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日々の想い アーカイブ

2009年10月08日

「見てある記2」へ移行

 台風が過ぎて静かになりました。そして寒くなりましたね。被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。私のところはたいした被害もなく通過しました。

 きょうは市民アンケートの印刷で苦しみました。印刷機は昨日と同じ機械なのに、きょうはご機嫌が悪く、午後3時頃までに終了させる予定が何と夜の9時近くまでかかってしまいました。また、トラブルです。修理屋さんに来ていただき、2回もドラムの分解をしてもらいました。私が修理するわけでもないのに疲れてしまいました。まだ、明日、市政レポートと議員団ニュースの印刷が残っていますので、どうなるか心配です。

 さて、このブログも8年目となりました。そろそろイメージ転換しようと考え、形を少し変えてみました。中身はこれまでと変わりません。「もっと主張を書いた方がいいのでは」という声もありますが、私の「日々の活動記録」というスタイルを続けていきたいと思います。思ったこと、頭に浮かんだことをそのまま書いていきます。今後ともよろしくお願いします。

 これまでの「ホーセの見てある記」は「見てある記1」としました。トップページからも入れます。

2009年10月10日

ムカゴ入りご飯

 秋に食べたい自然の味。私の場合は欲張りで、アケビ、シバグリ、ミヤマツ、山芋、ムカゴ、サルナシ、アマンダレ(キノコ)とたくさんあります。そうは言っても、口にできるかどうかは別問題です。ミヤマツはもう何十年も食べていません。

 きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版と市政レポートの配達のついでにムカゴ(イモゴとも言う)とサルナシを採ってきました。台風18号の影響がなければいいがと心配していましたが、風にも負けずにムカゴもサルナシもちゃんとついていました。収量はムカゴ、サルナシとも一合マスで3つ分くらい、まずまずの収穫です。

 このうちムカゴは家に戻ってからすぐに洗って「ムカゴ入りご飯」をつくりました。まず、ムカゴをよく洗います。それを鍋に入れて少しゆでます。この時、ちょっぴり塩を入れています。米はあらかじめといでおき、そのなかに少しゆでたムカゴを入れて、あとは炊くだけ。今年もうまくできました。私のご飯茶わんに盛った炊きたての「ムカゴ入りご飯」(画像)です。

 食べたい人は吉川区の山間部に住んでください。いつでも食べることができますよ。

2009年10月13日

予備調査なしのぶらぶら歩き

 11日の午後から京都へ行き、今朝、というより深夜に帰ってきました。三日ぶりの書き込みです。京都では集落再生をテーマにした本の出版の打ち合わせです。集落はなぜ守らなければならないか、その理念を明確にし、いくつかの先進事例を紹介するとともに再生に向けた方向性、具体策を提示するという企画です。徳島大学の中島信教授が中心になって5人で執筆することになりました。5人のうち4人はすでに書く内容が定まっていて、一番遅れていたのは私でした。来年2月には出版という計画ですので、これからしばらく忙しくなりそうです。

 きょうの会議の前に京都の町を約2時間半ほど歩きました。うっかり革靴を履いて出かけてしまったので、足の裏が痛くなりました。予め行ってみたいと思っていたのは浄土真宗本願寺派の総本山本願寺(西本願寺)です。阿弥陀堂、御影堂をみて、書院に入ってびっくりしましたね。国内最古の能舞台や襖絵など、ここは建物も部屋もすべてトップクラスの美術品だらけ、まるごと美術館といった印象を持ちました。もうひとつ、感動ものだったのは飛雲閣です。これは1632年にあの聚楽第の一部を移築した建物と説明がありました。先日、上越市内で聚楽第にかかわる屏風が発見されて、それをみていたので、三階建ての楼閣を見た瞬間、くぎ付けになりました。

 本願寺を出てからは堀川通りを北の方向へ進み、途中から細い通りをぶらぶらと歩きました。京の町は歴史のある町ですから、どこへ行っても歴史的な建造物などにぶつかります。古典落語の「やかん」に「油小路のぶらこうじ、ぱいぽ、ぱいぽのしゅうりんがん…」というのがあります。まずはその油小路に入ってみました。素敵な町屋がたくさんあり、いいなあ、と思っていたら、右側に石碑があります。何だろうと思ったら、本能寺跡の碑(画像)でした。もう、気分は最高でした。その後は、室町通りに移行。そこでも町屋があり、和服姿で歩く人たちがいる。事前に調査をしないで歩くのがこんなにも面白いとは思いませんでした。

 

2009年10月14日

中央委員会報告の視聴、その後は草刈

 昨日、党中央委員会が開かれ、幹部会報告の中で先の衆院選の総括、来年の参院選にむけた方針などが明らかにされました。衛星放送での中継を見ることができませんでしたので、きょうはインターネットの録画で見ました。

 注目したことの1つは、新政権の様々な動きをどう見るかです。官僚の国会答弁禁止が打ち出された時に、これで行政のチェックがちゃんとできるのかと疑問を感じました。志位委員長が国会権能の弱体化につながると批判したのは当然です。マニフェストをどう具体化していくかについても、国民の声を聞いていく、国会で審議を尽くすことの重要性が強調されていました。いま、上越市は市長選直前です。マニフェストについての言及は新市長への対応をどうすべきかを考えるうえでも参考になる指摘でした。この他、衆院選の総括で、持てる力を十分発揮したかとの分析と同時に「党の自力」そのものにもふれていることなどにも注目しました。

 お昼前からは草刈りです。しばらく牛舎周辺の草刈りをしてこなかったので、いつか時間をつくってやらなければと気にしていました。きょうは天気もよく、会議もなかったので思い切って草刈り機を出して頑張りました。約2時間、草刈りをしたら、すっきりしました。終わってまもなく、市長選の予定候補の一人の方がわざわざわが牛舎脇を通りました。私が何をしているか、様子を見にこられたのでしょう。それにしても、体を動かす仕事はいいですね。自分のやった仕事、がんばりをちゃんと確認できますから。

 

2009年10月21日

コトコト喜ぶ

 18日付「しんぶん赤旗」日刊紙の「読者の広場」に上越市在住の柳川月さんの投稿が掲載されています。「幸せを導いた『潮流』に感謝」というタイトルがついた文章です。そこでは、赤旗一面のコラム、「潮流」(9月20日付)に月さんが詠まれた短歌が紹介されたこと、及び掲載後の読者の反響に感動したことが書かれているのですが、文中に「一人コトコト喜びました」というのがありました。

 「コトコト」というのは軽く物をたたいたとき、または軽い物が触れ合うときの音を表す語で「風が吹いて戸がことことと鳴る」等といった使い方をします。今回、月さんの文章で初めて「コトコト喜ぶ」という使い方を見ました。おそらく、月さんのことですから、ご自身の短歌が「潮流」に紹介されたのを見て、体をキュッと引き締め、手を叩いて喜ばれたのではないかと思います。「一人コトコト喜びました」からはその時の様子が目に浮かびます。

 月さんは毎月、「ざ、むーん」という通信を発行されていて、わが家にも郵送されてきています。随想、短歌、行動記録などが満載された通信です。そこでも、言葉の使い方は正確かつ丁寧ですので、今度お会いした時は、「コトコト喜ぶ」をどんなお気持で使われたか、ひと声掛けて確かめてみようと思います。

宝物が次々と

 たまには片づけ仕事もいいものです。中越沖地震でバラバラになった本や資料は段ボールに入れるか、本棚にかさねておいのですが、昨日から時間をつくって片づけを始めました。昨日は2時間、きょうは3時間ほど集中してやりました。うれしかったのは、30数年前の資料や写真がいくつも見つかったことです。

 まず、吉川町酪農組合の資料です。1977年(昭和52年)の11月11日に取り組んだ30周年記念大会の資料(画像)が牧草のパンフレットの中からぱらりと落ちました。大会の次第や吉川での酪農の歩み、1957年(昭和32年)から1976年(昭和51年)までの組合員数と乳牛の飼養頭数、表彰者名簿などが書かれていました。当日は私も参加していたのですが、資料を改めて読んで、びっくりすることだらけでした。1947年に北海道から11頭の乳牛を導入し、翌年には直江津駅前の山崎屋(いまのハイマートかな?)に売ったとあります。いまは吉川区に酪農家は2人だけですが、1962年(昭和37年)には何と80人もいたのです。大会では記念講演の講師として茨城県協和町の鈴木茂さんに来ていただきました。鈴木さんは私から要請したのですが、この講演を聴いてから、酪農仲間の飼養管理方法は二本立て給与法にかわったのでした。

 歌集も出てきました。これは柏崎市や小国町などの青年たちが吉川区の長峰池近くでキャンプをやった時のものです。1974年とありますから、昭和49年のことです。8月17日から18日にキャンプをやり、火も燃やし、歌声を響かせたことを記憶しています。キャンプ場付近はいま、柿崎区の住宅地になっています。歌集のトップに載っていたのは「戦車は動けない」です。歌詞のほとんどは忘れたものの、「戦争は通さない、戦車は動けない」という繰り返しの部分だけはよく憶えています。この歌集はガリ版刷りですが、よく見たら、見覚えのある字体です。これは私の妻が書いたものでした。

 そしてもうひとつ、新潟市古町13番町の紙芝居屋さん、西村徳治さん(故人)宅を訪ねた時の写真(歌集も一緒です)が出てきました。私は学生時代の3年間、西村さん宅の離れで暮らしていたのですが、卒業後も時々訪ね、お世話になってきました。写真はおそらく、妻が作成した絵本、「おとうさんのしごと」を紙芝居にしていただいた頃、おじゃした時のものだと思います。まだ、私の体重は58キロ、青年団では駅伝のランナーでした。シンジラレナイ。

 こうした資料や写真は私にとって宝物です。今度はきちんと保存して、大切にしたいと思います。

2009年11月05日

思わぬ展開

 中村睦男さんの葬儀が本日の午前、自宅にてしめやかに行われました。まだ62歳という若さです。大賀出身の人や同級生、友人、民生児童委員の仲間のみなさんなどが大勢参列、深い悲しみに包まれて葬儀が進められました。

 参列者が焼香を終え、弔辞も終わって次に進んだ瞬間、私の前方にいた参列者のひとりの方が軽く手をあげて、「弔辞、一個お願いしたいんですが」と司会者に申し出ました。式場は一瞬、何事が起きたのかと緊張した雰囲気になりました。司会者は落ち着いて声の主のところまで行くと、まず、「すいません、何も聞いてなかったもので…」と謝り、続けて、「では、弔電披露の後にお願いします」と言いました。私は突然の申し出をめぐってもめることなく進められたことにホッとするとともに、正直言って、どんな弔辞になるのかちょっぴり心配になりました。
 
 弔電披露が終わってから弔辞を読んだのは長野県警のWさん。心配は無用でした。ゆっくりと中村さんの遺影の前に進むと、それだけで感無量だったのでしょう。「中村さん、私があなたに初めてお会いしたのは〇〇事件の時でしたね」と震える声で語り始めました。Wさんは、最初に、長野県内で発生したある事件の応援に入った千葉県警在職中の中村さんの様子を紹介しました。敏腕刑事として評価の高かった中村さんなどの活躍により、その事件は1週間で犯人を逮捕でき解決したのですが、捜査が終わった段階で、中村さんはお連れ合いの手料理を持って捜査メンバーを慰労したということでした。それに感激して、Wさんと中村さんの交際が始まります。10数年前、父親を亡くした中村さんは帰郷を決意したのですが、そのとき、中村さんは「おれ、今度、かあちゃん面倒みるので故郷に帰ることにしたんだ」とWさんに言ったことも明らかにしました。そして、故郷に戻ってからの中村さんの数々の活躍、サルナシワインの製造のこと、大賀米(おおがまい)生産で頑張ったことなどをたたえました。

 Wさんの、いくつものエピソードを交えた弔辞が終わった瞬間、ひとりの参列者がヒザをたたいていました。それほど心を打つものだったからです。「ありがとう」という女性の声も聞こえてきました。これは、おそらく中村さんのお母さんの声だったのでしょう。きょうの葬儀の司会者は農協の20代の青年でした。葬儀で思わぬ展開となっても慌てず、瞬時に的確な対応をした能力はたいしたものです。お蔭で、私も温かい気持ちにひたりながら中村さんに別れを告げることができました。

2009年11月06日

しばらく、薬を毎日飲むはめに

 先月24日から続いた腹痛、発熱、下痢が昨日になってようやく収まりました。きょうは午後から、10日ほど前に行った精密検査の結果を聞きに市内の医院に出かけてきました。

 新潟がんセンター病院で検査してもらったのは胃。鼻から入れた胃カメラには赤く腫れたところも写っていましたが、これは「がん」ではないとのことでした。ただ、ピロリ菌がかなりありそうだというので新たな検査を行いました。また、きょうのレントゲン検査で先日のものとは別の胆石があることが判明し、胆石の治療を開始することになりました。薬局から出された薬は3種類、ひとつは朝夕2回、あとのふたつは毎食後服用です。いよいよ、私も薬なしではいられない生活の第一段階に突入したようです。

 それにしても不思議だなぁ。正露丸を飲もうが整腸剤を飲もうがまったく効かず、5日間も続いた下痢が、久々に購入した発泡酒を飲んでまもなくしてぴたっと収まるなんて。一体全体、私の体はどういうつくりになっているのか。

2009年11月09日

ヤギさんの行き先決まる

 中村さんの葬儀の日、気になったことがひとつありました。中村さんが飼っていたヤギさんのことです。とても元気がなかったのです。動物は長年飼っていると、飼い主の声、飼い主の所有する車の音を瞬時に見分ける力を持ちます。おそらく、重大なこと、それもよくないことが起きたことを察知していたのでしょう。

 そのヤギさんについて、先日、中村さんのお連れ合いから相談を受けました。どこかで飼ってくださる方をさがしてほしい、というのです。ヤギさんの年齢は推定で12歳くらい、高令です。もう乳を搾れる年齢ではありません。どこかの学校で子どもたちと遊ぶ年齢でもない。エサ代を出してもいいから、飼って命を全うさせてやってほしい。そういう願いでした。

 吉川区総合事務所にこの件で相談したところ、動いてくれました。そして、きょう、見通しがついたとの連絡が入りました。これで一安心です。この次の土曜日、もし、まだいるようだったら、ヤギさんの頭をなでてサヨナラをしてこようと思います。

2009年11月15日

腹痛の原因判明

 おはようございます。日記を書かずにいたら、心配して電話をくださる方もありました。申し訳ございませんでした。

 昨日は朝早くから新聞配達、医院での大腸検査、再び新聞配達、そして最後は党頸城支部の会議に出席して夜9時半頃帰宅しました。かなり疲れ、おかゆを食べたらすぐに寝てしまいました。大腸検査ですが、肛門から1メートル以上入った所でかなり大きな潰瘍が2か所見つかりました。医師のお話では、これが厳しい腹痛の原因だそうです。写真で見ると、赤くなって傷んでいました。潰瘍が悪性のものかどうかは10日後に判明します。また、ポリープが1個見つかり、切除してもらいました。一昨日の夜から何も食べずにいたら、昨晩のおかゆはとても美味しかったです。

 昨日の夕方、中村睦男さんが飼っていたヤギさんにあってきました。引き取り手の方では、お連れ合いが希望した、エサ代などお金を払ってもいいからずっと飼っていてほしい、という条件は飲めないということでした。お連れ合いは、ヤギさんをどうするかの最終的な判断を20日までにしたいと語っておられました。気のせいかヤギさんは元気がなかったです(画像)

 きょうもこれから残りの新聞配達をして医院に向かいます。術後(ポリープ切除)の状態確認をしてくださるのだそうです。

術後は良好です

 きょうもお医者さんのところで治療をしてもらいました。昨日、大腸内でポリープを切除したので、その後の経過をレントゲンなどで診てもらいました。治療としては、出血止めの点滴があっただけでした。お陰様でたいした出血もなく、通じもあり、オナラも出ました。当面、食事はおかゆがいいでしょうとのアドバイスだったのですが、うどんなどの柔らかいものもだめですかと訊いたところ、それはオーケーですとのお許しがありましたので、午後1時過ぎにうどんの大盛を食べました。とにかく、お腹がすいてどうにもならなかったのです。昨日はアルコールもお風呂も禁止でしたので、帰りに温泉にも入ってきました。

2009年11月17日

軍太郎節に脱帽

 ㈱ナルス社長の山崎軍太郎さんの講演を初めて聴きました。演題は『健康長寿万歳!』。

 「100歳以上の人、いまの日本にどれくらいいると思いますか。1万人?2万人?3万人?4万400人もいるんです」。聴衆と一体感をつくって話を進めます。「ナルスの商品は鮮度が勝負なんです。店員は清潔感があって、若々しくなければなりません。髪が白くなった人には黒く染めてもらっています。だから、店員はみな、髪は黒ぐろ。髪が少ない人は?これはしょうがありません、そのまま…。年をとっても元気な人には働いてもらっています。70代の人もいますよ。私はいつも人生は七掛けだと言っていますが、七七四十九、70歳の人は49歳の気持ちでがんばってもらいます。49歳ですから背筋をすっと伸ばして、まだ生理もあるという気持ちで仕事をしてもらう…」「健康維持のための食事についてはみなさんの方がよく知っておいでですから、きょうは体操の話をしましょう。私は時間がある時にはスクワットをやっています。年をとると足腰がまず弱くなりますから、足腰の運動が大事。背を伸ばして、屈伸運動です。これはゆっくりとやった方がいい。手はちょっとおっぱいをもむ感じでこんなふうにやります」。

 1時間ちょっとの話でしたが、最初から最後まで笑いっぱなしでした。とにかく面白くて楽しくてエッチ。それだけなら芸人ですが、そのほかに新鮮で、なるほどと思わせる大事な情報が入っています。だから、聴衆はどんどん引き込まれていきます。上越にはすごい人がいるものだと思いました。

2009年11月21日

Yさんのふじ、今年も抜群の味

 須坂市の友人Yさんからりんごを持ってきてもらいました。Yさんのふじりんごはいつもたっぷりと蜜が入っていて、しかも甘味とすっぱ味のバランスが絶妙なので、一度食べると忘れることはできません。そんなわけで、もう30数年の付き合いをさせてもらっています。

 Yさんは、きょうは久しぶりにお連れ合いと一緒でした。お連れ合いは数年前に病気のため仕事も家事もできなくなったと聞いていたのですが、かなり回復して元気になられました。笑顔を取り戻し、まだ、外仕事に復帰とはいかないが家事は大丈夫とか。安心しました。

 きょうは悪天候でした。時折、激しい雨風となり、雹(ひょう)も混じりました。昨日、ほとんど配達できなかった「しんぶん赤旗」日曜版を配達したのですが、アノラックを着込んでの配達となりました。これからの活動は寒さとのたたかいもしなければならなくなります。

 

2009年11月24日

最新情報

 本日、議会運営委員会が開催され、12月議会の日程が決まりました。また、一般会計補正予算等の内容も明らかにされましたのでお知らせします。

 12月議会の会期は12月2日から17日までの16日間。初日は提案理由の説明、総括質疑などが行われます。注目された新市長の所信表明は先日の臨時議会での挨拶程度のものとなりそうです。一般質問は9日から5日間の予定です。9月議会と違って、新市長への質問は多数になるものと思われます。

 一般会計補正予算でどうなるか注目していた新型インフルエンザ対策ですが、子育て家庭の経済的負担の軽減を目的に、補正予算が組まれました。具体的には妊婦、1歳未満の小児の保護者、1歳から小学校6年生までの児童(約2万9200人)を対象に、ワクチン接種1回目1800円、2回目1200円の助成をすることが盛り込まれました。私たち議員団が申し入れていた水準まではいきませんでしたが、これまでより一歩前進です。

 議会会派の再編がさらに進みました。前回のお知らせで2人になったとお知らせした市政クラブと新緑の会が解散し、新たに「市民ネット改革」が誕生しました。代表は吉田なおし議員、副代表は毘風から離脱した水澤弘行議員、幹事長に小林克美議員、そのほか中川幹太議員、石平春彦議員、滝沢一成議員が参加しています。このほか近藤彰治議員が市民クラブから離脱するという情報も入ってきました。同議員が今後、どうするかはまだ情報が入っていません。

 最後に私自身のことについて。午前中、医者の所へ行き、大腸の最終検査結果を聞いてきました。結果は「悪性ではない潰瘍」ということで、当面、薬による治療を続けることになりました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。今後は体調を考えながら頑張っていきたいと思います。

2009年11月28日

知らないところで『春よ来い』が…

 月末です。昨日、きょうと「しんぶん赤旗」の配達、集金などで大忙しでした。でも、うれしいことがありました。二人の人から、私の書いている『春よ来い』についての情報を教えていただいたのです。

 そのうちの一人はJAえちご上越の職員さん。お連れ合いが図書館で私の『春よ来い』を見つけ、気に入ってくださったというのです。子ども時代の懐かしい風景を思い出し、人としてのやさしさを考えるようになったと、思わぬ言葉を寄せていただきました。この職員さんもお連れ合いに薦められて本を読んでくださったということです。

 いま一人は私の後援会員さん。お母さんが入所している福祉施設に行ったところ、掲示板に見たことがあるものが貼ってあったというのです。それはシリーズ『春よ来い』の109回、「つるし柿」でした。見やすいように拡大コピーして大きな文字になっていたそうです。どなたが貼ってくださったのかわかりませんが、こんなふうにして読んでくださる方がいるなんてうれしい。

 JAえちご上越の職員さんは吉川区以外に住む方です。後援会員さんが訪ねた福祉施設も吉川区以外の施設です。私が知らないところで『春よ来い』が読まれていることを知り、新刊の準備の方もしっかりとやらなければと思いました。

2009年11月30日

ケーブルテレビ問題などで地域協議会

 吉川区地域協議会の傍聴に出かけました。市内の地域協議会は10月から合併前上越市の区域でも設置され、地域協議会に対する関心が高まりつつありますが、会議室に入ってびっくりしました。直江津区と大潟区の地域協議会委員の4人の方が来ておられたからです。みなさん、新聞記者並みにメモをとっての傍聴です(画像)。なかなか意欲的ですね。

 今晩の地域協議会での議論の中心はケーブルテレビ問題です。平成23年7月の地上アナログ放送の終了に伴い、よしかわ2チャンネルのデジタル化に向け、来年度中に改修工事を計画していますが、吉川ケーブルテレビ事業の運営やサービス提供のあり方等を検討するためアンケート調査をすることになりました。

 アンケート(案)をめぐり、「1軒に1枚しか用紙を配布しないのなら、家族で話し合って記入してほしいと書いたらどうか」「告知端末の寿命がきている。そのことがアンケートに反映されていないのではないか」「民意を把握するためのアンケートであるべきだ」等の声が相次ぎました。アンケートは利用の実態を把握するのが目的だとの総合事務所の説明でしたが、今後、ケーブルテレビをめぐって開かれる予定の行政懇談会ではたくさんの意見が出そうな気がしました。

 防災無線についても報告がありました。市では、全市共通の防災無線を昨年度から4年がかりで整備しているところですが、吉川区では今年度と来年度に緊急情報の内容と伝達方法の充実に向けた整備が行われます。

 情報内容の充実という点では、これまでの区からの緊急放送に加え、市役所本庁や消防庁が発表する「緊急地震速報」などの緊急情報をケーブルテレビの告知端末で伝えます。伝達方法も充実されることになりました。これは来年度になりますが、区内19か所で屋外スピーカーが設置されます。また、ケーブルテレビの告知端末がない世帯や事業所を対象に戸別受信機が貸与されることになりました。

 夜遅く家に戻ったら、素敵なお便りが2通届いていました(画像)。ひとつは紅葉した桜の木の写真を貼ったハガキ、いまひとつは錦秋の米山と思われる絵が描かれたハガキです。発信者はいずれも吉川区出身で関東在住の女性です。東京吉川会などでお会いし、時々、お便りをくださる方たちですが、いつも励まされています。それにしてもお二人のハガキが同時に着くのは初めてです。偶然でしょうが、うれしい、うれしい。

2009年12月03日

中性脂肪が高い

 情けない。また忘れ物です。いつも家に持ち帰る取材ノートを議員控室に忘れてきてしまいました。きょうから常任委員会が始まったのですが、きょうの文教経済常任委員会審議の模様は後日お知らせします。

 きょうは半日人間ドックの日でした。午後から医師会館へ行きました。すでに胃カメラ検査、大腸内視鏡検査をしてもらってありますので、いくつかを省略しての検査となりました。体重は前年同様70キロ台後半を維持?しています。視力はまた落ちました。きょうの検査で一番問題となったのは中性脂肪の高さです。昨晩、宴会があったわけでもないのに、350を超える異常値を示していました。夕食の乱れなどが影響していると指摘されました。

2009年12月06日

還暦祝賀忘年会

 昨晩、高校時代の同期会に参加してきました。市内仲町6丁目の同期生のIさん宅をお借りして20人ほどが集まって、楽しいひと時を過ごしました。Iさん宅は明治初期に建てられた建物とかで、屋根のこば、黒い梁などが見えます。割烹などを使うのもいいですが、こういう会場もいいもんです。ほんとにいい雰囲気の中での会になりました。Iさん、ありがとう。

 参加者の近況報告を聴いて、親思いの人、気持が優しい人が多いなと感じました。自分の親が要介護になったので、故郷に帰ってきたという人が何人もいたのです。なかには、自分だけ上越に戻り、お連れ合いと子どもさんは関東の方に残して生活しているという人もいました。障害者の職探しに手を貸してと訴えている人もいました。この人によると、障害者手帳がもらえない人でいろんな障害を持っている人も職がなくてたいへんだということです。

 同期生は同じころに生まれ、一緒に成長し、同じように老けていきます。気持の通じることがいっぱいあります。Sさんは信越線に乗って長野県のある町に通っている人ですが、「電車の窓から毎日、南葉山とか大毛無山、妙高山などを見ているんだけど、あきないんだよね」と言っていました。わかる、わかる。約40年ぶりに再会した人もいました。そのMさんはいま絵を描き、合唱もやっていて、とても輝いています。Mさんは「数学の時間に鼻歌歌っていたら、橋爪君に睨まれた」という思い出を語ってくれました。

 昨晩の唯一の失敗はアルコール類を普通に飲んでしまったこと。「アルコールは乾杯の時だけにして、あとはウーロン茶で」という予定でしたが、やはりアルコール類に手を出してしまいました。今朝になったら、お腹にちょっぴり痛みが……。

2009年12月16日

160円の万年筆を購入して

 市役所の地下に生協の売店があります。そこへボールペンを買いに行ったところ、おもしろいものを見つけました。万年筆です。それも1本160円という安さ。あまりにも安いので、「オモチャじゃないよね」と店員さんに確かめて1本購入してきました。

 万年筆は中学時代、欲しくてたまらず祖父に買ってくれと頼んだことがあります。「そんな高価なもん、買ってなにするがだ」と怒られた記憶があります。最後はパイロットの一番安いものを買ってもらったのですが、その万年筆の書きごこちの良さとインクの匂いはいまでも忘れられません。

 いつの間にかまったく使わなくなった万年筆ですが、きょう、衝動買いしたら、何か書いてみたくなりました。返信すべきハガキを2枚書いて、それから、調子に乗って似顔絵を久しぶりに描いてみました。先日、中野さなえさんにほめてもらったおかげで、描く意欲が少しでてきたのです。似顔絵のその1(画像)、その2(画像)、その3(画像)、いずれも現職の市議です。さて、誰かな。

 きょうは市政レポートを作成し、いよいよ、「集落再生」の原稿書きの準備に入りました。もう1日、構想を練って、その後は一気に書きまくる、といきたいね。

2009年12月18日

『お米は生きている』は必読文献

 すごく荒れた天気となりました。ブルも初めてやってきました。わが家と市役所の間を往復した際、田んぼに落ちたり、歩道のブロックに乗り上げたりした車が5台もありました。路面に雪がある時はいつもそうですが、急ブレーキは禁物です。スピードを落とし、40キロくらいの速さで走るよう努めていますが、どうしても雪がない時の感覚で走りがちですね。お互い気をつけましょう。

 市役所では小論を書く準備作業です。じつは、昨日までの段階で考えていた構想は一晩寝て読み直したところ、納得できなくなり、もう一度組み立てなおすことにしました。原稿もそうですが、一晩寝るだけで構想が違って見える。それまで気づいていなかったことにも気づくことがあります。不思議なものです。書こうとするテーマは変わらないのだけれど、集めた資料も見直し、構想を練り直すことにしました。おかげでいまもって、原稿は一行も書けないでいます。

 夜は気分転換も兼ねて富山和子の『お米は生きている』(講談社)を読み始めました。話題となった書き出し、「わたしたち日本人はお米と大のなかよしです」から始まって、「お米はまた、すがたをかえて、いつもわたしたちといっしょです」とやる。流れが自然です。忙しいのに、おもしろくてどんどん読み進めてしまいました。

 最終章のなかで著者は言います。「じぶんたちの食糧は、できるだけじぶんの国で責任をもつ」ことは「地球を守るうえでのエチケット」。「ゆたかな土をうしなったり、農業のにない手をうしなったとき、文明はその地から、すがたを消したのです」。読みながら、先月清里区でお会いした小山文男さんの言葉を思い出しました。主張がほぼ同じだからです。この本は大人も子どもも必読文献だという気がしてきました。

2009年12月20日

新潟市の「北光社」が閉鎖へ

 朝、新潟日報を読んで、思わず「ええっ」と声を出してしまいました。一面のトップに古町にある本屋さん、「北光社」が経営難から来年1月で閉じるという記事が掲載されていたからです。ショックでしたね。「北光社」は「第一書店」、「文信堂」と並んで私の学生時代の大切な本屋さんでした。毎日のように顔を出し、棚の本を端から端まで目で追ったものです。特に文庫本、新書はここでよく買いました。今回の閉鎖は、私にとって、営所通りにあった第一書店に続くもの、青春時代の思い出の空間がまたひとつ消えてしまいます。

 今回の報道で思ったのは本屋さんとの付き合いです。現在は仕事場のひとつである市役所に近い本屋さんを一番使っていますが、自己形成に深くかかわってきた本屋さんはもっと大切にしなければいけないなと感じました。私が高校時代に通い続けた、高田の本町4丁目にある「春陽館」もそういう本屋さんのひとつです。岩波書店の本が充実しているので、いまも時々訪れてはいるのですが、市役所から遠いのでご無沙汰しがちです。でも、考えてみれば、ここは昔も今も高田本町街の文化の砦です。市役所には配達もしておられるようなのでもっと利用するように心がけたいと思います。

 さて、雪の方ですが、予想通りたくさん降りました。積雪はわが家の牛舎周辺で55センチとなりました。今朝は6時過ぎに起床。明るくなるのを待って小型除雪機を動かし、除雪作業を1時間半以上やりました。55センチというのは、わが家の23馬力の除雪機で一度に飛ばすにはぎりぎりの積雪です。高速(除雪機の走行スピード)の1速か低速の3速で作業をしたのですが、昨日よりは雪は軽く、遠くに飛ばすことができました。朝食後、昨日行けなかった地域へ「しんぶん赤旗」日曜版を配達しました。雪が多く、道も狭いので、仲間から手伝ってもらいましたが、それでも約3時間かかりました。

2009年12月22日

携帯電話を忘れて

 きょうは寒さがきつく、道路が危険状態と判断し、いつもよりも20分も早く家を出ました。急いで出たら、携帯電話を持参するのを忘れてしまいました。こういう時に限って市民から急ぎの相談があります。締め切りが迫った原稿書きの仕事をしはじめましたが落ち着きません。夕方まで市役所で頑張る予定を変更して、午後3時過ぎには吉川区に戻りました。

 家ですぐに携帯電話を確認したところ、不在扱いとなった電話が4件もあり、家の電話にも留守電が記録されていました。実は朝から、私を探していた人がいたのです。それも、私と相談したくて会社を休んでいたのです。申し訳ないことをしました。昔は携帯電話なしで活動できましたが、いまは、これを忘れただけでも迷惑がかかります。これからは気をつけないと。

 毎年、年末には切羽詰まった相談が寄せられます。きょうの相談は違いましたが、たいがいは仕事と借金返済の相談です。今年もあと1週間余り。相談はいくらあってもかまいません。ただ、私の力で解決できるレベルのものであってほしいと思います。

2009年12月23日

「風が強く吹くと、飛びにくいですよね」とコメントが…

 ブログというのは書いた当日、あるいは翌日がもっとも読まれ、あとは数日分か、1週間分ほどまとめて読まれることが多いものと思っています。なかにはキーワード検索してある人のブログのある日の日記に出合う、という人もいるようですが。

 昨晩、コメントを寄せてくださった方もそういう一人なのでしょう、10月4日に書いた「秋晴れのなかでパラ・ハング競技」という文章にたいして「風が強く吹くと、飛びにくいですよね!」という短文のコメントを寄せてくださいました。文面から推測すると、パラかなんかで空を飛んでいる人のような気がします。ひょっとすると、私も空を飛ぶ仲間としてみてくださったのかも。だとするならば、うれしい。

 コメントをいただいたおかげで他のブログとの出合いにつながることもあります。19日の匿名さんのコメントがそうでした。出合ったブログ、「軽薄短笑~新潟県上越・妙高発~」は私が持っていない視点からも書かれていてとても新鮮でした。12月13日の「鵜の浜温泉と吉川区のイルミネーション」などは、地元の人間でも知らないことが書かれていました。すごいなぁ。

2009年12月26日

足跡

 雪が降ると雪の上の様々な足跡が目に入ります。きょう、山間部で市政レポートを配布していたときのことでした。たくさんのウサギの足跡があり、その近くに、直径10センチくらいはあるでしょうか、ウサギよりもかなり大きい動物の足跡(画像)を見つけました。雪国で育った私が雪上で初めてみる足跡でした。ひょっとするとカモシカ? でも、これは違う。なんだろう。

 山間部では、かんじきなどで踏み固められた雪道を歩かないとたどり着かない家が何軒もあります。そのうちの1軒は、除雪された道路から約150メートル離れたところにあります。誰かは分かりませんが、一人だけ歩いた足跡が残っていました。雪の中にうまらないようにと、その足跡を頼りにゆっくりと歩きました。先に歩いた人がつくった雪道をあとから歩く。この有難さは歩いてみないと分かりません。助かりました。

