 昨日の酒まつりでコメを販売しているコーナーに行ったら、熟したアケビがいくつか置いてありました。とても美味しそうなのでほしいと言ったところ、たくさん買ってもらった人にプレゼントするために用意したんだそうです。ならば、自分で採ってこよう。きょうはアケビやサルナシを採る時間を少しつくりたいと思っていました。しかし、残念なことに、きょうはあいにくの雨です。がっかりしてしまいました。ところがです、そんな気持ちを察したかのように、夕方、Sさんが色つやの良いアケビを持ってきてくださいました。ありがたいことでした。

 きょうは雨だったので、パソコンを使っての仕事に精を出しました。その合間に、時間をつくって高田図書館内にある小川未明文学館まで妻と一緒に出かけてきました。目的は長岡市出身の画家、川上四郎展を観るためです。川上四郎は小川未明の童話などの挿絵を描いた人です。細い線を活かして丁寧な描き方をした作品が多かったですね。私が気に入った作品の1つは、小川の一本橋を渡る子どもの絵でした。橋を渡る時の子どものドキドキした気持ちがよく伝わってきました。いくつかの作品を見ながら思ったのは、明治期の作品でありながら、子ども時代のものは、私が記憶している思い出と重なるということでした。


小さな町の幸せ通信