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野の花 への全投稿

2009年09月30日

ハマゴウの咲く砂浜で

 上野議員に誘われて国体の公開競技、ビーチバレーを観てきました。会場は直江津海岸の砂浜。私が現地に到着した時間は女子、男子の決勝戦が始まる30分ほど前です。

 会場へ行ってびっくりしましたね。コートの周り、スタンド席、すごい人の数でした。1000人はいたのではないでしょうか。私が座ったところは女子の決勝戦が行われたコートのスタンド席。ちょうど決勝戦は新潟対神奈川で、新潟代表は地元の上越のチームとあって、「ああ…」「よし!」などの声だけでなく、いいプレーには拍手も送られる。熱の入った応援が繰り広げられました。

 勝負は2対0で新潟チームの勝ち。第二セットの前半は拮抗した点の取り合いになりましたが、あとは新潟チームの力が圧倒していました。私もソフトテニスをやっていたことがあるのである程度わかるのですが、コートでの試合は基本練習と試合経験の数がものをいいます。相手コートのどこに球を打つか、瞬時に判断しなければならないその能力は簡単には身につきません。それにしても見事な試合でした。明日の地元新聞のトップはこれを伝えることでしょう。

 試合が終わっての帰り道、砂浜で紫の花が咲いているのに気がつきました。初めて見る花です。あまりにも美しかったので、いったん市役所に戻り、デジカメを持参して撮影しました。花は草花ではなく、海岸にある低木、ハマゴウ(画像)でした。


2009年09月26日

アサギマダラと再会

 トキめき新潟国体がきょうから始まりました。吉川区尾神岳では10月3日、4日の2日間、パラ・ハンググライダーのデモンストレーション競技が行われます。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版配達の途中、準備状況を確認してきました。開会式会場となる遊ランド周辺ではボランティアによる草刈が行われていました。パラの練習場周辺では市道の掃除も行われていました。準備着々といった感じです。土曜日だったこともあって、パラの練習場、離陸場には大勢の人たちがいましたね。

 尾神岳に登ると、どうしても野の花に目が行きます。アキノキリンソウ、オヤマボクチ、キツリフネ、ジャコウソウなどが目に入りました。うれしかったのは旅をする蝶、アサギマダラと再会できたことです(画像)。ケナシミヤマシシウドの近くを歩いていたら、偶然、目の前に飛んできたのです。大急ぎで写真を撮りました。

 家に戻ったら悲しい知らせが入ってきました。牛を飼っていた当時、わが家と付き合いの深かった人が亡くなったというのです。まだ60代の若さです。2か月ほど前に一緒にお茶を飲んだのが最後となりました。きょうはまた、同じ区内に住む従妹のお連れ合いが入院したという知らせもありました。今年は異常です。


2009年09月23日

シロバナサクラタデが消えた

 今年は長雨だったので草の伸びがいつもと違います。どんどん伸びるのです。そのため、草刈はいつもよりも多くしなければならないことになりました。市道の草刈は2回目に入っていて、近くの市道についてはこの連休中に作業が行われました。

 ところで、わが家の周辺の野草、雑草に変化が起きています。
 そのひとつ、長年楽しませてもらったシロバナサクラタデが消えてしまいました。秋に咲く野の花の中では最高の美しさを持っていた花なのでとても残念です。たぶん、周りの草の伸びにおされて、出番を失ってしまったのでしょう。
 消えてしまった野草があれば新たに登場した野草もあります。ガガイモです。イモといっても地上に実らせるイモという変わり種です。花はすでに終わりましたが、『身近な雑草のふしぎ』(森昭彦著・ソフトバンククリエイティブ)で調べてみたら、「荒地の精力王」で「その(実の)形はどこか、なんとなく、赤面を誘う」とあります。どんな形のイモができるのか楽しみにしています。

 きょうは一日中、パソコンとにらめっこでした。朝になって雨が降ったので稲刈りをするコンバインの音はしませんでした。その代り、聞こえてきた音は秋祭りの音です。神輿を担いでワッショイ、ワッショイやっている音、「佐渡おけさ」、「炭坑節」などの曲が神社から風に乗って流れてきました。


2009年09月03日

「平等橋」は「ヘイトウバシ」だった

 市議会厚生常任委員会が終わってから牧区へ車を走らせました。午後4時少し前です。目的は牧区の山中にある平等橋。ところが、事前調査が十分でなかったために道に迷ってしまいました。インターネットで調べた時の、鷹羽鉱泉の近くという印象が強く残っていて、仲入橋を過ぎ、山をどんどん登って行ったら、鉱泉に着いてしまいました。鉱泉の管理人さんに、「ビョウドウバシって近くにありますか」と尋ねたところ、「聞いたこともない」という返事でした。

 深山荘近くの宇津俣橋まで戻り、畑で仕事をしていた女性に、「ビョウドウバシってご存知ですか」と尋ねると、この人も首をかしげます。「平(たいら)」に「等(ひとしい)」と書くんですけど、ときくと、「あ、それはヘイトウです。だいぶ奥に入りますよ」。その場所は、宇津俣橋から南東方向に1.5キロメートルくらい行ったところにありました。「平等橋(ヘイトウバシ)」(画像)。1級県道柳島信濃坂線にある昭和61年12月竣工の橋でした。橋長、約27メートル。これで市内にある「平和」と「平等」と名のつく二つの橋を渡ったことになります。

 きょうの牧区入りで印象に残った橋は、「島之橋」、「藤見橋」、「平等橋」。このうち、「島之橋」は旧上越市と牧区の境にあります。合併前は、橋を渡ると違う行政区になる場所でした。「藤見橋」(画像)は新しくて、とてもきれいな橋なので、車をとめて初めて渡りました。竣工は昨年の10月です。おそらく、市道にある橋としては一番新しい橋でしょう。

 ところで、きょうの最大の収穫は、「平等橋」をさがしている時に出合ったメタカラコウ(画像)です。蕗のような大きな葉を持ち、房状の黄色い花を道端で咲かせていました。感動でした。もちろん、初めて出合った花です。写真は全体を撮ったものがぴんぼけでしたが、接写したものはまずまず。道に迷ったおかげで素敵な出合いとなりました。
 


2009年02月28日

初めて「あさひ雪あそび」に参加

 雪割草にばかり気がとられていて毎年、開化日がいつになるか調べていたマンサクのことをすっかり忘れていました。今朝、このことに気づいて、牛舎のそばにある木を見上げてみたら、もう満開一歩手前でした(画像)。10日くらい前には開花していたのでしょう。ちなみに昨年の開花が3月2日、一昨年が暖冬のため2月8日でした。
 きょうは朝早くから「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版の配達と集金で動きました。午後からは住民団体「まちづくり吉川」の「学びinまちづくり吉川」に参加してきました。きょうのメインである料理研究家の井部真理さんの講演は今回も食育がテーマ、「繊維質たっぷりの食事を」「地産地消にこころがけて」の話はいい話でしたが、スライドがよく見えなかったのは惜しかった。恒例となった休憩時間のだんごまき、町内会長連絡協議会長さんなどとともに私も参加させてもらいました(画像)
 そして夜は大島区旭地区で行われた「あさひ雪あそび」へ。川谷の人たちから「一度は見てきない。おらも行くがだ」と誘われたのです。きょうは上々の天気でしたので星空、会場である「庄屋の家」脇の広場には500人近い人が出ていたのではないかと思います。とにかく大勢でした。
 大島区旭地区は母の故郷、3人の従兄たちが地域づくりなどでがんばっています。従兄たちのうち2人は屋台(テント)の中で餅売りです。孟宗竹をけずり串をつくるのでたいへんだったといいますが、餅を炭火で焼き、竹の串にさして「ふき味噌」をつけて1個200円。どれくらい用意したのかわかりませんが完売でした。もうひとりの従弟は寸劇に登場(画像・右から3人目が従弟)、マイクの調子がいまいちで、声がよくとおらないなかでがんばりました。かっこいかったど。
 「あさひ雪あそび」ではカラオケ、レクダンス、寸劇、三味線、花火など盛りだくさんの内容でした。地元の人たちがみんなで楽しみ、賑わいをつくり、地域外の人たちと交流を深めていく。これは「越後よしかわやったれ祭り」と通じるものがあります。いい取り組みでした。
 ※久しぶりに「私の好きな風景」に2枚の写真を掲載しました。ごらんください。


2008年12月13日

まだ12月だというのにキクザキイチゲが…

 感激です。まだ12月だというのに、私の大好きな野の花であるキクザキイチゲが咲き始めたのです。「おまんに教えてやろうと思ってさ。なんて花だっけ、春一番に咲く花?」そう言って、私にこの情報を教えてくれたのは従姉のミコちゃんでした。わが家に遊びにやってきた大島区板山の伯母と一緒にお茶を飲んでいた時のことです。
 この情報を聴いてじっとしていられる私ではありません。従姉が見かけたという場所へ行くと、まだ咲き始めたばかりの薄紫色の花がいくつもあります。まちがいなくキクザキイチゲでした。雪解けのころ、大地から芽が出たときの姿は何度も見ていますので、一目で確認できました(画像)
 きょうは柿崎区でロウバイの花が膨らみ始めているのを発見して、今年も暖冬だな、と思っていたところでした。先日降った雪もすっかり消えました。このキクザキイチゲは、春になったと勘違いしたのかも知れません。それにしても、この花と久しぶりに出合う時の感動はどこからくるのか。


2008年08月03日

ツリガネニンジン開花

 昨日、きょうと山に咲く花を見る機会がありました。というより、見たくて山に行ってきたと言った方が正確かも知れません。
 昨日は富山から友人のHさんが夫婦連れでやってきて2時間ほどおしゃべりを楽しみました。最初は喫茶店でと思ったのですが、柿崎区や吉川区ですと時間帯によってはコーヒーを飲めるところがないのです。それで、「平成の名水100選」に選ばれた大出口泉水へ行き、そのついでに尾神岳の市道をドライブしました。標高500メートルくらいから上の方ではヤマユリが真っ盛りでした。車を降りるとユリの匂いが漂っています。尾神岳には何回も登っていますが、ヤマユリがぐんと増えましたね。尾神岳で見たかった花はツリガネニンジンです。まだ、少し早かったですが、それでも小さな花が2個ほど咲いていました。
 きょうは柏崎の義父を見舞いましたが、海水浴シーズンなので、柿崎区の峠から柏崎の野田に抜けるコースを通りました。ここはツリガネニンジンが色鮮やかに咲くので、毎年楽しみにしているところです。花が咲く場所はいずれも北側の土手です。目当ての花は尾神岳よりも開花が遅いのではと思っていたのですが、そうではありませんでした。道路沿いの土手で紫色の花をあちこちで咲かせていた(画像)のです。野田から田尻へと抜ける道沿いではキツリフネを見ることもできました。
 市政レポートNO1357号掲載しました。トップページからお入りください。


2008年07月08日

今年初めて尾神岳へ

 強烈な雨と雷でした。大雨になるかも知れないと思うような降り方は梅雨に入って初めてです。県職員のSさんから電話をもらうまで、上越地方に大雨洪水警報が出ていることを知りませんでした。きょうは雨が落ち着くまで吉川区にとどまり、その後、病院、市役所へと動きました。市役所では、13日午後7時から市民プラザで行われる岡田知弘京大教授の講演会の準備をしました。

 病院は父が入院しているところとは別の病院です。夜中に従姉のお連れ合いが救急車で運ばれたというので、お見舞いに行ってきたのです。脳血管障害で緊急入院したSさんは、10年ほど前にも同じ病気で入院し、その後、頑張って社会復帰した人です。「たいへんだね」と言うと、「おまんの大変さに比べればたいしたことないさ」という言葉が返ってきました。今回は前回よりも症状が軽そうなので一安心しました。

 夕方、尾神岳に登りました。考えてみたら、今年になって初めてでした、尾神岳に登ったのは。大好きなふるさとの山とはいえ、市議選、6月議会と忙しい日が続き、すっかりご無沙汰していました。きょうのねらいはエゾアジサイ(画像)です。市道沿いに青い花をたくさん咲かせていました。花の色は鮮やかで、葉も例年のように虫食い状態ではありませんでした。それと、きょうは野ウサギと何回も出合いました。ウサギは増えていますね。


2008年06月14日

コシジシモツケソウもヤマホタルブクロも咲く

 朝の地震、まさか東北の地で大地震が発生しているとは思いませんでした。わが家ではゆっくりした横揺れがしました。テレビで震度6強と聞いて、昨年の中越沖地震のときの激しい横揺れを思い出しました。被災された皆さんには、心からお見舞い申し上げます。
 きょうは親戚の法事でした。お酒を飲めば車で動けなくなるので、朝早くから9時ごろまで「しんぶん赤旗」日刊紙と日曜版の配達をしました。約4時間ほどかかったのは、途中で野の花が目にとまったから。
 最初に見つけたのは小川沿いに咲くコシジシモツケソウ(画像)です。場所は吉川区吉井地内。小学校の校長先生から数年前に教えてもらってから、この花は毎年撮影してきました。もう咲き始めて数日は経っているようですが、ほれぼれする美しさはいつものとおりです。市内では大島区板山から大平にいたる川沿いで見事な群落を見ることができるので、私のカメラより良いカメラを持っている杉本前議員と一緒に撮影に行こうと約束しています。
 もうひとつ、ヤマホタルブクロも撮ってきました。これは地元の代石の善長寺(本願寺派)の土手に咲いているものです。白い花のなかに薄紫色の斑点があるので、ここのヤマホタルブクロ(画像)も気に入っています。山間部に行きますと、ピンク色に近い花をつけるヤマホタルブクロもあります。そろりとトリアシショウマも咲くころです。明日は活動の合間をぬって野の花の撮影に出かけたい。


2008年05月23日

花の匂い

 乗用車から降りた途端、甘い匂いに包まれました。足元にはたくさんの花が落ちています。そして頭上には……、やはりと思いました。ニセアカシアの木の枝が広がっていた(画像)のです。もちろん、白い花をいっぱいつけて。場所は大潟区の高速バス停車場入口付近です。いま、大潟区はあちこちでニセアカシアの花が咲いていますが、突然、こんな素敵な匂いを味わう場面に出合うと酔ってしまいます。この花はあと3日くらい持つかどうかというところでしょう。まもなく散るはずです。土手を駆け上がり、花を5房ほど採って車の中に入れました。こうすれば、2日間ほど甘い匂いを味わえるからです。

 このニセアカシアの匂いのことを妻に教えたところ、妻もまた花の匂いを味わってきた話をしてくれました。父の入院している病院から高速バスに乗るため歩いていたら、シロツメクサの匂いが漂ってきたというのです。シロツメクサというのは白いクローバーです。この花なら、わが家は牛飼いでしたから、よく知っているのですが、いい匂いがすることを知りませんでした。花が咲いているうちに、どんな匂いなのか確かめておきたいものです。きょうは気温が高くなり、25度を超えたところもあったようです。花が匂いを出すにはちょうど良かったのかも知れません。

 きょうは朝からパソコンとにらめっこでした。市政レポート作成で手間取ったのです。とくに裏面、「春よ来い」がなかなか書けませんでした。先日、伊勢崎市の伯母の葬儀などで聞いた話をもとに書こうとしたのですが、書きたいテーマにブレがあって、ぶらぶらしてしまう状態から抜け出せませんでした。ま、明日の朝までには、もう一回ゆっくり読みなおして、書き直しをすることになるでしょう。「しんぶん赤旗」読者の皆さんには、現段階での文章が載った市政レポートを折り込みましたので、日曜日の朝、新潟日報などの一般紙に折り込まれるものと比較してみていただけたらと思います。


2008年05月06日

10数年ぶりに学生時代の友人と再会

 連休最終日。ずっと気になっていた学生時代の友人と再会することができました。人生のいろんな場面でアドバイスをしてもらい、いつも励まし合っていた大事な友人です。選挙後まもなく、「上越市の結果を日刊紙で読みました。すごく詳しく伝えていましたね。貴方の奮闘振りが目に見えるようで嬉しくなりました。とにかく地道で誠実な活動が人の心を動かしているのだなあと思いました」とメールをくれました。時間をつくって会おうねといいながら、なかなか会う時間をつくれないでいたら、あっという間に10数年が経っていました。

 定年まであと2年、子ども好きな友人は小学校の校長先生になっていました。糖尿病と闘い、少しやせた彼に、「ちょっと顔が変わったんじゃないか」と言おうと思っていたところ、彼から先に、「顔、変わったな」と言われてしまいました。こちらは太りすぎによるものです。大学での同窓、同級生情報は、私よりも彼の方がたくさん持っています。同級生のなかには自分の子どもと別れて第2の人生を歩き始めた人もいました。学校以外の場で最も楽しんでいるのは畑仕事だそうで、何でもつくっているという彼の意欲にはびっくりでした。待ち合わせた親不知のピアパークで約2時間、楽しいひと時をすごした後、海沿いの国道を通って帰ってきました。ピンクの花をつけるタニウツギがもう咲きはじめましたね。

 


2008年04月02日

「最近、ちょっとやせたね」

 一転して晴れ。きょうは上天気でした。おかげできょう予定していたビラ配布活動は計画を大きく上回る枚数をやることができました。なるべく歩くようにしたので、汗もかいて、とてもいい運動にもなりました。久しぶりに会った人からは、「最近、ちょっとやせたね」といううれしい言葉もかけてもらいました。体重を計っていませんので、実際の数値はわかりませんが、これまでずっと「また、太くなんなったねがかね」という言葉ばかり聞いていたので新鮮!感激!

 このほかにも、いろいろな情報が入ってきました。ひとつだけ書いておきましょう。先月末で退職されたある職員さん、この方は吉川区以外に住んでおられるのですが、この人のキョウダイだという人から声をかけてもらいました。退職された職員さんとは市役所の食堂で何回か言葉を交わしたことしかなかったのですが、私の議会活動やこの日記のことなどが吉川区在住のキョウダイの方に丁寧に伝えられていたので、びっくりしました。私の議会活動報告がこうしてよそからも入ってくるというのは、ありがたいです。

 きょうはスミレ(画像)と出合いました。今年初めてです。太陽の光をいっぱい浴びて、花ビラをぐっと開いた様子はとてもうれしそうでした。このほかにもヒメオドリコソウ、タネツケバナなども目に入りました。歩くと、どうしても野の花が気になります。


2008年03月28日

コシノコバイモ

 昨日まで議会でしたので、大急ぎでやらなければならないのは「しんぶん赤旗」の集金です。きょうは日曜版の配達をしながら30軒ほど集金できました。忙中閑あり。あるお家で、帰り際、ふと目に留まったのはコシノコバイモ(画像)です。先日の「囲む会」の場で、野に咲くコシノコバイモは種でどんどん増やせると聞いていたのですが、見てびっくりでした。花のコンテナのなかに10本前後、見事に咲いていたのです。この花を見たおかげで、きょうはいい気分でした。


2007年10月24日

大学院生と尾神岳へ

 きょうは京都から大学院生のMさんがやってきました。目的は上越市の地域自治区と地域協議会について、編入された自治体の議員はどうみているかをききたいということでした。空は真っ青。紅葉は進みつつある。こういう時に建物の中でじっとしているのはごめんです。できるだけ青い空の近くまで行きたい。山に入りたい。上越市がこういう仕組みをつくったかを目で見て考えるには絶好の場所があるよと、尾神岳へ誘いました。

 尾神岳はヤマウルシやカエデなどが紅葉し、ナナカマドが赤い実をキラキラ輝かせていました(画像はここ)。もう1週間も経てば、紅葉は最もいい時期を迎えるなと感じてきました。2人で展望台まで上がり、そこから上越全体の説明をしました。973平方キロの面積というのはどれくらいか、新上越市は中山間地をたくさんかかえた市であることなどを目で確認してもらいました。昨日、合併前の上越市の議員から理論面で教えてもらったというMさんですが、「こういうフィールドワークもいいですね。地域自治区と地域協議会をつくった理由が分かりました」と語っていました。

 Mさんはわが家の末っ子よりも若く23歳。親子ほど離れた歳でいながら、山に入れば、私と同じことを考えていたのには驚きました。アキノキリンソウ、オヤマボクチ、ノコンギク、ツルリンドウなどを教えると、きれいだと言ってはデジカメに撮っていました。また、「いもご」(ムカゴ)にも強い関心を示し、「これは美味い。酒のつまみにぴったりですね」。私も、尾神岳に登って話をしたおかげで、「いもご」やサルナシの実をたくさん採ることができました。明日か明後日は今年2回目の「いもご入りご飯」を炊くことになるでしょう。


2007年10月06日

シラネセンキュウが咲いている

 今回の「春よ来い」は先日の吉川高校の最後のロードレースのことを書きました。この日記にも書いたのですが、初めて書くつもりで文章にしました。ところが、文章の最後がなかなか決まらず、今朝の印刷時に大幅に修正しました。そして、ホームページに掲載する段階になって、さらに修正しました。文章は生き物です。明日になれば、また変わっているかも知れません。昨日の市政レポートの裏面で読まれた方はホームページに掲載したものも、ぜひご覧になってください。

 きょうは一日のうち、殆んどの時間を吉川区で動き、「しんぶん赤旗」の配達、集金をしました。先月下旬は議会などで忙しくて、ほとんど集金出来なかったので、楽々しました。ある家で、声をかけたら、「おらもいるがど。入んない」と、そこの家でお茶を飲んでいたKさんに誘われました。同郷の人同士でお茶飲みをしていたところへ、もう一人、同郷の人間が加わったものですから、その後のことは言うまでもありません。父の具合や昔の話、さらには市議会の一般質問のテレビ中継にまで話は及びました。

DSC07285.JPG 山間部では道草をしました。シラネセンキュウが目にとまり、何枚かをデジカメに撮りました。ミゾソバもきれいなピンク色をしていました。それと、朝、日刊紙の配達の時に、ある読者の家でクルマバハグマの花を見つけました。もう時期的には遅いのですが、それでも、線香花火がパチパチやっている感じで花が開いていました。この花を確認したことがある林の中に入って、こちらも数枚、写真に撮ることに成功しました。今年は会えないと思っていただけに、うれしかったです。


2007年09月18日

昨日の続き。中学時代の友人と尾神岳で遊ぶ

 昨日のことで書き忘れたことがあります。中学時代の友人が東京からやってきたので、約3時間、尾神岳で楽しいひと時を過ごしたことです。この友人とは、毎年、お盆に一緒の時間をつくるのですが、必ず尾神岳に登っておしゃべりをして楽しんでいます。今回は見晴らし荘でソバを食べ、報尽碑、パラグライダーのスタート地点、大出口泉水周辺を散策しました。

 今回、彼はお連れ合いと一緒。それに地元の同級生も。修繕工事が終わったばかりの報尽碑を初めて訪れた同級生夫婦は、明治16年3月12日の雪崩事故に深い関心を示し、碑に手を合わせました。帰りに、雪崩の現場ではツリフネソウとジャコウソウが美しい花を咲かせていたので、お連れ合いにツリフネソウを一輪プレゼントしたところ、それから野の花が次々と目に入ったようです。ツリガネニンジンも少し咲いていました。ミズヒキ、キンミズヒキ、ゲンノショウコもたくさんあったので、東京へ持って行って植えたいと、こいでいました。最後にキツリフネを見つけた時は、みんな大喜びでした。尾神岳へ行くと、どうしても野の花三昧となってしまいます。

 パラグライダーの基地では感動的な場面に出会いました。ひとりの青年がパラグライダースクールの山本校長と一緒に初飛行する様子(画像)を見ることができたのです。吹上げてくる風が強くなってくるのを待って、迷わず「走れ!」という号令の中、スッと飛び立って行きました。私のすぐそばにいた若い女性と小さな子どもがその様子をうれしそうに見ていたので、「いまのは、お父さん?」と尋ねたら、「そうなんです」。「初めての飛行なんでしょ?」と続けたら、「はい!」。若い夫婦と子どもは高田からやってきたのだそうです。

 きょうはうれしいことが1つありました。地元の上越タイムス紙に高田ロータリーアクトクラブのみなさんが「郷土本を図書館に寄贈」という記事が載っていて、その写真の中に私の『春よ来い』(同時代社)の姿も見えたのです。ありがたいですね。さて市議会は、建設企業常任委員会2日目でした。この委員会は、「本城委員会」という言葉があるほど本城文夫議員の発言が多いのが特徴の1つです。これまでの委員会で市側がどういう答弁をしてきたかをふまえて、住宅問題などで次々質問を繰り出す。私の場合、ややもすると、過去に何を質問してきたかを忘れて質問をしてしまうケースがあるだけに、勉強になります。きょうは、若手の渡邉、松野議員も地元問題を中心に発言をしていました。


2007年09月13日

コシヒカリと米山

 きょうは予定を変更して吉川区にとどまり、『山里再生』(自治体研究社より刊行予定)の原稿書きに精を出しました。400字詰原稿用紙で換算すれば10数枚は書いたことになるでしょう。私の場合、ひたすら書き続けるためにはコーヒーが必要です。朝から晩までに6杯くらいは飲んだのではないかな。書いてみて思ったのは、記録の大切さです。「消えた集落」という章で半入沢のことを書いたのですが、「町政レポート」で記録しておいたおかげで、19年前の悲劇(火事など)についてありありと思い出すことができ、原稿にすることができました。第一稿提出締め切りまであと1日。今晩どれだけ書けるかで間に合うかどうかが決まります。
yoneyama.JPG
 原稿書きの途中、気分転換をしました。デジカメを持って、吉川区、柿崎区内を30分ほどまわったのです。少しもやがかかっていたので、風景写真はいまひとつという感じでしたが、風景は昼間いる時でないと撮ることができません。尾神岳や米山の写真を何枚か撮りました。稲刈りの方は五百万石、コシイブキが終わって、コシヒカリの刈り取りに入る直前です。田んぼで実った稲がとてもきれいでしたので、「コシヒカリと米山」などのセットで写真を撮りました。このうちの1枚を掲載します。これは柿崎区上直海の田んぼで撮ったものです。きょうは、この他にシロバナサクラタデの花も写真に撮ることができました。これは、いつ見ても美しい。


2007年05月18日

その花は雑木林の中で輝いていた

 もう何年も会いたくてたまらなかった花、庭先ではなく自然の中で咲いている姿を見たいと思い続けてきた花があります。その花の名前はキンラン。数年前、中山間地のある赤旗読者の方の庭で咲いている姿を初めて見ました。茎がすっと立っていて、黄色の花がいくつもついていました。見ていて、ボオーッとするほどきれいでした。その時、昔は家の周りにもあったものだが、いまはまったくなくなったとお聞きしました。幻の花とあきらめていたのですが、先週、その隣の集落のある方から、「山に咲いていた。近くにはギンランらしきものの姿もあった」と。もうじっとしていられません。
 きょうは野の花に詳しい人からも情報をもらい、めぼしをつけていた山に入りました。車で近くまで行き、ここらへんにありそうだと雑木林に入って1分も経たないうちに明らかにラン科の植物と思われる群落に出会いました。20本くらいはあったでしょう、そのうちの1本に白い花が付いていました。ササバギンランです。われながら、勘の良さにびっくりしました。この花は、来週あたりになればたくさん咲くことでしょう。それから約1時間、雑木林を歩きましたが、黄色の花にはなかなか出会うことができませんでした。最後は再び車に乗って山を変えました。そこで降りて、約5分後、ついにキンランと出会いました。近くには杉林もあり、意外なところに咲いていました。薄暗い林の中で、はずかしそうに黄色く咲いている姿は仏様の様でもありました。
 きょうは何となく気分がすぐれませんでした。市政レポートもなかなか書けず、お昼近くまでかかってしまいました。こうなれば、気分転換に山に入ろう、そう決意して、デジカメを持ち、軍手、長靴姿で動きました。山に入ったことで「しんぶん赤旗」日曜版の配達は半分くらいしかできませんでしたが、キンランと出合ったことで気分は最高です。夕方には発泡酒350㏄を飲み、祝いました。


2007年04月13日

桜の本場からわざわざ尾神のしだれ桜を観に

 うれしい電話がありました。昨日、高田の桜は満開になったと測候所が発表していましたが、その桜の本場である高田から1人の年配の方が私のHPを見て、わざわざ尾神までしだれ桜を観に来てくださったというのです。尾神のしだれ桜はまだ花がつきはじめたばかり、満開は来週後半でしょう。その方には、しだれ桜だけでなく、これから次々と咲く尾神岳周辺のヤマザクラの美しさについても宣伝しました。
 きょうも朝はビラの作成でした。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。選挙のお礼の挨拶も兼ねながら、久しぶりにゆっくりと廻りました。「おらも協力させてもらったがだけど残念だったね」「7000から更に伸びると思っていたのに、伸びなかったので、信じられない思いだった。これでめげずに次回は勝ってくんない」などたくさんの声を寄せてもらいました。こうした励ましのおかげで、元気になります。明日も半日かけて読者周りをしようと思います。
 夜になって、商業新聞に折り込むビラ(市政レポート吉川版)の印刷をしました。印刷を始める前になつかしい声が聞こえてきました。カエルたちの鳴き声です。まだ大合唱にはなっていません。遠慮して鳴いているような低い声でした。きょうの昼間はトラクターの音も聞こえてきました。いずれも、春が来たことを実感させてくれます。


2007年01月13日

歩いた 笑った

 朝になって一番の関心事は父が歩けるようになるかどうかでした。昨日の様子では、簡単にはいかないと思っていたのですが、母に手伝ってもらってトイレまで何とか歩いたと聞いて安心しました。ぐっすりと休んだのが何よりの薬になったようです。そして、父のベッドの所へ行って、「どうだね、調子は?」と声をかけたら、「なんだ、とうちゃんか」と言って笑顔を見せてくれました。
 赤ちゃんが生まれてから、家族は、笑ったとか、はったとか、歩き始めたなどと言っては喜びます。それと同じようなことが要介護の人間をかかえた家庭では話題になるんですね。私の祖母は生まれる前に亡くなっていますし、祖父は病気を出してから1週間で亡くなりましたので、いま、父の介護を通じて見聞きすることは初めてのことだらけです。
 昨日ときょうは新年になって最初の「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。役所を除いて、すべて新年の挨拶をしながらの配達となり、結構時間がかかりました。でも、雪が少ないだけ助かります。それに、「ビラで読んだ時とはちがった味があるね」「息子がこたつで1人笑いをしているので何をしているのかと思ったら、おまさんの本を読んでいたがど」など、『春よ来い』のことを語ってくれる人も何人もいて、いい気分で仕事ができました。
 新刊『春よ来い』は先月20日に出たのですが、HPで紹介してくださる方が相次ぎ、とても助かっています。最初は先月21日の上野公悦市議団事務局長の日記、つづいて今月の8日には法政大学の五十嵐仁教授が「転成仁語」でたっぷりと紹介してくださいました。また昨日は、長野県松川村の前村議、井川のぶ子さんの日記でも読後の感想を書いてくださいました。こうしたいろいろな人たちの応援のおかげで、上越タイムス紙での今週の本のランキングでは6位に浮上しました。感謝です。


2007年01月12日

父帰る

 今年初の市政レポートづくりをしました。当初、年末に実施していた市長への予算要求と昨日の新潟日報のトップに掲載された幼児の入院時の医療費助成に関することを書くつもりでしたが、予算要求に関する記事のボリュームがあって、それ一本のレポートにしました。40回近い「橋爪法一を囲む会」で出された要望をどう市政につなげたかをはっきりさせるためにも、中途半端な報道をしたくなかったからです。
 午後からは、ショートスティに入っている父を迎えに長女とともに行ってきました。父にとっては、二泊三日のショートスティでした。父は長女の顔を見たとたんに涙ぐみ、「じいちゃん、泣なかんでよ」と言われていました。車に乗っていても、まだ、旅行へ行くのかと思っているらしく、「どこへ連れて行ってくれるのか」という言葉を連発しました。家についてからがたいへんでした。車から降りても歩けないのです。母と長女と私の3人でやっとベッドまで連れて行きました。慣れない所へ行ったことが強いストレスになったのか、ベッドに入るなり、すぐに眠りました。
 午後3時頃、上野公悦さんから携帯電話がありました。一緒に動いてほしいという要請でした。じつは、きょうは上野さんと行動する計画を数日前にたてていたのですが、父の入退所のことで頭が一杯になっていて、失念してしまいました。介護というのは、こうした計画を忘れさせてしまうほど、いろんなことが次々と起こることを知りました。


2007年01月11日

ビラづくりの妙

 定期的に発行しているビラに限っての話かもしれませんが、新年になって最初のビラ作りの「乗りの悪さ」というのがあります。いいものを作ろうという意欲を持って新年号を作って、しばらくビラづくりを休み、その後の最初のビラづくりです。どういうわけか、毎年、悪戦苦闘してしまいます。証券会社だかどこだかのように、気合を入れる儀式をやったほうがいいのかも知れません。来年からは議員団全員で集まって、「いよー、パンパンパン、パンパンパン」とやろうかな。きょうは早朝から議員団ニュースを作成し、ついで市政レポート作りの準備に入りました。
 午前中はまず父が入所している施設を訪ねてきました。昨日の夕方、訪ねた時の父の様子で気になったのは、私と会った時のいつもの笑顔が消えていたことでした。家族の姿が自分の周りから消えてショックを受けたのではないか、そう直感し、適度に顔を見せておかないとたいへんなことになると思ったからです。訪ねた時はちょうどお茶の時間でした。父のそばに座り、目やにをとったり、耳の掃除をしてきました。数十年前、わが家のあった蛍場から「上」(かみ)という屋号の家が高田に出ました。父は入所している施設をこの家と勘違いしたらしく、「上の家もりっぱにしなったもんだ。廊下が広い。金もかかっただろう」などと言っていました。
 午後は県議選政策宣伝担当者会議でした。党の県選対部長からきてもらって、全戸ビラの内容をどうするか、横顔リーフレットをどうするかなどについて話し合いました。私が当初つくったA4サイズ裏表の横顔ビラはレイアウトを一部変更し、そのまま使うことにしました。上野公悦さんのこれまでの歩みなどを詳しく紹介するリーフレットは近日中に県選対部長からもう一度きてもらって、がっちり取材して書くことになりました。長岡市選挙区の県議選出馬予定の竹島良子さんのリーフレットを読ませてもらいましたが、彼女の人間性がくっきりと浮かび上がり、とても分かりやすいものでした。人には必ず歴史があって、その人がどんな人かわかるエピソードもある。それをつかめば、横顔ビラもリーフもうまくいくものだといいます。竹島さんに負けないものをつくりたいと思います。


2007年01月10日

初めてのショートスティ

 きょうは父が初めてショートスティ(短期入所事業)に行く日でした。数日前から教えておいたのですが、本人はすっかり旅行に行くものと思い込み、小遣いは持っていかんでいいがか、などとそわそわしていました。母によると、昨晩は1時間に1回起きてトイレに行くほど興奮していたようです。一方、家族は気を使いました。今回の入所次第では二度と行かないと言う可能性があるからです。間違っても、家族に見放された、おいていかれたと思われないようにしたい、というのが家族の気持ちでした。最初は、長女が車に乗せていき、午後から私が入所した父を訪ねる計画でしたが、最終的には、長女の運転する車に私と母も乗り込み、送り届けることになりました。
 家から約30分のところにある施設です。着いた時に待っていてくれたのは、介護担当のHさん、とてもやさしい感じの女性でした。入所の手続き、薬剤師さんとの打ち合わせを済ませたのち、Hさんは入所されているみなさんに父を紹介してくださり、その後、5分くらいで父と離れてきました。車イスに乗ってテレビの前のテーブルのそばに陣取った父は無言でした。どうも何か違うようだと思い始めていたのでしょう。帰りの車の中では、長女も母も、「思ったよりも明るくて良かった」、「病院に入れようとした時のように、入ったら認知症がすすんで悪くなるかもしれないという思いはない」などと言って喜んでいました。
 その後、友人とともに新潟市に飛びました。癌と闘っている学生時代の友人を見舞うためです。カナダ在住の同級生からメールをもらい、彼に会って励ましてほしいとの要請があったのが直接のきっかけですが、県議選で動きが取れなくならない内に訪ねたいとは思っていました。闘病中のKさんと県立がんセンター近くのレストランに入り、昔話を楽しみ、県庁などで活躍している同級生の動向などを語り合いました。わが家へ泊まりに来て山芋を掘ったこと、牛乳入りラーメンを食べたこと、日和山海岸で拾った空瓶をお金にかえてパンを買った話はいつまでも忘れないと思います。Kさんは、来月から東京で新たな治療に取り組む予定です。彼は、それまでもってくれればいいが、と言っていました。いまは作り笑いであっても笑うことが大切だとも言い、がんばっているので、綾小路きみまろの爆笑トークCDと私の新刊をプレゼントしてきました。
 新潟から戻って父のところへ向かいました。施設の事務所に顔を出したら、Hさんが、「帰りたがられて……」。テレビで相撲を観ていた父のそばに行くと、目を赤くしていました。おそらく、さみしくて涙がでたのでしょう。若い男性職員のなかに次男と同年代の人が何人かいたのですが、次男と違うことを知って、なおさらがっかりしたようでした。今回のショートスティは3日間です。あと2日間でどうなるか心配になりました。明日も父のところへ行ってこようと思います。


2007年01月09日

市出資企業の違法献金続く

 先月、上越市が出資している2つの企業が自民党上越支部に献金していたことが判明して大きな問題になりましたが、市の調査の中で安塚のキューピットバレー(市が98%出資している会社)も2万円献金していたことがこのほど判明しました。きょうの市議会各派代表者会議でこのことがとり上げられ、日本共産党議員団と市民クラブが早急に議会に対して説明するよう市当局に求めるべきだと主張しました。しかし、現段階ではまだ必要なしという会派がほとんどで実現しませんでした。この調子でいくと、情報をつかんだマスコミには説明して、議会は後回しということが続くかもしれません。こんなことでいいんでしょうかね、議会というのは。
 きょうは市役所の木田事務所で仕事をした後、27日の出版記念会の案内状配布と新年の挨拶回りを兼ねて役所などを訪ねました。このうち新潟県上越地域振興局では、幹部のMさんと30分ほど情報交換してきました。Mさんは『幸せめっけた』を読んで長い感想文を寄せてくださった方で、新著が出て記念会を開く時は必ず声をかけてくれと言っておられた方です。きょう、びっくりしたのは故人である古厩忠夫新大教授とMさんは、Mさんが40代の頃、付き合いがあって、いろいろ面倒を見てもらったという話を聞いたことでした。古厩先生は私たち夫婦の仲人をやってくださった方ですよ、と言ったら、話がはずんで、つい長居をしてしまいました。
 夕方からは常任選対会議でした。宣伝物の中身の検討、組織戦の戦略などについて約2時間、話し合いました。私の担当する実務的な仕事がたくさん出てきました。


2007年01月08日

ふきのとうの天ぷら

 きょうも強風が続きました。朝9時からの直江津の38市(さんぱちいち・3のつく日と8につく日に開催される市)での宣伝行動に初めて参加しましたが、テントは3つほどしか張られていませんでした。強風で店を出せなかったのです。それでも上野公悦さんが演説を始めると、路上で演説を聴く姿がいくつもありました。税制改悪による大増税については関心が高く、この話になった時の聴衆の表情の変化がわかります。
 直江津の38市は私が20代の頃、勤務先がそばだったこともあって、何回か買物をした記憶があります。きょうはみんなが宣伝カーの乗員向けの弁当を買いました。樋口議員の知り合いの人がつくったサザエ入りの弁当です。うまかったねぇ、これがまた。それと、私の大好きなふきのとうがもう出ていました。暖冬だったので、あちこちに出ているという話は聞いていましたが、見たのは初めてです。1袋300円のものを買い求めました。これは夕飯の時に天ぷらにしていただきました。
 街頭宣伝は直江津の市が終わってから浜通りを大潟区まで進み、吉川区へ入り、昼食後は中郷区、板倉区、牧区などで行いました。牧区では元村議の渡辺靖子さんの家に寄り、お茶をご馳走になりました。たくわんと野沢菜漬がとてもおいしかったです。暖かいお茶と漬物のおかげで疲れの出ていたアナウンサーの声もよみがえり、夕方まで元気な声を響かせることができました。


2007年01月07日

強風

 天気予報どおりの強風でした。午前9時半から初めて消防出初式に参加しました。この時は建物の中でしたので、どうってことはありませんでしたが、帰りには風に軽トラが揺られました。午後からは親戚の挨拶回りです。県議選対策でいつもより遅い挨拶をわびながらまわりました。
 夕方、吉川区総合事務所に寄って、強風による被害状況を確認してきました。住宅はやられていませんでしたが、旭地区で作業所、倉庫など3棟の屋根が被害にあっていました。明日、確認してこようと思います。佐々木総務グループ長の「被害にあったところはいずれも風の通り道だ」という言葉を聞いて気になったのはわが牛舎でした。ここも風の通り道だからです。帰ってみると、牛舎の堆肥舎だった建物のトタン屋根が2枚まくられ、飛ばされそうになっています。急いで釘を打ってとめました。いやー、危なかった。


2007年01月06日

武士の一分

 昨晩、妻に映画に行こうと誘われました。それどころじゃないよ、と最初断わったら、「冷たいのね」という言葉が返ってきました。でも、考えてみれば、正月休みもなし、家庭サービスゼロです。それに映画はぜひ観たいと思っていた藤沢周平原作・山田洋次監督の『武士の一分』でした。考え直して、「分かった、行こう」と最終的には誘いに乗ることにしました。
 でも妻の言うことをきいてよかった。まず三村新之丞役、主演の木村拓哉の演技が見事でした。目が見えなくなってから、庭に出て木刀を振るシーン。観ているだけでも怖くなる迫力に圧倒されました。決闘シーンもすごかった。歌手としてだけではなく、俳優としても見事な集中力、ひきつけられましたね。加世役の壇れいは初めて見ましたが、山本周五郎の小説に出てくる誰か(名前は思い出せず)に似てましたね。徳平役の笹野高史もぴったりでした。この人は私とほぼ同年代ですが、これから年寄り役でどんな演技をみせてくれるか楽しみです。
 映画では「武士の一分」ということよりも男の一分、夫婦の絆のことを考えさせられました。坂東三津五郎演じる番頭の島田の罠にはまった加世を離縁するシーンに代表される男としてのやりきれなさ、切なさの連続、よく伝わってきました。そして何よりも最後の場面が感動でした。決闘が終わって、「飯炊き女」として徳平が連れて来た女がつくったご飯、芋がらの煮物を食べ、その味で加世だと分かり、加世の手を握る新之丞、もう涙がぼろぼろと出てしまいました。私もいつかこんな歴史小説を書いてみたい。


2007年01月05日

集団の知恵

 正月も5日、これほどいい天気になるとは。雪がなくて、青い空が広がっているなんて最高です。米山も尾神岳も美しく輝いていました。もちろん写真も撮りましたよ。このページの写真をごらんください。きょうは午前中、家で様々な用事を足しました。牛舎の漏電防止電気工事の手配、27日に吉川区坪野のスカイトピア遊ランドで行う『春よ来い』出版記念会の案内状の送付先の整理、本の発送などです。
 午後からは市役所で1時間ほど仕事をしたのち、家に戻り、パソコンにむかいました。3日に作成した上野公悦県議候補の横顔について党県委員会の選対部に意見を求めたところ、レイアウトなどでいくつかの注文が出されました。ビラに書いた原稿についても「証明ナシで決め付けた言い方をしないこと」などのアドバイスもありました。最終的には地区内の選対会議で決まりますが、集団の知恵が生かされたビラになりそうです。


2007年01月04日

新年祝賀会

 きょうは役所の仕事始めです。吉川区総合事務所で新年の挨拶まわりをした後、上越市の新年祝賀会に参加しました。会場のリージョンプラザに着いたら、いきなり長井議員に、「どうしたね、元気ない顔して」と言われました。昨晩、ヒゲをそって、朝はそらなかったことも影響したのでしょうが、どうも、ここ数日の疲れが顔に出てしまったようです。でもこの一言で顔はしゃんとしました。議員仲間や行政の幹部、吉川区の参加者などと元気に挨拶を交わしました。
 祝賀会では高校時代の友人やお世話になった学校の先生などと久しぶりに話ができました。うれしかったのは、こうした人たちの中に何人も私の新刊を読んでくれた人がいたことです。「いつ文章を書いているんだい」「感動したよ」などと声をかけてもらいました。中には気の早い人もいて、次の本はいつ出すんだい、と聞いてくる人もありました。
 午後からは市役所木田事務所での挨拶回りを上野公悦事務局長とも一緒に議員団全員でやりました。それが終わってすぐに、地元商工会の新年会に参加しました。きびしい経営を強いられながらも、今回は昨年より10人ほど参加者が多くなりました。会長からは、「地元選出の橋爪議員からはもっと経済情報を出してほしい」と注文をされました。ありがたいことです。近くに住んでいながら、普段会って話ができない人も多く、宴会は2次会までお付き合いさせてもらいました。若い会員さんたちとは、昨年の「やったれ祭り」などの経験をふまえて、参加型のまちづくりをどうするかなど大いに議論しました。


2007年01月03日

横顔作成

 せめて横顔ビラくらいないと…。上野公悦を応援する方がたのそんな声を聞いて、午前中はビラづくりに専念しました。とりあえずは、白黒印刷できるタイプのものを作成、印刷屋さんへまわすカラー版はこれからとなります。表面は上野さんの笑顔を大きく載せました。普段どおりのいい笑顔です。裏面には政策と杉みき子さん、長崎明元新大学長の応援メッセージなどを掲載しました。白黒印刷でも、結構よくなりました。これから1日寝かせて、再点検したうえで印刷屋さんから印刷してもらいます。カラー印刷すれば、ぐんとよくなることでしょう。
 午後から、党事務所に白黒印刷したビラを届けました。また、『春よ来い』を注文していただいた方がたのところへ本を届けにまわりました。サインをしてほしいという人が何人もいて、けっこう時間がかかりました。
 夕方、上川谷へ市政レポート新年号を届けに行きました。12月上旬には、8軒14人が住んでいたのですが、そのうち1軒は春まで東京暮らしです。あとは全部在宅かと思ったら、MさんもSさんも東京とか。Mさん宅では玄関に羽目板がしてありました。ふたりとも、私が声をかけると、いつも、「何だ、おまさんかね。お茶飲んでいきない」という言葉が返ってきます。きょうはとても、さみしく感じました。ふたりは小正月には帰ってくるそうです。早く会いたいものです。
 「春よ来い」第73回「晴れ姿」を掲載しました。ご笑覧ください。


2007年01月02日

勝利へのイメージが膨らみ始めてきた

 2日は党市議団の新春街頭宣伝です。新春だの、終戦記念とかいった時にやる街頭宣伝で、お決まりのコースになりつつあるのが、大島区あさひ荘での昼食、昼寝です。頸城区からスタートした宣伝活動では、板倉、清里、牧、安塚の各区で上野公悦事務局長がマイクを握りました。そして12時半にはあさひ荘に到着、釜飯を食べたのち、風呂に入って昼寝です。わずか1時間半ほどの休憩ですが、ここでゆっくり風呂につかり、体が暖まったところで横になる。みんな、これを楽しみにしています。リフレッシュしたところで、午後2時から吉川区、浦川原区、合併前上越市で宣伝活動を繰り広げました。浦川原区や直江津での街頭演説では、支持者の方が駆けつけ、激励してくださいました。私は昨日、きょうと運転手です。2日間も続けたら、市議会議員よりも宣伝カーの運転手の方が似合う感じになってきました。
 夜は今年最初の県議選選対会議でした。作戦計画、体制の確認などを2時間かけてやりました。頸城区以外では候補者の名前も顔もほとんど知られていないなかで、どうやって勝利していくか。宣伝、組織活動の計画をしっかり立てていかないといけません。明日以降のスケジュールも次々と決まりました。私の担当は政策づくり、宣伝です。ここ数日中にやるべき仕事をいくつももらいました。明日は宣伝カーには乗らず、パソコンとにらめっこすることになります。ここ数日間、上野公悦さんと一緒に行動する中で、勝利へのイメージが膨らみつつあります。これが膨らみきって、行動が伴えば勝てる。気合が入ってきました。


2007年01月01日

元日から街宣

 昨晩から冷え込み、霜が降りました。でも、きょうの朝はすばらしい日の出となりましたね。ゆっくり太陽が昇り、尾神岳の周りがが赤くなりました。日中も、これまた元日にふさわしい好天でした。地元集落の年始会は朝9時から。ほとんどの家から参加がありましたが、話題の中心は天気でした。「こんないい正月はない」昨年の大雪の記憶がまだ鮮明だから、そういう気持ちになるのでしょう。
 毎年、元日は地元集落の年始会で酒を飲み、それから寺年始にでかけ、年賀状を書くのが固定したパターンになっておりましたが、今年は酒を飲みませんでした。「どうして飲まんがだね」と聞かれたので、きょうは上野公悦さんと街宣だ、しかも運転手だと答えましたら、「がんばってくんない」と激励されました。午前から夕方5時まで、上野公悦さんや阿部地区委員長などと一緒に頸城、大潟、柿崎、吉川の各区を回りました。
 新聞の1面を見たら、「首相、今年こそ改憲決意」との見出しがすぐ目に入りました。どこかのおえらい政治家のぼっちゃんといった感じで付き合っていると、とんでもない方向へ日本を持っていく首相です。きょうの新聞記事を見て、やはり、安倍首相は戦犯総理の孫だと再認識しました。教育基本法改悪関連の法律改悪、憲法改悪と進めないようにするためにも4月の一斉地方選、7月の参院選、日本共産党の躍進が必要です。今年も頑張ります。よろしくお願いします。


2006年12月31日

1年間ありがとうございました

 きょうは大晦日、新聞の配達集金もラストスパートです。夕方4時半過ぎまでがんばりました。何回訪ねても留守の家が数軒あり、集金100%にはなりませんでしたが、昨年より未集金件数は減りました。がんばったほうです。年賀状書きは、きょうからはじめました。明日の朝までには終了させます。
 次男が帰ってきて、きょうは家族7人全員がそろって夕飯を食べました。すき焼きをみんなで楽しくいただきました。食べている間、ずっとニコニコしていたのは父です。孫の顔を見ることができる、それだけでうれしいのでしょう、何度も長男、次男の顔を見ながら、「家族みんなの写真撮ればいいのに…」を繰り返していました。もちろん、写真は私の方で撮りました。
 「ホーセの見てある記」、これで2006年は最後となりました。ご愛読くださいました皆さんには心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからも日々の生活記録、活動記録として続けていきたいと思っていますので、新年もよろしくお願いします。