 前の冬には人の足跡があったのに、この冬はまったく人の足跡が見られない家が何軒かありました。1軒はSさん宅です。冬の暮らしを心配して、娘さんがSさんを関東の自分の家に連れて行ったとか。市政レポートを届けると、いつも、「申し訳ないね。おら、この新聞、楽しみにしているがど」と言って笑顔を見せてくれるSさんでしたが、家の近くにはウサギの足跡しかありませんでした(画像)。どうしているかなぁー。

2009年12月27日

原稿書きに集中

 400字詰原稿用紙で13枚分。きょうになって書いた原稿です。これまで集めておいた集落連携についての資料を基に書きました。午前に2つの生活相談をやりました。夜は「ゆったりの郷」の温泉につかり、その後、韓国のドラマ、イ・サンを観て、そのほかの時間でこれだけの長さの文章を書いたのですから、まあ、頑張った方です。残りはあと800字くらい。無理をせず、明日の朝に書いて、全体の文章をチェックしたいと思っています。

 きょうは大島区に住む従兄からこのブログにたいしてコメントを寄せてもらいました。市役所を退職してからは、自宅ではインターネットを見れないということでしたが、同区でブロードバンドが整備されて自宅でもインターネットができるようになったのでしょう。ひょっとすると、お連れ合いと一緒にコタツの上で、「おい、法がこんなこと書いているでや」なんてやっているのかも知れません。うれしいね。初コメントを寄せてくれた従兄に感謝の気持ちを込めて1枚の写真(画像)を掲載します。

2009年12月29日

「しんぶん赤旗」の配達・集金でフル回転

 朝から夕方まで「しんぶん赤旗」の配達と集金でした。例年、この時期は1週間ほどかけて集金作業をやっていますが、今年は論文執筆などの仕事があったこともあり、あまり進んでいません。関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしてすみません。この調子だと31日、午前くらいまではかかるかもしれません。きょうは天気予報とは違い、午後から晴れました。米山(画像)、尾神岳(画像)がきれいでしたね。

 昨日のブログに論文執筆がどうなったかを書かないでいたら、ある人から「執筆の方は無事終わったのか」ときかれました。ブログを毎日のように読んでいて下さる方は、「前の書き込みとの連続性」のなかで読んでいて下さるんですね。とてもうれしく思います。おかげさまで論文の方は無事提出できました。編集にあたっている徳島大学の中嶋信先生からはすでに着信の連絡が入っています。これで一安心です。

 一昨日のブログに母の兄弟などの集合写真を載せたところ、習志野市に住む従弟から、左側の方の二人が欠けているとの指摘がありました。じつはわが家にあった写真は保存状態が悪く、左側の二人のところはボロボロ状態だったのです。それでトリミングして掲載したというわけです。きょう、従弟から完全保存された写真を送ってもらいましたので、写真を入れ替えました。これで、写真には東京大空襲で亡くなったアヤノ伯母さんをのぞくキョウダイ全員がそろいました。

 今晩から市政レポート1月3日号の作成にかかりました。すでに「しんぶん赤旗」日曜版の合併号は配布が終わったので、作成しても一般紙に折り込むことになるのですが、それでも作成するのは休みたくないからです。不思議なことに1回でも休むと、そのあとの号の作成がいやになってしまうのです。来年も順調に作成を続けることができれば、再来年の6月には市政レポートは1500号に到達します。

2009年12月31日

ウシからトラへ

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 ※写真は吉川区在住の江村康成さんがチェンソーで制作したウシとトラです。

 一年の最後の日。今年もあと数時間になりました。雪の降り方がひどくなったので新聞代の集金を途中であきらめて帰ってきたら、なんと二人の読者の方がわざわざお金を持ってきて下さいました。本当に申し訳ない。心から感謝します。

 今年は次男の結婚というめでたいことがありました。自分の子どもが独り立ちし、所帯を持つというのはさみしいけれども、親としてホッとします。この調子で残りの子どもたちも自立してくれれば最高ですが、いつになることか。早くその時がやってくることをじっと待っているしかありません。

 今年は悲しい別れが続きました。4月に父が急性呼吸不全で旅立ち、5月には分家のお父さんとお母さんが農作業事故で二人揃って亡くなりました。さらに7月には原之町の親戚のお父さんが病気で亡くなりました。このほか、何人もの大事な友人、後援会員とも別れなければなりませんでした。みんな、私のこれまでの人生でお世話になった人たちばかりです。残念でなりません。

 きょうは秋に亡くなった友人、中村睦男さんのお連れ合いのA子さんがわが家にみえました。誰かにヤギさんを預かってもらいたいと言っていた方です。最終的にはA子さんが飼うことになったのですが、私の留守に小さな手紙が置いてありました。「(前略)また主人のこともとても気遣って下さりありがとうございました。主人の無念の死を思い、歌を詠みました。ただ一人 死と向かい合い何を思うか 若き命 あきらめざらんや」。手紙の下の方には、「お父さん!淋しかったね。ごめんね。旅立ちて知る苦悩の深さよ!」とも書いてありました。急に切ない別れを思い出し、涙がこぼれてしまいました。

 遅くなりました。この「ホーセの見てある記」を読み続けてくださいましたみなさん、1年間ありがとうございました。もう数時間でウシからトラへと替わります。来年もどうぞよろしくお願いします。
 

2010年01月01日

新年を迎えて

 新しい年になりました。喪中のため、町内会などの年始会には参加せず、なるべく静かにしています。きょうは、妻と一緒に市内の銭湯に行き、その後、妻の実家を訪れました。

 夜になって、平良木議員がまとめてくれた12月議会報告のファイルのチェックをしようとしたのですが、ファイルが開きません。それで4時間ほどかけて、オフイス2007のアンインストール、インストール、ウィンドゥズのアップデイトを行いました。途中で1回だけ開けたものの、その後はまた開けなくなりました。困ったものです。

 さて、新年。私の一番の願いは参院選で日本共産党が躍進してくれることです。大いに頑張りたいと思います。また、議員団としては議案提案権を行使して、市民の暮らしを守る先頭をいきたい。どうかご支援のほどよろしくお願いします。

 新年になりましたので、年末に作成した市政レポート1430号、ならびに「春よ来い」の第111回・「三十数年ぶりの弁当」を掲載しました。ご笑覧ください。

2010年01月02日

ホームページビルダー10をインストール

 正月は2日目。午前中はお客さんがまったくなく、ホームページソフトのバージョンアップをしました。私のホームページ、「小さな町の幸せ通信」は吉川町議時代の2002年の5月にホームページビルダー6.5を使い立ち上げたものです。まあ、立ち上げたというより、自己流で作成し、試しに送信したものがそのまま私のホームページになってしまった、と言った方がいいでしょう。

 以来、ビルダーのバージョンは6.5のまま。ホームページビルダーはすでに14まで進化していますが、きょうは何年か前に買っておいたホームページビルダー10にバージョンアップしました。インストールしたついでに、トップページの写真をスライドショーで見てもらえるようにしました。まだ写真の位置を固定できていないので、パソコンによってはとんでもない位置に行っているものがあるかも知れません。試しながら、少しずつ「新しい機能」を使ってみようと思います。

 きょうは昼過ぎに次男夫婦が帰省しました。誰よりも楽しみにしていたのは母です。赤飯を炊き、サケの昆布巻き、煮豆、サトイモとクワイの煮物、白菜の漬物などをたくさん用意し、「さあ、食べろや」とやっていました。ふたりが「美味しい」という言葉を発するたびに母は大喜びです。次男が嫁さんの家に行く時間になると、今度は、自分が作った赤飯や漬物などをパックに入れて持たせました。きょうは母にとって最高の日でした(画像)

2010年01月04日

電車の中はいい仕事場だ

 きょうの新潟行きは快速くびき野号を利用しました。柿崎駅から新潟まで1時間45分です。特急よりも10分ほど多くかかるだけなのに、料金は普通料金ですみます。それだけでもありがたいのですが、特急並みに前の座席の裏に附いているミニテーブルを利用できるので、これもありがたい。

 快速くびき野号に乗った時、たいがいはコーヒーまたはお茶を飲みながら読書をします。きょうは、今春発行予定の随想集の構想を練るために、これまで書きためた原稿を読みながら、整理する仕事をやりました(画像)。じつは、これは正月の三が日にやっておきたかったのですが、なかなか頭が回転せず、進みませんでした。それが、電車の中だと頭が回転し始めるから不思議です。ようやく先が見えてきました。

 きょうは新潟に行ったついでに古町十字路付近で動き回りました。行った場所のひとつは北光社です(画像は同社の2階から古町通りを撮ったもの)。今月いっぱいで閉店するというので、店内をぐるりとひと回りしてきました。この店の特徴の一つは、作者別に文庫本を並べていること。きょうは芥川比呂志の『ハムレット役者』(講談社学芸文庫)と田口ランディの『できればムカつかずに生きたい』(新潮文庫)を記念に買い求めました。これが北光社での最後の買い物です。

2010年01月07日

小池友弥さん、頑張って!

 高田農業高校3年生の小池友弥さんが大相撲の新弟子検査に合格したことを知り、うれしくなりました。友弥さんは柿崎区馬正面の出身で、私の知っている人だったからです。私と小池さん宅との付き合いは、友弥さんの祖父にあたる直英さん(故人)の代からはじまり、現在も続いています。友弥さんは体の大きい好青年ですが、大相撲の力士をめざしているというのは初めて知りました。

 この話を妻にしたところ、妻も友弥さんを知っているというのでびっくりしました。昨年、高速バスの柿崎停留所で30分近くも彼と話をしたというのです。その日は国体の反省会があった日とかで、たまたまバスが大幅に遅れたことから話ができたそうですが、妻も「挨拶がきちんとできる感じのいい高校生だった」と言います。ぜひ郷土の力士として頑張ってほしいですね。

 きょうも昨日に続いて大量のビラ印刷をしました。昨日と違って、すでに片面を刷った紙を印刷前に整える作業もありましたので、本を読む暇はほとんどありませんでした。ひたすら印刷して3時間、そして印刷したものを整え梱包するのに40分ほどかかりました。

2010年01月11日

寒中見舞い状

 気になっていたことをやっと始めました。ひとつは寒中お見舞いのはがきづくりです。父の喪中ということで年賀欠礼のはがきを11月から12月にかけて出したのですが、なかには漏れ落ちてしまったりして年賀状が30通ほど来ました。これに返事を出そうと思っていたものの、どんなふうに書いてよいかわからず、きょうまで来てしましました。味も素っ気もないはがきにしないようにと尾神岳の写真を入れてみました。

 いまひとつは法事の案内状作成。早いもので父が他界してから9カ月が経ちました。12月中にお寺のご住職と相談して3月28日(日)午前11時から自宅でやることに決めさせてもらいました。その案内状もなるべく早く出したいとは思っていたのですが、ずるずると時が過ぎてしましました。1日の早朝、まだ暗い時間に、玄関の方から「おい、とちゃ、起きろや」という父の声が聞こえてきてびっくりして飛び起きました。夢だったのですが、父も気をもんでいたようです。案内状の印刷だけは終了しましたので、2、3日中に出せるでしょう。

 きょうは久しぶりに青空も出て、気持の良い日となりました。妻が初釜だというので高田まで送ってきましたが、田んぼの雪がまぶしかったです。家に帰ってから、近くの道を歩いてみました。雑木林もいつもよりも美しく感じられました(画像)。それと、林のすそに赤い実を見つけました。ヤブコウジです(画像)。近くに白い雪が広がっている中で、この赤はじつにいい色です。

2010年01月12日

党大会前日

 午前は議員団会議と議会基本条例策定検討委員会でした。検討委員会では議員の活動原則、政策検討会議などをめぐってきょうも活発な意見交換を行いました。同委員会は明日も開催され、21日の月例議員懇談会には議会基本条例素案を全議員に説明する予定です。

 午後からは随想集の編集作業を行いました。数年分の随想を読んでみると、だぶる話があったり、手直ししたくなるものがいくつもあります。なかなか前に進みません。今週はもう1日、この作業を行う予定です。

 上野議員が明日から開催される党大会に参加します。今週は、生活相談、各種団体の旗開きへの参加などたくさんありますが、残った3人で頑張ります。

2010年01月14日

これから高崎へ

 高崎の葬儀に出席するため、昨晩から市政レポートの作成、印刷、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達と大忙しでした(こんな吹き溜まりも)。今朝は5時前に起床、新聞配達をすませてからは除雪でした。これからほくほく線で出発です。

2010年01月15日

帰れなくなりました

 いま、高崎駅の近くです。葬儀が終わって家に帰ろうと思ったら、ほくほく線も信越線も雪のため電車が動かないということで帰れなくなりました。運転再開がいつになるか確認したうえでどこかに泊まる予定です。

 昼間、市役所本庁といくつかの総合事務所に連絡を取り、降雪状況、道路除雪、弱者対策などについて確認し、万全の対策を要請しました。一晩に70から120センチも降ったところもあったようです。

 明日はなるべく早く帰り、雪対策をすすめたいと思います。それに、午後からは挨拶をすることになっている会もあります。

2010年01月22日

上越地域の医療の現状と課題を学ぶ

 疲れがたまっているのでしょう、ひと眠りをしたら日付が変わっていました。昨日の午前は獣医さんのお連れ合いの葬儀でした。出棺の時、親族を代表して挨拶されたHさんが、「本人ならば、雨の中ごめんなさいね、ありがとね、と言うことと思います」とのべられました。亡くなったおばあちゃんにそっくりの言い回しを聞いて、いつも笑顔を絶やさずやさしかった故人の姿が浮かびました。

 午後からは月例議員懇談会、議員勉強会、議会基本条例策定検討委員会がまとめた条例のたたき台の説明が行われました。

 今回の議員勉強会の講師は上越医師会会長の服部さん。医療の危機的な状況、地域医療の現状と課題などについて、時おりユーモアを交え話をしていただきました。
 「妙高市、上越市を含む上越地域は救急たらい回しがないところとして有名だが、課題もある。上越地域センター病院などのリハビリ機能が弱くなると、県立中央病院などの高次医療を担う病院にも悪影響を与えていく決定的な問題は医師不足だ。医師養成抑制政策、新医師臨床研修制度導入が根本の原因だ」などという言葉が印象に残りました。
 上越地域内の高次医療を担う病院は県立中央病院など3つ、二次医療は独立行政法人さいがた病院など7つの病院が、精神医療は高田西城病院など3つの病院が担っています。今回の話を聞いて、妙高市との連携の中で地域医療を守っていかなければならないと感じました。

 議会基本条例策定検討委員会がまとめた条例のたたき台の説明会。内山委員長がパワーポイントを駆使して熱の入った説明を行いました。説明後、樋口、滝沢いっせい両議員が策定検討委員だけでなく、全議員による自由な討議の場をつくってほしいと発言していました。議会としての素案をまとめていく過程で全議員が参加して討論し十分理解を深める、全員が賛成できる内容にしていく。このことが重要となっています。たたき台の全文は数日中に私のホームページでも公開します。

初稿到着

 年末に大忙しで書いた本の初稿が到着しました。もう何回か経験しているのですが、初稿が届くと、いよいよ本の完成が近いなという感じになります。来週のはじめには出版社に返送し、再校へと進みます。このまま順調に進みますと、「『限界』を超えるー集落再生を可能とする地域づくりの戦略」(仮称)という本(自治体研究社刊)が2月10日に出来上がります。1冊1800円。ご希望の方はお知らせください。

 きょうはこれまで市政レポートの印刷を終わらせ、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をはじめました。雪がまた降り始めたので、早く配達を完了させたいところですが、これから東京です。今度は、私の随想集の出版の打ち合わせです。国際啄木学会の近藤典彦前会長さんなどと会うことになっています。本のことだけでなく、いろんな話ができるのではと楽しみにしています。

2010年01月23日

山原健二郎さんのことが話題に

 昨日、東京都内で随想集出版の相談をした際、国際啄木学会の近藤典彦さんから6年前に亡くなった日本共産党の元衆議院議員、山原健二郎さんの活動について教えていただきました。
 
 山原さんは10期連続衆議院議員に当選した人ですが、その日常活動がすごかったというのです。「国会がどんなに忙しくても毎週のように高知に帰り、日曜市で演説をする。居酒屋で酒を飲む時には一軒のお店でいっぱい飲まずに、何軒もはしごができるような飲み方をしていた。母親に絵手紙を送り続けただけでなく、こまめにハガキを出し、人とのつながりを大切にしていた。高知では山原さんからもらったハガキを大切に持っている人があちこちにいる。だから、谷間の集落で演説をしていても一人、また一人と次々と人が出てきて話を聞いてくれた。飲み屋街で演説をすれば、大勢のママさんたちなどで人垣ができた」。メモを取っていたわけではないので、多少、正確さに欠けるかも知れませんが、確かにすごい。

 これらの話は近藤さんが講演で高知を訪れた時などにお聞きになったのだと思います。亡くなってもいつまでも庶民から語られる政治家、山原さんの人柄を知り、胸が熱くなりました。

2010年01月25日

新たな方法で議員団ニュースを編集

 朝から夕方まで議員控室で仕事をしました。午前は党議員団会議です。JAえちご上越、くびき野森林組合の幹部との懇談会など当面する取り組みについて意見交換、意思統一をしました。4日のJAえちご上越との懇談会では服部武経営委員長などと懇談できることが確実になりました。服部さんとは酒席で話をしたことがありますが、日本共産党と農協という関係の中で話し合うのは初めてです。どんなことが話題になるのか楽しみです。

 きょうの団会議では議員団ニュースの編集作業も行いました。今回は紙に印刷したものをチェックしながら編集していくというやり方ではなく、4人の議員のパソコンをつないで、共通画面を見ながら編集するということを初めてやりました。文章表現だけでなく、レイアウト、色合いなどを確認できるのでとても便利です。ニュースの編集については課題もあります。月曜日の編集だと記事が古くなってしまう、水曜日までもっていけないかという声が出ました。多忙な日程の中でもスピード編集できるようにするにはどうしたらいいか。それが問題です。

 党議員団会議が終了してからは、ここ1、2カ月の間に発行する本の仕事です。来月10日に発行予定の集落再生に関する本は初稿のチェック。私が執筆した文章、インタビュー記事のチェックを終えました。「超える」と「越える」の変換ミスなどいくつかの間違いを直しました。私の随想集は3月下旬の出版が本決まりとなりました。きょうは数年前に書いた文章に手を入れましたが、思った以上に時間がかかります。

2010年01月27日

「啄木日記を読む」

 前々回の水曜日から「しんぶん赤旗」日刊紙に明治大学教授・池田功さんの「啄木日記を読む」というタイトルの連載が始まっています。週1回の掲載ではありますが、興味深く読んでいます。

 きょうは第3回で、石川啄木とかかわりのあった森鴎外、木下杢太郎の日記との比較してどうかということが書かれていておもしろい。一言でいうならば、几帳面。啄木の日記は二人の文学者に比べて、ありのままに事細かく書かれているのが特徴です。たとえば、明治40年の大晦日の日記のなかに次のような文章があります。「夜となれり、遂に大晦日の夜となれり。妻は唯一筋残れる帯を典じて一円五十銭を得来れり。母と予の衣二三点を以て三円を借る。之を少しづつ頒ちて掛取を帰すなり。さながら犬の子を集めてパンをやるに似たり。かくて十一時過ぎて漸く債鬼の足を絶つ。遠く夜鷹そばの売声をきく。多事を極めたる明治四十年は『そばえそば』の売声と共に尽きて、明治四十一年は刻一刻に迫り来れり」。この時は小林多喜二も小樽にいたのですが、啄木の生活ぶりがよくわかって参考になります。

 池田さんの文章に触発されて「啄木の日記」を読み始めたら、あっという間に1時間が経ってしまいました。私はこれまで啄木の日記をほとんど読んでいません。今度、時間をつくって読もうと思います。ちなみに、今回の連載を書いている池田功さんは上越市吉川区の出身です。

2010年01月30日

消雪、あの手この手

 朝の6時前から夕方の6時過ぎまで「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達・集金でした。ずっと配達していたわけではありません。朝食とお昼の時間はいつも通りとりましたし、山間部では雪の様子などを写真に撮ってきました。

 まずはこの1枚をごらんください。
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 川から水を引いて家のそばの池に水をためています。この池があるおかげで、屋根から落ちた雪の始末は楽々です。
 そしてもう1枚。
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 こちらも水を利用して消雪に使っています。先日、最高積雪が2メートルを軽く超えたところの道路でもこのように消えています。水の力はたいしたものですね。水の音もいいですよ。こちらをクリックして聴いてみてください。

 お茶をご馳走になった家では、こんなものを出していただきました。
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 レンコンとふきです。ふきの漬物は春の香りがいっぱいでした。 

 

2010年02月03日

上越タウンジャーナルの編集者の一人と懇談

 きょうは午前中、吉川区で新聞代の集金と生活相談、午後からは市役所で主に原稿書きでした。

 午後には、ニュースサイト・上越タウンジャーナルの編集者の一人と懇談、地域情報の発信は今後どうなっていくかについて意見交換しました。多くの人が知りたがっている身近な情報をよりスピーディに、正確に発信する。情報は重いものだけでなく軽いものも発信していく。どんどん進んでいく情報通信技術を駆使する…。2、3年のうちに情報のあり方はがらりと変わっていくかも知れないと思いました。

 きょうも2つの出版社の編集部と連絡を取り合いながら仕事を進めました。集落再生に関する本についてはタイトルが『集落再生と日本の未来』(自治体研究社)と正式に決まりました。カバー案も示されました。あと2日くらいで最終校正が終わり、印刷製本へと進みます。私の随想集の編集作業もほぼ終わりました。タイトルはもう少し先になります。表紙に使う写真は地元のカメラマン、平田一幸さんにお願いしました。

 あ、そうそう、遅くなりました。雪のため道路はあちこちででこぼこ道となっていましたが、家まではいつもよりも30分ほど余計に時間がかかる程度ですみました。明日は日本共産党とくびき野森林組合との懇談(午後0時半から同組合事務所)、JAえちご上越との懇談(午後2時半から本部事務所)があります。大雪にならなければいいのですが。

2010年02月05日

わが家の除雪機が再び故障

 また早朝に雪が降りました。今朝は20センチほどでしたが、昨晩からの降雪もあり、除雪機の出番です。ところが30分ほど除雪したところで走行ベルトがはずれ、前進もバックもできなくなりました。高崎の葬儀の時に故障して以来、2度の修理をしてもらったのですが、どうもいまいちです。きょうも修理屋さんに来てもらいました。すでに製造していない部品のところの故障とあって、新しい除雪機の購入を勧められました。しかし、カタログを見ると200万円前後の高額です。困りました。

 きょうは市政レポートを印刷後、中山間地を中心に「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。雪道は狭く、除雪中の場合もあるだろうと、支部の仲間と二人がかりで配達しましたので、3時間弱で終えることができました。途中、要援護世帯を訪問していた市役所職員の人たちに会いました。きょうのような降り方をしている時は不安が大きくなりますので、タイムリーな訪問活動です。がんばっているなと思いました。明日は平場での配達です。
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 写真は吉川区の山間部で撮ってもらいました。

2010年02月11日

くいぞの火

 なかなかやりますねぇ。NPO法人素人芝居大浦安のみなさんの芝居、吉川公演のことです。なんでもカネが優先する社会、考え方を批判し、地域に根差した真面目な生き方を求めていく。「ずんずら寒い」など方言丸出しのセリフが笑いを誘い、観客席からは拍手や掛け声が出る。きょうの「くいぞの火」公演(画像)は大成功でした。

 私は「くいぞ」という言葉を初めて知りました。いろりでゆっくりと燃える木の根のどんごろのことを「くいぞ」と呼ぶのだそうです。いろりでどんごろを燃やす様子は私も子どもの頃、よく見てきました。雪がしんしんと降る中で、どれだけ人々の体と心を暖めてくれたことか。このどんごろの働きと親鸞聖人の教えには通じるものがあるというのは、私が真宗大谷派の人間だからかも知れませんが、わかるような気がします。

 こうした芝居は生き物です。役者のセリフが練られ、その場の雰囲気の中で替えられることもあります。政治とカネのことが国政で大きな話題になっていますが、きょうの役者のセリフの中では、与党幹部の4億円のことが出たほか、「今朝の吉川の雪景色はいいねぇ」というアドリブも出て拍手喝さいでした。舞台の人たちと観客が一体となった公演は久しぶりでした。議会での質問もこんなふうにやれるようになりたいですね。

2010年02月13日

『集落再生と日本の未来』到着!

 出来上がったばかりの『集落再生と日本の未来』(自治体研究社)がきょうの午前、宅急便でわが家に送られてきました。

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 これまで何回も経験してきたことなのですが、自分がかかわった本が出来上がってくる時のうれしさは特別です。出来上がったばかりの本の匂いもかぎました。手にとってぱらぱらとめくり、自分が書いたところを読む。それから序章へ。ひとつの仕事が終わったという実感がします。この本がきっかけとなって、集落再生を求める動きが大きくなってくれたら最高です。編集などで難儀された中嶋信先生や自治体研究社の深田さん、それから執筆されたみなさん、ご苦労様でした。

 このブログの読者のみなさんでお読みになりたい方は本屋またはインターネットで注文していただくか、私のところに直接ご連絡ください。

2010年02月18日

春陽館書店にも到着

 『集落再生と日本の未来』(自治体研究社・税込みで1890円)が高田の本町4丁目にある本屋さん、春陽館書店にも入りました。出版社の話によると、新潟県内では新潟市の紀伊国屋書店と上越市の春陽館書店に同書を置くようお願いしてあるそうです。ぜひ立ち寄って手にして見てください。

 きょうは市役所で新潟日報と上越よみうりの記者さんから取材されました。近いうちに本の紹介記事が掲載されることと思います。これもごらんください。

上越タウンジャーナルでも紹介

 『集落再生と日本の未来』(自治体研究社刊、税込1890円)を地元のニュースサイト、上越タウンジャーナルがとりあげてくれました。本の紹介を文字で書いてくれただけでなく、動画による私からの宣伝まで掲載してあります。ネクタイが曲がっていてだらしなく見えるけど、うれしいし、ちょっぴりはずかしい。

 妻と子どもにこの動画を見せたところ、妻は、「光が一方から入って来ているからかなぁ、お父さんとちょっと違うみたい。実際はもう少し良い男なんだけど…」。長男は、「こんなもんさ、お父さんは」。いや、ありがとう、ありがとう。ホワイトデーには、いつもよりも少し高いものをプレゼントするか。

2010年02月24日

カーテンで仕切るだけでいいのか

 昨日のうちに書き終えようと思っていた随想集のあとがき、なかなか書くことに集中できず、きょうの午前まで引きずってしまいました。書けるようになったのは最初の一行が決まってから。正月早々に見た父についての夢の話からはじまって、牛の話、家族の話へと書き進むことができました。書いているうちに父のことが思い出され、眼頭が熱くなりました。

 午後からは上越地域消防事務組合の定例議会でした。議題は21年度の補正予算と新年度一般会計が中心です。本城文夫議員が火災報知機の普及が遅れていることを問題にし、設置済みシールの活用などの提案をしました。同議員の質問はよく準備されていて感心します。新年度予算の中で私が気になったのは、新型インフルエンザ対策の一環として取り組むことになった仮眠室簡易個室化工事です。工事は253万円(5署所分合計)かけて、仮眠室のベッドをカーテンで仕切るというもの。こんなことでいいのかと思い、ひとこと質問をさせてもらいました。市民の安全を守る重要部署の人たちの新型インフルエンザ対策については、国がもっとお金を出してキチンとした対策を講ずるべきです。

 夜10時からNHKテレビで歴史秘話ヒストリア「たった一人のあなたへ」を観ました。今晩の話は『蟹工船』を書いたプロレタリア文学者として有名な小林多喜二についてです。80年も前の小樽市の様子を動画では初めて見ました。多喜二の文学は自家の窮迫した境遇だけでなく、小樽港での過酷な労働実態を見ていたからこそ労働者の視点で書けたのだと思いました。それにしても治安維持法のひどさをよく描いてくれました。多喜二が築地署で虐殺され、家に戻ってきた時、布団に横たわる息子に向かって、「それ、みんなのためにもう一度立たんかい」と呼びかける母親セキさんの姿、涙が出ました。

2010年02月27日

初校到着

 一日かけて「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をしました。3月議会が始まりますから、きょうのうちにやっておかないとずっと先に行ってしまいそうなので議会の準備もせずに頑張りました。午後からは日も差して、ずいぶん暖かくなりました。朝の段階で確認したマンサクの花も広がり始めています。

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 稲古の報恩寺の近くの土手にはフキノトウが出ていました。

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 もう数日もすれば、フキノトウの入ったフキ味噌を食べられるでしょう。

 家に戻ったら、来月下旬に出す随想集の初校が送られてきていました。タイトルは『「五センチ」になった母』。来週中にはチェックを終えたいと思います。きょうは、全体をざっと読み、ふりがな、カットの説明、接続詞の使い方のおかしなところをいくつか直しました。

2010年02月28日

『集落再生と日本の未来』が第2位

 毎週日曜日の新潟日報に東京、新潟、長岡、上越の書店で「売れている本」の紹介があります。私はこの欄を読むのが習慣になっていますが、今朝の日報を見て眼を疑いました。上越の書店の「売れている本」の第2位に、なんと『集落再生と日本の未来』(自治体研究社、税込1890円)が入っていたからです(画像)。どなたが買って下さったのか、さっぱりわかりませんが、まさか、この種の本が五木寛之の『親鸞』よりも売れるとは思いませんでした。どうあれ、感謝、感謝です。

 きょうは高崎で法事でした。北越急行ほくほく線で越後湯沢まで行って、そこからは上越新幹線で高崎に行く。これはいつものパターンですが、直江津発8時09分の電車に乗ったところ、きょうは「イベント電車」となっていました。トンネルに入ると、車内の天井に映像が映し出されるのです。春から冬までの風景、夜空など、あまりにもきれいなので、夢中になってデジカメで撮影し続けました。電車の中で、こんなことを楽しめるのはここだけかも知れません。感激しました。
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 法事が行われたのは高崎市赤坂町の長松寺。法事が終わったときに、お寺さんから、「2月しか公開しない涅槃図はきょうまでです。ぜひご覧ください。それから、天井に描かれた龍の絵もご覧になってください。いずれも市の重要指定文化財です」と案内がありました。運が良かったというものです、こんなにいいものを見られるとは。
 最初に涅槃画像(1805年筆)をご覧ください。
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 それから大間(だいま)天井絵(1791年筆)です。
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 これらはいずれも狩野探雲作です。

 そうそう、もうひとつ、この長松寺で出されたお菓子のことについて書いておきましょう。まずはご覧ください。
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 お菓子の名前は「ブルーノ タウト」。名前のもとはいうまでもなく『日本美の再発見』(岩波新書)で有名なブルーノ・タウトです。この人が高崎でも2年ほど住み、群馬県工業試験場高崎分場で、家具、竹、和紙、漆器など日本の素材を生かし、モダンな作品を発表していたのです。人の名前がお菓子の名前になっているのはめずらしいですね。お菓子はクルミの味が活かされた美味しいものでした。高崎市南町7の(有)九重ねぼけ堂でつくられています。

2010年03月01日

手袋を失くし見つけてまた失くす

 今朝の新潟日報の読者文芸欄に妻の川柳が載りました。手袋を失くし見つけてまた失くす。このまんまです、わが妻は。一言でいえば「忘れっぽい」または「おっちょこちょい」。しょっちゅう、「携帯どこに行った」「手袋がない」などとやっています。読んで笑ってしまいましたが、最近の私も同じです。

2010年03月04日

いいですね、この調子でどんどん書いて…

 村山市長のページがどうなっているかとのぞいてみたら、2日から始めた「ごぼうのつぶやき」(市長の雑感)が更新されていました。

 率直に言って、初回の「つぶやき」はつぶやきというよりは挨拶でした。しかも新聞報道では「10日に1回更新の予定」となっていましたから、これではブログにならないなと感じていました。

 でも2回目…。「『ごぼう』の気持ち」はとても良い文章でした。雑感のタイトルは、広報対話課の皆さんの知恵も借りて決めたということです。「ごぼう」は市長の小学生時代のあだ名だったが、当時はこのあだ名がいやだった。でもいまは懐かしいとも書いてありました。そして最後は、埼玉県幸手市に住む弟さんからの便りの話。「今度、幸せを手にできる町に越しました。花の季節を楽しみにできる町だから、是非お出かけ下さい」という便りに感動する市長の気持ち、よくわかりました。

 ここまで来ると、明日はどんなことを書かれるのか楽しみです。この調子でどんどん書いてください。

従兄たちも私の質疑に関心

 きょうはどうも頭がしっかりしません。鼻水がしょっちゅう出るので、風邪気味です。質疑で登壇した昨日でなくて良かった。午前は建設企業常任委員会を傍聴、午後からは生活相談、デスクワークと続きました。

 夜になっても仕事に集中できず、ぼんやりとテレビを観て過ごしました。ちょうど、『ツレがうつになりまして』の再放送をやっていました。この原作の漫画は長女に薦められ、私も読んでいます。漫画だといって軽くみる人もいるかもしれませんが、うつとの付き合い方がわかる良い漫画本でした。テレビドラマもよくできていましたね。来週が楽しみです。

 久しぶりに大島区の従兄から携帯電話がありました。携帯電話がかかってくる時は、良くない知らせが多かったので、一瞬、「何があったのだろう」と思いましたが、用件は、「パソコンで議会中継を見ているが音声が出ない。どうしたらいいか」という問い合わせでした。音声が出なかったのはパソコンの音声がオンになっていなかったから。「足谷と一緒に見ようと思ってさ」従兄たちが私の総括質疑を見ようとしていてくれるのはうれしい。

 明日は地元の吉川中学校の卒業式です。終わり次第、市議会建設企業常任委員会の傍聴に行きます。

2010年03月07日

尾神細打ちうどん

 昨晩から朝にかけてがんばりました。今月下旬に発行予定の随想集の初校チェックです。誤字脱字を中心に修正個所は付箋をつけながら作業を進めました。出版社には明日までに届けるとの約束でしたので、妻からも手伝ってもらいました。「うなずく」が「うなづく」になっていたり、ふりがなをつけるべきところにつけていないのがあったり、付箋は20か所くらいつけました。

