2009年10月08日

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2009年10月07日

誤解のないように

 一昨日、記者会見して、今回の市長選挙については候補を擁立できなかったこと、いま名乗りを上げている人たちについてもマニフェストなどを検討した結果、支持できないことを明らかにしたことはご案内の通りです。ところが、どこでどうなったのか、おかしな話を耳にしました。その記者会見から一日も経たないうちに、「橋爪さんや上野さんなどから○○を応援してもらえることになった」とある陣営で報告があったというのです。今回の選挙では怪文書が飛び交ったりして、何でもありだなと思ってはいましたが、まさか、こんなことまで起きるとはびっくりしましたね。私どもは記者会見したこととは違った発言も行動もしていませんので、誤解のないようにお願いしたいものです。

 さて、きょうは市役所で当面する課題の整理をした後、事務所に戻り、市民アンケートの印刷に精を出しました。このところ、印刷機の不具合が多発していたので、最初はひやひやしながら印刷したのですが、思った以上に順調に印刷できて、とてもいい気分です。印刷の合間に、次の月曜日に京都市で行う出版企画会議の準備も始めました。こちらは、ちょっとの時間でやれる仕事ではありませんので、イメージづくりだと割り切って、いろんな資料をめくったり、メモをしたりしました。私の場合、文章を書くのに、このイメージづくりが十分でないと納得のいく文章は書けません。

 夜は中学時代の恩師の先生などと一杯やりました。先生は英語とテニスを教えていただいた方です。酒を飲みながら話したのは、もちろん、中学時代の思い出話です。英語の授業で忘れられないのは、「go on a picnic(ゴーオンナピクニック) 」。「ピクニックに行く」という意味ですが、先生からは、「いいか、ピクニックに行くには一人で行ってはおもしろくないね。女性と一緒だと楽しい。だから、ゴー女ピクニックなのだ」と教えていただきました。何でも憶えるには関連付けが大事です。楽しいひと時を過ごさせてもらいました。



2009年10月06日

母の付き添い

 母が3か月前に病院へ行った時の医師の診断は、「脳内に動脈瘤があるので3か月に1回は通院してMRI検査をしましょう」ということでした。きょうはその検査日。午前10時に予約してあったのですが、検査、診断などすべてが終わったら12時近くになっていました。診断は前回とほぼ同じで、「動脈瘤の大きさは変わっていない」とのことでした。ただ、血圧が高くなっていて、母としては初めて血圧を下げる薬を服用することになりました。「塩分は控えめに、仕事はがんばらないこと」というアドバイスも前回同様です。

 検査結果をうれしく思ったのでしょう。家に戻ってから、長女に「ばあちゃん、どうだった?」ときかれた母は「うん、治った」と答えていました。「ばあちゃん、違うでしょう、治ったんじゃなくて、進行していないだけでしょ」と長女に言われ、「うん」と言ったものの、やはり、へっちゃらといった感じです。ま、「しょっぱい物を食べるな」と言ってもだめでしょうし、あまり、無理をさせないように気をつけたいと思います。

 家に戻って生活相談をひとつやって、牛舎の周りの山をちょっと歩きました。ねらいはアケビです。数日前にミツバアケビを数個見つけ、「もう4、5日経てばうれて食べ頃となる」と判断して採らないでおいたのです。ところが、きょうでは遅かった。すでに先客があり、紫色になってぶら下がっていたものの、中身はからっぽだったのです。どうやら、小鳥たちに食べられてしまったようです。でも、少し小さめのアケビを2個採ることができました。



2009年10月05日

市民アンケート結果を公表

 7月下旬から市民のみなさんにお願いしたアンケートの結果がようやくまとまり、きょう、発表しました。ご協力いただいたみなさんには心から感謝申し上げます。本来なら、結果を印刷して、アンケート用紙を配布した全世帯にお返しすべきではありますが、ページ数が多いこともあって、全文は私と上野、平良木市議の3人のホームページ、ブログに掲載することとなりました。この点、お許し願いたいと思います。

 お読みいただけばわかるように、市民のみなさんの暮らし向きは悪くなっていて、国政、市政に対する要望も切実なものがとても多くなっています。掲載したものの中では、記述式の回答がたくさんあります。これらは市民のみなさんの文字通り生の声です。私たち日本共産党に対する批判のご意見もそのまま掲載しました。ぜひご一読下さい。私たちはこうしたみなさんの声をしっかりと受け止めて頑張っていきます。

 さて、きょうは午後3時から党上越地区委員長ととともに記者会見を行い、今月18日告示、25日投開票の市長選に関する日本共産党の対応を明らかにしました。この中で阿部正義地区委員長は、「これまで候補擁立に向けて努力してきましたが、残念ながら今回は擁立できませんでした。(党後援会員のみなさん、期待していてくださった)市民のみなさんには心からお詫び申し上げます。また、立候補予定の3人のみなさんから応援要請を受けていましたので、マニフェストを中心に検討いたしました。その結果、私たちと一致できる公約がいくつもありましたが、賛同できない重要な問題点もあり支持するということにはなりませんでした。きょう配布した市民アンケート結果を見ると、市民の暮らしは悪化し、切実な市民要求が寄せられています。これらを実現するために頑張っていきたい」とのべました。