2006年12月30日

山間部で配達、ソバやモチをご馳走になりました

 山間部は雪がまた降り、25センチほどの積雪になりました。今年最後の「しんぶん赤旗」日曜版なので、1軒1軒挨拶をしながら、配達集金をしました。この地域は、12月議会中、仲間や後援会の人たちから配達してもらっていたこともあり、みんな懐かしがって声をかけてくださいます。「テレビで(質問の様子を)見ていたよ、がんばっているね」「原発の問題、気になっていたがだ」「道の問題、懇談会で言った事、ちゃんと取り上げてくんなって、ありがとう」などといった声を寄せてもらうと、議員としてはうれしいですね。
 配達をして、きょうはいろいろなものをご馳走になりました。昨日ついたばかりのモチを焼いて食べさせてくれたのはHさん。もちろん、新米のモチです。ねばりっけがあって、とてもおいしいモチでした。Sさんのところでは、ちょうど、そば打ちをしている最中でした。「コタツに入ってちょっと休んでいてくんない、じきにできるから」と言われ、できたばかりのソバをいただきました。Sさんは、同級生にも頼まれて、年越しソバをつくっておられたのでした。いやー、タイミングが良かった。
 『議会と自治体』新年号に掲載されたHP座談会を読んだ人から初めてメールがきました。魚沼市のKさんです。メールには、「私も自分流でホームページを開設しています。機会があつたら、見てご指導下さい」とありました。こちらは指導できるようなレベルには到達していませんが、今回の座談会の記事を読んで、開設しているHPを充実させようとしている人がいることはうれしいことです。KさんのHPを見たら、ガッツあふれたトップページになっていました。


2006年12月29日

やはり冬、また雪になりました

 また雪です。月初めに降った雪がどんどん消えてなくなり、20日くらい雪の無い生活をさせてもらいましたので、そろそろやってきそうだなと思っていたところでした。吉川区の山間部は20センチほど降ったそうです。私の家の周りは1センチくらいでしょうか。今回は風が強い。こういう時は平場は少なく、山間地が積もります。
 きょうは朝から晩まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。今年最後の配達でもあるので、1年の区切りの挨拶もして、議会の感想なども聞いて、となりますと、結構時間がかかります。明日は山間部での配達です。雪の降り方がほどほどであればいいのですが。
 夜は疲れたので妻と一緒に柿崎区のハマナス温泉センターへ行ってきました。ここのホテルのお風呂は何回か入っていますが、こちらは初めてです。お風呂はあまり大きくなく、銭湯のような雰囲気があって、大衆的な感じでした。体がとても温まり、家に戻っても体がぽっぽしていました。


2006年12月28日

『春よ来い』ランキング入り

 一生懸命さがしても見つからない。よーく考えてみたら、自分が持っていた。こんな失敗をまたしてしまいました。10日前に脳外科で診察してもらった際に、健康保険証がないということで、今月中に届けることになっていました。じつは保険証が新しくなってから一度も使ってなく、家のどこかにしまいこんだものと思い込んでいたのです。さがしているうちに、長女に、「自分のものは、自分で持っているんじゃないの」と言われ、ハッとしました。そういえば、保険証は一人ひとりに出されていたんだ。ということは……。自動車運転免許証と一緒になっているのを「発見した」のは、それから間もなくでした。これなら、医者のところへ行った時にも持っていたはずなのに。あー、情けない。
 きょうは、午前中に脳外科まで行き、午後、吉川区に戻りました。役所は、きょうが御用納めです。そのため、「しんぶん赤旗」日曜版を1日早く配達しました。31日号と7日号の合併号ということもありますが、県議候補が決まったことから、上野公悦さんを紹介するチラシなどもあって、たいへんぶ厚いものとなりました。すでに多くの人たちは、上野さんの出馬を知っています。「いよいよ始まったね」「たいへんだけど頑張ってくんない」などといった声をかけてもらいました。ありがたいことです。明日から2日間は役所以外の配達、集金です。どんな声が寄せられるか楽しみです。
 夕方、高田の春陽館書店から本の追加注文がありました。社長さんの話によると、順調に売れているようです。今朝の上越タイムスでは本のランキングの8位になっていました。1週間にどれだけ売れたのか知りませんが、滑り出しとしては上々です。私の本は前著もそうでしたが、読んだ人が広めてくださいます。でも、このようにランキング入りすることも1つの宣伝になります。来週、再来週とどうなっていくか、楽しみがひとつ増えました。


2006年12月27日

市役所での今年最後の仕事をしました

 午前は自治基本問題特別委員会、午後から新年度市予算編成などに関する市長への申入れでした。市長の都合がつかなかったということで、中川助役が応対しました。事前に議員団で協議時間をとって整理したので、市民の皆さんから寄せられた要望は項目ごとに区分してあります。要望書を改めて見てみると、市政の課題は地域自治区、在来線、品目横断的経営安定対策など山積みです。市民の立場にたって、ひとつひとつの課題にぶつかっていくには一に勉強、二に勉強です。
 年越しまであと数日だというのに、年内にやるべき仕事がまだいくつも残っています。きょうは、そのうち、市政レポート新年号づくりに精を出しました。表紙の写真は毎年、新しい年のHPのトップページに載せるものを使います。今回は下町から尾神岳を望む風景にしました。ここも田んぼがあり、稲の生育具合などをみてもらえます。問題は裏面、下段は一般質問の残りの部分を紹介することにしました。あとは、「春よ来い」です。新年にふさわしい話題をと構想を練り、準備しました。これは明日の午前中に一気に書きます。
 昨日の記者会見で日本共産党の県議候補が出ることがはっきりして、無競争はなくなりました。これで各候補の動きがにわかに活発化した感があります。市役所では現職の県議会議員と偶然会って挨拶しましたが、挨拶ひとつとっても力が入っていましたね。わが党の上野公悦さんは、記者会見を機にピッチが上がってきました。今年の年末年始はすべての時間を上野さんのために使うつもりでがんばりたいと思います。


2006年12月26日

県議選記者会見

 議員団ニュース作成などで朝早くから忙しい一日になりました。午前は吉川区総合事務所長、次長との情報交換をやりました。地域協議会での吉川区に関する地域事業の勉強会、コミュニティプラザ工事の進捗状況、区内の3セクの動向などについて説明を受けた後、こちらからは議会での審議状況などについて報告し、意見交換しました。地域事業に関しては区内の住民に情報を十分公開して見直し作業をすすめるよう求めました。合併時に吉川区の地域事業としてエントリーしたもののなかには、現時点で、明らかに不要と思われるものもあります。ここはしっかりと対応してほしいところです。
 午後からは記者会見でした。記者会見の場にはこれまで何回か出ていますが、質問される側にすわっての会見は初めてです。少し緊張しましたね。会見は県議選の上越市区における党候補擁立にともなうものです。候補となる市議団事務局長の上野公悦(うえの・こうえつ)さんと市議3人、そして阿部正義党上越地区委員長が会見に臨みました。上野さんは発言能力抜群の人です。きょうも立候補の挨拶だけでなく、新幹線整備と在来線対策、道州制問題、上越地区の農業振興などについてズバズバ発言しました。原稿ひとつみることなく、自分の思っていることを堂々と語る、これは彼の大きな魅力です。(写真の左から2人目が上野さん)
 記者からの質問の中には思いがけないものがいくつかありました。例えば、大学を卒業してからどうしたかについては、私でも知らない部分がありました。こちらへ来ても小学校の教師をめざしていたこと、お連れ合いの法子さんは、数年間、臨時講師として勤めていたことなどを聞いて、びっくりしました。公悦さんは岩手県生まれの長男です。法子さんにほれて頸城まで来てしまっただけではないことを、きょうの記者会見で改めて知りました。記者に、「そういう経歴の中で、いまの教育、どう思われます」と聞かれて、教育を語る時の彼の顔は実に生きいきとしていました。この人は子どもが好きなんだと思いました。全力で応援したいと思います。


2006年12月25日

本の話題が広がって…

 今年最後の党議員団会議でした。新年度予算などについての市長への申入れ、自治基本問題特別委員会のまとめについての協議、県議選対策などについて3時間ほど話し合いました。市長への申入れは年内にということで、27日午後1時15分から行うことになりました。県議選に関する記者会見は明日午後3時から、党市議団全員が参加することにしました。
 市役所の木田事務所では何人もの人から声をかけてもらいました。いずれも、『春よ来い』などの注文とか感想です。まず、軽トラから降りようとしたら、吉川区に親戚があるというTさんが近づいてこられ、「何とか『幸せめっけた』心配してもらえませんか」。前著の在庫分はわが家の保存用の数冊しかありません。どこかに眠っているのがないか探してみようと思います。議会で論戦相手となるKさんとはお昼休みに階段のところで偶然会い、数十年前の農家の暮らしのことなどを話しました。Kさんのところでも牛を飼っていたとか、本を読んでとても懐かしかったそうです。吉川区の総合事務所では私と同じ地区出身のHさんから、「おらちのばあちゃんに見せたいし、本ある? ナナトリなんて地名が出るだけで年寄りが喜ぶと思ってさ」。ありがたいことです、そんなふうに受け止めてもらえるのは。
 夜は県議選対策を中心にした会議でした。年末年始は大忙しとなりそうです。会議が終わったのは9時半過ぎ、それから議員団ニュースと市政レポートの新年号の作成にかかりました。明日には「しんぶん赤旗」日曜版のポストおろしをする人もいるとのことなので、明日午前中には完成させなければなりません。


2006年12月24日

やはり生活相談が…

 昨日の午後とはちがってきょうはずっといい天気でした。時折、陽もさしました。この時期の太陽さんは何をするにもありがたいですね。おかげ様で、朝から夕方までいくつもの仕事をさせてもらいました。新聞代の集金、支持拡大、注文のあった本の配布、発送、生活相談とフル回転でした。
 この時期、必ず増えるのが借金返済などの生活相談です。議会が終わるのを待って持ち込まれることが多い。21日の閉会後、きょうまでなかったので、ことしはいい年だったのかなと思っていたのですが、案の定、深刻な悩みが寄せられました。年末まで1週間、あと何件の相談がくるのか……。


2006年12月23日

本を持って大島区へ

 「しんぶん赤旗」日刊紙の配達が終わってから、上川谷まわりで大島区へ向かいました。昨日、千葉県に住む従弟と電話で話をしたら、一時も早く、出来上がった本を読みたいと言っていました。大島区の親戚の人たちも同じです。それで届けに行ったのです。すでに待ちきれなくて、勤務先の社長に書店で買ってきてくれるよう頼んだ人もいました。親戚ではないのですが、私を知っている大島区在住の元公務員のSさんは、わざわざ高田の春陽館まで買いに行ってくれた、ということも聞きました。6年前の『幸せめっけた』の時も大山温泉あさひ荘でたくさん販売してもらいましたが、今回もお願いしてきました。大島区の皆さんは、あさひ荘でお買い求めください。
 午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。雨が降りやまず、雨に濡れながら配達を続けました。集金時の話題は12月議会のことと、『春よ来い』のことです。昨年の市長選の前に自民党上越支部が集めた寄付金についての関心は高く、「木浦市長への迂回献金だった可能性は高いね」とのべている人もいました。今後の調査が中途半端だったり、議会の追及が弱かったりすると市民から反発の声が出る、そんな気がしました。『春よ来い』については、遠くに住む親戚に送りたいと何冊も注文してくれる人が3人もいました。贈答用に使ってもらえるなんて、とてもうれしいです。


2006年12月22日

地元紙が『春よ来い』を紹介

 今朝の地元紙・上越タイムスが私の本のことを紹介してくれました。写真を2枚も使ってくれ、5段にもなる紹介です。本を全部読み、前著との比較もして、1時間半余りの取材をしての記事です。「心の柔らかい琴線に触れる人のぬくもりが、砂金のようにキラッと光る話ばかり」という言葉でほめていただいたのはとてもうれしい。39編もの話の中から何を取り出して紹介してくれるのかとずっと考えていましたが、予想通り、「夕陽」でした。老いて、認知症がはじまったばかりの父の姿を見つめた、さらりとした話ですが、多くの人が経験するドラマの一つなので、いい選択をしてもらいました。
 きょうはまず、市政レポートづくりからはじまりました。朝3時過ぎに起床して、超特急で作成しました。今号は私の一般質問の紹介です。答弁書を改めて読んだら、原発問題に関しては再質問しなくてよかったと思いました。正に百点満点、私が期待したことが100%書かれていたからです。地域防災計画の見直しについて、原子力防災を視野に入れて検討するという約束は、他の自治体にも大きな影響を与えるに違いありません。政府に原子力政策の転換を求める点でも驚くほど積極性に満ちた答弁でした。市政レポートは来週前半中に、もう1枚作成しなければなりません。新年号です。
 午後からは市役所で学習会でした。ガス水道局の岩滝さんから講師になってもらい、公営企業会計の基本について学びました。朝から頑張りすぎたので、前半はしゃんとしなかったのですが、コーヒー一杯を飲んだら完全に目が覚めました。コーヒーがこれほど効くとはびっくりでした。日頃から、公営企業の経理、財務諸表の見方など、自分で説明できるようにならないといけないなと思っていましたので、とてもいい勉強になりました。きょうの学習会のことを忘れないうちに復習すれば、議会でも突っ込んだ質問ができるようになるかも知れません。それが講師に対するお礼です。


2006年12月21日

一転、賛成へ

 12月議会の最終日でした。市長の給与を30%、2ヶ月カットする追加議案をめぐる質疑は緊張感あふれたものになりました。議場がピーンと張り詰めた空気になる、しかも長時間、その状態が続くというのは久しぶりでした。質疑を行った市民クラブの本城議員、日本共産党議員団の杉本議員、ともに疑惑解明にふさわしい質疑を展開してくれました。14日の市議会全員協議会の時に、日本共産党からの質問は私にやらせてくれないかと杉本議員に言ったのですが、あの日も、きょうも杉本議員にゆずって良かったと思いました。疑惑追及ということになると、しっかりとした論理の展開が求められます。私にはなかなかできないものを持っているなと思いました。
 自民党上越支部への企業・団体献金をめぐる注目点は2つありました。1つは、市出資の企業や市が奨励金などを出している企業の不正献金。もう1つは、木浦政経事務所など木浦陣営に献金するために上越支部を「迂回」したのではないかということです。14日の市議会全員協議会では、「献金は寄付者の意思がポイントだ。今回のものはあくまで自民党支部への献金だった」などと、市長は自己保身のためと受けとれる説明、答弁を繰り返していました。これじゃだめだなと思いました。だから、追加議案については反対討論をする準備をしていました。
 総括質疑、委員会質疑が終わった段階で採決を前にして15分休憩しました。市民クラブの田村委員の申出によるものでしたが、市民クラブも日本共産党議員団もこの15分間で議案に対する態度表明を最終的に決めました。どちらも、賛成ということになりましたが、これまでの流れからいって、討論ではなぜ賛成したのかを言わないといけません。市側が真相解明を続けるとした点、もし、市長の責任にかかわる新たな事実が判明したら、それも議会に諮っていくとしたこと、さらに、不正献金をした企業に対しては市としてできる措置をとるとのべたことを評価して、賛成理由にしました。それにしても土壇場で議案の態度を変更するのはきつい。討論では、原稿ナシにしゃべるはめになりました。
 家に戻ったら、党中央委員会発行の『議会と自治体』新年号が届いていました。先月、党本部で行ったHPについての座談会も載っています。さっそく開いて、もう一度読んでみました。やはり、自分が登場しているものを読むのはうれしいですね。私の顔写真は、人間性があらわれるのか、どうしてもボーッとしている感じになってしまいますが、今回もそうでした。ま、そんなことはどうでもよいことです。私たちの座談会を読んだ人たちが、「よし、HPを開設するか」という気持ちになってくれればいい。


2006年12月20日

休会日も忙しい

 きょうは休会日。やろうと決めていたことがいくつかあります。まず、新刊『春よ来い』を書店におろすこと、議会報告の準備をすることなどです。このうち本については、地元の吉川区や大潟区の書店がなくなってしまったことから、柿崎区の佐藤書店、高田の春陽館、直江津の柿村書店にお願いしました。びっくりしたのは春陽館へ行った時です。すでに私の本についての問い合わせがあったというのです。ありがたいですね。
 お昼前後からは市役所で動きました。柿崎区内での県道補修要望への対応、議会報告で使用するデータの収集、そして小林教育長との懇談です。小林教育長は私の大学の大先輩ですが、なかなかの研究熱心な方で、議会外で話してみたい人のひとりでした。話してみて、思っていた以上に身近な人だということがわかりました。柿崎区にお住まいの元小学校長さん、村上市在住の桑名さんなど私がよく知っている人たちと同級生だったのです。また、一時期、教育の分野ですが、佐渡について研究されたことがあるそうです。じつは、私の卒論テーマは佐渡鉱山労働者のことでした。私がお世話になった田中圭一さんや磯部欣三さん(故人)についても知っておられ、世間というのは狭いと改めて思いました。
 夕方は地元新聞の記者から『春よ来い』について取材をされました。すでに私の本を全部読まれていて、「本を読んだら、すぐにあなたに会いたくなった。吉川の魅力がじつによく書かれている。特にお父さん、お母さんについての文が秀逸だ」などとほめてもらいました。この記者は私の前著『幸せめっけた』も丁寧に読まれていて、それからの発展についても語ってくれました。ここまで考えて、記事を書いてくださるというのはとてもうれしい。どんな記事になって出るのか楽しみです。


2006年12月19日

私の出番…一般質問5日目

 一般質問はきょうが最後、私の出番がやっときました。テーマは市道整備、広報対話、原発、学校給食の4つ。市議になってから質問テーマを4つもかかげたのは今回が初めてです。制限時間30分のところ、1回目の質問で19分を使ってしまいましたので、学校給食問題での詰めがちょっと弱かったのが心残りです。このところノー原稿で質問をしていますが、テーマが多い時には原稿を用意して、読んだ方が時間短縮できるかもしれませんね。要検討です。
 答弁では、行政と住民の協働による道づくり事業の検討を約束したもらいました。また、市長が原発事故を想定した地域防災計画の見直しについて、踏み込んだ言及をしてくれたのはうれしいことでした。県の防災計画との整合性という点から、これまで原発のある地元自治体以外で原子力災害を想定した計画づくりがされることはありませんでした。しかし、原発は安全という神話が完全に崩れ、昨今のように、事故隠しやデータ改ざんが相次ぐようになっては自己防衛をしなくてはいけません。区の総合事務所だよりやHPについても改善の動きが期待できる答弁でした。これはしっかりと見守って行きたいと思います。
 私以外では、石平、吉田議員などの論客が登壇しました。石平議員は総合事務所長の実質的な権限不足を指摘し、地域自治区の運営改善について言及しました。野澤企画・地域振興部長が、「予算と事務分掌のあり方で整理が必要」と答弁していましたので、今後の具体的な動きに注目です。ひとつの質問で必ず聴衆の心をキュッとつかむ言葉を挿入するのは吉田議員。今回もPDCAサイクルについてふれ、「僕は中郷の中学生にスキーをやらせています。子どもたちが一番好きなのはリレーだといいます。チームのためだと力が出る」とやっていました。チームプレーがいまいちの市役所職員の仕事ぶりをチクリと批判したのはさすがです。新井議員の発言も最近注目しています。生意気なことを書きますが、まだ若い議員ながら、勉強してどんどん腕を上げているのが見えます。きょうの農地の「貸しはがし」発言はマスコミも注目することでしょう。
 午後の休み時間。後援会事務局の人がきょう届いたばかりの『春よ来い』を持ってきてくれました。やはり、自分の本を手にした時はうれしい。職場に妻を迎えに行ったら、「いい本になったねぇ」と言ってくれました。家に戻ってからは、カバー写真を提供してくれた平田一幸さんや後援会幹部の人のところへ本を届けに行きました。本のカバーに写真が使われたのは初めてという平田さんも喜び、この写真を撮った時のエピソードを語ってくださいました。そばにいたお連れ合いが涙を浮かべておられたのには感動しました。


2006年12月18日

「限界集落」意識した質問相次ぐ…一般質問4日目

 うれしいニュースから。明日、『幸せめっけた』の続刊が出ます。心配したカバー写真もとてもいい色になって、本のタイトル『春よ来い』にぴったりです。出版社は同時代社です。私たち夫婦の仲人をやってくださった古厩忠夫さん(故人・新潟大学教授)の遺稿集出版でお世話になったのがご縁で、お力添えいただきました。定価は税込みで1200円。ご注文は、書店か、私のところへメール、またはファックス(025-548-3628)にてお願いします。
 きょうは一般質問4日目でした。トップの笹川議員は都市区画区域の見直しとともに中山間地問題を取り上げました。ここでは私の3月議会の質問を発展させて中山間地域振興条例の制定を提案しました。過疎地域自立促進計画だけでは足りない。市の責務や基本方針を明確にしたうえで振興策を充実させてほしい。この訴えに野澤朗企画・地域振興部長が「私もたいへん重要なことだと思っている」と答えてくれました。きょうは、笹川議員の質問だけでなく、小関信夫議員、岩野虎治議員も「限界集落」(65歳以上の人口が過半数の集落をいいます)という言葉を使っていました。私の質問を起点にしてこれだけ広まったのは、朝日新聞や新潟日報に限界集落について何本も記事が書かれたからだと思います。ありがたいことです。
 夕方、追加議案が提出されました。市長の給与の2ヶ月、30%カットの条例(一部改正)とそれに伴う一般会計補正予算です。提案理由の要旨も配布されましたが、その中では、「昨年、私の関係する資金管理団体等が受けた寄付に起因して、市政に混乱を与えた」「これを機会に当市が出資等をしている法人に対して、法令順守を強く求めるなど、再発防止に努めてまいります」とありました。この数行の文章をめぐって活発な議論がかわされるはずです。わが議員団からは団長が総括質疑に立ちます。
 


2006年12月17日

盛り上がった地区党会議

 まだ党内の手続きが終わっていないので、正式には発表できませんが、上越市選挙区から出馬する日本共産党の県議候補者が事実上決定しました。本日の上越地区委員会の党会議では、地区委員長からこのことが報告され、立候補予定者が挨拶しました。待ちに待った候補者です。県内第3の都市から候補者を立てられないということでもんもんとしていた党内の空気は一気に入れ替わり、新鮮な空気に満たされました。「最良の候補だ。候補者になったつもりで頑張る」「元気が出た。国政でも県政でも国民にとっては大変な事態になっているのに、県議選を闘えなかったら、こんなだらしのない党だったのかということになった。よかった」。立候補予定者は私の大事な友人です。全力をあげてがんばりたい。
 夜の「囲む会」は今年最後です。激しいカミナリが鳴り、一時的に停電するような悪天候でしたので、誰も来ないのではないかと思ったのですが、大勢参加していただきました。スライドも公民館の壁が白かったので、最大の画面にして話をさせてもらいました。懇談の部では、道路の草刈りが遅すぎてガードレールが草に覆われていたとか、昨年の梅雨前線豪雨で崩れた県道の土手の復旧工事がきちんと最後までやられていない、市の広報は見るところがないなど次々と出してもらいました。これらは私の一般質問で活用させてもらいます。司会進行をしてくれた後援会の人が、一年の締めくくりの「囲む会」としては最高のいい雰囲気で終わることができたね、と喜んでいました。
 (17日の夕方の激しいカミナリでまたしても保安器がやられました。これで今年は2度目です。おかげで更新が遅れました)


2006年12月16日

「囲む会」の改善提案も出た

 雪がどんどん消えています。3日、4日と降った雪は山間部でドンと積もりました。吉川区内の最高は上川谷の94センチでした。誰もが根雪になると覚悟したのですが、あれから降雪はほとんどありません。尾神や坪野も平らなところは消えました。上川谷はまだ3センチ残っているのだそうです。そうそう、5日に市長が上川谷の県道の開通式に来た時、上川谷の積雪量に驚き、市のHPに載せるよう職員に指示していましたが、すでに載っていますのでごらんください。これで吉川区内の降雪、積雪量は、総合事務所、坪野、下川谷、上川谷と4ヶ所で確認できるようになりました。
 きょうは午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。午後からは炬燵に入りながら父の「子守」をしました。父は1時間の間に何回もベッドから起きてきて、炬燵のところへやってきます。「なんだ、とうちゃんいたがか」「ああ、いたよ」「おまんた、風呂の水どうしているがだ。山から引いているがか」「いや、水道の水で沸かしているよ」「水道?」……こんな調子で会話をしていますが、どうやら、父の頭の中は尾神岳のふもとに住んでいた時のことと今の場所での生活がごっちゃになっているようです。
 夜は「囲む会」でした。忘年会などがあって、集まりはいまいちでしたが、参加者全員が意見や質問を出してくださり、いい会になりました。市の広報については、もっと身近なことを掲載してくれという声と、大きい市になったから今の内容でしょうがないだろうという声がありました。「囲む会」は今晩が36会場目だと言ったら、ある参加者が提案してくれました。「あんたがこうしてまわるのはいいことだが、回りきれないだろう。今度、だれでも説明できるようにスライドをつくり、簡単なシナリオも書いてくれ。3ヶ月に1回ぐらいはこういうのをやってもらいたい」。いいことですが、やってくれる人がいるかどうかが問題です。なんだかんだとやりとりし、最後は、来年はスライドだけでなく、動画も使って議会報告をやりますと約束してきました。さあ、たいへんです。今年の「囲む会」は明日で一区切りさせてもらいます。残った集落は新年の遅くない時期にかならずやりますのでお許しください。


2006年12月15日

一般質問3日目

 きょうも、市役所5階は昨日の話題で持ちきりでした。ある人が、「市川さん(議員・自民党上越支部長)はウソのつける人ではない。真っすぐな人だ。こういう人がソンをして、上手に世渡りする者が生きのびていく、こういうのってやだね」と言いました。するとすぐそばの人が「市川さんを励ます会をやってあげたいね」と言っていました。市長が今回の不正献金疑惑で議会や世間を騒がせたとして自らの減俸処分を明らかにしましたが、その議案の総括質疑、委員会質疑が21日の最終日に行われることになりました。疑惑解明の舞台は用意されました。
 きょうは一般質問3日目でした。トップバッターの仲田議員は、各区の総合事務所の人員配置は適正配置されているか、総合事務所長の権限はどのように拡大されているのかと質問しましたが、これには13区選出議員が注目しました。総合事務所長権限については、「支出負担行為では95%、許認可では25%、所長のところで完結するようになっている」という答えでした。答弁の中で、「災害時は迅速な対応ができるようにしている」というのがありました。これは権限の問題でのべたのでしょうが、各区にいる職員が激減しているもとでは、弱体化しているというのが実態です。
 首長体験者が首長に予算編成方針を訊く。今回の一般質問では旧安塚町長だった矢野議員と旧中郷村長だった吉田議員がこれをやります。それぞれ個性あふれた自治体運営をやってきた人だけにどんな質問になるのか注目でした。きょうは矢野議員が質問に立ちました。「合併後の財政は健全財政か、厳しい財政か」ではじまり、「各種計画がいっぱいあるが柱となる総合計画の実施計画がない中で、何をもとに市長査定をされるのか」とシビアな質問を展開しましたが、やはり木浦市長を応援した議員です、最後は、「市長は美しく行動力のある人であってほしい。暗いイメージを吹き飛ばして夢のある予算編成を」と結びました。
 最後に、心配されている方があるかもしれませんので私の体調について一言。午前の会議がはじまってから、右腕に違和感を覚えるようになりました。ボールペンを強く握れなくなり、しびれが断続的にありました。それで議会事務局から手配してもらい、午後から脳外科へ行って検査してもらいました。一番恐れていた脳梗塞の疑いはありませんでした。午後3時半には復帰しましたが、無理はできないなと感じています。


2006年12月14日

減給処分で終わりそうもない気配に

 14日夕方、市議会第2委員会室は数台のテレビカメラが入り、緊張感につつまれました。自民党上越支部の昨年度の収支報告書のなかに記載された企業献金に問題あり、そこには献金が禁止されている市出資企業の名前もあった、との新聞報道を受けて、木浦市長の説明と質問が行われることになっていたからです。この問題に関する市民の関心は高く、傍聴者も日頃より大勢でした。
 市長の説明はたんたんとしたものでした。まず、自民党上越支部から市長の関係団体に対する献金について事実経過を説明しました。「このうら正幸政経事務所」については、7月19日に500万円、9月8日に250万円……合計875万3392円。「木浦正幸後援会」については3月29日に400万円の献金を受けた、と報告しました。
 続いて市長はこう述べたのです。(これらの献金は)法に基づいて適正に処理し、県選挙管理委員会に報告した。企業が自民党上越支部に寄せた献金については、支部が自主的に企画したものだ。(政経事務所などに寄せられた)献金の中身についてはまったく知る由もなかったと。さらに、問題となった市出資企業の献金について言及した市長は、今後、調査していくことを表明しました。上越ケーブルテレビジョン(500万円、1%出資)と直江津海陸運送(760万円出資、10%出資)です。両方とも、自民党上越支部への献金は収支報告書で記載されていますから、当然のことです。
 最後に市長は、自らへの処分について発表しました。ご迷惑をおかけしたとして給与(1ヶ月97万8000円)の3割カットを2ヶ月行うとのべました。
 市長の説明後、市民クラブの本城議員、日本共産党議員団の杉本議員など3議員が質問に立ちました。最大の焦点となったのは、昨年、自民党上越支部に寄せられた企業献金が市長への「迂回献金」だったのではないかという点です。新聞報道(14日付け読売新聞)では、同支部長の市川文一議員が「選挙支援のため、支部が市長への献金窓口となった」とのべているとしていますが、市長はこのことについては全面否定しました。新聞記事に間違いがあるか、市長の認識違いか、これから究明しなくてはなりません。
 質問の中で杉本議員が注目すべきことを明らかにしました。自民党上越支部に寄せられた企業献金の中に、市から奨励金をもらっている企業があることを指摘したのです。政治資金規正法ではこうした給付の決定通知を受けてから1年間は政治活動に関する寄付をしてはならないことになっていますから、寄付をした日によっては新たな不正献金になる可能性があります。
 今回の問題は木浦市政が存続できるかどうかの問題に発展しそうな気配になってきました。


2006年12月13日

一般質問第1日目

 まずは訃報から。旧吉川町議会初の女性町議だった塚田トミエさんが膀胱がんのため昨日亡くなりました。87歳でした。塚田さんは旧大島村板山生まれで、いまは消滅した旧吉川町貝平という小さな集落から立候補、見事当選されました。私は当時、まだ子どもだったのですが、バイクの後ろに乗せてもらい、選挙運動しておられた姿を記憶しています。6年前に私の『幸せめっけた』の中に塚田さんのことを書いたことから、付き合いが始まり、プロレタリア歌人だった山田あきさんのことなど、いろいろと教えてもらいました。心からご冥福をお祈りいたします。
 さて市議会、残念ながら緊急質問は通告を出したわが議員団と市民クラブがやるべきだと主張しましたが、他会派の賛同が得られず実現しませんでした。マスコミ各社が大勢駆けつけていた中で、議会運営委員会でのこの決定は情けない。市民の関心は高く、一時も早く議会のもつ権限を行使して不正献金疑惑を解明すべきでした。
 緊急質問がなかったので、きょうは当初の予定通り、一般質問です。市民クラブの近藤議員からはじまって7人が登壇しました。質問のやりとりのメモを議員控え室に忘れてきたので、各議員の語った言葉でお伝えできないのが残念ですが、印象に残った質問がいくつもありました。その1つは保守系会派・毘風所属の水沢議員の道路特定財源についての主張でした。身近な道路整備の必要性を認めながらも特定財源を使ってどんどん新たな道をつくる手法を批判したのは正論でした。また、永島議員の「身近なことを安心して相談できる窓口を」「市長はもっと自分の言葉で語ってほしい」という訴えも共感を覚えました。人生には上り坂もあれば下り坂もある。そして「まさか」という坂もある。そこで思いがけずぶつかった問題、いまの態勢では十分とはいえない。私もそう思いました。
 私のパソコンがおかしくなっています。どうもハードディスクがやられているらしいのです。この「見てある記」もやっと立ち上げて書きました。週末に新たなパソコンを買う予定ですが、ひょっとすれば、それまでの間に書けなくなることがあるかもしれません。


2006年12月12日

市出資企業が自民党支部に不正献金?

 あわただしい1日になりました。朝、出かける間際に新潟日報を見たら、社会面に「上越 市出資企業 不正献金か」とあります。途中で車の運転を妻に替わってもらい、杉本議員、樋口議員などに電話で連絡を取り、午前9時15分から緊急議員団会議を開く段取りをしました。
 団会議では黙過できない重大問題であることを確認、直ちに議会議長に真相解明の場を速やかに設けるよう努力してほしいと要請しました。また、緊急質問の通告を杉本団長が提出しました。市長に対してもすぐ手を打たねばなりません。5分ほどで緊急申し入れ書を作成し、党議員団の全員で申し入れることにしました。総務委員会の開かれる10時までに終了させる必要がありました。市長は来客中だったので、助役に文書を手渡し、事実関係と市長の責任を市民に明らかにすることを求めました。中川助役は、「市長に伝えます」と答えましたが、緊張感が漂っていました。
 午前10時、総務常任委員会開会。質疑の冒頭、杉本委員がさっと手をあげました。市長の出席を求めて、市出資企業による自民党支部への献金問題について真相を解明するよう求めたのです。これに対して、各委員から次々と見解が表明されましたが、賛意を示したのは市民クラブの田村委員だけでした。市長を呼んでも市長はわからないのではないかとか、議会で解明する必要がないといった趣旨の発言を聞いてあきれてしまいました。これでは何のために議会はあるのか。最後にまとめたのは議長でした。今定例会中に市長の出席を求めて真相を解明する場を設けるので議長にまかせてもらえないかというまとめです。
 総務常任委員会終了後でしたから、午後3時頃だったでしょうか、議長発言を受けて各派代表者会議が開かれました。14日の一般質問終了後に、市長が出席して全員協議会を開く。そこでの議論を聞いて、緊急質問が必要となれば、改めて通告を出してもらう。これで各派がまとまったとの団長からの報告でした。しかし、2日も間をおくのは疑問です。市民はきちんとした解明を速やかにやるように求めているはずです。議会が、もたもたしているようにみえれば、議会に対する不信感も出てくるでしょう。協議した結果、議員団としては明日からの一般質問の前にも緊急質問をやるよう求めることにしました。市民クラブも緊急質問にベテラン本城議員が名乗りを上げました。議会運営委員会は明日午前9時からです。
(参考資料)日本共産党議員団の市長への申入れ文は以下のとおりです。
 本日の新聞報道によると、木浦市長の2期目の選挙支援をした自民党上越支部に対して、市出資企業である上越ケーブルテレビジョン及び直江津海陸運送が政治献金をしたとあります。
 いうまでもなく、地方公共団体から出資を受けている会社が、その公共団体の議会議員、若しくは長に係る候補者を推薦支持する政治団体に献金することは、政治資金規正法第22条3で明確に禁止されたことであります。もし、今回の報道が事実だとするならば、市長の資格にかかわる重大問題だといわざるをえません。
 よって、当市議団は、以下の2点について申し入れるものです。
1、 自民党上越支部に対して、市出資企業である上越ケーブルテレビジョン及び直江津海陸運送が政治献金をしたという新聞報道を受けて、事実関係を市民に明らかにすること。
2、 報道が事実ならば、市長として、その責任を明らかにすること。


2006年12月11日

建設企業常任委員会

 4つの常任委員会審議の中で審議時間が一番短いのが建設企業常任委員会です。関係部局が都市整備部とガス水道局の2つで議案数も比較的少ないからです。その代わり、これはという議案に関しては集中審議となります。きょうの委員会もそうでした。港町にある特定公共賃貸住宅の家賃改定をめぐり約1時間にわたって質疑が続きました。
 同住宅は鉄骨鉄筋コンクリート造14階建て。管理戸数35戸のうち、15戸が空き家になっていました。今回の家賃改定では定額制を導入し、日当たり、景観などを考慮した家賃設定をしました。その結果、最低4万7000円、最高7万5000円の家賃となりました。他の特定公共賃貸住宅との関係はどうなるか、民間賃貸住宅と比較してどうか、改定に科学的根拠があるのか、現在入居中のものまで下げるのはいかがなものか、など賑やかな質疑となりましたが、全会一致で可決しました。
 特定公共賃貸住宅の家賃は他に14ありますが、所得に応じて家賃を決めているところもあれば、定額制をとっているところもあります。合併協議では合併後3年後に見直すことになっていますので2008年度(平成20年度)には改定することになります。
 先月の建設企業常任委員会で除雪計画が示された際、降雪予報、積雪情報など雪に関する情報は市のHPだけでなく、ケーブルテレビでも公開すべきだとの発言がありました。「検討します」と市側は答えていましたが、きょう、この検討結果が報告されました。気象会社、JCV(上越ケーブルテレビジョン)と協議した結果、放映することにしたといいます。午後6時、7時、8時、10時が放映時間で、すでに4日から放映されているとのことでした。


2006年12月10日

新潟市で党演説会

 先日降った雪はどんどん消えています。わが家では軒下に残っているものだけになりました。山間部も、多いところで30センチくらいになったのではないかと思います。朝一番に上川谷まで市政レポート配布に出かけてきました。災害現場が通れるようになってから初めて自分の軽トラで行って来ましたが、片道30分以内で楽々です。遠回りして苦労した記憶がしっかり残っているので、とても便利になった感じがします。
 さて、きょうは新潟市の朱鷺メッセで志位委員長を迎えての党演説会でした。会場が満杯になるほど盛況でした。ここ数年、国民の負担が毎年増えていきますが、委員会審議で活用したパネルを使って説明、外資系企業が自民党に献金する動きにふれて、「献金よりも税金払え」には拍手喝采でした。地方政治に関しては、新潟県政の場での日本共産党の五十嵐県議の果たしている役割をクローズアップしました。公共事業における無駄遣い、中越地震時における県議の海外旅行をめぐる話などとてもわかりやすかった。この話を聞いて、他党との違いが明確になる論戦が大事だということを改めて感じました。
 会場から出る時、ずっと私の腰につかまっている人がいました。私の選挙で何回も応援に来てくれたAさんです。「おれ、橋爪さんについて行こ。この建物から出るまで、ずっとつかまらせてくんない」。Aさんは糖尿病で目がよく見えなくなってしまったのだそうです。外へ出ても、ずっと一緒。途中、元県委員長の相沢さんや県労連の事務局長さんなどに会いました。こうした演説会では、ふだん会えない人と会えることもいいですね。


2006年12月09日

板山の伯母がやってきた

 上川谷の県道が通れるようになってとても便利になりました。わが家にとっては大島区との距離が短くなったことが大きい。きょうは、父の見舞いだということで大島区板山の伯母がやってきました。母も父も大喜びでした。母は赤飯を炊いて待ちました。私は「しんぶん赤旗」日曜版の配達があるので、ほんの少ししか一緒に過ごすことができませんでしたが、足谷の伯母(母の一番上の姉。現在、松代病院入院中)の様子や従姉の礼子ちゃんのことなどを教えてもらいました。
 きょうは早朝から市政レポートの裏面の原稿書きをしました。すでに「しんぶん赤旗」に折り込むものは印刷が終わり、配達していますが、20日頃できあがってくる私の随想集についての記述が少なすぎることや、上川谷の県道が開いたことについての思いを書きたくてがんばったのです。「春よ来い」の72回は「開通」です。ご笑覧ください。
 夜は竹直町内会対象の「囲む会」でした。議会報告後の懇談会では、上越市の広報のことや地域自治区・地域協議会についていくつも意見を出してもらいました。広報のことは私の一般質問のテーマの1つでもあります。「堅苦しい」「大きい字だけ読むが、中まで読みたくならない」など出されたご意見は質問の中に反映させてもらいます。帰ってから、テレビをつけたら、NHKで「硫黄島からの手紙」をやっていました。家族をつなぐ手紙をいのちと同じく大切にしていたことが印象に残りました。硫黄島での戦いもとてもリアルに伝えていましたね。


2006年12月08日

厚生常任委員会

 朝8時45分から1時間余りいわゆる「質問取り」でした。これは、一般質問などで何をたずねたいのか、関係課長等が質問者から聞き取り調査をすることをいいますが、私は率直に言って、この「質問取り」が苦手です。私の場合、どちらかというと、質問通告をしたあと、登壇するまでの間にぐつぐつと質問内容が煮詰まっていくのです。きょうは、ここまでの到達したレベルで課長などに説明しましたが、市道の整備、原発、広報、学校給食の4つの大項目で1時間近くしゃべり続けてしまいました。でも、このおかげで、質問のポイントが自分なりにだいぶ整理できました。
 きょうは厚生常任委員会です。一番注目したのは後期高齢者医療制度創設に伴う広域連合の議論でした。樋口議員が一昨日の総括質疑で、住民の声、意見を反映できるのかなどきびしく追及していましたが、委員会では、保守会派の委員からも、「対象者の不安を取り除くべきだ」「資料を配って、よく納得してもらってから(新たな制度に)入っていくべきだ」など慎重な意見がだされました。先日のNHKの特集番組で、医療にかかれない人たちのことが取り上げられていました。いのちにかかわる深刻な事態が広がっています。この制度がそれを加速することになるのではないかと心配している人が少なくありません。
 福祉有償運送に関する質疑も活発でした。市内では6つのNPO組織がこれに取り組んでいますが、よしかわたすけあいに代表されるように困難にぶつかっています。登録会員がなかなか増えない、会員になっても利用がいまいちだ。ボランティア組織とはいえ、財政的な支えも必要です。こうした団体に行政としても支援の手をという声が相次ぎました。また、福祉有償運送は、利用が障害者、要介護認定者など移動制約者だけに限られているので、これまで利用していたお年寄りの一部を切り捨てる結果になりました。これも深刻です。午後、健康福祉部長と話をしましたが、きょうの議論を踏まえ、NPO団体など関係者と対策を協議していくことにしました。


2006年12月07日

文教経済常任委員会

 今定例会では文教経済常任委員会が委員会審議のトップです。教育委員会、農林水産部、産業観光部関係の議案が付託されていますが、きょうは教育委員会関係で活発な議論が行われました。1つは「安全・安心な学校づくり交付金」での各種工事です。これまでの補助金制度を活用した工事から同交付金による工事に移行する初めてのケースです。交付金制度でどう変わるか、市としてはどういう基本方針・基本計画を持っているか委員会に示して議論するのは当たり前のことです。安塚小学校のグランド整備などの工事に反対する者ではありませんが、全体の基本方針・計画を示せと強く迫りました。資料を整理して後日提出するということで決着しましたが、今後、こういうことのないように、他の部局でも気をつけてほしい。
 付託案件ではありませんでしたが、市の総合教育プランの中間報告をめぐっても活発な議論が展開されました。仲田委員がわかりやすい教育目標の設定、子どもの目線に立った計画作りの重要性を強調し、説得力のある議論を行いました。また早津委員はいじめを許さない、いのちを大切にする教育についてのべました。私はというと、児童生徒がこの計画作りに直接参加することを保障するよう求め、地域における教育推進会議の役割についても言及しました。番外でもいい発言が続きましたね。吉田議員は「いま大切なのは生きる技術ではなく、生きる心を教えることだ」と上越の大地に住むすべての動植物に思いを寄せて教育を熱く語りました。田村恒夫議員は、現行教育基本法を守れの立場から教育基本法改悪の動きとの関係を問いました。
 残念だったのは、品目横断的経営安定対策の見直しと米価安定を求める請願が不採択となったことです。私が紹介議員になったのですが、質問もなく、反対の意見表明もまったくないなかで、起立採決したら不採択。請願者が傍聴していたら、何と言うでしょうか。終わってから、ある議員が私のところへやってきて言いました。「これじゃ、上越の農業も終わりだな。ブランドづくりどころじゃない」。


2006年12月06日

12月議会はじまる

 きょうから12月議会です。会期は21日まで。きょうは議案が提案された後、総括質疑が行われました。また、午後からは自治基本問題調査特別委員会も開かれました。
 総括質疑では樋口議員が登壇し、工事を請け負っていた業者が倒産したことに伴う契約解除、2回目の指定となる指定管理者の選定のあり方、後期高齢者医療広域連合の問題点などをとりあげました。今回の議会では指定管理者の指定議案がいくつもありますが、委員会質疑の基調を定める質疑になったと思います。2回目になったら、選定にあたって経費削減の配点を少なくしたことは、保守会派議員からも異論が出ました。今後の議論の焦点になっていくものと思います。それにしても高齢者いじめは続きます。脱退を許さない医療広域連合をつくって医療費を値上げをどんどん続けていくことにならなければいいのですが。
 自治基本問題調査特別委員会では「全会派の一致をめざしたい」と委員長は言っていますが、1人会派の議員が議論に参加できない形になっていました。きょうから、正規の委員ではないですが発言の機会が保障されました。その永島議員、さっそく住民投票制度について発言し、注目されました。「(この自治基本条例の)最終的な精神は住民参加だ。常設型でやっていけば、この条例は生きる」。重みのある発言でした。
 夜は議員団ニュースづくりでした。昨晩から『議会と自治体』座談会の校正作業、一般質問準備と寝不足が続いています。なかなか進みません。


2006年12月05日

県道大潟高柳線上川谷地内526日ぶりに開通

 3日からの降雪がウソのようです。晴れて気持ちのいい、すばらしい天気になりました。きょうは主要地方道大潟高柳線上川谷地内で進められていた災害復旧工事現場で、開通式が行なわれました。災害は昨年6月28日の梅雨前線豪雨の時に発生しました。大量の土砂が県道を100メートルほど埋め、下の出合川まで到達しました。この災害で上川谷に住んでいる住民は、尾神岳を通る市道を使うか、大島区まわりで吉川区の中心部へ出るという不自由を余儀なくされました。災害復旧工事費は約2億3000万円。工期は来年3月15日まででしたが、「道をふた冬とめるわけにはいかない」との声が行政を動かしました。工事は降雪を前にしてほとんど終わり、きょうの開通となりました。
 開通式は午前11時から。地元町内会が主催して行われました。川谷地区の住民はもとより、市長や上越地域振興局の幹部などが参加しました。50人くらいはいたと思います。このなかには法政大学OBのHさんの姿もありました。新潟からはるばる、現場まで駆けつけてくれたのです。市長などがテープカットした後に、参加者全員が歩いて現場を通り、下へ移動しました。災害発生から526日ぶりの開通です。崩れ落ちた160メートルもの斜面は、きれいに整備され、災害があったことはわからなくなりました。「このままだと、いつか忘れられてしまう。何とかしたいね」という声がいくつも聞こえてきました。
 開通式が終了してからは、旧川谷小中学校体育館で祝賀会です。地元の人たちが手づくりの「のっぺ」、そばを用意してくれました。どちらもとても美味しかったですよ。会場ではみんながよくしゃべり、よく食べ、よく飲みました。あちこちに笑顔がありました。「ひさだったね。たっしょでいたかい」「こんど、忘年会やろで」といった会話も聞こえました。災害発生によって川谷地区は、上川谷と下川谷、石谷などの集落が分断されていましたが、道が再びつながったことにより、これまで以上に人と人のつながりが強くなるのではないかと感じました。祝賀会で挨拶した村山上越地域振興局長は、上川谷と大島区板山間は今冬も除雪すると約束しました。地元住民はこの発言に大喜びでした。県道災害で新たに大島区とのつながりが強まった人たちにとっては、冬も交流できるし、大潟高柳線が仮にまた交通止めという事態になっても孤立することはなくなりました。


2006年12月04日

総括質疑の検討

 まずは雪の話から。昨日より降った雪は水分を含んだ重い雪です。シャーベット状態に近いものですので、軽トラを走らせる時には、歩行者にこのビシャ、ビシャした雪をかけないよう気を使います。わだちに入ると、ザーという大きな音がします。こういう雪はすべりやすい、そう思っているのですが、昨日、きょうと、車が滑り落ちた場面には出会っていません。積雪量はわが家で約25センチ、下川谷で48センチ、上川谷で75センチです。
 きょうは午前は党上越地区委員会事務所において、市議と地区常任委員会の連携をどう強めていくかを上越市議と地区委員会幹部で話し合う会議、午後からは議員控え室で議員団会議でした。樋口議員が用意してきた総括質疑原稿を3人で検討しました。ひとりで準備するよりもやはり集団の知恵です。指定管理者の選定問題では、1回目の指定期間を終了し、2回目以降の選定では、どういう点で注意が必要か話し合いました。新潟県後期高齢者医療広域連合問題では、後期医療制度の問題点と広域連合設置の問題点をごっちゃにしないで指摘して分かりやすくするなどの手直しをしました。これで、かなり練り上げることができました。一般質問についても検討しました。私の方は、少しずつ準備を進めていますが、まだ焦点が定まっていません。夜になって、ようやく、整理ができそうになってきました。
 明日は上川谷の県道の開通式です。じつに526日ぶりの開通です。今冬の雪が降る前に開通させるという約束は果たされました。地元住民だけでなく、市長をはじめ多くの関係者が集まって祝います。


2006年12月03日

初雪

 とうとう雪がやってきました。朝までに降った雪は1センチに満たないものでしたが、日中、降り続け、夕方までには10センチを越えました。1週間ほど前から準備をし始めていたものの、まだやっていないことがいくつかあります。畑から野菜を運ぶ、除雪機の点検をすることなどです。午前は畑から白菜、大根を運び、次男のところへスノータイヤを届けに行きました。
 午後から新しい上越市民の歌の発表、第9の演奏を聴きに妻と共に上越文化会館まで出かけてきました。会場では市役所職員、議員などと会いましたが、話題はもっぱら雪でした。山間部の多いところでは60センチを超えたところもあるようです。
 新しい市民の歌のタイトルは「このふるさとを」です。作詞は上原みゆきさん、補作詞は児童文学者の杉みき子さん。そして作曲は上越教育大学の後藤丹さんです。歌詞のなかには山、海、父、母が出てきて「きこえてくるのは ○○の歌」というのが6ヶ所あります。上原さんの話を聞いて、なるほどと思いました。彼女は高田の本町2丁目生まれ、機関車の音を聞き、雪の中で遊んで育ちました。詩をつくる時、幼い頃の思い出が次々と浮かんできたといいます。どんなに大きな市になっても一人ひとりが主人公、人間も植物も動物たちもこの地に住む仲間です、この歌が歌い継がれていけばいいなと思います、と結びました。ふるさとや自然についてのスタンスは私とまったく同じなので、一度、お会いしたくなりました。彼女が子どものころ見たというレモン色の雪というのは、どんな雪だったのか、どんな思い出があったのか、聞いてみたい。
 ベートーベンの第9はすごかった。圧倒されました。文化水準の高い上越市にしたいと思いました。