 午前10時からは葬儀に参列してきました。先週土曜日にお会いした時にはお元気だったのに、急に亡くなってびっくりでした。亡くなったKさんは次男坊、川崎市で働いていたところ、お兄さんが戦争で亡くなり実家に戻った経歴の持ち主でした。田んぼと酒屋者の出稼ぎで家族を支えてきたKさんについて、息子さんは「尊敬している」とのべて言葉を詰まらせました。

 午後からは党の会議でした。昼食後、少し時間があったので、会議前に上越観光物産センターに立ち寄りました。そこで見つけたものは
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 尾神うどんです。生のものは食べたことがありますが、尾神うどんの乾麺は初めて。さっそく買い求めて一袋だけゆでて食べました。味は、生うどんと同じ、とまではいきませんが、なかなか美味しい。十分、土産として使えます。一袋336円、3袋入りの箱で買うと1100円です。販売元はえちご上越農業協同組合。

 新潟日報の今週の「売れている本」、『集落再生と日本の未来』(自治体研究社)は先週に続き、上越で第2位でした。党の会議でも持参した本はあっという間に売れてしまいました。ありがたいことです。

2010年03月10日

要援護世帯の除雪支援で新たな制度設計を示唆

 今月下旬に発行される随想集のカバーが出来上がってきました。
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 写真とタイトルがかみ合っていて、イメージしていた通りになったと喜んでいます。夜、妻に見せたら、「なかなかいいね」と言ってくれました。これでカバーはオーケーです。明日の午前には再校原稿が到着する予定です。私の所属する総務常任委員会の直前で忙しい日ではありますが、早めに校正を終え、発送したいと思っています。

 きょうの厚生常任委員会では、新型インフルエンザ対策、児童虐待、要援護世帯除雪費助成事業などをめぐって活発な議論が行われました。

 児童虐待問題を取り上げたのは平良木議員です。同議員は、野澤朗健康福祉部長が説明の中で、「申請主義にとどまらず、制度を必要としている方に必要としている制度がもれなく行き届くよう、意を用いてまいりたい」とのべたことを評価したうえで、「子どもの虐待を事前に防ぐ積極的な手立てをとるスタンスが必要だ。具体策の検討を」と訴えました。

 これに対して野澤部長は、「現場の実感としては非常に増えている。問題は、いつも虐待が見つかってから我々の対応となることだ。匿名でも結構だから(虐待に関する情報を)早めに教えていただきたいと思っている。DVを含め、(現状では)市職員が問題を抱え込んでも対応しきれない。熟練した人による対応が求められているので、市役所の中では人材育成まで含めて(対策を)考える時期に来ている」と答えました。

 要援護世帯除雪費助成事業は今冬の大雪を経験する中で見直しが求められています。平良木議員は、「この事業の拡充は市民の要望となっている。(資力がない人の)融雪屋根の灯油代、頼む人がいないなかで除雪機等を使って自力で除雪せざるを得ない場合など助成の対象とすべき時が来ているのではないか」と質問しました。

 現行の実施要綱では自力で除雪できる人は対象となっていません。いまの要綱の規定自身を見直すべきだとの平良木議員の主張について、野澤部長は、「実態が厳しいことは承知している。ただ、ひとえに行政の支援費として議論していくだけでいいのか。今冬のような短期集中型豪雪では要援護世帯でなくても重大事態となった。そこを踏まえた中でどういう支援が適切か議論が必要だ。制度は普遍的で平等性のあるものにしていかなければならない。冬に向けて議論をしていきたい」とのべ、新たな制度設計の検討を示唆しました。

2010年03月11日

顎に痛み

 午前11時頃、右耳の下あたりに痛みを感じました。指でそっと押してみたところ、はやり痛い。ひょっとしたら、リンパ腺がはれたのかな、風邪を引いたわけでもないのにおかしいな、そう思いました。痛みは一回だけではなく、話していても感じます。昼食をとった時もほっぺたの右側に違和感を持ちました。

 きょうは朝から大忙しの日でした。随想集の原稿の最終チェックを短時間で済ませ、市役所へ。市役所では一般質問の質問取りを最優先し、その後、明日からの常任委員会審査の最終準備をする予定でした。しかし、右ほっぺの痛みはとれず、午後から近くの口腔外科で診察してもらうことにしました。

 口の中を診てもらい、レントゲンを撮った結果の診断は顎関節炎でした。顎の付け根の部分に中間板のようなものがあって、どうもそこが腫れているらしいというのです。しばらくはこの部分を休ませることが大事だと言われました。具体的には硬いものを食べない、頬杖をつかない、大声を出さないようにと言われました。明日から私の所属する常任委員会です。もっとも顎を使わなければならない時に、できるだけ静かにしていなければならないとは。困りました。

2010年03月14日

くびき野の歌

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 昨晩、上越文化会館で行われた「くびき野の歌」を観てきました。同館創立30周年を記念した市民による手づくりの音楽劇です。脚本は児童文学作家の杉みき子さん、作曲は阿部亮太郎さん、そして総合監督は上野正人さん。くびき野の大地やそこに住む人たちの魅力をどう描いてくれるのか、とても楽しみにしていた作品です。
 
 くびき野には雪が降ります。今年は大雪でした。どうしても、「たいへんで、やっかいなもの」である点に目が行ってしまいます。でも、人生を振り返ってみれば、けっしてそうばかりではありませんでした。凍み渡りやスキーなど楽しい思い出がたくさんあり、雪に育ててもらっています。
 今晩、子どもたちが最初の登場したのは、真っ白い衣装をまとった子どもたちでした。雪そのものとなって、飛び跳ねて、キラキラ輝いている。そうです、ここに生まれ育った者はみんな、雪の中を飛び跳ねて楽しむ「雪ん子」だったのです。
 そして、やはり、「雪道」が出てきましたね。雪の一本道を歩く人々は譲り合いながら歩いてきました。これはくびき野に住む人の良さのひとつです。今晩は、この雪道を「横」から見ることができました。片方の足でよけて、人に道を譲る。いいもんですね。私にとって雪道は、毎朝大人たちが準備してくれた道でした。学校の帰り、郵便屋さんだけが歩いて残った足跡を頼りに雪道を歩いて帰った記憶もよみがえりました。

 朝市で店を出している女性の一人だったでしょうか、「一年の良さは一年を通してでないとわからない」と言いました。その通りです。劇の中で、「いいな」「その通り」だと思ったセリフがいくつもありました。「今年の穂はキツネのしっぽのようになって、10俵獲れるわね」「カエルに手で触って命を手で感じる(ことが大事?)」「雪の底って青いのね。海みたい」「春が過ぎて、夏が過ぎて、秋が過ぎるとまた冬が来るんだよ。誰かがいなくなると誰かが戻ってくるもんさ。後戻りはしないもんさ、自然も人間も」。
 そうそう、「急がず 休まず」という言葉も印象に残りました。『集落再生と日本の未来』(自治体研究社)で紹介した清里区櫛池農業振興会の前会長の小山文男さんが良く使う言葉も、「急がない 止まらない 無理しない」でした。「急がない」「休まない」はくびき野の人たちのすばらしい「個性」なのかも知れません。

 大人役を演じた人たちも良かったけれど、今回の劇で大活躍したのは子どもたちと青年です。ふるさとに生き続けることを力強く宣言したゲン、テトラポットを体全体で見事に表現したリュウなど、このくびき野の大地を担ってくれる人たちの姿の中にくびき野の希望を感じました。
 なかでも3年生の大地を演じた清水悠人くんが良かった。どうしてこんなに伸び伸びと演技ができるのかと、ずっと彼の姿を追いました。海で流されて一時はどうなるかと心配しましたが、生きていてくれて本当に良かった。この大地くんが劇の中で、こんなことを言いました。このくびき野は、「毎日、道草がいっぱいできる」から良いと。14市町村が合併して5年が経ったこの上越市、「もっとゆっくりと歩いて」、ふるさとの魅力を見つけたいと思いました。

2010年03月21日

黄砂か

 昨日、家に戻ったのは夜の11時頃となりました。朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達、生活相談、講演会、再び配達、映画鑑賞、お風呂と動き回って、家に着いたらすぐに布団に入りました。強い睡魔に襲われ、目が開かなくなったのです。

 気温は21度。昨日、県道新井柿崎線を通った時の気温です。これは午前の気温でしたから、その後、さらに上昇したかもしれません。車の暖房は必要なし、上着も脱いで新聞配達をしました。先週から気になってしょうがないのは野の花です。吉川区については、どこにどんな花が咲くかだいたいわかっていますので、昨日は配達をしながらキクザキイチゲを探しました。もちろん、デジカメ持参です。昨日撮影したなかで一番のお気に入りはこれです。
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 どうです。きれいでしょう。撮影場所は吉川区国田地内です。

 新聞配達の途中で上越市埋蔵文化財センターへ行ってきました。「文化財は楽しい!遺跡で人は呼べるか」をテーマにした3人の研究者による鼎談です。3人というのは奈良文化財研究所名誉研究員の岡村道雄さん、上越教育大学教授の川村知行さん、新潟県文化財保護指導委員の小島幸雄さん、いずれも上越市歴史文化基本構想等策定委員のメンバーです。
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 市内には、宮口古墳群、水科古墳群等のほか最近注目されている吹上遺跡、釜蓋遺跡があります。3人は著名な専門家なのでむずかしい話をされるのかと思ったら、とてもわかりやすくて、ぐいぐい引き込まれました。
 「法隆寺、東大寺は国宝だらけだ。人々は聖徳太子を追いかけて法隆寺に行く。人々は物語を追いかけている」「(吹上などに)人はいないというけれど、人はいたし、いまもいる。自分たちで掘り起こし、物語をつくっていってほしい」「斐太、吹上、釜蓋遺跡がある地域は山から川まで俯瞰できるところだ。遺跡を単独で残すのではなく、もっと広い視野で考えていくべきだ」「いままで遺跡をどう使うかについては固定的に考えすぎだった。そこでやってきたことはすべていまにつながっている。自分たちが誇りとしてきたこと、伝えたいことをもっと大切に」ヒントになる言葉がたくさんありましたね。
 閉会のまとめを行った中西聰生涯学習推進課副課長は、「きょうは日本のトップレベルの話し合いだったと思う。今回は(遺跡をどう活用するかを考える)発想の大転換の場となった。今年は切り口を替えてこうした会を何回もやっていきたい」とのべました。次が楽しみです。

 鼎談が終わって再び吉川区へ。約1時間半、新聞配達をしました。昨日は配達員のひとりが風邪でダウン、ピンチヒッターでいつもとちがう地域にも出かけてきました。みんな久しぶりに会った人ばかりです。「とうちゃん、橋爪さんだよ。きない、きない」そういって私との再会を喜んでくださる人が何人かおられました。うれしいですね。議会のこととか、今週出来あげってくる随想集のことなどで話がはずみました。その後、マックスシアターへ急ぎました。26日まで上映されている映画「おとうと」をみるためです。死の直前にVサインをするおとうと、涙が流れました。

 さて、今朝も「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。いま、朝食のため、いったん、家に戻ってきました。今朝は黄砂交じりの強風が吹き荒れています。わたしの故郷、蛍場の景色をご覧ください。
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 こういう景色が見られるようになると、春はぐんぐん近づいてきます。写真を撮っていたら、雪解け水の流れる音が聞こえました。この音も大好きです。残念ながら、今朝は録音機を持っていくのを忘れていました。失敗、失敗。
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 今朝の母です。強風だというのに母は朝から畑に出かけてきました。畑の大根をとるのだとか。また、何かを作って、近所の人たちとお茶会をやろうというのでしょう。

2010年03月23日

随想集の到着は26日に

 休み明けの議会でした。どういうわけか、これまでの疲れを引きずったままきょうの議会を迎えた感じです。きょうは一般質問4日目。吉田議員をはじめ7人の議員が質問に立ちました。

 きょうは、わが議員団の上野幹事長も登壇しました。厚生労働省が22年度末に廃止すると決定した地域職業訓練センター問題では、市長から「当市にとっては極めて重要な施設だ。存続は必要」との答弁を引き出しました。また、くびき野森林組合との懇談で出された林業再生策についても良い答弁をもらっていました。休憩時間に、「あれだけの答弁をもらえば、再質問しなくてもよかったのでは」という声も聞かれるほどでした。

 連休中に2件の問い合わせや生活相談がありました。きょうは朝からこれらの対応もしました。連休中に受けた相談では、「休み明けまで待ってほしい」と答えていましたので、早速、関係課に連絡しました。なんとか、解決の道筋をつけることができましたので、ホッとしています。
 
 さて、私の随想集、「『5センチ』になった母」(同時代社、税込1000円)ですが、きょう、連絡が入り、26日に到着することが決まりました。本屋さんには来週前半に出るでしょう。これで、28日の父の法事にも間に合うことが確実になりました。良かったです。

2010年03月24日

還暦を迎えました

 一般質問が終わりました。きょうは60歳の誕生日でした。ですから、記念すべき日の質問となりました。

 質問の中で注目されたことのひとつは豪雪時の救急車の動きです。雪がない時なら119番の電話を受けて10分前後(全国平均は平成20年度で7.7分)で現場に到着するはずの救急車がその数倍も時間がかかるという現実です。時間がかかるのはいうまでもなく雪で道路状況が悪いから。きょうの質問には上越地域消防事務組合の1月13日から15日までのデータを使い、最長で41分もかかるケースもあったと紹介しました。
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 こういう状況が発生していても災害救助法の適用にならない現実はおかしい。適用基準の見直しを求めるべきだとの質問に市長は前向きでした。これで少しでも動いてくれればいいのですが。

2010年03月26日

「『5センチ』になった母」到着

 この28日の父の法事に間に合わせようと準備してきた随想集がわが家に到着しました。宅急便がいつ着くかと気をもむのはいつものことですが、自分の子どもが誕生するのを待つ気分と同じです。ドキドキしますね。

 私の後援会事務局長の田子さんも、今回、一緒に本の到着を待ちました。午前8時50分に私の事務所に宅急便が着きました。段ボールから本を取り出すと、田子さんは、「俺にも拝ませて!」。ふたりで良い本になったねと喜びました。
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 この間、お世話になったみなさん、ありがとうございました。

 これから、議会に行きます。きょうは最終日です。討論原稿の最終チェックをやり、議会に臨みます。議会が終われば、直ちに本の配達です。すでに何人もの人たちから注文をいただいています。みんな、待っていてくださるので、いっときも早く届けたいと思います。

2010年03月27日

本を読んで思い出す

 あわただしい一日でした。「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達と集金、「『5センチ』になった母」の配達、法事のお客さんの迎え、法事の直前の準備と動き回りました。

 群馬からやってきた従姉たちはわが家に来ておもしろい話を教えてくれました。従姉たちは「『5センチ』になった母」を読んで、父と母の結婚式が3日間にもわたったことや、父が母の姿を見る前に、「小さい女性」か「大きい女性」か、をとても気にしていたことを思い出したというのです。従姉たちが父と母の結婚式に出ていたこと、初めて知りました。

 私の本を読んで思い出すことがあったのは従姉たちだけではありません。きょう、本屋さんで「『5センチ』になった母」を買い求めたというNさんが、夜、電話をくださいました。Nさんは本を読んで、私の父のことだけでなく、数年前に亡くなった自分の連れ合いのことを思い出したそうです。それでうれしくなって電話をかけてきてくださったのです。この本がこうした役割をはたしてくれるなんてうれしいですね。

 久しぶりにわが家に来た従姉たちは、20数年前までわが家のあった蛍場まで行きたいと言い出しました。こちらは忙しいからダメだとは言えません。「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金にも付き合ってもらい、蛍場まで行ってきました。

 夜は愛知県に住む弟夫婦も合流、母の手料理を食べながら、懐かしい思い出話をたくさんしました。母が用意してくれた料理のなかで旬の味はフキ味噌です。
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 写真の一番手前の料理です。目で味わって下さい。

2010年04月01日

上越タイムスが『「5センチ」になった母』を紹介

 地元紙の上越タイムスが今朝の頸北版で『「5センチ」になった母』を紹介してくれました。私の本をじっくり読んで紹介記事を書いて下さったことがわかり、とても感動しました。書いた記者は私とほぼ同年代の人です。本の内容と同じような体験を何回もされたのでしょう。私よりも先に記事を読んだ妻は、「実際の本の中の文章よりも紹介記事の方が名文」だと感心していました。紹介文はこちらです。

 きょうは辞令交付の日です。市役所には67人の新人が入りました。辞令交付を受けてから新人の皆さんは6班に分かれて市役所めぐりです。きょうから市役所の組織も配置も大幅に変わったので、案内する人も大変だったのではないでしょうか。5階の私たち議員団の控室のすぐ前に本会議場があります。そこで立ち止まって、簡単な説明を受けていました。議会事務局前では「ここは議員さんの活動をサポートする部署で、議会事務局と言います」という声が聞こえてきました。
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新人の人たちは初々しくてとてもいいですね。

 午後3時過ぎまで市議会だよりの原稿書きなどをやり、その後は妻とともに警察署へ行きました。警察では免許証の更新手続きをしてきたのです。係りの人から「暗証番号を考えてきてくださいましたか」と聞かれましたが、免許証もどんどん変わっていきます。そのうち、更新手続きはパソコンでもできるようになるかも知れません。

2010年04月14日

素敵なハガキをもらいました

 『「五センチ」になった母』(同時代社)を読んでくださった方から毎日のようにメールやハガキをいただいています。きょうも素敵なハガキをいただきました。

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 絵手紙というのでしょうか、絵も文字もあまりにもきれいで、文章がまたいい。ひとりで見ているのはもったいない。そう思って紹介させていただきました。

2010年04月15日

使い慣れたデジカメとサヨナラ

 6年間にわたって使ってきたデジタルカメラをやめて、新しいデジカメを購入しました。これまでのデジカメは大潟区在住の後藤紀一旧大潟町議会議長さんからいただいたものです。

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こいつです。長年にわたって、本当によく活躍してくれました。私としては緑色を正確にとらえてくれるのでとても気に入っていたのですが、何回も落としているうちにテープを貼って使わなければならない状態になりました。このカメラで撮った最後の写真は

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 昨晩、テレビで放映された吉川区川谷の天明さん一家のひとこまです。記事は書かずに寝てしましましたが…。

 さて、新しいデジカメもソニーを選びました。使い慣れているからです。ただ、機能はとてもたくさんあり、おぼえるまでたいへんです。新しいカメラで撮影し、私の活動で最初に使うことになった画像は、高田の小姓人橋です。市政レポートの橋シリーズで使いました。記念の写真をご覧ください。

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2010年04月18日

わが家のベニコブシが咲きました

 書き忘れました。ベニコブシについてです。演説会の会場で、高田在住の人から「橋爪さんちのベニコブシ、咲きましたか」と訊かれました。私の『「五センチ」になった母』を読んでくださったのでしょう。

 そう言われたので、家に戻ってすぐベニコブシを見てみました。1週間ほど前からずっとつぼみの状態であった花が、きょうは開きました。

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 昨年は父が亡くなった4月8日が満開でしたから、10日遅れです。異常気象ですね。8日の納骨の際、わが家の墓の前にもベニコブシの一枝を挿してきましたので、それも咲いたはずです。

 もうひとつ、『「五センチ」になった母』がようやく新潟日報の「売れている本」のベストテン入りしました。読まれた方が広げてくださると順位は上がります。よろしくお願いします。

2010年04月21日

二人の若い郵便局職員

 午前の宣伝行動の際、ひとりの郵便局職員に会いました。まだ20代か30代前半の青年です。前にも一度会っていて、その時の笑顔がとても印象に残っていました。きょうは、その彼の自宅で再会しました。そこの家の人だとはまったく知らなかったので、「あら、ここの家の人だったの?」と尋ねると、「そうです。いつも読ませてもらっています」という言葉が笑顔とともに返ってきました。私の市政レポートかこのブログかはわかりませんが、若い人が読んでいてくれるというのはとてもうれしいです。

 もうひとりは昨日出会った郵便局職員。この人も若く、20代かな、こちらは女性です。市内のある郵便局で80円切手を買いました。この時、窓口で対応してくれた人です。「何か素敵な切手、ありませんか」ときいたら、「きょう発売の切手がありますよ」とトラと花の絵柄の切手シートを薦められました。「いいね、これにしましょう」と言って、3枚買い求め、その場で封筒に切手を貼りました。そばにいたこの女性が、「この切手を貼られる姿、初めて見ました」とニコニコして語りかけてきました。その人懐こさが気に入って、「残りの7枚も買いますよ」と言って買い求めました。

 この二人の郵便局職員、おそらく臨時職員だと思います。少なくともひとりはそうでしょう。いま再び郵政改革が叫ばれていますが、郵便局も大事なのは人です。こんな感じのいい青年が正規職員として郵便局に定着すれば、いい郵便局になると思うのですが…。

 きょうは午前の宣伝行動の後、月例議員会議、議員勉強会、議会基本条例に関する議員の全体会、食料・農業・農村議員連盟総会、各派代表者会議、党支部会議と6つ会議が続きました。疲れました。

2010年04月26日

80代後半の方から読後感想

 本を出した後の楽しみのひとつは読んでくださった方が寄せてくださる感想です。心に何か残った時、お便りや電話などで感想を伝えてくださいます。きょうも80代の男性からお便りをいただきました。

 「老眼と乱視が重なって、その上老いの為か手が冷たくて一日中手袋のはなせない日が続いていますので、頁をめくるのに苦労しての読書で、頁が進みません。『五センチになった母』という変わった書名に惹かれて読み進み、やっと五センチの母上にお会いすることが出来ました。ご家族のこと、友人、知人の方々のことがいきいきと活写されている見事さに感心しながら読ませていただきました」これは便りの一部ですが、1ページ1ページを丁寧に読んでくださった様子が目に浮かびます。うれしいですね。

 きょうは議員団会議の途中、くびき野森林組合、JAえちご上越、上越地域職業訓練センターを議員団全員と党地区委員会の橋本正幸副委員長の5人で訪問、前回の懇談会についてのお礼と3月議会の報告をしてきました。これは懇談で寄せられた要望を議会でどうとりあげたかを知っていただくためです。

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JAえちご上越では市橋理事長さんと再度懇談出来ました。今後ともこうした団体とできるだけ連携して活動を進めていきたいと思います。

 夜は「橋爪法一を囲む会」でした。春の農作業が忙しい時期に突入しましたので、集まりはいま一つでしたが、地域を走るバス運行路線、ダイヤなどでご意見、ご要望を寄せていただきました。

2010年05月04日

山菜採り

 明日の「山菜とイノシシ料理を食べて橋爪法一を囲む会」の準備で後援会の仲間の人たちと山菜採りに出かけてきました。本格的な山菜採りは今年初めてです。

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 沢にはまだ雪が残っていると聞いていたのでロープを持参しました。山菜のある山の斜面はすべりやすく、私も3メートルほど滑り落ちるスリルを味わいました。ロープを使えば良かったと後悔しています。でも怪我は無し。運が良かったです。

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 山菜採りでの楽しみは山菜を採ることはもちろんですが、いろんな動植物に出合えることも楽しみのひとつです。きょうはアズマイチゲ(写真)に出合いました。アズマイチゲは春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす草花、スプリング・エフェメラルのひとつです。どういうわけか、これまで山でアズマイチゲにあうことができませんでした。それだけに、きょうは大満足です。

 肝心の山菜はウドを中心にワラビ、ノノバを大量に確保することができました。これで明日の山菜料理の準備はバッチリです。

2010年05月09日

「石川啄木を呼ぶ時代」

 昨日は吉川区坪野にあるスカイトピア遊ランドに泊まりました。「見てある記」はいま、家に戻って書いています。

 昨日の午前は講演会でした。国際啄木学会前会長の近藤典彦先生が「石川啄木を呼ぶ時代」というテーマで1時間30分ほど講演されました。

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 近藤さんの講演を聴くのは今回で2度目ですが、感動の連続でした。昨日の話を聴いたおかげで石川啄木のすごさを再認識しました。「短歌、詩、小説、評論だけでなく、時代を代表する思想家でもあった」として近藤さんは、啄木の「時代閉塞の現状」という小論を紹介しましたが、時代を鋭く分析したこれほどの名文を啄木が書いていたとは知りませんでした。また、坂本龍馬から中江兆民、幸徳秋水、そして石川啄木へと流れる思想の系譜についての説明も興味深いものでした。

 講演でもっともうれしかったのは「啄木短歌の魅力」を豊かに語ってくださり、教えてもらったことです。近藤先生と井上ひさし、平岡敏夫筑波大名誉教授、3人による座談会で井上ひさしが語った啄木短歌の分析についての紹介はぐいぐいひきつけられました。啄木は「日本語を望遠レンズにしたり、縄にしたり、瞬間固定剤にしたりして」日本語の可能性を示したということを聴いて、文章の書き方を学ぶためには啄木を深く学ばなければと思いました。

 近藤先生は「石川啄木著『一握の砂』を読む」というブログで啄木についての研究成果を発信し続けておられます。ぜひ訪問してみてください。

『「五センチ」になった母』出版記念会

 昨日は『「五センチ」になった母』出版記念会の日です。会場は近藤典彦さんの講演と同じで、午後1時から。親戚の人たちや同級生、友人、議員仲間など57人の方々が駆けつけてくださいました。

 出版記念会の第1部は『「五センチ」になった母』を語る会です。

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最初は山岸議長、中野教育長のお祝いの言葉。中野教育長が亡くなられたお父さん(元民生委員)から聞いていたという「ホーセ(わが家の屋号)の子どもたち」についての話には胸が熱くなりました。地域の民生委員さんが私たち兄弟の生活ぶりにまで目を向けていてくださっていたとは知りませんでした。山岸議長と中野教育長の心のこもった話のおかげでこの会のいい流れが出来たように思います。

 続いて、出版にかかわった人たちが次々と発言、「横からの温かい視線がいい」「ほとんどの話を3ページに削り込んでまとめたところがよかった」などと評価していただきました。カバー写真を提供してくださった平田さんは、「まだタイトルも決まっていない段階で40万枚のカットの中からツクシの写真を選んだのは、橋爪さんを中心に支え合って生きている様子をあらわしていると思ったから」と思いを語ってくださいました。平田さんはこの日も朝4時過ぎに起きて10時頃まで写真をとってきたとのこと、夜明け時の霧はオレンジ色に輝いていたといいます。ふるさと吉川の写真を撮り続けるカメラ人生にもふれた話にひきこまれました。大潟区に住む弟もユーモアを交えてカット絵について語ってくれました。

 本に登場している人を代表して畠山さんが「晴れ姿」(本の中の一篇)について語ってくださいました。畠山さんは20数年前、風邪から脊髄炎になり数か月の入院生活を余儀なくされました。その入院生活中に由紀ちゃんが新潟日報に「わが家のお父さん」について書いたのですが、畠山さんからはその記事を探し出すまでの経過など私の取材と文章のできるまでをリアルに紹介していただきました。

 語る会での発言はそれぞれ印象に残るものだっただけに心配だったのは私の挨拶です。朝、妻が体調を崩し、「めまいがする」などと言っていたので、それが気になり、自分の挨拶はまったく準備できませんでした。壇に上がって、「随想は書きたくてたまらなくなった時に書いている」「どの家庭でもいいことばかりではないが、わが家も同じ。随想は心にふれたいいことを書くようにしている」ことなど思いつくまま語りました。まとまりのない挨拶でしたが、途中で身長140センチ弱の母を紹介したことで大きな拍手をいただきました。

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突然紹介されたので母もびっくりしたようですが、これは「母の日」プレゼントの前倒しとなったようです。

 第2部は出版祝賀会です。吉田侃議員やU子先生、柳川月さん、関口サトノさんなどが次々と心温まる話や平和への思いを語ってくださいました。司会者の村松直子さんが、「こんどはほめる話ばかりでなく、文句がある方もどうぞ」とのべると、さっと手をあげたのは妻でした。体調も回復して祝賀会に参加してくれたのです。話の内容は「こんなに忙しい時期に会をやるのは迷惑だと言ったのですが…」などといったものでトゲはなし。それどころかユーモアもあって、会を彼女なりに盛り上げてくれました。

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 祝賀会を一段と盛り上げてくれたのは朝日池総合農場の平沢さんとトマト農家の山岸さんの歌です。

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「百姓99」「久比岐の里」など数曲を見事に歌い上げ、最後は参加者全員による「ふるさと」「北国の春」の合唱をリードしてくださいました。長岡市から参加してくださったTさんは、「歌詞も歌も感動でした」と言っておられました。おふたりさん、いつも、本当にありがとう。

 会は午後4時過ぎに終了。後片付けの後、何人かで尾神岳の途中まで登り、夕陽を眺めてきました。昨日もいい夕陽でした。

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2010年05月10日

家庭通信

 「第二の人生を歩み始めた」というのでしょうか、この春、定年を迎えて退職し、新しい生活に入った人たちの情報が送られてきています。

 富山県在住のHさんは私の学生時代の大事な友人のひとりです。3月末、Hさんはお連れ合いとともにに教員生活を終えました。まだ若いから再就職するのかと思っていたのですが、地域でボランティアをやったり、畑仕事をする道を選びました。

 そのHさんが4月から月一回のペースで「家庭通信」を発行し始めました。きょうは「家庭通信」の第2号が届けられました。

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 トップ記事は娘さんの結婚です。写真を見たら、彼の顔が30数年前に見た彼のお父さんとそっくりなのでびっくりしました。彼も私もまちがいなく年を重ねてきたんですね。3月末までは送別会、4月からは歓迎会が続いているともあります。「退職教職員連盟」では「新人」として歓迎されたとか。定年のある人でなければ経験できない世界があるのですね。

 「家庭通信」はA4サイズの用紙の両面を使った小さな通信です。裏面には、畑仕事のようすがクローズアップされていました。これからは、畑での栽培日記が続きそうです。熱中型人間の彼のことだから今後、通信をどう発展させていくのか、楽しみです。

2010年05月14日

情報求人誌「あどば」で『「五センチ」になった母』紹介

 今朝早く、弟が上越エリア・求人情報誌の『adva(あどば)』5月号を持ってきてくれました。「兄貴、見た?」と言って見せてくれたのは「注目!郷土関連本のご紹介」です。

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 紹介してあったのは私の『「五センチ」になった母』でした。前回の『春よ来い』のときも紹介していただいたのですが、感激です。

 紹介文を書かれた方は、私と同じく昨年お父さんを亡くされ、お父さんの暮らしぶりや介護のことなどをご自身の体験と重ねて読んでくださったようです。「老いていく親と一緒に暮らしている家庭では、みな似たような経験をしていたのかと、不思議な安ど感を感じた」という一節を読み、本にして良かったと思いました。Kさん、ありがとうございました。

2010年05月20日

てのひら歌集13

 夕方、家に戻ったところ、柳川月さんから素敵なプレゼントが届いていました。

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これは、手づくりの『「五センチ」になった母』出版記念会報告歌集です。

 開いた途端、目に飛び込んできたのは美しい文字でした。柳川さんが毎月発行している通信「ざ・むーん」と同じく見事な字が並んでいます。そして、読み始めて見て感心してしまいました。記念会の会場となったスカイトピア遊ランド周辺の景色から近藤典彦先生の講演、本の出版記念会の模様がまるでスライドで映し出すように28の短歌にまとめられていたからです。それらの短歌はこれです。

 短歌には私だけでなく、妻、母、弟のことも歌われていました。「ほら、母さんのことも書いてあるよ」と妻に見せた短歌は、「白髪に吾と判りしか声かけ来し橋爪夫人美しきひと」。もちろん、妻はニコニコ顔でした。カットを書いた弟の姿は精悍に見えたのでしょうか、「ラクビー選手のような男性はエッセー集にカットを添えし著者の弟」とあります。私が本について語った時、途中で母を紹介する場面がありました。それが柳川さんには強く印象に残ったようです。「よろめきつつ息子の呼びかけに応え立つエツさんどれ程嬉しからむや」とありました。

 きょうは臨時議会から始まっていくつも会議があり疲れていたのですが、この「てのひら歌集」を読んで疲労はどこかへ飛んで行ってしまいました。この歌集、おそらく私と柳川さんしか持たない手づくり歌集となるのでしょう。わが家の宝物がまたひとつ増えました。

 臨時議会における議長・副議長選のインターネット録画中継がアップされました。ご覧ください。

2010年05月25日

臨時議会の総括、参院選対策などで会議

 きょうは党関係の会議が続きました。
 
 午前の議員団会議では、20日の臨時議会の総括を行いました。正副議長選については、前回、前々回の人事議会を通じて、ベストの人をすべての会派で選ぶ流れができつつあったのに、今回は数の勝負となってしまった。これは議会改革の流れの中では後退面です。しかし、常任委員会や特別委員会の正副委員長を選ぶ前にどういう運営をしていくかの所信表明をすることになったこと、名実ともに委員会で選出するようになりつつあることは評価できると確認しました。これらは前進面と言えましょう。

 議員団会議では、このほか6月議会対策、参院選対策などについても話し合いました。全県党議員会議の方針を読み合わせた後、3月議会以降の動きなどについて出し合い、どういう目標を持って取り組んでいくか、どんな質問を展開していくかなどを話し合いました。

 夜の党会議は公示まであと1か月と迫った参院選をどうたたかうかが主題でした。22日の党演説会がとても盛り上がったことに確信を持ち、過半数対話をどう推進するかなど熱の入った会議となりました。

 夜の会議に参加したある人を車で自宅まで送っていった時、近くの川でカジカガエルの鳴き声がしました。それでボイスレコーダーを家まで取りに行き、録音しようとしたのですが、幾種類ものカエルたちの大合唱がはじまっていて、鳴き声は確認できませんでした。どうあれ、カジカガエルの鳴き声がしたということは川がきれいになったことを意味し、とてもうれしい。

2010年06月10日

6月議会はじまる

 昨日から6月議会がはじまりました。注目は北陸新幹線開業に伴う並行在来線の「経営主体設立」出資金です。わが党議員団の平良木議員と公明党の杉田議員が総括質疑で登壇しました。

