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1800年前の世界

 きょうは午前中、文教経済常任委員会の管内視察でした。先日の全員協議会で説明のあった釜蓋遺跡の現地を見て認識を深めることが主要な目的でしたが、近くの吹上遺跡、斐太遺跡にも足を運びました。釜蓋遺跡については、まだ全容が分かっていませんが、敵から集落を守る環濠(かんごう)の半分以上が確認されています。各委員は生涯学習課小島副課長の説明を一言でも聞き漏らすまいと真剣に聞き入っていました。同遺跡はこの地方の物流の拠点だった可能性があるといわれています。すぐそばには川もあったらしく、それとのつながりの中でこの集落が当時、どんな役割を果たしていたのか、環濠がどんな形で広がりをみせているのか、興味深いですね。
 国指定となる見込みの吹上遺跡を訪れたのは二度目で、斐太遺跡は初めてでした。妙高市の北部にあるこの遺跡は、標高70~80メートルの小高いところにある集落跡で、ここにも環壕(かんごう)が掘られていました。もっとも、ここは水を溜めるほりではないので、同じ「かんごう」でもこちらは環壕と書くのだそうです。びっくりしたのは竪穴住居です。1800年くらい経っているというのに、ここの住居群の中の多くは、その跡が全部埋まりきっていないで、浅い窪みとして目で確認できるのです。ひとつの竪穴住居を見た時(写真)、長い年月を経ても、あまり形を変えないで残ってきたのはどうしてかと不思議でなりませんでした。現地は、どんぐりの実がたくさん落ちていました。春にはカタクリの花が咲き乱れるところといいます。1800年ほど前、それも50年ほどの短い期間だけ、ここに100軒ほどの集落があって、当時の頸城地方の権力者が住んでいたらしいのですが、どんな暮らしをしていたのか、なぜその集落が長く続かなかったのかなど、知りたいことが次々と出てきました。
 午後からは文教経済常任委員協議会でした。現在直江津港の岸壁に一時係留している遊魚船の行き場問題で説明があり、議論をしました。ただ担当課が示したのは一枚のペーパーだけで、これまでの経過説明は書かれていない、問題点の整理も十分されていないものでした。これでは何を話し合ってほしいのか分かりません。これまで上越市議会の審議では丁寧で、分かりやすい資料が出されていただけに、今回の資料の作り方、提示の仕方には疑問を感じました。
 夕方からは文教経済常任委員と教育委員会幹部職員との懇談会でした。遺跡の問題、これまでの委員会審議、合併後の学校教育などについて意見を交わすことができ、有意義な会となりました。


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2005年11月24日 00:00に投稿されたページです。

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