2006年12月02日

市HPの降雪予報では…

 朝から午後3時過ぎまで「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。前回の市政レポートの随想「招待旅行」について、「いい旅行しなったねぇ」「うらやましかったなあ」などと、何人もの人が感想をのべてくださいました。ありがたいことです。午後3時過ぎからは父の「子守」です。自分の力だけで立って歩く時は、そうとう怖いらしく、「おっかねぇ」を連発します。運動していないせいなのでしょう、足はどんどん弱くなってきています。
 テレビの天気予報では、お昼ごろから雪でしたが、雪は降らずに夜になりました。その代わり、雨風がひどかった。落ち葉が舞い上がり、雨は横殴りでした。今晩の「囲む会」に参加した人の中には、雨合羽を着てきた方もありました。町内会長さんに「最悪の天気になっちゃったね」と言われました。今年の「囲む会」の中では一番の悪条件といっても過言ではないでしょう。それにもかかわらず10人近くの人が参加してくださいました。
 上越市では昨年からホームページで降雪予報、除雪車の出動状況、降積雪量を雪情報として公開しています。このうち降雪予報は、昨年度は合併前の上越市内だけの予報でした。今冬から市内全域が対象になります。市内全域をAからHまで8つの地域に分け、予報が出ます。吉川区はC地域ですが、きょう、初めて吉川区の予報を見ました。それによると、午後9時から明日の朝3時までに1~5センチの降雪が予報されています。


2006年12月01日

感動したKさんの戦争体験談

 朝早く起きて市政レポートづくりをしました。B4の表と裏、約4時間で仕上げました。今週は話題がたくさんあり、書こうと思えば、まだ1ページ分は書くことができるでしょう。話題のトップはやはり、紙おむつ助成事業と要援護世帯除雪費助成事業における激変緩和措置を市がとったことです。今年度の税制「改正」によって、収入が増えたわけでもないのに非課税世帯から課税世帯になってしまった人たちにとっては朗報ですから。あとは「酒の楽校」、消防車の5分以内到達率など吉川区にかかわりのある話題を4つ載せました。このHPには容量不足で市政レポートを載せられませんが、遅くとも新年早々には載せられるように改善しますのでお待ちください。
 きょうは党支部と後援会幹部のみなさんによる忘年会でした。新年会の時に、パソコンとプロジェクターを持ち込んで、話をしたり、写真を見ながら自分たちの活動を振り返ったら好評だったので、今回もそうしました。この方式は定着しそうです。そして、きょう、参加者がじっくり聴いたのが小田順子さんの朗読とKさんの戦争体験でした。涙を浮かべながらKさんが語った戦争体験のさわりをちょっとだけ紹介しましょう。
 同級生のTくんは5人兄弟、お兄さんが出征するというので、小学校のグランドで送る会をやった時のことでした。戦場に行く兄さんがいよいよ最後に挨拶する時に、Tくんが「あんちゃ、行くな」と言って泣き出したのです。その時はすぐ泣き止んだのですが、なぜ泣いたかずっと気になっていました。その疑問がようやく昨年解けました。じつは送る会の前の晩、内輪でお兄さんの送別会をやった。その際、お兄さんがTくんに言ったというのです、「オジ、おれ、生きて帰らんねすけ、あと頼む」と。Tくんはすでに亡く、戦死した兄の弟にあたる人からこの事実を聞きました。
 夕方、党中央委員会が出している『議会と自治体』の編集部から電話がありました。先日の座談会をまとめたものができたので、ファックスするから校正作業をやってくれという依頼でした。座談会のタイトルは、「議員活動にとって、インターネットがこんなに役立っています」となっていました。約3時間の座談会の模様を10ページほどにまとめてあります。小見出しは、「ホームページはだれでも開設できる」「どこからでも“人の輪”をつなぐインターネット」「合併で情報過疎の地域に喜ばれる情報」など読んでみたくなるものばかり。さすが編集部の人たちは違いますね。座談会の模様が掲載された1月号は今月の20日頃発売されます。


2006年11月30日

冷たい雨の中、30回目の「囲む会」

 空模様を気にして動いた一日でした。午前は旧吉川町長の角張保さんのご母堂・マサノさんの葬式に参列しました。小柄で、しっかりしたおばあちゃんでした。ご自身の連れ合い、そして長男と二代続いた政治家の家を守ってこられました。葬儀では旧吉川町時代の三役、議員などが大勢参列しました。まだ合併して2年弱にもかかわらず、とてもなつかしく感じました。こういう時でないとなかなか会えないのは少しさみしい。
 午後からは上越地域消防事務組合議会の全員協議会でした。これまでの「消防力の整備基準」から「消防力の整備指針」にかわり、それに照らして現況はどうなっているか、問題点は何かなどを話し合いました。消防職員は指針よりも150人も少ないことを初めて知りました。消防ポンプ自動車の搭乗隊員数は、指針では自動車1台につき5人となっていますが、上越消防では4人体制でやっているとのこと、課題はたくさんありますね。市町村消防の広域化の話も出ました。ここ数年の間に消防事務組合は大きく変わっていくかもしれません。身近で、安全・安心につながる組織として維持していってほしいと思います。
 夜は今年度30回目の「橋爪法一を囲む会」でした。参加者の中に、今年も中学時代の恩師の姿がありました。スライドで議会報告をしたら、拍手をしてくださいました。とても話が上手な人で、挨拶の仕方などはいつも参考にさせてもらっていますが、胸が熱くなりました。会の終わりの挨拶の時に、「来年の参院選新潟選挙区には松代町出身の武田勝利さんが出ます」と言ったら、「今度、来たら、おらちへ来てもらってくんない」「彼は大変苦労したんだ」と言われました。驚いたことに、先生は武田さんの恩師でもあったのです。「彼は感激屋さんですよ」と私が言うと、「たぶん、おれと会えば、泣いちゃうだろうな」。今度、絶対会ってもらわなければ……。


2006年11月29日

歩道設置に評価基準

 歩道設置の要望箇所が多くて、予算付けにあたって新潟県は優先順位を決めるために評価基準を設けていることがわかりました。これは、きょう開催された県道新井柿崎線整備促進議員連盟の学習会で新潟県上越地域振興局の担当課が明らかにしたものです。それによると、評価項目は、①通学路に指定されているかどうか、②その周辺に公共施設があるかどうか、③歩く人の人数、④自動車の交通量、⑤過去5年以内に死傷事故が起きているかどうか、⑥用地買収にあたって地元の協力体制ができているかどうか、の6つです。
 じつは議員連盟で把握した県道新井柿崎線の歩道設置要望箇所は9箇所にのぼっているのです。この評価基準はよくできていますが、歩行者の安全を確保する視点に立てば、過去5年以内に死傷事故が起きているかどうかについては、「歩いている人がひやっとするようなことがあったかどうか」まで広げてほしいなと思いました。同じようなことは、歩道だけでなく防雪柵などについても言えます。警察データに載らないような、スリップ事故、田んぼへの転落事故などもできるだけ把握していこうとある議員が発言していました。公共事業は無駄なものはさっさとやめる。そして、こうした関係住民からの切実な要望に応える。そういう国政、県政の運営ができていれば、こんな評価基準も考えなくていいのに。
 きょうの勉強会では、このほかにも貴重な情報や基礎知識を得ることができました。厳しい県財政の中で、来年度予算の見込みとして、道路の維持管理費まで縮減の方向であることを聞きましたが、これにはびっくりでした。歩道の除雪についてはランク付けしてやっていること、また除雪作業で路肩などを傷めた場合は除雪業者の責任でやってもらっていること、さらに基本的な計画として、「今後の道路整備の課題について」という文書があることも知りました。


2006年11月28日

紙おむつ支給事業等で激変緩和措置

 総務委員会が30分ほどで終わり、午前10時半過ぎから夕方まで議員団会議でした。市長の提案理由の要旨を読み合わせ、議案の検討を行い、総括質疑項目の整理をしました。
 うれしかったのは、実質的な所得が増えていないにもかかわらず、税制改悪の影響によりサービスが低下した人たちへの激変緩和措置が紙おむつ支給事業と要援護世帯除雪費助成事業においてとられたことでした。わが党議員団の提案が一部とはいえ実ったのです。このうち、紙おむつ支給事業の対象者は、おおむね65歳以上の寝たきりや認知症高齢者等で、紙おむつを必要とする人。世帯の中心となる方の所得税額に応じて、課税世帯で1,750円(月相当分)、非課税世帯で3,500円(同)分の紙おむつが支給されることになっていますが、税制改悪によって非課税世帯から課税世帯となってしまった家庭からは悲鳴が上がっていました。
 議案の検討では、2巡目となる指定管理者の指定のあり方、後期高齢者医療広域連合をどうみるかで意見を出し合いました。当初は総括質疑するまでもないと思っていたのですが、議論するうちに、問題点がいくつか浮かび上がってきて、質疑項目がはっきりしました。今回は久しぶりに樋口議員が総括質疑で登壇することになります。


2006年11月27日

個別設置型か常設型か

 きょうは自治基本問題特別委員会でした。前回の委員会開催から10日目です。各会派で意見の調整をして委員会に臨むことになっていますが、なかなかその時間がとれなくて苦労しました。きょうの委員会では住民投票制度についてだけで、1時間の議論となりました。「議会としては全会一致の結論をだしたい」という思いからの、栗田委員長のねばりづよい運営が印象に残りました。次回には結論が出るでしょう。
 前回から今回の委員会の間に川崎市の条例検討委員会でだされた資料が全委員に配布されていました。この資料は、個別設置型住民投票制度と常設型住民投票制度を比較したものでですが、きょうの委員会の議論に大きな影響を与えたように思います。私が「資料を読んで改めて常設型がいいと感じた」と発言したのに続いて、自民クラブの市川委員が「よりベターなものは何かという観点でみるべきだ」と常設型導入を主張し、これまで常設型とは違う選択を言っていた会派の中にも常設型の制度の方がいいように思えるとの声も出ました。
 前回の委員会でわが党議員団の杉本議員が番外で発言したように、個別設置の場合は、まず住民投票すべきかどうかでエネルギーを使い、常設型の条例と比較すると、住民投票実施の可能性は一般的には低くなってしまいます。住民本位の市政運営、住民参加の重要な形態のひとつとして住民投票制度を考えているのですから、ベストの条例にしたいものです。


2006年11月26日

2日連続で霜

 昨日、初霜が降りましたが、今朝も霜が降りていました。軽トラのガラスが凍っていたので、車の暖房を入れ、氷を解かしてから出発しました。これから毎日のように、こういうことになるかと思うと、いやですね。でも、日中は暖房ナシで車を走らせました。かなり気温が上がったようです。
 きょうは市政レポートや囲む会の案内ビラ配布で約50戸を訪問しました。日曜日ということもあって、家にいる人が多く、市政のことや私のビラのことなどについて対話できました。「チラシ読んでるよ」「がんばってくんない」といった励ましの言葉をいくつももらい元気が出ました。
 夜は13区(旧13町村)の党幹部との懇談会でした。旧町村時代には議員だった人がほとんどです。「役場も議会も遠い存在になった」「区としてどうしたらいいのか、みんな模索している」との言葉が印象に残りました。党市議団との結びつきを強めていく必要があると感じました。
 「春よ来い」の第71回「招待旅行」を掲載しました。ご笑覧ください。


2006年11月25日

上越市総合教育プラン中間発表会

 上越市のこれからの教育の基本方向を定める総合教育プランづくりがすすめられています。きょうはその中間発表会でした。会場となった頸城区の希望館には230人ほどの人たちが集まりました。すでに別の集まりで事前に内容を報告する場があったのでしょうか、学校の先生方や社会教育関係者がもっと大勢参加され、満席になるものと思っていただけに、ちょっとさみしい参加者数でした。総合教育プラン策定の意義が教育関係者にもまだ十分理解されていないことの表れでなければいいのですが、気になります。
 さて、中間発表会。総合教育プランの概要説明を市教委の石野学校教育副課長がプロジェクターを使ってわかりやすく説明した後、プランを先取りするような先進事例ということで、「キャリア・スタート・ウィーク」「謙信キッズ」の体験発表などが行われました。
 
 このうち「キャリア・スタート・ウィーク」は子どもたちの勤労観、職業観を育てるために、中学校において5日間以上の職場体験を行う学習活動です。床屋さんで体験した塚田郁実さんは、電話一本でも対応次第ではお客さんが不愉快になることがあること、床の細い溝に落ちた髪の毛を掃除することなどの体験から、「自分に与えられた仕事に最後まで責任を持ってやる」ことの大切さを学んだといいます。スーパーで体験学習した岸航輔さんも挨拶や試食販売などを通じてお客さんと交流できたことで自信をつけたようです。ふたりとも実に生きいきと体験を語ってくれました。そして受け入れた側を代表して報告したイチコスーパーの山崎隆さんの話も良かった。山崎さんは、「これまでの1~2日間の体験だと職場になれるのに精一杯。今回のように長い体験期間になったら、3、4日目あたりから子どもたちが変わってきた。挨拶にしても大きな声で言える人が出てきて、商品のある場所もわかってきて、お客さんに売り場を案内して、『ありがとう』と言われ、それが自信につながった。職業観の芽生えが出てきたのではないか」とのべ、企業としてもできるだけ協力していきたいと結びました。
 今年度、市教委の目玉事業である謙信キッズ、スクールプロジェクト「海と山と大地の楽校」で学んだ経験の報告も興味深く聴きました。「酒の楽校」に通った笠原百絵さんは、酒米づくりと酒アイスづくりについてのべましたが、驚きの連続だったといいます。百絵さんは2本の稲が20本以上に枝分かれし、大きな稲に育ったことに感動しました。米はひと株に1620粒もついていたそうです。「音の楽校」で雅楽の魅力を知ったのは小池葵さんです。笙(しょう)という楽器の発音原理は、ハーモニカと同じです。葵さんは、息を吹いても吸っても音を出すことができるのにビックリ、楽校が終わっても浦川原区まで通い、しっかり演奏できるようになりました。彼女が会場で聴かせてくれた、切れ目ない音は本格的なものでした。将来、ひょっとしたらすばらしい音楽家になるかも。
 きょうの発表会では、「これはどうかな?」と思うこともありました。その1つは運営です。中間報告発表会で概要を説明しても会場で参加者の意見を聴く場を設けないプログラム設定はうなずけませんでした。ご意見のある方は配布した用紙に書いて提出をでは、双方向で意見交換が十分できないし、それを第三者が現場で見ることもできません。また、プラン策定の目的の1つは「多様な地域性に富む上越市の良さを生かした教育のあり方を示す」ことだとしながら、この点での掘り下げの努力が見えませんでした。


2006年11月24日

「囲む会」は新バージョンに

 あっと言う間に1週間がたちます。週刊の市政レポートは昨日つくったばかりのような気がしますが、もう新たな号を作成しなければなりません。でも今号は書くことがいっぱいありました。国勢調査の結果の確定値が出ましたし、除雪計画も発表になった。文化行事もある。というわけで久しぶりにB4ビラの表面、裏面を使いました。いずれの記事も吉川区に焦点をあてて書きました。また随想「春よ来い」も1本書いています。今号は読んでくださるでしょう。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、午後から「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金、市役所の木田事務所で来週の委員会準備、吉川区に戻って地域協議会の傍聴、さらに「橋爪法一を囲む会」と続きました。「囲む会」は、冬が近づいてきたこともあり、昨日から新バージョンに切替えています。除雪計画の話を盛り込み、さらに最新のニュース、活動報告も入れる形にしました。今晩の会では、夕方の吉川区地域協議会でガス水道局の営業所統合に関してオーケーという答申を出したことも報告しました。こうした報告は新しいほど関心を持って聞いてもらえます。
 きょうからインターネット新聞社の「ザ・選挙」というサイトに、この「ホーセの見てある記」の一部が掲載されることになりました。また、少し広がりを見せるかもしれません。掲載場所は新潟県のページの「議員レポート」というところです。一度、訪ねてみてください。


2006年11月23日

たぬきのため糞?

 祭日ではありましたが、やることがいっぱいありました。まずまずの天気でしたので、外でやるべきことを最優先しました。午前は、現地調査です。囲む会で出された道路の修繕要望などの場所を見て、写真におさめてきました。合併してから市道の管理が悪くなったという声が次々と寄せられています。いつか、議会でこの背景にあるものが何なのかはっきりさせたいと思います。
 
 きょうは、現地でいろいろなものを見ることができました。モミジの紅葉もその1つ、山々はすっかり冬仕度をしていますが、低木の紅葉はいまが見ごろ、色が鮮やかで、何枚も写真を撮りました。もう1つ、びっくりしたのはたぬきのため糞(?)です。アスファルト舗装の上にどっさりとおいてあり、そこには消化出来ないギンナンの実がそのまま残っていました。たぬきがギンナンの実をたべるとは知りませんでした。一緒にでかけたTさんは、「クマの糞ではないの?」とあまり近づこうとはしませんでした。
 夜は囲む会です。昨年よりたくさん集まってくださいました。今回は地域自治区と地域協議会について意識的に意見を聞こうとしました。地域自治区をこのまま残してほしいという声がある一方で、「地域協議会は市長の隠れ蓑ではないか」「議員はもっと勉強すべきだ」などといった生々しい声も出て、賑やかな議論になりました。地域自治区と地域協議会の存在意義についてもっとしっかり訴えていかなければならないと感じました。スライドの中に1枚、地元の写真を入れました。これは好評で、いろんな人たちが感想を述べてくださいました。


2006年11月22日

今冬の市道除雪計画発表される

 定例議会がない月には月例議員懇談会というのがあります。全議員が顔をあわせる機会をつくって、委員会視察の報告や議長会の動きの紹介などが行われます。また、個人的に全議員に対する訴えも可能です。いつも、この懇談会に合わせて議会関係の会議がいくつか行われるのですが、今回は総務常任委員会、建設企業常任委員会、市議会議員政治倫理検討委員会がありました。このほかに学習会があって、さらに、夜は高田・直江津地区の党支部幹部との懇談会と続きました。市役所幹部の中にはひと月のうちに何回もこういうことがあるのだと思いますが、1日に5つも会議があると私の頭はなかなかついていきません。くたびれました。
 きょうの建設企業常任委員会では、市道の今年度の除雪計画が発表されました。毎年、いろんな要望が市民から寄せられますが、最も多い部類に入るのがこの道路除雪についてです。「橋爪法一を囲む会」でも「早朝除雪が遅い」「もっと上手に」など様々な要望が出されます。迅速かつ的確な市道除雪を目指すということですが、今冬の計画で注目したのは関係情報の市民への提供です。降雪予報、除雪車出動状況、降積雪情報は昨冬から市のホームページで情報提供されています。今回の計画では、降雪予報を旧上越市地域だけでなく「全市域」で行うといいます。市議会のベテラン議員の代表、本城議員がケーブルテレビでも情報提供を、と訴えていましたが当然の要求ですね。市幹部が検討しますと答えていましたので、成り行きに注目です。
 もう1つ、除雪について書いておきましょう。高齢者や障害者などの要援護世帯の玄関前の道路除雪についてです。道路を除雪してもらうのはとてもありがたい。でも、玄関先にどんと大きな雪のかたまりを置いていかれると、その片づけがたいへん。確かにそのとおりです。市では業者に「どういうところに、こういう世帯があるか住宅地図で示して」配慮するようお願いしているといいます。しかし、なかなか徹底されないのが現実です。玄関先に赤い旗を立てておくことなども提案されたことがあるそうですが、防犯上好ましくないということで実現しなかったとか。抜本的な対策をどうするか、知恵を出し合わないと解決しません。積極的な提案、お寄せくださいませんか。


2006年11月21日

男女共同参画推進センター講座

 市の男女共同参画推進センターが主催した講座に出てきました。昨年は議会の委員会視察と重なったことから参加できず、今回が初めての参加となりました。テーマは「議員と語ろう 男女平等」パートⅢ~進めよう 男女共同参画 家庭と地域から。これなら出ないわけにはいきません。議員の参加者は約20人、議員でない人は30人くらいだったでしょうか。初めて会う人が大勢だろうと、名刺をたくさん持って行きましたが、旧町村の議員や団体役員など知っている人がほとんどでしたので一枚も使いませんでした。
 約2時間にわたってグループ討議をやり、発表する形ですすめられました。おもしろかったのは、一番最初に資料として配布された役割劇のシナリオの朗読です。シナリオは、ある町内会が会長の改選期を迎えてみんなで話し合い、女性の会長さんが誕生するかもしれないというものですが、8人の登場人物の役を割り振って朗読したら、自分の考えとまったく違うことをしゃべることになったり、共感を覚えるセリフもある。みんなで「うーん」と声を出したり、笑ったり。誰が企画したのか知りませんが、堅苦しくならずにいい雰囲気で話がすすめられました。
 私のグループでは、町内会の役員の中で女性を増やすにしても町内会そのものに運営上の問題があることや家庭での男女平等がすすんでいないことがネックになっていることが浮き彫りになりました。規約のない町内会があるかと思えば、あっても意識改革が進まず「男性でないと役員はダメ」というのが根強く残っているところもある。家庭で夫婦が共同して家事や育児などに取り組まないかぎりは、役員はやれないなど課題が具体的に見えてきましたね。私たちのグループでは、男女共同参画を話し合う会合では今回のシナリオをどんどん使いましょうよ、という提案もしました。
 


2006年11月20日

初めて中央委員会へ

 日本共産党に入って35年経ちました。中央委員会の建物をすぐ近くの美和書店に行った時、見たことがありましたが、入ったのはきょうが初めてでした。新しい大きなビルでした。ちゃんと警備員がいて、受付があり、ロビイはホテルのようにゆったりできる広さがある。落着いた気分になれます。きょう入った部屋は、中央委員会幹部などがインタビューなどで使用する応接室と食堂だけでした。あちこちポスターなどが壁に貼られている空間だろうと予想していたものの、それらしきものは一枚もなし。とてもきれいで、どこかの大手の会社ビルという感じでしたね。
 きょう中央委員会に行ったのは、『議会と自治体』編集部が主催したホームページ座談会に参加するためです。来年の一斉地方選挙、参院選挙に向けてホームページやブログを立ち上げていく党議員をどう増やしていくかが中心テーマでした。中央委員会宣伝部の西村さんの司会のもとで、札幌市議の小形かおりさんや京都府議の光永敦彦さんなどと経験を出し合い、どう取り組むかを語り合いました。党議員のHPのなかで最も幼稚なつくりをしている私がなぜ選ばれたのか、その理由はわかりませんでしたが、小形さんなどの先進的な取り組みを直接聞くことができましたし、『前衛』10月号でインターネットの積極的な活用を訴えた宣伝局の田村さんの話も聞くことができ、とても勉強になりました。
 小形さんは市議一期目。選挙に立候補することになって最初に取り組んだことがHPの立ち上げ、それもホームページビルダーを使って自力で作成したといいます。同じく自力で作成した私のHPと比べても党議員の活動を全部見ることのできるメニューがあり、とても見やすい。彼女の「検索にひっかかるようにキーワードを入れる」「技術的に詳しい人から更新に当たって応援してもらう態勢をとる」話が印象に残りました。光永さんも頑張り屋さんです。携帯メールの活用、ブログでの普段着の議員の姿を見てもらうことの大切さを語りました。また名古屋市議団の平子直義事務局長の市議団HPのそもそも論、特集を組み党の見解を広げた経験は全国の党議員団に広めたい話でした。
 中央委員会が市町村議員にインターネットの積極的な活用を本格的に訴え始めたのは最近のことです。今回の座談会が契機になって『議会と自治体』読者の中にHPやブログ立ち上げが広がるとうれしい。きょうの座談会の模様は、『議会と自治体』の1月号に掲載されるとのこと。「しんぶん赤旗」にも載ることでしょう。早く読んでみたいです。


2006年11月19日

雨の落ちない日曜日はみんな忙しい

 今週の前半は会議が連続しています。「囲む会」も前半は無理。今週はすべて木曜日以降にしました。きょうは午前中に70戸ほどまわって、「囲む会」の案内ビラを配布しました。天気もまずまずだったこともあって、大根を洗っている人、囲いものをしている人、柿もぎをしている人などがたくさんいましたね。声をかけ、近況などを聞きながら配布をしました。ある人の話では、今年の甘柿の甘みはうすいということでしたので、一個もらい食べてみました。確かに薄味だとは思いましたが、美味しさはぐんと落ちる感じではありませんでした。
 午後からは市議団事務局長経営の店に行って、名刺づくりをしました。明日、東京へ行くというのに、名刺を切らしていることに気づきました。パソコンで名刺を作ったのは今回が初めてです。手持ちの写真を持参し、名刺用の紙を持ち込んで作成し、プリントしました。紙質が良かったせいもあって、出来上がりはいい方でした。手づくりの名刺でも、結構いいものが簡単に作れることがわかりました。来年は春、夏、秋の野の花を使って、私ならではの名刺づくりに挑戦してみようと思います。
 夕方、地元の写真愛好家のHさんを訪ね、お茶をご馳走になってきました。誰もが選ぶスポットよりも、地元の身近な風景などを好むというHさんの姿勢は共感をおぼえます。田んぼの端に転がっている土管とか、誰かが忘れていったスコップに霜が降りている風景なども、その対象です。私も写真は好きですので、写真の話になるとつい長話になってしまいます。Hさんは、20代のころ、炭焼き風景をたくさん撮っていたといいます。炭焼き農家に生まれた人間としては、忘れられない風景です。ぜひ見せていただきたいものです。


2006年11月18日

穴だらけの白菜運び

 久しぶりにわが家の畑に行きました。親戚の家に白菜を持っていってくれと母に頼まれたのです。白菜は今年も大きくまいていて、いいものでしたが、外見は穴だらけ。先日の荒れた日に、アナレが降った影響です。そばにあるキャベツもやはり穴があいていました。軽トラで2軒の親戚に運ぶと、いずれの家も冬の準備をしています。わが家もそろそろ冬囲いなど最低限のことをしないといけません。
 白菜を運び終わってからは家で明後日のHP座談会の準備をしました。少しでも具体的な話ができるようにするには、激励のメールなど資料の整備が必要です。1時間に何回もベッドから起きてくる父の様子を見守りながら、仕事を進めましたのではかどりませんでしたが、それでも何を語ったらいいのか、おぼろげながら見えてきました。きょうは、午後から「囲む会」を2会場で行いました。これで、ようやく全集落の半分を超えました。


2006年11月17日

自治基本問題特別委員会

 自治基本条例についての視察をしたのが先週でした。それから1週間ほどしか経っていません。きょうの自治基本問題調査特別委員会のテーマは上越市の自治基本条例です。自治基本条例の全体像、基本理念、住民投票に関して各派の意見を出し合ったのですが、視察で学んだことが各派の意見に色濃く反映されているなと感じました。
 例えば、前文をどうするかについては平塚市の条例との対比のなかで、歴史や文化など上越らしさを盛り込むべきだという提案がありました。当然だと思います。全国、どこでも通用するような前文にはしたくないものです。また、文体についても、「です、ます」調で親しみやすくという提案がいくつもの会派からでました。これは平塚市の条例の影響が少なからずあったものと思います。条例の内容、構成をどうするかが重要であることは論をまたないところですが、自治体の憲法として多くの市民から活用していただく上でとても大切なことです。
 きょうの議論の中で賑やかだったのは、住民投票制度についてです。常設型にするか非常設型にするかで意見が分かれました。市政の重要問題について直接住民の意思を確認する場面は自治体との合併問題などそう多くはないものの、これをいつでもやれる仕組みとして設けることは重要です。自民クラブの市川文一委員が「スピーディにやるためには常設型で」と提案していましたが、そのとおりだと思います。個別の問題ごとに住民投票条例をつくってからというのでは、遅くなるし、住民投票の内容よりも、住民投票するかどうかにエネルギーをそそぐことになりかねません。
 それにしても、きょうの委員会はいまひとつでした。議論が一般論に終始し、抽象的で、なかなか深まっていかない。そう感じました。吉川町議会で条例づくりをしたときには、自由にいろんな意見が出て、活発だった記憶が残っているので、この差がどこからくるのか気になりました。市議会では、自分たちが自治体憲法をつくっていくんだという意識がまだまだ薄いのかも。しっかりしなくてはなりません。


2006年11月16日

また報尽碑へ

 まずはお詫びから。先週、今週と議員団ニュースが締切りまでに完成せず、旧頸北地域以外は1週間遅れの「しんぶん赤旗」への折り込みとなってしまいました。これまでも締め切り間際までかかってはいたのです。もう数時間早く起きれば間に合うと分かっていながら、最近は頑張りが利きません。締め切りギリギリになって原稿を書くスタイルをやめ、1日くらい余裕を持って書くスタイルへと変えていくべき時がきたようです。
 きょうは午後から尾神岳報尽碑へ行きました。目的の1つは尾神北線の工事状況を市議会議員の有志に見てもらうためです。会派の視察などが重なり、昨年のメンバーより少なかったのですが、参加した議員は、「あの、狭い道がいい道になったねぇ」と、昨年との大きな変化にビックリでした。工事はあと200メートルほど舗装すれば終わりです。ただ、ここにきて、雨続きで、コンクリート打ち作業が進みません。雪が降った場合には、完成は来年5月の連休以降にずれ込んでしまうことになりそうです。
 もうひとつ目的がありました。真宗大谷派では報尽碑およびその周辺整備を計画していて、その現地検討会があると聞いていたからです。午後3時過ぎから、高田の教務所の人たちや関係寺院の住職など20人ほど集まり、施行業者も交えてはじまりました。「階段の高さをもっと低くできないか」「駐車場は舗装の必要があるのかどうか」「報尽碑周辺の木々を刈れと言う声があるが、夏場やってきた人たちは日陰がほしい」じつにたくさんの意見が出て、話はなかなかまとまりません。持ち帰って、再検討するということになりました。
 夕方、尾神岳では気温が急速に下がり始めました。ひょっとするとまた雪かも。


2006年11月15日

高田図書館へ

 この間の日曜日、下越方面へ出かけた際、旧豊栄市の図書館に寄ってきました。開館した時のテレビ報道を見て、子どもなど利用者のことをよく考えた設計になっているなと感じていたので、ぜひ訪ねたいと思っていました。予想通り、とても合理的で快適な空間になっていました。そこでは、いろいろな発見や「再発見」がありました。向田邦子が赤旗日曜版に短いエッセイを書いていたということもその1つです。埼玉福祉会の大活字版の『女の人差し指』をパラパラとめくっていて見つけたのです。時間がなくて、ゆっくり読めなかったため、きょうは、高田図書館まで出かけて向田邦子全集第2巻を借りてきました。
 赤旗日曜版に掲載されていたのは「テレビの利用法」など7つの短文です。この中の「七不思議」という文を読みながら、新聞に掲載されていたことを思い出しました。テレビドラマに出てくる茶の間では、必ず食卓の一方が空いている、これは確かに不自然だと誰かに話したことがありましたが、これは、この文章を読んだあとのことだったのですね。全集の最後にある「初出一覧」で確認したら、赤旗日曜版には昭和52年4月から9月までの間に書かれたものでした。私が向田邦子が好きになったのはこの頃からだったのかもしれません。
 さて、ここまで書いたら、党地区委員会からファックスがきました。夕方のニュースを見なかったので知りませんでしたが、自民・公明が衆院教育基本法特別委員会で、教育基本法改悪法案の採決を与党単独で強行したとあります。「やらせ問題」「いじめ自殺多発」など法案提出者の資格にかかわる大問題をほったらかしにして、こうした行動に出るのは断じて許せません。現行教育基本法の素晴らしさを多くの国民に知ってもらい、改悪を許さない世論を大いに盛り上げていきたいと思います。日本共産党中央委員会のHPに掲載されている「やさしくわかる教育基本法」、まだ読まれていない方はぜひご一読を。


2006年11月14日

上川谷の県道、来月5日開通へ

 朝、市役所で吉川区総合事務所の山田所長からうれしいニュースを聞きました。上川谷の県道災害復旧工事が順調に進み、来月5日から車が通れるようになるというのです。災害が発生したのは昨年の6月28日ですから、526日ぶりの開通ということになりましょうか。工事(工期は来年3月15日まで)そのものはまだ全部は終わらないそうですが、「雪が降るまでには車を通す」という県土木部の約束は守られました。関係当局に働きかけてきた者の1人として感無量です。
 きょうは午前中は議員団会議を行い、12月議会を前にした党支部代表者との懇談会、自治基本条例など当面する課題について話し合いました。午後からは、旧大潟町議会議長の後藤紀一さんとともに生活相談で動きました。大型合併した上越市にあっては、生活相談は旧町村議員と協力して対応するケースが少なくありません。きょうの相談は市道の整備についてでした。冷たい雨が降るなか後藤さんとともに現地調査をしましたが、相談者は行政に対して強い不信感をもっておられ、それが印象に残りました。
 生活相談が終わって、後藤さんの家で久しぶりにお茶をご馳走になりました。そこで、初めて大潟区のケーブルテレビを観ました。芸能発表会で登場するグループの踊りなどを丁寧に放映していたのはよかったですね。これなら参加者も大喜びでしょう。それに後藤さんの趣味の世界も覗くことができました。これまでもカメラが好きだということはわかっていましたが、最近、ビデオカメラにはまっているようなのです。大潟区のケーブルテレビでは、後藤さんの投稿ビデオも放映されていました。10月下旬の大潟海岸での夕陽が沈む風景です。夕陽が沈む瞬間、その直後の色、とても素敵でした。そして立松和平そっくりの、後藤さんの語りもよかった。


2006年11月13日

新潟日報も「教基法改正急ぐな」の社説

 昨日朝、地元紙の新潟日報を開いたら、社説に『教基法改正 緊急課題はほかにある』というのが載っていました。信濃毎日新聞など地方紙で教育基本法改正を急ぐ動きを批判する論調がでているというので新潟日報についても期待していました。国会で審議している関係者に読んでほしい、なかなかいい内容です。
 「『やらせ質問』の裏側に透けて見えるのは国民蔑視(べっし)と政策への自信のなさだ。姑息(こそく)な手段を用いてでも改正案に賛成の声を上げさせたいという魂胆はさもしい限りである。(段落)これでは教育が混乱するのも無理はない。文科省の体質や教育行政のゆがみを正すがのが先である。いじめ自殺や未履修の隠ぺいも重大な背信行為だ」「子どもを取り巻く現状を直視し、政治が何を行うべきかを真剣に議論してほしい。その結果、基本法改正が必要だというなら具体的に提起すべきである
」「基本法は戦後日本の教育の背骨である。改正に時間と労力を惜しんではならない。国民が納得できる論理と誠意を示すことが求められる」
 昨日から私用で阿賀野市、新発田市まで出かけてきました。宿でいろいろとお世話をしてくださった従業員の方は、「子どもが次々と死んでいくニュースは切ないですね。どうしてこういうことになるんでしょうか」と話しかけてこられました。この方は60代、問題の本質に迫らないテレビ報道にも疑問だとも。きょうは地元で「囲む会」の案内ビラ配布をしました。ある家でお茶をご馳走になった時にでてきたのは、子どもや校長先生の自殺の話でした。教育問題をじっくり話し合うべき時がきていますね。
 


2006年11月11日

小さな集落で囲む会

 立冬が過ぎても10月との違いをあまり感じなかったのですが、きょうの雨風で「11月は10月とは違う」ことを意識しました。午後3時前から冷たい雨が降りはじめ、夜には風を伴うようになりました。おそらく、きょうの天気で、明日から冬囲いをする人もいるのではないでしょうか。
 きょうは午前中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達で動き、午後からは3会場で「橋爪法一を囲む会」でした。どの会場も小さな集落が対象でしたが、スライドを使い懇談するなかで、きょう再認識したのは、吉川区の代表としての役割についてです。田植え後の、ある風景写真を映し出して、「吉川の美しい風景や野の花の存在もHPで紹介しています」と話をした時に、参加者の皆さんが身を乗り出すのを感じました。
 吉川区の代表としての役割は吉川区の住民の皆さんの願いを市政に届け、実現を求めていくのがその基本となります。しかし願いも多様で、吉川区そのもののPRも大事なことの1つである。わかっていたつもりでしたが、最近、意識的な努力が足りないなと反省しました。
 明日は阿賀野市へ行くため、書き込みを休みます。


2006年11月10日

全国男女共同参画宣言都市サミットinじょうえつ

 きょうは男女共同参画宣言をしている市町村の人たちが上越市に集まって交流しました。市議になってから、男女共同参画社会づくりをめざす講演会、フォーラムなどに出たのは今回で2度目ですが、全国的な集会は初めてです。会場となった文化会館の席はほとんど埋まりましたから1500人は軽く超えたのではないでしょうか。男性も女性も共に輝くためにどうしたらいいかを考えている人たちがこんなにもいることはすばらしいことです。
 内閣府の男女共同参画推進本部の報告や基調講演の時は、3日間のたびの疲れからか、いまひとつ集中できなかったのですが、宣言をしている自治体首長がパネラーとなったシンポジウムは一生懸命メモを取りながら聴きました。「男女共同参画という6文字はわかりにくい。うちは男女が共に輝くまちづくりといっている」「政府は語れど人民は動かず。教育を御覧なさい、国の言うことをきいているとダメになる」「やさしさを手づくり、元気を手づくりしていくことが大切」「水俣病は住民の心の絆を断ち切った。男女でいきいき、共に輝くために『もやいなおし』をやっている」など自立した自治体経営を目指している首長の発言には目をみはりました。
 きょうの集会および交流会では、いろんな人たちと出会い、再会しました。旧吉川町出身の新発田市議・佐藤真澄さんがバッチリときめた服装をしてきているのにはびっくり。彼女からは、一緒に記念写真を撮らせてと言われました。ごめんなさいね、議員さんとは一緒に写真は撮らないようにと言われているので、と離れた人は県公安委員会のOさん。茨城県から参加したHさんは有機栽培で頑張っている人、野菜栽培の苦労、牛飼いのことなどを話できました。もう1人書いておきたい人がいます。集会の司会者です。最近、目が悪くなって集会の時にはわからなかったのですが、司会者は旧吉川町農業委員の仲間、江村奈緒美さんでした。輝いていたなぁ、彼女は。


2006年11月09日

3日間の旅から戻って

 7日から3日間の旅が終わって、夕方戻ってきました。市議会常任委員会の視察もたいがい3日間なのですが、今回はいろいろなことがあって、疲れが残りました。まず、初日。強風でスケジュールが狂いました。同僚議員から直江津駅まで送ってもらい、改札口へ行ったら、様子がいつもと違います。待合室には大勢に人たちがいて、あわただしい。強風で北陸線、信越線、ほくほく線がストップしていたのです。それで、急遽、予定を変更して、長野まで鈍行で行き、そこから先は長野新幹線にて東京へ。席に座れない人がたくさんいる普通列車は本当に久々でした。
 ハプニングは昨晩もありました。ホテルの外で夕食を済ませ、ぐっすり眠っていたところ、夜中に非常ベルが鳴り続け、飛び起きました。同僚議員と非常口を探し、やっとの思いでドアを開け、外を見たら異常なし。ホテルの館内放送では原因不明とのことでしたが、おそらく酒を飲んだ人のイタズラかうっかりミスだったのでしょう。何も無くて幸いではありましたが、一度高ぶった神経はなかなか収まりませんでした。しょうがないので、八重洲のブックセンターで購入した奥田英朗の『イン・ザ・プール』(文集文庫)を読みました。眠れなかった議員は私以外にも何人もいたようです。
 今回の旅の中心は平塚市と新座市での視察です。両市の自治基本条例の制定経過、制定の思いは違いがあって、これから制定するわれわれにとってはとても参考になりました。特に平塚市のものは、市民から親しんでもらえる、わかりやすさを追求するとともに、国や県などと対等な、自立したまちをつくろうという姿勢が明確にされている点ですごいなと思いました。自治基本条例全体を「です、ます」の文体でまとめたものとしては青森県の旧倉石村などいくつかありますが、市としてはここが初めてかもしれません。自治体の憲法ともいうべき条例がむずかしくて、とっつきにくいということにならないようにしたいものです。平塚市のものは、上越市の市川前議長が言ったように、前文で平塚市の歴史と文化、個性を書き込んでいない点が惜しかった。
 
 さて、家に戻ったら、郵便、留守電、メールがたくさん来ていました。2年間、中国に行っていた友人からは、「積もり積もった話があるので会いたい」との連絡がありました。また、吉川町時代、たいへんお世話になった東工大の名誉教授の青木先生からも、「元気ですか」とそれこそ元気な声が録音されていました。今月はいろんな懐かしい人と再会できそうで、とても楽しみです。


2006年11月06日

「%に入らんがですわ」に大笑い

 今週は大忙しの1週間になりそう。市議会特別委員会の視察があり、「囲む会」もあります。原稿を書かなきゃならないものもいくつもあります。無理をせず、80%の力で一つひとつやっていきたい。
 きょうは議員控え室で生活相談、そして「囲む会」に出された要望などのまとめ作業をしました。ある市役所職員がわが議員団控え室にこられた時に、偶然、生活相談の方と一緒になりました。3人は中頚城連合青年団で知り合った仲間です。30年も前のことながら、一緒になるとなぜか連帯感を感じます。
 午後から2時間ほど時間をとって、吉川区へ戻りました。食料農業農村議員連盟の農業生産活性化部会のメンバーが吉川区内の農業生産法人を視察するというので、大乗寺の法人が栽培している自然薯とグラジオラスの畑の視察から同行しました。佐藤組合長さんの話はこれまでも2回ほど聞いていますが、いつもユーモアたっぷりです。きょうも「グラジオラスの栽培は法人の収入の何%くらいになりますか」と質問されて、「%に入らんがですわ。もうからんくて」とやっていました。参加者は大笑い、わかりやすいと評判でした。
 明日は午前が党議員団会議、午後から上京します。帰ってくるのは9日の夕方になりますので、それまで「ホーセの見てある記」はお休みします。お元気で。


2006年11月05日

壇ばらい、そして骨おさめ

 大島区にある母の実家の伯母が亡くなってほぼ2週間になりました。きょうは壇ばらいと骨おさめの日です。日中は少し動くと汗ばむほど暖かく、骨おさめするには最高の日でした。伯母の甥にあたるNさんから母の実家まで送ってもらいましたが、壇ばらいの開始時間よりも1時間も早い午後2時に到着しました。居間には小さな布団が敷いてあって、数日前、誕生したばかりの赤ちゃんが寝ています。伯母にとってはひ孫にあたるこの子の名前は「心路(こころ)」、壇ばらいにやって来た人たちが次々とそばに行き、「いい名前だねぇ」「ばあちゃんの生まれかわりだ」と言っていました。
 壇ばらいが始まるまで時間がたっぷりとあったので、ゆっくりと伯母の家の周りを散策しました。近くのブナ林が紅葉していてとてもきれいです。すぐ下にある家の柿の木も大きな葉が見事に紅葉していました。しかも太陽が西の方から光を浴びせ、葉はキラキラと輝いていました。伯母のことを思い出したのは、庭にある一本のナシの木の枯葉が一枚、落ちてきてカラカラッと音をたてた時でした。お盆泊まりに来た時、この家の裏にあった横井戸から冷えたスイカを出してもらったこと、私が本を出した時にはとても喜んでくれたこと、伯父が亡くなってしばらくしてから伯母も同じ病気になった時、「オラも早く逝きたいと思ってソ」と言ったこと……。
 壇ばらいがすんでから、集落の高台にある「大桜高台霊園」のお墓に骨おさめにみんなで歩いて行きました。5年前の伯父の骨おさめの時には雪でしたが、今回はまだ雪は無く、おだやかでした。舗装した道には落ち葉があって、歩くと、かさかさした音がしました。紅葉を楽しみ、おしゃべりしながら墓まで行きました。無事、骨おさめが終わって帰る時、何人かの人たちが近くのブナ林にいるキツネにだまされた話をしました。あれは、ばかされた人間でないとわからない感覚だ。ばかすのだったら、もっと若い女をばかせばいいのにね。そんな話が聞こえてきました。どうやら、伯母もばかされたようなのです。
 伯父の骨おさめでは鳥の鳴き声が印象に残っていますが、きょうは景色です。この高台から、紅葉した山々がよく見えました。それも見覚えのある山です。天明山(てんみょうさん)、吉川区と大島区の境にあります。母によると、旧旭小学校の子どもたちが必ず遠足に出かけた山といいます。従兄に「ひょっとすると、あの山の向こうに見えるのは尾神岳じゃない?」とききました。「そうだよ、尾神だ。ここから、ひとっとびだ」。母が生まれたところと私が生まれ育ったところを直線で結ぶと、こんなにも近く感じる。この感覚は初めてです。とてもうれしく思いました。


2006年11月04日

牛舎周辺の木々も紅葉

 連休と言っても仕事をしている人が多いからね……。昨日の芸能発表会で聞いた高橋実行委員長の言葉が気になりました。きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でしたが、高橋さんの言われたとおりでした。土木工事に携わっている人も、郵便配達の人も、普段どおり仕事をしています。農家は農家で、きょうのようないい天気には畑仕事、雑穀物の乾燥で大忙しです。もう、冬に向けて囲い仕事をしている人もいました。遊んでいる人はいないんですね。
 紅葉は山間部から平場に下りてきました。わが牛舎周辺も雑木林が広がっていますが、カラフルになりました。モミジ、ヤマウルシなどの赤色系統と山芋など黄色系統が混ざり合ったところは、とても美しく、うっとりしてしまいます。こういう光景は、もう1週間くらい続くでしょうか。そのあとは、冬が静かに、場合によっては突然、やってきます。
 きょうは新聞配達以外では、文化展での作品鑑賞、「囲む会」で動きました。区体育館での展示は、今年から大きく変わりました。書道作品がほとんどなくなってしまいました。その代わりに小学校、中学校の児童生徒の作品が並びました。書道関係者に「どうされたのですか」と尋ねますと、「みんな高齢化してしまい、展示や片づけができなくなった」との答えが返ってきました。そういえば、会場できれいに咲いていた菊の関係者からも、同じことを聞きました。重い植木鉢を運び込むのがたいへんだと。


2006年11月03日

吉川区第2回芸能発表会

 文化の日。さわやかに晴れました。吉川区はきょうから3日間、生涯学習フェスティバルです。初日のきょうは芸能発表会でした。実行委員長の高橋勝さんから、「終わりまで応援してやってくんない」と要請され、昨年と同じく始めから終わりまでみせてもらいました。発表するグループが昨年よりも減ったこともあって、その分、さみしくなったような気がしましたが、発表グループにとっては日頃の練習の成果をみてもらう最高の機会です、真剣な表情での演技、演奏が印象に残りました。
 今年の芸能発表会では、特別出演した吉川中学校の吹奏楽部などが聴衆を意識した取り組みをしました。吉中は、20数年前の懐かしいピンクレディーメドレーを演奏し、楽しませてくれました。大正琴のグループ、吉川琴永会も「見上げてごらん夜の星を」「好きになった人」などを演奏しました。司会はベテランの竹内昭二さん、「指を動かすことは老化を防ぎます。頭のためにもいい。今年は4人の仲間が増えました。『緊張のあまり、違った音がでたらごめんなさい』。吉川琴永会の皆さんの大正琴をお聴きください」と名調子でした。全体的にみると、今年はまじめで、一生懸命さが目立ちました。昨年のマツケンサンバのような笑いがいくつかあると、もっと楽しい発表会になるかもしれません。
 夜は「囲む会」でした。昨年参加できなかった顔ぶれもあり、にぎやかな会になりました。スライドを使った議会報告は、こちらの説明の最中に「柿崎病院後援会で一戸あたり100円納めたけど、どういう使い方をしているのか」などといった質問が出たり、意見を言う人もいて、これまでの会とは違った展開をしました。教育基本法改悪のための、どこかの「やらせ質問」と違って、こういうシナリオのない、生の展開こそ価値があります。今晩は勉強になりました。
 家に戻ったのは9時過ぎでした。夕飯を食べたあと、久しぶりに、妻や子どもとテレビをゆっくり観ました。民放の『泣きながら生きて』はある中国人一家のドキュメンタリー番組です。文化大革命の嵐のために、青春時代にしっかり学問をできなかった父親が娘に夢を託して必死に働く姿、15年も家族がバラバラに住みながらも、家族がひとつになって生きていく姿に涙を流し続けました。


2006年11月02日

連休前日

 明日から3日間の連休です。すっかり忘れていましたが、それに伴い、金曜日にやっていたことは木曜日にやらなければなりません。例えば、市役所、農協での「しんぶん赤旗」日曜版の配達、休みの前日ということで、きょうやりました。ところが、新聞は1日早く到着しているにもかかわらず、議員団ニュースは間に合いませんでした。いつもの調子で木曜日の朝までに作成すればいい、と思っていたからです。ダメですね。
 市政レポートの方は間に合わせました。朝早く起きて、市政レポートを作成しました。ただ、今回は裏面も書こうと頑張ったのですが、シリーズの「春よ来い」だけまだ書き終わっていません。日中は市役所の議員控え室で、平場の集落向けのスライドづくりをしました。パワーポイントを使ってのスライドづくりはまだ慣れておらず、技術的にもわからないことがたくさんあります。わからないことは知っている人に聞くのが一番です。きょうもアニメーション設定と空白ページの関連について教えてもらいました。
 きょうの夜の「囲む会」は主催者側からの参加は私一人です。プロジェクターの用意、後援会の横断幕など事前の準備に15分くらいかかりますので、一人の時は上着を脱いで集中してやっています。今晩の会場は、昨年の「囲む会」で出された要望がいくつも実現しているので、気分的にもやりやすく、懇談もなごやかでした。ストーブに火をつけてもらったので会場は暖かく、この効果もあったようです。開催地の地元の要望だけでなく、「4ヘクタール以下の農家にも支援を」とか「いじめ対策にどう取り組んでいるか」など全市的な問題に関しても発言がありました。また、今後の市議選の選挙区がどうなるかとか、私の日頃の活動についても語ってもらいました。後片付けでは、何人もの人たちが手伝ってくださいました。とても助かりました。
 今年こそ「赤旗まつり」に参加できるかと期待していたのですが、明日からの生涯学習フェスティバルなどでの挨拶や伯母の壇ばらい、骨納めなどが入ったため、見送りしました。私と会えることを楽しみにしていてくださったみなさんには申し訳なく思っています。