 今議会は村山秀幸氏が市長になって3回目の定例議会です。原稿に頼らずに自分の言葉で答弁している点はすごいなと思います。それも回を重ねるごとに力強さが出てきました。ただ、気になる点があります。昨日の答弁では、並行在来線会社の経営計画について問われ、「(県並行在来線開業準備協議会の経営委員会の)経営計画づくりは7月頃(議論が)かわくことになるだろうが、設立する会社の具体的な作業の段階で大きく変更することになる」とのべるなど、慎重さに欠けた発言がいくつかありました。「糸魚川市が出資しなくとも会社をスタートさせるのか」という質問にはズバリ答えないずるさもありました。こうした点は速やかに修正してほしいものです。

 さて、話題はかわってブログの話。私は毎日10人ほどのブログを読ませてもらっています。党議員のもの、他党派議員や友人などのブログがその中に入っていますが、毎日のようにいろいろな発見があって、とても楽しみにしています。

 昨日のブログでは参院比例代表で日本共産党から出る「かわえ明美あったか日記」に感動しました。高校時代、修学旅行に行く際、「この歌をおぼえて行きなさい」と「青い空」を教えてくれた先生がいた。その先生が体の具合が良くないのに演説会に来てくれました。かわえさんは何百人という聴衆がいるなかで、この恩師に元気になってほしいと「青い空」を歌ったのです。涙が出ました。


 

2010年06月13日

『「五センチ」になった母』が赤旗「潮流」に

 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙を手にしてびっくりしました。私はいつものクセで赤旗のコラム、「潮流」をまず先に読むのですが、その冒頭に私の名前が載っていたのです。そして、私の随想集『「五センチ」になった母』の第22話、「大きな靴」のことが紹介されていました。うれしかったですね。すぐに妻に、「母さん、潮流に載っているよ」と教え、支部の仲間たちにも連絡しました。

 今朝の「潮流」は先日、アルメニアの洞窟で発見された世界最古の革靴のことなどにも触れながら人間と靴の関係を書いたものです。「大きな靴」は、わが家の日常のことを綴っただけのものですが、こんな形で紹介していただけるなんて最高に幸せです。きょうは2つの会への出席と対話活動を予定していますが、元気もりもりです。全文はこちらをごらんください。

 日本共産党中央委員会のホームページでもご覧いただけます。こちらをクリックしてみてください。

2010年06月14日

井上ひさしの「絶筆ノート」

 昨晩、コンビニに入って文芸春秋7月号を購入してきました。読みたかったのは井上ひさしの「絶筆ノート」です。5月に国際啄木学会の近藤典彦さんから講演していただきましたが、その際、石川啄木の短歌についての井上ひさしの解説、分析の素晴らしさを教えてもらいました。以来、井上ひさしの書いたものを次々と読んでいます。今回のノートにも何が書かれているのか、とても関心がありました。

 「絶筆ノート」とユリ夫人の手記を読み、改めて井上ひさしのすごさを感じました。まず、メモです。「就寝前にハルシオン0.125ミリグラム」など具体的な治療の状況、医師の名前等をキチンと書き記しています。こういった調子ですから、戯曲をひとつ書くにも彼の資料収集はすごいというか、すさまじかったのではないかと思います。

 ユリ夫人の手記に、「ことばを使うものとしての責任」というのがありました。「書いた以上は、自分のことばに責任をとる」「こんなに苦しいことを経験してみると、いままでの自分は、どこか観念的に『苦しさ』ということばを使ってきたと思う」という井上ひさしの言葉が紹介されていました。作家としての誠実さというよりも、作家としての執念を感じます。

 「家で死にたい」という願いに応え、家族が病院側の協力も得て、家に帰らせてあげたのは4月9日の朝でした。そして、その日の晩にゆっくりと息を引き取ったとあります。意識はもうろうとしていても家に帰れた、よかったなぁ、と思います。夫人は私が知っている米原昶さんの子どもさんでもありました。「絶筆ノート」とユリ夫人の手記を読んで井上ひさしがまた近くなりました。

 私のホームページの「野の花」「私の好きな風景」にそれぞれ2枚の写真を追加しました。また、市政レポート1453号もアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてください。ご覧いただけます。

2010年06月18日

Sさん、危篤状態に

 夕方、母から電話がありました。親戚のSさんが危篤状態に陥っているとの知らせです。Sさんは私の議員選挙で通算6回選挙責任者を務めてくださった方です。病院にはSさんのキョウダイ、子どもさんなどが次々と駆け付けています。何とか持ち直してくれればいいのですが。

2010年06月19日

一日中落ち着かず

 Sさんの病状を気にしながら「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。携帯電話が鳴るとビクッとします。そんなことで、落ち着かない一日となりました。疲れて、ひと眠りしたら、サッカー、残念ながら日本は負けていました。でも善戦でした。明日は午前に消防訓練、午後からは旧吉川町長の角張さんの受賞祝賀会があります。

2010年06月22日

落雷でパソコントラブル

 一昨日の夜11時頃、近くに雷が落ちた模様です。それ以来、わが家でのパソコン通信ができなくなりました。昨日、有線農協から修理してもらい、ようやく復旧しました。

 親戚のSさんですが、重篤状態から脱して小康状態です。昨日はベッドのそばで、「Sさん、わかるかね、橋爪です」と声をかけたら、酸素マスクをつけながら何かをしゃべってくれました。倅さんによると、「どこか痛いところあるか」と尋ねたら、「しゃばじゅう(全体)」と答えてくれたそうです。いま、家族が二人がかりで付き添い、Sさんの病状を見守っている状態です。

 議会は昨日で一般質問が終わりました。あとは24日に委員長報告、討論、採決などがあります。24日は参院選の公示でもあり、きょう、明日はその準備で大忙しです。

 この日記のカテゴリーに「動画」を追加しました。「動画」をクリックするとこれまでアップしたすべての動画を見ることができます。私のホームページのトップページにも「橋爪法一の動画集」を加えました。ここをクリックしてもご覧いただけます。

2010年06月23日

葬儀と議会と選挙が重なった

 今朝は2時間弱しか眠れませんでした。朝の6時半には鈴木さん宅へ行き、今後の日程について打ち合わせました。通夜は明日の午後6時から(自宅)、葬儀は25日午前9時から(「虹のホールおおがた」にて)と決まりました。参院選の公示、初日、2日めの活動予定と重なりましたが、議員団の仲間と相談して対応することにしました。私の任務は葬儀委員長です。

 明日は6月議会最終日でもあります。葬儀の準備を進めながら、討論内容の検討なども行いました。並行在来線新会社問題などが浮上したこともあって、例年の6月補正予算審議の時以上に疲れました。水面下で様々な動きがあることも情報として入ってきました。明日の本会議では予想外の展開も起こりそうです。議会のチェック機能が機能しているかどうかが問われる議会となりました。

 参院選公示になると、今回もまたホームページ、ブログなどに制限が加えられることになります。候補がどこでどうしたとか、どこどこへの投票をなどと書くことはできません。ネットによる選挙運動解禁が見送られたからです。このブログに記載する記事はこうした制限を意識して、選挙活動以外のことを書かざるを得なくなります。この大事な時期に何を書いているんだと思われるでしょうが、しかたありません。

 新潟選挙区予定候補者の武田勝利さんから公示前最後の動画レターが届きました。ご覧ください。

2010年06月25日

鈴木さんの葬儀

 鈴木寛一さんの葬儀でした。斎場で棺を炉に入れる直前、お連れ合いが何度も寛一さんの額を指でなでている姿にみんな涙を流しました。

 朝6時過ぎから鈴木さんの家に行き、親戚や近所の人たちと鈴木さんについて語りました。お坊さんが法話の中で、「寛一」の「寛」は寛容の「寛」、名前の通り、おだやかな人でした、と語られましたが、まったく同感でした。機械にも強く、遠くで機械の音を聞いていても異常を察知できたという話は初めて聞きました。農業、とくに稲作にかけてはプロ意識を持っていた人でしたね。

 お斎の席では、たいへんご馳走が出ました。寛一さんからのプレゼントだと受け止め、おいしくいただきました。このなかでも丸茄子の田楽とサーモン錦紙巻、地場産のトマト等が入った酢の物は食べたことがなく、とても気に入りました。携帯のカメラで撮ったものをご覧いただきましょう。
 まずは丸茄子の田楽です。

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 次に酢の物です。

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 きょうは吉川区内に宣伝カーが2台入ってきました。こういう音を聞くと、落ち着かないですね。

2010年07月07日

針治療受ける

 腰の痛みがひどくなり、まともに歩けなくなりました。こうなれば、なんだかんだといってはいられません。2年ぶりに針治療をしてもらいました。背中の一部が鉄板のように硬くなっていて、足に来ているとの説明を受けました。治療が終わって、なんとか歩けるようにはなりましたが、まだ何回かは治療に通わなければならないようです。

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 写真はホタルブクロ。先月26日に、吉川区内の林道、大下名木山線で撮影したものです。道端で見るホタルブクロのほとんどは白色、ここだけは艶やかな色なので毎年撮影しています。

2010年07月09日

ヤマユリ開花

 原稿を書けるかどうかは心を動かすことがあったかどうかにかかっている。そう思います。昨晩から今朝にかけて市政レポートを作成しましたが、久々に「春よ来い」を2週連続で書きました。ここ数年はひと月に1回くらいのペースでしたから、2週連続は異例です。でも、簡単にいえば、感動するような出来事が短い期間に続いたということです。内容は近々、ホームページに掲載しますのでお楽しみに。

 きょうは朝早くから市政レポートの印刷を行い、その後、「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達を行いました。参院選投票日が近いこともあって、対話がはずみました。明日も同じ活動が続きます。

 山間部を中心に動きましたが、先週から今週にかけての変化を記すと、コシジシモツケソウの花が完全に終わり、クガイソウが紫色の花穂を出してきました。夏ゼミの声が増えてきています。そしてもうひとつ、ヤマユリが開花しました。この花が咲くと、いよいよ夏本番に突入するという感じがします。写真はヤマユリです。

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2010年07月11日

「杜の高田」が啄木コンクール佳作に

 妻がとっている「新日本歌人」を見てびっくりしました。今年の啄木コンクールの佳作に上越市出身の吉越陽子さんの作品が入っていたからです。吉越さんは私の高校の先輩です。

 吉越さんの作品は「杜の高田」という題でまとめた20首。選者の一人は、「一首一首の歌に安定感があり、表現にはほとんど破綻なく、歌の巧みさから言えば今回の全作品中随一といってよい」と評しています。

 私は歌の方はさっぱりなのですが、いくつかいいなと思ったものがありました。

 谷うつぎ咲ける深山に同化してわらびはすいと拳つきあぐ
 なき母の庭のこぶしの咲く頃かつむりて白きその花にあふ
 若夏の杜の高田のゆらめきて今朝しろじろと霧の雨降る

 「新日本歌人」の7月号には啄木コンクール入賞者の表彰式の模様も掲載されていました。写真には、「九条の会」で活躍されている小森陽一さんの隣に座っている吉越さんが写っています。ちょっぴりはずかしそうな表情が印象に残りました。
 

2010年07月13日

ひとみちゃん

 会うたびに優れた能力を感じる少女がいます。上越市立吉川小学校3年生の秋山ひとみちゃんです。きょうは茶の間でよさこいの踊り、天地人(あまちびと)を披露してくれました。

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 近いうちに動画でご覧いただきますが、体の柔らかさ、指先の細やかで豊かな表現力はすばらしい。どんな踊りでも踊ることができる能力を持っています。

 ひとみちゃんは絵も大好きです。「橋爪のおじさん、似顔絵描いてあげるね」と言って描いてくれたのは……。

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 頭の禿げ具合、顔の大きさ、何よりも私の特徴をよくとらえた見事な絵です。いやー、まいったなぁ。

2010年07月16日

ひとみちゃんの天地人

 また朝になりました。昨日は午前にビラ配布、戦没者慰霊祭、午後からは市役所でデスクワークでした。いろいろやるべき課題があって、家に着いたのは午後8時半過ぎ。体をたくさん動かしたわけでもないのにくたびれました。

 デスクワークは中山間地対策の具体策をどうすべきか、を考えることでした。まだ整理するまでいっていません。これまでの資料を読みなおしたり、友人である天明伸浩さんの『転身リアル農家』(新潟日報事業社)を読んだりしました。新規就農者を定着させるために「行政はもっと戦略的になってもいい」という天明さんの指摘は重要です。10年、20年先まで考えた政策を打ち出さなければいけないと感じました。

 ようやく「ひとみちゃんの天地人」を動画でごらんいただけます。実際はまったくバック音楽がないなかでの踊りでしたが、動画に詳しい人に協力してもらって踊りに合った音楽をつけてもらいました。動画はこちらから。

 どうです、うまいでしょう。

梅雨明けか?

 ひょっとしたら梅雨が明けたのではないでしょうか。昨日までのじめじめしたところが薄らぎ、きょうはカラッとした真夏の暑さとなりました。尾神岳の上空に発生する雲の形もモリモリしたものが出てきました。ホームページのトップに掲げる写真を撮るためにいつもの地点へ行くと、田んぼの主の吉田茂さんが現れ、「なんだ、おらちの田んぼの写真を撮っているのかと思ったら、尾神かね?」と声をかけてきました。

 午前中は上野英夫さんの葬儀でした。元町議で、農協の役員の現職とあって、大勢の人たちがセレモニーホールに駆けつけました。参列者が式場に入りきれず、通路までイスが並んだのは、私が参列した葬儀の中では2度目です。まだ62歳の若さ、喪主の挨拶にも悔しさがにじんでいました。「任期途中でこうしたことになり、大勢の皆さんにたいへんご迷惑をおかけしました」という言葉は亡くなった英夫さんが生前、息子さんに指示していたのではないかと思いました。それにしても亡くなった13日は英夫さんの誕生日だったとは。

 きょうは3年前に中越沖地震が発生した日です。夕方、妻とともに柏崎の父を見舞いに出かけました。波は静かでした。海は地震のことをまったく感じさせない雰囲気がありました。柏崎へは本当に久しぶりでした。義母などが買い物に出かけていて、義父が一人で留守番をしていました。3日ほど前から耳がまったくといってよいほど聞こえなくなってしまい、かすかに聞こえる左耳のところへ行き、大声で話しかけないと会話はできませんでした。体調は悪く、参院選も棄権したといいます。「いつも他人に票を頼んでいるのに、自分が行けないなんていやなもんだな」と言っていました。早く、医者に診てもらい、いつもの元気を取り戻してほしいものです。

2010年07月20日

消防救助技術訓練の動画

 8日付の日記で消防救助技術訓練の動画について書きました。動画を見てくださる方は200人を突破するかも知れないと。訓練の動画は3つあるのですが(いずれも5日掲載)、きょう現在、これらの動画はアクセス数の一番多いロープブリッジ救出訓練で720を超えました。他のふたつも300、400を超えています。このままいくと、1000突破もそう遅くないでしょう。消防本部の幹部などとこのアクセス数の伸びについて話をしましたが、全国の消防署職員や市民に広がりつつあるような気がします。今回のことを契機に消防署の地道な日常活動について理解が広がってくれればうれしく思います。

 きょうは議員団会議、そして中山間地対策特別委員会の準備などデスクワークを行い、夜は党の会議でした。私は机にずっと座っているのは昔から苦手です。体を動かすのが半分、机に向かうのが半分、そういう活動が自分に一番合っているのですが、最近は体を動かす方がさっぱり……。意識的に体を動かすようにしないと、本来の自分からどんどん離れて行ってしまいそう。

 きょうのお昼は上野議員に誘われて旧頸城村議員の小堺正雄さんの新しいお店に行ってきました。直江津の国府にある本願寺国府別院のバス停のすぐそばに開いたお店は「喜楽」という名の蕎麦屋さん。

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 お店は木造で中もとてもいい雰囲気で落ち着きます。今回は天ぷら付きのそばをいただきました。なかなかいい味でしたよ。次回は妻を連れておじゃましようと思っています。

2010年07月26日

ありがたい

 ありがたい、ありがたい。「春よ来い」の118回「いろいろ」を読んだ方からお便りをいただきました。便りには、重度の難聴の人と会話をするには磁気を利用した幼児用のお絵描きボード、「せんせい」を使って筆談するといいですよというアドバイスが書いてありました。「左右にレバーを引けば瞬時に消して、また書ける」すぐれものだそうです。さっそく試してみようと思います。

 もうひとつ、ありがたい話。午後、市役所の議員控室で仕事をしていたところへ、めずらしい人が訪ねてきてくださいました。元農協職員のTさんです。Tさんは中山間地対策に関心を持っていて、独自に資料収集をしておられます。きょう、私に見せてくださったのは、これです。

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吉川区源地区の世帯数の動きを有線帳で追い、それを表にしてあります。これでみると、川谷地区は昭和30年当時153戸もありました。平成21年発行の有線帳では33戸に。その気になれば、良い資料を作れるものですね。このデータは中山間地対策を考える際に参考にしてくれとのことでした。感謝です。

 きょうも暑くなりました。午後3時過ぎに吉川区に戻り、新聞代の集金をしました。そのついでに、この間から撮りたいと思っていた道之下の天満宮参道に咲くヤマユリを見に出かけてきました。

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いま、花盛りです。良いタイミングで写真をとることができました。この写真は、近く、「私の好きな風景」写真に掲載しようと思います。

 夜は吉川区地域協議会でした。会議終了後の懇親会にも仲間にしていただきました。会場からの帰り道、ふらふらと歩いていたら、こんな声が聞こえてきました。
 
 本格的な夏がやってきたと思ったのはつい先日。それがもう秋の気配です。早いものですね、月日の流れるのは。


2010年07月27日

西堀橋

 市役所からの帰り、少し時間があったので高田公園に寄りました。23日からハス祭りが始まっているので、その様子を見ておきたかったのです。

 高田城の外堀の西側にかかった朱色の橋、初めて渡りました。

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 橋のたもとには東側と西側に合計4個の石碑があることをこれまで知りませんでした。石碑に刻まれているのは私の好きな歌、「高田の春は爛漫と 古城を包む春がすみ…」ではじまる『高田の四季』(町田太郎作詞)です。ひとつの石碑にはひとつの季節の歌詞が刻まれ、4つの石碑を全部合わせると春、夏、秋、冬の歌詞がそろいます。

 この橋の名前、市民の間では通常、「蓮見橋」と言われています。橋を渡る時、一枚一枚の板の弾力性が足裏に心地よく伝わります。橋の中央部からはハスだけでなく、妙高山などを望むことができます。この橋は平成元年に竣工した橋ですが、西側のたもとへ行き、「えっ」と思いました。橋の名前は「蓮見橋」ではなく、「西堀橋」だったのです。

 公園側に戻って歩くと、ひとりの「女性の姿」が目に入りました。

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 新潟県出身の著名な彫刻家、千野茂の「フォーム」です。「腰かけた女性が、足先に手を伸ばすかたちから生まれる有機的フォルムの中に、生命の鼓動を表現した」(千野茂)という作品。朱色の橋とよく似合います。

2010年07月29日

家でたっぷり仕事をして、大出口へ

 テレビで平原綾香の歌を聴いてから日記をと思っていたら、1曲しか記憶に残っていません。テレビの前で寝てしまったのです。
 
 昨日は牛舎周辺の草刈りをしました。これで2度目ですが、結構時間がかかります。途中、若干の休憩時間を挟んで約2時間半がんばりました。いうまでもなく汗びっしょりです。でも、草刈りはやった後の満足感がいい。私の場合、自分のやった仕事がこれほどしっかりと確認できるものは他にありません。ま、なにはともあれ、気になっていたお盆前の仕事のひとつが終わりました。

 午後からは頼まれていたビラ、約2万枚の印刷作業です。これもクーラーのない部屋での仕事です。3時間半ほどかかりましたが、単純作業なので、これも疲れます。

 夕方、尾神岳のふもとにある大出口泉水を訪ねました。夏になってから初めてです。車を降りた途端にザァーという水の音が耳に飛び込んできました。相変わらず、水は豊富です。日量約4000トンといいますが、ブナ林が多い山ならではの水量といってよいでしょう。昨年だか、一昨年だか忘れましたが、この大出口泉水は「平成の名水100選」に選ばれました。それに伴い、市道からの登り口に大きな案内看板が設置されました。ごらんください。

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 お盆を前に石の階段、水の出口付近など、すべてきれいに掃除されていました。水はとても冷たく、流れの中に5秒間手を入れているとしびれてきます。両手で水を飲み、持参したトマトを冷やして食べてきました。

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 写真はセルフタイマーで撮ったものです。ひんやりした感じは動画で紹介します。

 いかがですか。大出口は北陸自動車道柿崎インターから車で20分ほどで行けます。ぜひお出かけください。

吉川区内でも並行在来線に高い関心

 右腕がちょっぴり痛いと思ったら、昨日の草刈りの影響でした。草刈り機は適度の休みを入れながら使わないといけないと思いつつ、たった1回の休みだけで仕事を続けたことが痛みにつながってしまいました。これからは気をつけないと……。

 今週の土曜日から自治体学校、そして総務常任委員会の視察と続くので、きょうは市政レポート2週分を作成しようと意気込んでいたのですが、予定通りには進みませんでした。頼まれたビラの印刷に手間取り、パソコンに向かっても集中できなかったのです。次の日曜日に発行する市政レポートはまだ書き始めたばかりです。ぎりぎりまで書けない、この悪いクセはそろりとなおさなきゃ。

 夜は、「橋爪法一を囲む会」でした。懇談では、道路の補修、草刈りなどで注文が出たほか、並行在来線問題についていくつも質問が出ました。吉川区では関心が低いのではと思っていたら、とんでもない。このままなら、財政的に莫大な負担をしなければならないのではと心配している人が多いことがわかりました。

2010年07月31日

福井市での自治体学校に参加

 きょうから3日間、福井です。第52回自治体学校で地方政治をめぐる諸課題を学ぼうと、朝早く家を出て、上野議員とともに福井市まで来ました。こちらも30度を軽く超える猛暑ですが、会場のフェニックスプラザは冷房がよくきいていて快適でした。

 初日は記念講演とリレートークでした。

 専修大学の晴山一穂教授の記念講演は、話の中身が難しかったところもありましたが、政治主導・官邸主導の論理と問題点、国民のための行政実現に向けた方向について、整理してとらえることができました。民主党政権の「政治主導・官邸主導」論は、橋本行革、小泉改革によってすすめられた新自由主義をより徹底・純化しようとしているものだとの指摘は新鮮でした。「政治主導・官邸主導」論の問題点としてまとめられた3つの問題点は、今後、統治システムのあり方を考える重要な視点でもあると思いました。すなわち、①国民の意思が国会に正しく反映されているか、②政策決定過程に国民の声が正しく反映されているか、③省庁の存在意義が正しく反映されているかです。これらの視点は地方政治でも大事な視点だといってよいでしょう。

 リレートークは立命館大学の平岡和久教授、能登ワイン夢一輪館代表の高市範幸さん、ジャーナリストの猪熊弘子さん、『反貧困』の著者、湯浅誠さんの4人。

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とてもききがいのあるスピーチの連続でした。
 平岡教授は地域主権戦略大綱の目玉のひとつである「ひも付き補助金の一括交付金化」の問題点を浮き彫りにしました。
 高市さん、役場職員を辞め、ふるさとの地域づくりに全力を上げてきたドラマをわかりやすく、楽しく語ってくれました。能登を紹介する時に「はい、左手を上げてください。そして、その手を胸のところに持ってきて…親指をちょっと曲げて…」の仕草は湯浅さんも使い、今回の自治体学校で流行しそうです。
 ジャーナリストの猪熊さん、この人も初めて出会った人ですが、子育てをめぐる状況、課題をじつにわかりやすく語ってくれました。朝日新聞のアエラの育児雑誌版を編集しているそうです。「子ども・子育て新システム」の「基本制度要綱」について解説するなかで「要保育度の認定」の話を聴き、保育もここまできたかと思いました。猪熊さんの、「子育てはゆったりした時間の中で」との訴えもよかった。
 湯浅さん、「反貧困と自治体行政」というテーマで、行政に対する注文などをズバズバと30分語りました。ちょっと時間が足りなかったかな。「貧困=貧乏+孤立だ」「自治体と自治体の間には隙間がないはずなのに貧困問題では隙間がある」「自治体には汗をかけば損をするという思いがある」「官の理屈がわかる民、民の理屈がわかる官、このためには通訳がいる」などなるほどと思ったフレーズがいくつもありました。

 きょうは、夕食は新潟県から参加した人たちと一緒でした。講演やリレートークについての受止めはそれぞれみんな違って、とても参考になりました。明日も楽しみです。

2010年08月01日

地域経済の再生にむけて

 自治体学校は2日目。きょうは一日中、分科会です。私は「地域経済の再生に向けて」という分科会で勉強しました。

 午前は3人の学者の講演でした。

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 福井県立大学の小川雅人准教授の講演テーマは「都市縮小時代のまちづくり」。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2030年~2035年には97.9%の市町村で人口は減少するとのことです。都市のほとんどが「縮小する」時代がやってきます。「都市商業は人口が減る社会がやってくることを前提にした方法を考えるべき」「コンパクトシティは方向としてはあるかも知れないが、5年間で一定の成果をあげるというのは不可能だ」「いつの時代も、まちづくりは、そこで生活する人の意思と誇り。商業の活性化はあくまで結果だ。熱い思いをもってそこに住み続ける、その結果、いい商業地ができる」「商業は単独では存在できない。第一次産業から第三次産業まで地域で循環する産業がなければならない」との話は説得力がありました。

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 「生活密着型」公共事業への転換をと訴えたのは名古屋市立大学の山田明教授です。構造改革が進むなかで公共事業は最盛期の4割くらいになりました。相変わらず過大需要予測に基づいて空港やダム建設が行われていますが、同教授は空港を各県にひとつずつ造る時代ではなくなっていることを認識する必要があると指摘します。そのうえで、「効率優先の公共事業『改革』ではなく、足元から維持可能な社会を見据えた本格的な改革が求められている」「社会資本の蓄積を踏まえ、新規投資よりも更新投資、維持管理をまずは優先すべきだ」と生活密着型への転換を訴えました。講演の中で山田教授はダジャレを連発しました。「商店街をどうしようてんがい?」「イオンも厳しくなってきたが、もういおん」「導水路をどうすいろ」などと言うたびに会場は笑いが起こりました。ダジャレを連発して聴衆を引きつける講演は初めて聴きましたが、おかげで楽しく学ぶことができました。

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 最後は日本大学の永山利和教授の「公契約条例(法)はなぜ必要か」でした。この問題はこれまで私や平良木議員が一般質問でとりあげてきた問題です。同教授は、公契約条例(法)に取り組むことになった背景や野田市に続いて国分寺市や世田谷区などいくつかの自治体で制定の動きが広がりつつあることを紹介するとともに、条例制定に消極的な人たちの主張(たとえば、「法令に違反しない限りにおいて」という自治法上の規定にひっかかるなど)を次々と論駁しました。同条例が制定された後、これを支え、さらに改善していく運動が大事だとも言われました。話の中で、千葉県で取り組んでいる「橋守事業(ほしもりじぎょう)」についてもふれ、中小業者に仕事を回す取り組みの大切さを訴えておられました。

 3本の講演に共通していたのは、地域に暮らす人たちや中小業者への連帯でした。講演はいずれも参考になるものばかりでしたね。

 昨日、きょうと写真を撮ったのですが、パソコンにデータを移すケーブルを家に忘れてきましたので、写真は明日の晩、掲載します。

2010年08月02日

自治体学校最終日

 自治体学校最終日。楽しみにしていた岡田知弘京大教授の講演が行われました。「『地域主権改革』の内実と地方自治・地域経済の未来」と題する講演は90分にも及びましたが、いまの時点で、地方自治体議員が知っておかねばならないことを整理するとともに、どうしたらいいのかを解明してくれました。

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 講演の中でとても参考になったことのひとつは、民主党の「地域主権」論をどうみるかです。「国と地方の『役割分担』論を前提に、団体自治を重視しているが住民自治を軽視している。いまの憲法は人に主権を与えるものとなっているが、『地域』という無限定な存在にたいしてではない。いま必要なのは『地域住民主権』だ」との指摘は明快でした。昨年4月に民主党が打ち出した、政権獲得後3年目までに基礎的自治体のあり方の制度設計を進め、その後に第二次平成の合併を行う(700~800市町村にする)という構想は道州制導入につながっていることが明らかになっています。河村名古屋市長の「住民分権」論も「分け与える」という上から目線の考え方ですが、党や人が新たな用語を使って「改革」を語る時はその中身をしっかりと見ておかないといけないなと感じました。

 自治体合併や地方自治の今後についても重要な言及がありました。ひとつは自治破壊と矛盾の顕在化です。増田元総務相が「(合併は)負の面が多かったことは認めなければならない」と発言していること、西川一誠福井県知事が『「ふるさと」の発想』(岩波新書、昨年7月)のなかで、「(道州制や合併推進の)論理には、生きた住民が登場しない。地方自治とは、そこに生活する住民の意思をいかに汲み取るかが重要なのである」とのべていること、既存合併自治体の首長選挙でも有権者の多い都市部ではなくどちらかというと周辺部から出た候補者が当選していることなどが紹介されました。

 地方自治発展をめざして、様々な自治体でたくさんの創意と工夫がされていることも紹介されました。その中で、上越市の取り組みについても丁寧な言及がありました。上越市の「都市内分権」、地域自治の基盤づくりの取り組みについては(みなさんに)報告するたびに進化している。地域自治区は条例によって恒久化された。旧市部にも広がり28になった。さらに今年度からは地域活動資金が制度化された。8月28日(土)29日に、上越市で「地域自治組織」現地セミナーが行われるのでぜひ参加を、と宣伝もしていただきました。岡田教授の宣伝は説得力満点、聴くと参加したくなります。

2010年08月03日

『短い、ひとことで言えるスローガン』が必要だった

 先週の土曜日からの1週間のうち、1日だけ上越にいられる日。明日からは3日間、市議会常任委員会で関西方面に視察に出かけます。で、朝からたまっている仕事や用事を次々とこなしました。きょうも猛暑でしたね。

 福井での自治体学校から帰って手紙などを見ていたら、その中に、高校時代の同期生、石塚正英さんからのものがありました。吉川町時代、彼はわが郷土にやってきていて、尾神岳や伯母ヶ沢などで文化財等の調査をやっていたことを送られてきた資料を見て初めて知りました。うれしかったです。この次に会うのがとても楽しみになりました。

 夜は日本共産党創立88周年記念講演会です。仲間とともにインターネット中継で初めから終わりまで視聴しました。最初に当選した田村智子さんとともに、議席獲得が成らなかった小池晃さんのお礼と決意を込めた挨拶に感動しました。

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 まず、「『永田町国会病院』を休診せざるを得なくなりました」「この際、充電をという声もあれば、放電をという声もあった」と言って笑わせ、「バッチがなくとも政治を動かすのが日本共産党員の仕事」と決意を語りました。小池さんには一刻も早く国会に戻ってもらいたいものです。

 きょうの講演会、講師は志位委員長です。

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 冒頭、参議院の選挙結果についてふれ、総括の最中にあるが、反省点についてのべたいとして最初に消費税問題に言及しました。「消費税増税、大企業減税に反対が国民に伝わったが、日本共産党が何をしてくれるかが伝わらなかった」「自分の1票で政治を変えたいという有権者の心に響かなかった」「日本の政治をこう変えていくという建設的なメッセージ、それも『短い、ひとことで言えるスローガン』が必要だった」など、まったくその通りだと思いました。

 選挙結果の全体を通じて言えることのひとつは、自民党も民主党とともに大きく票を減らしたことです。両党の合計得票率は55%まで落ち込み、二大政党による政権交代に国民的不信が突きつけられたとする評価も同感です。大企業奉仕、アメリカべったりという日本政治の2つの異常にとらわれている限り短命政権が続きます。「どんな波乱や困難があっても歴史の開拓者として気概を持って活動していくのが日本共産党の伝統」など志位委員長がのべた最後の言葉も励まされるものでした。今晩の講演は多くの仲間、支持者から早く見てもらいたいと思います。

2010年08月04日

西宮市の「参画と協働のまちづくり」視察

 奈良市のホテルからの発信です。きょうから総務常任委員会の視察です。北陸本線を使って約6時間、西宮市に到着しました。西宮市に出かけたのは、同市が昨年4月に施行した「参画と協働の推進に関する条例」について学ぶためです。

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 「参画」というのは、市民などが政策立案、実施などに自主的に参加することをいい、「協働」とは、市民などと行政がまちづくりにおいて共に行動することをいいます。「参画と協働によるまちづくり」に焦点を絞った条例制定は全国でもあまり例がありません。それだけに、制定の背景や中身に関心を持ちました。

 同市がこの条例を制定した背景には、阪神大震災をきっかけに行政と地域住民が一緒になって何かできないかを考える機運が高まったことなどがあげられていましたが、決定的だったのは、前市長が同条例に意欲を持っていたことだと感じました。内容面では、政策立案や住民投票制度、協働事業の提案などが入っていたものの目新しいものがありませんでした。

 今後、行政と市民などが一体となった取り組みが多くなっていくだけに、こうした条例制定は増えていくものと思います。ただ、私は、こうした条例制定よりも前に自治基本条例を制定した方がよかったのではと思いました。そうでないと、まちづくり全体の方向性が見えないし、議会の役割も明確にならないからです。

 きょうは、カバンの中に井上ひさしの『ボローニャ紀行』(文春文庫)を入れていました。電車の中で読み始めたら、やめられなくなりました。「文化による街の再生」などまちづくりはどうあるべきかを教えてくれる絶好の本だったのです。

2010年08月09日

久しぶりに市役所へ

 昨日の夕方、そして今朝、雨が降りました。アスファルトを濡らす程度の降り方でしたが、いい雨でした。雨の量はたいしたことがなくても、ひと雨降れば違います。虹が出て、涼しい風が吹きました。これからはひと雨降るごとに気温が下がっていくはずです。

 今朝は早く起きて、墓掃除に出かけてきました。草刈り機は昨日使ったばかりですので、順調です。何分もかからずに刈る作業を終えました。線香立てや蝋燭立ては牛舎脇の黒竹を持参し、作りました。これで、誰に墓参りに来ていただいても準備OKです。ずっと気になっていたことがひとつ片付きました。