 記者からは「なぜ候補を擁立できなかったのか」「3人の立候補予定者を支持できない理由を具体的にのべてほしい」などの質問が相次ぎ、記者会見は予定時間を大幅に超えました。阿部地区委員長は、候補擁立できなかった要因として、党の力量不足と取り組みの遅れをあげました。応援要請にこたえられなかった理由については、私の方から、「いくつもの箱物建設を公約されている方があるが、財政危機認識の甘さがある」「市の最上位計画である第5次総合計画改定版が市民参加のなかで策定されたにもかかわらず、それへの言及がない」ことなどをあげて説明しました。

 きょうの記者会見にはカメラマンを含め9人のマスコミ関係の方が参加されました。候補擁立を発表する時と違って、擁立断念の発表はつらいですね。今回の私たちの態度表明によって、市長選は三つ巴となることがほぼ確定しました。3者それぞれのマニフェストには、子ども医療費無料化の拡大、通園・通学バスの無料化、介護・医療分野での高齢者支援など評価できるものがいくつもあります。私たちはどなたがトップになられようとも、良い公約は実現に向けて応援していきます。もちろん、問題があることには反対していきますが。



2009年10月04日

秋晴れのなかでパラ・ハング競技

 天気が良くても風に泣かされた。きょうのパラ・ハングライダー大会は秋晴れの、気持のいい天気でした。午前9時過ぎから尾神岳に行き、しばらくの間、ティク・オフでパラグライダーの離陸の様子を見学させてもらいました(画像)。風は下界から吹き上げる風があったものの、まっすぐ下からというよりも斜め下からという感じで、しかも強かったため、離陸しようとしても横に流されてしまう人が何人もいました。

 ハングライダーは久しぶりに見ました。ティク・オフ付近に勢ぞろいした姿は空母の艦上に並んだ飛行機のようでした(画像)。こちらは飛び出すところは見ませんでしたが、飛び出して上昇気流にうまく乗って旋回しているところや、パラのランディング(着陸場)に降りる様子を見ました。本当は風を利用して8キロほど離れた総合事務所付近の着陸点めざして飛ぶことになっていたのですが、目標となる場所まで到達したのは数機だったようです。

 きょうは天気が良かったので、競技の様子を見ようとするお客さんが大勢でした。尾神岳を回るシャトルバスは満席になって乗りきれない時間帯もあったそうです。私は午前10時前からランディング(画像)の接待テントで交流させてもらいました。麦茶とトン汁のサービスはこの日も繁盛して、選手や観客のみなさんに喜んでいただけて良かったです。

 昨日、きょうと競技を見て、改めて風を利用した競技の難しさを感じました。着陸精度を競う競技では選手が飛ぶときの条件が同じことはありえず、どんなに飛行技術が優れていても風向き、強弱に左右されます。着陸寸前に土手にぶつかりそうになり恐怖を感じた選手もいましたね。それだけに丸い目印の着陸した時には大きな拍手が起きます。選手の皆さんは日頃から訓練を重ねていて、仲間意識もあります。表彰式で成績発表の際、名前が読み上げられるたびに「オーッ」という声が上がりました。これはよく知っている仲間であるからこその歓声でした。



2009年10月03日

トキめき新潟国体パラ・ハングライダー大会

 きょうから2日間、尾神岳でトキめき新潟国体のデモンストレーションとしてのスポーツ行事、パラ・ハングライダー大会が行われています。今回、参加した選手は約80人ほどです。主に県内からですが、その中には吉川区の人の姿もありました。競技は午前10時10分過ぎにスタート(画像)。途中、雨や霧のため2時間ほど中断しましたが、その後は天気も回復して、競技が続けられました。

 きょうはパラグライダーの競技だけ。今回は指定された着陸地点の目印にどれだけ近くに降りられるかを競いました。飛行中、とくに着陸地点上空の風が微妙な動きをする中で、目印近くに着陸するのは難しいと思うのですが、さすがは選手です。目印から数十センチのところに降りた人もいました。私はティクオフ(離陸場)で来賓の皆さんとともに応援、その後はランディング(着陸場)や見晴らし荘周辺で参加者の皆さんと交流しました。見晴らし荘ではざるソバも食べました。これは美味かった。パラ競技は明日も行われ、きょうの成績との合計点で順位が決まります。

 天気はきょうよりも明日の方がいいようです。明日はハングライダー競技も行われる予定です。こちらは、JAえちご上越吉川支店近くの田んぼまで飛ぶとか。ハングライダーの競技はしばらく見ていないので、こちらも楽しみです。見晴らし荘周辺では、地元の野菜、加工品、それに焼きソバなどの販売もあります。私も行きます。ぜひ顔を出してみてください。