2006年11月01日

「囲む会」はきょうから5日間連続

 先月は「橋爪法一を囲む会」を20会場で実施したいと思っていましたが、なかなか日程がとれず、12ヶ所でしかやれませんでした。今月は上旬から頑張ろうと意気込んでいます。きょうから5日間連続開催です。その後は他の予定が次々と入ってきていますので、これも致し方ありません。仲間から、無理をせぬようにと声をかけてもらっていますが、風邪などに注意しながら頑張りたいものです。
 「囲む会」に取り組んで一番いいなと思うのは、住民の皆さんの生の声が聴けることです。今晩は10人の参加者のうち6人の方から次々と要望が寄せられました。「簡易水道の水源では十分水があるのだが、それをうまく集められず、不足することがある。援助してほしい」「魚沼の人たちが山間部の農業生産法人を視察したいということでバスに乗ってこられた。ところが丸滝橋をすぎ、最初のカーブのところでバスの運転手が『これから先はかんべんしてくれ』と言ってばんざいしてしまった。こんな狭い県道でいいのだろうか」「浦川原区とつながる県道も狭くて悪い。区と区をつなぐ主要道路なのに、これでは困る」。こうした一つひとつの声はいずれも大切にして解決に向けて動いていかなければなりません。
 こうしたなか、「囲む会」で出された住民要望にこたえようと市当局が一緒に考え、動いてくれるとありがたい。きょうは、先日、ある集落で出された要望のうち、「太陽光線で信号機の色が何色かよく見えないことがある」という声にどう対応するか防災局で話し合いました。県警から出向してきている交通安全専門官からLED(発光ダイオード)のいい点と弱点など信号機に関する詳しい情報を教えてもらいましたが、再度、現地調査をしてみる必要がでてきました。


2006年10月31日

県土木部長への要請

 きょうは主要地方道新井柿崎線の整備促進を求めて、県土木部長への要請に出かけてきました。私一人で行ったのではありません。この道の整備促進のために結成した上越市の議員連盟の一員として参加したのです。市役所の都市整備部長も同行してくれ、総勢9名でした。
 今回の要請の具体的な中身は歩道、防雪柵の設置、交差点改良、橋梁架け替えなどでしたが、いずれも住民の安全に関わるものばかり。県土木部長とのやりとりのなかで改めて確認できたのは、無駄な大規模開発がすすめられている一方で身近な道路の整備が遅れているということでした。例えば、新井柿崎線の歩道の整備率は37.8%にすぎません。それから、橋の架け替え。県内のメタルの橋で60年以上経過しているものが44もあるものの、財政が厳しいから優先度を決めて順次整備していることが明らかにされました。清里区内のこの道にも幅員の狭い老朽化した橋が1本かかっていて、時たま、接触事故も起きているといいますが、きびしい話でした。
 要請が終わってから出発まで10分ほどありました。この時間を利用してある課長を訪ねてきました。大学時代の同級生、Kさんです。最初、私が誰かわからなかったようで、名刺を出したら、「おおっ」と声を出し、穏やかな顔になりました。34年ぶりの再会でした。彼は何べんも「(会えて)よかった」と繰り返していましたが、こちらもうれしかったですね。もっとも政治の場では対立することもある部署にいます。彼は、「(日本共産党の)五十嵐県議さんから、時々、きびしい質問をしていただいているよ」とも言っていました。
 


2006年10月30日

自治基本問題調査特別委員会

 午前は議員団会議、午後は自治基本問題調査特別委員会でした。先週は一度だけしか市役所・木田事務所に行かなかったこともあって、なぜか久しぶりに出かけたような気分でした。午前の団会議では9月議会報告チラシの最終チェックと当面する課題について議論しました。一番時間をかけたのは、自治基本条例づくりにどうのぞむかです。いじめ自殺をめぐるマスコミの対応についても話題になりました。教育基本法改悪をすすめるために利用しているきらいがあるという指摘がありましたが、同感です。
 自治基本問題調査特別委員会では、会派ごとに検討してきた内容を集約する作業が行われました。私は午前中の団会議での議論に基づいて発言しました。基本的には合併協議会自治基本条例小委員会や市民会議での議論の積み重ねを尊重すること、そして議会が主体的に係っていくためは条文の形での提案が必要だということを訴えました。また、個別の項目を審議する前に、そもそも自治基本条例がなぜ必要か、その全体像をどうするかを議論すべきだとものべました。
 委員でもある山岸議長および石平委員から今後の審議の方向について提案があり、①前文、基本理念を含め条例の全体像を議論する、②個別の検討課題としては、当面、市議会の責務、住民投票制度、最高規範性、都市内分権の4つを優先的に取り上げる、③これまで市民会議がまとめてきたものについての各派の意見、提案などを文書でまとめ、提出することを全委員で確認しました。いよいよ次回から本格的な検討がはじまります。次回は来月17日の予定。
 「私の好きな風景」に「柿のある風景2」をアップしました。このHPの容量の関係でかなり解像度を落としてありますが、ご覧ください。


2006年10月29日

「家栽の人」の話

 きょうの最大の収穫は、「子どもの権利を考える市民フォーラム」での講演です。講師は元家庭裁判所調査官の佐々木光郎さん、現在は静岡英和学院大学教授です。まったく知らなかった人なのですが、「少年非行と子どもの権利」と題する講演を聴きながら、ある漫画を思い出していました。毛利甚八作・魚戸おさむ画の『家栽の人』です。漫画の主人公は家庭裁判所裁判官の桑田義雄でした。でも、少年審判・家事審判を解決していく時の姿勢は佐々木さんも桑田裁判官と同じで、温かく、感動的でした。違いといえば、植物の話が出てこないくらいです。
 豊富な事例に接してきた人だけに、なるほどと思う話がいっぱい。非行少年たちの食事で共通しているのは、家族一緒に食べないこと、栄養のバランスがとれていないことだ。食をつくるプロセス、すべて生きているものを殺して食べているという意識も無い。事例として出されたのは、毎晩の夕食、1000円をもらってコンビニで弁当とかカップラーメンなどを食べているという話でした。そしてこういう子どもがテレビで「サザエさん」をみていて、この番組を「痛い」と感じていた。とてもわかりやすい。
 非行の根が深い人はイスに座る姿勢に特徴があるといいます。イスから落ちるか落ちないかというくらい浅く座って、手は両脇にだらり。会場の聴講者全員がその姿勢をとるよう求められましたが、壇上から佐々木さんが、「あっ、そこの人うまい。その姿勢です」と何人かを指差していました。私もほめられたひとりでした。ほめる時はちょっとしたことでもほめる。どんなことでも「刑事コロンボ的かかわり」を大事にする。右手にタバコ、左手で頭をかき、4秒間待つ。子どもの、問題だなと思う言動にすぐ反応する大人の一人として反省させられました。佐々木さんの話は子どもと向き合うためだけでなく、人間として生きていく上でのヒントに満ちていました。


2006年10月28日

19銘柄が勢揃い

 上越市と妙高市の造り酒屋を合わせると19あります。ほとんどは辛口で人気のある地酒ばかり。きょう、この造り酒屋が高田の本町通りに勢揃いしました。この酒のほかに、川上善兵衛が日本で最初につくったといわれる岩の原ワインがあり、特区で、これまた日本最初の公認となったどぶろくもある。さらに地ビールも。第1回の越後・謙信SAKEまつりは賑わいましたね。試飲コーナーがあり、酒やワイン、地場産の酒饅頭、寿司などの販売も行われていました。
 このまつりの契機となったのは、越後よしかわ酒まつりです。ここに参加した木浦上越市長が市内全域の酒屋を集めてこうしたまつりをしたいと関係者に働きかけたと言われています。それが妙高市も加わって、ひろがりました。参加してみて、改めて思ったのは、上越地方は酒の郷であることです。大勢の杜氏が全国各地に出かけ、酒造りをする「頸城杜氏」の郷であるだけでなく、地元でも酒造りが盛んなところである。しかもいい酒が多い。これを全国に発信していくことはこれまで弱かったと思います。
 まつりの中央舞台は大和デパート前。ここでは謙信太鼓や酒造り唄などが披露されました。酒造り唄は父がいくつも知っていて、よく唄っていたこともあって、何度聞いてもいい。きょうは保存会の人たちが揃いの法被を着て、唄っておられました。このなかには吉川区の長谷川和作さん、高倉一郎さんの姿もありました。いつも越後よしかわ酒まつりなど地元吉川で聴いていたのですが、こういう場で聴くのは初めてです。なにか遠征試合に出た地元チームを応援するような気分でした。


2006年10月27日

Sさんからの電話

 ここ数週間、ゆっくり休みがとれませんでした。そのせいでしょう、きょうは議員団事務局長の上野さんと市議会報告の校正作業をしたのですが、途中から目が開きません。「お疲れのようだから、休んだ方がいいよ」と言われ、家に戻って横になって目が覚めたら何と4時。これで、きょう、明日の予定は大幅な変更が余儀なくされました。
 夜になって、とてもうれしいことがありました。党の常任活動家だった人で、体調をくずしていたSさんから、電話があったのです。Sさんはたいへんな頑張り屋で、なんでもとことん集中してやる人でした。私の町議2期目の選挙の時には、張り付いて指導してくれた人でもあります。「これ以上、頑張ってはいけない」というラインが見えなかったのでしょうか、無理をして体調を崩してしまいました。もう何年も姿を見ていないし、会っていません。電話は「あんたのホームページに私のことが書いてあるということを知らせてくれた人があったけど、どうしたら見れるか」という問い合わせでした。電話では、これまでのこと、いま取り組んでいることなど15分くらい話をしました。今度、一緒に出かけようという約束もしました。一度、会いたいと思っていた人だけに、良かったです。
 きょうは、どうしても撮っておきたい写真があるので、出かけたのですがダメでした。夕方になってしまったので、明るさが足りなかったのです。撮りたい対象は「民家と柿の木」です。先週から葉も紅葉し、「里の秋」の素敵なところがでています。明日は撮れるかな。


2006年10月26日

農協川谷店は賑やかでした

 午前は3つの集落をまわり、「囲む会」の案内をしました。寒くなってきたので、雪が降らないうちに、山間部の集落での「囲む会」を終えたいと思っています。久しぶりに農協の川谷店へ寄ったら、ちょうど買物に来た人たち6人がお茶飲みをしている最中でした。そういえば木曜日は売り出しの日。ここに来た人たちは買物だけでなく、お互いに顔を見せ合って、しゃべり、元気をもらいます。農協組織の再編、合理化が進むなかで、川谷店は住民の強い働きかけもあって存続が決まりました。そのことが頭にあるせいなのか、集まっている人たちがとても明るい感じがしました。
 私も一緒にお茶をご馳走になりました。この地区へは大島区から嫁に来ている人が何人もいます。伯母の死についてもすでに知っている人がいて、「たいへんだったね」と声をかけてもらいました。また、「春よ来い」をいつも楽しみにしていてくれるNさんからは、「じいちゃん、その後、なじょだね(どんな具合か)」ときかれました。この発言を皮切りに、「骨太で、がっしりした体格の人だったがに、無理しなったがだこて」「大事にしてやってくんない」などと、父のことを心配してくれる声が続きました。ありがたいことです。
 きょうは後援会幹部の方たちがポスター張りをしてくださいました。これまで支部が責任を負うポスター張りについては、私だけでやることがほとんどでした。党地区委員会から10月中には張り出しを完了するようにという要請がでていたので、とても助かりました。市役所からの帰り道、吉川区内で、日本共産党のポスターが何枚も目に入りました。とても、元気になりますね、たくさんのポスターを見ると。


2006年10月25日

伯母の葬儀、そして文化財調査

 伯母の葬儀でした。一番心配した天気は晴れ。この時期の天気としては最高でした。母を軽トラに乗せて、浦川原区まわりで大島へ行きましたが、大島区の大平付近は霧が立ちこめていて、伯母の家に近づくとまた晴れていました。板山に住む従弟によると、大平周辺で霧が低く広がっている時はいい天気になるということです。伯母の葬儀は順調でしたが、火葬場までの距離が長いと感じました。5年前の伯父の葬儀の時は、浦川原区に火葬場があり、20分もあれば着きました。今回は五智の上越斎場です。1時間もかかりました。
 葬儀などで話題となったことの1つは、葬儀で使った伯母の写真です。おだやかで、じつにいい表情をしています。この写真は写真屋さんが撮ったもの。旧大島村では、77歳の祝いの時に村で写真を撮ってくれたそうです。これなら、いざという時に、どの写真を使おうかとバタバタすることもありません。もっとも、従弟たちによると、6年前の写真だから使えたけれど、90歳代まで生きたケースでは、この写真では若すぎるということでした。それにしても、喜寿にこういうプレゼントがあるというのはいいですね。
 初七日は母にでてもらい、私は午後から吉川区に戻りました。旧町指定の文化財の調査に同行するためです。対象は、雪のため、前回調査できなかった尾神岳の報尽碑。そこに至る市道尾神北線は現在、改良工事中です。長靴を履いて参加しました。工事している区間は土だけの道です。ユンボなどで踏み固められていた道は弾力性があり、歩くと最高の気分でした。久しぶりに味わった「べと」の感触、こんなにもやさしいとは思いませんでした。私が報尽碑を訪ねたのは、今回で少なくとも5回目となります。今回の調査では、碑文、碑の位置、周辺の土質、景観など、様々な角度から調べが進められました。調査が終わり、報尽碑下の広場に下りた時、生涯学習課の小島副課長が声をあげました。「これはすごい、絶景だ」。親鸞聖人が799年前、越後の国に流された時に上陸した居多ヶ浜が太陽光線の影響なのか、くっきりと浮かび上がっていたのです。
 調査が終わってから懇談会をやりました。今回の調査での最大の収穫は、「報尽碑のある場所からは、親鸞聖人が上陸した場所、高田の浄興寺、ゑしんの里などが全部見渡せること」をみんなで確認できたことです。これで文化財としての報尽碑をどう活かすかが見えてきました。「報尽碑への道が舗装されても、歩ける人はできるだけ歩いてみてもらった方がいい」「雪崩発生箇所が大切なポイントとなる。ここでの解説が大事」などの意見も出されました。懇談会では、これまでの吉川区内文化財調査を振り返りましたが、顕法寺については追加調査をしようとの声が文化財調査審議会の植木委員長などから出ました。この調査によっては、新たな指定文化財候補が出てくる可能性もあります。


2006年10月24日

ストーブをつけて葬儀の準備

 ずいぶん寒くなりましたね。薄地のブレザーを今月いっぱい着るつもりでいるのですが、きょうは冬用を着たくなる気温となりました。朝から夕方まで大島区の伯母の葬儀関係で動きましたが、居間というか、昔、囲炉裏があった部屋では、ストーブをつけました。私の仕事は火葬場へ行く人の名簿、初七日参加者名簿、焼香予定者名とその順番などをパソコンを使って整理すること、遠くから電車でやってくる親戚の人たちを「ほくほく大島駅」まで迎えに行くことでした。伯母の家の親戚には政治に係ってきた人が多く、元の大島村の村長、三郷市の前教育長なども出迎えました。
 遠くからの参列者を私が迎えに行くことになった理由は酒を飲んでいなかったから。葬儀には酒はつきものですが、夕方には車の運転をしなければならなかった私は、ウーロン茶でがまんしました。おかげでいろんなことを見聞きできました。迎えにはオートマチックで運転する乗用車を借りました。ゆったりした運転席はとても気持ちがいい。ところが降りるときになって、車のキイをはずすことができません。ワイパーなどすべてがオフ状態にならないとはずれない車があることを初めて知りました。都会の草一本無いところの生活と大島区などでの生活の差をどう実感しているかという、元村長さんの話は、先日、東京駅周辺を歩いたばかりだったので、おもしろく聞きました。
 夜は「囲む会」でした。日曜日もそうでしたが、今年の「囲む会」は女性の参加が多い感じがします。私の話を初めて聞く人がほとんどでしたので、つい、ハッスルしてしまいました。30分の予定の報告は45分にも及んでしまいました。しゃべりすぎるとすぐ喉がやられてしまいます。少し声がかすれました。先日から使用するスライドの中には最低1枚は会場となる集落に住む人とか、なじみの風景などを入れるようにしています。これは好評で、きょうも川袋の春祭りのスライドを映し出したところ、とても喜ばれました。懇談では、核家族化に伴う問題をどう考えるか、中山間地対策、運転免許証更新問題などが出されました。


2006年10月23日

「のうの」の伯母亡くなる

 午後1時半過ぎでした。ちょうど、地区議員団会議で私が発言している最中でした。大島区に住む従兄から電話が入り、伯母が亡くなったことを知らされました。大島区には3人の伯母がいます。母の一番上の姉(足谷の伯母さんと呼んでいます。現在、県立松代病院に入院中)、その次の姉(板山の伯母さんと呼んでいます。先回の「春よ来い」に登場)、そして母の実家の伯母です。屋号が「のうの」であることから、「のうの」の伯母さんと呼んでいました。亡くなったのは「のうの」の伯母です。数年前にがんに侵されていることがわかり、胃の手術を受けていました。伯父が胃がんで亡くなってまもなくのことでした。まさか同じところががんになるとは伯母も思っていなかったようです。
 「のうの」の伯母は気の毒なことが続きました。昨年の3月12日には交通事故に遭い、労災病院に緊急入院しました。意識はあったものの、右側の半身がきかなくなっていましたが、その後、奇跡的に回復して、数ヵ月後には畑仕事もできるようになりました。この経過については「ホーセの見てある記」に書いたとおりです。でもがんは再発、最近は、ずいぶんやせてやっと歩いている状態でした。上川谷へ市政レポートを配布に出かけた際、「のうの」に寄った時が伯母との最後となりました。突然、訪ねたのですが、伯母は不自由な体でありながらお茶を出してくれました。私にとっては、子ども時代からお世話になり続けてきた伯母です。父のことでバタバタしていて、再入院した伯母を見舞うことができなかったので、申し訳なく思っています。
 きょうは、連絡をうけてすぐ「のうの」へ行き、葬儀の準備の手伝いをしました。明日はお通夜、明後日は朝8時から葬儀となります。尾神岳経由で家に戻ったのは夜9時前でした。
 従兄の了解を得て、私のスケジュールは変更しないで頑張りますので、よろしくお願いします。ただ、市役所の木田事務所には、今週は行けなくなりそう。来週、来た時に連絡しますからと言っていた職員の皆さん、しばらくお待ちください。
 「春よ来い」第70回、「医者の『面接試験』」を掲載しました。


2006年10月22日

地元小学校の文化祭

 吉川小学校の文化祭に出かけてきました。来賓として呼ばれていることもありますが、出かけてみたくなる楽しみがあります。そのひとつは、絵です。学年ごとにテーマが決まっていて、その学年らしいといったらいいか特徴がある。それから個性あふれた作品もある。例えば1年生。「きらら」という名前のうさぎを飼育しているのですが、うさぎと自分の姿を描きました。私たちと違って、まだ背の低い子どもたちにはうさぎはずいぶん大きく見えます。学校生活の中でうさぎと仲良しであることがわかる作品が多かったですね。そのなかでも私の目を引いたのは「いべ・きょうや」君の「きららちゃん、まてぇ」でした。タイトルからいうと、うさぎを追っかけているのかと思ったのですが、絵では逆にうさぎに追っかけられていました。じつに楽しい作品でした。
 学校の文化祭では図画の展示だけでなく、音楽発表会もあります。これがなかなかの人気で、家族みんなで参加する人たちも少なくありません。小学校の体育館は満杯でしたね。1年生から6年生までみんな良かったと感じましたが、とても興味深くみたのは4年生の歌と合奏などによる創作劇『みんなの宝物を探しにでかけよう』でした。市内のすべての小学校が集まる合同音楽発表会で吉川区の魅力を紹介する内容となっています。これが子どもらしくてとてもいい。吉川区の宝物、最初に紹介されたのは「自然の豊かさ」でした。その理由は何かというと、学校周辺でクワガタがとれるからということでした。2番目は米でした。この米を使ってつくる酒がうまいといって、一升瓶を持ち出し、酒飲みをしている光景には大笑いでした。「ぼくたちはふるさと吉川にいろいろなものをみつけています。みなさんはどんなものをみつけていますか」と結びました。
 午後からは「橋爪法一を囲む会」を3会場で行いました。日曜日なので忙しくて参加者が少ないのではと心配したのですが、どこもたくさん集まっていただきました。きょうは後援会の方から朗読ボランティアの小田順子さんにも参加してもらいましたが、小田さんの朗読がある時はちがいます。今回は「幸せめっけた」の中の「ばば殺し」や「春よ来い」の中の「ワラはたきの音が聞こえる」を朗読していただきました。囲む会では、運転免許証の更新問題、除雪対策、それときょう新聞に折り込んだ「限界集落」調査に関していろいろと意見が出ました。懇談してみるもんだと思ったのは、カーブミラーの設置位置についてでした。太陽光線でまるっきり反射してくる時間帯があるという話を初めて聞きました。信号機にも太陽の位置によっては赤だか青だか、まったく判断できないという声もありました。こういうのは人命にもかかわることですので、すぐに調査したいと思います。


2006年10月21日

親守(おやもり)?

 子どもを見守り、一緒にすごし、世話をすることを子守といいます。これはわかります。では、この逆は何と呼べばよいのでしょうか。きょうは土曜日でしたが、妻も長女も勤務でした。長女に「おばあちゃんひとりに任せちゃダメだよ。つかれるんだから。それに畑仕事もしたがっているし…。お父さんも時間つくって、じいちゃんの世話してよ」と言われたので、3時間ほど父と一緒に過ごしました。
 居間にすわり、パソコンで仕事をしながら父の世話をすればいい。そう考えていたのですが、簡単にはいかないことがすぐわかりました。父はベッドに寝てはいますが、トイレに行こうとします。「ばちゃはどこへ行ったか」とさがします。これをひんぱんに繰り返すのです。足がしっかりしていればまだいいのですが、いつ転ぶかもしれない。きわめて不安定な歩き方をしています。そして、時たま、外に出ようとするのです。日頃、母や長女にまかせっきりになっている父の介護の大変さが、きょうはよく分かりました。
 午後からは総合事務所で開催された「まちづくり吉川」の講演会に出て、その後、尾神岳経由で大島区へ飛びました。あるお寺の住職が私の本がほしいというので届けてきたのです。そして夕方からは、楽しみにしていた「上越名人会」に出てきました。本物の落語は今年に入って2度目です。柳家小さんの孫にあたる花緑がじつにいい演技をしていましたね。講談、踊りもよかった。日本舞踊の世界は伝統があります。きょうの「京人形」「流星」、どちらも初めて観ました。
 名人会では、これまで味わったことの無い魅力を発見しました。人間の体で芸術的な表現をする舞踊がきれいなだけでなく、これほど楽しいものだとは思いませんでした。踊っていたひとりは同じ市議会の佐藤敏議員です。この人は議員としてだけではない、何かを持っていることを日頃から感じていましたが、まさに芸人です。見事でした。拍手。


2006年10月20日

長野市議会との交流会

 数年間途絶えていた上越市議会と長野市議会の交流会が復活しました。長野市議会からは職員を含めて37人の方が、上越市議会からは47人が参加しました。場所は国民年金健康センター上越です。1時間ほど講演を聴いたあと、懇親会をやりました。どちらもとても良かったです。
 講演は上越市生涯学習推進課の中西聰文化財係長による「上杉謙信と川中島の戦い」。吉川区の文化財調査で彼の歴史を語る能力のすごさは分かっていましたが、きょうもやさしく、とても興味深い話をしてくれました。歴史というのはイメージが先行して本質とかけ離れてしまいがちだとして、既成のイメージに疑問を投げかけるスタイルで話を展開しました。上杉謙信は武将ではありましたが、今回は信仰という側面から謙信像に迫りました。
 49年の生涯のなかで、謙信は真言宗を敬虔に信仰していて、ずっと係りながら生きていた。兜の前立てには雲の上に飯綱(いづな・きつねに似た動物)が乗っているが、これは飯綱権現をあらわしている。謙信公は上越・北信濃の聖地を守ることを大義名分にして川中島へ行ったとも言われている。よく使われる「毘」は毘沙門の毘だ。旧栃尾市に謙信公が生きていた時代にもっとも近い時代の肖像画が残っているが、弘法大師にそっくり。山形県に残っている肖像画も袈裟を着て、坊さんの帽子をかぶっている。謙信公は武将というよりもお坊さんとして生きていたのではないか。
 写真や文化財などをスクリーンに映し出し、ひとつひとつ、説得力のある解説をしていく。こういう歴史講演は初めてでした。既存のイメージにこだわってはいけないことも理解できました。その点では、戦国時代に関する彼の話も強く印象に残りました。
 戦国時代はよく動乱の時代だと言われてきた。しかし、戦は100年も続くものだろうか。だいたい疲れてしまう。最近の研究で、必ずしもそうとはいえないことが分かってきた。100年続いたが、この間、人口は増加している。耕地も拡大した。日本の歴史上、もっともバブルで豊かな時代だったともいわれている。
 中西係長の話は懇親会の場でも話題になりました。同じテーブルになった長野市議のM議員は川中島でお菓子を作っている人です。また、長野市議会の日本共産党議員団(6人)のうち宮崎利幸議員とも一緒、楽しい交流ができました。宮崎議員からは、「田中角栄は牢屋の中にいて選挙に出たが、私はがんの手術で病院に入院中、市議選となった。病院の中から選挙に出た。リンゲルを打ってもらいながら演説もした」などという武勇伝も聞きました。


2006年10月19日

わがパソコンはそろりと寿命かも

 平日なのにめずらしく一日中、吉川区にいました。党中央委員会が作成したリーフの配布、生活相談、市政レポート作成で結構時間がかかり、市役所の木田事務所に行くつもりが行けなくなりました。高田の仲間から夕方寄ってほしいという電話ももらっていたのですが、それも不可能となりました。直接的な原因はパソコンの不具合です。ちょっとしたことがきっかけでマウスがまったく動かなくなってしまったのです。パソコンを強制終了させ、休ませ、正常となったのは夕方でした。ノートパソコンを購入して約4年、毎日酷使していますので、そろりと寿命なのかもしれません。
 リーフの配布などで動いたのは午前中。対象地域は源地区です。会って話すのは、この時間帯だと高齢者がほとんど。父や母のことを知っている人が多く、「じいちゃん元気かね」「ばあちゃん、相変わらず畑仕事してなるかね」などといった調子で聞かれます。こうしてみると、父や母を通じて私に親しみを感じている人がずいぶんいることがわかります。最近、親父は1ヵ月ごとに体が弱っていっているという話をしたら、Sさんは、「そうだよ。ある程度まで行くと、年寄りは1年ごとではなく、1ヶ月ごとに年をとるんだよ」。なるほどと思いました。
 明日は上越市議会と長野市議会との交流会です。近い距離にありながら、なかなか交流の機会がないのですが、今回の会がきっかけになって付き合いが深まればいいなと思います。


2006年10月18日

案内ビラ配布も楽しい

 きょうもいい天気でした。「橋爪法一を囲む会」の案内ビラ配布を3時間ほどかけてやりましたが、途中で汗がにじんできました。気温もかなり上がったようです。こんな日は外へ出かける人も多い。そういう中で、畑仕事をしている人や家でお茶飲みをしている人たちと話ができました。ほとんどが久しぶりに会う人たちですので、どうしても話は長くなります。
 Sさんを訪ねたら、ちょうど隣の人とお茶飲みをしているところでした。「橋爪です」と声をかけると、ちょっと戸を開けて、「あらまあ、政治家さんがじきじきに来てくんなったわ。さあさあ入ってくんなさい」。漬物の話から議会活動のこと、先日の敬老会のことへと話がどんどん広がりました。まるで「囲む会」の予行演習をしたようなものです。楽しいお茶会でした。
 畑では、一人暮らしのNさんと話をしました。この人は私の市政レポートをじつによく読んでいてくださいます。『春よ来い』の中の「巣立ち」がよかったねぇ、子どもが家から離れる時の親の気持ち、年寄りの気持ち、あの通りだね。おら、涙出たわね。そう言いながら、もう涙を浮かべておられました。もう一人暮らしには慣れたはずなのに、やはり、さみしいのでしょうか。それにしても、こういう反応を聞けるのはありがたいことです。
 一人暮らしではないけれど、昼間は一人になることの多いKさん。「○○さん、おれです、橋爪です」と言うと、奥から小さな声がしました。「入るでね」そう言って茶の間に行くと、Kさんは車イスにすわったまま、じっとしていました。そばには薬とお茶がおいてあります。とてもさびしそうでした。近況や体の具合を聞いた後、帰ろうとしたら、「あんちゃ、頼むわね」と言われました。もう何ヶ月も訪ねてなかったので、これからは訪問回数を増やそうと思います。
 きょうは午後から安全・安心のまちづくり条例制定に伴うシンポジュームがリージョンプラザでありました。吉川区からも総合事務所の職員だけでなく、民生委員、町内会長数人が参加しておられました。


2006年10月17日

一転、入院中止

 なんということでしょうか、入院することになっていたその日の診察で、父は入院するまでもないと診断され、通院して様子を見ることになったのです。おそらく、点滴が効いたのでしょう、昨晩からご飯を食べ始め、きょうは朝から普通に食べられるようになりました。昨日から父は「オレは入院しない」と頑張っていましたが、その気持ちが好転をもたらしたようにも思えます。午前には理髪屋さんに行き、髪も顔もきれいにしてもらいました。担当の医師からは、昨日よりもいいねと言われ、次々と出された質問にも的確な答えを出していました。まともに答えられなかったのは、きょうの日付と前回病院に来た日だけでした。
 きょうは、入院ということで、母も同行しました。長女は入院に必要な物をすべて準備してくれました。弟も仕事場から家に駆けつけ、入院を説得してくれました。入院することになっていたのは老人病棟です。母や長女とともに見学させていただきましたが、父よりも具合が悪そうな方がたくさん入院されていました。案内してくださった看護師さんはとてもやさしい感じで好感が持てました。でも、家族の顔が父の前から消えた時にどうなるかちょっと心配になりました。父の性格から言うと、「家に帰る」とわめいて迷惑をかけそうな気がしたからです。
 入院が中止になって大喜びしたのは父でした。「医者の面接試験に合格した」と言って喜ぶ姿を見て、みんなで笑いましたが、正直言ってホッとしました。これまでも、父の病状は良くなったり、悪くなったりしています。今回の好転がそのままいくとは限りません。でも、いい時ぐらいは自分の住みなれたところで楽々させてあげたいと思います。入院中止が決まってから、弟や妻などに連絡しましたが、みんなびっくりでした。妻からは、職場から「よかったね」とメールがきました。


2006年10月16日

父、入院へ

 昨日、東京へ行っている間に父の具合が悪化しました。熱も無いのにほとんどご飯を食べようとしなくなってしまったというのです。それで、きょうは朝から、大潟区のさいがた病院へ行き、いろいろと検査をしてもらいました。その結果、脱水症状などからくる意識障害(せん妄)がかなり進んでいること、レントゲン検査で左肺下部について詳しく検査する必要があることなどから、明日の午後、入院することになりました。
 きょうは長女とともに病院へ行き、父の世話をしました。午後からは長女が勤務のため、私ひとりで付き添うことになりましたが、付き添いの大変さが少しわかりました。点滴の針がなかなか入らず、30分ほど担当のお医者さんが他の患者さんの手当をされて待たされる場面があったのですが、じっと待つことができず、30秒ぐらいの間隔で医者を呼ぶよう催促するのです。そのうちに家に帰ると言い出し、なだめるのに苦労しました。点滴が始まってからは、腕をすぐ曲げてしまうので、ずっと握っていてやらないとダメです。約2時間半、握りっぱなしはくたびれました。
 父を連れて家に戻ったのは5時過ぎでした。明日入院するんだよ、といってもなかなか納得してくれません。おれは悪いところが無いのに、なんで入院しなければならないんだ、と頑固に頑張るのです。幸い、担当の医師の説明では短期間の入院になる可能性が高いので、「早く検査してもらって帰ろう」と説得する予定です。


2006年10月15日

東京吉川会総会

 きょうは楽しみにしていた東京吉川会の総会です。吉川区からは山田総合事務所長や塚田参事、まちづくり吉川の吉村理事など9人が参加してきました。もちろん私もそのなかのひとりです。いろんな荷物もあって、1台の車には乗り切れなかったため、行きは4人が新幹線・電車で東京四ツ谷まで行きました。帰りは、明日も東京で仕事のある2人をのぞき、7人が1台の車に乗って、戻りました。朝7時過ぎに出て夜9時前には帰っている、便利になったものです。
 さて、東京吉川会ですが、地元、吉川からの最大のお土産は地場産の情報です。今回はケーブルテレビで放映された「おらったりの出来事」を15分ものに再編集してもらい、懇親会の場で観てもらいました。意識的に何人かの参加者に感想を聞きましたが、「懐かしくてとてもよかった。山賀さんも出ていたし…」(石谷出身のAさん)など、全体的には好評でした。ただ、酒が入ってからの放映だったこともあってか、スクリーンに集中していなかった人もいました。懇親会の冒頭にするなど、放映のタイミングは工夫しないといけないなと思いました。放映時間も最大で7分が限度かな。来年に向けて課題が残りました。
 その一方で、予想以上に盛り上がったのは、地元から参加した3人の女性による踊りです。舞台の上での踊りは、みんなが集中してみてくれました。そして大当たりだったのはフロアーでの踊りです。司会者が「みなさんもご一緒に」と呼びかけたら、吉川音頭、佐渡おけさを踊る輪ができました。この時の参加者の表情はじつによかった。参加型アトラクションの魅力の原点をみた思いがしましたね。
 この会は吉川生まれ、吉川育ちという共通したものを持っている人たちの集まりです。13年前の設立総会から4回ほど参加させてもらいましたが、故郷のことを語り始めるとみんな生き生きしてくる。郷土が同じだけで交流することがじつに楽しく、元気が出てきます。会場では、私も何人もの人とゆっくり話ができました。私のHPをみていてくださる方も3人おられました。うれしかったです。
 来年は東京吉川会の15回目の総会となります。記念の会となりますので、地元からも最大限の参加をして大いに盛り上げたいですね。


2006年10月14日

多忙、でも充実した土曜日

 ビューティフルサタディ、英語で言えば、そう言いたくなるすばらしい天気でした。遠くの山々もすっきりと見える。しかも紅葉が始まってきていて、景色がいい。あちこちに咲くコスモスも、アキノキリンソウも、ミゾソバも素敵に輝いていた一日でした。きょうは、えちご・くびき野100キロマラソンの日でもありました。私は夕方、少しの時間しか応援できませんでしたが、選手のみなさんも気分良く走れたのではないでしょうか。
 午前は10時過ぎまで「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。気温が25度前後まで上がりそうだというので、農家は忙しそうでした。ある家ではムシロの代わりに畳の上に敷く「うすべり」を使って小豆を干していました。こういう光景をみると懐かしくなります。写真を撮らせてもらいました。ある家に行ったら、関東方面からお客さんが来ておられ、野の花のことが話題になりました。ツリガネニンジン、シラネセンキュウの花の種がほしいとか。私の知っている場所を教えたところ、とても喜んでくださいました。
 午前11時からは、「北陸新幹線 並行在来線 どうとりくむか」をテーマにした学習交流集会でした。長野、富山、石川、それと新潟の各県から60数人が集まって学び、活動の交流をする。この会は昨年に続いて2回目でした。並行在来線はどこでも赤字が必至といった状況の中で、住民の足を守り、地域の経済を守っていくために、どうしたらいいのか。巨額の初期投資に対する財政支援、JR鉄道資産の無償譲渡、並行在来線の駅を中心にしたまちづくりなどの提起は、上越市議会での議論とマッチするものでした。4県の学習交流会は「北陸新幹線並行在来線問題連絡会」として発展させることになりました。
 夜は地元集落での「語る会」です。様々な行事が重なって参加者数はいまいちでしたが、意見や要望がいくつも出て、いい会になりました。昨年の水害後、総合事務所長に吉川だけでなく、大出口川の河床掘削などについても申し入れたのですが、その後の動きはどうかとか、自動車運転免許証更新問題、柿崎病院問題の取り組みはどうなっているかなどの質問が相次ぎ、とても勉強になりました。自分流の議会活動にならないようにするためにも、こうした声を聞くことは大切だと感じました。会では、最近撮ったヤマトリカブト、ミゾソバ、シロバナサクラタデ、アキギリなど野の花の写真映像も喜んでもらえました。野の花写真はどこでも好評です。


2006年10月13日

地域政治新聞ではありますが…

 深まりゆく秋。この言葉がぴたりと当てはまる時期になってきました。稲刈りは山間部に一部残っているだけです。山も少しずつ色がついてきました。朝晩はぐんと冷え込み、暖房がほしいくらいです。ここ1ヶ月ほど賑やかに、というより騒々しく鳴いていたアオマツムシの鳴き声が聞こえなくなり、昔からおなじみのコオロギ(?)などの鳴き声を楽しめるようになりました。
 さて、きょうは金曜日、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を開始する日です。出来上がった市政レポート吉川版を毎週おり込んでいますが、紙面を見て、自分で書いていながら、「おやっ」と思いました。政治的なことは右下の災害復旧工事の写真と短い説明だけ、あとは吉川区内の出来事、駅伝とコンサートのことがメインとなっている。1、2面の無い、社会面だけの「しんぶん赤旗」日刊紙のようなものになっていたからです。初めて市政レポートを読む人ならば、「ここにもミニコミ紙書く人がいるんだね」と言いながら、レポートの下のほうに目を向け、「えっ、これ、共産党の議員が書いているの?」と言うかもしれません。
 私たちの党では、市町村段階、場合によっては県段階で定期的に出すミニ新聞のことを「地域政治新聞」と呼んでいます。そのことに異議は無いのですが、大型合併をした市町村にあっては、その新聞の中身は、これまでの町や村の広報に掲載されていた地域内の話題も書いていく必要があると思っています。そうしないと情報過疎地帯になってしまうからです。10月から11月にかけては文化、スポーツ行事が続きます。市政レポートでは、しばらくの間、政治的なこと以外のことを大きくとりあげた紙面になるでしょう。
 いうまでもなく、地域政治新聞は、地域に住む人々の暮らしの守り手である新聞です。全体としては、地域内の様々な政治的出来事と私たちの活動の紹介が中心になりますが、発行する号によっては、今回のような紙面の時も出てきます。ご意見をお寄せいただければ幸いです。


2006年10月12日

朝から夕方まで団会議

 きょうは朝から夕方まで市役所・木田事務所で議員団会議でした。会議のテーマは政務調査費問題、自治基本条例についてです。これらについては各派代表者会議、特別委員会で議員団としての見解をまとめておくことが求められていました。ふだん、日本共産党議員団として活動することが多いのですが、個別の問題を議論すると、各議員の思いもあり、激しい議論になることがあります。きょうも、都市内分権、男女共同参画などいくつかの項目について意見が分かれ、長時間の議論となりました。
 市役所が限界集落(65歳以上の人口割合が50%以上を占める集落)の本格的な調査に乗り出すことになりました。3月議会で私が問題提起したことを受けての調査です。すでに関係課で調査項目などの検討がはじまっていて、集落へは来月から入るそうです。対象集落は、今年度の4月現在のデータでいくと、約50となります。過疎地の限界集落の生々しい実態を行政が把握しようとする姿勢は大いに評価できるものです。この動きについてはすでにマスコミもつかんでいて、きょうは、この問題で取材されました。
 サルナシの実は昨日よりもさらにおいしくなりました。もう1、2日たつと、やわらかくなり過ぎるので、きょうは議員控え室に来た人にどんどんあげました。「どうぞ、あなたの課のみなさんで食べてください」と言って、持って行ってもらった人もいます。昨日食べた他会派議員のなかには、「家に持って行って食べたが、ばかうまかった」とニコニコして感想を述べてくれた人もいました。この人には追加でまた、大きなのを数個あげました。「おいしいからといって、食べ過ぎないように。子どもができることもあるから」と冗談で言ったら、「えっ、そんな効果もあるんですか」。大笑いでした。


2006年10月11日

サルナシ、食べ頃に

 先日、採ってきたサルナシの実がやわらかくなって、ちょうど食べ頃になりました。香りよし、食感よし。とてもおいしかったので、何人かの人にお裾分けしました。きょう、あげた人はいずれもサルナシは初めて食べる人ばかりでした。「小さくても、キウイフルーツと同じ味がする。ふだんはどんな食べ方をするの」「これを使って、自分でワインはつくられるか」「どうやって栽培しているのか」などと質問攻めにあいました。
 きょうは、昨日の疲れが残っていたので、囲む会の案内チラシを作成、配布したほかは新しい本の構想を練ることだけとしました。時たま、こっくりこっくりしながらですので、なかなか進みませんでしたが、これをじっくりとやることが大事だと思って机に向かいました。そういうなか、生活相談や市役所職員との打ち合わせがあったおかげで、気分転換になりました。同じことだけをやっている時には、こうしたものがないとだめですね。
 日中はかなり暖かでした。でも、朝晩はぐんと冷え込むようになりましたね。今晩も暖房を入れて軽トラを走らせました。私の部屋では、もう1、2度下がると暖房が必要となります。妙高山はすでに初冠雪がありました。米山、尾神岳はまだ先とはいえ、冬が近づきつつあることを少しずつ教えてくれています。牛舎のそばの畑ではカマキリの巣も見つけました。


2006年10月10日

東京にて

 ここのところ、出かける時に一番心配なのは父の様子です。昨日もディサービスに行ったものの、38.5度の熱を出し、長女が迎えに行ってくれました。今朝も調子が悪く、一時はまったくといってよいほど歩けなくなりました。きょうは東京で本の出版について相談する日でしたので、長女と弟に頼んで、かかりつけの医院に連れて行ってもらいました。東京駅に着いてまもなく、長女からメールが来て、肺炎ではない、熱も下がっているとの情報が入った時はホッとしました。
 東京へは、ほくほく線の各駅停車で越後湯沢まで行き、そこから新幹線で行きました。電車の中では、書き溜めた原稿の整理に集中しました。こういうことができるから、電車は少々高くても利用したくなります。本の方は、まだ正式に決まっていませんが、年内には発刊の予定です。編集担当の方と相談したところ、「幸せめっけた」シリーズの原稿を8割方使い、残りは「春よ来い」をとり入れる方向で進むことにしました。ここ10日間くらい、この編集作業で大忙しとなりそうです。
 相談が終わってから、本屋のはしごを楽しみました。古本屋では竹西寛子と向田邦子の本を探しましたが、残念ながら見つけることができませんでした。本屋の最後は八重洲ブックスセンターで新書、文庫めぐりです。このなかで偶然、目にとまったのは、祥伝社新書の『村が消えたー平成大合併とは何だったのか』でした。著者の菅沼栄一郎さんは現在、上越市の地域自治のあり方についての研究会メンバーのひとりです。本の中では上越市のこともたくさん出てくることもあって、窓際にある机と椅子を利用してどんどん読み進みました。
 夕方からは2時間くらい、都内で働く友人とおしゃべりを楽しみました。ブログのこと、最近増えている通信システム、そして、「幸せめっけた」の原稿についても話をしました。「夫婦愛」「恋」の2編を読んでもらい、率直な感想を出してもらいましたが、私よりも年代の若い人でも関心を持ってもらえそうなことがわかり安心しました。友人からは、原稿を全部読んで、「お気に入り」を教えてもらう約束をしていただきました。どういうわけか、この人とは心の波長が合うので、甘えさせてもらっています。


2006年10月09日

上川谷の県道災害復旧工事は順調

 ミサイルで一度やっているから、どんなに国際世論が高まっていても実験を強行するのではないかと思っていましたが、それでもテレビニュースで北朝鮮が核実験をしたことを知ったときはショックでした。この次に切るカードが再び核実験をやることになるのか、それとも他国に戦争を仕掛けるのかといった声を聞くと、不安は募ります。力には力でという対応では、この国の指導者は野蛮な行為をエスカレートさせるだけです。問題の解決のためには平和的・外交的交渉で、を貫いてほしいものです。
 きょうは午前中、上川谷まで出かけ、市政レポートの配布をしてきました。昨日と違って、秋らしい、いい天気です。あちこちで野の花の写真を撮りながら楽しんできました。ホトトギスという名の花は園芸種は何度も見たことがありますが、いつか自然の中にあるものに会いたいものだと思っていました。それがきょう実現しました。「秋の野の花」に加えましたので、ごらんください。今回はSさんのところでお茶をご馳走になりました。ここでうれしかったのは、いろりが現役で活躍していたことです。つい先日、有線農協の職員から「いろりを使っている家を紹介して」と言われて、吉川区内の2軒の家を教えたのですが、さらに1軒紹介できます。いろりには丸いどんごろ(木の幹や太い枝をマキにしたもの)がありました。Sさんから、「けぶったくてね」と言われたのですが、今度、実際に燃やしているところを見せていただく約束をしてきました。
 さて、きょうの最後はうれしいニュースです。県道の災害復旧工事が行われている上川谷の現場に1ヶ月ぶりに出かけてきました。この1ヶ月の間に工事はどんどん進み、とうとう元の道の路盤が見えるようになりました。あの、山のようになっていた崩落した土砂はもうほとんどありません。いまは、元の路盤を掘って発泡スチロールで新しい路盤をつくる作業に入っています。この調子なら、雪が降る前に車が通れるようになることでしょう。


2006年10月08日

『緑の星に』に感動

 時たま、激しい雨風になる。きょうの天気はまさに荒れ模様でした。ひょっとすれば駅伝はできないかもしれない、そんな予想もしていましたが、スタートの時間には落着き、まずまずの駅伝日和となりました。参加チームはオープン参加を含めて9チーム。後半の強風、雨の影響か、新記録は生まれませんでしたが、常勝の旭ランナーズが3位になる波乱がありました。代わりにトップに立ったのは源パイレーツ、2位は勝友会でした。
 午後は源克雪センターで「橋爪法一を囲む会」でした。昨日、きょうの参加者に聞いたら、私の一般質問や討論をケーブルテレビで見たことのある人はゼロでした。見ようとしたが見れなかったという人はいましたが。この点は、市政レポートでの案内に工夫が必要だと思いました。もっとも、それよりも録画ビデオを見てもらう方がいいのかもしれません。
 きょうの会場では午前中の駅伝のゴール写真を映し出して、その結果を報告するところからはじめましたが、参加者は驚いておられました。この他、村屋の村松家のしだれ桜、先日の敬老会の写真など、身近な映像を何枚か使いました。「囲む会」の会場ごとに、こうした工夫ができるといい会になることがはっきりしました。これからの会は、こうしたことを意識して準備しようと思います。
 懇談で出されたのは地域自治区の評価と存続への要望、文化財保護、農協の源支店の閉鎖後の暮らしをどうするかなどでした。
 コーラスグループ「ゆりかご」が結成15周年を迎えました。今晩はそれを記念するコンサートが多目的集会場で行われ、妻とともに参加してきました。直前の激しい雨にもかかわらず、参加者は100人を大きく上回りました。この会と市民のつながりの強さでしょう。今回のコンサートでは、初めて聴く、素晴らしい歌がいくつもあって感動しました。ビックリしたのは最初の曲です。まさか料理研究家の小林カツ代さんが9.11テロのことを意識して、『緑の星に』という歌の作詞をされているとは思いませんでした。
 地には花が咲き 人には歌がある この美しい緑の星と 与えられたいのちのために
戦をやめて 歌っておくれ 戦をやめて 歌っておくれ
 目をつぶって聴いていると、涙が出て来そうになる歌でした。地球から戦争をなくそうということだけでなく、ふるさとの大地に咲く花やそこに暮らす人たちのことが思い浮かんでくる。これはこれからどんどん広がっていく歌だと感じました。
 きょうは地元集落で草刈りがありました。私は参加できませんでしたが、サイの神に使うカヤ刈りも行われました。昨年から、刈り取ったカヤの保管場所として、わが家の牛舎を使ってもらっています。忙しくて、なかなか参加できなくなったお詫びもかねて。


2006年10月07日

市展そして囲む会

 朝、携帯のスケジュールを確認したら、「雁木美術展」と入力してあります。このページに書いておかなかったこともあって、他の行動をしようとしていました。うっかりできないものです。「雁木美術展」は正式には上越市展です。高田の雁木通り美術館などで、きょうから9日間開催されています。
 オープンセレモニーが始まるまでの間、作品を出品した人の名前を隅々まで見ました。知っている人は、吉川区在住の細井さんがコンピューターグラフィック部門で、深沢さんが書道部門でそれぞれ無鑑査で載っていました。その他には、元吉川高校の教師だった早川先生が書道部門で無鑑査で掲載されており、旧源中学校教師だった直江津の藤田先生が写真部門奨励賞に入っていました。また最近、各種展覧会で活躍している直江津の菅井さんは彫刻部門に名前がありました。
 知っている人の名前を見ると、その人の作品が気になります。私は表彰式が終わった時点で帰りましたが、彫刻、写真、CGの作品は市民プラザが会場だったので、見られませんでした。日を改めて出かけてこようと思っています。
 急いで帰ったのは、午後から「橋爪法一を囲む会」があるからです。昨年も秋から冬にかけて30数会場で行いましたが、今年も今月から集中して取り組みます。きょうは2会場でした。最悪の天候にもかかわらず、集落の戸数の半分近い人たちが参加してくださいました。スライドを使っての報告は好評で、きょうも分かりやすかったとの声を寄せていただきました。会場で出された話は、ゴミの有料化、税制「改正」の影響などが中心でした。税金が高くなった、介護保険も負担が多くてたいへんなど、予想はしていたけれど、税制「改正」を進めてきた政府などに対する怒りが急速に広がっているなと感じました。


2006年10月06日

〝失敗学〟に興味津々

 15日に東京吉川会があります。きょうは、その場で吉川区の最近の動きを紹介するビデオの試写会を有線放送事務所でやり、区総合事務所長や産業建設グループ長などとともに、その内容について相談しました。ビデオは吉川区のケーブルテレビジョンで放送された「おらったりの出来事」の中から、上川谷の雪の様子、尾神岳の春、区体育祭などをとりあげ、再編集したもの。話し合いの結果、東京吉川会に参加される人たちが知っているふるさとの人たちをできるだけ登場させようということから、昨日の敬老会の様子も付け加えてもらうことになりました。時間は約15分、参加者には喜んでもらえるものと思います。
 その後、市役所・木田事務所に出かけ、一昨日整理した野の花の写真のファイル集を上越地域水道用水供給企業団事務局に渡し、懇談しました。いろいろお聞きしたなかで、同企業団が行っている自然観察会が大変好評であることがわかりました。いうまでもなく、事務局では事前の準備をしっかりやっています。どこにどんな花が咲いているかについても下調べをし、参加者に配布する写真集(解説付き)では、歩いて出会う順番に並べておくなどの工夫もしているとか。水源涵養林などに市民からもっと目を向けてもらうための活動の一端を知ることができました。私も来年度は一度参加させてもらおうと思っています。
 議員控え室では、9月議会で取り上げた農業労働災害や学校管理下での事故について、防災局長から原因分析等に関するアドバイスをしていただきました。NHK教育テレビで放映された畑村洋太郎さんの『だから失敗は起こる』についての話はとても興味深いものでした。議会に提出した決算概況などにみられた記述ミスの連続的な発生なども、よく考えてみれば、各種災害、事故との共通項があります。NHK教育の「知るを楽しむ」のテキストも借りました。〝失敗学〟を学ぶことで、私の問題意識もさらに発展するかも知れません。