 きょうは久しぶりに市役所に出ました。雨が少しは降ったのか、南葉山周辺の景色がだいぶよくなりました。写真は、市役所5階から見た南葉山です。

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 ただいま午前11時過ぎ。長崎への原爆投下時間に合わせ、市役所では全職員が黙祷をささげ、私も黙祷しました。午後からの議員研修に使う資料づくりも終わったので、これから妙高市に向かいます。

2010年08月14日

十三夜

 お盆に入って2日目。市政レポート1462号を作成して新聞店に届けた後、スカイトピア遊ランドで飲んでいた中学生時代の同級生と家族に合流しました。ビールをたっぷり飲んで、最後はざるソバ。美味しかったです。同級生とは、めずらしく共産党のことが話題となりました。「いろんな党の主張を聞いていて、共産党の主張が一番いいと思っているが、なぜ伸びないのか」「日曜版には地方版がないのか」など次々質問が出ました。私の『「五センチ」になった母』(同時代社)をまだ読んでいないふたりの同級生からは本を買ってもらいました。

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 きょうは吉川区観光協会主催の納涼盆踊りがスカイトピア遊ランドで行われることになっていました。ところが雨が降って会場はぬかるんでいます。同級生の一人が整備の仕事をすることになっているというので、私たちも手伝いました。大型トラックに砂を運んでもらい、それをグランドに撒く仕事です。長靴を借り、スコップを持って頑張ったら汗だくになりました。

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 盆踊りは夕方から。いつ雨が降るかわからない状況の中でも120人ほどの人たちが集まりました。片桐観光協会会長の挨拶の後、佐渡おけさ、炭坑節と踊り、十三夜まで踊りがすすんだところで雨脚が強くなり、とうとう体育館へ移動することとなりました。今回の盆踊りで私は、久々に見る十三夜を記録したいと思っていました。雨が降ってもカメラを回し続けていたら、すっかり濡れてしまいました。踊りの輪は小さかったものの、収穫は長谷川和作さんの生の唄、それと長谷川勉さん、橋爪宏さんの太鼓です。どちらも良かったです。吉川区に伝わる十三夜はそう面倒な踊りではないので、しっかりと憶え、来年は踊りの輪を大きくしたいものです。動画で「十三夜」の唄と踊りをごらんください。


2010年08月23日

平山郁夫特別展

 おはようございます。昨晩は「龍馬伝」の再放送を観ながら眠ってしまいました。ちょっと動き過ぎたのでしょう。

 昨日、朝は5時前に起床。お宮さんの掃除でした。きょう23日が町内会の祭りなので、ビビラ、竹ぼうきを使い、掃除をしました。大勢でやったので、わずか30分足らずできれいになりました。このお宮さんの広場には新潟県自由民権運動の草分け、鈴木昌司の顕彰碑があります。

 お昼近くになって車で遠出しました。目的地は妙高高原。妙高メッセで開催されている平山郁夫特別展をみるためです。

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 会場の入り口へ行って「おやっ」と思ったのは、今回の特別展が妙高市誕生5周年と同市の非核平和都市宣言記念のなかに位置づけられていたことでした。平山画伯ご自身は被爆者であり、平和への強い意志を持っていた人です。非核平和都市宣言と関連させているところはとてもいいなと感じました。開催にあたっての挨拶文には、そのことがしっかり書かれていました。どなたが書かれたのか、この文章は洗練されていて、印象に残りました。

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 作品のトップに展示されていたのは「月下シルクロードを行く」でした。私の最も好きな絵です。本物でないとわからないのは絵肌、何回も何回も塗り重ねられていて、その厚みにすごさを感じました。いつか訪ねてみたいと思っている敦煌に関連した絵も何枚かありました。それらを観ていたら、井上靖の『敦煌』をいま一度読んでみたくなりました。

 今回はひとりで出かけたので、家族に少しでも特別展の雰囲気を感じてもらおうと絵葉書を買ってきました。たくさん並べてある中でどれを選ぶか、だいぶ悩みました。

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 ホームページに市政レポート1463号、「春よ来い」第120回の「百日紅」を掲載しました。左上の「小さな幸せ通信」をクリックしてご覧ください。

2010年08月24日

「石川啄木の新しい偉業」に注目

 今朝の「しんぶん赤旗」、「学問文化」欄のトップに掲載された近藤典彦氏執筆の「石川啄木の新しい偉業」(全文はこちら)にひきつけられました。というのは、ここに書かれたことを読み、5月8日に吉川区で行われた同氏の講演、「石川啄木を呼ぶ時代」を思い出したからです。

 この講演の中で近藤氏は、石川啄木の、時代を読んだ鋭い評論(「時代閉塞の現状」)のこと、韓国併合を批判した啄木の歌がこれまでの1首だけでなく、その他にも4つあることがわかったことなどを時には涙を浮かべながら熱く語りました。この講演を聴いた時、私は、石川啄木の韓国併合批判の4首の発見、掘り起こしは近藤氏の業績のひとつになると思いましたが、きょうの記事を読み、改めて近藤氏に拍手を送りたいと思いました。

 記事の中で近藤氏は、石川啄木について、「韓国併合をメディアを通じて批判した日本人は啄木を除くとたった一人もいなかった」「知性とヒューマニズムと勇気に満ちた青年のたった独りの闘いだった」と書きました。「時代閉塞の現状」を東京朝日新聞に寄稿したものの、掲載不許可とされ、それを知った夜、啄木から歌があふれ出た。その数は39首にもなるといいます。今回の記事は、石川啄木の偉業に光をあてたものとしてしっかり記憶しておきたいと思います。

 きょうは午前が旧吉川町議会議長(故人)のお連れ合いの葬儀でした。22歳の時にTさんと結婚し、私と同じ尾神集落に住んでおられた人です。子どもの頃からよく知っている人でしたので、「また、さみしくなったな」と思いました。この葬儀のおかげで幼友達にも会うことができました。午後からは、中山間地対策特別委員会の作業部会でした。

 午前に議会運営委員会が開催され、9月議会の日程が決まりました。9月1日から28日までです。総括質疑の通告締め切りは27日、いよいよ議会モードに切り替えないといけません。一段と忙しくなります。

2010年08月25日

思わぬ出会いが

 きょうは全県党議員会議でした。議員団全員召集がかかっていたのですが、私は生活相談の約束もあり、上越市に残りました。

 午前中は9月議会の準備でした。膨大な資料を全部読むことはできませんので、私が入っている総務常任委員会関連の資料を中心に読みました。面白いもので、読み始めたらどんどんはまっていきます。質問したいことが次々と出てきて、どこに焦点をしぼったらいいか悩みます。

 午後からは市職労の大会でした。来賓紹介を終わった時点で退席し、再び議会資料を読む作業に入りました。夕方からは懇親会でした。毎回、思わぬ人と会うので楽しみにしていますが、きょうは、私が吉川町農業委員時代に一緒に飲んだことがある人と再会しました。また、来賓の中に、我が家の次男と付き合いがあった人がおられ、次男が市内で仕事をしていた時のエピソードを教えてもらいました。その人は、次男がある会社を辞めるときに勤め先に挨拶に来た、とても好青年だったとほめてくださいました。まさか、市職労の大会で次男と付き合いがある人の話を聞けるとは思いませんでした。

 これから、再び質問の準備です。明日の団会議では総括質疑の質問項目を整理することになっています。がんばらなければ……。

2010年08月27日

地域自治組織セミナー参加の研究者とともに

 午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。山間部へ行くと、あちこちで涼しい風が吹いています。時間があれば、ゆっくりしたかったなぁ。空は青く、雲は真っ白。ススキの穂が出始めています。写真は吉川区名木山から石谷へ行く途中で撮りました。

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 午後1時過ぎに市役所到着。自治体問題研究所の研究者のみなさんによるヒアリングに参加しました。上越市の地域自治区と地域協議会について詳しく知りたいと事前に提出されていた質問項目に基づいて、自治・地域振興課の池田副課長がまず説明。その後、研究者の皆さんが、「旧上越市内の地域協議会は旧上越市の地域事業についてどうかかわっているのか」「地域活動資金の改善課題は何か」「議員と地域協議会委員は意見交換をしているか」など様々な質問をし、意見交換しました。

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 ヒアリングは木田庁舎だけでなく、三和区総合事務所でも行われました。びっくりしたのは、ヒアリングで配布された資料です。木田庁舎では質問項目に対応した資料がたくさん用意されていました。また、三和区総合事務所では丁寧な回答書が作成されていました。

 研究者のみなさんの話を聴いていて思ったことのひとつは、上越市の取り組みについての評価が思った以上に高いことでした。公募が定数を割った時の地域協議会委員の選任をどうしてきたかなど突っ込んだ質問がいくつもありました。もうひとつ、公募公選制についてですが、制度を評価する一方で、すべての区で無投票となったことから、「このまま継続できるのか」心配する声もあがっていました。もし、再来年の改選期にひとつも投票が行われなかった場合、全国の上越市の地域自治の取り組みに対する関心度は急降下するかもしれません。これから1年半ほどの間に、公募公選制地域協議会の意義を名実ともに高める努力が必要ですね。そのためにどうするかは明日からのセミナーで見つけたいと思います。

 家に戻ってから、再び「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金です。夜7時近くまで動きました。夜は「ゲゲゲの女房」を観ました。きょうは朝に続いて2度目です。布美枝の弟、貴司が死んで飯田家だけでなく村井家でも悲しみに包まれますが、次女の「よしこ」が飯田家から戻ってきた母親布美枝の頭をなでる、おもちゃの電話機で「貴司」と話をする場面に涙を流しました。

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 お盆の頃の戦争体験を前面に出したドラマといい、今回の展開といい、感動で胸がいっぱいになりました。

2010年09月11日

花おさまり

 9月も半ばだというのに、きょうも猛暑でした。私の車についている温度計は36度を超えました。異常です。

 きょうは早朝から「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版の配達、市政レポートの印刷、生活相談とフル回転しました。普通なら疲れがたまってぐったりとするところですが、どうしたわけか疲れを感じません。気分は上々です。

 何よりも、朝から素敵なものを見せてもらったのが良かったのかも知れません。後援会員のOさんの家に行ったところ、「橋爪さんにぜひ見てもらいたいものがあるので、入って」と誘われました。お座敷の飯台の上にあったものは、なんと、なんと見事なジャンボ絵手紙でした。下線をつけたところをクリックしてご覧ください。

 この絵手紙、大きさは縦35センチ、横1メートル35センチもあります。絵も筆の字も迫力満点。これを見たOさんは、手紙の封を切って広げた時、「とにかく感動だった」と言います。Oさんは1年前から闘病生活をしておられます。このジャンボ手紙で大いに励まされたそうです。

 きょうの日中は山間部の一部で天気が崩れたものの、稲刈り日和でした。米山も尾神岳もくっきりと見えました。

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 写真は吉川区の竹直と柿崎区の上直海の間にある農道上で撮影したものです。毎年、コシヒカリの刈り取り期の直前になると、この場所で写真を撮りたくなります。

 夕方、「女性のひろば」読者の方を訪ねると、お客さんとお茶会の最中でした。私も誘われ、ご馳走になりました。この時、テーブルの上に出されていた漬物は……。

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 これは大根の「花おさまり」だといいます。「花おさまり」という言葉は、きょう初めて出合った言葉です。花盛りが終わり、まだちょっぴり花の面影が残っていて、種の準備が始まる、そんなタイミングでつまみ、漬けたのだとか。塩漬けなので、ご飯のおかずにするとちょうどいい感じです。それにしても、「花おさまり」という言葉、素敵な言葉ですね。

2010年09月18日

寝てしまいました(18日その1)

 涼しくなりましたね。どうも疲れがたまったようです。昨日は早朝から裏表ありの市政レポートを作成し、印刷、その後、市議会でした。めずらしくクーラーにお腹が反応して、途中でトイレに行かなければならない場面もありました。夕飯後、まもなくダウン。目が覚めたら朝になっていました。昨日の一般質問の模様については今晩書きます。これから「しんぶん赤旗」の配達です。

2010年09月20日

大学の先輩が『「五センチ」になった母』感想文

 大学の先輩が私の随想集、『「五センチ」になった母』(同時代社)の感想文を「新にいがた」という地方紙に投稿し、同紙に掲載されていたことをこのほど知りました。この感想文は先月下旬に発行された号に掲載されていたものです。下線を引いたところをクリックしてごらんください。書いてくださったのは新潟市在住の酢山省三さんです。酢山さん、お礼の挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。

 酢山さんは新潟大学人文学部の先輩で、学生時代からずっとお世話になっている方です。社会人になってからは、仕事をしながら、詩人として活躍されてきた経歴の持ち主でもあります。私も酢山さんの創作活動の影響を受け、一時期、詩作のまねごとをやったことがありました。会うといつも、「がんばっているか」と励ましてくださる大切な先輩です。定数1の市議選に初めて挑戦した時にも、同じ学部の先輩のIさんとともに応援にかけつけてくださいました。酢山さんの感想文は、私への励ましのメッセージでもあります。ほんとうにありがとうございました。

 きょうは朝の「ゲゲゲの女房」を観てから、「今森光彦・ニッポンの里山を行く」を最後まで観ました。午前は中山間地振興条例(仮称)を考える時間にしようと思っていただけに、ベストタイミングでの放映です。長野県の山間部で春作業のはじまりに行われる用水の水引き作業、私も経験したことがあり、感動で心が震えました。また、森林は平地に恵みをもたらすだけでなく、豊かな海を育てていく上でも重要であることが丁寧に語られていました。陸に近い海岸に繁殖している50種を超える藻とたくさんのプランクトンの映像が特に良かった。カメラの一部を海水に浸し、陸とともに映し出すなんて、すばらしい。

 この番組のおかげで一般質問の準備は後回し。富山和子の『森は生きている』(講談社青い鳥文庫)を再読しました。

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 写真は、近くの林の中で採ってきたヤマボウシの実です。「今森光彦・ニッポンの里山を行く」を観て、『森は生きている』を読んだら、海も山も大地もある上越市が今まで以上に魅力あふれるまちに見えてきました。

 市政レポート1467号、昨日アップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてお読みください。

2010年09月23日

いよいよ長袖の季節

 寒くなりましたね。きょうは半袖で動くと寒さを感じました。家に帰ってからは長袖を着て過ごしています。寝る時も毛布1枚では風邪を引きそうです。

 きょうは午前10時過ぎに家を出て、昨日書いた柿崎区のMさんを訪ねました。3年ほど前までは元気だと聞いていたのに、いまは、寝た切りでしゃべることもできません。食べ物も胃に直接流し込むようになっていて、亡くなった私の父と同じでした。

 正午過ぎ。新潟青年ユニオンのみなさんたちが取り組んでいる「プチ派遣村in上越」を訪ね、激励してきました。私が着いた時は、40前後の女性が相談を終え、帰るところでした。久しぶりに若い人たちの輪の中に入って話をしてきました。職場での陰湿ないじめ、求人が少ないなかで好調企業幹部の強気な態度など私の知らないことをいっぱい教えてもらいました。上越の派遣村は26日まで。時間は午前10時から午後4時までです。仕事のことなどでお困りの方は、電話025-526-2709にかけてください。場所は、上越市栄町7-7、民商会館1階です。

 家に戻ってからは市政レポート作成です。時間がかかったのは「春よ来い」の第121回、ここ3週間ほど書いていないので、今回こそはの思いでがんばりました。明日の午前10時からの一般質問はまったく準備しませんでした。1日休みが入ったので、明日の朝、イメージトレーニングをしながら市役所に向かいます。

2010年09月26日

草刈りに精を出す

 朝、きょうこそはと思っていたことがあります。ひとつは床屋さんへ行くこと、もうひとつは草刈りです。

 午前中に「しんぶん赤旗」の集金活動をやり、途中で、思い切って床屋さんへ行ってきました。本当はこの間の連休中に行き、一般質問前に頭をきれいにしたいと思っていたのですが、時間をとれなくてダメだったのです。散髪中、きょうはめずらしく眠りませんでした。今年のコメのでき具合や田んぼに堆肥を入れないでいいかなど次々と出された話のインパクトが強かったのかもしれません。異常高温のせいで、とれた米は量が少ないだけでなく、等級も近年になく悪いですね。

 昼休みの時間帯、デジカメ片手に近くの野道を散歩しました。センニンソウ、ノギクなどが咲いていて、写真に撮りました。写真はノギクです。

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 空は完全に秋空です。先だってまでのもくもくした厚みのある雲に代わって、秋風に流される薄い雲が広がっていました。

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 近くの森からはきょうもセミの鳴き声が聞こえてきました。ツクツクボウシです。ミンミンゼミは昨日の25日、区内小苗代で聞いたのが最後になりました。きょうはもう鳴いていません。わが家の周辺でミンミンとツクツクボウシが一緒に鳴いていた最後の日は20日でした。

 草刈りは、わが家の畑のある農道と牛舎周辺の草刈りです。どちらも除草剤を1年を通じてまったく使わないので、どんどん伸びます。1年に最低3回は刈らないといけません。異常高温の後に降り続いた雨の影響もあって、草は30センチほどに伸びていました。午後1時半頃から約3時間ほど集中して草刈りをしたら、きれいになりました。これで、今年はもう草刈りをしないですむでしょう。

 草を刈る時、西日を受けてキラキラ輝いていたのはキンエノコロです。

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 どうです。いいでしょう。このキンエノコロの写真を見ていると、子どもたちや動物たちが出てきそうな感じがしませんか。

 市政レポート1468号、「春よ来い」の第121回をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてご覧ください。

2010年09月27日

ジャンボ絵手紙余話(27日その1)

 9月11日の日記及び19日付け市政レポートでハスの花のジャンボ絵手紙を紹介したところ、この記事を読んだHさんから絵の描き手のYさんのところへ市政レポートのコピーとともに手紙が届いたそうです。「ひょっとしたら、この絵を描かれたのはあなたではありませんか」と。

 じつはHさんは、Yさんから絵手紙を習っていたのです。そして、昨日、ジャンボ絵手紙をもらったOさんのところへ行ったところ、Yさんから再び絵手紙が届いていました。

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 季節感があり、あったかい手紙ですね。ブログに書いたことがこのように波紋を広げていくのはうれしい。

2010年09月30日

きょうの動きに注目を

 おはようございます。朝の発信となりました。体が休めと言っていたようです。昨晩は9時頃夕飯を食べ、その後、パソコンを開くことなく寝てしまいました。途中で一度起きたものの、再び布団に。目が覚めたら、6時を回っているじゃありませんか。大慌てで「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ました。

 さて、昨日は整形外科に行ってきました。数年前に左足の裏に腫瘍(良性)ができて手術をしましたが、歩くとその近くが痛み出します。がまんにも限界があります。昨日は市役所の近くにある整形外科に8時半に行きました。待ち時間を含め終わるまで3時間もかかりました。レントゲンの結果、足の骨には異常がないが、アーチ形になっている筋に負担がかかっているようだとの診断結果が出ました。履いている靴をかえるとともに、体重を減らす努力をしないといけないようです。

 午後からは中山間地対策特別委員会でした。今回は、今年の6月に行った「中山間地域における集落の実態調査結果報告書」(案)について報告がありました。市役所では2006年(平成18年)にも中山間地域の高齢化の進んだ集落調査を行い、全国から注目を集めました。今回の調査は、集落の生活組織、生産組織の状況、集落のみなさんが不安に感じていることなど新たな視点も盛り込み調査してあります。もう2、3日で正式な報告書がまとめられるとのことですが、私の方からは2006年調査と比較しやすいよう工夫をすることなどいくつかの注文をさせてもらいました。

 さて、きょうは9月の最後の日です。先日の一般質問で市長は私の質問に答えて、今月中に信越本線(脇野田駅)移設事業などをめぐる新潟県、上越市、JR東日本の間で交わされた覚書、協定書の見直しが行われると答えました。また、「必要な情報については適時適切に情報提供をしていく」とのべています。その情報提供がされるかどうか、きょうの動きに注目です。

2010年10月04日

サイ・イエンガンさんの歌にうっとり

 地震の方は、きょうは何もなくホッとしています。ただ、ちょっとでも揺れを意識するとぐらぐらする感じになってしまいます。ま、もう1週間は要警戒でがんばります。

 きょうは議員団会議で団ニュースの編集作業をやったあと、市民アンケートをどうするかなど話し合いました。9月議会の総括もしなければなりません。4人の議員団のなかで3人がブログを書いていますが、党議員団としての統一見解が必要なものをどう書いていくかなどについても話しました。

 午後からは誘われてサイ・イエンガン(崔岩光)さんの歌を聴きに行ってきました。場所は大島区の大山温泉あさひ荘。畳敷きの大広間での音楽会は初めてでした。サイ・イエンガンの歌を聴くのは吉川小学校での公演以来で、今回が2度目です。「宵待草」、「人形の家」、「愛する小鳥よ」など10曲ほど聴きました。声量が豊かなで、小鳥のさえずりのような見事な歌にうっとりでした。

 夜、地団研の先生に会う機会がありました。数日中に、今回の地震について研究会の人たちで意見交換されるとのことでした。今回の断層の動きや特徴についてどんな分析をされるのか聞いてみたいものです。

 

2010年10月05日

父の「計算」

 わが家の庭はいま、金木犀が満開です。車を止めて降りた瞬間、とてもいい匂いがしたのは数日前でした。きょうは一番いい色になったのではないかな。

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 どうです、素敵でしょう。わが家の庭には、春は桜、梅、ベニコブシが咲き、夏から秋にかけてには百日紅、ムクゲ、金木犀、山茶花と続きます。これらはすべて父が植えたもの。一つひとつの花が咲くたびに、「これはじいちゃんが植えた木だ」と思いだすことになります。父が一生懸命育てていたのは、生きている時に自分自身が楽しむためだと思っていました。でもそれだけではなかった。父のことだから、多分、死後も「みんなから思いだしてもらう」ことを計算していたのではないか、最近、そう思い始めています。

 きょうは午前中が牛飼いの仲間だったHさんの葬儀でした。夏の猛暑の影響がここにきて出て、高齢の人、病弱の人が次々と亡くなっているような気がしてなりません。Hさんは夏場は米を作り、冬になる前に出稼ぎに出ました。そして牛を飼うようになった。こうした点は父と同じです。学校は違いますが、確か、Hさんは父と同い年だったかと思います。Hさんのお連れ合いはわが家の隣の生まれ。ずっと親しく付き合いをさせてもらっています。母親似で小さい体をされていますが、きょうは、さらに小さくなったように見えました。

 お昼時間に母が最近見つけたという写真を見せてくれました。

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 写真はわが家が尾神岳の近くにあった時のもの。写真の裏には「昭和31年4月13日午後5時30分。曇。ネオパンSS」などと鉛筆で書かれています。撮影時間などの記録です。これらから判断すると、写真の家はわが家が新築された翌年の春の写真のようです。白い点々は雪ではなく、写真の傷みです。私の記憶の中にあった「芋どこ」「鶏小屋」「柿の木」を写真の中に見つけました。どなたが撮影してくださったのか、感謝です。

 午後はずっとデスクワークでした。途中で気分転換のため、柿崎区の下中山、小萱方面へ出かけてきました。目的はシラネセンキュウの花の撮影です。運良く、ちょうど咲いたばかりの花と出合うことができました。

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2010年10月09日

小雨降る中、えちごくびき野100キロマラソン

 えちごくびき野100キロマラソンの日。小雨がぱらついてちょっと寒い日となりました。でもランナーにとってはちょうどよかったのかも。午後1時半過ぎから3時半頃まで吉川コミュニティプラザ前広場で応援してきました。

 「ようこそ風の里 吉川区へ」というゲートをくぐって次々と走ってくる選手たちに拍手を送りつづけました。選手のゼッケン番号と名前が放送されると、ボランティアの中学生たちが声をそろえて応援していました。

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 顔を知っている選手が入ってくると応援にも力が入ります。「橋爪さん」と声をかけてきてくれたのは市役所職員の山岸さん(大島区出身)です。吉川区までの70数キロを走りました。よくがんばった。

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 今回のマラソン大会には吉川区から小池修さん、市村真理子さんなど6人の人たちが選手として参加しました。玄関前のテントのそばにいたら、ひとりの女性ランナーがほほ笑みながら軽く手をあげて走り抜けました。「感じのいい女性だな。誰だろう」そう思っていたら、なんと真理子さんでした。お連れ合いが迎える中、休憩所へ。

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 選手の中には上越市議会の近藤彰治議員もいます。私と同い年で、スポーツ分野を中心に頑張っている議員です。走る姿を見たらうれしくなって、20メートルほど一緒に走りました。

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 きょうは調子がいまひとつだったようで、「休ませてくれ」と言ってイスに座り、目をつむっていました。そのうち、「寒くなってきた。毛布頼むわ」と言います。保健センターまで行って保健師さんから毛布を借りてきて、彼の体を包み、抱きしめました。上野議員からの連絡によると、近藤議員は無事完走したそうです。よかった、よかった。

 私がいる間にもうひとり吉川区出身の選手が入ってきました。市村雅幸さんです。上越タイムスの記者をやっていることもあって、多くの人たちに知られています。テント前では、地元の原之町の人たちや吉川中学校の生徒のみなさんから激励を受けていました。

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 悲しいニュースです。市政レポートを商業紙に折り込んでもらうため、大潟区の新聞店へ行った時の帰り道、党支部の仲間から、「町田のKさんが亡くなっているのを父が発見した」との電話が入りました。大急ぎでKさん宅へ行きました。

 Kさんは独り暮らしでまだ48歳、糖尿病と闘っていました。彼のお母さんがわが家の隣の出身ということもあって、Kさんとは親しく付き合いをさせてもらっていました。お母さんは現在、特養ホームに入所しています。Kさんの早すぎる死を知ったらどんなに切ながることか。あまりにもかわいそうです。

2010年10月10日

梅原司平コンサートin上越

 梅原司平コンサートへ行ってきました。会場である頸城区の希望館大ホールは満席でしたね。梅原司平さんに関しては数年前に『愛は元気ですか』(たかの書房)とCDを買い、CDは車の中で毎日のように聴いてきました。でも、生で聴いたのは今回が初めて。伸びのある声と語りが素晴らしかった。いつも片想いばかりの青春時代、母親の死に目にあえず、あんちゃんから「やっぱり間に合わなかったか」と言われた話など、どの話にも心に響くものがありました。もちろん歌も。だから、テレビやラジオには出ない歌手であっても、コンサート会場にたくさんの人が駆けつけるのだと思いました。歌って、しゃべって2時間、久しぶりに味わった感動のコンサートでした。

 きょうのコンサートには先日、長野で交流したHさんの姿もありました。長野からはワゴン車に乗って7人もの人たちが頸城区までおいで下さいました。コンサートが終わって、Hさんから一人の男性を紹介してもらいました。長野県栄村の元村議、広瀬さんです。私が旧吉川町議時代に2度ほどお邪魔し、栄村の地域づくり運動について勉強させてもらったことがあります。その時の案内役を務めてくださったのが広瀬さんでした。「憶えていらっしゃいますか」とお聞きしたら、「もちろん、憶えています。貫禄がついたね」。うれしい再会でした。

 きょうは午前に地元集落のSさんの葬儀があり、いったん家に戻ってから、高田の花ロードを見に出かけてきました。何よりも見たかったのは、雑木を使った巨大な作品、「生命の樹」です。この作品は、メイン会場である雁木通りプラザ脇広場にあります。

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 数百、いや数千本の木を束ね、いのちの根が張り、樹となって上にも横にも伸びていく、その力強さが気に入りました。制作者の玉井隆さんとも再会しました。私の子どもと同世代の人で、きょうは着ているものもばっちり決まっていましたね。

 雁木通りプラザ脇広場に着いた時には吹奏楽の演奏が行われていました。

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 次に行ったところは第四銀行旧高田支店の建物です。内部が公開されているというのでのぞいてきました。銀行業務が行われていた時と違い、建物の柱、壁などがよくわかりました。金庫室や会議室なども素敵な空間でした。壁に展示されていた「郷土を築いた人々」の中に新潟県内で初の政治結社、明十社をつくった自由民権運動家の鈴木昌司のパネルがありました。鈴木昌司の住んでいた屋敷は現在のわが家のすぐ隣です。このパネルは全部読みました。

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 花ロードのかざりのなかには気に入ったものがいくつもありました。そのひとつを紹介しましょう。牧区の特養ホーム「沖見の里」のみなさんが作られたものなのでしょうか、「大月の棚田」というタイトルの作品です。棚田をよく表現できていると思いました。高田の街なかのイベントにこういう作品を出すこと自体がいい。

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 市政レポート1470号、「春よ来い」第123回「父の『計算』」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2010年10月11日

くちなはに 命吹き込む 悲鳴かな

 今朝の新潟日報を見たら、日報俳壇賞に妻の句が佳作として選ばれていました。俳壇賞の佳作に入ったのはこれで4度目です。
 くちなはに 命吹き込む 悲鳴かな 
 ヘビを見つけた人が悲鳴をあげたら、かえってヘビの方がびっくりしてスピードをあげて逃げていく、そんな光景が目に浮かびます。旅行に行っていた妻に携帯メールで「俳壇賞佳作おめでとう」と送信したのですが、返信なし。おかしいなと思っていたら、「電池がなくなっちゃった」とのことでした。おっちょこちょいぶりは私と同じ。どうして夫婦はこんなにもダメなところが似るのでしょうか。

 きょうも午前中は葬儀でした。葬儀場となったKさんの家は地元集落の人や親せきの人たち、友人、それに同級生などでいっぱいになりました。心配したKさんのお母さんですが、車椅子に乗ったまま、盛んに口を動かしていました。式が始まる前に、「おっかちゃ、びっくりしたろうね。大丈夫かね」と声をかけたら、「世話になったね、おら、びっくりして涙も出ね」。そういえば、私の弟が突然死んだ時も母は涙を流しませんでした。若い人が亡くなるというのは涙を奪うほど悲しい。

 午後からはデスクワークでした。ただお腹の調子が悪く、思うように仕事が進みませんでした。今週は議員団ニュースの担当です。原稿書きの方が一応終わったのは夕方でした。明日は新潟県庁です。腹の調子が戻ってくれればいいのですが。

2010年10月30日

早朝からフル回転

 大忙しの一日でした。早朝にビラ5500枚裏表を印刷、その後、「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達、集金をしました。さらに夕方からは2会場で「橋爪法一を囲む会」です。正直言って、疲れましたね。

 「囲む会」へは明日付けで発行する市政レポートを持って行きました。市が取り組もうとしている住宅リフォーム助成制度の概要が書いてあることもあって、これについての質問が多く出ました。また、1日に正式に設置される県立吉川高等特別支援学校についても、「生徒が泊る場所はどこか」「生徒はどこから集まるのか」などたくさんの質問が出て、この問題についての関心の高さをうかがい知ることができました。

 市政レポート1473号、「春よ来い」の第126回「結婚記念日」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてご覧ください。また、昨日紹介した、「小さな脱穀機」の動画を掲載しましたので、これもぜひご覧いただけたらうれしいです。

2010年11月05日

早川大斗先生のお通夜に参列

 書家として活躍されてきた早川大斗先生のお通夜に妻とともに参列してきました。早川先生とは旧吉川高校勤務の時以来、親しくお付き合いをさせてもらってきました。旧柿崎高校へ転勤されてからは妻もお世話になりました。

 お通夜の会場には早川先生の作品がいくつか飾ってあって、通夜式後、何人もの人たちがその場で立ち止まり、在りし日のことを思い出していました。

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 早川先生の書をひと言で言うなら、力強く、そして優しい。旧吉川町総合センターで開催された個展で出合ったのが最初でした。たしか、日本国憲法前文の作品もありました。たいへん感動しました。先生とは初めて会ったのに、すでに私のことはご存じで、親しく懇談させてもらったことを記憶しています。式場での写真をもう一枚紹介します。

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 いまの市政レポートの前に発行していた吉川民報の題字は早川先生から書いていただきました。勢いを感じさせる題字を見て、「早川先生の書かれたものだね」という人が大勢いました。それだけ、早川先生の書は旧吉川町民の間に広がっていました。地酒の「よしかわ郷」のラベルの字も先生の作です。私の最初の随想集、『幸せめっけた』(恒文社)の題字は、早川先生からお手本を書いてもらい、それを見ながら妻が書いたものです。また、現在も「橋爪法一を囲む会」などで使っている「ふるさとは母 ふるさとは命」という文字が書かれた旗も早川先生にお願いして書いていただいたものです。

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 遺影は私の旗を書いていただいた頃に撮られた写真だと思います。笑顔の素敵な先生でした。心からご冥福をお祈りします。

 明日の早朝、東京へ出発します。そのため、きょうは一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。途中、蛍場の紅葉を見てきました。

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2010年11月07日

第18回東京吉川会は盛会でした

 きょうは午前11時半から東京吉川会の総会と懇親会でした。東京、千葉などから約100人が集まり、新潟からは14人が参加しました。この他、いくつかの郷人会の会長さんなどが来賓として参加されましたので、大勢でした。

 平山勇会長の挨拶の後、吉川区などからの参加者を代表して吉川区総合事務所長の八木辰正さんが、吉川区の最近の動きを紹介しました。

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 昨年12月から今年2月にかけて降った雪、県立吉川高等特別支援学校の開校準備が進んでいることなどの話を参加者は興味深く聴いていました。

 この会の魅力は、何といってもふるさと吉川出身の人たちと会って話ができること。ここ6年ほど連続して参加していることもあって、かなりの人たちと顔見知りになりました。そういう人たちからは、政治の話も結構出ます。きょうは、次回の市議選のことや読売新聞で連載が始まった不破哲三の「時代の証言者」のことが話題に上りました。

 各人が胸に付けている名札を見て話しかけると、兄弟の人や実家のみなさんと私が交流のあることがわかって、どんどん話が進みます。きょうも原之町出身の方や伯母ヶ沢出身の方などと初めて話をしました。

 きょうは源中学校時代の同級生とも再会することができました。再会したのは、いずれも女性ばかり。一緒に記念写真も撮りました。すでに還暦を過ぎているにもかかわらず若々しいので、驚きました。

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 懇親会ではマジックや踊りなどもあり、会は盛り上がりました。写真はバリダンス、私は最前列にいたので、体の動きなどがよく見えます。しなやかで、とってもセクシーでした。

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 帰りはマイクロバスに乗せてもらいました。いつものことながら、バスに乗っても宴会は続きます。よく飲み、よくしゃべって、とても賑やかでした。