2009年10月02日

記念ボール

 「しんぶん赤旗」の配達、集金の途中、旧県立吉川高等学校同窓会の幹部の人たちからおもしろい物を見せていただきました。同校野球部選手のサイン入り記念ボールです。それも昭和20年代から30年代にかけてのもの。内藤正信、山崎巌、佐藤道博、高橋健二など知っている人の名前もいくつかあって、じっくりと見させてもらいました(画像)

 この記念ボールを所有していたのは同校の市村保雄先生。数学の先生だったそうですが、野球部の指導をされていたのでしょう。それにしても、こういう記念になるものをよく保管されていたものです。几帳面な方でないと、こういうことはできませんね。市村先生は80歳代、高齢になられたということから、このほど同窓会に保管をお願いされたということです。

 同校の同窓会幹部の方によると、今回出てきた記念ボールは11日の越後よしかわ酒祭りの会場(吉川区の杜氏の郷前広場)で同校野球部が戦った全試合を記録したノートとともに公開するそうです。関係者の人たちは懐かしくてたまらないでしょうね。昨年の祭りでは、寮の看板、スポーツ大会の入賞カップなど記念のものを展示して注目された同窓会ですが、今回もまた話題となりそうです。



2009年10月01日

再び清里区へ

 午前は清里区へ。青空が広がったので、山間部での稲刈り風景を撮影したいと思って向かったのですが、早すぎました。もう3、4日後でないとコシヒカリの刈り取りは本格化しない感じです。同区の青柳から北方向を望むと頸北三山が見えます。きょうは米山、尾神岳、兜巾山ともしっかり見えて、標高差もよくわかりました(画像)

 同区での写真撮影は、地域再生をテーマにした取材の一環ですが、きょうは農村文化協会からシリーズ「地域の再生」の案内が送られてきました。同じテーマでいくつもの出版社が本を出そうとしているのには驚きました。以前、いわゆる「限界集落問題」で『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)を出した時と同じ動きが始まっています。でも、こうしたことは出版界では当たり前のことなのかも知れません。

 午後からは市役所へ行き、9月議会の残務整理をしました。資料の後片付けを始めたところ、これまでの不要な資料、文書も目に入り、約2時間もこの作業に没頭しました。紙ヒモでしばったら、なんと8つもできてしまいました。この作業ができたおかげで、これまで4人の議員の机で一番整理してなかった私の机がすっきりとしました。やれやれです。



2009年09月30日

ハマゴウの咲く砂浜で

 上野議員に誘われて国体の公開競技、ビーチバレーを観てきました。会場は直江津海岸の砂浜。私が現地に到着した時間は女子、男子の決勝戦が始まる30分ほど前です。

 会場へ行ってびっくりしましたね。コートの周り、スタンド席、すごい人の数でした。1000人はいたのではないでしょうか。私が座ったところは女子の決勝戦が行われたコートのスタンド席。ちょうど決勝戦は新潟対神奈川で、新潟代表は地元の上越のチームとあって、「ああ…」「よし!」などの声だけでなく、いいプレーには拍手も送られる。熱の入った応援が繰り広げられました。

 勝負は2対0で新潟チームの勝ち。第二セットの前半は拮抗した点の取り合いになりましたが、あとは新潟チームの力が圧倒していました。私もソフトテニスをやっていたことがあるのである程度わかるのですが、コートでの試合は基本練習と試合経験の数がものをいいます。相手コートのどこに球を打つか、瞬時に判断しなければならないその能力は簡単には身につきません。それにしても見事な試合でした。明日の地元新聞のトップはこれを伝えることでしょう。

 試合が終わっての帰り道、砂浜で紫の花が咲いているのに気がつきました。初めて見る花です。あまりにも美しかったので、いったん市役所に戻り、デジカメを持参して撮影しました。花は草花ではなく、海岸にある低木、ハマゴウ(画像)でした。



2009年09月29日

マニフェスト

 10月25日に行われる市長選挙を前に3氏がマニフェストなるものを発表しました。全体として、とても読みやすくなっています。また、政策的にみても、子ども医療費無料化の拡大、介護にかかわる負担の軽減など市民の暮らしの中で切実なものが盛り込まれていたりして、よくできているなという印象を持ちました。おそらく、3氏を応援する人たちの知恵を結集して作成されたのでしょう。

 ただ、これでいいのかと思ったことがあります。すぐに取り組むことと、4年間の任期中に実施すること、4年間の任期中に検討することを区別せずごっちゃまんざいにしてあるものがあることです。従来型の公約と区別して、マニフェストという言葉を使うなら、少なくともこの点は整理してほしかったですね。ちなみに、マニフェストを辞書で調べてみると、「政策の目標数値・達成期限・財源・工程などが具体的に明示された選挙公約をいう」となっています。

 さて、わが陣営ですが、来月5日頃には市長選挙に向けた対応を明らかに出来そうです。市民の皆さんにお願いしたアンケートの整理、集約も最終段階に来ました。これも同時発表できるでしょう。支援、協力していてくださる皆さん方にはたいへん遅くなって申し訳なく思っています。いま少し、お待ちください。



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