2006年10月05日

敬老会参加の最高年齢者は94歳

 上越市と合併してから2回目の敬老会が長峰温泉・ゆったりの郷で行われました。会場となった屋内ゲートボール場には、400人を超える方々が出席。私は市長、副議長、総合事務所長とともに参加してきました。外の天気は曇り空、雨が落ちなくて良かったです。
 主催者を代表しての市長の挨拶は、次々と数字を並べて聴衆の気持ちをひきつけました。吉川区の高齢者人口比率は30.18%で、これは市内では、大島、牧、安塚、名立の各区に次ぐ高い比率だ。要介護者は298人で、高齢者の18.53%とになる。新潟県の数値、上越市全体の数値、そして吉川区の数値を紹介するたびに「ホーッ」という声が出たのには驚きました。会場に参加した最高年齢者は長峰のHさん、94歳。ふだんは自転車に乗って動くという元気者です。市長が、杯をもちあげるしぐさをしながら、「こちらの方もやられますか」と問いかけると、「やります」という答えが返ってきました。
 昨年は市直営で敬老会をやりましたが、今年からは株式会社ゆったりの郷が受けての運営となりました。第2部のアトラクションでは、お酒も飲め、昼食も、暖かいお汁も出ました。これは好評だったようです。私も来賓席でお酒を2合ほどいただきました。河沢あすなろ会などのみなさんによる踊りの写真を何枚か撮りましたが、何人もの人たちが声をかけてくださいました。なかには、「おれはおまんと正反対の党だが、次回は町内会の選対委員長になって応援するすけ、がんばれ」などという方もありました。ありがたいことです。
 敬老会は午後1時には終わりました。お酒が入ったので、午後から、友人を誘って山間部へ出かけてきました。目的はサルナシの実を収穫することです。今年はいつも以上に実がたくさんなっていて、2人で4キロ近くもとることができました。まだ実は硬く、数日間は寝かせておく必要があります。来週にはおいしい香りが漂うはずです。市役所の職員さんで、ぜひ食べてみたいという方は議員控え室においでください。少し持ち込み、寝かせておきますので。


2006年10月04日

野の花の写真整理

 午前中は、「橋爪法一を囲む会」の案内ビラ配布でした。昨日もそうでしたが、久しぶりに会った人との会話がはずみます。わが家の父母が元気かどうか、牛はどうしたか、市政レポートに書いた内容についてなど、次々と話が広がって、あっと言う間に時間が過ぎてしまいます。なかには、私の顔を見るなり、「あら、おまんどうしたが」と驚く人もありました。いつも市役所に行っているはずなのに、なんでここにいるのか。何かあったのかというわけです。やはり、一年に2、3回は各戸を訪問しておかないといけないなと感じた次第です。
 午後からは、市役所の議員控え室で仕事をしました。急ぎの仕事として、議員団ニュースの作成、上越地域水道用水供給企業団から依頼されている「柿崎川ダム周辺に咲く花」(総合学習などで使うパンフレット)に掲載予定の野の花の写真の整理があります。きょうは夜遅くまでかかって、どちらもやりとげることができました。ただ花の写真は、私のパソコンの写真ファイルのどこにあるか不明なのがいくつかあって、厳密には95%の進捗率です。これはいくら時間をかけても100%は無理のようです。
 


2006年10月03日

桑原加代子さんがブログ

 朝の6時半。牛舎に向かって歩いてくる人の姿を見てびっくりしました。杖をつき、麦わら帽子をかぶり、足を引きずるようにして歩いてくる姿はまぎれもなく父です。昨日、転倒したのはうそのようでした。それにしても、家から500メートルもよく歩いてきたものです。すぐそばまでとんで行き、「どうした、じいちゃん」と声をかけると、「牛にエサをくれなきゃならん」。もう、牛飼いをやめたことはすっかり忘れているのでした。
 念のため、きょうは娘と母が付き添って、父をかかりつけのさいがた病院(大潟区)に連れて行ってくれました。何か大きな病気の前触れでないか、というのが家族の心配でした。昨日はどこも痛くないと言っていたのですが、調べてもらったら、腰の一部に赤くなったあざがありました。MRI検査の方は、特に異常は確認できなかったものの、3ヵ月後に再度調べてもらうことになったそうです。医師からは、転びやすくなっているので注意してほしいと言われました。
 きょうは、午前が上越地域消防事務組合議会でした。昨年度の決算、一般会計補正予算の審議が中心です。午後からは、土曜日からスタートする「橋爪法一を囲む会」の案内ビラを作成し、一部地域に配布してきました。天気が良かったので始めの頃は留守の家が多かったのですが、夕方になると人もいて、何人もの人たちと話ができました。市政レポートを読んでいてくださり、「(新聞に折り込まれる)日曜日が楽しみだ」との感想もお聞きしました。ある家では、「橋爪です」と声をかけると、お風呂に入っていたおばあさんが、腰にタオルだけ巻いて出てきてくださいました。
 夜、地域協議会が終わって、家に戻ると、先月17日、津南町を案内してくれた党県常任委員の桑原加代子さんから電話が何回もありました。あの時、ホームページをすぐに立ち上げたいと相談されたので、「ブログなら1週間くらいでスタートできるはず」と言っておいたのですが、スタートしたので見てほしいということでした。頑張り屋の彼女は来春、十日町市、津南町などの選挙区から県議選に立候補を予定していますが、パソコンが苦手だった彼女がもうブログを始めるとは……。桑原さんのブログは「かよこ通信」です。さっそく、津南の特産の花情報を載せています。パソコンの技術面でも、これからどんどん伸びていくはずです。ぜひ訪問してあげてください。


2006年10月02日

まず笹の立あがりたる雪解かな

 毎週月曜日、地元の新潟日報紙を開いて必ず見るページがあります。読者文芸欄です。いつも妻の名前があるかどうかを確認するクセがついています。今週は日報歌壇賞、俳壇賞が発表されていたのですが、そのなかに、妻の名前があったのはうれしかったですね。6月12日付け「ホーセの見てある記」で紹介させてもらった妻の俳句が佳作に選ばれていました。
 まず笹の立あがりたる雪解かな
 選者の中原道夫さんは、「これこそ雪国の人が見落としてはならないもの、笹の青が垣間見えたときの喜びを言外に知る」と書いてくださいました。「これでいつでも葬式やってもらってもいい」と妻は受賞に大喜びでした。
 さて、きょうは午前が党議員団会議、午後は自治基本問題特別委員会でした。議員団会議では、9月議会の市議団報告をどうするかを中心に話し合いました。B4サイズの紙の裏表に、3議員の発言をコンパクトに載せるためにはどうしたらいいのか、いままでと同じレイアウトにしないようにと考えると、とても時間がかかります。次回も引き続き検討することになりました。特別委員会は、現在すすめられている市民会議による自治基本条例の素案作りに市議会の考えをどう反映させていくかを中心に話し合いました。
 夕方、弟から連絡があり、父が玄関で転倒したとの情報が入ってきました。後で母に聞いたところ、きょうは体調もよくなかったらしく、コンクリートの上にドドンと転んだといいます。一時、意識を失ったのか、父も何が起きたかわからないと言っていました。今年に入って、父の転倒は、これで3回目です。1回目は牛舎内、この時は転んだあと、子牛に腹の上にのぼられるというオマケまでつきました。2回目は寝室で圧迫骨折。そして今回と続きました。父は転倒の度にがくがくっと弱っていくので、とても心配しています。


2006年10月01日

第9回越後よしかわ酒祭り

 雨が降ると降らないでは雲泥の差。きょうの酒祭りは天気に恵まれ、大賑わいでした。昨年、一昨年と2年連続で雨にやられ、人集まりが悪かったので、今回はうれしかったですね。きょうも多少、曇ってはいましたが、雨が落ちなければそれでいいのです。実行委員の人たちが駐車場でどのくらいの人たちが入ったかを数えていたとのことですが、4000人は軽く超えたでしょう。今回は県外からの参加者もかなりあったようです。いつも頑張ってくれている太鼓のメンバーやよさこいソーラングループの人たちの演奏、踊りも力が入っていました。
 きょうは、10時半頃から会場となっている杜氏の郷前広場に行きました。すでに、東京吉川会から、関澤会長をはじめ6名の方が来ていてくださいました。また、毎年、顔を見せてくださる吉川高等学校同窓会東京支部の竹内支部長の姿もありました。私のすぐ隣の来賓席に座っておられた新潟県酒造従業員組合連合会の青柳会長さんから名刺をいただき、勤務先の会社名を見てびっくりしました。私の父が以前お世話になっていた新潟市石瀬(旧岩室村)の宝山酒造だったのです。亡くなった杜氏の上野武夫さんのことなど、ゆっくりとお話できました。
 もうひとり、懐かしい人と6年ぶりに再会しました。『酒は風』(大月書店)『高校生が酒を造る町』(フィゼック社)の著者である首藤和弘さんです。ちょうど、『高校生が酒を造る町』を出版された年に私も本を出し、同じ時期に吉川のことを書いていたということで、丁寧な手紙をいただいたことがありました。きょうは短時間でしたが、新刊の『旅のプラズマ』(新風舎)に関する思いなどを聞くことができました。
 昨年は雨でびしょ濡れになり、オープンセレモニーに参加して間もなく家に帰ったのですが、きょうは最後まで楽しませてもらいました。地元吉川出身の歌手、三島みどりの歌、それからTVものまね番組にレギュラーで活躍中の
ビューティこくぶ ものまねショー、いずれも観客と一緒になった運びで盛り上がりました。これだけ、お客さんがのってくると、芸人さんも気分上々だと思います。今年のよしかわの祭りは、やったれ祭りといい、酒祭りといい、大成功でした。
 「春よ来い」第69回「姉と妹(2)」をアップしました。


2006年09月30日

『純情きらり』最終回

 予想はしていたものの、桜子が死んだのはやはりつらかった。テレビドラマ『純情きらり』のことです。きょうが最終回。いつものように朝7時半から衛星テレビで観て、1週間分をまとめた放送でも観ました。このドラマを観ていてずっと思っていたのは、いのちの尊さです。脚本では戦争時のことが一番印象に残っていますが、きょうの最終回もこのことをしっかり訴えていました。
 結核のため、わが子を産んでも一度も見ることも、抱くこともできなかった桜子。死の直前、病室に映写機が持ち込まれ、無邪気な子どもの姿が映し出されました。「桜子、まだ眠っちゃダメだよ」と言われた桜子が、うっすらと目をあけ、はってきて大写しになるわが子にむかって手を伸ばす。感動でした。そして最終場面では、桜子がわが子へ伝えようと遺した文章が桜子の声で読み上げられる。「あっけない人生だったと言う人がいるかもしれないけれど、お母さんは十分生きた、十分輝いた。意味のない人生なんてない、輝かない人生なんてない」。見事な最終回でした。
 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。27日の一般質問をケーブルテレビを見ていてくれた人も何人かいて、「ありがとう、よかったよ。がんばってくんない」「初めて見させてもらったでも、たいしたもんだ」などと声をかけていただきました。「27日の午後に登壇する予定です」としか市政レポートでお知らせしてなかったものですから、午後から「いつ出てくるか」とずっと見続けた人もいました。次回からは、私の前に登壇する何人かの議員名も順番にお知らせするなどの工夫をしたいと思います。
 きょうはもう1つ、うれしいことがありました。夏休み中の総合学習で私にインタビューしてきた小学6年生のK君から手紙が来たのです。「ぼくは、橋爪さんがみんなの役に立ちたいという気持ちが子どもの頃からあり、そしていまではその夢がかなったことについて、とてもうれしいです。橋爪さんは新聞配達もしていらっしゃるので、とても体が疲れていると思うので、ぼくができそうなことがあればドンドン言ってください。力になれることがあればやるので、言ってください」とありました。K君、ありがとう。勉強も遊びもがんばるんだよ。


2006年09月29日

9月議会終わる

 1日から始まった定例議会は、きょうが最終日でした。委員長報告、討論、採決、請願も含めすべて終わったのは午後2時半頃でした。わが議員団は樋口議員が討論に参加しました。私が手を加えた原稿をさらに自分なりに読みやすいようにして、最終的なまとめをして読み上げました。会議が終わった後、保守会派の議員の1人がわが党の控え室に来て、「きょうは、ほめたじゃないですか。ああいうのが効くんですよ」。昨年度の市政のなかで評価すべき点があったことを反対討論のなかに少し入れたことが強く印象に残ったようです。
 今議会は3月同様、約1ヶ月の長丁場です。疲れましたね、率直に言って。夕方、東京から中学時代の同級生が帰省したので、同級生4人が集まり、飲みました。お盆に、柿崎区の大出口泉水を訪ねた時の写真がミニコミ紙に掲載されたことから、その話題から始まり、同級生たちの近況など楽しくおしゃべりしました。もっとも、私の方は、今朝は3時に起床したこともあって、途中でうとうとすることもありましたが、それもちゃんと気持ちよく受け入れてくれる、やはり、同級生っていいもんです。
 家に戻ったのは午後9時半過ぎ。帰りは歩いたので、今週は3回、ほどよい距離を歩いたことになります。メールがいくつも来ているのですが、疲れたので、明日の朝、返信することにしました。お許しを。


2006年09月28日

汽笛を聞いて走った

 ピョー、ピョッ、ピョー。午前11時20分でした。市役所の議員控え室にいたら、突然、汽笛が聞こえてきたのです。昨日出会った「ばんえつ物語号」が走っている。すぐバッグからデジカメを持ち出し、信越線の線路が見える第3委員会室へと走りました。しかし、体重80キロの人間のスピードはのろく、間に合いませんでした。残念ながら、列車は直江津駅に向かう小さな後姿を見せてくれただけでした。しかし、汽笛にこんなにもすぐ私の体が反応するとは驚きでした。もっとも、私と同じくカメラを持って走っていた人がもう1人いました。議会事務局の片田さんです。蒸気機関車は心を揺さぶりますね。
 きょうは「しんぶん赤旗」の集金をした後、明日の本会議での議員団の討論原稿を整理しました。原案は樋口議員が書き、杉本団長がチェックして、さらに私が錬るという形で進めましたが、なかなか作業がはかどりませんでした。当初予算審議段階での論点を思い浮かべながら整理しようとしたのですが、うまく書けないのです。昨年度は梅雨前線豪雨、2年連続の豪雪がありました。この分野で市当局は、私ども議員団の提案を正面から受け止めてくれ、県政、国政を動かす頑張りをしてくれた。ここらへんをちゃんと評価しないといけない。そう思ったのです。しかし、実際、登壇して討論するのは樋口議員、最終的には同議員におまかせすることにしました。
 夜は市政レポートの作成でした。市議会のHPの「過去の議会中継」で私の一般質問を振り返り、原稿書きをしました。画像を見ていると、論理の展開の弱さとか、頭のはげ具合などよくわかります。新しい半袖シャツはパリッとしていて、良かったです。それにしても便利になったものです。時間があったらごらんください。上越市議会のHPを開いたら、まず「議会中継」をクリックし、次に「過去の議会中継」をクリックします。そうしますとカレンダーが出てきます。この9月27日の所をクリックしてください。発言者の一覧が出るはずです。そこの8番目に私の質問がありますので、動画の再生ボタンを押してください。しばらくすると、素敵な男性の姿が見えてきます。


2006年09月27日

高田の町を歩いて…一般質問4日目

 一般質問最終日。さわやかな秋晴れの日となりました。朝は昨日と同じく高田まで軽トラで行き、妻の職場に車をおいてから、高田駅まで歩きました。きょうは天気が良かったので、少し遠回りをして、高田城の極楽橋のそばを通って公園内の岩野勇三などのブロンズ像を観賞しました。やはり歩いてみるものです。貫禄十分のソメイヨシノが何本もありました。また手当が必要なものも見受けられました。10年ほど前の桜サミットの時に植えられた木がしっかり育っていることも確認できました。ブロンズ像も良かったです。
 きょう歩いて一番うれしかったのは、大町の二・七市場を見ることができたことです。上越市内には柿崎区の一の日市など4つの市がありますが、高田地区の市を見たのは今回が初めてでした。魚や果物、生鮮野菜などがずらりと並んでいて、買物をしている人と売り手の人の会話があったかい。ここにはホッとする空間がありました。私が買いたくなる物も出ていました。やぶたけ(私の所では「あまんだれ」と呼ぶきのこ)です。朝採りのみょうがも枝豆もたくさん並んでいました。すぐ家に戻るのであれば、買いたい物ばかりでした。今度、議会のない日にゆっくりと買物をしようと思います。
 高田駅に着いたのは、歩きはじめてから40分後でした。2番ホームで直江津行きの電車を待っていると、反対方向から試運転の列車が滑り込んできました。蒸気機関車の「ばんえつ物語号」です。まさか、ここで会えるとは思いませんでしたね。初めて見たときのようにドキドキしました。石炭をいっぱい積み込んでいて、煙突からは煙も出ています。ただ、子どもの時に見たよりも少し小さく見えたのは気のせいでしょうか。SLが入ってきたのに驚き、感動したのは私だけではありません。何人もの人が携帯カメラを取り出し、磐越ものがたり号の雄姿を撮影していました。くやしいことに、私はカメラを市議会においてきてしまっていました。残念。
 さて、きょうは私の出番。午後6時頃と思っていたのに、予想よりも2時間も早く質問の時がやってきました。テーマは農業労働災害、市長の憲法認識と平和施策、そして学校災害です。耳鼻咽喉科の先生にたくさん話す時には水をしっかり補給してとアドバイスをされていたので、水を飲んだのですが、頭の回転はいまひとつで、しゃべる言葉の流れがちょっとスムーズではありませんでした。それでも市長や教育長から、「いまの憲法は世界でもまれな平和憲法であり、今日の日本の繁栄をもたらした礎となった。市政運営にあたっては、常に憲法の理念をすべての施策の根底に据えている」などの貴重な答弁を引き出すことができました。農業労働災害対策も学校災害対策も必ず前進することになると確信しました。
 私の質問の様子は上越市議会のホームページでご覧いただけます。ただ、ご覧いただけるようになるのは、28日の夕方になりそうです。


2006年09月26日

質問前日なのに…一般質問3日目

 きょうは妻を高田まで送り、駅まで20分ほど歩き、電車に乗って市役所に行きました。朝の早い時間帯に高田の町を歩いたのは久しぶりです。いつも軽トラの中から見ている高校生の通学風景、商店街の様子など、とても新鮮でした。駅には予定よりも早く着いたので、お土産品をゆっくり見ることができました。酒、お菓子など高田のお土産品はあまり変わっていないなという印象を持ちました。
 さて一般質問の方は、きょうは8人が登壇しました。市長の答弁が丁寧なのと、質問項目が多いことから、今定例会の一般質問はこれまでより時間がかかっています。一番長い人は1時間25分くらいかかったように思います。明日は夕方、私の番となります。きょうは質問を聞いていても、なかなか集中できませんでした。私の悪いクセで、自分の番が近づいてくると、他人の質問を聞いていても自分の質問と関連付けて聞く様になってしまいます。きょうは仲田議員が一問一答でブランド問題を掘り下げていたので、自分の質問を一問一答で展開するにはどういう流れがいいか、ずっと考えていました。
 夜は発泡酒を1缶飲んだら、リラックスムードに。質問準備はまったくせず、NHKの歌謡番組を観てしまいました。夏川りみ、大津美子などの歌を聴きながらうとうとしました。質問前日にリラックスしておけば質問にはプラスになる、早くそんなことが言えるようになりたいものです。


2006年09月25日

杉本団長登壇…一般質問2日目

 休み明けの議会。きょうも一般質問でした。初日は9人、きょうは8人登壇です。これだけ大勢になると後半の方になると疲れが出てきますね。質問者は遠慮なくやっていいのですが、まわりの「早く終わってほしい」というムードに押されてどうしても遠慮気味になります。
 きょうの登壇者の中にはわが議員団の杉本団長がいました。注目した指定管理者制度に関する質問では、これまでの取り組みの検証を促し、委託料の見直しや安全管理の徹底などを求めました。市長は、「更新時には競争原理を働かせ、経費縮減を図れるようにしていきたい」「再委託は単なる経費削減のためのものは認めていない。根幹的業務に付随するもので、市と協議のうえ、どうしてもせざるを得ないものにかぎってしているところもある」と答えていました。杉本議員ならではの質問はHPについてでした。「日経BP社のe都市ランキングで上越市は736市区中306位。この位置にとどまっている理由は、アクセシビリティが10点満点で3.2点、情報化政策が20点満点で7.6点しか取れなかったから。JIS規格に基づいて庁内基準をつくるなどの改善を」と訴えました。市長は、「とりだしやすく、より見やすく、高齢者などに配慮したものにしていく必要がある。検討課題が多くあるが、HPシステムの再構築に取り組んでいきたい」とのべていました。また市長は、こうした対策を進めるために、庁内横断的な統括部門の必要性を認めました。今回の質問は上越市のHP改善につながることでしょう。
 きょうの登壇者の中には前議長の市川議員もいました。今回の質問は6月に続いて2度目です。同議員は上越市の自民党の大幹部ですが、農業問題で気を吐く質問を展開しました。まず、最近の国の農業構造政策についてふれ、「国は企業農業に転じたが、果たしてこれでいいのか。小規模農業こそ、人間らしく生きられるのではないか」と疑問の声をあげました。質問内容も、多くは自らの農業体験に基づくものでした。市独自の農業センサス調査を求めた同議員、「調査の第一歩は農民の心を問うものが必要ではないですか。あなたは農業が好きですかきらいですか、というように」「農機具の調査にしても、習熟度や使用年数を問うべきだ」などと発言しました。稲の作付け適期に関しては、高田測候所へ行って過去30年間のデータを調べ、9月の中旬の方が下旬よりも平均で30ミリも雨が多いことを指摘しました。質問の模様を横から見ていたのですが、少し赤ら顔で、野武士を思わせるような雰囲気がただよっていましたね。農民魂も感じました。きょうの質問は政府農林水産省幹部や中央の自民党幹部に聞かせたかった。
 夜は党支部会議でした。今回は後援会員のYさんが特別参加し、きくちゆみさんが翻訳した『911ボーイングを捜せ』や9条の会について話し合いました。きくちゆみさんについては「しんぶん赤旗」日曜版に随想を書いたことがあるので、名前だけは知っていましたが、今回初めて彼女の活動について詳しく知ることができました。会議では、9条の会をもっと広げるためにがんばろうという確認をしました。


2006年09月24日

母と一緒に伯母のところへ

 上川谷へ市政レポートを配布するついでに大島区板山まで出かけてきました。母と一緒です。「板山へいぎたけりゃ、つんてくよ」朝早く、そう言ったら、母は畑に出かけて野菜に水をくれたり、土産に持っていくツルムラサキなどを採ってきたりしてバタバタしました。そのため、母は朝飯をろくに食べないで軽トラに乗り込みました。空は少し雲っていましたが、秋らしいさわやかな風が吹く中、ツリフネソウシラネセンキュウなどの野の花を見ながら尾神岳の市道(旧林道)を走らせるのは最高でした。
 午前9時ころ出発して、途中、市政レポートを配布、板山には10時半頃到着しました。板山は酒米の刈取りが終わって、コシヒカリがぽつぽつ始まるところです。伯母の家では来週からコシヒカリの収穫に入るとか。板山に着いてからは、伯母と従弟夫婦が応対してくれ、1時間半ほど楽しく過ごさせてもらいました。母と伯母はお茶飲み、私と従弟は近所の家の見学に出かけました。都会に住んでいた人が定年を契機に移り住んできたとのことで、古民家を改造して、お客を泊められるようにしてあります。農家らしさを残し、シンプルでとても素敵な家になっていました。昨日からイギリス人夫婦が泊まりに来て、きょうは稲刈り体験をしているとのことでした。ここではコーヒーをご馳走になりながら、ゆったりした気分にひたることができました。
 家に戻って間もなく、めずらしい人がわが家を訪ねてくださいました。柏崎市に住む元小学校長のTさんです。私に野の花のことをたくさん教えてくださった方です。大島区へ行くついでに立ち寄ったということでしたが、久々の再会でしたので、HPのことや登山の話、いま咲いているシロバナサクラタデなどについて楽しいおしゃべりをしました。Tさんの新しいHPには、野の花だけでなく山の写真もどんどん掲載しているとのことなので、今度ゆっくりと訪問させてもらおうと思っています。


2006年09月23日

コシヒカリの刈り取りは最終盤

 朝晩はグッと冷え込み、昼間はパッと晴れる。きょうは素晴らしい秋晴れでした。尾神岳、米山は、いつもは日照の関係から午後になってハッキリとした景色なりますが、きょうは朝から夕方まできれいな姿を見せてくれました。土曜日ですので、いうまでもなく、家にじっとしてはいられません。片手に「しんぶん赤旗」日曜版、もうひとつの手にはカメラを持ち、飛び回りました。
 市議団ニュースにシロバナサクラタデを掲載しましたが、きょうは、この花のカラー写真を持ち、配達・集金をしました。多くのみなさんが野の花に関心を持っているのには、びっくりしました。「赤い花をつけるタデは見たことがあるが、こんなにきれいなタデは初めて見た」「どこに咲いているのか案内してほしい」など次々と反応があったのはうれしかったですね。こうしたなかで、ひとりの読者の方がこの花を押し花にしたいとわが家にみえられたので、夕方、案内しました。どんな押し花になるのか、楽しみです。
 きょうも農家は大忙しでした。このところの天気続きで稲刈りは順調に進み、平場のほとんどの稲作農家はきょう、明日で終わります。秋晴れの下、最後の追い込み作業が行われていました。畜産農家がワラ集めの作業をしている光景も目にしました。牛を飼っている農家にとって、一番忙しいのは、サイロ詰めと、このワラ集めです。数年前まで、こうした天気の時には1日中、トラクターに乗って激しい作業をしていたので、手伝ってやりたくなります。
 このページの風景写真、入れ替えました。遠くにコンバインの姿が小さく写っています。ここは、きょうで稲刈りが終わります。これからは手前の田んぼから色が変わっていきます。


2006年09月22日

農業問題質問3連発…一般質問1日目

 きょうから一般質問が始まりました。登壇したのは9人です。午前10時に始まって、終わったのは午後7時半ころでした。途中、何回か休憩時間があったとはいえ、時たま、疲れから集中できなくなることがあります。隣の柏崎市議会では、1日の一般質問者数を6人以内にしたそうですが、上越市議会もこの点、学ぶ必要があると思います。
 注目したのは、政新(会派名)所属の3議員が連続して農業問題をとりあげたことでした。「市長、これから、政新の農業問題の質問の3連発になりますが、よろしく」と言って、最初に農業問題をとりあげたのは笹川議員、「棚田米を特別栽培米としてブランド化して、付加価値をつけるべき」と主張しました。市長は、「吉川区のように、直接、消費者団体と連携を深め、有利販売に結び付けていきたい」と答えていました。
 続いて登壇したのは田村武男議員です。同議員は、上越米が今年度、いまだに倉庫に大量に残っているとして、販売実績が低迷している現状を問いました。市長は、「年間消費量が減る中、消費者ニーズが多様化し、より安い米を求めている。北海道産の影響もある」とのべていましたが、いま、コメ市場では、ビールから発泡酒に移った時と似た、「コメ勢力図異変」が起きています。同議員は、「田んぼ中サテライト」の設置とともに、「基準反収の少ない棚田については、(減反しないで)全部作っていいですよ、というふうにして、上越らしさを出すべきだ」と訴えていました。
 三番手は長井議員、この人の語る一言一言は詩人のよう、しかも農業実践に裏付けられているから聴衆の心をつかみます。「幅広いコメづくりも生産者に求められている」として、農協が推進してきた「適期田植え」を批判、酒造好適米については、旧東頸城地域で「コシタンレイ」の作付けを広めて日本一の酒をつくってほしいとのべました。同議員は「中山間地の農業は宝の山。自分のコメは自分で売る。販売力なくして自立なし」だとも訴えました。聞き応えのある質問でしたね。


2006年09月21日

委員会室に音楽が…総務常任委員会3日目

 おそらく初めてでしょう、委員会室に音楽が流れたのは。きょうの総務常任委員会の午後の審議でのことでした。田村恒夫委員が「新しい上越市民の歌」について、「非常にいい歌です。ただ、私はまだ歌は聴いていないのですが、歌詞を見るかぎり、上越市という言葉が一つも入っていないのはいかがなものか」と質問しました。「それならば聴いてもらいましょう」そういって、CDプレイヤーが委員会室の中央部の窓際におかれ、流れたのです、新しい市民の歌が。♪山のめぐみ豊に 水は流れる 海のめぐみ豊に 風は光る……
 委員会室は静かになりました。男性(テノール)の歌声が委員会室に響き渡りました。私は昨晩、自分のパソコンで試聴したのですが、CDプレイヤーで聴いたのは初めてです。上越の大地をイメージできて、何か、このまちをよくしたい、という市民の気持ちが見事に表現されている。素晴らしい歌でした。聴き終わるか終わらないかというタイミングで杉本委員が小さな声で「はい、拍手」と呼びかけ、みんなが拍手をしました。そして再び田村委員が笑顔でさっと手をあげました。「それでは、私の感想をのべます。とてもいい歌ではありますが、私にはちょっと……」。それに対して野澤企画・地域振興部長が、「歌はなじみながら進むものです」と応じました。担当部課では、最初からこの歌を聴いてもらう計画だったようです。仕掛け人は部長かな。
 上越市の市民の歌は合併協議で見直すことが決まっていました。歌詞には直江津、高田が出てきても13区がぜんぜん出てこない歌だったからです。新しい市民の歌は検討委員会で何回も検討したうえで、歌詞が公募され、板倉区の上原みゆきさんの「このまち」が最優秀賞となりました。この歌詞を児童文学者の杉みき子さんが補作、「このふるさとを」という新しい市民の歌が出来上がったのです。作曲は後藤丹さん。今週末から市内の合唱団が練習を始め、12月上旬には市民に正式に披露するということでした。合唱という形で聴くと、どんな感じになるのか。なぜか、感動の予感がします。
 さて、きょうの総務常任委員会は最終日でした。いい質問がいくつもありましたね。バス運行対策費として昨年度、3億5600万円ほど支出(1世帯あたり5000円負担している勘定になる)されていますが、市川委員は「バスに乗らない人たちが議論しているのではダメだ。体で知って議論しないといけない。自分たちの路線は守る人たちの工夫が必要ではないか」と発言しました。また、笹川委員は金谷山にある「日本スキー発祥記念館」に2回、足を運び、その運営のついて発言しました。「合併前上越市の施設についても知らなくてはと思い見てきたが、案内のビデオは古く、前市長の映像と声が出てくる。映像もハッキリしないし、スクリーンも変えた方がいい」。いずれの質問も現場に足を踏み入れ、調査した上での発言、とても説得力がありました。


2006年09月20日

数字は語る…総務常任委員会2日目

 数字は政治の様々なことを語り、教えてくれます。例えば、きょうの自民党総裁選、得票率が目標の7割を下回ったことで、安倍晋三氏は自民党内で好き勝手なことをやれなくなりました。国民の中でも小泉のような爆発的な人気は生まれていないことがわかります。
 きょうの総務常任委員会は、総務部関係を中心に審議しました。その中で、いくつもの数字が市政の実態を浮き彫りにしました。注目した数字の1つは市役所職員の病欠者数です。昨年度は99人で、そのうち精神的な疾患による者は32人でした。32人の中には編入合併によって旧町村役場から木田事務所(多くの人は本庁と呼んでいます)に異動した者が21人もいます。私も何人かは知っていますが、まじめな人ばかりです。どうして精神的な疾患にかかったかについて専門的なことはわかりませんが、背景にはストレスを感じる労働環境がある、そう思って分析をする必要があります。
 町内会集会場の整備などに対する助成の数字にも注目しました。これは町内会が実施する集会場の新増改築やトイレ水洗化、冷房設備整備、耐震診断などに対して100万円を上限として助成するもの。昨年度は89件、4540万円の助成が行われました。内訳を見たら、わが吉川区は冷房設備の整備3件(29万円)のみ、板倉区や三和区などに比べたら件数、金額とも大変少ない数字です。吉川町時代にはなかった独自助成ですので、大いに活用してほしかったですね。農業集落排水事業が進んでいたからトイレ水洗化は終わっているし、などと件数の少ない理由を考えたのですが、PR不足は否めない事実でしょう。
 質問の中ですぐ答えの出なかった数字もありました。杉本委員が質問した、市内の被爆者数です。昨年は戦後60周年であり、上越市が非核平和友好都市宣言を行って10周年にあたる年でした。こういう基本的な数字がすぐ出てこないというのは、被爆者支援についての市の姿勢の弱さがあるからというのは厳しすぎるでしょうか。しっかりしてもらいたいものです。


2006年09月19日

集中審議?…総務常任委員会1日目

 委員会審議というものはおもしろいもので、1つのテーマをめぐって集中審議になることがあります。きょうの総務常任委員会がそうでした。上越市高田にある厚生南会館の取り壊し方針をめぐってほとんどの委員が発言したのです。発言内容は市の方針に正面から反対して改築または新築を迫るものあり、市の方針のこれまでを解説するものもある。また、今回の合併と今後の財政運営について、この施設を例に自分の意見を語るものもありました。おそらく、合併前上越市選出の委員は全員が発言したのではないでしょうか。
 厚生南会館は1962年(昭和37年)に新築し、すでに44年ほど経っている施設です。大ホールには1500人を収容でき、大会議室、中会議室もある。昨年度は9万7000人あまりが利用しました。来年3月末をもって指定管理期間が満了となることから、市では、施設の老朽化、安全性確保などの観点から、この施設の閉鎖及び周辺の代替機能確保などについて検討作業に入っています。
 議論は、検討内容はどのようなものかという佐藤委員の質問から出発しました。そして同施設が高田公園の中にあって高田地区のシンボル的な存在であるとして、永島委員が高田地区を意識した発言をしました。同委員は、「高田公園は最高の目玉。高陽会館壊します、南厚生会館壊しますといって、壊したままでいいのか。これでは高田地区の夢はなくなる。もっと市民の声を聞くべきだ」と迫りました。この発言で各委員の発言意欲に火がつきました。栗田委員は、「機能という面とシンボルという面がある。高田の人間にとってシンボル」だといってシンボル論を展開。田村委員は、「ボタンのかけ間違いがある。建物は壊す、そのあとはどうなるかわからない。これでは市民は納得しない」と訴えました。
 問題を整理する方向で議論は続きました。わが議員団の杉本委員は、「前の市長の時代の市の計画(平成13年)で、取り壊し方針が出て、次々と新たな施設をつくる計画が示されていた。この方針は現在も生きているのか」と切り出し、「直江津図書館・水族館については市民も交えた検討委員会がある。厚生南会館についてもこうした検討委員会が必要ではないか」と提起しました。深澤財務部長は、建て替えを前提にした直江津図書館・水族館と壊すことにしている南厚生会館では対応は違うとしながらも、「少なくとも一般市民を交えた説明の場をつくっていかなければならない」と答えました。山岸議長は「今回の問題は行革のシンボルだ。スクラップすべきは大胆にスクラップしないとこの合併はうまくいかない」と自分の意見を披露しました。
 きょうの議論をマスコミはどう書くのでしょうか。現在の建物は施設の管理者が毎日、目視して利用してもいいか確認しているほど安全性に問題があります。閉鎖するのは当然でしょう。問題は同様の施設を新たにつくるか、現在ある他の施設で間に合わせるかにしぼられてきます。新市建設計画と現在の市の財政運営状況を見つめたら結論はおのずとでると思うのですが……。


2006年09月18日

友人を見舞う

 心配された台風は新潟県を直撃することなく通過しました。雨もほとんど降らず、稲刈りをしている人たちにとっては、儲けものの日となったようです。土曜日からの3日間で田んぼの景色はずいぶん変わりました。わがふるさと吉川は、もう1週間もすれば、平場の稲刈りは個人経営の大規模稲作農家だけになることと思います。黄色い景色は急激に消え、土色が増える、そしてやがては、緑色になります。
 きょうは新潟市内の病院に入院している友人を見舞ってきました。同じ病院に大学時代の友人と吉川区内の友人が入院していることから、早めに見舞いにいきたいと思っていましたが、これまで出かけることができませんでした。きょうは、議会が一休みとなっているいまのうちにと思い、出かけてきました。2人のうち、1人は先月末に入院しています。無事手術も終わって順調に回復しているという情報でした。手術の影響で小さな声しか出ない状態でありながら、喜んでいろんな話をする姿はふだんのままです。出発前にシロバナサクラタデという野の花の写真を撮ったという話をしたら、身を乗り出してきて……。今度、現像してプレゼントしようと思います。もうひとりの友人は昨日退院したということでした。夜、電話を入れると、「強い薬の影響でたいへん」とのこと。2人とも大事な人、ぜひ頑張りぬいて回復してほしいものです。
 昨日、きょうと遠くまで出かけたことになりますが、新潟県はやはり米どころだなと思いました。昨日の津南への道は中山間地を通ります。きょうは高速道路で完全に平場地帯です。両者に共通していたのは、どこへ行っても黄色い景色が広がっていることでした。減反しているところがあるとはいえ、田んぼの黄色は依然として見事な広がりを見せています。
 このページの写真、昨日、入れ替えました。この次には田んぼの稲が消えているかもしれません。


2006年09月17日

新たな生命を産みだす力への賛嘆

 妻と友人の3人で、18豪雪で有名になった津南町まで出かけてきました。目的は同町の「農と縄文の体験実習館・なじょもん」で開催されている秋の企画展(10月15日まで)、「火焔土器の時代」をみるためです。県内各地から様々な土器や土偶などを集め、火焔土器の時代の暮らしと文化をさぐろうという、この企画展には吉川区の長峰遺跡から出土した小さな土偶も展示されているとあって、ぜひ訪れて見たいと思っていました。
 展示室には見事な火焔土器、黒曜石を加工した石器、男性を象徴する大きな石などがずらりと並んでいました。その中で注目したのは、やはり土偶です。土偶は1つのコーナーにそろえてありました。長峰遺跡からは3点出されていて、その中でも最も小さな妊婦の形をした土偶が中心部に据えられていました。わずか3.9センチ、私が市議会で紹介した全国でも最小級の土偶(写真)です。そして、その隣には、なんと最大級の土偶が展示されていました。
 私から言うのもなんですが、展示されていた土偶の中で一番は長峰遺跡の妊婦土偶です。解説のところでは、「上越市長峰遺跡から出土した土偶は、最小級の土偶であり、その表現手法はすばらしく、形態的特徴から出尻型を呈する中部高地に分布する資料に類似します」と書かれていました。女性の土偶は、「女性の妊娠・出産という新たな生命を産みだす力への賛嘆」ともありました。今回の展示で長峰遺跡出土の土偶の価値を再認識しました。これは、ひょっとすると、吉川区だけでなく上越市全体をアピールする力になるかもしれない、と思いました。
 津南町では参院選、衆院選に出馬したことのある党県委員会の桑原加代子さんから案内してもらいました。突然、電話したにもかかわらず、「じつはあなたと話をしたいと思っていたところなの、よかった」と言って、道案内から施設の案内までしてもらいました。「なじょもん」建設に至るまでの経過、河岸段丘など地形の説明など、研究熱心な彼女ならではの解説のおかげで楽しいひと時を過ごすことができました。


2006年09月16日

草刈りで汗を流す

 朝から午前いっぱい曇り空。昼の時間帯は雨がぽつぽつ降り、その後は再び曇り空に。コシヒカリを刈り始めた農家の人たちは、おそらく、一日中、空を見ながら仕事をしていたのではないでしょうか。きょうから18日まで3連休という人も多いはずです。ほとんどの人は、この3日間のなかでほとんど刈ってしまいたい、そう思っていることでしょう。だから、雨が降り始めたというのに、お昼の時間帯は12時40分になってもコンバインにつかまっている人たちばかりでした。
 私は早朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達でした。源方面については昨日、後援会の人たちに手伝ってもらいましたので、残った分は午後1時前に終了しました。そのおかげで、きょうは気になっていた仕事を1つやることができました。農道、牛舎の周りの草刈りです。春から2回刈ってあるのですが、すでに草ぼうぼうの状態です。2時間半くらいかけて刈り終わることができました。年内にもう1回刈れば、見苦しくはならないと思いますが、とても疲れます。
 夕方、作業が終わってから、すぐにシャワーを浴び、350㏄入りの缶ビールでなくて、発泡酒を飲んで横になりました。気分よく眠れました。やはり、体を動かす仕事をした後のいっぱいは最高です。こういう楽しみを誰が発明したかは知りませんが、ありがたい、ありがたい。


2006年09月15日

文教経済常任委員会3日目

 雨が続いていた後、晴れた日の気持ちのいいこと。きょうは久しぶりに雨が上がって稲刈り日和になりました。青い空には、いわし雲が横たわり、稲の上をそよ風が吹いている。妙高、火打など遠くの山々もハッキリと見えます。こんな日はカメラを持ってゆっくりしたいもんだと思いました。稲作農家の人たちはそれどころではありません。きょうこそはの思いで、暗くなるまで稲刈りに精を出していました。かくいう私もカメラを持ってどこかへ行くことはできません。文教経済常任委員会の審議があるからです。
 きょうの審議では体調を整えて臨むことの大切さを思い知らされました。じつは、一般質問通告、市政レポート作成など、きょうまでにやっておくべきことがいくつかあって、昨晩は2時間しか睡眠時間を取れませんでした。そのせいでしょう、部長の説明を聞いていても何度も集中力が途切れ、どこの説明かわからなくなる。質問をする時に思わぬ言葉が飛び出し、困る。質問相手の担当ではない問題をとりあげる、などの失敗を重ねてしまいました。
 具体例を1、2あげるなら、まず住宅建築促進事業。市では住宅建築の促進と定住の促進のために、これまでの住宅建築資金貸付のほかに2ヵ年限定で利子補給補助金を出しています。この問題では、建築不況の打開と若者定住のために少なくとも何年かは継続してほしいと訴えました。ここで想定していなかった「拡充」という言葉がポッと出てしまったのです。事前の調査では、現実的な提案は「継続」という方向でと思っていただけに、これは思わぬ言葉でした。でも、産業振興担当の佐野参事が柔軟な答弁をしてくれたので助かりました。
 合併して合併前の上越市の制度に統一された入湯税。吉川区の住民にとっては合併することによるデメリットのひとつだったので、入浴施設の管理運営のところできくことにしました。施設への影響からいきなり質問するのもいかがなものかと思い、市内における入湯税の基本的な数値、正確な課税、特別徴収者にたいする指導監督と展開しようと考えました。しかし金子観光振興課長や竹田部長と何回かやりとりをしているうちに、やっと、この委員会でこの人たちに詰め寄る内容ではないことに気が付きました。もっと早い段階で気づいていなければならないのに、私の頭は低速回転をしていたのです。
 ま、こういうこともあります、人間ですから。きょうの審議では、それでも、生の言葉が力を発揮した展開もありました。現場に足を運んでそこで見聞きしたことをそのまま語る中で、ボブスレーの安全確保については厳格な対応を求めることができました。住宅建築資金利子補給についても、私に声をかけてきた20代の青年の話を紹介したことなどによって継続への手ごたえを感じました。


2006年09月14日

文教経済常任委員会2日目

 このところ朝早く家を出て、暗くなってから吉川区に戻る日が続いています。吉川区の動きについては市役所にやってくる総合事務所職員がたよりです。昨日は敬老会のことや東京吉川会などの情報を聞きました。昨年、久しぶりに参加した東京吉川会の総会は、今年は来月15日だそうです。この総会に集まる人たちにとって最大のご馳走は、ふるさと吉川区の生の情報です。こちらから参加する人の中には写真やビデオなども持っていこうという人もいます。私もぜひやりくりして参加したいと思っています。
 さて文教経済常任委員会は2日目になりました。昨日に続いて教育委員会関係の案件の審議が午後2時過ぎまで行われ、その後、農林水産部関係の審議になりました。
 新上越市内には図書館が2、図書館分館が2、図書館分室が11あります。子どもの読書推進などソフト面の計画は良くできていますが、施設そのものの利便性、快適性を高めるなどの計画については不十分であるため、早急に作ってほしいと訴えました。小学校の図書については図書標準に達していない学校が54校中22校もあります。私の質問で、学校図書館の蔵書を増やすために、地方交付税で2300万円くらいきてもいいはずなのに実際は1500万円しか予算化されなかった実態が明らかになりました。合併した旧13町村の文化財が、市の文化財になりうるかどうかを判断するための再調査が進められていますが、吉川区を含む9区ですでに調査が終わりました。その結果をただしたところ、調査した物件全部が市文化財に指定される見通しだといいます。吉川区の23件も大丈夫でした。
 きょうは木曜日。市政レポート作成の日でもあるので、夜遅くまでがんばりました。


2006年09月13日

文教経済常任委員会1日目

 待ちに待った委員会の日がやってきました。自分の常任委員会の出番の日です。睡眠は十分とりました。十分とまではいかないにしても質問準備もやってきました。あとはコンパクトに、聞きたいことをズバッときけばよい。ところが委員会にはいろんな人がいて、予想もしないことが起きることがあるからたいへんです。きょうも、信じられないことが起きました。
 教育委員会関係の昨年度の一般会計決算審査の時でした。教育委員会の方で資料は出しましょうと答えているのに、委員会が多数決で出すべきでないとしたのです。私だけでなく市民クラブや市政会議の委員が出すべきという態度を表明してくれたのはうれしいことでしたが、他の会派の委員が「時期尚早だ」「ハッキリしないものが含まれているデータが一人歩きしたらまずい」等と言って反対したのには唖然としてしまいました。
 資料を求めるに至った私の質問は次のようなものです。本来市費で負担すべきなのにPTAや学校後援会のお金を投入している事例は昨年度、あったか。あったとすれば、どんなことにいくらくらい使ったかとたずねました。これは3月議会で教育委員会が調査を約束していたことでした。何回かやりとりをする中で、施設整備や図書費などで、それぞれ、いくらいくらあった。市が負担べきものかどうかわからないものと一体のものを含め、その額は約490万円ほどであるとの答弁が帰ってきました。是正の措置をとるべきものは是正の措置をとるとも答弁がありました。義務外負担ゼロに向けて大きな一歩を踏み出す答弁でした。ならば、この際、調査した結果をまとめたものを中間報告であってもいいからを出してほしい、私はそう言ったのでした。
 委員会が終わって、私の議員控え室に議員やマスコミ関係者などが数人やってきて言いました。「教育委員会が出すって言っているのに、議会の方が抑えるなんておかしい。議会は問題があれば解明していかなければならないのに」「こんなの、初めてみた。世間から笑われますよ」。委員会の様子をみていた人たちの中にもあきれた人たちが何人もいたのです。私の言っていることが正論であることを改めて確認できてホッとしました。


2006年09月12日

建設企業常任委員会3日目

 建設企業常任委員会の3日目でした。自分の所属する文教経済常任委員会前日でもあります。きょうは委員会の傍聴は午後の1時間ぐらいしかできませんでした。文教経済常任委員会質疑で必要な資料を関係課にお願いしていたものの整理をするなかで、どうしても事前に聞いておくべきことがあったりします。きょうはそうした準備作業に追われました。ある課長に、「きょうは委員会の方はよろしいんですか」ときかれたので、「いやー、出たいんだけど、こちらも戦闘態勢に入ったもんでね」と言ったらびっくりされていました。「戦闘態勢」というのは誤解を招きやすい表現ですが、自分の所属する委員会前日の緊張感の高まりを言ったまでのことです。
 きょうは、夕方、楽しみにしていたイベントがありました。国際体操連盟主催の創立125周年記念演技会がリージョンプラザ上越で開かれたのです。アジア各国から体操競技、新体操、エアロビクス、トランポリンなどのトップアスリートが演技する、しかもその中にはオリンピック金メダリストもいる。いつもテレビでしか観ていなかったので、感動の連続でした。里アンナの歌、「恋し恋しや」も良かったです。遠い昔のことを思い出させるような、やさしい歌声で涙が出そうになりました。それにしても青年の生き生きとした動き、今晩のように、たくさん見るとうれしくなりますね。体操のお兄さん、小林よしひささんの動きと笑顔、最高でした。
 2時間ほどの演技のなかで初めて知ったことがいくつもあります。その1つだけ書きましょう。日本体育大学体操部の集団演技が終わったところで、司会の森末慎二さんが言いました。いま、演技をしていた人たちのほとんどは高校時代、体操競技をやっていなかった、大学に入って、半年、1年でこうした競技ができるようになったのです、と。人間というのは鍛えれば成長することはわかっていますが、こんなにも短期間でハイレベルの技術をみにつけることができるとは思いませんでした。議会人としても学ぶことの多いイベントでした。


2006年09月11日

建設企業常任委員会2日目

 4つの常任委員会のなかで行政側からの提出資料がもっとも少ないのが建設企業常任委員会です。関係の部局も都市整備部とガス水道局だけですので、そうなるのが当然と言えば当然です。そうした資料について間違いが多すぎると委員会の初日に指摘したのは大ベテランの本城委員(市民クラブ)でした。実際のところ、訂正(その2)なるものまで出てくるとうんざりしてしまいます。地方自治法第230条の5項では、「普通地方公共団体の長は、第三項の規定により決算を議会の認定に付するに当たつては、当該決算に係る会計年度における主要な施策の成果を説明する書類その他政令で定める書類を併せて提出しなければならない」としています。法で定められた正式な文書であるという自覚を持って提出前にキチンとチェックをしてほしいところです。
 ところが、今度は議案にもミスのあることが判明しました。総務常任委員会で質疑が行われることになっている財産取得の案件です。たとえ1字であっても、所在や面積など基本的な事項にミスがあっては議案として重大な欠陥ありとみなされることはいうまでもありません。すでに議会に上程され、市長の提案理由の説明も終わっているとあって、その対応をどうするか、明後日、議会運営委員会が開かれることになりました。
 さて、きょうの常任委員会ですが、本城委員の公営住宅に関する質問に注目しました。同委員は修繕工事から安否確認にいたるまで具体的な状況を示して質問していました。南新町住宅が彼の近くにあることもあるでしょうが、実情や問題点を浮き彫りにする質問のやり方には感心しました。しかも、わかりやすい。同委員の質問によって、公営住宅でも入居者の高齢化がすすんでいることが明らかになりました。入居世帯の中で65歳以上の高齢者世帯が39.4%にもなっていて、トップは南新町住宅の44.8%といいます。「最近、住宅で2人の方がパタパタと亡くなった。建築住宅課と健康福祉部で連携を」との訴えは当然です。