2010年12月11日

柿花火

 朝は寒かったですね。今冬では二度目の霜が降りました。午前は青空も広がりました。そうしたなか、旧吉川町議だった内籐清徳議員の葬儀に参列してきました。まだ72歳という若さで突然亡くなられたので、信じられない思いです。最後にお会いしたのは数ヶ月前でした。なんでもズバズバ言う性格の持ち主で、その時も説教されました。「おい、橋爪君。人の葬式に行ったら、じっとしていないでいろんな人と話をしなきゃだめだぞ」こんな調子です。数年前、市議会での私の質問に、「もっと、わかりやすく話をしろや」と注文をつけてこられたこともありました。このアドバイスをもらってからは、日常会話で使っている言葉で質問するよう心がけています。内籐さん、ありがとうございました。

 葬儀の後はフル回転で「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。昨日はほとんど配達できなかったので、明日の早朝までかかります。途中、何枚かの写真を撮りました。そのうちの1枚は、懐かしい「しょいかご」(背負うカゴ)です。庭掃除でしたが、いまでも使っている人がいる。それだけで感動してしまいました。「顔はかんべんしてくんないや」と言われて撮ったものです。

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 もう1枚掲載しましょう。柿花火です。この言葉は今年初めて出合った言葉です。俳句の季語のひとつだといいます。妻から、「どんな状態を言うのか」訊かれ、インターネットで検索したところ、冬のこの時期、花火がパッと開くような感じで柿の木に実がなっていることを言うようです。それでは、柿花火、打ち上げます。

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2010年12月12日

ハクチョウの飛び立つ姿に感動

 5時に起きるつもりだったのに、目を覚ましたら午前6時、こりゃたいへんだと思いながら車を走らせました。今朝の「しんぶん赤旗」の配達は日刊紙と日曜版の残りです。2時間ほどかかってようやく終わりました。日曜版は通常金曜日から土曜日までの間に配達していますので、きょうのように日曜日になったのは久しぶりのことです。申し訳ありませんでした。

 さて、今朝は配達したその足で上吉野池まで出かけてきました。ハクチョウが次々と飛び立つ様子を見てみたかったのです。あいにくの雨風でしたが、近くの駐車場まで行き、ゆっくりと観察してきました。いつも車でそばを通り過ぎるだけでしたので、池の大きさもわかりませんでした。予想以上に大きな池でした。ハクチョウが飛び立つ風景は初めて見ました。家族で合図を送り、一斉に飛び立つ。水面をパタパタさせて飛び立っていく姿は感動的でした。途中、ちょっとだけ晴れ間がありました。その時、虹ができ、ハクチョウの飛ぶ姿を同じアングルのなかで撮影出来ました。幸運でした。

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 きょうは車交換の日でした。春から乗っていた三菱のジープ、いい車ではありますが、年間3万キロ弱も乗る私には似合いませんでした。それで、またホンダライフに乗ることにしました。もちろん中古車です。ただ、オートマではないので慣れるまで少し時間がかかりそうです。

 市政レポート1479号、「春よ来い」第132回の「木枯らしが吹いて」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2010年12月16日

クセ

 妻のところに宅急便で化粧品が届きました。たったひとつのビン入り化粧品ですが、包装は大がかりで、割れないようにクッション材を入れてありました。

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 見たことがあるでしょう、これは。このクッション材、じつは、私は大好きなのです。これを手にすると、空気の入った小さな袋をつぶしたくなるのです。始めたら、もう止まりません。最後のひとつまで、プツン、プツンとやってしまいます。これはもうクセですね。

 きょうは午前中、たまっていた雑用をいくつもこなしました。日中は青空も広がって、とてもいい天気になりました。写真は吉川コミュニティプラザです。

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 もう一枚、ごらんいただきましょう。お昼頃の米山です。

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 午後からは市政レポートの原稿書きでした。一般質問のやりとりの一部を紹介しようとインターネットで中継録画を繰り返し見ました。自分の映像を見るのはあまり気分のいいものではありません。答弁への切りかえしが不十分であったり、こちらの主張がなかったりと悪いことばかり目に入ってしまいますから。でも、何とか仕上げました。

2010年12月18日

高崎にて法事、夕方はキラキラ大作戦へ

 今朝の新潟は小雨が降り続き、しかも朝の7時でも車のライトを点けなければならないほど薄暗かったですね。ところが、トンネルを抜けると青空だった。新幹線で高崎まで出かけてきましたが、越後湯沢と上毛高原では大違いでした。

 高崎は従姉のお連れ合いの1周忌法要でした。高崎市では有名な長松寺でお経を上げてもらってから、近くの割烹でお斎をいただいてきました。このところ、ご馳走ばかりいただいているのでさらに体重が増えないか心配です。お斎では伊勢崎市の従兄夫婦と一緒だったこともあって、亡くなった伯母や伯父のこと、来春に予定している山菜採りなどの話をたくさんしました。

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 電車に乗って遠くへ出かける時の楽しみは本です。きょうは岩波新書の新刊、『本は、これから』を持ち込み読みました。読み始めたら、電子書籍も悪くないなと思うようになりました。拾い読みしていて面白かったのは、地域に根差した書店づくりと買書家の話。今後の地域文化を育てる上で参考になります。帰りは、まだこの新書を読み終えないというのに、文芸春秋の新年号を買いました。特別企画の「弔辞」を読みたかったからです。水前寺清子の星野哲郎への弔辞、それから「何も書かれていない白紙の弔辞文を読んだらしい」と話題になった、タモリの赤塚不二夫への弔辞などみんな個性があってとても勉強になりました。不破哲三の宮本顕治への弔辞も載っていましたよ。

 吉川区へ戻ってから、一休みして、それから原之町へ出かけてきました。第6回のキラキラ大作戦を見に行くためです。ねらいは冬の花火です。花火は午後8時から20分くらいだったでしょうか、とてもきれいでした。

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 花火はこれまでのキラキラ大作戦の中で一番多く上がったように思います。協賛者のなかには孫さんが誕生し、その子の成長をねがって、花火を上げた方もおられました。「それではソラ君が大きく羽ばたくことを願って花火が上がります」。このアナウンスを聞いて、今年観た映画、「お兄ちゃんの花火」を思い出しました。花火は動画も撮ってあります。ごらんください。


2010年12月21日

議員団ニュース新年号の準備も

 平日、地元に半日いられるというのはうれしい。きょうは「しんぶん赤旗」の集金、りんご配達、自動車保険の変更、お悔やみなどで11時半過ぎまで吉川区内で動きました。

 久しぶりに会う人が何人もいました。吉川コミプラ前駐車場で私の前を歩く素敵な女性はランニングで健康保持に努めているMちゃんでした。「これまで以上にきれいになったね」と声をかけたところ、「のりかずさんも以前のように走ったら」と言われてしまいました。お悔やみに行ったTさん宅では、3人の方と再会しました。そのうちの一人の方は現在、柏崎市に住んでおられ、10数年ぶりの再会でした。お連れ合いは闘病中、胃に穴をあけ、チューブで栄養補給をしてもらっています。口から食べたがるので、リンゴをすり、ガーゼにしみ込ませて毎日、ほんの2,3滴だけ飲ませているという話を聞いて切なくなりました。

 お昼すぎに市役所へ。議員団ニュースの編集、12月議会報告ビラの検討、市長への要望のまとめなどで夕方までかかりました。議員団ニュースの新年号の準備も始めました。

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2010年12月23日

今年初めてのカモ鍋

 深夜2時頃に1回目が覚め、その後眠れませんでした。布団の中に入ってはいたのですが。今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でしたので、寝坊してはいけないという気持ちが働いたのかも知れません。

 きょうは休日でしたが、休日を返上して党議員団会議を行いました。27日午後3時過ぎから市長要望を提出するので、その準備です。この1年間の動き、市民から寄せられた要望等を整理するのに時間がかかりました。また、午後からは上越市内の地区委員会議でした。年末に向け政治課題を討議し、新年早々から活動を元気にすすめようと話し合いました。

 夕方、頸城区在住の友人からカモ鍋を食べにこないかと誘われ、出かけてきました。カモ鍋は今年初めてです。2時間ほどじっくり煮込んだとかで、肉はとても軟らかく、美味しかったです。大きなお椀に3杯もいただきました。ネギ、ごぼうもうまかった。おかげで一日の疲れが吹き飛びました。写真をごらんください。うまそうでしょう。

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 きょうは一日中、荒れ模様でしたね。雷が鳴り、あられも降りました。夜になってからは風も強くなってきました。また、雪かな。

2010年12月26日

青空が広がって「もうけもんの日」

 昨日の荒れがうそのようです。今朝は青空が出ました。午前は区内で葬儀に出ました。式場となった居間も日が差し込んだところは暖かです、腰のまわりが寒かったので、日当たりに行きたくなりました。

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 午前10時頃の尾神岳です。いつもは午後にならないときれいに見えないのですが、雪のせいか、きょうは午前からよく見えました。

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 県立吉川高等特別支援学校の工事現場をのぞいてきました。耐震工事、外壁工事が終わったところは新築したばかりと見間違うほどきれいになっていました。工事は来月14日が工期です。きょうは日曜日だというのに、工事関係者のみなさんは仕事をされていました。

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 句会に出るというので、妻を高速バス停まで送りました。その時の米山と尾神岳です。柿崎インター付近の田んぼは稲の株が見えました。雪の量は奥地と比べると無いに等しい。

 午後からは生活相談2件。パソコンを使って文書をつくる仕事でした。インターネットで調べ、一つひとつ確認しながら作成しましたが、3時間近くもかかりました。

 市政レポート1481号、「春よ来い」第134回の「ヨシキュウさん」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

 

 

2010年12月29日

体はひとつ、やるべきことはいくつも…

 年末は大忙しです。今朝、車を走らせている間に電話が次々とありました。いずれも生活相談です。「忙しいのに申し訳ないけど…」で始まる電話は間違いなく、相談ごと。きょうだけでも3件もありました。このうち1件は午前中に対応しました。残りは明日となります。

 いまやらなければならないのは、生活相談以外に、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、年賀状書き、「市政レポート」新年号の作成の3つがあります。これらを1つの体でやろうというのですからたいへんです。きょうは午後から市政レポートの作成に入りました。13週連続で書いてきた「春よ来い」がなかなか書けず、てまどりました。年賀状は印刷まで出来ました。あとはあて名書きです。

 というわけできょうはこれでおしまい。明日から年明けまで天気は荒れるそうです。お互い、事故のないように気をつけましょう。

2010年12月30日

「ヨシキュウさん」にうれしい反響

 朝は4時に起床。市政レポートの新年号の原稿書きを約2時間かけてやりました。表裏両面とも大きな写真が入っているため、片面を刷って、すぐにもう片方の面を刷ると白紙がでます。そのため、「しんぶん赤旗」日曜版に折り込む分を刷った段階で両面を刷るのはやめにして、時間を置くことにしました。結局、印刷が終了したのは午前10時半です。急いで印刷するとろくなことがありません。市政レポート新年号は「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版だけでなく、吉川区内で配達される1日付けの商業新聞にも折り込みます。

 「しんぶん赤旗」日曜版新年号の配達は市役所内の読者分は28日に行い、他はきょうからです。夕方までフル回転で配達しました。今回は多くの読者の方から声をかけてもらいました。先週号に折り込んだ市政レポート掲載の「春よ来い」(第134回の「ヨシキュウさん」)について、「おらもヨシキュウさんにやさしくしてもらった。涙が出た」などの感想が次々と寄せられました。これだけ反応があるとうれしいですね。専徳寺のご住職が、「10人いれば10人がヨシキュウさんとの間にドラマがある」とおっしゃったのは本当でした。

 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の配達の途中、従弟のところへ行き、チェンソーで彫ったウサギを撮影してきました。昨年の牛、今年のトラに続く作品です。人間よりも高い大きなウサギにはびっくりでした。

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 このウサギの奥にもう1つ、ウサギの像がありました。こちらのウサギはメスなのでしょうか、左手の位置がちょっと気になりますね。

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 山間部では昨日、日中から雪が降り続いたといいます。大島区の旭地区や吉川区の上川谷では積雪が1メートルを超えていました。写真は大島区竹平です。

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2011年01月01日

新年のメッセージから

 元日。皆さんのところにはたくさんの新年のメッセージが寄せられたことでしょう。私のところにも年賀状などで寄せていただきました。いずれも新年を元気に生きていく上での励ましになります。ありがとうございました。

 きょう、寄せていただいたメッセージの中で強く印象に残ったものを2つだけ紹介します。

 ひとつは三宅島から届いたSさんの封書です。封書の中には、「車いすに夢をのせて歩む」というタイトルのメッセージが入っていました。400字詰原稿用紙に手書きで書かれています。

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 Sさんは10数年前に右脳大出血で左半身マヒとなり、昨年の5月には左脳出血で、立つことも歩くこともできなくなりました。私とは10年ほど前から付き合っていて下さいますが、昨年の出血は今回初めて知りました。Sさんの素晴らしさは、どんな状況になっても、やりたいことがいくつもあって、いつも前向きに生きておられることにあります。メッセージには、紙おむつをして、お連れ合いや妹さんに介護をしてもらいながら、車いすに乗って元気に頑張っている姿が生き生きと綴られていました。「心臓と相談しながら」、『人生の四季』(日野原重明著)、『アメリカを訪問して』(志位和夫著)、『すてきな田舎 元気なふる里』(田中勝己著)等の本を次々と読む。大正琴を習おうと購入する。新聞に投稿する。本当に意欲的です。そしてSさんは、自分を支えてくれている人たちに感謝しつつ、こうのべているのです。「みなさんも辛いこといっぱいあるでしょうが、ゆめをあきらめずに歩みましょうね」と。たいへん励まされました。

 もうひとつ、大学の後輩のWさんからは宅急便でウサギと花の飾りをプレゼントしてもらいました。私の書く「春よ来い」などに何度もコメントを寄せていただき、交流させてもらっていますが、この人と付き合うとみんな元気になります。Wさん、ありがとうございました。

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2011年01月04日

「にいがた着…尾神岳の麓で」が話題に

 昨晩10時半頃、急に吐いてしまい、そのまま寝ました。私の胃はとても敏感なようで、どうも酢ダコとカレーうどんのカレー粉が胃の中で衝突したみたいです。戦いが収まるまでかなり時間がかかりました。今朝はもう大丈夫、新年会もオーケーです。

 さて、昨日は新年のあいさつ回りでした。親戚を中心に挨拶を交わすなかで話題に上ったことのひとつは県議選です。何人もの人から日本共産党はどうするのかと問われたので、はっきりと「候補を立ててたたかいます」と答えました。市民の期待に応えるために、今週からエンジン全開です。

 いまひとつ大きな話題となったのは、新潟日報の特集記事です。元旦号からスタートした「にいがた着…尾神岳の麓で」は吉川区坪野の通称「ドングリ村」の人たちを紹介しています。どんな経過でこのドングリ村に来たのか、どんな思いを抱きながらここで暮らしているのかについて知りたいというのもあるでしょうが、山里で暮らすことの意味を生き生きと書いていることに共感の声が広がっていますね。身近な記事は一番心に響きます。元旦号の20面、21面で尾神の深田の池の写真を見た時には、キャプションを見る前に「あっ、深田だ」と声を出してしまいました。

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 昨晩は妻と一緒に映画を観に行きました。「武士の家計簿」です。加賀藩を舞台にした映画ですが、親子の関係、地方財政のあり方などいろいろと考えさせられた映画でした。ロケに使われた金沢城の橋爪橋(はしづめばし)は昨年訪れています。この橋は歴史が大きく変わる時に渡る橋です。写真は昨年の金沢訪問の時に撮ったもの。私の姿が見えるでしょうか。

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2011年01月07日

妻の父、緊急入院

 今晩、柏崎の父が入院したと連絡がありました。肺の機能が低下しているのに肺炎を起こしたようです。2日に会った時、しゃべる声がいつもよりも小さく、気になっていました。何とかもってほしい。

 きょうは人間ドックでした。体重が増えたことによって、腹囲、体脂肪率などいくつかの数値が悪化しました。初めて脂肪肝も確認されました。糖尿病の一歩手前です。栄養指導の先生からは夕飯のご飯を一口でもいいから減らすこと、スクワットなどの運動をすることなどをすすめられました。

 昨日の日記で「八王子市の八木酒造」と書いたのは「八王子市の小澤酒造」の間違いでした。お詫びして訂正します。下剤が効いてトイレ通いが続いています。あっ、まただ。きょうはこの辺で失礼します。

2011年01月09日

無題

 夜遅くなって柏崎から帰ってきました。義父の容態はまだ安心できる状態ではありませんが、奇跡の生還をはたした前回の入院時よりはいいように思います。きょうは川谷の冬まつりに顔を出し、その後柏崎へ行きました。くたびれているので冬まつりの様子は明日の朝に発信する予定です。

 市政レポート1483号及び「春よ来い」第136回「ばあちゃん料理」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月12日

スキー伝来100周年

 きょうはスキー伝来100周年の日でした。高田の地において、かの有名なレルヒ少佐がスキーを伝えたのが100年前のきょうです。記念式典、レセプションに参加してきました。

 きょうの式典で心に残った言葉は、大野副知事の「子供たちにもう一度スキーを好きになってもらいたい」です。私の子供時代、冬の遊びといえばスキーでした。山の斜面をスキーで滑る、ジャンプ台を作って飛ぶ、山でスキーをはいてウサギを追いかける、これらの遊びはいま思い起こしても楽しい遊びでした。こうした遊びを知らないで子供時代を終わってしまうなんてかわいそうです。

 式典やレセプションでいろいろな人の話を聞きうれしかったのは、楽しかったスキー遊びの大本にレルヒ少佐のスキーがあったことを確認できたことです。しかも、単にスキーを教えただけではないことも知りました。妙高市からやってきたNさんは、「橋爪さん、レルヒ少佐の考え方の中には反戦思想がありますよ」と言われました。勉強してみたいと思います。

 記念式典のオープニングで児童文学作家の杉みき子さんが「加代の四季」という作品を朗読されました。杉さんご自身が自分で書かれた作品を朗読されたのを聴くのは初めて、感動しました。また、いずみジャズダンススクールの踊りもすばらしかったです。雪国の女性の凛としたイメージが浮かびます。

 きょうはアルコールが入っているので、この辺で。

2011年01月15日

長女とともに柏崎市内の病院へ

 朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達です。雪が降り続いているので、対話はほとんどせずに大急ぎで配達しました。日刊紙の配達が終了した時点で、家の周りの除雪もしました。約1時間半の除雪作業で前庭、屋根下の雪のほどんどが片付きました。どんどん片付き、仕事の結果が見えるというのは気持ちがいいです。

 午後3時過ぎに柏崎市内に入院している義父を長女とともに見舞いました。義父の病状は一進一退です。きょうは目を開けていました。「わかるかね」という問いかけにかすかに反応してくれました。でも長女についてはわからなかったようです。

 病院を出てから、柏崎市の妻の実家へ。長女が久しぶりに訪ねたので義母は大喜びでした。お菓子やナシなどを次々と出し、食べてくれとすすめます。先日、長女は東京に出かけました。その様子を妻から聞いていた義母は、「浅草へ行って来たんだって?」と声をかけ、「私も浅草や有楽町が好きだった。私に似たんだわ」とやっていました。

 県議会をめざしているいとう誠さんのリーフレットをホームページにアップしました。下線のついている部分をクリックしてごらんください。

2011年01月20日

柏崎の義父、死去

 朝の5時頃、柏崎市に住む義姉から義父、竹田敏雄が危篤との緊急連絡が入りました。妻とともに病院に急行しましたが、間に合いませんでした。87年余燃やし続けた命の炎は肺炎と敗血症によってとうとう消されてしまいました。お世話になった皆さんに心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

 義父とは37年の付き合いになります。長年にわたり中小企業を守る活動、平和運動などで頑張ってくれました。また、私が28歳の時に町議会議員選挙に出馬して以来、選挙のたびにわが家にやってきて私を応援してくれました。とても感謝しています。最後に義父と会ったのは昨日の午後です。会議の合間に会いに出かけてほんとうに良かった。

2011年01月21日

通夜ぶるまいの席で

 朝2時に起床。市政レポートを作成しました。昨日の段階では、議員団ニュースは出来ているものの、「市政レポートの作成は無理」と判断していました。でも、よく眠れませんでした。1985年6月から毎週休まず作成してきたので、作成しないでいると落ち着かないのです。

 午前6時過ぎには「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ました。道路の路面は凍っていて、通常の1.5倍、約1時間40分ほどかかりました。配達終了後、市政レポートを印刷し、総合事務所など一部の地域だけ配達してきました。柏崎へ行かなければならないからです。残りは明日の朝、3時間くらいかけて配りたいと思っています。

 夕方から納棺、お通夜と続きました。お通夜は市内の「シティホール柏崎、あすか」というところで行われました。通夜ぶるまいでは、義姉から、「喪主とともにお寺さんの隣に座って、話し相手になるように」と言われ従いました。幸運でした。興味深いことを喪主、お寺さんからたくさん聴くことが出来たのです。

 お寺さんは法話の中で、柏崎の妻の実家のそばを通ると、春はしだれ桜、夏は百日紅、秋はモミジを楽しめると言われました。そのモミジですが、何本かは亡くなった義父が裏山から移植したり、買ってきたものだそうです。そう言えば、義父は庭の紅葉が自慢でした。昨年11月21日に撮った写真があります。庭の見えるところで日向ぼっこしたり、妻と指相撲したりしているところです。2枚ごらんください。

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 お寺さんからは、「人の命の始まりはお母さんのお腹に入った段階から。年齢はお母さんのお腹にいた10か月も加えるのが正しいのではないか」「柏崎の上軽井川というところは地震に強いところ。大きな揺れがあっても被害はごくわずかだ」「お寺(今回お世話になっている人の寺)は東からの朝日は浴びるが、西日が当たらない。このため花を栽培してもきれいにならない」などの話をお聴きしました。私の父よりも1つ下の方といいますので、現在82歳かと思います。いろんなことをご存じのお寺さんでした。

 市政レポート1485号、「春よ来い」第138回、「再入院」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月23日

大雪災害警戒対策本部設置

 きょうの午後1時、上越市は木田庁舎及び各総合事務所に大雪災害警戒対策本部を設置しました。吉川区、名立区で災害救助条例の適用基準に近づいていて、今後も降雪が続きそうなので、設置することになったのです。

 吉川区では下川谷や尾神で積雪が3メートルを超えました。山間部住民の方からの情報では、朝、道がついていない老人世帯もあるといいます。また、「消防ポンプ小屋の前は除雪できたが、屋根の雪処理ができていない。若い者がちょっとしかいないなかで、その人たちに頼りたいが、自分の家を守るだけでも精一杯の状況だ」という声も聞きました。明日は豪雪地の住民の要望をもっとつかみ、対策本部につないでいきたいと思います。

 きょうは午後から妻の実家に行きました。葬儀後の後片づけ、整理などがたくさんあります。義母と3人のキョウダイと連れ合いでいろいろな仕事をしてきました。お通夜、告別式の受付名簿を整理していて、義父は生前、じつに広い分野の人と付き合いがあったことを改めて知りました。

2011年01月26日

自未得度先度佗の心

 義父の初七日でした。義母は昨晩、亡くなった連れ合いの夢を初めて見たそうです。「おれを一人にしておくな」としかられたとか。これまで経験してきた初七日は葬儀の日と同じでした。本来の初七日の法要に参加するのは今回が初めてです。義父の家は曹洞宗です。きょうはお経をあげてもらう前に、お寺さんから過去帳や位牌に義父の戒名などを書いていただく場面に立ちあうことができました。筆ペンを使い、一字一字丁寧に書き入れていく。お寺さんだけでなく、そばにいた私たちも緊張しました。

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 法要後のお斎の時間。お寺さんから「舎利礼文」「修証義」などの経典について教えていただきました。漢文の授業を受けているような雰囲気の中で一行ずつ丁寧に読みあげ解説するお寺さん、元は学校の先生ではないかと思います。とても勉強になりました。「修証義」の解説の中で心に残ったのは、「自未得度先度佗の心」についての部分です。自(みずか)らは未(いま)だ得ていなくても、まず先きに他に得させてあげる。自分のことは後回しにして他人の救済のために全力を尽くすことの大切さを訴えたものです。道元の教えの中にこうしたものがあることを知り、「正法眼蔵」を読んでおかねばと思いました。

 お寺さんを車でお送りしてから直江津へ。午後から県議選の対策会議があったからです。党新潟県委員会の武田勝利政策委員長にも参加してもらい、基本政策の検討を行いました。数人規模で集団検討すると仕事は早いですね。来月発行する政策ビラのラフも出来上がりました。

2011年01月27日

生活習慣の改善及び経過観察を要す

 今月7日に実施した人間ドックの結果が出ました。判定は昨年に続いて「生活習慣の改善及び経過観察を要す」でした。昨年以降、努力してこなかったということです。数値も一部で悪くなってしまいました。生活アドバイスでは、「1日3食バランスよく食べ、腹八分目を心がけましょう」「運動は心肺機能を高め脂肪を減らすために効果的です。年齢・体力・体調に合ったストレッチや家事・スポーツを無理のない範囲で行いましょう」とありました。このアドバイスに従って生活習慣を変えることができるかどうか。今年は自分とのたたかいです。

 きょうは午前中に生活相談に取り組み、その後、市政レポートの原稿書きに精を出しました。もう少しで出来上がりです。

2011年01月29日

今冬最低のマイナス5度

 今朝は冷えました。鉄の階段を歩くと長靴の底がぺたぺたとくっつきます。除雪車が通った後はツルツルです。車で走っても歩いても危険な状態でした。気温はマイナス5度を記録しました。今冬では最低気温だと思います。

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 朝陽が出るような時間になると靄が発生しました。冷えた雪が温められたということでしょう。私たちの雪国では、これからこういう靄がたびたび発生します。

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 昨晩書き忘れたことがありました。選抜高校野球大会に新潟県から新潟文理とともに佐渡高校が21世紀枠で出場することになったことについてです。じつは昨年の7月18日、私は直江津から小木に向かう船で佐渡高校の選手たちと一緒でした。その時、感心したんです、試合で負けた日、島に帰る船の上でも何人もの選手たちが素振りなどの練習をしていたから。あの選手たちが秋の北信越大会で好成績を残し、春の選抜に出る。新潟文理とともに佐渡高校野球部に大きな拍手を送ります。

2011年02月02日

二七日法要の日に

 義父の二七日(になのか)法要の日。妻に車を貸したので、電車で市役所へ行きました。1件の生活相談を受けた後、徒歩で五智の党事務所へ向かいました。約40分歩いてわかったのは、歩道の除雪が間に合っていない実態があることでした。

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 車道の雪が歩道になだれ込み、一人歩くのがやっとというところもありました。歩道を歩く人はどんな人かと考えました。足の不自由な人、高齢の人であれば、歩ける道ではありません。

 正午過ぎに市役所に戻り、4時頃までパソコンに向かいました。書かねばならないものがいくつもあったのに、歩き疲れてなかなか集中できません。早めに市役所を出て電車に乗り、柿崎からはバスに乗って帰ってきました。

 バスに乗るのは久しぶりです。柿崎のバスステーションの待合室には丸ストーブが置いてありました。このストーブは親しみを感じますね。

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 市役所そばの春日山駅から柿崎駅までの電車代が400円、柿崎のバスステーションから私の地元までのバス代は350円です。所要時間は、1時間15分くらいでした。自家用車では所要時間は35分ですので、倍の時間がかかりますが、電車の中で1冊の本を読んでしまいました。たまには電車とバスに乗ってみるのもいいものです。

2011年02月04日

牛舎の除雪作業

 夕食後、ダウンしてしまいました。目を覚ましたらこんな時間です。昨日は午前中に中山間地対策特別委員会があり、その後、直江津の党事務所に寄ってから家に帰りました。2日間続いた天気を利用して、気になっていた牛舎の除雪作業に精を出しました。

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 除雪機で約3時間がんばりました。もう1時間ほどあれば牛舎の両側の除雪は一段落します。きょうか明日、どこかで時間をつくって作業を進めたいと思います。夕方、雪景色の中に沈む夕陽がとてもきれいでした。そういえば、冬の夕陽は久しぶりでした。

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 昨日から上越市の高田では屋根の一斉雪下ろしがはじまっています。朝の8時頃、稲田を通ったら、屋根に上る支度をしている人たちの姿が目に入りました。一斉雪下ろし作業の様子は杉本敏宏さんのブログによく書かれていますのでお読みください。

2011年02月05日

豪雪対策などで党会議

 早朝から3時間ほどかけて市政レポート通常号と号外、合計7000枚を印刷しました。新聞屋さんへの持ち込みが遅くなったところもあるので、一部は火曜日になりますが、ほとんどは明日の朝刊に折り込まれます。通常号は1487号です。これは私のホームページにアップしましたのでごらんください。

 午後からは党会議でした。上越地区委員会の1月活動を振り返り、2月活動をどう進めるかについて話し合いました。中心となったのは豪雪対策と県議選です。何人かの人たちから、豪雪対策でいとう誠豪雪対策本部長を先頭にした現地調査、県への要請活動などについて発言がありました。私も、「市民が豪雪で切ない思いをしている時に、こうした市民に寄り添って活動しないような県議はいらない」「市民が一番困っている時こそ共産党の出番だ」と発言しました。

 きょうはうれしいことがありました。三宅島在住のM子さんから電話があったのです。M子さんについては「春よ来い」の第137回「いつでも夢を」で紹介しました。この随想を掲載した市政レポートを市内のTさんがM子さんに郵送してくださったのです。拙い文章にもかかわらずM子さんはとても喜んでくださいました。そして、「今度、出かけてください。おいしい魚をご馳走しますよ」と誘われました。ぜひおじゃましたいと思います。

2011年02月07日

古代米入りモチとアシタバ

 今晩もまた冷えてきました。外へ出て見たら、夜空に星が出ています。この分だと明日の朝はガリガリに凍るかも知れません。

 きょうは市役所で党議員団の仲間と豪雪対策についての市への要請書をまとめました。その後、報道関係の仕事をしている人とコーヒーを飲みながら、ブログのことや地域報道機関の今後について楽しく語り合いました。私からは、「映像による報道は、報道機関の職員だけでなく、地域住民の取材力を活用するなかで大きく発展する可能性がある」という話をさせてもらいましたが、今後、上越を良くするために、さらに突っ込んで話し合いたいなと思いました。

 土曜日からきょうの月曜日までの間に、これまで食べたことのないものをふたついただきました。ひとつは古代米入りのモチです。これは、「しんぶん赤旗」を配達している時にある読者の方からいただきました。モチを切る前の写真です。

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 美味しそうでしょう。私もほしいという方、残念でした。いただいたモチはもう全部食べました。次は昨日紹介したアシタバです。朝はバタバタしていたので、夕方、ご馳走になりました。ちょっぴり苦さがあって、健康食品という感じでした。ごらんください。

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2011年02月08日

上越市に豪雪対策の強化を要請

 夜11時過ぎ、柿崎駅前駐車場で妻を待っていると、作業服を着て、ヘルメットにヘッドランプをつけた7、8人の男性が一斉に動き出しました。トラックにはサーチライトも付いていましたから、保線工事を始めるところだったのかも知れません。夜遅く仕事をする人を見ると「ご苦労さん」と声をかけたくなります。

 きょうは日本共産党上越地区豪雪対策本部のいとう誠本部長(県議選予定候補者)と党議員団で上越市に対して豪雪対策に関する要請書を提出しました。今回の要請は、豪雪対策本部や議員団に寄せられた要望などをまとめたものです。

 要請書に盛り込んだ事項は、「要援護世帯への除雪支援は柔軟に対応を」「通学路における道幅の確保、歩道除雪にいっそう力を入れていただきたい。また、交差点、T字路における高い雪の壁が見通しを悪くしているので、早急に除去するよう徹底していただきたい」「災害救助法の適用については、少なくとも数日間は遡及出来る仕組みとするよう関係機関に働きかけていただきたい」など11項目にのぼります。

 要請書は馬場和明危機管理監に手渡し、いとう本部長と4人の議員全員が具体的な事例をあげて要請内容を説明しました。馬場危機管理監は、「要望は関係部署につないでまいりたい」とのべました。今後も市民のみなさんから寄せていただいたものはしっかりと伝えていきたいと思います。

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 夕方からは県立柿崎病院後援会理事会でした。柿崎病院は地域になくてはならない病院です。藤森院長から「信頼される病院づくりに向けての取り組み」についての講演があり、その後、昨年10月に導入されたばかりの16列型マルチスライスCTスキャナーを見せてもらいました。この装置は1回転で最大16スライスを一度に撮影できる画期的なCTです。病気の早期発見、正確な病状把握に威力を発揮するとのことでした。医療機器はどんどんすすんでいますね。

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 理事会終了後、会費制で懇親会がありました。何人かの人たちと地域に根差した病院のあり方などについて意見交換することができました。旧大潟町教育長の渡辺政雄さんとも久しぶりにお会いしました。渡辺さんは40数年前、旧源小学校水源分校の先生だった方です。水源分校時代の一番の思い出は、ぎっくり腰で動けなくなった時、地域の人たちが戸板に乗せて雪道を運んでくれたことだといいます。当時の学校教育は地域に根差すというより、地域に密着したものでした。渡辺さんからは当時PTA会長だった父の活動についても教えていただき、胸が熱くなりました。

2011年02月17日

中山間地域活性化研修会

 午前は私の弟と同級生の人の葬儀でした。誰よりもふるさとの山を愛し、まじめに仕事をしてきた人でした。カメラが好きで、気に入った写真があるとすぐに現像して渡してくれました。私の市政レポートでも何枚か使わせてもらったことがあります。喪主を務めた若い息子さんが父親についてしっかり語り、母親への想いも語ってくれ、涙が自然と流れ落ちました。ゆっくり休んでほしいと思います。

 午後からは市が主催した中山間地域活性化研修会でした。静岡県浜松市天竜区のNPO法人「夢未来くんま」副理事長・大平展子さんの地域づくりについての講演、新潟大学の斎藤順さんの講演を聴きました。
 
