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忘れられない記憶

 きょうは朝から大賀集落及び川谷地区のビラ配布でした。途中でお茶をご馳走になったりしたこともあって、38世帯回るのに約4時間かかりました。日頃からお連れ合いが「うちの父ちゃんは物忘れがひどくて困っちゃう」と言われているSさん宅でお茶を飲んでいた時のこと、話が昭和42年1月17日の雪崩の話になった途端、Sさんは当日のことをびっくりするほど詳しく語り始めました。
 この雪崩では川谷小学校に通う上川谷の児童生徒12名が生き埋めになり、ラジオなどのニュース(たぶん臨時ニュース)で放送されました。私は当時高校生、高田の南本町の雁木を歩いていて、このニュースを聞き、胸がドキドキした記憶があります。後で「全員救出」のニュースが流れた時、ホッとしたものです。現地の親たちがこの雪崩で切ない思いをしたことは言うまでもありません。Sさんのうちでは2人の子どもが雪崩にあいました。家で2人以上生き埋めになったのは3軒、第一報が入ってきた時どうしたか、一番最後に救出された女子児童はかなり下まで流されていて発見が遅くなったことなど、鮮明に憶えておられました。
 Sさんは別の雪崩についても語りました。久保のうしろの山から発生した雪崩が谷を下り、1軒の家に到達したことがあること、すぐ上の家はかろうじてセーフだったこと。自分が生まれる前にも雪崩があって人が死んでいるらしいことなどです。この話を聴いて、この地域が土石流の危険箇所の指定を受けていることを思い出しました。現在は地すべり防止のダムなどが数ヶ所つくられていますが、大丈夫なのか不安になりました。
 家に戻ったら、長岡市のAさんという方から葉書が届いていました。まったく知らない方ですが、私とほぼ同年代だといいます。この方はいま、私の『幸せめっけた』を読んでいてくださり、「私の原風景とぴたりと重なり、涙して読んでいます」との言葉を寄せてくださいました。葉書には、長岡市の中央図書館には、わたしのこの本が5冊そろえてあるとも書かれていました。ありがたいですね、こういう葉書がもらえるのは。


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概要

2006年08月29日 00:00に投稿されたページです。

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