2006年09月10日

ホームページに関する話題

 まとまりのない話でも役に立つことがあるんですね。先月23日、新潟で開かれた全県党議員会議での私の発言のことです。まったく準備していなかったテーマで司会者から発言を求められた私は、ホームページなどについて自分の経験をのべました。ここで私は、埼玉県や長野県の党組織に比べて新潟県の党組織はホームページの取り組みが弱い、ネット選挙解禁の動きがあるなかで、これでは選挙に勝てない。ぜひ県委員会が中心になって勉強会や交流会を開いてほしいと訴えました。反応はさっぱりと思っていたのですが、今晩、その会議に出席されていたKさんから電話がありました。あの時の話でいままで知らなかった橋爪さんの魅力(と言っていただきました)がわかった、私もホームページを立ち上げたいのでぜひ教えてほしい、と。がんばり屋のKさんですが、私と同じく機械は苦手の方です、ブログの利用をおすすめしました。
 偶然とはいえおもしろいものです、その電話が来てからしばらくして、茨城県のKさんからメールが届きました。そこには、日本共産党の理論誌『前衛』10月号に宣伝局次長の田村一志さんがホームページの積極的活用を呼びかける内容の論文を書いていますよ、という案内がありました。この論文は、埼玉県北部地区委員会が開いた「講演と交流のつどい」での田村さんの講演内容に加筆したものです。講演については、「しんぶん赤旗」日刊紙に要約されていましたが、全文を入手したいと思っていたところでした。さっそく田村論文を読み始め、一気に読み終えました。PSEマークのない中古家電問題や「リハビリ打ち切り」問題などでインターネットが威力を発揮していることや四国でのホームページ交流会の様子など、とても参考になりました。新潟でも田村さんを講師に交流会をやってほしいので、県委員会に働きかけたいと思います。
 きょうは午前に中学校の運動会に参加し、午後からは図書館分室へ行って、文教経済委員会での質問準備をしました。途中、激しい雨が降りました。昨日、きょうと稲刈りをしっかりやろうと思っていた人たちにとっては、切ない雨でした。
 
 トップページの写真、入れ替えました。


2006年09月09日

猛暑復活

 おそらく今年一番の暑さだったのではないでしょうか、強烈な暑さでした。ちょっと動いただけで汗が出てくる、この感じは久しぶりです。朝晩の涼しさを味わうようになってからの暑さは、夏場よりも体にこたえますね。テレビのニュースでは36度を超えたと言っていました。
 きょうは午前に市政レポート配布で上川谷まで行ってきました。出かける前、後援会のTさんに上川谷へ行くという話をしたら、「ぜひ連れて行ってほしい。県道の災害復旧現場を見たいから」ということでした。それでTさんのクーラー付きの車に乗せてもらいました。おかげで行き帰りは快適でした。それに尾神岳を通る市道は野の花がいっぱい、いまが盛りのツリフネソウは道にまで出て咲いていました。上川谷の工事はかなり進みました。現場の人の話によると、進捗率は55%ほどだといいます。
 家に戻ってからは、昼飯をがまんして2時近くまで「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。早く終わらせて議会の準備をしよう、そう思って頑張ったのはいいのだけれど、一番暑い時間帯に配達に出たのが間違いでした。暑さに完全にやられてしまいました。ぐったりして何もやる元気がなくなってしまったのです。クーラー無しの愛車は夕方走らせるべきでした。どうも、最近はこういう判断がちゃんとできない。
 
 ぐったりしたのは私だけではありません。妻も昼寝したまま起き上がれませんでした。夕食はカレーということだったので、私が料理しました。出来上がりはまずまず、でも何かおかしいと思って良く見たら、ニンジンを入れるのを忘れているではありませんか。忘れていたのは、久しぶりにつくったためか、それとも暑さのためか。


2006年09月08日

建設企業常任委員会1日目

 朝から各派代表者会議が開かれ、議会で審議もしていないのに「身体障害者補装具等自己負担額助成に関する条例の廃止」を既定事実化して市の広報に載せた問題を協議しました。杉本団長からもらったメモによれば、再発防止を含めた対策を明確にする、どうしても議決前の案件を市民へ広報したいことがあれば、議会とその都度相談する。こういった内容で正副議長が市長に口頭で申入れることになったようです。これをうけて市長がどうでるか注目ですが、議会と行政の基本的な関係をふまえた対応をしてほしいものです。
 常任委員会審議はきょうから建設企業常任委員会になりました。最初に問題となったのは、決算審査のために市側が提出している「決算の概況」の記述のあり方でした。「今後の課題、反省点、目標が達成できなかった要因など」という欄があるのですが、そこで「不測の日数を要した」という言葉が多用されていたことから、もっと具体的に、わかりやすくという声が複数の委員から出ました。この「決算の概況」は他所の自治体のものと比べてもたいしたもんだと評価していたのですが、わかりやすくすることを意識してたえず努力していくことは大切なことだと思います。
 午前中、いわゆる「赤道(あかみち)」など法定外公共物の整理とからんだ用地買収や八千代地区交流施設の設計をめぐって、審査が延々と続きました。委員の質問に対して説明する課長などは言葉だけで答えようとしたのですが、なかなか理解を得られませんでした。この時、ふと思ったのは、現場の状況、手続きの仕組みなどをスライドで映し出して説明すれば、こんなことにはならないだろうということでした。委員協議会でパワーポイントを使って部長が計画を説明したことがありますが、委員会審査の場でも、そろそろこういった工夫をしてもいい。
 5日からの雨続きで稲刈りはまったく進みませんでした。きょうは朝から晴れ、稲作農家の人たちは、きょうこそはの思いで仕事をされたことと思います。帰りの時間はすっかり暗くなっていたので、どこまで進んだかはわかりません。軽トラの窓からは稲の香り・匂いが流れ込んできました。おそらく、この香りはコシヒカリのものでしょう。コシヒカリも刈り取りの時期が近づいた、早いもんですね。


2006年09月07日

厚生常任委員会3日目

 厚生常任委員会の3日目。開会前の議員の話題はもっぱら昨日の空転についてでした。「議会で決めていないことを決まったこととして市の広報に載せるなんてとんでもない」「単なる不手際とは違う。市議会を日頃から甘く見ているからこういうことが起きる」「市長はどういう気でいるんだ」などの声が相次ぎました。昨日は、助役が委員会で陳謝したといいますが、この問題をどうするかの決着は、明日の代表者会議で話し合われるとのことです。
 きょうの委員会も時間を延長して行われました。質疑はこまごまとしたことが多かったように思います。午後の休憩後の委員会では、途中で用事があった関係で説明員の後ろの傍聴席に座りました。ここは委員席から最も離れた空間だということもあって、傍聴している議員などのさまざまな声を聞くことができます。国保特別会計決算の説明の時に、ある議員が小さな声で言いました。「おれんとこなんて昨年は毎月4万いくらだで。まいったよ」。同議員は国保税の滞納者が4000人近くにもなっていること、その総額が10億円を超えていることなどにも驚いていました。国保税はとにかく高すぎる。そう思っている議員は結構いるようです。
 夕方から市政レポートの作成にかかりました。ところが右腕の手首が痛くて、なかなか進みません。どこかでくじいた記憶も無いのに、どうして痛くなったのか不思議でなりません。キーボードをたたきすぎたわけでもないのにどうしたことか。こまりました。


2006年09月06日

厚生常任委員会2日目

 厚生常任委員会の2日目でした。昨日に続いて健康福祉部関係の決算、条例などで論戦が行われました。
 小泉内閣の「改革」で最も泣いているのは生活困窮者です。樋口良子議員が扶助費に関連して、「実態をよくつかんで、制度改善に向けて声をあげるべきだ」と力説しました。同議員とは同じ控え室ですが、彼女を頼りに生活相談をしてくる人がたくさんいます。「夏場でも風呂を3日に1回にしている」など控え室で聞いた生の声を紹介した訴えに、中川助役は、「私どもではいかんともしがたい事務だが、実際の生の声をお聞きして、市長会などの場面で私どもの考えを上に伝えていく」と答えていました。
 基本健康診査事業が今年も問題にされました。基本健康診査、市民健康診査、どちらも昨年度より受診者が減りました。大潟区選出の柳沢議員が健康診査の通知方法の改善を迫りました。また、同区選出の内山議員も「楽しく元気な社会を築くには予防にウエイトを置くことが大事。関係者全員が受診できる体制づくりを」と訴えました。市は「夕方健診」「女性のための総合健診」などを含めて積極的だとみていたのですが、受診者数が減っていることは大きな問題です。
 夕方、児童文学者の杉みき子さんの『くびき野ものがたり』(上越タイムス社刊)の出版記念パーティがあり、早めに会場に入りました。そこで樋口議員から携帯電話で委員会情報が伝えられました。「身体障害者補装具等自己負担額助成に関する条例の廃止」をめぐって、委員から怒りの声が上がっているとのことでしたが、きっかけは同条例の廃止を既定事実化して市の広報に載せたことにあります。先日、私がこれに気付き、「こんな議会軽視を許してはダメだよ」と言っておいたのですが、委員の怒りは当然です。
 さて出版記念パーティは盛大に行われました。ものがたりは、上越タイムスに連載されている時から愛読していましたが、ふるさとを愛する多くの人たちに読んでほしいですね。杉さんは「ものがたりはひとりで書いている気がしなかった。妙高山など郷土のすべてが語りかけてくる言葉を翻訳して書いた。まだタネがいっぱいある。これからも書いていきたい」とのべておられました。これからが楽しみです。会では、高校が同窓である小中学校の校長さんたちや小川未明童話会の方などと親しく懇談させていただきました。
 きょうも雨。稲刈りは2日間ストップしました。


2006年09月05日

厚生常任委員会初日

 議会は、きょうから厚生常任委員会がはじまりました。きょうはまず昨年度の決算審査です。昨年1月1日に合併して初めて、通年で決算を見ることができるとあって、合併にあたって統一、あるいは段階的に統一させるなどとした事務事業が実際にうまくいったか、改善すべき点はないかなどの視点からいろいろな議論が展開されました。
 要援護世帯除雪費助成事業は、旧上越市の制度に統一するとした内容では山間部は不十分であることが合併直後の大雪で明らかになりました。それで昨年度からは機械除雪も対象となり、多雪地域にたいする援助額が増えました。降雪期を前に多雪地域とそうでない地域の線引きをしたのですが、この地域設定についてはなかなかむずかしく、柔軟に対応すると説明されていました。しかし、きょうの議論では、「柔軟に対応する」ための行政側の取り決め、意思統一はされていなかったことがはっきりしました。これではこまります。
 紙おむつ助成事業についての審査では、柳沢議員が、助成対象者が入院した場合でも助成が必要なケースに対しては給付できるよう改善すべきだと迫りました。また樋口議員は、アンケート調査で「自己負担による購入」がまだ52.9%もあることを指摘し、改善を求めました。両議員の質問に対して三浦健康福祉部長は、「総体的な在宅サービスのあり方もふまえ、検討してまいりたい」と答弁していました。
 9月に入って初めて雨が降りました。大きな雨ではないとはいえ、一日中、雨模様だったようです。稲刈りをする気でいた人たちにとっては、いやな天気だったことと思います。気温の方はずいぶん低くなったように感じます。朝晩は、もうクーラーは要りません。クーラーのない、わが軽トラもようやく窓を閉めて走れるようになりました。これで暑い、暑いといってぼやかなくてもよくなります。


2006年09月04日

総括質疑2日目

 総括質疑2日目でした。きょうは5人が登壇しました。1日目と合わせると8人登壇したことになります。これはおそらく上越市議会史でも初めてなのではないでしょうか。8月15日に最大会派の政和クラブが分裂して4会派になったことで、上越市議会の会派は議長を除いて9会派(日本共産党議員団、公明党は正式には党)になりました。まさに多会派時代到来です。
 政和クラブの分裂で新たに結成された4会派も、それぞれ代表を立てて総括質疑を行いました。新聞報道では「市長与党としてこれからも連携していきたい」というある議員の談話が掲載されていましたが、きょうの質疑では微妙な違いを感じさせるものがありました。新会派の1つ、毘風の早津議員は財政健全化の取り組み、防犯安全安心まちづくり条例制定の趣旨などをオーソドックスな形でただしていました。きょう、登壇したもう1つの新会派、自民クラブの小林議員は、合併後初めての通年決算について、「プラスだけでなくマイナスもあるはずだ」とマイナス面も明らかにするよう市長に再三迫りました。この違いは質問者の個性からくるものなのか、それとも市長に対するスタンスの違いからきているものなのか。
 市が今回提案した防犯安全安心まちづくり条例についての質疑はきょうも活発でした。市政会議の矢野議員は、「監視社会を助長しないか」「地域社会を壊すことにならないか」と問題提起し、同じ上越市でも人口密集地帯と農村山間部では安全安心の対応が違うとのべました。同議員は犯罪の最大の抑止力は警察力の強化だとも指摘しましたが、視点は新鮮でした。わが議員団の杉本議員は、まちづくりの視点から、まちづくりのそもそも論を展開しました。敵からの守りを意識した城下町高田の街の造り、学校の敷き地内に遊歩道を設置する話など、注目されました。安全安心の取り組みの議論をさらに深めていくうえで、きょうの質疑はいい刺激になるでしょう。
 きょうは思ったよりも早く質疑が終了したので、いつもより1時間以上も早く吉川区に戻りました。吉川中学校の近くの道路を走って目に入ってくる風景は毎日変わります。五百万石の稲刈りは好天に恵まれ、どんどん進みましたね。もう、終わりに近づいた感じです。


2006年09月03日

地域自治組織についての全国セミナー

 昨日から2日間、自治体問題研究所とにいがた自治体研究所が共催した全国セミナーに参加してきました。会場は大潟区の鵜の浜ニューホテル、テーマは「地域自治組織」についてでした。公募公選制を実現させた上越市に学ぼうということで県内各地だけでなく、全国から約140人の自治体議員、研究者、自治体職員、住民運動関係者などが集まりました。南は沖縄県から北は岩手県まで参加したのですからすごい。改めて上越市の地域協議会委員の「選任投票制度」(行政側が使っている言葉)に大きな関心がもたれていることを知りました。また、いくつもの報告、講演を聴き、これからの地域自治組織を考えるうえでも上越の取り組みが先進事例となることを再確認できました。
 きょうは午前8時から約1時間半、市の防災訓練が吉川区などを会場にして行われたこともあって、午前の部は1時間遅れての参加となりました。最初のプログラムは地域協議会委員との交流会です。ここでは柿崎区の5人の女性委員の話を聴くことができました。投票になるのであれば辞退するつもりだったけれど町内会の集まりで地域協議会や柿崎への思いを語ったら負けられないと思うようになったとか、協議会でゴミ袋の改善など身近な要求を取り上げて実現させたことなどを実に生き生きと語る。女性参画がいかに大切かを学ぶことができた発言でした。この交流会では、名立区の塚田正協議会長や昨晩同じ部屋に泊まった大潟区の委員、佐藤忠治さんも発言されました。地域協議会の今後のあり方を考えるうえで、とても参考になりましたね。
 今回のセミナーではいろいろな出会いがありました。初日、私の隣に座った女性は初対面ですが、私のことをよく知っておられるので不思議だなと思っていたら、私のところへ2回ほど電話相談してこられた方でびっくり。また、いつかおじゃましたいと思っている新潟市の特養ホーム「穂波の里」の上杉さんとも初めてお会いしました。今回のセミナーのテーマには地元の人たちも注目していました。合併協議会の時に一緒に議論した旧大潟町議会議長、村山さんなどなつかしい人たちの元気な発言も聴くことができました。会場で購入した『地域自治組織と住民自治』(自治体研究社)やセミナーのレジュメもしっかり読まなければ……。
 午後から伯母の見舞いを兼ねて「大地の芸術祭」の作品を観に松之山(合併して十日町市になった)の湯山まで出かけてきました。観たかったのは、吉川中学校で子どもがお世話になった前山忠さんの作品です。木端(こば)職人だった家をフルに使った、フレームを通してみる風景を楽しみました。四角形などのフレームをいろんな角度から覗き込んで、農村風景を見る。民家の部屋を見る。暗い部屋の四角い隙間から外を見る。覗き灯籠から庭を見る。小さな池に設置した四角い鏡に映る風景を見る。建物の中には地域の人たちの大切にしているもの、木端職人だった人の道具なども展示されていました。芸術をこんなに身近に感じられる、それも懐かしさとあたたかさとともに。一緒に出かけた妻も「来ていかったね」と言っていました。「大地の芸術祭」は9月10日までです。


2006年09月01日

9月議会総括質疑はじまる

 月が変わって9月。昨日とはわずか1日しか違わないのに、秋になったという実感がするから不思議です。ミンミンゼミの鳴き声は何となく弱弱しくなった感じがします。その一方で、草むらや木の上の虫たちの鳴き声が大きくなったように思えます。夕方、妻と一緒に帰ってきた時、夕陽がとてもきれいでした。頸城区のコシヒカリの「平原」を赤く照らした光景は、「秋だなぁ」と思わせるに十分な美しさがありました。
 9月議会はきょうから始まりました。総括質疑には3人が立ちました。注目したのは「上越市みんなで防犯安全安心まちづくり条例の制定について」の質疑です。われわれ3人の議員団では質疑対象としなかったことを他会派議員がとりあげました。この条例の市民への周知期間の長さについてです。施行は10月1日となっていますから、いまの議会日程でいくと採決した日を含めてもわずか2日しかありません。市長は「この条例は理念条例で、これまで取り組んできたことを後押しするもの。今後、概要版などを発行する他、いろんな機会をつうじて周知していく」とのべ、周知期間を長く取る必要性を認めませんでしたが、無理のある答弁だと感じました。議会にはいろんな考えの人がいて、いろんな角度から議論する人がいる。その大切さを実感した質疑でした。この条例は今議会の最大の焦点になっていきそうな気配になってきました。
 きょうは金曜日。「しんぶん赤旗」日曜版の配達をスタートさせる日です。昨日作成した市政レポートを手直しし、市役所へ行くまでに印刷を終えたいと思ったのですが、一般紙に折り込む分の印刷が終わりませんでした。明日は自治体問題研究所主催の地域自治組織についての全国セミナーが鵜の浜温泉で開かれ、泊りがけとなります。午前中に新聞配達を終わらせ、セミナーに参加するという強行軍ですが、どんな議論があるか、どんな人との出会いがあるか楽しみです。
 「春よ来い」第68回「操作番号」をアップしました。


2006年08月31日

チャンスはやってきた

 数日前からずっとねらっていたことがあります。尾神岳をバックに黄色く実った五百万石のりっぱな、これぞ酒米という姿を撮ることです。晴れて、できれば青空の時に撮りたい。ところが、なかなかいい天気に恵まれませんでした。尾神岳は午前は太陽光線の関係でパッとしませんので撮影は午後になります。午後の時間帯に吉川区にいる時でないとダメですが、そのチャンスがきょうやってきました。五百万石はきょうから稲刈りが始まりました。稲の穂をしっかりとらえ、稲穂の大きな広がりも撮る。コンバインの姿も小さく入れてほぼ思い通りの写真を撮影することができました。写真は「しんぶん赤旗」日刊紙に掲載したいと思い、送信しました。
 きょうは午前中に市政レポートをほぼ書き上げ、午後から約1時間ほどデジカメを持って区内を走り回りました。昨日まではどこかの温泉にでもと思っていたのですが、きょうのようにスカッとした天気になると、建物の中にいるのはもったいない。今年最初の稲刈り日和の風景を撮りました。このページの写真もきょう撮影したものと入れ替えましたので、ご覧ください。
 夜、地区委員会から電話が入りました。前衛9月号の大幡論文を読んだ福井県の党幹部が、吉川区における党活動の経験を学びたい、資料があればなんでも送ってほしいと言ってきているので対応してもらいたいとのことでした。党吉川支部や後援会の活動はまだまだ不十分ですので、何かはずかしい気分ですが、とりあえず最近発行した市政レポート吉川版を送ることにしました。参考になればうれしいのですが……。


2006年08月30日

議会モード

 「この人、まだ議会モードになっていないんだから」A議員が私たちの議員控え室にやってきた時、樋口議員が私のことをそう言いました。議会モードと言うのは、生活のスタイルが議会のことに集中するようになっていることをいいます。私だけでなく、多くの人はこのモードを重視しています。このモードが確立できていないと、しっかりとした議会論議ができないからです。
 「いや、議会が始まれば議会モードになるよ」と言い返したのですが、どう見ても私の体の周りからはそういう雰囲気が漂っていないのですから、しょうがありません。短時間とはいえ、山に入って写真を撮ってくる。議会初日3日前でもビラ配布を時間をかけてやっている。議員控え室では西岸良平の漫画『三丁目の夕日』を読んでいる。こういう姿だけみれば、ふだんの生活モードと言われてもしかたがないところです。
 でも、でもです。私の場合、議会前にやるべきことをやっておかないと議会に集中できないのです。いつもの議員団ニュース、市政レポート作成をやる。赤旗購読代金の集金をする。こういったことから、私の私的な「仕事」まで期限のあるものはやっておきたい。そして疲れがたまっていれば疲れをとっておきたい。こうしたことを納得のいくまでやって初めて議会モードへの切り換えが可能となるのです。
 きょうは議員団ニュースの作成、主要地方道新井柿崎線についての上越地域振興局地域整備部長との交渉などがありました。あすは市政レポートを昼間のうちに書き上げ、できれば近くの温泉につかりたい。そうして明後日から完全に議会モードへ転換です。がんばらなくっちゃ。


2006年08月29日

忘れられない記憶

 きょうは朝から大賀集落及び川谷地区のビラ配布でした。途中でお茶をご馳走になったりしたこともあって、38世帯回るのに約4時間かかりました。日頃からお連れ合いが「うちの父ちゃんは物忘れがひどくて困っちゃう」と言われているSさん宅でお茶を飲んでいた時のこと、話が昭和42年1月17日の雪崩の話になった途端、Sさんは当日のことをびっくりするほど詳しく語り始めました。
 この雪崩では川谷小学校に通う上川谷の児童生徒12名が生き埋めになり、ラジオなどのニュース(たぶん臨時ニュース)で放送されました。私は当時高校生、高田の南本町の雁木を歩いていて、このニュースを聞き、胸がドキドキした記憶があります。後で「全員救出」のニュースが流れた時、ホッとしたものです。現地の親たちがこの雪崩で切ない思いをしたことは言うまでもありません。Sさんのうちでは2人の子どもが雪崩にあいました。家で2人以上生き埋めになったのは3軒、第一報が入ってきた時どうしたか、一番最後に救出された女子児童はかなり下まで流されていて発見が遅くなったことなど、鮮明に憶えておられました。
 Sさんは別の雪崩についても語りました。久保のうしろの山から発生した雪崩が谷を下り、1軒の家に到達したことがあること、すぐ上の家はかろうじてセーフだったこと。自分が生まれる前にも雪崩があって人が死んでいるらしいことなどです。この話を聴いて、この地域が土石流の危険箇所の指定を受けていることを思い出しました。現在は地すべり防止のダムなどが数ヶ所つくられていますが、大丈夫なのか不安になりました。
 家に戻ったら、長岡市のAさんという方から葉書が届いていました。まったく知らない方ですが、私とほぼ同年代だといいます。この方はいま、私の『幸せめっけた』を読んでいてくださり、「私の原風景とぴたりと重なり、涙して読んでいます」との言葉を寄せてくださいました。葉書には、長岡市の中央図書館には、わたしのこの本が5冊そろえてあるとも書かれていました。ありがたいですね、こういう葉書がもらえるのは。


2006年08月28日

総括質疑の準備

 父のところにリースの電動ベッドを入れて4日目。朝、父の寝室をのぞいたら、「ほら、こうやって動くがだ」と言ってコントローラーで操作し、ニコニコしています。「どうだ、楽かね」とたずねると、「うん、楽だ」。父のふだんの寝起きする様子を見ていなかったので断定はできませんが、今春、牛舎で転んで、仔牛にのぼられた時から腰の具合がまずくなったようなのです。その時点で、腰の負担が軽くなるようにしてあげればよかったなと反省しています。
 きょうは議員団会議でした。総括質疑で何をどういうふうにとりあげるかで4時間ほどかかりました。ひとつは昨年度の一般会計決算をどうみるかです。新市建設計画との対比でどうだったか。合併後の初年度にふさわしい行財政運営だったか。杉本議員が用意してきてくれた表を見ながら3人で長時間話し合いました。また防犯対策に特化した安全安心のまちづくり条例をどう見るかも時間がかかりました。全国的に見るとかなりの自治体で同種の条例が制定されていますが、有事立法や個人情報保護との関連を問題にした議会も少なくありません。私が一番気になったのは、「犯罪の防止に配慮した構造、設備等を有するようにする」という文言です。道路や建物などが監視カメラだらけにならなければいいがと心配しています。わが議員団からは杉本団長が総括質疑に立ちます。
 きょうは午前から夕方までずっと控え室でした。市役所を出た途端、ムッとする暑さ。残暑もおだやかになってきたかなと思っていたのに、軽トラを運転していても、手はベタベタでした。夜のテレビニュースによると、平年よりも5度も高かったといいます。どおりで暑いと思った。


2006年08月27日

飲み食いをガマンして……

 昨晩の飲み疲れが午後までひきづりました。初めて参加した「結い祭」がとても楽しく、ついついたくさんいただいてしまいました。そばにいた総合事務所のT参事に「おまん、飲むようになったねぇ」と「感心」されるぐらいですから、相当いただいたのでしょう。これで翌日もう一回がんばると体のどこかに赤信号が出る状況でしたので、きょうはぐっとがまんしました。
 きょうは午後から党議員団の上野事務局長の地元で後援会の焼肉大会がありました。いろんな野菜、肉、海産物が持ち込まれ、美味しそうなものばかり。もちろん飲み物も……。アルコール類も氷の入った水の中で冷やされ、「うまいですよ、飲みませんか」という顔をしていました。でもビールは飲まず、ウーロン茶でのどを癒し、ピーマン、かぼちゃ、たまねぎなどの野菜中心でがんばりました。それにしても、ここの後援会は元気がいい。政治を語り、飲み、笑う。その様子は上越市内の党後援会の中でもナンバーワンかも。
 夜は「橋爪法一を囲む会」でした。党の理論政治誌・『前衛』9月号大幡論文に、私のパソコンを使った議会報告会のことが紹介されていたこともあって、今回は糸魚川市の党幹部2人が視察をかねて参加してくださいました。会の方は、私の報告の後、ボブスレー事故やプール事故について質問が相次ぎました。やはり、子どもを持っている人たちは大きな関心を持っているんですね。また合併後の市の広報活動に関連して発言があり、私が発行している市政レポートについては、吉川産のとれたての情報、身近な話題に関心が集まっていることがよくわかりました。レポートに掲載した焼肉大会の写真を大きく映し出したら、楽しい話がどんどん広がりました。
 家に戻って妻とテレビを見ていたら、メタボリックシンドロームを取り上げていました。内臓脂肪について、様々な角度から紹介されていて、とても勉強になりました。布団の上で仰向けになり、そっとお腹の出っ張り具合を見てみました。思ったよりも出ていなかったものの、平とはいきませんでした。うーん、やはりダメか。


2006年08月26日

小さな運動会

 きょうは川谷地区の運動会です。地区とはいっても全部で戸数は32戸しかありません。子どもはわずかに2人、あとは大人ですが、70代、80代が多い。そこで毎年8月の最終土曜日に運動会をやっています。暑くて、疲れるからということもあって開始は午後3時から。種目はダンボールでつくったA3くらいのボードを次々とつないでどのチームがいち早くゴールできるかを競うものから始まって、瓶釣り競争、紅白対抗玉いれ、綱引き、パン食い競争、一気飲み競争、早くいっぱいレースと盛りだくさんです。約2時間、笑いや歓声の絶えない楽しい運動会でした。
 ここの運動会の参加は昨年に続き2回目。一番の特徴は、ほのぼのとした雰囲気に満ちていることです。瓶釣りレースでビリになっても釣れるまで励ます、パンに食いつくのがうまくいかなければ、食いつき方を何人もの人たちが教える。方言丸出しで野次もあたたかい。だから高齢者世帯が多くても、少しでも動ける人はみんな参加しているのです。正月のサイの神行事と同じく、運動会もみんなが楽しみにしているいるんですね。もうひとつの特徴は法政大学の学生、OBなどでつくっている人間環境ネットのみなさんが参加し、競技にも応援にも加わっていてくれること。高齢化がすすむこの地区の運動会が成立しているのは、地域住民の熱意とこの人たちの応援があるから。きょうも大活躍でした。
 私は昨年とうとう最後まで釣り上げられなかった瓶釣りの競争と一気飲み競争に出ました。来賓挨拶で、「今年は何としても瓶釣りができるようにがんばりたい」と発言していたのですが、今回は釘がうまく瓶のなかでひっかかり、何と第2位。大きな拍手と賞品をもらいました。一気飲みは、ジュース、コーラ、酒ワンカップ、ビール350㏄のいずれかを早く飲み、早く走ってゴールした者の勝ち。ただし飲み物は走り始めて5メートルほどのところに置いてある封筒のなかの紙に書いてあります。どれを飲むことになるか分からないところがおもしろい。私はジュースでしたが、ビールなどよりも飲みにくいんですね。このレースでは最下位となってしまいました。それでも大満足の運動会でした。
 運動会が終わってから、人間環境ネットのみなさんが中心になって、体育館で「結い祭」が行われました。これにも参加し、みんなで飲んで語りました。20代の人たちがものすごく盛り上げてくれたのはうれしかったです。体育館の外には「越後よしかわやったれ祭り」で使った稲穂竿灯の一部が点灯され、花火も打ち上げられました。こうしてわが家に着いたのは10時少し前となりました。


2006年08月25日

生の言葉の魅力

 人間の発する言葉は生き物です。するすると出てくることもあれば、やっと出てくることもある。言葉はさまざまな表情を見せてくれますが、大事なことは何を言っているのか、その思いも含めて聞き手にしっかりと伝わることです。きょうの市民と市長の「現場でトーク」で語った吉川区の住民のみなさんの言葉を聴いて、なるほどと思う場面が何回もありました。
 昨年の水害で冠水してしまい通行止めとなった国田地内の県道。市長や関係部長に八木司さんが県道を嵩上げして道幅もとってほしいと訴えました。たまたま数台の大型ダンプが通過して行くのが目に入った八木さんは、「いま大型車は対向車の動きを見て停まって待つか行くかを判断しているが、私たちとしては真ん中に白線が入った道にしてほしいんです」。タイミングよく、しかも「真ん中に白線の入った道」とはよく言ったものです。
 ゴミの不法投棄が相次ぐ吉川区内のある県道では、これまで18回も回収作業をしたという地元の町内会長さんが1回目の訴えを終え、がけ下を見ながらポツリと言いました。みんなで道を歩いて下っていた時です。「冷蔵庫やベッドなどでっけもんも困るけど、一番困ったのは紙オムツだったね。水を含んで膨らんでいて重たくて、しかも臭い」。捨てる人間の良識の無さ、回収作業の大変さが直感できる言葉でした。この言葉にすぐ反応したのは市長です。「しかし、世も末だなぁ」。
 被災した人は目だけでなく音の記憶も残っているんですね。昨年の水害で大きな被害の出た代石町内会の会長の保坂年明さんは、堤防から畑へ、民家へと流れ落ちる水の音を記憶していました。市長を前にして緊張した面持ちで訴えました。「わたしらのとこは2年に1回、水害があるがです。すぐそこの堤防のところから川の水がザーザーいって聞こえたのには本当にびっくりしました」。市長は河川改修のスピードを上げることが重要だと答えていました。


2006年08月24日

父を連れて医院へ

 父の怪我は思ったよりも軽いようです。きょうは午後から医院に連れて行き、ギプスの型どりをしてきましたが、介助すれば歩けますし、楽しみにしているディサービスに行ってもよいという許可を医師からもらいました。もっともわが家では、これまで以上に要介護者のいる家であることを意識した取り組みが必要となります。これまで議会で訴えてきた手すりの設置などの住宅改造をいよいよわが家でもやることにしました。また、電動ベッドも借りる段取りをしました。
 きょうは午前中は党議員団会議で、9月議会の市長の提案理由の説明を読み合わせ、総括質疑で何をとりあげるかの検討にも着手しました。午後は父の付き添いが終わってから黒井へ。樋口議員の担当地域であったのですが、私がかつて勤めた土地家屋調査士事務所での経験と知識を生かせる内容でもあったので加わりました。この生活相談では、きょうの現地調査を踏まえて明日の夕方、市役所担当課と交渉することにしています。
 夕方、吉川区内で軽トラを走らせたら、稲の匂いが窓から流れ込んできました。ふるさと吉川は、いよいよ収穫の秋を迎えます。


2006年08月23日

父が腰椎圧迫骨折

 家族から携帯電話が来るとドキッとすることがあります。父や母に何かあったかと心配になるのです。きょうも新潟から列車に乗って柿崎に向かっているときに長女から電話がありました。不安は的中。父が腰椎を圧迫骨折して熱を出し、病院へ連れて行ってきたというのです。全治1ヶ月。入院はしないで通院で治すとの医者の説明だそうです。母によると、朝、寝室で「ドデーン」という音がしたとのことでした。どうやら、その時にやったらしい。長女からは、わが家は風呂場、玄関など段差がいっぱいあり、転びやすいので、手すりをつけたりなどの改造をしないとダメと言われました。
 きょうは新潟で全県党議員会議でした。井上哲士参院議員の講演を初めて聴きましたが、よく準備されていて、住民運動と結んだ国会での論戦が生き生きと語られました。議会での質問は国民の苦難の解決や願い実現に役立つように錬る。この当たり前のことをちゃんとやらなきゃ、と改めて感じた次第です。私の方は杉本市議団長から、「子どもの安全に関する調査と活動」について発言するように要請されていて、行きの列車の中で準備していったのですが、田村自治体部長から会議の場で「強く大きな党づくり」について発言を求められました。でも準備無しの発言はなかなかうまくいきません。まとまりのない発言になってしまいました。
 帰りの列車の楽しみは読書ができること。今回は新潟駅の文信堂で相田みつをの『いのちのバトン』(角川文庫)を購入して一気に読みました。この本では、相田みつをの作品ひとつごとに作家である立原えりかの解説が載っています。いつも、相田作品は読むたびに考えさせられることが多く、感動しますが、立原えりかの解説もわかりやすく、素敵な文章でした。よく調べてあって、見事だなと思ったのは「蜩(ひぐらし)」という作品の解説でした。みつをのお兄さんは戦争に行って若い命を奪われました。子どものころ、お金が無いので飴を買わずに兄弟で紙芝居を見ていた時、弟がいるので逃げられず、お兄さんは紙芝居のおじさんにみんなの前でなぐられます。夏の夕方の、蜩のカナカナという声はセミとりに連れて行ってくれたお兄さんを思い出させたのでした。


2006年08月22日

ショートメールで生活相談

 誰かが言ったものです、お盆を過ぎた雨はひと雨ごとに涼しさをもたらすと。昨日、きょうと降った雨はまさにそのとおりでした。雨が降ったあと、少しずつながら涼しくなっていく気がします。しかし、きょうの雨はひどかった。午後2時前に市役所を出て、吉川区へ向かう途中、激しい雨に襲われました。当然ですが、軽トラの窓を閉めました。しかしクーラーのない車は蒸し風呂状態に。シャツもズボンも汗びっしょりで、台無しでした。この次に買う車は絶対クーラー付きにするぞと決意させられた雨でした。
 毎週数件の生活相談を受けますが、きょうはめずらしい生活相談を受けました。内容もさることながら、携帯電話のメール、しかもショートメールを使っての相談でした。私の携帯電話の番号は吉川区内では公開していますので、電話はよくかかってきますが、ショートメールを使っての相談は初めてでした。私はふだん、ショートメールを使いませんので、50字以内でやり取りすることの難しさを実感しました。丁寧に伝えようとするとすぐ50字をオーバーしてしまいます。それで何回も手直しをして送信。きょうはいい勉強をさせてもらいました。これからはこういう文明の利器を使っての相談も増えてくるのかもしれませんね。
 きょうは介護、医療関係の生活相談に応じ、伯母の見舞いなどをした後、吉川区に戻って赤旗購読代金の集金や資金繰りで動きました。夜には秋の虫の鳴き声がハッキリと聞こえてくるようになりました。酒米、五百万石の穂は黄色くなり、重たそうに垂れています。とり入れの秋はもうすぐです。


2006年08月21日

金雨

 ちょうど市役所に行こうかという時でした。久しぶりの雨が降りました。小粒の雨が降り、舗装道路も濡れました。田んぼの上には霧雨のような感じで降り注いでいます。稲にとってはシャワーを浴びているようなものです。うれしそうでした。出穂も終わり、猛暑が続く。稲も水を飲みたがっている。こういう時の雨を、わたしたちのところでは、「金雨」(かなあめ)と言います。ほんとうにいい雨でした。もう少し降り続いてくれればもっといい。
 さて、きょうは、お盆が終わって初めて市役所へ行きました。党議員団会議が始まるまで時間があったので生涯学習課に小島副課長を訪ね、調査を依頼していた件の結果について聞いてきました。それは吉川区長峰遺跡で出土した長さ3.9センチのミニ土偶について、完形品として全国最小かどうかという点です。調査の結果は、残念ながら「ノー」でした。新潟県内でも長岡周辺の遺跡でこれよりも短いのがあったそうです。この土偶は、はじめから首のない土偶ですが、かけてなくなったものではないので、これも完形品ということになります。しかし長峰遺跡のミニ土偶は、全国最小とはならなかったとはいえ、妊婦の形をした土偶の中では小ささ、形のよさ、可愛さという点では一級品です。さらに調査を進めたいということでした。
 きょうの会議は党議員団会議、月例議員懇談会などでした。15日に政和クラブが解散して4会派になったことで、議員控え室、本会議場の議席、常任委員会構成、委員会の役職などに影響が出てきています。18日の各派代表者会議で話し合われたものの、持ち帰り事項もあって、きょうの会議となりました。月例議員懇談会は常任委員会の視察の報告が中心でした。議員だけに報告するこの形式には、昨年、本会議でやるべきだと主張したのですが、改善には至っていません。暑かったためか、早く終わってほしいというムードが流れていた会議でした。


2006年08月20日

集落の祭りでも稲穂竿灯

 朝、小苗代集落の神社前の旗揚げ風景を車から見て、「あれっ」と思いました。近くの市道に「越後よしかわやったれ祭り」の時と同じ、ペットボトルを利用した稲穂竿灯がいくつも並んでいたからです。やったれ祭りの感動を自分たちの町内会での祭りで再現させたいという人がいて、お盆の15日にみんなでつくったのだそうです。個数は80個近くもありました。夕方、小苗代町内会の方から、「ぜひ見に来てくんない」と有線電話。行ってみると、竿灯の灯りは、やったれ祭りの時のものよりも柔らかな感じがしてとても素敵でした。いやー、お見事。この取り組みは今後、吉川区全域に広がっていく予感がします。
 きょうは午前に生活相談などで動き、午後からどこかへ行き、ゆっくりする予定でした。ところが、テレビで高校野球の決勝戦を観はじめたことで動けなくなりました。最初は2時間ちょっとで終わるものと思っていたのですが、すごい投手戦になり、延長戦へ。延長戦では点が取れそうでどちらもとれない、ハラハラドキドキの大熱戦が続きました。特に15回、早稲田実業の斎藤投手の140数キロの直球勝負はすごかった。今年はプロ野球を観る意欲がすっかりなくなっていたのですが、きょうの試合を見て、野球の面白さを追う気持ちが高まってきました。明日は再試合、田中、斎藤、ふたりの投手の熱の入った投球をみたい気もするが、選手生命のことを考えるなら、休ませてあげたい。
 子どもの夏休みも最終盤です。ひとりの小学生が夏休みの宿題、「吉川区で頑張っている人にインタビュー」の対象に私を選んでくれました。なぜ議員になろうと思ったのですか、議員になってよかったこと、大変だったことは何ですか、これから吉川区のためにどんなことをやりたいですか。質問項目はおかあさんと一緒に考えたのでしょう。5日に行われた中郷区の縄文資料館オープンの際の吉田議員の見事な子ども向け挨拶のことを思い出しながら、小学生がわかるような言葉で答えようと思ったのですが、なかなかむずかしい。まだまだ訓練が足りないようです。


2006年08月19日

強烈な暑さ

 おそらく、この夏一番の暑さだったと思います。強烈でした。きょうは一日のほとんどを新聞配達に費やしたのですが、時々涼しいところで休みたくなる、というより休まないで続けていたら、どこかで倒れてしまいそうな感じがしました。こんなのは今年初めてです。午前11時にはすでに35度を超え、午後2時頃、村屋のある家の玄関先で36度でした。ここは日陰のところでしたから、陽が降り注ぐところは37度以上だったはずです。
 きょうは久しぶりに勝穂地区でも配達しました。通常の配達員の人の都合で、今回だけ交代したのです。あるおばあさんは懐かしがって、「どうしてなるかと心配していた。忙しいのだろうけど顔が見えないとさみしい。新聞やレポートは隅々まで読んでいる。もう体が弱って外仕事はいっさいできないので、読むのが一番の楽しみだ」と声をかけてくださいました。また、ある50代の人は、私を見るなり、「こんなにでっかくなってどうしたが」。やはり、半年ほどの間にまた太ったようです。
 配達の途中、柿崎区の峠まで足を伸ばしました。じつは、先日、妻の実家へ行った時の帰り道、色の濃いツリガネニンジンの花を見つけたのです。その時、何枚か撮影してきたのですが、ピントがいまいちだったことから、再挑戦しようと思っていました。現場へ行ったら、確かにまだ花は咲いていましたが、最盛期を過ぎ、一部は枯れてしまっていました。来年まで待つしかありません。おしいことをしました。
 夜は大潟区で上越市北部ブロックの党幹部の会議でした。いよいよ、お盆後の活動が本格化します。


2006年08月18日

落雷で通信不能に

 昨日の夕方、落雷があり、有線放送電話が使えなくなりました。同時にパソコン通信も不能となりました。保安器などがやられていたそうです。本日、午前10時10分、復旧しました。ご心配をおかけしました。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、午後から印刷、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。お盆直後は書くことがないことが多かったのですが、昨日、区の地域協議会があったので、それで書くことには困りませんでした。当初10月に予定されていた吉川区のコミュニティプラザのオープンが大幅に遅れることになったこと、越後田舎体験で横浜市の中学生がやってくることなどを記事にしました。
 午後から市役所職員労働組合の総会に来賓として出席しました。樋口議員などから「橋爪さんの顔をみたいと思っている人がいるから、今回は出て」と言われ、参加したのです。250人ほどの組合員を来賓席から見渡しましたが、私の知っている組合員は吉川区と柿崎区の総合事務所のメンバーくらいでした。委員長挨拶の中でメンタルヘルスで悩む職員の増大が指摘されていたのが印象に残りました。懇親会では新旧委員長などと話ができました。


2006年08月17日

ボブスレー調査

 一昨日、市内の金谷山ボブスレー場で子どもが前を走っていた子どもに追突し、重傷を負うという事故が発生しました。市内にはこのほかにも3ヶ所ボブスレー場があるので、昨日から現地調査をしてきました。本来なら議員団で調査をと思ったのですが、それぞれ予定が入っていて、私だけ単独の調査という形になりました。その代わり、きょうは休暇中の妻にも同行してもらい、名立区シーサイドパーク、金谷山、安塚区キューピットバレーの各ボブスレー場を歩いて調査しました。理系の知識については、妻の方が私より上、私の気が付かないことを指摘してくれるので助かりました。きょうは時たま雲に覆われることがあったものの、30度を超える暑さで、ぐったり。腕もきょうの調査で赤く日焼けしました。
 市内の4つのボブスレー場は、名立区と金谷山については市直営、吉川区と安塚区については指定管理者制度による管理となっています。管理の仕方は、看板ひとつとってみても4つのボブスレー場で微妙な違いがありました。利用者向けの注意書きが錆びて見えない、文字はハッキリはしてはいるが文字色が黄色でしかも難しい漢字が使われている、こういうところがありました。今回の事故を契機に利用者の安全確保の視点から、「カーブ 減速」という文字を「カーブ スピードおとせ」にするなど、さっそく改善措置をとっているところもありました。
 追突事故などの防止のために各ボブスレー場とも工夫をしていました。初めての人にはよく説明をする。最初の30メートルでブレーキのチェックをする。50メートル走らせたところで、そのまま走らせるかどうかの最終的な判断をするなどです。走行者の間隔は30メートル以上とることになっているところがほとんどですが、実際には、最初の段階で100メートルの間隔をとっていても、走行者のブレーキ操作によって追突する可能性があります。一番大事なのはコースのところどころに監視員を配置し、危険がある場合に適切な声かけをすることだと思いました。
 軽トラを走らせながら妻と話したのは、私たち50代の人間といまの子どもでは、子ども時代の遊びにおける危険感覚に違いがあるのではということでした。われわれの時代には、野山を駆け巡り、たびたび怪我もして、「どこまでやったら怪我をするか」を学んでいました。いまはそういう機会がぐんと少なくなってきているように思います。それだけに安全対策もいまの子どもたちがおかれている状況にあわせていかないといけません。堀井秀之さんの講演、「安全安心のための社会技術」を思い出しながら、2日間の調査の整理をしなければ……。


2006年08月16日

猛暑の中で

 昨日に続いて猛烈な暑さでしたね。35度はあったでしょう。運転席、助手席の窓を全開していても、わが軽トラは熱風が入ってくるだけ。唯一、涼しいと感じるのは木陰の中を走る時です。あとは全部ダメ。外に出る環境ではありませんでした。こういう状況でしたので、東京から帰省している同級生と会うことにした場所は柿崎区の大出口泉水でした。尾神岳の山体の中から何十年もかけて出てくるという水は冷たく、1分間以上水の中に手を入れていることはできません。地元在住の同級生と相談して、ここで会うことにしたのです。
 私は2人の同級生より一足先に大出口に到着。そこでは上越の名水を回っているという1人の女性と出会いました。一緒に坂道を登り、吉川区や大島区などの名水のこと、野の花のことなどを語り合いました。缶ビールを冷やしたところへ同級生2人と東京から来た同級生のお連れ合いがやってきて、「あれ、この人、奥さん?」。初対面の女性であっても、野の花の話をすると、私は5分くらいで夫婦の雰囲気をつくってしまうようです。みんなで笑ってしまいました。
 ここでひと休みをしてから旭平へ。同級生の友人がやっている岩魚の塩焼き屋さんで、岩魚の塩焼き、岩魚・ニジマスの刺身、それにトコロテンを食べました。残念ながら、私は車の運転をするのでビールなし。それでも、楽しかった。タバコと肥満の関係の話から始まって、ひもじい思いをした昔のこと、同級生の近況などをたっぷり聞き、また語りました。この休憩所からは米山が見えます。雲ひとつなかった青い空に白い雲が急に出たことから話題は雲に。雲が出来、その雲が消えてなくなる。「おい、あの雲、流れて行かないで消えたど」などと言っては、はしゃぎました。50代半ばの同級生も自然の前では小学生と同じです。みんなで感動しました。
 きょうは謙信公祭の初日。市内各地の城址で午前9時から杉の葉を燃やし、狼煙(のろし)を上げました。きょうは狼煙を上げるには最高の天気でしたね。晴れ渡っていたので煙をしっかり確認できます。吉川区では、顕法寺城址で狼煙が上げられました。柿崎区の猿毛城址から上がった煙が見えた時はうれしかったです。吉川観光協会の長谷川彰会長が携帯電話で春日山城址にいる人と連絡を取ったところ、狼煙の煙は6ヶ所で確認できたといいます。顕法寺城址には30人近い人が登り、狼煙上げを実行。加藤大助吉川小学校長からは顕法寺城址の解説をしてもらいました。


2006年08月15日

妻の実家へ

 そこまでやらないだろうという思いがありました。首相が8月15日に靖国神社を参拝することです。国内世論は反対、中国、韓国などの反発も必至で、日本外交の今後のことを考えたら取り返しのつかないマイナスになる。それでもやるんだから普通の感覚ではありません。「いつやっても批判するんだから」と記者のインタビューに平然と答える小泉首相の様子を見ながら、なぜかもうひとりの政治家の顔が浮かびました。北朝鮮の金正日総書記です。きょうの朝からのテレビ報道を見ながら、日本の戦後は終わっていないどころか、危ない方向へ突き進もうとしていることを感じました。
 きょうは親戚の挨拶回りでした。吉川区内で4軒回った後、妻とともに柿崎区の峠を越えて妻の実家へ出かけてきました。海岸沿いの国道が混んでいるので、お盆には、この山道をいつも利用してきました。きょうは例年よりもたくさんの乗用車とすれちがいましたが、この県道の草刈りがほとんどやられていないのにはびっくりでした。道に草がはみ出し、危険がいっぱい。こんなのは結婚してから初めてです。財政危機下の泉田県政の一端を見た思いがしました。県民のいのち・安全対策を後回しにして野球場建設を優先する県政は改めてほしいものです。
 妻の実家には川崎市に住む義姉夫婦とその子どもなども来ていて、久しぶりに再会しました。きょうは35度近い猛烈な暑さだったこともあり、ビールがうまかったですね。妻の実家では、ある新聞を読みました。じつはお盆前に、吉川区内の戦争体験に興味を示していたマスコミ関係者がいました。その人は吉川町時代に教育委員会が編集して出版した「戦争体験集」に関心を持っていて、体験談を書いた何人かを取材していました。その関係の記事が載っていないかと思ったのです。残念ながら、さかのぼっての確認はできませんでした。一日中、いやなニュースが流れる中、救いだったのは峠から柏崎方面を見たときの美しい景色です。田んぼの稲が黄色くなりはじめ、青空には力強い白雲がある。いつか「私の好きな風景」に載せたいと思います。


2006年08月14日

恒例の尾神岳遊び

 午前は昨日の宿題です。市政レポートの配布の残り、約25軒分を3時間かけて配りました。時間がかかったのは、何軒かで話し込んだから。体調をくずしているMさんとは、入院した場合にそなえてヤギの乾乳をどうするか、野の花の魅力などについて語り合いました。生きているマムシを2本くださったSさんとは、マムシの焼酎漬けの仕方を教えてもらいました。きょうはお盆ということもあって、帰省している人が何人もいました。また、初盆を迎えて親戚が大勢寄り、法事の準備をしている家もありました。
 午後からは中学時代の同級生と遊びました。尾神岳のふもとにある遊ランドで飲み食いしてから、尾神岳に登りました。きょうは風の具合も良く、パラグライダーが10機くらい飛んでいました。昨日、撮影に失敗したツリガネニンジンの花、きょうはうまくいきましたよ。それに、クサボタンもばっちり撮れました。一番うれしかったのは、めずらしいチョウ、アサギマダラの撮影に成功したことです。遊歩道を歩いている時、後から飛んできたのです。花の写真を撮るつもりでカメラを用意していたことが撮影につながりました。数年前にも撮ったことがありましたが、今回は羽根を広げたところを近づいて撮ることができました。いつものことながら同級生とは、同級生の近況を教えあいながら、木の実をさがしたり、花を見たりして楽しみました。
 夜、メールをチェックしたら、茨城のKさんから届いていました。そこには前衛9月号の大幡選対局長インタビューに吉川支部のことが載っていることが書かれていました。じつはまだ読んでいなかったので、すぐに読みました。昨年の市議増員選挙後の支部活動について大きく紹介されていて、ビックリ。しかも、「強く大きな党をつくる」点で「吉川支部に学ばされている」と書いてあります。昨年の党員拡大や集落懇談会の取り組みを評価されてのことですが、今年はなかなか前進できないでいますので、ちょっとはずかしい。がんばらなきゃと思いました。Kさんからのメールでは、私のHPの取り組みにも目を向けてもいいのではないかとも書かれていました。私のHPの良し悪しはともかく、党中央や地区委員会などは議員、機関のHPについてもっと重視すべきだと思います。
 「春よ来い」の第67回「帰省」を掲載しました。