 このうち、斎藤さんの講演は、国の中山間地直接支払3期対策にも影響を与えた上越市の取組について語られ、集落間連携の取組について踏み込んだ整理をしていて注目しました。講演の中で、きょうは新潟市でTPPについて講演されていた伊藤亮司さん(新潟大学農学部)の「櫛池の中の梨平集落」についての分析も紹介されました。同集落は2度ほど訪ねたことがありますが、集落中央部にある「屋号入り案内図」を見た途端、この集落は一味違うと直感したものです。「危機感バネ+少数精鋭の合意形成の速さ」「一見にぶい集落だが、内部に多くの宝が眠っている」。興味深い分析でした。

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 研修会の最後は市役所笹川肇農業振興課長が「集落間連携の推進方向について」(素案)説明しました。連携体制を構築し、いまある条件の中で最大限できることに取り組んで地域を守っていく。国県事業などの有効活用、地域のことを考える団体などとの新たなつながりの構築などが提起されました。上越市の集落間連携は様々な困難を抱えていますが、もう一段、階段を上がって行くなと感じました。

 夕方の6時半からは中郷区で中山間地域振興基本条例素案についての市民の声を聴く会でした。20数人の人が参加し、意見をのべてくださいました。主な意見は、「大綱で対策を定めたら、議会としても進行具合をちゃんとチェックしていっていただきたい。絵にかいたモチにならないように」「対象となっている地域は地滑り地域、土石流地域が多い。自助、共助として何をやっていくのか(考える必要がある)」「今回開催されない地域でもこういう会を開いてほしい」などでした。

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 明日は午後6時半から吉川コミュニティプラザです。ご都合のつく方はぜひ参加してくださいますようお願いします。

2011年02月23日

Sさんの葬儀

 午前はSさんの葬儀でした。Sさん宅はわが家の親戚筋にあたり、吉川区在住時にはいろいろとお世話になった方です。「春よ来い」の第68回「操作番号」のなかでも登場してもらいました。お連れ合いを2年前に亡くされていましたので、さみしかったことだろうと思います。Sさん宅はわが家と同じ真宗大谷派ですが、葬儀の冒頭、東本願寺の安原晃・宗務総長の弔辞が読み上げられました。宗務総長の弔辞を聴いたのは初めてでした。葬儀が終わった時、関川水系土地改良区の前理事長の太田さんと久しぶりに言葉を交わしました。Sさん宅は太田さんとも太いつながりがあるとは知りませんでした。世間は狭いですね。

 葬儀が終わってから市役所へ。お昼過ぎまで中山間地対策特別委員会の作業部会が行われ、先日の「中山間地域振興基本条例素案について市民の意見を聴く会」で出された意見にどう対応するかなどを話し合いました。今後、3月議会中に特別委員会を開催し、パブリックコメントにかける案づくりをしていくことを確認しました。午後からは議員団会議でした。総括質疑でとりあげる項目について話し合いましたが、新年度一般会計予算、国保特別会計予算を中心に質疑をすることにしました。明日も議員団会議を行い、質疑について深めていくことにしています。

 母のつくった干し柿が食べ頃を迎えています。今年は1月の気温が低かったことなどもあって、甘味が十分で、実の締まった干し柿が出来上がりました。

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2011年03月01日

「ロープブリッジ救出訓練」のアクセス数が1万回突破

 私の動画、「ロープブリッジ救出訓練」のアクセス数が1万回を超えました。昨年の7月5日にブログに載せたものですが、よくここまで伸びたものです。上越地域消防事務組合の職員のみなさんも喜んでくださるでしょう。

2011年03月06日

休養

 予定していた街頭宣伝行動は支部の仲間などに任せて、休ませてもらいました。ゆっくり睡眠するだけで、ずいぶん体が楽になりました。起きてからは、ぶらぶらと歩きました。歩くだけでもいろいろな発見があります。きょうは、ヨモギが出ているのを初めて見ました。もう何日も前から出ていたようです。

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 お昼頃には長峰温泉「ゆったりの郷」へ行き、風呂に入ってきました。行き帰り、田んぼの中で一生懸命餌を探しているハクチョウたちに出合いました。車を止めて、かなり近くまで行っても黙々と食べています。列になって食べている姿は、まるで田んぼで草取りでもしているかのようです。写真は強い風が吹いて、一斉に体の位置を変えようとしていた時のものです。

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2011年03月09日

マンサクに雪

 なかなか春になってくれませんね。今朝も3センチほど雪が降りました。朝日が出てからは、霞んでほわっとした風景が出現しました。

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 この雪でもうすぐ満開になろうとしていたマンサクも雪をかぶりました。とても冷たそうです。

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 きょうは一日中、市役所でデスクワークでした。一般質問の通告はきょうが締め切り、夕方、通告書を提出しました。私は26番目です。23日午前に登壇の予定です。質問テーマは、豪雪対策、地域協議会の役割と権限、新潟州構想の3つです。

 そうそう、昨晩、長野市内の合唱団のメンバーだった方から、メールが来ました。吉川中学校の卒業記念合唱の動画を見て、感想を寄せてくださったのです。「卒業生の歌を、今3回、続けて聞いてしまいました。受験を前に、よくレッスンを積んだなあ…と思いました。しかも変声期の子たちです。終わりになるほど、ステキに響いてきました。多少の技術の難点をはるかに乗り越えている、ひとつになった心が、ジンと伝わってきました。きっと、みんなの進路が決まったあとだったら、あの歌声に『明るさ』が大きくプラスされたのでは…と思って聞きました。指揮者も卒業生ですか?だとしたら、すばらしい。3回目は、指揮者に見とれていました。中学生であれだけの指揮が出来るなんて」と書いてあります。地元の中学校の卒業生のことをこんなにもほめていただき、私もうれしくなりました。

2011年03月17日

上野議員、釜石市の実家とようやく連絡取れる

 いまほど党議員団の上野公悦議員からうれしいニュースが伝えられました。岩手県釜石市にある彼の実家とようやく連絡がとれたというのです。話を聞いてうれし涙がでました。

 上野議員によると、実家の弟さんから連絡があったのは今朝の6時半でした。実家には弟さん夫婦など5人が暮らしていたといいますが、全員無事だそうです。上野議員は、「これまでテレビを見て涙を流していた。これで半分くらいホッとした。電話では嫁さんも泣いていた。実家はボロボロになったというが、みんなそこに住んでいる。電気もガスもダメだが、無事でよかった。ただ、親戚は依然として安否を確認できていない。心配だ」とのべていました。

 上野議員は東日本大震災後、長野県北部地震が連続して発生する中で、被災地である上越市の大島区や安塚区などの現地調査などに全力をあげてくれました。自分のふるさとへ一時も早く帰りたいという気持ちを持ちながらも、議員としての任務を全うする姿勢と行動は、同僚議員として誇りに思います。

2011年03月21日

49日法要でも話題は地震

 昨日は柏崎の父の49日法要でした。ここ1週間ほどのなかでは一番穏やかでいい日だったと思います。

 柏崎の家に着いてまもなく、防災無線で市の広報課からのお知らせが聞こえてきました。市内にあるモニタリングポストにおける午前9時現在の放射線測定数値を発表していたのです。柏崎・刈羽原発のある地域とはいえ、福島原発事故による放射線データを防災無線で伝えているのには感心しました。

 法要が終わってすぐに近くの共同墓地へ行きました。わが家と宗派が違うこともあるのでしょうが、納骨の仕方が違っているのにはびっくりでした。参列者がそれぞれ1回、手づかみで骨を墓の中に入れ、残ったものはザッと入れるのです。墓のある場所は南向きの斜面でした。陽射しが背中に当たり、とても暖かかったです。

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 お斎の場所は海の見えるところでした。海を見ていると、どうしても東日本大震災のテレビ報道を思い出してしまいます。ご住職が「ここなら高さは十分あるから津波が来ても大丈夫でしょう」と言われ、その後は中越沖地震のことなどが次々と話されました。お斎の会場となったところも中越沖地震では大きな被害が出たところでした。

 柏崎の家に戻ってから、義兄が裏山を案内してくれました。義父が植えたという雪割草を見せてくれるというのです。今年は植木鉢に咲くものは見ていますが、路地に咲くものは初めてでした。白や薄紫の花が見事に咲いていました。選挙と震災対策があるので、今年はわが家の山へ行くことはかなわないでしょう。その分、義父が植えた雪割草を楽しんできました。

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2011年03月23日

被災者支援・いっせい地方選挙勝利全国決起集会

 明日からのいっせい地方選挙を前に「被災者支援・いっせい地方選挙勝利全国決起集会」が東京の日本共産党中央委員会で開催されました。この模様はインターネットで中継されるというので、近くに住む仲間たちが私の事務所に集まり、大きなスクリーンで視聴しました。

 この中継を見て何よりも感動したのは被災地でがんばる党員たちの献身的な活動です。自分の家が目の前で流され、親戚の人たちも津波にさらわれるという事態の中で市長を支えて奮闘する陸前高田の市議、間一髪のところで子どもたちを救い、避難所で保育所を開設して子どもたちを守っている党員などの話に心を揺さぶられました。上越市には現在、南相馬市から多くの市民が避難されていますが、そこの党議員が、燃料補給のためにタンクローリーの運転手を確保し、燃料を届ける手配をしたという話も紹介されました。

 いっせい地方選挙をどうたたかうかについても注目しました。戦後未曽有の災害からの復興に、国の総力をあげてとりくむ、住民の命と暮らしをまもる「福祉・防災のまちづくり」をすすめていくなどの政策は大いに語り、広げていかなければなりません。選挙については自粛ムードがありますが、「有権者の気分・感情を考慮しながら、堂々と政見を訴え抜く」点は重要だと思いました。一人ひとりの結びつきを生かし、集いを開催し、住民とともに活動に取り組むのが基本。一せい地方選挙では、東日本大震災被災者の支援とともに、4年間の自治体をどうするかの公約を堂々と訴えて審判を仰ごうという方針は当然のことと受け止めました。三重県だったと思いますが、有権者の冷静で正確な選択を妨げる「小手先の人気取り策」を批判する新聞もあることも知りました。マスコミには良識ある記事をどんどん書いてほしいものです。

 福島原発の放射能汚染は拡大の一途をたどっています。きょう、私のところに来たメールの中に、「放射能拡散シミュレーションは気象庁も行っており,すでにIAEAにも送っているとのことです。知らぬは国民ばかりです」というのがありました。そして、そこでは仏放射線防護原子力安全研究所(IRSN)放射能拡散シミュレーションが紹介されています。この調子だと、風向き次第では日本列島全域が放射能でおおわれます。日本政府も早く、正確な情報を国民に伝えるべきです。

2011年03月24日

誕生日は生活相談デー

 きょうは誕生日です。誰にも言わないでいましたが、一人だけ、「おめでとうございます」というメールをくれた女性がいました。毎日一緒にバタバタと暮らしているので忘れているだろうと思ったら、憶えていてくれました。妻の誕生日は私と少し離れているだけです。選挙に夢中となり忘れるのではないかと心配です。忘れないように、忘れないように。

 きょうは生活相談デーとなりました。議会があって時間がなかなかつくれず、先送りしていた相談に加え、飛び入りもあって4件にもなりました。このうち、すんなりと解決したのはわずか1件、あとはしばらく時間がかかりそうです。交通事故で相手方との話し合いがつかず、医療機関から数十万円の医療費を請求されて困っている人がいました。何とかしてあげたいものです。

 夜は選対会議でした。昨日の「被災者支援・地方選勝利全国決起集会」の志位委員長報告をみんなで視聴したのち、目前に迫った県議選勝利に向けた諸課題について話し合いました。来月実施される県内の議員選挙のうち、いくつかでは街宣車を出さないように「自粛」する動きがあるという報道がありました。大災害のあったこんな時こそ、どうしたら災害に強いまちづくりができるかなど、マイクを使い、自らの考え・政策を堂々とのべて、有権者の審判をあおぐべきではないでしょうか。

2011年03月25日

総務常任委員会も大島区、安塚区を視察

 午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、午後からは総務常任委員会による長野県北部地震被災地の視察でした。訪れたところは、私たちの党議員団が訪れたところと同じく、大島区菖蒲と安塚区和田の安塚やすらぎ荘と須川のキューピットバレイです。

 最初に訪問した大島区菖蒲では、総合事務所の幹部と地元町内会長さんから被害状況を説明してもらいました。最新の大島区被害データでは、全壊6(うち非住家5)、大規模半壊1、半壊1、一部損壊125(うち非住家9、その他6)。被災建築物応急危険度判定結果は、赤は9、黄29、緑6、となっていました。総合事務所で用意された資料には写真がたくさん掲載されていました。全戸を調査したなかで作成されたものだけにとても参考になります。

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 町内会長さんは、「地震の時にはこのセンターに4時10分には来た。余震も下からどんと来た。(雪が崩れ落ちて)道を歩くのも危険な状態だった。とにかく震度計を設置してほしい。田んぼは亀裂が入っているのではないだろうか。雪解け後が心配だ。いま水道は仮設(仮復旧)だ。雪が消えたら早めに本格的な復旧に尽力願いたい」とのべておられました。

 きょう、調査に参加したのは総務常任委員会のメンバーですが、ほとんどの人が震災後初めてだったようです。予想以上の被害と雪の多さにびっくりしたようです。これまで党議員団の調査では個人住宅の被災写真は遠慮してきましたが、きょうは住宅の所有者の方からお許しをいただきましたので、1枚だけ掲載します。ここの家でも水道は仮設です。パイプが外に出ているので、昨晩は凍って水が出なくなったといいます。

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 安塚区の調査内容はこれまでの党議員団調査とほぼ同じですので、省略します。

 夜、家に戻って27日付け「しんぶん赤旗」日曜版をゆっくりと読みました。26面の「読者のページ」を読んでいたら、私が知っている女性が投稿したらしい記事が掲載されていました。新潟の地で感じた東日本大震災被災地への想いが短く、素直に表現されていて、とても気持ちのいい文章です。明日にでも確認してみようと思います。

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2011年03月26日

いとう候補の事務所開き

 寒い一日でした。雪もちらちらと降りました。「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をしていて、「寒いね」と言うと、「でも、地震に遭って寒いめをしている人たちに比べれば…」という言葉が返ってきます。いま対話をすると必ず地震のことが話題になります。みんな被災者のことを心配しているんですね。

 配達の途中、ハクチョウたちと出合いました。先日は吉川区の竹直というところの田んぼで見かけたのですが、きょうは片田の田んぼです。農道を車で走っていて見つけたので、尾神岳をバックにして撮りました。朝日池に近い竹直だけでなく、吉川区の中心部までやってきてエサを食べている姿は初めて見ました。雪消えが進むともっと奥の田んぼで見かけることができるかも知れません。

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 きょうはある読者のところでおもしろいものを見せてもらいました。70前後のお母さんが、私に、「ねえ、橋爪さんて、前にどんぐりのこと書きなったよね。孫がね、どんぐりを育てているんだでね。見なる?」と声をかけてくださいました。私が書いたドングリの話というのは「春よ来い」の第125回「ドングリのあてっこ」です。この話を憶えていて下さったのもうれしかったですが、空き缶の中で根を生やし、葉をつけているドングリにはびっくりしました。こんなふうにして芽を出すんですね。

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 夜は、県議候補のいとう誠事務所開きでした。事務所は狭いので、事務所に近い市民プラザの2階の大会議室が会場です。100人近い人たちが寒いなか集まってくださいました。まずは、先日の東京の決起集会のビデオを見て、その後、いとう候補の決意表明、私からの訴えなどが続きました。

 いとう候補の挨拶は磨きがかかってきて中身もよく準備されていました。防災のまちづくりに関連して、今晩、彼が新たに指摘したのは新潟県内の消防職員数が基準の6割程度にとどまっているという問題です。早期に世論を盛り上げ、職員数を増やす流れをつくりたいものです。きょうはいとう候補の両親も駆けつけられたので、一言挨拶していただきました。子どもさんの名前について、「兄が誠(まこと)で弟は実(みのる)とつけました。ふたりを合わせると誠実となります」と紹介されると会場からは拍手が起きました。お母さんは、いとう候補が挨拶している時、途中までは下を向いておられましたが、そのうち顔を上げ、息子さんの姿をじっとごらんになっていました。うれしかったのでしょう、息子さんが大きく成長して頑張っている姿を見て。

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 事務所開きの最後は団結ガンバローでした。音頭をとったのは上野公悦議員です。司会者から「上野議員は釜石市の出身です」と紹介されたことから、同議員は今回の大地震についてのべました。「地震発生から毎日、夜遅くまで電話をかけ続け、ようやく実家と連絡がとれたのは17日早朝でした。親戚とはまだ連絡がとれていません。長野県北部地震ではいち早く大島区に駆けつけ、いまは、毎日のように希望館に避難してきた福島県の人たちの声を聞きながらがんばっています。早く実家へ帰りたいが選挙が終わってから行ってきたいと思います」この決意表明にみんな、涙を流しました。上野議員の挨拶で、みんなの心が一つになりました。がんばらなくっちゃ。

 明日は午前中に旧吉川町農業委員だったIさんの葬儀です。3期ほど農業委員の仕事を一緒にさせてもらい、ずっと親しく付き合いをさせてもらってきた人だけにとても残念です。いつも農民の立場に立って発言し、行動していたIさん、お疲れ様でした。

2011年03月27日

今年のコメづくりが心配

 寒い朝で、雪が降りました。Iさんの葬儀の場は海に近い大潟区でしたが、駐車場も真っ白になりました。故人の生前の付き合いが幅広かったことを改めて確認しました。参列者は大勢でした。

 午後からは県議選の準備で事務所に行きました。その途中、直江津の中華料理店に入ったところ、市内のある農業生産法人の幹部の方とバッタリ。一緒に食事をしながら、震災のことや今後の農業について語り合いました。この人がいま一番心配していたのは今年のコメ作りです。「被災地でのコメ生産は今年は厳しくなることは必至。このままだとコメは足らなくなる可能性が大きい。危機管理は食料に関してもある。種まきが始まる前に今年の稲作について政府は方針を出すべき。上越市も特別の対策をとらないといけない」うなずきながら話を聴きました。

 夕方、家に戻ったところ、また訃報が入りました。私の幼友達で、元吉川郵便局長だったTさんが亡くなったというのです。まだ60歳、信じることができませんでした。明後日の各派代表者会議は誰かに代わってもらい、葬儀に参列してきたいと思います。

 市政レポート1494号「春よ来い」の146回「四十九日」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

2011年03月29日

「細井よしお物語」をもう一度

 昨日、横浜在住の菊池さんという方から「ホーセの見てある記」(現在は「ホーセの見てある記2」)にコメントがありました。菊池さんが読まれた記事は、6年前の3月29日の日記です。この記事を読まれた菊池さんは、そこに書かれたパンフレット「細井よしお物語」をぜひ読みたいとのことでした。私の手元にはパンフレットはありませんでしたが、私が以前、ホームページに載せた時のデータが残っていました。

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 細井さんは私の友人であり、党議員のすばらしい仲間でもあります。再読してみて、もう一度紹介したくなりました。今回、残っていたデータをもとにPDFファイルを作成しました。長い文章ですが、こちらをクリックして
ご一読ください。なお、彼はいま、長岡市議選での再選を目指して奮闘中です。長岡市内に親戚、知人、友人などがおられましたら、ぜひとも応援してくださいますようお願いします。

2011年04月01日

わが家の雪割草も開花

 昨晩、今晩と夜遅くまで選挙対策の会議が続きました。昼間は昼間で「しんぶん赤旗」の配達などでフル回転でした。この状態はしばらく続きそうです。具体的に書きたいところですが、今回も公職選挙法の改正が見送られ、ネットの書き込みについては依然として制限があります。一番書きたいことが書けないというのは切ないですね。早く改正してほしいものです。

 このところの暖かい天気でわが家の周辺の雪消えが急速に進みました。そのお陰でわが家の庭にある雪割草も開花しました。2、3日前には開いていたものと思います。

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 明日は吉川区総合事務所のSさんの葬儀です。Sさんは源地区出身。長年、地域づくりなどで頑張ってきた人です。「頑張ったね」と声をかけてきてあげたいと思います。

2011年04月02日

Sさんの葬儀、ポスター点検

 午前はSさんの葬儀でした。「しんぶん赤旗」日曜版の配達をいったん中断し、参列してきました。Sさんは現職の市役所職員です。現在の職場である吉川区総合事務所職員をはじめ、大勢の人たちが最後の別れをするために参列していました。喪主を務めているお母さんに代わって挨拶されたSさんのお姉さんの挨拶が涙を誘いました。自らの命が終わることを信じられなかったのでしょう、最後まで「頼むとは言わなかった」といいます。退職後にやってくるであろう「自由な時間がなかった」という言葉も印象に残りました。

 葬儀中に留守電が入っていました。昨日貼ったばかりのポスターが何枚もはがれているというTさんからの電話です。葬儀後、手分けをしてすべての掲示板をチェックしましたが、10枚近くはがれかかっているものがありました。私は画鋲を使わず、大型のホッチキスでとめてきました。今度は大丈夫でしょう。吉川区以外でも昨日、何枚かとれそうになっているものがありましたので、全市域でどうなっているか心配です。

 ポスター点検後は再び「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。対話をする中で福島県に親戚のある人が3人ほどおられました。そのうちの一人の方の話によると、親戚の奥さんの実家が石巻市にあり、4、5日前にご両親が遺体で発見されたといいます。報道では火葬も土葬もだめというケースが原発の近くで起きていますが、このお二人は月の半ばに火葬してもらえそうだというお話でした。切ないですね。きょうは、福島県から子どもを連れて避難してきている人の話も聴くことができました。

2011年04月05日

30数年ぶりに大宮さんと再会

 おはようございます。昨晩、家に戻ったのは11時近くでした。パソコンに向かうエネルギーが無くなっていました。

 尾神町内会の80歳の方が一昨日から行方不明になっているというので、昨日の朝、尾神集落へ出かけました。ここは私の出身地です。行方不明の方がどんな方かもよく知っています。寒いなか、大丈夫かと心配しました。でも、消防団や警察の皆さんなどたくさんの皆さんからご心配いただき、協力していただいたお陰で、午前7時半過ぎ無事発見されました。ありがとうございました。

 行方不明の方が発見された場所は尾神から川谷に行く途中にあるトンネルのすぐ近くでした。ノコギリを持って山に入られたといいますが、昔を思い出し、「春木山」にでも行こうとされたのでしょうか。県警のヘリコプターで救出され、病院に運ばれた後の報告によりますと、病院で一晩過ごし、きょうには帰られるとのことでした。怪我もなく、ほんとうに良かった。

 午後からはポスター点検などで暗くなるまで動きました。途中、三和区で元村長の大宮さん宅を訪れました。大宮さんと初めて出会ったのは、私が20代前半の頃です。当時、大宮さんは村議会議長でした。私が三和牧場で働いていた関係で、一緒に車に乗って仕事をしたことがありました。

 家の玄関に入ろうとした時、茶の間のある部屋の戸を開けて、顔を出されました。「吉川の橋爪です」と言うと、すぐに「共産党の橋爪さんかね、懐かしい」という声が返ってきて、私の手をぎゅっと握ってくださいました。うれしかったですね、40年近くも会っていないというのに、憶えていて下さったのです。昔、一緒に車に乗った時に、空に飛行機雲が残っていて、それについて私が解説したとまで言われました。よくそんなことまで記憶しておられたものです。大宮さんは、私が書いた本も買って読んでくださったとのことでした。

 昨日はよく晴れました。米山も尾神岳も絵にしたくなるような美しさでした。写真は下中条の市道から撮った尾神岳です。

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あなたが愛してくれたから

 高田の事務所でアナウンサー原稿を作成している時に、「ポスターがはがれていますのでご連絡します」という電話をもらいました。安塚区総合事務所からです。主要地方道上越安塚柏崎線で山道を走り、安塚区まで行ってきました。ポスターのはがれた掲示板は円平坊(えんたいらぼう)という集落内にあるとのことでした。行ってみると、確かにはがれたあとはありましたが、ここも昨日の大島区のケースと同じく、住民の方が画鋲でとめておいてくださいました。総合事務所に連絡した後、自分で直してくださったのだと思います。こういう丁寧な対応をしてくださったケースに出合うとうれしいですね。円平坊は初めて訪ねた集落です。一回訪ねただけで好きになりました。

 円平坊まで出かけたついでに安塚区の他の掲示板も時間の許す範囲でチェックしてきました。他の掲示板については、はがれたポスターはありませんでした。小黒の専教寺の近くまで行ったので、車から降りて少し歩きました。そこでお寺の掲示板に素敵な詩が書いてあるのを見つけました。

 あなたが愛してくれたから
 あなたが必要としてくれたから
 今、私はここにいる

 
 上越市内在住のポストカード作家、宮越友里さんの詩です。ご住職の岩崎さんとは何度かお会いし、話をしたことがあります。とてもセンスのいい人です。お寺の掲示板に、地元の若い作者の詩を掲示しておられるのを見て、さすがだと思いました。

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 午後からは宣伝カーの先導役です。きょうも北の風景が見事でしたね。青空といい、山の鮮明さといい、最高でした。写真は吉川区名木山で撮影したものです。正面の山は兜巾山です。

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 大島区田麦では急な連絡にもかかわらず、従兄たちが駆けつけてくれました。近所の人たちも真剣に街頭演説を聴いてくださいました。豪雪の視察の時などで顔を合わせたことのある人の姿もありました。田麦や竹平へ行くと、吉川区と同じく親しみを感じます。

 夕方からは選対会議でした。夜9時頃に会議が終わって、家に戻ったら、後援会事務局のTさんから、「橋爪さん、牛が側溝にはまっているよ。どうする?」と連絡がありました。現場に駆けつけてみたら、深い側溝にはまりこみ、身動きがとれなくなっています。私も牛飼い時代、牛が何度も脱走し、大騒ぎをしたことがあります。でも、側溝にはまったというケースは初めてです。牛舎から道路に出て、車でも来てびっくりしたのでしょうか。

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 この牛は9時半頃、無事救出されました。最近は次々といろんなことが起こります。

2011年04月07日

ふたたびチャイムが聞こえてきた

 午前は「しんぶん赤旗」号外の配布活動で大島区へ行ってきました。私が配布した地域は幹線道路から離れた西沢、上達と棚岡の先にある中野という集落です。40数戸ながら、2時間以上かかりました。きょうは午前中、後援会員15人ほどが配布活動に参加、大島区の約670戸の家々に一気に配りました。

 私が配布した集落はいずれも初めて訪ねたところです。菖蒲西からさらに奥に入った西沢では、長野県北部地震の爪痕がまだ残っていました。亀裂ができたところを補修した道路があります。雪で覆われた田んぼや土手には亀裂が広がっています。ある農家の人は、「去年は干ばつでひどかった。そこへこの地震だろ、雪が消えた時、田んぼがどうなっているか心配だ」と語っていました。帰り道、雪原にできた亀裂の中でとても不気味な感じがしたものを掲載します。

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 配布する時に「上越市議会議員の橋爪です」と告げると、「おまんが橋爪さんかね」と言ってくださった方が3人ほどいました。そのうちの一人の方は「チラシを楽しみに読ませてもらっているでね。『のうの』の文英さんとは一緒に仕事をしたことがある」とも。うれしかったですね。

 西沢でも上達でも田んぼの除雪が行われていました。おそらく苗代にするのでしょう。残雪は多いところで2メートル近くもありました。来月の半ばには田植えをしたいといいますが、消えてくれるのでしょうか。写真は上達の田んぼです。

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 午後からは新潟県立吉川高等特別支援学校の入学式に参列してきました。旧吉川高等学校の校舎を活用してスタートした高等特別支援学校の記念すべき第1回の入学式です。改装された体育館には久しぶりに入りましたが、ここでまた入学式が行われたというのは感激でした。入学者は15名。教職員は17人体制です。今後、生徒数は数十名に増えていくでしょう。

 赤松校長は式辞の中で、「みなさんはこの学校が開校して記念すべき一回目の入学生。一という字はとても大切な字です。初めに1年生の1があって、次に2年生の2があり、その次に3年生の3になります。三という漢字は横から見ても一が三つ積み重なって三になります」「スタートにあたり、イチロー選手の言葉を贈ります。いままで生きてきてみなさんに言えることはひとつだけ、それは夢を持ち続けることです。夢を持つことは簡単ですが、持ち続けるということはとても大切。途中でいやになってあきらめたくなることもある。でもあきらめない限り夢は近付いてきます」と激励しました。

 来賓の祝辞は開校支援準備会の小山正昭会長です。「制服すばらしいですね。みなさんの制服姿を見たらほんとによかったなと思いました」からはじまり、「みなさんは初めての土地で、初めての学校ですね。ドキドキしておられるのではないでしょうか。私たちもそうです。3年間ありますので、みなさんと相談し合い、触れ合う機会を多くもって、理解を深めていきたいと思います。3年の間に、健やかに、たくましくなって卒業されることを願っています。保護者の皆さんと一緒に頑張っていきます」来賓控室では挨拶のメモを家に忘れてきてしまったと心配されていましたが、これまで地域の代表として頑張ってこられた思いがにじみ出た素敵な挨拶でした。

 15名の入学者を代表して「誓いの言葉」をのべたのは大平達也さんです。「きょう、待望の入学式を迎えました。新しい学校生活の一歩を踏み出し、希望で胸がいっぱいです。これから様々な行事や体験を通して将来の夢を見つけ、それに向かって精一杯努力していきたい。充実した3年間を送るため、仲間と助け合い、何事にも前向きに取り組んでいきたいと思います」とのべると、大きな拍手に包まれました。

 写真は入学式が終わって、教職員の紹介のときのものです。

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 きょう、初の入学式を挙行した吉川高等特別支援学校の校章や校歌について赤松校長から説明がありました。「吉川」という文字は旧吉川町の町章の一部で、背景の四つ葉のクローバーは、「保護者」「地域」「関係機関」「学校」が生徒のために力を合わせることをイメージしたということでした。校歌はまだ出来上がっていません。11月12日の開校記念式の時に発表予定といいます。ただ、作詞、作曲を担当される方はすでに決まっていて、作詞は吉井出身、国際啄木学会副会長の池田功さん、作曲は横山広一さんということです。どんな歌になるか楽しみです。

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 夕方の5時。わが家に戻ったら、原之町の方角から音楽が流れてきました。吉川高等特別支援学校のチャイムです。長男によると、数日前から聞こえてきているといいますが、私が聞いたのは初めて。旧吉川高等学校のチャイムを最後に聞いたのは3年前の3月でした。流れてくる曲は違いますが、いいもんですね、学校のチャイムが聞こえるって。 

2011年04月14日

松之山へ

 ずっと気になっていた人がいます。十日町市松之山の高橋英一さんです。先月12日の未明、長野県北部地震で発生した地滑りで家ごと流され、救出された人です。高橋さんとは、旧吉川町時代、議員仲間として交流があり、ずいぶんお世話になりました。きょうの午前、見舞ってきました。

 高橋さんは妹さんの嫁ぎ先に避難、その後は旧教員住宅に住んでいます。きょうは妹さんの家で久しぶりに再会しました。地震から1カ月と2日経ちましたが、とても元気で安心しました。家が流された時、軽トラックと除雪機の入った建物も流されたそうです。幸運にも、軽トラックと除雪機は全く無傷で、12日に1カ月ぶりに引き上げることができたといいます。引き上げにあたっては、村山邦一市議が行政側と交渉してくれ、助かったと話しておられました。写真は引き上げたトラックと高橋さん。

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 高橋さんが住んでいた中尾という集落にも出かけてきました。道路のあちこちに亀裂の痕があり、壁が崩れ落ちている家もありました。高橋さんによると、26軒のうち、7軒が危険で住めなくなっていて、旧教員住宅、親戚の家などに移り住んでいるとのことでした。下の写真の道路は中尾、雪原の亀裂は天水越で撮影したものです。

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2011年04月15日

ベニコブシ満開

 雪解けが進み、山間部ではいろんな野の花が咲いてきています。これまで確認できた野の花をいくつかあげると、マンサク、ショウジョウバカマ、キクザキイチゲ、カタクリ、ヤマエンゴサク、雪割草といったところでしょうか。車の運転をしていても、自然と花の色が目に入ってきます。きょうはキスミレがきれいでしたね。

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 昨日に続いて、きょうも一日中、暖かな日となりました。この陽気で高田公園のソメイヨシノは開花が進んだようです。夕方、わが家に戻ると、ベニコブシが満開となっていました。例年よりも1週間ほど遅れました。わが家のベニコブシの写真はこれまで何枚も撮っています。きょうは高い位置からわが家をバックに撮ってみました。

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 満開となったところで、小枝を二枝折って、尾神岳のふもとにあるわが家の墓へと車を走らせました。父に観てもらうためです。墓の周辺はまだかなり雪が残っていますが、雪の消えたところではキクザキイチゲが咲いていました。 

2011年04月16日

寒い一日に

 朝からずっと「しんぶん赤旗」配達をしています。昨日と打って変って寒い日となりました。午前は強い風も吹きました。配達中にいろいろな出合いがありますが、まず、この写真をごらんください。

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 小さな女の子が玄関先にいて、その子とガラス越しに話をしました。その時の写真です。こちらの指で合図を送ったら、楽しそうに反応してくれました。

 山間部はすでにブナの芽吹きがはじまっています。午前中に強い風が吹いたことで、ブナの冬芽の殻が雪の上の落ちて散らばりました。雪の上の黄色と芽吹いて黄緑色になったブナ。この風景はしばらく楽しめます。

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 昨日、きょうの新聞配達は、先日の選挙についてのお礼を言いながらの配達です。何人もの人から、「票が足らなかったね。もっと出ると期待したんだけど」「今回の結果でがっかりしないで頑張ってくんない」などと励ましてもらいました。

2011年04月22日

「冬の夕陽」の写真

 早朝から12時近くまで市政レポートづくりをしました。普段なら遅くとも午前9時頃には終わるのですが、パソコンに向かってもうつらうつらしてしまいます。横になったり、コーヒーを飲んだりして、何とか書きあげました。「春よ来い」は35年前の花見会のことを中心に書いてみました。通常なら書いてから一晩寝かせるようにしているので、寝かせないで印刷したものを読んでもらうのははずかしい。文章は、ホームページに掲載するまでにはかなり変わるかも知れません。

 きょうは午後から「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。留守の家が多く、集金の方はあまり進みませんでした。