2006年08月13日

夏の貴婦人

 とうとうお盆です。お盆までにはやっておかねば、と思っていたことをやり残したまま迎えてしまいました。きょうは日頃なかなか会えない人などの新聞代を集金し、市政レポートの手配り地域の配布を始めました。また、2軒ほど盆の挨拶に行ってきました。
 尾神岳の市道を通って上川谷へ行く時、妻も軽トラに乗せて行きました。途中に咲いているツリガネニンジンなどを見せてあげようと思ったからです。キキョウ科のこの野の花は「夏の貴婦人」とも言うべき素敵な花です。尾神岳や米山の登山道などで見ることができます。きょうは毎年行く場所で咲き始めたばかりのツリガネニンジンを撮影しました。ところが家で見てみたら、焦点が開花した花ではなく、つぼみに合ってしまっていて失敗。また撮りに行くしかありません。きょう、妻が一番感心したのは、オニヤンマのようです。私は何回も行っているので、オニヤンマと出会う場所は全部頭の中に入っています。「ほら、このカーブを過ぎるとオニヤンマが飛んでくるよ」と予告して数秒後に出会うオニヤンマ、きょうは数十匹にものぼりました。
 野の花ではツリフネソウ、クサアジサイにもお目にかかりました。ツリフネソウは今年初めてです。いつものことながら、赤紫色の花は色っぽいですね。


2006年08月12日

お盆人口

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でフル回転しました。どこの家でも帰省客らしい姿が見え始めました。明日になればぐんと増えるでしょう。家の近くに駐車してある車が増え、家の中も活気に満ちています。今年はバタバタしていたため、お墓掃除も親戚の人にやってもらいました。8月という月はあっと言う間に過ぎていきますね。もうお盆になるのかと感じた1日でした。
 いつもこの時期になると思います。吉川区の人口は本来、お盆に吉川区に寝泊りしている人口なのではないかと。ほとんどの家で子どもの姿が見える。老人世帯はぐんと減り、何軒もない。夕飯時には焼肉などの匂いが家の中から外に漏れ出し、明るい笑い声も聞こえてくる。車の数が多いのがちょっと苦になりますが、あとは、あるべき吉川区の家庭の姿です。ふるさとに生まれたものがふるさとで生きられる政治があれば、少子高齢化対策なんて言葉は出てこなかったはずです。
 配達の途中、国文学や日本史研究をやっている杉田美登(すぎた・よしのり)さんの実家でお茶をご馳走になりました。杉田さんは萩原恭男さんとともに『おくのほそ道の旅』(岩波ジュニア新書)を書いた人で、毎年、芭蕉が歩いた「奥の細道」を歩き続けています。ちょうど帰省中、杉田さんからは東北の地を歩いて撮った写真を見せてもらいました。また、近くにある古道を案内してもらいました。春になったら、全部を歩いて確認しようと思います。杉田さんによると、吉川区にある山城は吉川町史に掲載されたもの以外にもあるといいます。この点も確認したくなりました。それにしても、ナタを持ち、草をかき分け、さっさと歩く姿は父親の勘太郎さん(故人)とそっくりでした。


2006年08月11日

塩尻で「偲ぶ会」

 昨日から2日間、長野県塩尻市へ出かけてきました。私たち夫婦の仲人をしてくださった古厩忠夫さん(故人)の墓参りと故人の学生時代の友人のみなさんによる「偲ぶ会」への参加が目的でした。最初は軽トラでと思ったのですが、連日の猛暑を考え無理と判断、列車で行ってきました。行きは4時間50分、帰りは4時間の旅。帰りの松本・長野間だけ特急に乗り、あとは各駅停車の普通列車でした。そのおかげで、車窓の景色をゆっくり観ることができました。夏休み中とあって、列車の中では旅をしている親子にも会いました。全国でも数少ないスイッチバックの駅、二本木駅では小さな子どもが、「あれーっ、電車もバックするんだ」とびっくりして声をあげ、車内にはとてもいい雰囲気がただよいました。感動の旅行をしている人たちもいるんですね。
 塩尻市北小野は初めて訪ねました。標高が800いくつとか。朝は気温が18度にも下がり、やはり高原は違うと思ったものです。古厩邸に集まったメンバーは大学の名誉教授、講師、出版社社長などいろいろ。夕方から深夜1時近くまで飲み、語り合いました。話の中身も靖国問題から子ども時代の思い出まで、じつに多様で、興味深いことばかりでした。そういう中で、「えっ、そうなの?」と言いたくなるような話をいくつも聞きました。葛飾北斎は春画も赤富士も同じ真剣さで描いているとか、故人の古厩さんの結婚式に謝国権の『性生活の知恵』を持ち込んだ人がいたなどです。このメンバーの人たちとはまたゆっくり話をしたい。
 きょうは吉川に戻ってきてから日曜版の配達を1時間ほどやり、夕方からはNPO法人よしかわたすけあいの夏祭りに参加しました。たった2日間だというのに、吉川の風景に変化が生まれているのには驚きました。酒米の五百万石の穂が丸く、たれてきたこと、ススキの穂もあちこちに出てきたことなどです。たすけあいの夏祭りでは焼肉等を食べ、ビールも飲んでたっぷりオシャベリを楽しみました。でも2日間連続で飲むと疲れます。家に戻ってバタン、キュウでした。


2006年08月09日

臨時議会

 指定管理者が突如会社を解散し、市の観光施設などの利用が宙ぶらりんになる。先月半ば、板倉区でこういう事態が発生しました。官から民への流れが強まるなかで、あってはならないことが起きたのです。宙ぶらりんと書いたのは、これまでメインとなっていたレストランやファミリー動物園の運営が出来なくなったことを指しています。きょうの臨時議会では、総括質疑や委員会審査の場において、「業者を選定する委員会では経営改善の努力を条件に選定した」など新たな事実がいくつか判明しました。そして住民サービスを低下させないためには、指定管理者の当該施設の経営だけでなく、指定管理者自体の経営状況がどうなっているかを把握できる仕組みづくりなどの課題も浮き彫りになりました。7日の党議員団会議での議論が役に立ったと思います。
 正規の議案ではありませんでしたが、学校などのプールの安全対策についても報告があり、文教経済常任委員会で議論になりました。新潟県がチェック項目であることを見落としていたというプール排水口などにおける吸い込み防止金具は市内のプールでも数ヶ所未設置であることが明らかにされました。政府関係機関から何度も通知が出されても繰り返される痛ましい事故、安全確保のためにプールの利用を開始する前、日常管理などでのやるべきことがキチンとやられない、この状況を打開するには、これまでと同じことをやっていたのではダメです。堀井秀之さんの言う「安全安心のための社会技術」がいまこそ求められています。今回のプール事故を意識しながら、もう1回、「問題解決のための『社会技術』」(中公新書)を読んでみようと思います。
 夕方、上越市のHPを開いたら、「新潟県福祉のまちづくり条例について」が新たに掲載されていました。これは私が6月議会一般質問でとりあげた課題です。このような形で質問後、すみやかにやってもらえるのはうれしいですね。ユニバーサルデザイン室のスタッフのみなさん、ありがとう。明日は、塩尻市北小野へ行って泊まりますので、「ホーセの見てある記」は休みます。


2006年08月08日

チラシ作り

 真夏日が続きます。きょうも猛暑でした。今年は、これまでミンミンゼミの鳴き声を聞いていなかったのですが、市役所に向かう途中、頸城区で車の中まで聞こえてきました。ミンミンゼミが鳴くと夏真っ盛りという気がします。もっとも暦の上ではすでに立秋、手紙では、残暑が厳しい日が続いております、と書くことになります。
 今週は後半に行事が集中していて、10日、11日と長野県へ行くことにしています。そのため、議員団ニュース、市政レポートの作成は、きょうやっておかないとお休みになってしまいます。午前から議員控え室で、原稿書きに取り組みました。原稿を書きながら気になったのは、プールでの事故です。先日、頸城区の希望館で堀井秀之さんの「安全安心のための社会技術」という講演を聴いたこともあって、なぜ悲しい事故が繰り返されるのか、ネットサーフィンをしてしまいました。それで原稿書きの仕事はあまり進みませんでした。これで明日はたいへんです。
 夕方、スーパーに寄ったら、宮崎県産のコシヒカリ新米(5キロ入れ)がもう出ていました。こちらはまだ穂が出そろっていないというのに早いものです。先日、新潟産コシヒカリと北海道産のナナツボシなどと味比べをしてから、もっと他所の米の味を確かめたくなりました。もう少し小さな袋で出ているところがあれば、食べてみたいと思います。軽トラを運転していてもハンドルがベタベタする、こういう時にスーパーに入る目的はいうまでもありません、350㏄入り135円の飲み物を買うためです。


2006年08月07日

党議員団会議/プール調査/国体開催決定報告会

 午前は2週間ぶりの党議員団会議でした。9日の臨時議会対策が中心です。今回の臨時議会では、板倉区にある市観光施設の指定管理者が経営破たんしたため、市が直営で管理を継続するための一般会計補正予算、条例一部改正、それに直江津小学校校舎改築工事の契約が議案です。官から民へ、という流れが強まる中で指定管理者が破綻した事例は、上越市では初めてのことです。今回の事件をどう受け止めるか、今後の市施設の管理のあり方、住民サービスとの関連などで杉本団長が総括質疑をすることになりました。また議案にはないものの、市内のプールにおける設備の不備がみつかっていることから、これにどう対応するかも話し合いました。
 昼食後、杉本団長は総括質疑の準備で控え室に残り、樋口議員と私はプールの現地調査に出かけました。2時間ぐらいの間の調査でしたので、排水口の蓋の不備などが明らかになったプールのうち清里区プールなどの視察は断念し、高田公園プールと春日小学校プールにしぼって調査してきました。高田公園プールに出かけたのは高校時代以来です。当時、私が泳いだ50メートルプールは使用してなく、25メートルプールだけを使うようになっていました。問題の排水口の蓋は鉄製で一部サビていました。消毒に使う塩素のせいです。このプールについては市の1回目の調査では異常無しとされていましたが、その後、県の調査で蓋が固定されていないことが判明したという経過があります。私たちがプール内に入って調査した時点では、すでにステンレス製の棒とボルトで固定されていました。市の担当課長からお詫びの言葉と説明があり、事実関係は見えてきました。あとは、なぜこういう管理になっていたのかということを整理をしておく必要があります。春日小学校では、校長と担当課長が立会いました。ここもすでに修理されていました。そして、水も張られていました。子どもたちにとっては、プールは夏休みの楽しい思い出をつくる施設です。安全性を確保したら、早く使えるようにしてあげたいものです。
 午後はもうひとつありました。トキめき新潟国体上越市開催決定市民報告会です。文化会館大ホールに大勢が集まり、開催を祝いました。会場に入る時に、吉川小学校の中嶋郁雄君と両親にばったり会いました。郁雄君は保育園時代に町政レポートに何回も登場してもらった児童です。彼は『トキめき新潟国体』ジュニアポスターコンクールで優秀賞に選ばれ、表彰式に出席するため来ていたのでした。入賞作品の「頂上までがんばるぞ!!山岳」は岩を登る2人の男性の様子をしっかり描いていました。このコンクールでは、吉川区から柳澤咲妃さんが佳作に入っていました。祖父にあたる久さんは農業委員時代の仲間です。声をかけると、とてもうれしそうでした。


2006年08月06日

猛暑の中で草刈り

 きょうは地元集落の草刈りの日でした。各戸から1名ずつ出て、共同で水路、溜池周辺、農道の土手などの草刈りをしました。集落での草刈りは年に3回くらいあるのですが、この内、お盆前の草刈りだけ、非農家を含めてやることになっています。時間は朝7時半から10時頃まででした。暑かったのと昨晩遅くまで飲んでいたことが影響して、途中で休憩した時には、そのまま眠りたくなりました。でも、一緒に作業をした人たちの話がおもしろくて眠りませんでした。昨晩、新潟のビッグスワンまで出かけてSMAPの公演を聴いてきたけど音響効果がいまいちだったとか、草刈りをしている場所ではタラの芽の採れる所が何ヶ所もある、毎年確認しているのに誰かに先を越されてしまうなど、40戸ほどの集落でも、いろんなことをやっている人がいますね。
 共同作業が終わってから牛舎の周りの草刈りをしました。この前、暗くなったので、中途半端にしていた残りです。ここでも約1時間頑張った。牛舎周辺はこれで2度目の草刈りが終わりです。すぐそばの農道もきれいになりました。全ての作業が終わり、シャワーを浴びて横になったらもういけません、ぐったりしてもうろうとし始めたのです。そのまま3時間くらい寝たでしょうか。普段から農作業をしなくなり、たまにやるとぐったり、暑さのせいもあるとはいえ情けない話です。
 夕方は、この夏初めて柿崎区東横山にある大出口まで行き、水を汲んできました。今年は雪が多く、梅雨時の雨も長かったことが影響しているのか、水量が多く、近くの水路を流れ落ちる音が大きく感じられました。水は相変わらず冷たい。ポリ容器に水を汲む時、冷たくて手を離したくなるほどでした。美味しさも抜群です。これでわが家では、しばらく美味しい水とお茶を飲めるでしょう。


2006年08月05日

やったれ祭り、過去最高の盛り上がり

 どこに、こんなに子どもたちがいたのか。吉川区にはこんなにも若者がいたのか。そう思うほど、若い人たちの参加が目立ちました。きょうの第9回越後よしかわやったれ祭りは原之町商店街をうめた、すごい人出で賑わいました。よさこいソーランあり、マジックあり、お神輿あり、くじ引きあり、木遣り唄あり、屋台もたくさん出ました。そして評価がどんどん高まっている、ペットボトルを利用した稲穂竿灯は約400基、晴れた夜空に美しく輝きました。やったれ祭りはこれまでずっと参加してきましたが、過去最高の盛り上がりををみせたと思います。
 祭りを準備してきたのは実行委員会の人たちです。このまちをよくしたい、楽しい賑わいをつくってみんな仲良くしたい、子どもたちにふるさとの良さを知ってもらいたい、実行委員会の人たちの思いは祭りのいろんなプログラムなどにあらわれていました。昨年の水害以来、難儀している上川谷の人たちを特別招待したこともそうですし、子ども神輿もそう、胸にぐっとくるものがありました。企画して準備した人たちと参加した人たちの思いがひとつになって、がんばって吉川で生きていこうね、という気持ちを高めました。一昨年より昨年、昨年より今年と、越後よしかわやったれ祭りは、毎年バージョンアップしています。区外からやってきたある人が、「手づくりの祭りで、この盛り上がりはすごい」と言っておられたのを耳にしましたが、うれしい評価でした。
 きょうは午前に床屋さんへ行き、午後から中郷区にオープンした縄文資料館のイベントに参加してきました。この資料館は、全国でもめずらしい縄文時代だけの土器や石器などを展示する資料館です。6月からオープンしていますが、きょうは中郷区内外からやってきた子どもたちが古代米を食べ、勾玉や土器をつくって学ぶ、「楽校」が開かれ、市長や市議会文教経済常任委員などが訪れました。資料館では生涯学習課の小島副課長から縄文土器の特徴、基礎知識を教えてもらいました。縄文の甕(かめ)はなぜ軽いか、石棒や玉抱三叉文などにみられる健康的なエロチシズム、こうした説明を聞いたおかげで、今後、縄文時代の遺物を興味をもって見ることができそうです。
 きょうのイベントには中郷区の年配の方々も参加しておられました。同じ文教経済委員会所属の田村武男議員の高校時代の同級生の人たちでした。会話の中での、「今度の同級会にコヤマモトエがくるそうだ」という言葉を聞いてびっくりしました。「いま、コヤマモトエと言いませんでした?」と私がたずねたら、この人たちも驚いたようです。まさか、こんな形で大島区出身の私の従兄の同級生とお会いできるとは思いませんでした。世間は狭いですね。


2006年08月04日

稲の出来はいまひとつ

 1週間のうち3日間も外に出ていると、あっと言う間に1週間が過ぎてしまいます。きょうは早めに市政レポートを書き上げ、日曜版の配達にと思っていたのですが、雑用でバタバタしていたこともあって、とうとうお昼前までかかってしまいました。視察の簡単な報告と昨日の街頭演説のことを中心に書きました。地元の話題をもっと書かねばと思っていたのですが、今回は取材の時間がほとんどありませんでした。ま、こういうこともある、と思って割り切るしかありません。
 日曜版の配達に出て、一番の話題はこの暑さです。汗がにじみ出て、体はべとべとする。「いやー、ばかあっついねぇ」「これがほんとの夏かね」こんな会話が挨拶代わりでした。夕方になっても30度を超えているところがありました。
 この暑さに関連して話題として出てくるのは稲の出来です。7月の長雨による日照不足、低温の影響なのか、稲の出来はいまひとつだという評価が多く、酒米の五百万石、わたぼうしではいもち病も発生しているといいます。コシヒカリも穂のはしりが見えてきました。あと1週間もすれば、穂が出そろうことでしょう。稲の出来で思い出しました。東北の岩手、青森の稲です。視察地へ行く途中、電車の窓から見えた稲は極端に生長が遅れていると感じるほど背丈の短いものでした。青森では、例年よりも3週間も遅れているという話もありました。完全に冷害です。8月は太陽がさんさんと輝く月であってほしいですね。


2006年08月03日

ホームページが役に立った

 初心者マークがついたホームページでも役に立つことがある。それがわかると、とてもうれしくなります。きょうの午後、初めて吉川区入りした衆議院比例北陸信越ブロックの日本共産党予定候補、山口典久さんは、街頭演説でこう切り出しました。「橋爪さんのホームページでは野の花などがいっぱい掲載されていて、いつか吉川区を訪ねてみたいと思っていました。きょう、ようやくそれが実現しました。吉川区内をぐるりと回ってみて、ほんとうにすばらしいところだと思いました」。猛暑の中、平場から源地区に入り、坪野親水公園の水を飲み、柿崎区東横山経由で勝穂地区にと進めた宣伝カー。山口さんの目には、真夏の吉川区のすばらしい景色が印象に残ったようです。代石での街頭演説には、平日の午後4時という中途半端な時間にもかかわらず、20数人の方々から参加していただきました。ありがとうございました。
 きょうは、私のホームページについて、もうひとつ話題を提供できます。20日くらい前でしたでしょうか、上越地域水道用水企業団の事務局の方が議員控え室においでになり、「正善寺ダム湖周辺と柿崎川ダム周辺に咲く花のパンフレットを作成したい。ついては、橋爪さんのホームページの写真を活用させていただけないか」という要請がありました。もちろん、どうぞご活用くださいと返事をしておいたのですが、きょう、そのうちの正善寺ダム湖周辺版のパンフレットが届けられました。私が撮った写真を8割ほど採用していただいたということです。遠慮されて、解像度を落とした画像をそのまま使用されたのはもったいない気がしましたが、ダム湖周辺の自然観察で市内の子どもたちがこのパンフレットをみながら、「ねぇ、この花、ツリフネソウだよね」なんて言葉を交わすかもしれないと思ったら、とてもうれしくなりました。
 私のホームページに掲載された写真は、これまでも吉川町閉町記念スライドなどで活用していただきました。私のところには、野の花の写真だけでも約300種類、解像度を落としていないものがあります。もし希望される方があれば、遠慮なく声をおかけください。写真といえば、今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の東海・北陸信越のページに、米山をバックにしてヤギが草を食べている写真と文が掲載されました。梅雨明けした日に、朝日池総合農場の直売所で私が撮影したものです。


2006年08月02日

3日間の視察終わる

 私の所属する市議会文教経済常任委員会の3日間にわたる視察が終わりました。今回は青森市のコンパクトシティ、秋田県の地産地消の取り組み、仙北市角館の桜を中心とした観光施策の視察でした。いずれも全国に先駆けた取り組みをしていて、出かけて良かったと思いました。近いうちに感想などをまとめてこのページなどで掲載しますが、きょうは最後の角館についてふれておきましょう。
 角館は桜で全国的に有名な町です。昨年合併して仙北市角館になりましたが、ここは合併しても角館で宣伝しないと全国には通用しないほどこの名前が浸透しています。天然記念物として指定を受けているしだれ桜は151本、江戸時代の雰囲気を伝える武家屋敷とぴたり合います。担当者に「ここのまちの観光のキーワードはなんですか」と問うたところ、帰ってきた言葉は「歴史」でした。古き良きものをしっかり受け継いで未来につなぐことを大事にする、この姿勢は学びたい。
 武家屋敷は朝食後1回、市役所職員から説明を受けてから1回と2回見て回りました。コバ葺き、草葺の屋敷と庭は良く手入れされていて、江戸の時代空間に入った感じがしました。よく残していると思いました。武家屋敷の中には「たそがれ清兵衛」の撮影でも使われたところがあります。高田の夜桜、歴史を生かした角館の桜、取り組みの違いが見えましたので、今後のまちづくりに活かしたいと思います。
 印象に残ったのは市役所観光課長のおだやかで、やさしい顔。この顔は桜のシーズンになるとまったく変わるといいます。「死ぬ覚悟でやる」という彼のその時の顔を一度見てみたいと思いました。歴史案内人組合、ライブカメラなど学ぶべき点はいくつもありましたが、何よりもいいなと思ったのは、草葺の武家屋敷に住んでいたサムライたちが「いまも生きている」ことでした。草葺の家で皮細工をしていた男性、説明役の男性、われわれと同じ服装をしているというのに、いざという時には刀を抜くこともある、そんな雰囲気が漂っていました。上越新幹線、東北新幹線、秋田新幹線を使っての旅行は便利ではありましたが、やはり長旅、家に着いたらぐったりしました。


2006年07月30日

梅雨明け

 きょうは朝7時50分から上越消防大会でした。場所は浦川原区の中保倉小学校のグランド。暑からず、寒からず、時々風がスーッと通り過ぎていく。ジージーゼミの鳴き声だけでなく、テント裏の土手からは秋の虫たちの鳴き声も聞こえてきました。そういうなかでの大会、一緒に参加した同僚議員たちは、「きょうあたり、梅雨、明けるんじゃないか」と言っていましたが、その通りになりました。気象台は「梅雨が明けたらしい」と慎重な言葉を使って発表しました。
 梅雨に入ってから1ヵ月半。気温が低く、日が照らない。時々大雨になるぞとおどしながら、雨ばかりがダラダラと降り続けました。もちろん、この梅雨明けを誰よりも待っていたのは農家です。ナスの花が咲かない、きゅうりなどのツルが溶けてしまう、イネの花の付きはどうなるかと心配していた皆さんは、きょうは笑顔でしょう。来月は日照も気温も平年並みとの予報です。そのとおりになってくれればありがたいですね。
 来月になればお盆が駆け足でやってきます。いそがしくならないうちにと思っていた原稿整理もできず、猛烈にいそがしい日が続きそうです。明日から3日間、市議会文教経済委員会で青森市などを訪れ、先進的な取り組みを学んできます。したがって、この「見てある記」も2日までお休みします。それまでお元気で。
 トップページの尾神岳の写真入れ替えました。今回から尾神岳の写真を入れ替える時には、写真の下に吉川区の様子をちょっと書き込みすることにしました。


2006年07月29日

栗山町ショック

 北海道栗山町議会が議会基本条例を制定したというニュースが流れたのは2ヶ月ほど前のことです。兵庫県生野町や新潟県旧吉川町などのまちづくり基本条例が広がる中で、これからのまちづくりにおいては、議会も住民、行政とともにまちづくりの担い手であるという流れはできていた。では、議会はどうあるべきなのか。これを具体的に示している条例をもっているところは、これまで皆無でした。そういうなかで栗山町議会がトップを切って条例を制定したのです。どんな経過で、どんな内容で制定されたのか知りたいと思ったのは当然です。きょうの「市民と議員の条例づくり交流会議2006」で栗山町議会の橋場議長が話をされるということを知り、東京は江東区のタイム24まで出かけてきました。
 議会主催で住民が参加する一般会議を行う、議会主催で議会報告会もやる、議会は自由な討議の場であるから首長などにも反問権を与えるなど、ごく当たり前のことでありながら、なかなか実現できなかったことが盛り込まれている。それだけでもビックリしたものですが、きょうの橋場議長の話を聴いて、すごいと思いました。分権時代にふさわしい行動する議会、住民に開かれた議会づくりが必要だ。議員は住民の皆さんの目線にふれなきゃダメです。住民にとって一番見えていないのは行政の中身ではなく、議会の姿なんです。議長の自信に満ちた発言に会場を埋めた参加者は圧倒されました。今後、全国の議会は議会基本条例を次々と制定していくでしょう。すでに三重県議会などで動きが始まっています。
 橋場議長の話を聴きながら思い出したのは、吉川町まちづくり基本条例づくりでした。町議会のメンバー全員で何回もワークショップをやり、意見を出し合う。議会として初めて、住民の声を聴きに懇談会を開いた。自分の町だけでなく、よその自治体の法務職員の知恵も借りたなど……。いずれもきょうの話に通じるものがありました。議員提案の条例制定の動きは、吉川町から飯田市など全国に広がっていることも確認できました。きょうの会議後の懇親会では、法政大学の廣瀬克哉教授やガバナンスの千葉茂明さんなどなつかしい人と再会しました。また、きょう、辛口の議員論、議会論を展開された大森彌東大名誉教授などともゆっくり話をすることができました。よかったです。


2006年07月28日

無題

 朝、妻を職場に軽トラで送ってから市政レポートを作成。その後、夕方までずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。配達はきょうだけで終わらせたいと思っていたのですが、いうまでもなく集金がある時は、読者の方と話をする時間が多くなります。山間部の配達はそっくり残ってしまいました。明日は東京で条例づくり交流会議があるので、残りは他の配達員の方にお願いすることにしました。
 それにしても、きょうは蒸し暑い日でした。午前中に雨が降ったこともあって、いやにジメジメ、ベタベタします。ある家では、土間のコンクリートが湿気で濡れて、ツルツルしていました。昔は湿気対策をしないでコンクリート打ちをしていましたので、こうなるのです。従姉のところへ行ったら、ちょうど枝豆をとっているところでした。茶豆とのことで、一袋もらってきました。もちろん、これがあれば発泡酒で喉の掃除が必要となります。「淡麗生」を一缶いただきました。
 明日は朝一番の電車で東京行きです。久しぶりに「市民と議員の条例づくり交流会議」に参加し、勉強してこようと思います。


2006年07月27日

重要課題がテーマの委員会

 新上越市には重要課題がいくつもあります。そして関係機関が悩み、模索している、そんな状況となっているものも少なくありません。きょう、午前の総務委員会で議論された公共交通もその1つです。電車、バスの利用者数は、この10年間に750万人(年間)から230万人に激減しています。その一方でマイカーは急増し、16万台に迫っている。この傾向は大型商業施設など市民の利用度が高いものが郊外にできることで加速されています。
 いま市では、「持続可能なまちを育み支える公共交通」を基本目標とした総合交通計画を策定中で、きょうの委員会では野澤企画・地域振興部長が中間報告を行い、委員の意見を聴きました。部長の説明では、これまで示したものよりもまちづくりを意識して、公共交通まちづくり戦略プランとして策定しているということでした。委員からは、「公共交通の衰退、マイカー増加、拡散型都市構造を悪循環としてとらえるのはいかがなものか」「公共交通と公共施設がバラバラではまずい」「行政がすすめる中身とギクシャクしないよう、総合計画との整合性を図るべきだ」などの意見が出ていました。
 午後は廃棄物処分場対策特別委員会、こちらも重要課題です。県が計画していた処分場建設予定地が地元住民の反対で頓挫しているなかで、新たな建設地をどう確保するかなどを話し合いました。市では年度内にこの問題を解決したいとしていますが、遅々として進まないという印象です。きょうの委員会では「建設適地というのは地元住民が賛成してこそ適地といえるのではないか」などの厳しい意見も出ていました。
 重要課題の審議を傍聴していて、いつも思うのは、自分ならちゃんと発言できるかということです。公共交通ひとつとってみても、残念ながら、深い議論はできません。持続可能な地域社会をつくるために交通の分野で必要なことは何か、と問われてもキチンと答えられない。重要課題がたくさんある中で、何から何まで分かる必要はないにしても、基本的なことをサッと言えるように勉強しなければ……。


2006年07月26日

新柿線議連の現地視察/前島密記念館/落語鑑賞

 午前9時から県道新井柿崎線整備促進議員連盟の現地視察でした。どこでどんな整備が必要か、あらかじめ各区選出議員から出されていた報告である程度分かっていたとはいうものの、やはり現地は見るものです。三和区錦の十文字付近、県道に歩道がないため、子どもたちは通学で田んぼ道を歩くといいます。青野十文字付近も、わずか100メートルほどですが歩道がない。こちらは冬になれば吹雪が子どもたちを襲います。県の担当者の説明の中にも、「歩道除雪機械の数が少なくて困っている」というのがありました。財政危機下の予算編成では、県民の命にかかわる予算を最優先すべきだということを強く感じた視察でした。
 郵便局の集配業務再編が大きな問題になっていますが、午後からは、日本共産党参院国対委員長の井上哲士議員、樋口市議などとともに「郵便の父」と言われている前島密の記念館を訪ね、樋口嘉和館長から説明していただきました。前島密は郵政事業を創める時、収支がトントンであればいいとしていたという話を聞き、利潤追求第一主義に走った小泉「改革」の不当性を再認識しました。その後、全国特定郵便局会の会長であった上越商工会議所の田中弘邦会頭と懇談しました。田中さんは、「民営化法案を決めた後、郵便局を具体的にどうするのか制度設計ができていない」「郵便局のネットは日本社会の良さをつくってきた」などと発言されていました。正規の懇談会が終わってから、樋口館長の話になりました。「よく勉強されていて説明がとてもうまいですね」という声が出ると、田中さんは「講演会も頼まれているようですよ」。樋口館長さんは吉川区在住、地域おこしの活動でも熱心な方です。吉川区の方が区外でも活躍されている姿を見るとうれしくなります。
 夜は高田日活で久々に落語を楽しみました。生の落語を聴いたのは、おそらく30数年ぶりかと思います。今回は、上越市の家族を紹介した、先日の「鶴瓶の家族に乾杯」の続きのようなもの。番組に出た鶴瓶、昇太に、地元出身の白鳥も加わって大いに盛り上がりました。会場となった高田日活は明治期に建造されたといいますが、なかなか雰囲気がいい。日活のポルノ映画だけをやっているんではもったいない場所です。懐かしい映画、漫才などにもぴったりです。


2006年07月25日

気象庁が3ヶ月予報を発表

 朝、傘を持って出かけました。市役所のマイクロバスに乗るとき、「晴れていると、この傘、忘れるんだよね」と話していたのですが、雨は早く上がり、午後2時半過ぎにバスから降りたときは、案の定、傘のことを忘れていました。「橋爪さん、この傘、あんたんじゃないの?」と言われて気づいた次第です。きょうは市議会の食料農業農村議員連盟の視察、視察地では天気が話題の1つでした。
 清里区北野集落のライスセンターは標高が200メートルくらいとのことでした。「今年は日照不足で、冷害にあいやすいのではないか」「標高が400を超えるとイネは危ない」などの声が出ました。合併前上越市の区域にある平場の高森という集落では、「加工ナスは1本に100個以上ならせれば、採算が取れる」という話から始まって、今年の長雨、日照不足を嘆く声がありました。北海道へ旅行したある議員は、イネが小さいのが気になった、冷害になるかもと言っていました。
 きょうは気象庁が3ヶ月予報を発表しました。それによると北陸地方については、この期間の平均気温は平年並か高く、降水量は平年並といいます。問題の
8月ですが、平年と同様に晴れの日が多く、 気温、降水量、日照時間はいずれも平年並となっています。この予報が当たれば、米もまずまずのできにはなると思うのですが。
 夕方、高田から妻を軽トラに乗せて家に帰るとき、夕陽が田んぼや杉林の緑を鮮やかに浮かび上がらせていて、とてもきれいでした。「この景色、どこかで見たことあるよね」「……」「そうだ、『おもいでぽろぽろ』だよ。あの高畑勲監督の映画の……」
いまの時期、太陽が輝けば、植物もエネルギーをいっぱい吸収して生長し、美しくなります。


2006年07月24日

社会問題解決さぐる2冊の本

 昨日のことで書かなかったことがあります。じつは堀井講演を聴いた後、すぐ本屋さんへ行き、堀井さんの『問題解決のための「社会技術」』(中公新書)を購入しました。どちらかというと理系の研究者が社会問題解決の手法について論じていることが新鮮で、「社会技術」についてもっと深く学びたいと思ったからです。同著は2年前に出版されたもので、本屋さんには1冊しかおいてありませんでしたが、入手できてホッとしました。この本には講演で使われた資料がいっぱい掲載されています。いうまでもなく、内容も講演とほぼ同じ。これで復習ができます。
 この本については、昨日から読み進んでいますが、私の悪いクセで、途中から、小宮山宏著『地球持続の技術』のことが気になり始めました。志位委員長は記念講演で、この本では「規制緩和の大合唱」を批判したうえで、「環境やエネルギーの問題のように、徐々に損なわれていく文明の基盤に対して人類全体が長期的な対応をしなくてはならないという状況において、市場はうまく機能するであろうか。そうは思えない。市場原理への予定調和的期待は、短期の視野で企業が対応する限り、成り立たないのではないだろうか」
と記述されていることを紹介していました。これが、どこでどんなふうに書かれているのかを知りたくなったということが第一ですが、同時に堀井さんの「社会技術」論と小宮山さんの理論では重なる部分があるのではないかと思い始めたのです。
 きょうは午前中、議員控え室で党議員団会議をやりました。食事をしてから、近くの本屋さんへ行き、『地球持続の技術』をさがしたところ、3軒目の本屋さんでようやく発見、購入してきました。まだパラパラとしか読んでいませんが、環境とエネルギーを基盤とした地球の持続という問題を本格的に追求した本として、座右に置くべき本の1冊になりそうです。専門分野を超えて社会問題解決にあたる、この点は、やはり、堀井さんの本と共通でした。午後からは資料の整理と読書をしました。
 夕方、吉川町議時代からお世話になっている地方自治研究者の辻山幸宣さんらと食事をしながら懇談しました。大潟区の地域協議会の様子を視察された直後だったことから、議会と地域協議会の話に始まって、男性の作る弁当の特徴、自治基本条例のことなどの話をたっぷりとききました。「議員経験のない協議会委員で専門的なことをよく勉強している人がいる。理事者追及型ではなく、みんなで話し合って解決策をまとめていくところがいいという声があった」「吉川町のまちづくり基本条例づくりでは議員がワークショップをやったが、これは全国でもここだけだ」「斎藤孝の三色ボールペンのメモもいい。私は1本で2色のカラーペンを使っている」「筋書きのない講演は終わってから筋書きができる」おもしろくて、ためになる懇談でした。


2006年07月23日

お見舞い/まちづくり市民大学

 これもやりたい、あれもやりたい。やらなければならないことはたくさんある。そうした時に、片っ端から見事に片付けていく人がいます。私はそんな能力はありませんから、「きょうはこれとこれだけは最低限やろう」と決めて過ごすことにしています。きょうは新潟市に行き友人を見舞う、上越市のまちづくり市民大学に出る、このふたつをやることにしてスタートしました。
 友人のKさんの手術は21日、無事終わっていました。高速バスに乗り、がんセンター病院に着いたのは午前10時頃です。普通、病院では10分ぐらいが見舞いの限度かと思っていますが、個室でもありましたし、きょうは、ゆっくりさせてもらいました。彼は「病院に1人でいるのはつらい」とも言っていましたし……。彼とは学生時代、同じ英会話研究会に入っていましたが、群馬県の赤城山のそばの大沼で合宿した時のこととか、同じクラスの誰々が県教委の幹部になっていて組合と対立しているなどたくさんの話をしました。几帳面な人で、昔の懐かしい写真もパソコンで整理しています。現在ロンドンに住んでいる友人や私の結婚式の写真もちゃんと整理されているのにはびっくりでした。新潟で会議がある時には、できるだけ寄るようにしたいと思います。
 まちづくり市民大学は、今年が10周年ということです。きょうは、東京大学の堀井秀之教授の「安全・安心な社会とは何か」という講演を聴きました。土砂災害、児童虐待、医療事故、食品汚染など今日の社会問題は複雑化しているので、簡単には解決できない。解決のためには工学的技術と社会的技術を組み合わせた「社会技術」が求められている。複雑な問題の全体を俯瞰(ふかん)する、文科系と理系の協働、分野を超えた知の活用などを特徴としたこの概念は初めて知りましたが、とても興味深く聴きました。
 話を聴いていて、高速バスでの出来事を思い浮かべていました。バスは越後交通でしたが、柏崎のバス停で運転手が代わりました。高速バスで、運転手が途中で代わったのを見たのは今回が初めてです。運転席から3列目に座っていた私は、その様子を見ていて感心しました。バスに入る時に、乗客に向かって「失礼します」と一礼し、運転席でバックミラーの位置などいくつかの点検をして、「たいへんお待たせしました」とまた一言。礼儀正しさと誠実さが伝わりました。それだけではありません。柿崎のバス停で乗客が降りようとしたときのこと、まだ停車していないのにお客が腰を上げるのをルームミラーで見て、「バスが止まってからお立ちください」とやさしく声をかけたのです。堀井さんは、安全・安心に関連して企業の社会的信頼についてもふれられていましたが、この出来事でよくイメージできました。
 高速バスの中では、19日に行われた日本共産党の創立84周年記念講演会の志位委員長の講演(「しんぶん赤旗」22日付)を全部読みました。最初は先に行われた第2回中央委員会報告と同じだろうと思っていましたが、この講演むけによく準備されていて、バスの中ではとうとう一睡することもなく、読み切りました。ぜひ一読をおすすめします。この中で東大総長の小宮山宏さんの『地球持続の技術』(岩波新書)が紹介されていましたが、堀井さんは、科学技術振興機構が5年間にわたって取り組んできた「安全性に係る社会問題解決のための知識体系の構築」の研究統括を小宮山さんから引き継がれたとのことでした。きょう、一日の動きの中でいくつも係わりのあることが出てくる。偶然とはいえ、おもしろいものです。
 きょうは家に戻ってから、牛舎の周りの草刈り、市議会報告の印刷(1万枚)もすることができました。だれもご苦労さんと言ってくれないので、きょうは発泡酒ではなく、特別サービスということにして、エビスビール1缶(350㏄)をいただきました。


2006年07月22日

大潟高柳線の平等寺地内で交通止め

 金曜日、土曜日は「しんぶん赤旗」日曜版の配達の日と決めています。だから、他の用事が入ると、とてもきつい。昨日はまる1日、会議がありましたので、市役所関係だけの配達しかできませんでした。それで、きょうは朝からずっと新聞配達のつもりだったのですが、午後から地区党の活動者会議もありました。だから、その時間を除いて、残りのすべての時間を配達に、ということになりました。
 配達をするなかで、ある読者の方がスコップ、一輪車を車に積もうとしているところにであいました。キョウダイの方が岡谷市に住んでおられますが、土石流が家の床下、家の周辺にたっぷり泥を置いていったということで、その除去の手伝いに行くのだそうです。そのキョウダイの方の隣の家は土石流に流されたとも聞きました。今回も梅雨前線豪雨は各地に被害をもたらしています。「こんな被害は初めてだ」という声を毎年各地で聞きますが、異常気象のせいだけにはしておけません。災害対策に本腰を入れない政治を変えなければダメです。
 きょうは配達の途中、主要地方道大潟高柳線の平等寺地内の交通止め現場(写真)を見てきました。ここも昨年の集中豪雨で路肩が崩落した場所ですが、工事が終わらないうちに、この間の雨で路盤に亀裂が生じ、とうとう軽トラックも人も通れない道になってしまいました。泉田県知事は災害対策に力を入れてくれる首長だと期待していたのですが、最近、ある方が、「中越地震被害や豪雨災害の後始末も終わらないのに県立野球場をつくろうとしている。おかしい」と言っておられました。この交通止め現場を見ながら、この人の言葉を思い出しました。
 名木山の県道の路盤沈下現場も見てきました。19日には杉の伐採が終わり、道路の幅を確保するためにすすめていた、山側の転作畑を削り、砂利をひいて舗装をかける仕事もすっかり終わっていました。まだ路肩は下がり続けていますが、これでしばらくは大丈夫でしょう。転作畑、杉林の所有者の方は吉川を離れ、遠くに住んでおられますが、「杉を切らせてほしい。畑を削らせてもらいたい」という要請に快く応えてくださいました。感謝です。


2006年07月21日

1日に5つの会議

 市議会自治基本問題特別委員会、議員懇談会、市議会学習会、郵政集配再編説明会、並行在来線問題ミニシンポ。これは、きょう私が参加した会議です。このほかに市政レポートの印刷があり、新聞配達もありました。夜9時半頃、家に戻って発泡酒(500㏄)を飲み始めたものの、全部飲み乾す力は残っていませんでした。朝4時頃から起きたのがきいたのでしょう。
 特別委員会はメンバーが変わってからの初審議でした。自治基本条例の制定については、市民会議のみなさんが20数回のデスカッションを重ね、素案をまとめるところまできています。今後は市民フォーラムを開催したのち、条例案をまとめる検討委員会がスタートすることになります。まちづくりの担い手を市民、市議会及び市の3者としていることから、議会が策定過程にも積極的にかかわっていくことが求められています。きょうの委員会では、全体のすすめ方の問題で急ぎすぎないことを事務方に求める声が相次ぎました。市議会がどうかかわっていくかについては、条例案を検討する委員会に議会が参加していくかをめぐって意見が分かれました。どういう形態をとろうとも、市議会の意見も策定過程に反映できるようにしたいと考えています。自治基本条例は自治体の憲法です。今春、全国の自治体で自治基本条例を制定したのは90自治体を超えました。
 郵政の説明会は、市議会が郵政省に対して郵便局の業務合理化に反対の意見書を提出したことを受け、行われたもの。説明役は信越郵政局の代表、高田郵便局の幹部でした。今回の業務再編について15分ほど説明があってから、きびしい質問が続きました。「冬場、山間部では5メートル近い雪が降るところもある。新聞は郵送になっているが、遅く届くようでは新聞とは言わない」「いまの郵便局を2つに分けたとしても、1つの会社に配達業務を委託すれば、いまの人員、態勢でやれるはずだ。なぜそうしないのか」。信越郵政局の説明者の口から、「私もそう思う」という発言が出るほど各議員の発言は説得力があるものでした。山岸議長は最後に釘を刺しました。「今回の説明でわれわれは納得したわけではない。もし計画をやろうというなら、一冬、試行してみてやるくらいの慎重さが必要ではないか」。
 印刷機は、なんとか使える状態になりました。でもドラムは借り物、印刷状態はいままでよりも悪く、元に戻るようになるまではもう少し時間がかかりそうです。時間はかかっても仕方ありませんが、カネがあまりかからなければいいがと心配しています。


2006年07月20日

上川谷で「囲む会」

 月曜日が休みで得をしたように思っていたら、あっという間に木曜日です。市政レポートの作成をしなければなりません。きょうは午後から「橋爪法一を囲む会」もあり、その準備もありました。というわけで、あわただしい1日になりました。午前は家で市政レポートのレイアウトを考え、囲む会で使用するスライドづくりもしました。明日の朝にはレポートの印刷をと思っていたのですが、残念ながら印刷機の修理が完了するのは明日の夕方になる見込みといいます。明日配布する分だけでもどこかで印刷してこないと。
 「橋爪法一を囲む会」は上川谷公会堂が会場でした。後援会の2人の人からも同行してもらい、約1時間半、議会報告、懇談などをさせてもらいました。ノカンゾウがたくさん咲いている会場には11人も集まっていただきました。スライドでは上川谷に咲く野の花、道祖神なども登場させましたが、地元と係わりのあるものが出てくると親しみが増しますね。懇談では、「主要地方道上越安塚柏崎線の交通止めの案内看板が少なく、しかもわかりにくい。間違ってくる人がたくさんある」「桜坂峠から柏崎の降りていく県道の草刈りをお願いしたい」「林道(市道)の草刈りを早めに」「バスは絶対無くさないでほしい。あれで生きていられる」などの声を寄せてもらいました。きょうの会では、後援会の小田順子さんから「お盆泊まり」を朗読してもらいました。そのせいなのか、終わりの挨拶をした時に、「楽しかった」という声が聞かれました。
 帰りに、後援会の2人と大島区板山の不動尊を見学し、その後、「日本一おいしいトコロテン」を食べてきました。気分よく家に戻ったのですが、留守電にショッキングな情報が入っていました。学生時代の大事な友人の1人、Kさんが明日、新潟のがんセンター病院で手術することになったというのです。癌の再発です。この情報は1級先輩である人から寄せてもらったのですが、夜9時半過ぎにKさんから直接電話をもらいました。「昨年、初めて癌であることを知った時よりもショックを受けた。ここ数日間は食べものが喉を通らなかった。放射線治療が効かないが、なんとか縮小させるか、せめてこれ以上進行させないようにがんばる」との話でした。来週、時間をつくって、Kさんに会いに行ってこようと思います。彼には、いつか尾神岳の絵を描いてほしいと思っていました。ぜひ、がんばってほしい。


2006年07月19日

建設企業常任委員会

 きょうは午前に市議会建設企業常任委員会、午後からは遺伝子組み換えイネ実験栽培中止を求める集会があり、久しぶりに市役所周辺に長くいました。
 建設企業常任委員会では、昨年確認された釜蓋(かまぶた)遺跡を歴史公園として残すことになったことから、これまでの新幹線新駅周辺整備計画をどう変更するかについて、地元との話し合い状況などが報告されました。これまでの全体計画では、新駅の東口、西口全体で約30ヘクタールとなっていました。市では歴史公園分5ヘクタールを減らした25ヘクタールでいくか、それともあらたに隣接地を5ヘクタール追加する、この2つの案を示して慎重に協議しています。地権者などを対象にしたアンケート調査では、ほぼ半々に分かれていました。
 質疑を傍聴していて、改めて釜蓋遺跡の存在価値の大きさを意識しました。釜蓋遺跡は、約1800年前の弥生時代後期から古墳時代初期にかけてのもの。「佐渡を除く新潟県内では初めて発見された平地の環濠(かんごう)集落」(市生涯学習課)といわれる極めて貴重な遺跡です。この遺跡の南方には、吹上遺跡(弥生中期~古墳時代)、国史跡の斐太(ひだ)遺跡(弥生時代後期、山地性の環濠集落)があり、まさに「弥生の遺跡ベルト地帯」となっていますが、新駅とこれらの遺跡群をどうつないでいくか、こういう全体の構想も膨らませながら新駅周辺整備を考えないといけないなと思いました。
 遺伝子組み換えイネ実験栽培中止を求める集会は、平日の勤務時間帯の開催にもかかわらず300名近い参加がありました。本裁判の経過説明では、実験をしているセンター側を理論的にはかなり追い詰めているなという印象を持ちました。問題は地元での盛り上がりがまだまだだということです。きょうの集会では、リレートークの前に、大潟区の平澤栄一さんと吉川区の山岸協慈さんが「百姓99」(平澤さん作詞)を歌いました。米山、尾神岳の見える農村を舞台に生きる農民の心意気を感じさせるすばらしい歌でした。
 雨は午前のうちに止みました。名木山の県道災害の現場では、杉の伐採が無事に終了しました。吉川区平等寺地内の県道に亀裂が入り始めたとのニュースもお昼頃に入ってきました。このまま梅雨明けになってくれればいいのですが、予報ではまだしばらくは続くとのことです。


2006年07月18日

石谷、下川谷を孤立させるなと関係機関動く

 やはりダメだ、どんどん下がっている。朝6時40分頃、名木山地内の県道の路盤沈下現場を見た瞬間、そう思いました。昨日の補修工事で平に砂利を敷いたはずの所が斜めになっています。側溝脇の地割れの幅も大きくなりました。それだけではありません。すぐそばにある杉の木の傾きがはっきりとわかるようになりました。写真を何枚か撮ってから、丸滝温泉の近くまで行き、携帯電話で区総合事務所の所長に電話で状況を知らせました。
 その後、区総合事務所の産業建設グループ長を誘って現場に戻り、現場を再確認。その足で区総合事務所に行きました。産業建設グループ長はすぐ関係機関と連絡を取ってくれましたので一安心して、急いで家に戻りました。じつは同級会で帰省していた弟を直江津駅まで送り、その後、市役所で議員団会議をやることになっていたからです。総合事務所長から現場写真をメールで送ってほしいと要請されていましたので、それをやってから、直江津駅に急行しました。
 議員団会議は樋口議員が厚生常任委員会の視察で不在のため、杉本議員と2人で直江津小木航路問題、新市名称問題についてどう対応するかなどについて協議しました。いずれも党としての態度、方針を決める必要がある重要問題です。前者については明後日の会議で第1回目の会議がありますが、新市の名称問題などは地区委員会でしっかり議論してもらわないといけません。会議の途中、防災局長、総合事務所長から名木山の現場の対応についてのその後の経過説明をしてもらいました。
 名木山の現場では上越地域振興局(新潟県)の関係課の幹部が昨日に続いてきょうも現地を調査してくれて、道路の半分は崩落すると判断したようです。そのため、地主さんとも連絡を取り、山側にある畑を2メートル50センチほど削らせていただき、危険箇所を迂回できる道にする工事に着手しました。私が午後3時半過ぎに現場に行った時には、すでにユンボが動いていました。朝、確認した杉はさらに斜めになっており、地割れは一層進んでいます。このままだと、杉が倒れて東北電力の配電線を切断し、その奥にある石谷、下川谷、上川谷の約30戸が停電することになります。そのため、明日の午前8時から杉の伐採作業が行われることが決まりました。雨は幸い大雨にはなっていませんが、いやらしく降り続けています。


2006年07月17日

雨は不気味で落着かない

 ここ数日間の累積降雨量は吉川区川谷、尾神の両観測所で180ミリ前後となっています。1日にまとめてこれだけ降れば大騒ぎになる、これは明白です。では3日間で180ミリならたいして問題ないかといえば、そうはならない。なぜ問題なのかといいますと、昨年の記録的豪雨の後遺症がまだ残っているからです。きょう午前に現地調査に行った名木山の道路の路盤沈下はその典型です。道路幅の3分の1ほどが昨日、きょうと沈下し続け、50センチくらい下がりました。下がった原因はまだ特定できませんが、道路わきの斜面は昨年の豪雨の時に縦横数十メートル崩落したままなのです。これが引っぱって沈下させている可能性があります。路盤沈下し続けている道路は石谷、下川谷集落住民にとっては生命線です。今後の降り方がとても気になります。
 きょうは午前中、区内の道路状況を視察し、午後からは党支部のみなさんと第2回中央委員会総会決定文書の学習会でした。ビデオを見て学習するという計画でしたが、テレビが悪いのか、それともテープが悪いのか、画面に登場する志位委員長の声は完全な「風邪声」でした。それでもみんなガマンして最後まで聴きました。雨の状況を気にしながら途中でコーヒーを飲みました。ここでも話題は雨、「この3日間、雨に振り回された」「そろそろ楽々させてもらいたい」などの声が出ていました。大雪の場合、警報の時よりも注意報になってからが要注意だという人がいますが、今回の雨は大雨警報から注意報になっています。はやく上がってもらいたいものです。


2006年07月16日

弟がやってきた

 雨は降ったり止んだりの繰り返しです。区内での累積降雨量は100ミリを超えていて、小規模な土砂崩れなども発生し始めました。今回の梅雨前線による降雨は、市内では吉川区がまたもや一番多くなっています。吉川区の山間部、特に川谷地区は土砂崩れひとつで孤立する可能性があります。また、平場は崩れやすい土質のところも多く、こちらも注意が必要です。ということで、総合事務所は所長を先頭に警戒体制に入りました。明日まで梅雨前線豪雨となりやすいというので、市役所は13区の総合事務所も含め常駐体制をとりました。
 きょうは朝一番に愛知県に住む弟から電話が入り、柿崎区で中学時代の同級会に参加するので急遽家に帰ると連絡がありました。この知らせを聞いて喜んだのは父です。このところ、「おじはどうした。生きているのか」と毎日のように言っていましたからね。夕方6時半過ぎに到着した弟は、父の手を握り、「とうちゃん、久しぶりだね」と声をかけました。大潟区に住む弟も加わって、一緒に母の手づくり料理を食べましたが、父は「若いしょ(衆)が3人になって部屋が狭くなった」と言っては笑っていました。突然やってきたいい日に父は大満足したようです。
 もちろん母も喜んでいました。いつもなら、母の歓迎料理は押し寿司なのですが、突然やってきたので、きょうは間に合いませんでした。そのかわり、キュウリの酢もの、山菜、塩スルメなどが並び、母の得意料理のライスカレーもでました。弟たちは、なつかしい母の料理を楽しみ、「この酢もの、ほんとうにうまいなぁ」などと言っていました。同級会で結構食べたはずなのに、また食べたくなる、母の料理はたいしたもんです。
 


2006年07月15日

梅雨前線活発化

 朝の8時から9時の間、夕方の5時半頃、そして11時過ぎ、このまま降り続けたらどうなるだろうと心配になる雨の降り方でした。昨年、梅雨前線豪雨で戦後最大級の被害をこうむったこともあって、吉川区住民は雨の降り方にとても神経質になっています。きょうも心配させられましたが、運が良かったのは大雨洪水警報が出ても雨が長く続かなかったことです。山は3回ありました。しかし、いずれも時間雨量にすれば30ミリを超えることはありませんでした。
 こういう雨にあると、どこへ行っても雨が話題の中心です。午前には区の戦没者慰霊祭が原之町の忍西寺でありましたが、「いやー、さっきはひどい雨だったね」という言葉が何回も出ていました。来賓で出席した木浦市長によると、上越市内では名立区、それから高田西部の正善寺で一番いい降り方をしたということでした。慰霊祭に出席したのは昨年に続き2回目です。参列者の中には「しんぶん赤旗」を購読していてくださる方が多く、目で挨拶してくださる方が何人もありました。
 夕方の雨は風を伴ったひどいものでした。これは危ないと思い、総合事務所に駆けつけたところ、山田所長と防災担当者がすでに詰めていました。私より少し遅れて事務所に入ってきた次長はズボンがずぶぬれでした。家から自家用車に乗るまでに雨にたたかれたそうです。雨による被害は、きょう現在はなかったようです。ただ、一部には地すべりの兆候が出ているとの情報も寄せられました。梅雨前線は明日以降も居座るようですので、要警戒です。


2006年07月14日

印刷機にトラブル発生

 運が良かったというべきか、悪かったというべきか。わが家にある印刷機がトラブルを起こしてしまいました。毎週発行の市政レポートと「6月の市議会報告」、「しんぶん赤旗」に折り込む分だけは印刷が終わっていました。しかし、日曜日に一般の商業新聞に入れる分は手付かずでした。修理業者の方にみてもらったところ、ドラム周辺で部品がはずれていて、ドラムの出し入れができない状況となっています。また、印刷にあたっては案内文が画面に表示されるのですが、その画面表示と印刷機の動きが合わなくなりました。コンピューター部分にもトラブルが発生しているのかもしれません。修理が終わるのは来週後半になる見込みとのことです。
 トラブルが発生したのは、樋口議員が市議団の「6月の市議会報告」を印刷中のことでした。彼女は自分が受け持った1万枚の表面を刷り上げ、裏面を刷り始めたところでした。冷房の効かない、天然クーラーだのみの部屋で汗びっしょりになりながら印刷していたのですが、このトラブルにはショックを受けたようです。「なんで私がさわっている時にトラブルになるんかしら」と言いながら、肩を落としていました。トラブルが夕方の5時を過ぎた頃だったため、樋口議員が印刷途中のビラを片付け、家にむかったのは午後8時過ぎになっていました。
 きょうの私は、午前中に市政レポートを作成し、午後から、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。暑さが厳しく、軽トラの運転でも、新聞配達でもタオルを離すことができませんでした。2人の読者の方から、今度、暑気払いをやろうよと声をかけられました。こんな日には、夜、冷たい物をいただかないと疲れがとれません。350ミリ入りの発泡酒を一缶グイッとやりました。135円で癒されるのですから、安いもんです。


2006年07月13日

葬儀/集金/ビラ作成

 葬儀に出た時、一番の苦痛は畳の上に長く座っていなければならないこと。足や腰の悪い者にとっては共通の悩みです。これから解放されたらどれだけ助かることか。きょう出席した葬儀は、専用のセレモニーホールが会場でした。私にとっては、こうした会場での葬儀に参加するのは2度目ですが、リラックスさせてもらいました。席は全て椅子。そして、きょうのような蒸し暑い日でも冷房がきいています。長いお経も苦にはなりませんでした。でも、こういうところはお金もかかるんでしょうね。
 きょうは午前に葬儀に出席し、その後はなかなか集金できないでいた「しんぶん赤旗」読者を数軒訪問し、お茶をご馳走になり、世間話をさせてもらいました。久しぶりに会った関係もあって、最初の会話で必ず出てくるのは、「ふとんなったね」です。遠慮して言う人は、「貫禄つきなったね」。牛飼いをやめて、体を動かさなくなった分、運動しないことには、食べたエネルギーは体内に蓄積します。食べる量を減らすか運動をするか、そろそろどちらかを選択しないと「相撲界入り」することになってしまいそう。
 夕方は党議員団事務局の上野さんの所に寄って、6月定例会の市議会報告づくりの手伝いをしました。夜7時半近くまでかけて、ようやく終わりました。これであとは、杉本、樋口両議員のチェックを受ければ完成です。B4サイズ1枚の紙に3人分の活動を盛り込もうということですから、なかなかたいへんです。上野事務局長は仕事のかたわら、3日くらいかけて原案作りをしてくれました。こういう頑張り屋さんがいると助かります。
 確かにビラづくりの作業はたいへんですが、これを待っていてくれる人もいる。きょう、お昼を食べた食堂は、旧町村時代から日本共産党の影響力の弱いところにありますが、経営者の方とおしゃべりしたら、党市議団の市議会報告チラシをちゃんと読んでいてくださる方であることがわかりました。それだけじゃありません。ある人から、「一度、吉川の橋爪さんの質問の様子をテレビでみてごらん」とすすめられたというのです。まさか初対面の人からこんな話を聞けるとは思いませんでした。うれしかったですね。


2006年07月12日

全県党幹部、議員合同会議

 新潟市内で党幹部、議員合同会議でした。昨晩の11時頃から激しい雨が降りました。累計雨量は40数ミリだというのに吉川もかなり増水し、どうなるのか気にしながら新潟に向かいました。行きは阿部正義上越委員長の車に乗せてもらい、帰りは望月妙高市議の車に乗せてもらいました。
 経費がかかるので相乗りを、との県委員会の要請に応えた措置でしたが、車の中では様々な情報交換ができ、とても有意義でした。2人の妙高市議からは、妙高市斐太(ひだ)地区で行われた県議と市長による「県政、市政報告会」の話、毎週発行している市政報告の作成苦労話などを教えてもらいました。特に信越線脇野田駅近くにできる北陸新幹線駅周辺の開発計画について、妙高市長と地元県議の間で認識の微妙なズレがあるとの話は興味深いものでした。
 党幹部、議員合同会議の目的は先日開催された第2回中央委員会総会決定の徹底と15日からの集中行動にむけての意思統一でした。県委員長などから住民負担をめぐる最近の情勢の変化を教えてもらいましたが、深刻な事態が広がっています。新潟市では住民税についての市役所に対する問い合わせが3000件を超えたそうです。また、自立支援法によって、これまで負担ゼロだったものが25万円になった例などもあるとのことでした。医療制度改悪の影響もひどい。自殺した妻の葬儀の香典でやっと白内障の手術費用をまかなうことができた実例もあるとか。
 いつもこういう会議に出てうれしく思うのは、他所の地域で頑張る仲間の奮闘ぶりを聞いて元気をもらえることです。阿賀野市での病院を守る闘いは党派を超えて大きな盛り上がりを見せています。新潟市での国保料引き下げ条例制定を求める直接請求運動は、受任者が5000名を超えたといいます。すごい。来年の一斉地方選挙に出馬予定の人の決意を込めた報告も良かったです。負けないで、こちらもがんばらなければ……。


2006年07月11日

夏バージョン

 昨日から何か変わったと思いませんか。稲の緑の明るさ、空の色、雲の形……明らかに夏バージョンになった。そしてわが愛車、軽トラの運転もまた夏型に変わったのであります。車の窓を大胆に開ける、フロントガラスのところにはタオルをおく、こうしてベタベタした手を気にしながら運転をするようになりました。これから1ヵ月半くらいはこのスタイルでの運転が続きます。
 きょうは午前中、川谷地区と大賀で市政レポートの配布をしました。挨拶の言葉は「暑くなったね」「蒸すね」です。上川谷のMさんが豆畑で杭打ちをしていたので、何のためにとたずねましたら、「うさぎが入らないように」とのことでした。最近、野ウサギが少しずつ増えてきているそうです。Sさんのお宅では、タチアオイが見事に咲いていました。これはまさに夏の花です。きょうはクガイソウなどの写真を何枚か撮りましたが、いずれもチョウが花の周りを飛んでいました。タチアオイのところではチョウだけでなく、ミツバチも。みんな花が好きなんですね。
 午後からは市役所で議員団会議をやり、夕方は妻と一緒に「夜回り先生」こと水谷修さんの「さらば、哀しみの青春」と題した講演を聴きました。薬物、売春、リストカット、自殺などの実態を生々しく告発し、「教育は言葉ではない、知識でもない、行動だ」「子どもたちは花の種。大事に育てればきれいに咲く。子どもたちにもっとやさしい、美しい言葉をかけてやってほしい」と訴えました。時折、ジョークも入り、会場の聴衆にも参加してもらう講演は感動的でした。


2006年07月10日

市役所で生活相談と原稿書き

 今朝一番に見たニュースはW杯サッカーです。サッカーよりも野球派の私ですが、日本が敗れてからは実況中継はまったく観ず、ニュースやハイライトで観るだけとなりました。それにしても今朝のニュースでみたフランスのジダンの頭突きはショックでしたね。この決勝戦で引退する名選手に何が起きたのか、知りたくてネットで調べたりしましたが、彼も神様ではなく、生身の人間として弱点を持っていたということなのでしょうか。
 きょうは午後3時過ぎまで市役所で生活相談と原稿書きでした。生活相談では、カネをめぐるトラブルと家庭問題が増えてきているのが特徴です。根底には大企業の大もうけの一方で労働者が苦しめられているという現実があります。いまのような経済状況が続くと、様々な事件、悩みが多発するでしょう。市議団の6月議会報告づくりはもう一歩のところまできました。明日の議員団会議で目鼻をつけたいと思います。
 夕方、大潟区にある小山芳元県議事務所でお茶をご馳走になりながら、市民クラブの小関議員と情報交換しました。小関議員とは町議時代から一致点で共同行動してきた積み重ねがありますが、きょうも、県議選をめぐる動きとか、遺伝子組み換えイネをめぐる運動などについて情報交換してきました。自民党県議団が県議の選挙区について、ようやく合併後の新区割りやむなしになったことで動きは一気に活発化しています。上越市選挙区では保守系新人も近く名乗りを上げるようです。わが党も候補擁立を急がなければなりません。


2006年07月09日

きょうは日曜日

 時折小雨がぱらつく日曜日でした。梅雨時ですからしょうがありません。でも雨が降ると1週間分の疲れがドッと出てくるのは不思議です。「しんぶん赤旗」日刊紙を配達して、朝飯を食べたら、横にならずにはおられませんでした。眠って1時間ほど経った頃、党県委員会のTさんから電話がありました。近く行われる全県の幹部・議員合同会議に参加できるかどうか、6日、7日と行われた第2回中央委員会総会の幹部会報告を読んだかどうかとの問い合わせでした。
 じつは布団のところへ第2回中央委員会総会の結語を持ち込み、読もうとして寝てしまったのです。電話をもらってから、結語を一気に読み、その後、机に新聞を広げて幹部会報告を読みました。蛍光ペンを使いながらでしたので、2時間15分くらいかかりました。大会後の情勢分析や来年の2つの全国選挙方針をなるほどと思いながら読んだのですが、最後のところで、「常任活動家の健康と休養の問題について」ふれている部分が気に入りました。1週間に1回は休む。定期的に健康診断を受ける。休養と学習、家族との団らん、地域の人々との交流、文化的な営みなどを大切にする。ごくあたり前のことですが、これは議員とて同じことです。日曜日は日曜日らしく休んで次の日から元気に頑張る、そういう党風をつくらないといけないと思います。
 この幹部会報告を読んでから、私なりの休日を「堂々と」味わいました。野の花に興味を持っている後援会幹部の方を誘い、近くにある海抜150メートルほどの山に登りました。途中、ヒヨドリバナ、トリアシショウマ、ヤマユリ、オオバノトンボソウ、カキラン、オカトラノオなどに出会いました。いまの時期はラン科の野の花がとてもきれいです。きょうは、ヤマトキソウに出会えなかったのが残念でした。
 「春よ来い」の第66回「梅もぎ」を掲載しました。ご笑覧ください。


2006年07月08日

夏も秋も

 全戸配布用の市政レポートの印刷をした後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金に出ました。きょうはお昼前から猛暑となり、タオルで汗を拭きふきまわりました。台風の影響なのか、きょうの蒸し暑さは不快度100%、今年初めて味わう異常な暑さでした。気温も30度前後はあったでしょう。この暑さの中でもう萩の花が咲き始めていることに気づきました。秋の七草の萩です。いよいよ本格的な夏になると思っていたら、秋の準備もちゃんと始まっているんですね。
 夕方からは母校(高校)の校友会でした。1年に1回、同級生と会うことができ、先輩、後輩にも会える。それが楽しみで、数年前から、ほぼ毎回参加しています。毎回のように会う同級生の顔ぶれはほぼ同じですが、何人かは校友会で初めて会うことになります。今回は同じテーブルの正面に座った同級生が私の顔をまじまじと見ているので、どういう方か思ったら、市役所に勤めているとのことでした。私の顔は議員団ニュースなどでよく知っていたが、「まさか同級生だとは思わなかった」そうです。この人とは、職場における働きやすさについてや議員活動について語り合いました。
 会では、同級生を中心に同窓の人のいろいろな情報が入ってきます。同級生の世話役をやってくれているSさんは、吉川商工会で何度も講演しているということを聞きました。また毎回出席のIさんは、吉川出身の上越タイムス社長と親戚関係にあることもわかりました。話を聞きながら、世間は意外と狭い、どこかでつながりがあるもんだと感じました。きょうは疲れたので、2次会には参加せず、妻に迎えに来てもらいました。


2006年07月07日

七夕飾り

 金曜日には市政レポートを完成させなければならないとわかっていながら、いつも土壇場まで原稿書きが進まない。裏面まで作成する時は、前日から準備に入らないとダメです。今回は昨晩から本格的に書こうと思っていたのですが、疲れてダウン。結局、きょうの午後3時過ぎまでかかって作成しました。裏面には1ヶ月ぶりに「春よ来い」も書きました。一応印刷したものの、まだ文章は手直しが必要ですので、日曜日にアップする予定です。
 市政レポートを印刷してから「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。きょうは七夕です。区総合事務所や何軒かの家では七夕飾りがしてありました。願いごとを書いた短冊を見てみるとおもしろい。ブッシュの名前で「平和を」と書いた皮肉たっぷりのものがありました。「素敵な人との出会いがありますように」と書いた短冊の主は若い人のようでもありますが、ひょっとすればもっと年のいった人かも。私が書くのであれば、「素敵な人との出会いがさらに続きますように」かな。昨年2月に市議になってから、本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いがありましたからね。明日も短冊を読みながら配達できると思うと楽しみです。
 空梅雨となっているなかで野の花が次々と咲いています。ヒヨドリバナ、トリアシショウマ、オカトラノオ、そしてきょうは、ねむの木の花が咲き始めているのを確認しました。鮮やかな紅色はいつ見ても惚れ惚れします。そういえば、そろそろ、カキランも咲くころです。吉川区にある野のランの中で私が好きなのは、ナツエビネとこのカキランです。今年はいい写真を撮ろうとねらっています。


2006年07月06日

Kさんの葬儀/小林古径内覧会/子育て支援データ

 きょうは4日に亡くなったKさんの葬儀でした。どこでもそうですが、葬儀に参列された顔ぶれを見て、初めて知ることがあります。Kさんは日農の活動を一生懸命やってこられた方ですが、活動仲間だと思っていた人が親戚でもあった、こんな「新事実」を発見しました。私とKさんとの付き合いは農業委員をご一緒させてもらったことが始まりでした。時々、ご自宅も訪れるようになり、花のことや竹細工のことなども教えてもらったものです。野草であるトウキやダイモンジソウの開花時期はKさんの庭にあるものでいつも判断していました。このホームページでは「竹細工を楽しむ夫婦」で登場してもらっています。Kさん、ありがとうございました。
 午後からは、小林古径記念美術館で明日から9月3日まで開かれる企画展「古径と模写…古典絵画との対話」の内覧会に出席しました。学芸員から今回の企画について説明してもらいましたが、古径のようなすぐれた画家もしっかり模写をやって作品を制作していることがよくわかりました。模写は集中力を要するもので、古径は、本を読むような感覚で古典絵画と対話しながら技術を会得していったとのこと。興味深かったのは、古径作品のひとつ、竹取物語の夜這については、源氏物語絵巻の夕霧が嫉妬している場面の構図のとり方などが影響を与えているという話でした。きょうの内覧会では、遅くまで残っていたら、村山陽さんや小林新二さんの解説も聴くことができました。幸運でした。
 夜は吉川区地域協議会の傍聴でした。子育て支援の協議の場では、合併前の14市町村が取り組んでいた次世代育成支援に関するニーズ調査の旧吉川町データが公開されました。すでに新上越市ではこうしたデータを活用して次世代育成支援計画をたてていますが、個別の旧町村分のデータを見るのは初めてでした。子どもが病気で保育所を休んだ時にどうしたかという質問に、「父親または母親が仕事を休んだ」と答えた人が58%もいる。町に対して充実を図ってほしい子育て支援はとの質問には、「保育所にかかわる費用負担の軽減」が61%でトップ、2番目は子連れでも出かけやすく楽しめる場所」が58%。先日、元教員の方から、子どもの遊び場の確保について注文されましたが、この問題でもちゃんと調査データがありました。「雨の日に遊べる場所がない」66%、「近くに遊び場がない」45%、なるほどと思いましたね。協議会では、今晩明らかにされたデータをもとに各委員が問題提起をして次回も議論していくということでした。


2006年07月05日

野蛮な行為に唖然

 発射準備を続け、アメリカなどに圧力をかける。おそらくそれ以上のことはしないだろうと思っていたのは私だけでしょうか。ところがそうした予想をくつがえしてミサイルを発射した。きょうの北朝鮮のやったことは絶対に許せない野蛮な行為です。百歩譲って、単なる軍事訓練だとしても、いつ発射して、着弾地点はどこになるという最低限の情報はあらかじめ明らかにすべきだったでしょう。着弾した地点に漁船はいなかったのでしょうか。ロシアと日本などの間を航行する旅客船はいなかったのでしょうか。そんなことはおかまいなしにミサイルを発射するようなことを続けているかぎり、この国は世界から信用されないだけでなく、相手にされないでしょう。
 北朝鮮がミサイル発射したことを知ったのは朝のニュースでした。テレビをつけたらこのニュースをやっていて、それから、このニュースが繰り返されました。おかげで、きょうは一日中、このさわぎに振り回される結果になりました。朝の連続ドラマ「純情きらり」を楽しみにしていた人たちは放映延期でがっかりでしたね。私は、日本の領海、領土に打ち込まれることはありえないと楽観してはいましたが、ニュースでは、「新潟から○百キロの地点に着弾」という言い方で報道されていましたので、「ひょっとしたら、日本の領海内に落とすという馬鹿なことをやるのでは」という心配もしました。地図で見ると、着弾地点から一番近かった陸はロシアです。住んでいるところから数十キロという海に落とされたナホトカの市民が大勢で北朝鮮領事館に押しかけたのは当然です。
 きょうは午前中、家で原稿書きの仕事をし、午後からは市役所へ行き、生活相談、議員団ニュースの作成をしました。議員団ニュースについては、6月議会以後、3人で交代で作成しようということを確認しています。ただし、樋口議員については、団ニュース作成で使っているソフトをマスターしていないので、私が援助することにしています。きょうは、「授業料として」メロン1個をもらいました。市役所でも話題は北朝鮮のミサイル発射でした。少しでも早く、詳しい情報を知りたいとパソコンでニュースを見ていた人が何人もいました。かく言う私も、無関心ではいられませんでした。夕方の5時半頃からは、議会事務局の局長、次長とともに議長室にあるテレビを見ました。「まもなく小泉首相が記者会見」という字幕が出ていながら、なかなか行われないのでおかしいと思っていたら、7発目のミサイルが発射されたということでした。もう、いいかげんにしてもらいたい。


2006年07月04日

アクセス数、50,000回突破

 2日の体育祭では多くの区民の方と久しぶりに会い、交流できました。その際、いろいろな情報も寄せていただきました。そのなかに旧吉川町時代に議員としてご一緒させていただいたTさんが健康を害されて、入院中との情報もありました。きょうは午前中、このTさんともう1人、旧吉川町時代の農業委員仲間だったKさんを見舞うため、2つの病院を訪れました。
 最初に見舞ったTさんは、先月上旬に血圧が異常に高くなって緊急入院されたということでしたが、とても元気そうなので安心しました。滋賀県知事選結果を喜び、「憲法、教育基本法改悪問題でがんばらないといけないな」と発破をかけられました。早ければ、今週末には退院の見通しとのことです。ビックリしたのはKさんです。これまでの病室(個室)には別の患者さんが入っておられたからです。残念ながら、Kさんは今朝ほど亡くなったということでした。数日前、病室で「がんばってくんない」と声をかけたのが最後となりました。
 ところで、私のホームページですが、きょう、アクセス数が5万回を突破しました。手づくりでホームページを開設してから、4年と2ヶ月経っての到達です。これまで訪問してくださった方々に心から御礼申し上げます。サーバーとの契約容量が15メガという制約があることなどから、議員団ニュースや市政レポートなどを掲載できず、読者の皆さんにはご迷惑をおかけしていますが、近々、新たな方法で掲載できるようにする予定です。今後ともご愛読くださいますよう、お願いします。


2006年07月03日

県内初の福祉有償運送、吉川区でスタート

 きょうはいろいろありました。きょうもかな。まずはNPO法人よしかわたすけあいのニュースから。同法人の事務所で午前、「福祉有償運送認証」の報告会及び走行式が行なわれました。私も、議会でこの問題をとりあげた経過もあって、来賓として招かれました。新潟県内で福祉有償運送認証書が出た第1号ということで、きょうはマスコミ関係者がずいぶんたくさん来ていましたね。上越市全域を福祉有償運送の特区にするという当初の方針から言えば物足りなく感ずる人もあるかもしれませんが、福祉車両でない乗用車などを使って要介護者などを低料金で運ぶNPO法人の取り組みを一部とはいえ可能にしたのは貴重な第一歩です。その第一歩を踏み出したところが吉川区のNPO法人であることをうれしく思います。よしかわたすけあいが福祉有償運送で対象とする人は53人。これから1ヶ月ほどの間に市内の5つのNPO法人も続くはずです。走行式では、「福祉有償運送車両」というステッカーを貼った車がスタートした時、涙を浮かべていたお年寄りが何人もいました。
 午後からは党議員団会議でした。党県委員会では、党創立記念日の15日からの3日間を集中行動期間に設定しましたが、宣伝と党勢拡大でどうがんばるか、佐渡汽船の小木直江津航路問題にどう対応するか、自治基本問題特別委員会にどう臨むかなどを話し合いました。このうち小木直江津航路問題については、上越市議団だけで方針を決めるのはいかがなものかということになり、県委員会とも相談した結果、佐渡市など関係議員団や党県委員会とも一緒になって、今月の18日に協議することになりました。
 議員団会議が終わってからは夕方まで、議員控え室で1冊の本を読み始めました。きょう、全国の書店に並ぶと宣伝されていた『こちら北国、山の中』(三上亜希子著、小学館)です。この本は、私が毎日訪問しているブログの1つ、「農家の嫁の事件簿」の中から日記、イラストなどを精選してまとめたもの。よしかわたすけあいの式が終わってから市役所に行く途中、本屋に立ち寄り購入してきました。三上さんのブログは、初めて見た時に一目ぼれしてしまいました。農家の暮らしや作業のひとコマひとコマを新鮮な目で見ていて、文章も読み手のところに気持ちよく、スッと伝わってくるのです。私も長年牛を飼っていたので、本に出てくる仔牛の誕生秘話や救命牛舎24時、サイロ詰め作業などの話はいろいろ思い出すところがあって、胸が熱くなりました。本当に良く観察してあり、文もイラストも写真も最高。おそらく、今晩のうちに読み終わってしまうでしょう。
 夜は党支部会議。同じ時間帯に、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」(上越市高田編第2回)が放映されることもあって、同番組のビデオをとってもらい、会議終了後に観ました。今回のゲストである噺家の昇太さんが、中学生時代に会ったという市内の思い出の女性は誰かと思ったら、何と土橋防災局長の妹さんでした。土橋局長と同じく、やさしさが顔ににじみ出ている素敵な女性でした。きょうの放送では、旧清水市との交流が子どもたちの心にしっかり残っていて、カップル誕生にもつながったケースもあることが明らかになりました。姉妹都市などとの交流の基本は人間と人間の心の交流です。今回の放送では、そのことを改めて確認できました。


2006年07月02日

第2回吉川区体育祭

 合併してから2回目の吉川区体育祭が開催されました。時々小雨が降るコンディションだったため、やはりグランドではダメでした。区体育館をメイン会場にして、ゲートボールなど一部の競技はゆったりの郷体育館などで行われました。
 私は来賓兼選手、体育祭での種目としてはもっともハードで危険な10色綱引きに参加しました。わずか30秒間の競技時間。2つのチームが10本の綱を自陣営にどれだけ引っぱりこめるかを争う種目です。転倒する者が続出したものの、ケガをした人はいませんでした。わがチームは1回戦、2回戦とも4本しかとれず完敗でした。
 来賓席から観ていると、大玉・小玉送りや玉入れ・輪投げなどの単純そうに見える種目でも、日頃の練習、チームワークがものをいいます。慌てず、早く、着実に玉を送る、輪を投げる。対抗種目は、今回はどのチームも力が拮抗していて大熱戦が続きました。そのせいか、終了時間は予定よりも約1時間遅くなりました。
 夕方、久しぶりに地元町内会の参加選手の人たちと懇親会をやりました。350cc入り缶ビールを3本ほど飲んだだけで眠気が襲い、家に帰ってからはシャワーを浴びてひと眠りしました。先週の疲れをとるには、もう少し時間が欲しいですね。


2006年07月01日

梅もぎと蛍と

 父や母からの頼まれ仕事はたいがい突然やってきます。きょうもそうでした。昨日まで隣家の葬儀があったので、きょうは1日フル回転で動いて、「しんぶん赤旗」の配達、集金をやろうと思っていました。ところが朝8時前、母から連絡があり、「じいちゃんが梅もぎをはじめて、いま牛舎へハシゴをとりに行ったので手伝ってやってくれ」といいます。やっと歩いている身で、500メートルも離れた牛舎からどんなふうにしてハシゴを運ぶつもりだったのでしょう。運ぶのも無理ですが、それよりも心配したのは、ハシゴを梅の木にかけて上から落ちはしないかということでした。それで約1時間、私も梅もぎすることになりました。木には雨が残っていて、着ていたシャツもズボンも濡れましたので、シャワーを浴びて着替えました。わが家の梅は今年は豊作で、10キロほど採れました。
 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。どこへ行っても話題は昨晩の雨でした。「よんべなの雨、すごかったね。また去年と同じ降り方だね」「川谷の方、120ミリを超えたんだって。水の出はいつもより早かった」こんな声をいくつも聞きました。配達で回ったところでは土砂崩れなどの被害はまったくありませんでしたが、河川の水位は確かに上がっていましたね。とくにいま橋の架け替え工事中の柿崎区の桜町橋のところの水位が思っていた以上に高いのが気になりました。もう50ミリでも降ると危なかったのではないでしょうか。昨晩の大雨で、市役所防災局の職員や総合事務所の防災担当職員は役所に詰め、真夜中から警戒にあたりました。
 夜、妻と一緒に軽トラに乗って下中条集落の農業用水路へ行き、蛍の飛び交う姿を見てきました。もちろん今年初めてです。昼間の雨が草木に残っていたこともあって、たくさんは飛んでいませんでしたが、それでも、チカッ、チカッと飛ぶ蛍の姿は感動ものです。一匹の蛍は軽トラのフロントガラスにとまり、チカチカやってくれるサービスぶりでした。「子どもたちにも見せたいね」と何べんも言いながら、ゆったりとした時間を過ごしました。
 明日は吉川区の体育祭です。この分だと、グランドでは無理で、また体育館の中での競技となるかもしれません。ま、豪雨で延期よりはいいか。


2006年06月30日

田の字型の大きな空間

 目が覚めたのは午前2時ごろだったと思います。どんなにお酒を飲んでも、市政レポートの作成が終わっていないことを体が覚えていて、目が覚めてしまうのです。というわけで、心配をおかけましたが、朝までに市政レポート第1250号の原稿書き、印刷を終わらせることができました。20年以上も毎週作成し続けてきた「習慣」というものは不思議な力をもっていますね。
 きょうは葬儀当日でした。出棺の時にぽつりぽつりと雨が降ってきましたが、まずまずの天気だったといってよいでしょう。私は受付係、葬儀中も外にいて、焼香のときだけN家自宅の式場に入りました。畳の上に長時間座っていると足が痛くなるので、きょうは助かりました。N家は新築して20年ほどの家です。初七日の法要の時に話題になったのは、一階の広さでした。各部屋の戸をはずすと田の字型に大きな空間ができる、これは昔の農家ではごく普通のつくりでしたが、最近はこうしたつくりはほとんど見られなくなりました。
 初七日法要が終わる頃から雨は本降りになってきました。地元の人たちは、雨の様子がとても気になるようでした。考えてみれば、昨年の6月末は梅雨前線豪雨で大騒ぎしていましたから当然です。今年は、これまで空梅雨でしたので、また集中的に降るのではないかとみんなが心配しています。夜になってからは雨の音がいっそう大きくなってきました。大したことがなければいいのですが……。


2006年06月29日

隣家のばあちゃん亡くなる

 母があと1週間しかもたないと医師に言われてしまったので、その時は頼みます……隣家のNさんから電話をもらったのは先々週の土曜日でした。そしてきょう、朝の7時前、亡くなったという知らせがありました。1年ほどの闘病生活でしたが、がんには勝てませんでした。亡くなったS子さんはまだ78歳という若さでした。
 というわけで、きょうから葬儀のお手伝いです。役所に死亡届を出しに行ったり、地元集落の各戸への案内を印刷したりといった細々とした仕事をしました。隣家もわが家と同じく真宗大谷派ですが、お世話になるお寺は柿崎区にあります。初めて知ったのは、同じ宗派であっても区が違っただけで葬儀の進め方などに微妙な違いがあることです。例えば、吉川区では斎場までお坊さんが行かれ、そこで最後のお別れをする時にお経をあげてもらいますが、柿崎区ではそれがない。集まった人たちの中では、「なんとかしてもらえないか」という声があがりました。
 夕方にはお通夜があり、明日は葬儀です。お酒もいただいたので、市政レポートの作成が間に合うかどうか。間に合わなかった時には、「しんぶん赤旗」日曜版に折り込むのは議員団ニュースだけとなります。事情が事情ですので、お許しください。


2006年06月28日

今回も異常なし

 まったく問題ありません。胃カメラによる精密検査の結果について、医師からこう言われた時はホッとしました。レントゲン検査では、胃の一部に突起があり、それが何であるか詳しく調べる必要があるとの診断が下されていました。細胞の一部を採ってさらに検査をする、そういう結果もありうると思っていましたので、何か得をしたような気分です。きょう検査した医療機関では、カメラを飲んだ後、1時間ほどベットで寝てきましたが、ぐっすり眠れました。
 胃カメラによる精密検査は午前中。午後からは市役所の議員控え室で過ごしました。きょうは、にいがた自治体研究所の福島冨さんが、自治基本条例についての上越市の取り組みについて調査したいということで、上越市入りされていました。福島さん、杉本議員とともに企画政策課の課長、副課長、主任から説明を受けましたが、前回の市議会特別委員会の時の説明を復習した感じで、ためになりました。市の自治基本条例づくりは、市民委員と職員委員72人による「みんなで創る自治基本条例市民会議」での素案づくりが最終盤を迎えています。策定作業は、これから設置される策定検討委員会での条例案づくりに移りますが、きょうの話を聞いていて、これまでの取り組みを大事にするには、まちづくりの主体のひとつである議会の意見・提案も検討委員会に反映できる仕組みをどうつくるかがポイントになるという気がしました。
 夜は、9月2日、3日と上越市大潟区の鵜の浜ニューホテルで開催する「第1回現地に学ぶセミナーinにいがた上越市」(自治体研究所とにいがた自治体研究所が共同主催)についての打ち合わせ会でした。上越市で取り組んでいる地域自治区と地域協議会の取り組みについては、全国的に関心が高まっていますが、今回の「地域自治組織」をテーマにしたセミナーについても自治体研究者や自治体議員などから注目されています。打ち合わせ会では、プログラムの中に地域協議会委員の選出方法について公募公選制を主張した関係者(特に旧上越市の議員)の出番をつくる、酒造りの本場にふさわしい交流会にする、地元での参加者確保をどうするかなどを話し合いました。


2006年06月27日

議員団会議

 きょうは議員団会議の日でした。6月議会後初でしたので、議員団としての市議会報告をどんな内容にするかが中心テーマでした。B4サイズの用紙の表裏という狭い紙面の中に書き込むべきものは何か。6月議会の特徴と焦点となった問題についての見解、議案などへの党議員団としての態度、3人の議員の主な質問内容まではすんなりといったのですが、大型店バロー問題をどう書くかで悩みました。もう大型店はいらないという立場で、住民運動を励ますものとする基本方向は定まってはいるのですが、これまでの経過のなかで、「なんで大型店バローが土地区画整理組合との間ですいすいと合意できたのか」がいまひとつ解明できていないので、この部分の書き方をどうすべきか話し合いました。
 きょうの会議で議論になったのは政務調査費についてでした。上越市においては、議員個人として1人あたり年間30万円、会派として1人あたり年間30万円出ることになっています。この報告書については、これまでの党議員団などの主張が受け入れられ、領収書も添付して透明性を確保するようになっていますが、マスコミが「パソコン、デジカメを買うのはいかがなものか」「調査そのものにかかわる支出が少なく、広報費などに多くを使っている」などと一斉に使い方を問題にしました。政務調査費については使途基準を明確にする、透明性を確保することが課題です。今回のマスコミ報道を契機に、使途基準をいっそう明確にするとともにガラス張りにすることが求められています。きょうは、党として政務調査費の使途基準をどう考えていけばいいのか、報告書は公費をどう使ったかだけでいいのかなどを議論しました。
 夕方、市内の医院に行き、胃の精密検査の予約をしてきました。先月の健診で「要精密検査」の結果が出たのです。これで胃の精密検査は昨年に続き3回目、最近は健診の度に何かが引っかかるようになりました。精密検査は明日の午前です。


2006年06月26日

鶴瓶の家族に乾杯

 昨日のフォーラムが終わって帰ろうとした時、木浦市長がマイクを手にとり、参加者に呼びかけました。「明日の『鶴瓶の家族に乾杯』で上越市が紹介されますので、ぜひご覧ください」と。夜の8時の時間帯は大河ドラマ以外はほとんど観ないのですが、きょうは気になり観ました。今回のゲストは、旧高田市時代から続いていた静岡県清水市との交流で思い出のある高田へぜひ来たいと思っていたという噺家の昇太さんでした。
 昇太さんが訪ねたのは、道で偶然出会った西城町のMさん。定年退職後も高校で教えているということですので、講師なのでしょう。ご自身の家のそばにある庭には竹の子が生え、ミョウガなどいろんな自然の食べものが採れる。それらを活かして昇太さんをもてなすMさん。七輪で炭をおこし、網の上に竹の子の皮をしいて竹の子を焼く光景はうらやましかったですね。そばまで行って、一緒に酒を飲み、焼いた竹の子を食べたくなりました。Mさんはおそらく、私と同じく、野草も野の花も好きな人だと思います。いつかどこかでお会いすることがある、そんな予感がします。その時は、きっと話が弾むにちがいありません。
 鶴瓶さんに葉書を出し続けていた昭和町のSさん。金谷の里で働く知的障害者のひとりです。「鶴瓶さん、鶴瓶さん」と出迎えた仲間のみなさんの表情がとてもよかったですね。「5月20日までに必ず返事をください」と書かれた葉書を片手に持って、「本人が着ました」と言って驚かす鶴瓶さん。鶴瓶さんがこの日、出会ったSさんは、なんとスペシャルオリンピックスのアルペンスキーのアスリート(選手)でした。私の高校時代の同級生のなかにも顔の感じがSさんと似た人がいましたが、彼もスキーが得意でした。映像では、市役所での壮行会の模様が出ていました。できれば、彼の滑っている映像も見たかったなぁ。次は上海での大会とか。ひたむきに頑張るSさんを応援したいと思います。
 鶴瓶さんと昇太さんが訪ねた街の映像には見たことがあるところがいくつも映っていました。飴屋さんに駄菓子屋さん、雁木通り、こうやってテレビに出ると、残さないといけない上越の宝のひとつだというのがよくわかります。大町の駄菓子屋さんは高田にたったひとつ残る駄菓子屋さんだそうですので、今度訪ねようと思います。高田は3年間の高校時代をすごした思い出の街ですが、今回の番組を観て、高田の街も人もいままで以上に好きになりました。
 「鶴瓶の家族に乾杯」は来週も上越市です。ぜひごらんください。


2006年06月25日

道中ろまん

 早朝の5時半、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ようと玄関まで行ったら、1人の男性が訪ねてこられました。隣の柿崎区の方です。朝から何事かと思ったら、「柿崎の図書館で『幸せめっけた』読ませてもらった。とても感動したのでキョウダイに送ってやりたい。どこへ行ったら手に入るか」とのことでした。おそらく、早朝なら私が搾乳の仕事をしていて、まちがいなく家に居ると判断されたのだと思います。訪ねてきてくださった方は私と同じ団塊の世代です。いまの狂った世相をみていると、われわれが経験した戦後の子どもの暮らしぶりを知ってもらうことが大切、だから『幸せめっけた』を大勢の人に読んでほしい、とも言われました。本を出版する時の私の思いと同じことを考えてくれている人がいて、とてもうれしく思いました。
 昨日に続いて、きょうも女性の活躍が印象に残った日となりました。鵜の浜ニューホテルで行われた「女性・旅・みちフォーラム…道中ろまん」(NPO法人女性みちみらい上越主催)はわずか1時間半のフォーラムでしたが、とても勉強になりました。4人の女性のスピーチがメインで、いずれの人の発言も良かったのですが、高田の春陽館書店の店長、熊田和子さんと「いきいきARAIネットワークの松本美鈴さんの話にひかれました。
 熊田さんは、商工会議所の女性会で小木直江津航路を考える取り組みをやったことの経験を話されました。「女性にはもうひとつオマケが欲しいという心理がある。小木直江津航路は片道2時間あまり、この時間を潤いと和やかさのある時間にして、船内コンサートとか占いコーナーなど女性の心をくすぐる企画を」との話は先日の市議会全員協議会では聞くことのできなかった視点で、興味深かったですね。また熊田さんは、高田市街地の辻々を花で結び、交流人口を増やす取り組みについても語りました。これも良かった。春陽館書店は私がよく訪ねる本屋さんです。今度行った時には、熊田さんとおしゃべりしてこようと思います。
 松本さんはFM上越の番組でパーソナリティをやっている人。「私は犬を飼っていますが、夫婦の会話がなくなると犬を飼うようになります」と笑いをとって、聴衆をどんどん引き寄せました。「私は一般道が好き。ゆっくり走ると地域の雰囲気がわかる。道には花をちょこんと植えるんではなく、沿線にたくさん植えるとすばらしい演出になる。目的地がどんなところか考えるだけでもワクワクしてくる。最近は中高年のご夫婦の旅行が増えていて、必ず犬がいる。そういうお客さんをターゲットにする観光が求められている。道の駅には24時間トイレがあり、食堂があり、朝市もある。安く泊まることもできる。高速道路から降り、寄り道して小さな町や村を見直すことも大事だ」と訴えました。
 午後からは休養も兼ねて福平と国田間の河川災害復旧現場を歩き、その後は川谷地区で市政レポート配布をしました。途中、思いがけない人と偶然再会し、とても気分良く帰ってきました。


2006年06月24日

残された才能を花開かせること

 きょうは朝から晩までフル回転でした。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、生活相談、男女共同参画フェスタ、そして「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金、生活相談と続きました。これだけ続くとぐったりしてしまいそうですが、私なりの息抜きをちゃんとやっています。それは野の花の撮影です。きょうは川谷地区の道沿いの花が最高でした。キオン、ホタルブクロ、コシジシモツケソウ、ヤマブキショウマ、エゾアジサイが見頃を迎えていました。
 さて、きょうは男女共同参画フェスタがリージョンプラザであり、午前の部だけ参加してきました。参加者は、やはり女性がほとんどでした。それでも男性は10人に1人くらいの割合で参加していました。印象に残ったのは、オープニングで上演されたNPO法人素人芝居大浦安の「舞台劇・義母とともに」でした。元教師の義母が認知症にかかり、たいへん介護に苦労されている実態が浮き彫りにされた話でした。教師を辞めても「先生、先生」と慕われていた人が認知症になる。プライドもある。世間体も気になる。その中で嫁さんだけが悪戦苦闘……。身近な方言がポンポン出てきたので笑いましたが、笑えない現実がそこにはありました。
 舞台劇では、介護にあたっている妻が倒れるくらいなら母親に早く死んでもらいたいとの課長さんの思いが見えかくれしていましたが、この劇が問題提起していることを鮮明にしてくれたのは、その次にあった、高野悦子さん(岩波ホール総支配人)の講演でした。認知症になっても人間として才能は残されている。最後をどういうふうに生きていくか。人間というものの尊厳を考えていく必要がある。残された才能を開かせてやることが大切だとの訴えは胸を打ちました。高野悦子さんの講演を聴くのは初めてでした。


2006年06月23日

田麦川沿いの花

 きょうは午前11時から頸城区の「ふれあいグランド」リニューアルオープン記念式典がありました。総合文化施設・希望館、野球場、そして人工芝が張られた今回のグランド、こういったものがそろっていると、ちょっとした都市という感じがします。きょうの式典には保育園から中学生までの子どもたちが400人くらいと来賓が100人くらいでしょうか、集まりました。
 主催者である市長は、赤いサッカー競技用のシャツを着て式典に参加しました。市長がこの格好でグランドに入ってきた時、「オオッ」という声があがりました。なかなか素敵なパフォーマンスでした。市長は地元のサッカークラブに入っているとのことで、背中にはエースナンバー・11がついていました。市長の挨拶、来賓としての議長の挨拶、いずれも今朝のW杯で日本が敗れたことにふれ、「ここから世界に出る選手を」「負けたのは残念だが、大事なのはあそこへ参加するまでの過程、努力だ」という印象に残る話を盛り込んだいい挨拶でした。ただ、保育園児、小学生には難しかったかな。こういう場では子ども向けの話を中心に据えた方がいいと思います。主人公は子どもなのですから。
 式典が終わってから、大島区を通って上川谷へ市政レポート配布に出かけました。本当は、配布は日曜日にと思っていたのですが、20日に見た景色が強く印象に残っていて、もう一度、見たかったのです。それは大島区板山から大平にぬける道から見える田麦川沿いの花です。急な崖には黄色のキオンとピンク色のコシジシモツケソウがあちこちに群がって咲いていたのです。3日前と比較すると少し色がさめた感じがしましたが、それでもすばらしい。軽トラから降りて、デジカメで撮影しました。残念ながら、私のカメラでは遠くの花がよく撮れませんでした。来年はプロのカメラマンから撮影してもらおうと思っています。


2006年06月22日

定例会が終わった翌日は…

 定例議会が終わった翌日、市役所の5階(議会スペース)というのは静かです。きょうは議長と私、それに内山議員の姿しか確認できませんでした。私はというと、議員控え室で市政レポートの作成に全力を集中しました。今号では、先に総合事務所が行った地区別懇談会で出された意見や質問、要望などを掲載することにしていたので、その整理に3時間以上かかりました。
 議員控え室にいると時々お客さんがあります。きょうも2人のお客さんがあり、6月議会の議員の質問などが話題にのぼりました。だれだれの質問は市内の医療の動きをよくみているとか、Y議員の議会報告チラシはまさにプロ級だ、とても見やすい、などといったことが話題になりました。こうした感想や情報を寄せてもらえるのはとてもありがたいことです。
 きょうは夕方の遅くない時間に吉川区に戻りました。総合事務所に立ち寄り、家に着いたのが6時45分頃でした。まだ明るかったので、軽トラの鉄のサビなどの汚れを落とす作業をやりました。鉄粉などで黄色く汚れていた愛車もこれで人並みになったかな。


2006年06月21日

議会最終日

 7日からはじまった6月定例議会はきょうで終わりました。きょうは委員長報告があってから討論、採決とすすみました。わが議員団は専決処分された市税条例の一部改正で樋口議員が反対討論をやり、私が品目横断的経営安定対策の中止を求める請願で賛成討論を行いました。どちらもインターネットで見ることができます。樋口議員は、討論の際、市民に通知された文書を持ち込んでいましたが、わかりやすい発言とするためには、こういう工夫が必要ですね。
 定例議会は午前11時半に終わったのですが、その後開催された全員協議会は時間がかかりました。テーマは赤字が続き、存続が危ぶまれている佐渡汽船の直江津・小木航路問題でした。市側はこれまでの経過説明と今後の対応について、お昼まえにサッと説明して終わるつもりだったのかもしれませんが、来年度から2年間公的資金を投入するとの説明を聞いて、議員は黙っていませんでした。「佐渡汽船の赤字の原因は何か」「どうかんがえても先延ばしだけにしかならない」などの声が続出し、1時間以上の激論となりました。議会としてどうかかわっていくのか、しっかり方針を決める必要がある、と感じました。
 昼食後は市議会特別委員会の打ち合わせ会、県道新井柿崎線の整備促進議員連盟の発会式、さらに柿崎、大潟、吉川の3区議員と上越警察署長との懇談と続きました。飯吉上越署長との懇談では、高齢者などの免許証更新について、柿崎区内でできないか、1時間ほど話し合いました。とてもいい雰囲気で話し合いができ、署長も文書できょうの要望を県本部にあげるとの約束をしてくださいました。


2006年06月20日

災害復旧工事現場視察

 休会日は結構忙しい。議会中なので行けないでいた郵便局などへ行ったり、議員団ニュースを作成したりと時間刻みで動きました。午後からは市の幹部とともに吉川区内の災害復旧工事現場などを訪れ、工事の進み具合を確認してきました。すでに梅雨に入っていますが、河川の工事は進捗率が60数%といいます。市長ではないけれども、大きな雨が降らないように祈るしかありません。それでも、堤防の嵩上げ、河床掘削などによって、これまでの1.5倍の水が流れてきても大丈夫だとか。
 上川谷の県道災害復旧工事現場は11日以来の訪問です。このところ、工事が休みの時ばかり見てきましたので、作業中の現場は新鮮でした。現場に着くなり、いきなり、バーンという大きな音がしたのにはびっくりしました。ロープを使って急な斜面の工事をしている人たちの姿は、工事の大変さを象徴しているように見えましたね。市長が現場へ来るということを聞き、集落の人たち6人ほどが姿を見せてくださいましたが、集落の皆さんの早期復旧を願う気持ちの強さを再認識しました。
 朝、「しんぶん赤旗」日刊紙を開いたら、一昨日、東海・北陸信越総局へ送っておいたコシジシモツケソウの写真と文が掲載されていました。しかも写真はカラーで載っています。こんなに早く載せてもらえるとは思いませんでした。11日に赤旗記者が撮ったササユリの写真も白黒ではありましたが、東海・北陸信越のページに掲載されました。吉川区内に咲く野の花の写真が同じ日に2枚も掲載されるのは、初めてのことです。一日中、いい気分で過ごすことができました。