 夕方から生活相談などで動きました。先日、川崎市在住のMさんから手紙をもらいました。きょうは、そのMさんが実家に帰ってこられるというので訪ねてきました。手紙ではシリーズ「春よ来い」の「冬の夕陽」で書いた夕陽の写真があったらほしいと書いてありました。その写真を届けてきたのです。Mさんはボランティア活動として、一人暮らしの老人のところをまわって話し相手になっているとのこと、写真はそうした人たちに見せてあげたいというのです。私の文章や写真がこんな形で役に立つのはうれしいですね。

 Mさんの実家の庭で、トキワイカリソウが白い花を咲かせていました。もう咲いたのですね。今週からしばらく、野の花が次々と咲きます。わき見運転をしないように、気をつけないと。下の写真は、Mさんの実家で撮ったもの。薄暗いなかでも撮れていました。よかった。

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2011年04月26日

英国王のスピーチ

 気分転換のつもりで映画を観てきました。観たのは「英国王のスピーチ」です。事前に下調べもせず、映画館で上映されているものの中から選んで観たのですが、これが大当たりでした。吃音症に苦しみ、それを克服していく英国王、ジョージ6世の物語。最後にナチスドイツとの戦い宣言のスピーチを見事に行った時には拍手をしたくなりました。国王の物語というより、一人の人間としての苦しみと努力などが描かれていて、とても親しみを感じましたね。

 私も職業柄、スピーチをする機会が多いこともあって、この映画からは学ぶものがいくつもありました。「まさか、ウソでしょう」と言われるかもしれませんが、じつは、私は長年、あがり症に苦しんできました。学生時代に落語研究会に入り、だいぶ治ったものの、いまでも、「あまりにも素敵な女性」に突然出会った時とか論理の展開がまったく出来なくなった時など、おかしくなることがあります。それだけに、他人ごとではないのです。物語を観て、スピーチは事前によく準備すること、自分のあるがままの姿を見てもらえばいいという割り切りが大切だと思いました。

 きょうは木田庁舎などで吉川区出身の人に何人も会いました。正面玄関から出ようとした時、中山間地対策についての会議を終えたばかりのTさんから声をかけてもらいました。また、市役所の近くにある団体を訪ねた時、「橋爪といいますが」と女性職員に言ったところ、「橋爪さん、何言ってるの、私です」。顔を上げて見たら、よく知っている人です。「なんだ、おまんか」と言ってしまいました。吉川区から車で1時間足らずのところなのに、声をかけてもらうと懐かしくなります。

 写真は昨日、山菜採りに行った時のものです。

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2011年04月30日

賑やかな夜が戻ってきた

 4月の最終日です。秋の虫たちの鳴き声がしなくなってから約半年間、静かな夜が続いていました。それが先週、カエルの鳴き声がしました。近くの田んぼに水が入ってからは、カエルの数が一挙に増えたようです。夜、外に出て見たら、カエルの大合唱
が始まっていました。これから賑やかな夜が続きます。

 田んぼに水が入ったのは吉川区の小苗代と下中条です。連休の二日目のきょうは、トラクターが何台も出て、代かき作業が行われました。

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 きょうは、コシアブラを採りました。今年は遅いなと思っていましたが、ようやく大きくなってきました。採ったものは義母にあげました。タラの芽も食べ頃になってきました。明日はコシアブラとタラの芽のてんぷらを食べられそうです。写真はコシアブラです。

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 ホームページに市政レポート1449号を掲載しました。いよいよ次週は1500号到達です。連休中に原稿を準備して、たまには余裕を持って発行したいと思います。「春よ来い」151回は、「山菜採り」です。母と一緒に出かけた山菜採りのことを書いてみました。

2011年05月01日

第82回メーデー

 第82回メーデーの上越集会に参加してきました。日曜日のメーデーは初めてのような気がします。今回のメーデーは、これまで平和や雇用を守るテーマに加えて東日本大震災の復興が入りました。

 日本共産党を代表して挨拶した伊藤誠上越地区委員長は、先の県議選での支援にお礼をのべた後、今回のメーデーについて言及、「政府民主党などがこの大震災に乗じて消費税をやろうとしている。庶民増税ではなく、大企業の内部留保の活用や不要不急の財源を使って復興に生かすべきだ」「雇用守れ、平和守れの力が震災復興につながる」と訴えました。写真は集会後のデモ行進です。

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 メーデー行進後、わが家に急行しました。次男夫婦が戻ってきて、一緒に昼食をとる約束をしていたからです。昼食では、今朝、私が採ってきたばかりのタラの芽、コシアブラの芽、ウドなどの料理を食べました。母と妻の手づくり料理です。山菜は、採ってからからなるべく早く食べると美味しいですね。

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2011年05月03日

ムクロジの実だった

 一昨日の朝、ショウジョウバカマの花写真を撮ろうとした時に、偶然出合った木の実がずっと気になっていました。木の実の近くには柏の木の葉が落ちていたので、柏の木の実ではないかとネットで調べたものの、わかりませんでした。それが、きょうの午前、山菜まつりの準備で山へ出かけた時、同じ木の実を大量に見つけたのです。一緒に出かけたOさんは、「たぶん、モクレンではないか。(実の)皮は石鹸がわりになるし、黒い実は羽子板の羽の玉としても使われた」と教えてくださいました。これがヒントになりました。調べた結果は、ムクロジの実でした。

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 ヤフー百科事典には、「ムクロジ科の落葉高木。高さ約10メートルに達する」「果実は球形で径約2センチメートル、熟すと黄褐色になり、中に球形で堅い、黒色の種子が1個ある」「果皮を漢方では延命皮(えんめいひ)とよぶ。サポニンを含み、泡立つので、それを洗剤に使った」「種子は堅く、中国では唐代から数珠(じゅず)に用いられていた。日本では正月の羽根突きの球(たま)にされた」と書かれています。木の実が落ちていた場所の上の方には、確かに、大きな木が2本ありました。秋には黄葉するといいますので、観察を続けようと思います。

 さて、山菜祭りの準備ですが、きょうの仕事は山菜採りです。いつも採る場所には先客が何人もいたので、思い切って計画とは違う山に入りました。ところが、最初に登った急斜面には、「ののば」(ツリガネニンジン)とゼンマイが少々あっただけ。そこから、さらに登り、別の沢へと移動しました。途中、カタクリの花がきれいに咲いていました。これで疲れがだいぶ取れました。

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 たどり着いた標高300メートルくらいの山の斜面、雪がかなり残っていました。

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 ウドは雪消えが進んだところに群生していました。まだ、採るには早いものが多かったのですが、祭り当日に採りに出かけるわけにはいきません。小さなウドも採ってきました。山を下りて、川岸の周辺でコゴミも採ることができました。あとは、コシアブラ、タラの芽を採ればオーケーです。山菜まつり(正式には橋爪法一を囲んで山菜料理を楽しむ会)は5日午後3時から。わが家の牛舎脇広場で実施します。会費は1000円。どなたでも自由に参加できます。ぜひお出かけください。

2011年05月07日

市政レポート1500号を作成

 午前は市政レポートの作成でした。今号は1500号です。特集は組まず、通常号と同じように編集しました。ただ、「野の花コーナー」を設けることと読者のみなさんへの感謝の言葉を入れること、「春よ来い」を必ず書くことだけは意識しました。野の花については、4日にミヤマカタバミを見つけたばかり。今朝、写真を撮りに出かけてきました。市政レポート1500号は明日、ホームページに掲載します。

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 明日は母の日です。午後から柏崎の母のところへ妻とともに行ってきました。今年、87歳になる義母です。妻は化粧品を母の日プレゼントとして用意しました。薔薇のエッセンスが入った化粧品を手にした柏崎の母は、「今度来ると、きれいになっているかも」と言って笑わせていました。さて、わが母には何をプレゼントしようかな。

2011年05月08日

信越本線で長野まで行ってきました

 ゴーデンウィーク最後の日。信越本線の電車に乗って長野まで出かけてきました。ゆったりとした時間を電車で過ごしたい。ついでに、北陸新幹線開業後は三セク会社運行するとしている区間を電車に乗って確かめてみたいと思ったのです。じつは、数日前から電車に乗りたい気持ちが高まっていました。

 柿崎駅9時9分発の普通電車に乗り、直江津駅で妙高4号に乗り換えて長野駅に11時53分に着きました。2時間44分、十分楽しむことができましたよ。妙高号は元特急電車、現在は普通電車ですが、特急のゆったり感はそのまんまです。

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「しんぶん赤旗」をじっくり読んだのは久しぶりでした。電車の窓から桜、ヤマブキなども見ることもできました。牟礼から豊野間はニリンソウがいっぱい咲いていましたね。直江津駅では、待ち時間が40分もあったので、外に出て駅前のホテルのロビーでコーヒーを飲みました。こういうことをしたかったんだなぁ。

 直江津ー妙高高原間は昨年秋に並行在来線を守る会のメンバーの方々と駅や周辺施設を見て回りました。その経験があるので、電車に乗っても、「この線路は遊んでいる(使われていない)な」とか、「線路の両脇が広いのは除雪のことを考え、そうなっているのだろうか」などと考えてしまいます。二本木駅のスイッチバックの起点というか、前進と後進の分かれ目は中郷木材の脇であることも初めて知りました。写真は二本木駅にバックで入る時に撮影したものです。

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 長野駅に着いて昼食を食べ、外へ出たら、街頭宣伝の音が聞こえてきました。弁士は日本共産党長野県委員会の中野さなえさんです。そっと近付き、演説が終わった瞬間、中野さんの斜め後ろで拍手をしたら、私の顔を見てびっくりされていました。きょうは何となく中野さんに会えるかも知れないという予感がしていました。よかった、よかった。

 帰りはまったくの普通電車。今度は直江津駅での連絡も良く、2時間2分で柿崎駅に着きました。同じ電車には吉川区出身の人も乗っておられましたが、上越市、妙高市から、結構、大勢の人が長野市に出かけるんですね。帰りの電車では、ほとんど眠ることなく、山本一力の『くじら日和』(文春文庫)を読みました。

 私のホームページに、市政レポート第1500号「春よ来い」第152回、「春景色」を掲載しました。

2011年05月09日

今年こそは…

 毎年、栽培してみようと思いながら、何もしないできてしまったものがあります。一口メロンです。きょうは、農産物直売所、あるるん畑へ行き、苗を2本購入してきました。今年こそは栽培して、実を生らせたい。

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 一口メロンは、わが家でも10年ほど前まではたくさんとれていました。実は小さいものの、糖度が高くて、とてもおいしいメロンです。たくさんとれたといっても、栽培していたわけではありません。堆肥置き場に自然と芽が出て、蔓が伸び、時期になれば、たべきれないほどの実をならしていたのです。それが、タヌキなどに食べられてしまうようになり、収穫できなくなってしまいました。畑に植えても食べられっぱなしのことが続いたことから、母も栽培を断念したままです。今年は、タヌキ対策をちゃんとやり、ぜひ食べてみたいと思っています。

 きょうは午前から会議続きで、午後10時過ぎに帰って来たばかりです。日中、外は天気が良くて、気持ち良かったですね。昨晩は雨が降ったのでしょうか、空気も澄み、田んぼの景色は抜群でした。

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2011年05月14日

上越タイムスに市政レポートの記事掲載されました

 昨日の午後に取材を受けた私の市政レポートづくりが今朝の上越タイムスに掲載されました。「市政レポート1500号突破」という見出しで大きく扱っていただきました。記事の中で、「レポートは市議活動の一部だが、人々とのつながりを求め続ける橋爪さんの生き方そのものが、そこに結晶している」とあります。ここまでほめていただくとうれしいですね。新聞記事は下線を付けたところをクリックすれば読むことができます。

 上越タイムスに市政レポートの1501号のことも書かれています。そこで、私のホームページへの掲載も、今回は一日早めました。「春よ来い」の第153回「ニリンソウ」も合わせてごらんください。

2011年05月22日

正善寺ダム周辺で野の花観察

 昨日は午後時過ぎから正善寺ダムへ出かけてきました。当初、友人から誘われ、南葉山登山をする予定でした。たまには体を動かさないといけないし、春の花を写真に撮りたいと思っていたのです。それで正善寺ダムへ行ったというわけです。

 正善寺ダムにはダムのまわりを歩く道路があります。約7キロくらいでしょうか。昨日は正善寺湖橋のところまで車で行き、そこから4キロほど歩きました。ゆっくりと歩いたにもかかわらず、汗をたっぷりかきました。ねらっていた野の花写真も何枚か撮ることができました。そのうち、3ないし4枚は初めて出合った花の可能性があり、いま調査中です。現在、明らかに初めての出合いをした花だと判明したものは、ヤマハタザオです。

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 もうひとつ、紹介しましょう。クルマムグラの仲間で、ひょっとするとオククルマムグラかも知れません。写真を撮るのに夢中になり、うっかりして、葉や茎などに触るのを忘れていました。今度、時間をつくり、もう一度出向いて確認してこようと思います。

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 上越地域水道用水供給企業団では、小学生などを対象にダム周辺の自然観察会を開催しています。そこでは、野の花の紹介もされています。めずらしい野の花を確認できたら、同企業団にお伝えしようと思います。

2011年05月24日

6月1日に被災者支援活動などで報告会

 不思議だなぁ。原稿が書けなくて昨日まで悶々としていたのに、きょう一日だけで5000字近い原稿を書いたのですから。期限は明日の朝まででした。こうなると、文章の善し悪しなんて気にしていられなくなり、早く書き終えようという気持ちになります。この気持ちの切り替えというか、これが原稿を書かせてくれたのです。文章としての仕上がり具合は、いうまでもなくまだまだです。一晩寝かせて、明日の朝、どれだけ直せるか、それで決まります。

 きょうは市役所で原稿を書きました。この間にも課長から話をきいたり、被災地支援活動の報告会の準備をしたりとけっこう忙しく動きました。きょう、決まったことを2つお知らせします。先日、党議員団で住宅リフォーム促進事業に関する緊急要請をしましたが、30日、都市整備部長と建築住宅課長から市の対応策について説明を受けることになりました。どんな内容となるのか注目です。

 いまひとつ、6月1日(水)午後7時から福祉交流プラザで、東日本大震災や長野県北部地震での被災者支援活動、調査活動などについて報告会を開催することになりました。岩手県での活動については、そこの出身である上野議員にスライドを使って報告してもらうことにしました。長野県北部地震については、私が報告する予定です。ぜひご参加ください。ここでお寄せいただいたご意見や提案は6月議会で生かしたいと思っています。

2011年05月27日

てのひら歌集9 震災詠

 手のひらにのるほど小さな歌集だから「てのひら歌集」。市内在住の柳川月さんから東日本大震災のことを詠んだ「てのひら歌集9 震災詠」を送っていただきました。

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 歌集に掲載されている歌は全部で41首。地震発生時の「目まいほどの揺らぎなりしが時すでに東日本を大地震おそう」からはじまり、この2か月のあいだに月さんが見聞きしたことを時系列で追うことができるように歌が並んでいます。「地震津波に追討ちかける放射能目に見えざれば恐怖底なし」「子を妻を夫を探しゆく人の瓦礫踏む足さぞ痛からん」。

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 大津波や原発のことなどを被災者の気持ちに寄り添いながら、言葉を選んで詠んだ歌のなかには様々なドラマもあります。友人の安否を知りたくて手紙を書く月さんの思いは、「安否なお分からぬ人への片便りきょうも書きおりいつか届かむ」という歌に。その相手から2か月近くになって返信がありました。「二ヶ月になりなんとして思いがけなくも届き来無事知らす文」。うれしかったでしょうね。

 牛飼いだった私にとって切なかったのはテレビ画面に登場した牛たちの姿でした。「原発を逃れてゆくか河原を数頭の牛が走りてゆけり」。月さんの目にも牛たちの姿が気になる存在として写ったのですね。

 歌集の最後に月さんの「あとがき」がありました。「未曽有といわれた3月11日の大地震、大津波、加えて放射能飛散という大災害は、被災された方はもちろん、直接被害に遭わなかった私達にとっても忘れ難く、そして忘れてはならない事です。この事実を記録しておくことは、短歌という表現方法を持つ者としての責務と考え、この小さな歌集に思いを込めました」。多くの人に読んでもらいたいと思います。

2011年05月28日

カッコウが鳴いている

 午後、牛舎脇で車を洗っていたら、「カッコウ、カッコウ」という鳴き声がします。鳥はカッコウです。鳴き声が鳥の名前になっているから憶えやすくていいですね。カッコウの鳴き声は今年初めて聞きました。

 きょうは一日中、「しんぶん赤旗」の配達と集金でした。日刊紙の早朝配達からですのでぐったり。でも、田植え後ということもあって、多くの人と話ができました。先日の上越タイムスで私の市政レポートのことが書いてあったので、「いつ、どんなふうに書いているのか」とか、「『春よ来い』はいつ本になるのか」「岩手に行ってきなったそうだけど、たいへんだったね。どうでした」などと聞かれました。

 その市政レポート1503号「春よ来い」の155回「スマイルカフェ」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

2011年06月09日

一口メロンの花が咲いた

 朝、わが家の一口メロンに黄色い花が咲いていることに気づきました。先月9日に苗を買ってきた、あのメロンです。これから実が大きくなって、食べごろになるとタヌキとの闘いがはじまります。そろそろ、タヌキ対策を考えなきゃ。

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 ところで、先日紹介したわが家の庭にある俵グミですが、こちらは実がさっぱり。昨年は食べきれなくて、何人もの人にあげたのに、今年は家族の分を採れるかどうかといったところです。がっかりしました。

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2011年06月11日

シルエットの魅力

 たまたま撮った写真が逆光で真っ黒。でも、撮ろうとした被写体の特徴がよく出ている。こんな経験はありませんか。

 きょうの夕方、2週間ぶりに柏崎の母を訪ねました。「ちょっと足の運動する」と言って、椅子に座ってペダルをこいでいる義母を撮ったところ、真っ黒でした。でも、次の瞬間、大笑いしてしまいました。黒い輪郭が義母の特徴をくっきりと映し出していたからです。少し上向きで、気分良くこいでいるところ、肩の付近の丸くなったところ、よく出ています。

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 これまで逆光の写真は失敗作品として扱い、すべて削除してきました。でも、きょうの義母の写真で、今後、逆光を活かした写真を意識的に撮ることになるだろうと思います。楽しみが、またひとつ増えました。

 きょうは、朝から「しんぶん赤旗」の配達、市政レポートの印刷で大忙しでした。2つの仕事が終わって時計を見ると、午後3時少し前になっていました。

2011年06月13日

初めて小水力発電所を視察

 市議会は建設企業常任委員会でした。長野県北部地震で被害の出た市道などの復旧経費が計上された一般会計補正予算などを中心に質疑が行われました。議案が少ないこともあって、委員会は午前中に終了しました。

 委員会で注目した情報は、午後の早い時間帯にツイッターで3回にわたり発信しました。議会情報を140字以内で発信するのはなかなかむずかしいもんですね。以下は、ツイートの内容です。

 大島区の市道、棚岡東線、菖蒲南線、熊田峠線、熊田西沢線、吉川区の大賀線の災害復旧工事は稲刈り前に完了へ。上越市議会建設企業常任委員会で奥田道路課長が岩野議員の質問に答えて、「とり入れ前に終わらせていきたい」と答弁。安塚区の細野上達線、須川中船線、清里区の赤池上牧線は11月末まで。

 上越市議会情報NO2。本日の建設企業常任委員会で田中ガス水道局長は、長野県北部地震で被災した大島区の水道について、「先週末の段階で各戸への給水管の復旧工事は残りがあと2件となった。また、これとは別に本管(配水管)とともに復旧するものが2件ある」と答えた。

 市議会情報NO3。上越市の小林総明都市整備部長は本日の建設企業常任委員会で住宅リフォーム促進事業の補正について、「市民の関心は高い。新年度予算での計上した1億円の経済効率、国の住宅エコポイントの動向を見ながら検討していく」と答弁。小林克美委員長の質問に答えた。

 さて、きょうの夕方、上越地域水道用水供給企業団第1浄水場へ行ってきました。目的は同企業団の敷地内に設置してある小水力発電所の視察です。22日の一般質問で自然エネルギーについて触れるので、ぜひ見ておきたかったのです。

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 同発電所は地域新エネルギー事業を活用して建設されました。同事業を活用したものとしては新潟県内で初の小水力発電です。稼働は2009年(平成21年)3月、容量80kW、年間602,200kWhの電気を発電しています。一般家庭の消費電力で換算すると、約180世帯分に相当するということでした。総事業費は9913万円。このうち半分は補助金です。

 視察に行って驚いたことがいくつもあります。ひとつは、小水力発電所という名前が付いているものの、発電機は予想したよりも大きかったことです。長さは3mほどありました。正善寺ダムと第1浄水場の落差が45メートルもあるというのもびっくりでした。発電所はこの落差を生かして発電していたのです。

 きょう、日本共産党は、「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を……国民的討論と合意をよびかけます」という提案を発表しました。新エネルギーに関しては、いろんなところへ行って勉強してみたいと思っています。

2011年06月19日

Sさんの1周忌

 おはようございます。ここのところ、土日の休みがなく、疲れもピークです。昨晩は書きたい原稿も書けずにダウン、もちろん、この日記も書かずじまいでした。

 昨日は親戚のSさんの1周忌でした。長年にわたり、私の選挙責任者をしてくださった方です。保守系の人ではありましたが、選挙では、まとめ役としていつも頑張って当選へとつなげる力をもった人でした。Sさんの葬儀委員長を私が務めたこともあって、親戚の人たちとはすっかり顔なじみとなりました。おかげで、法事の場ではSさんの思い出話だけでなく、原発事故のことやいまの政治のことなどを率直に語り合うことができました。

 お斎の席では、「のっぺ」や「おぼろ」などの郷土料理に加え、「河豚の唐揚げ」「丸茄子の田楽焼」「鱧蒲焼」など美味しいものが次々と出され、食べきれないほどでした。私の席の近くの人たちは、笑いながら「もう死にそうだ」と言っていました。私が残したのは二品だけ、美味しいので、どんどん食べてしまいました。これじゃ、太っても、痩せることはないですね。

 市政レポート1506号、「春よ来い」の第158回、「シルエット」をホームページに掲載しました。

2011年06月27日

ビラ配布で汗びっしょりに

 きょうは大島区をまわって市役所へ行きました。理由のひとつは大島区板山地内のコシジシモツケソウの写真を撮るためです。ここのコシジシモツケソウは、私がこれまで見た群落の中でも飛び抜けて規模が大きい。田麦川の上流から下流へと川沿いはピンクの花でいっぱいです。写真は、県道上越安塚柏崎線沿いの田んぼの土手に咲くコシジシモツケソウです。

 市役所での党議員団会議が済んでから、地元へ戻りました。ビラ配布の活動があったからです。約3時間ほどかけて配布しましたが、きょうは蒸し暑く、汗びっしょりとなりました。でも、私の訪問を喜んでくださる方がたくさんおられ、気持ちの良い汗でした。77歳のNさんは、8年前にお連れ合いを亡くし、いまは一人暮らしです。「お茶飲んでいってくんない」と言われたので、「時間がないんで、また寄せてもらいます」と答えたら、「おまんちのお父さんの写真もあるよ」。まあ、私の気持ちをよく知っていらっしゃるもんです。結局、お茶をご馳走になり、30分近くもおしゃべりさせてもらいました。

 きょうは訪問先でチマキ、笹団子を見かけました。どちらも、いまが一番美味しい時期です。ドジョウも見かけました。

 写真はNさんからいただいたチマキとSさんからいただいた笹団子です。どちらも美味しかった。

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2011年06月29日

生活相談と原稿書きと

 昨日から生活相談が相次ぎました。夜までかかりました。また、締切がせまった原稿書きもやっています。こちらは3本、いずれも400字から600字と短い文章です。しかし、短いので、苦労しています。昨日は1本の記事をざっと書いたら、1600字でした。これを519字まで圧縮しました。あと119字、どうやって削るか、ああ、頭が痛い。

2011年06月30日

小学生が議場見学に

 よく書いて、よく眠った。でも起きたら木曜日、今度は通常の書き仕事がまた待っています。

 昨日、きょう30日までに書かなければならない原稿をすべて書き上げました。一昨日から書いていた原稿は見事に短くなりました。短く書いて、気持ちを伝える技術がちょっぴり向上したかも。

 昨日、原稿を書いている最中、廊下が賑やかだったので、ドアを開けてみると、小学生が議場見学するところでした。今回は担任の先生が議場について説明していました。上越市の議場は、国会型です。一番高い席に座った人が会議を仕切ります。この席に誰が座りますか、との先生の質問に、「市長」、「総理大臣」、という答えが多く、その次が「議長」でした。

 どこでも座っていいよ、と先生に言われて、子どもたちが急いで行った席はどこだと思いますか。議長席でした。みんな、元気が良かった。

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 さて、きょうは一日中吉川区にいます。懇談会、市政レポート作成と続きます。随想「春よ来い」は3分の1ほど書きました。時間があったら草刈もしたいなぁ。あ、そうそう、来月2日の「原発ゼロをめざす7、2緊急行動」に参加することにしました。

2011年07月04日

「一定の理解」とは

 きょうの夕方配布された地域事業、地域事業費制度見直しに関する資料のなかに「制度の見直しについては一定の理解をする」「一定の理解を得た」という文言が何か所もありました。この「一定の理解」をどんな意味合いで使っているのか、それが問題です。

 「一定」という言葉の持つ意味は、辞書によれば、「一つに定まって変わらないこと」をいいます。「一定の収入がある」というような使い方をしますね。ところが、今回の見直し議論の経過を見てみると、「理解が進んで定まった」というよりも「全部までとはいかないが、理解されつつある」という意味合いで使われているケースがあるような気がしてならないのです。

 今後、各地域協議会が提出した意見書や会議録をしっかりと読んで、「一定の理解」の中身について調べてみたいと思います。

 忘れていましたが、市政レポート1508号、「春よ来い」第160回「蛍場」はすでにホームページに掲載済みです。ご覧ください。

2011年07月08日

カヤ葺き屋根の葺き替え

 きょうはいろんな出合いがありました。お昼頃、板倉区へ行った時、目にしたなつかしい風景をまずごらんください。

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 お昼時でなければ、草屋根職人さんたちが仕事をされているところを撮れたのですが、残念です。でも、この風景を見て、いまから50年ほど前、近所で葺き替えをやっていた光景の記憶が見事に蘇りました。草屋根職人さんはどこからきたのでしょうか。

 時間がなかったので、きょうの昼食は車を走らせながらパンを食べました。ところが、それだけでは足りません。大島区で「日本一のトコロテン」を食べることにしました。ここのトコロテンは、先日、NHKの「小さな旅」で紹介されていました。ここのトコロテンを食べたのは何年ぶりかな。美味しかったです。

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 吉川区に戻って、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしていた時、ヤマユリが目に入りました。開花したものを見たのはきょうが初めてです。そばに行ったら、強い、いい匂いがしました。

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 夕方からは長峰温泉「ゆったりの郷」の開業15周年パーティでした。会場となったゲートボール場には400人もの人たちが集まりました。パーティには、懐かしい顔がたくさんありました。合併前の町議会議員、課長さんたちが大勢参加されていました。旧吉川町時代の助役さんや当時の議員Kさんからは、平成6年に温泉が出た時、「いまかいまかと待機していた」などという話を教えてもらいました。今晩はちょっと飲み過ぎたみたいです。明日は高校の校友会です。なるべく飲まないようにがんばります。

2011年07月12日

上越市内の道路整備状況

 暑い一日でした。夕方、ヒグラシの鳴き声を耳にしました。また、草むらでは虫も鳴いています。昨年よりも早い感じがします。

 きょうは午前から生活相談が続きました。このところ、土日が忙しいので、「しんぶん赤旗」の集金も遅れています。相談活動で出かけたついでに、その地域の集金もと欲張って動きました。生活相談の中身は書けませんが、最近は高齢化に伴うものが多くなってきています。

 午後2時過ぎに市役所に行き、少しばかり資料整理をしました。原稿書きの仕事もあったのですが、こちらは全然進みませんでした。先週から休みなしできたので、すぐ瞼が重くなってしまうのです。そういうなかで、唯一、作成したのは、上越市内の道路整備状況です。これは一昨日までに作成しておき、昨日の委員会で使おうと思っていたものです。

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 明日は妙高高原です。17日の告示を前に忙しくなってきました。

2011年07月24日

足跡

 昨晩1時間以上歩いたら、パソコンに向かう元気が無くなりました。ちょっと頑張りすぎたかな。早く寝たので、早く目が覚めました。

 朝の散歩で、この時期としてはめずらしく、人間の足跡を見つけました。この人はかなりのがに股です。体を左右にゆすりながら歩いている姿を思い浮かべました。

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 昨日の朝、この足跡はありませんでしたから、昨日の昼間の足跡でしょう。それにしても、きれいに残っているものです。この後を追いました。そしたら、途中で、こんな足跡になっていました。

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 歩いていて、この人は何かを発見したのかも知れません。花かな?と思ってみたけれど、目を引くようなものは無し。となると、なんだろう……。足跡から何か物語がうまれそうです。

 今朝は涼しかったものの、セミや小鳥たちの鳴き声が賑やかです。忙しく歩き回らなければならない一日ですので、あまり暑くなってほしくないのですが。

 小水力発電予定地へ

 きょうもたくさん歩きました。午前はビラ配布、約70戸をまわるのに3時間半もかかりました。それだけ、いろんな人と対話をしたということになります。寄せていただいた言葉のなかで一番多かったのは「いつも読んでるよ」、次が「太ったね」、三番目は「がんばってくんない」でした。毎週発行の市政レポートを楽しみにしていてくださる人が多いのはうれしい。

 午後からは桑取地区の西山寺へ行ってきました。先日、新聞報道された小水力発電の予定地を見てきたかったのです。私はいま、NPO法人頸城野郷土資料室の石塚正英さんなどが提案されている小水力発電、水車発電の取組に注目しています。予定地は思っていたよりも水量は少なかったのですが、小さな滝の流れを見て、「これなら、やれる場所はまだまだたくさんある」との思いを強くしました。予定地へ行った時、ちょうど地元のHさんもおられ、夢いっぱいの計画について語ってもらいました。「せめて、ばあちゃんたちの電動三輪車の電気くらい、まかないたい」というHさんの発言が気に入りました。

 今夜のウォーキングではいくつもの動物たちに出合いました。最初に目にしたのは、たぶん野ウサギです。黒い物体が私の前を飛び跳ねて行きました。あの走りはタヌキではないでしょう。タヌキらしきものが動いたのは道路脇のササやぶのなかです。ガサガサという音は人間かと思いました。細長い体をした小動物も道を横切りました。これらの動物たちは、みんな暗いなかでの生活です。セミは夜でも鳴くんですね。鳴き声はすべてカ行の音でした。森の中での「カ」とか「キ」という鳴き声をいくつも耳にしました。

 市政レポート1511号、「春よ来い」第163回「スモモ」をホームページに掲載しました。ごらんください。

2011年08月06日

印刷疲れ

 昨日は朝から市政レポートの作成、印刷で時間がかかりました。時間がかかった一つの理由は、各区によって裏面に掲載する写真を替えたからです。「災害状況は何よりも地元について知りたい」というのが読者の気持ちです。関係する区の写真を選び、並べるだけなのですが、これがけっこう手間取ったのです。

 いまひとつ、裏面に災害関連の写真をたくさん掲載したところ、印刷でも時間がかかりました。インクが広範囲につき、印刷した紙面が波打ち、ミスプリがかなり出ました。印刷スピードを落としてもこうした状況は変わらず、結局、通常分の印刷が終わったのは午前11時過ぎでした。単純作業ながら、こういうことがあると、気を使いくたびれます。

 夜も10時過ぎまで印刷でした。片面だけ刷って、残りはいま印刷中です。片面が乾くと印刷は順調です。時間的な余裕があれば、半分は後回しにする、これは今後のために忘れないでおきましょう。

 故障していたデジカメが夕方、修理を終えてかえってきました。購入して1年4か月で故障し、修理代は1万2500円ほどかかりました。1年間の保証期間が過ぎているとはいえ、少しはまけてほしかったなぁ。でも、きょうの越後よしかわやったれ祭りには使えます。どんな調子か、確認してみます。

 

2011年08月08日

草刈り、平和展

 私の地元町内会では毎年、お盆前に総出で草刈りをします。昨日がその日となりました。例年と違ったのは豪雨災害直後だということです。私と何人かは豪雨で傷んだ字道の復旧作業を担当しました。雨によって削られ、砂利がなくなっているところに一輪車で砂利を運び、均す。単純作業ではありますが、普段あまりスコップを使わないので難儀しました。

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 道普請が終わってから、私たちも草刈りに合流しました。こちらは約1時間、大勢で草刈りをする時は仕事がどんどん進み、気分がいいですね。

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 何人かの友人が平和展(5日~7日、高田図書館にて開催)に出品しているというので、時間をつくって少しだけ観てきました。今年の平和展はやはり福島原発事故が大きなテーマになっています。たくさんの作品の中から2つだけ紹介します。

 「牛の怒り…あなたたちの世代は一体なにをしたのですか」奈良場山人さんの作品です。福島原発事故により「警戒区域」20キロ圏内でうち捨てられた家畜の数は牛3400頭、豚3万1500頭、鶏63万羽といいます。この作品から牛たちの叫び声が聞こえてくるようでした。牛を飼っていた者として、切ない。

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 吉田洋子さんの絵手紙もすごかった。彼女の細い体の中のなかのどこに宿っているのでしょうか、この鋭い批判精神は。下線部をクリックしてごらんください。

 市政レポート1513号をホームページに掲載しました。今号の裏面は豪雨災害特集です。配布地域によって、掲載した写真は違っています。

 お知らせです。県道川谷十町歩線は大きな地滑りが2箇所で発生し、通行止めとなっておりましたが、復旧作業が急ピッチですすめられた結果、昨日午後3時半開通しました

2011年08月11日

訃報相次ぐ

 ここ数日、悲しいニュースが続いています。まず最初に伝えられたのは、小さな時からお世話になってきた「大東のおとっちゃ」、Hさんです。メガネの奥の目は細く、いつもやさしい言葉をかけてもらいました。私の最初の随想集、『幸せめっけた』のなかでは、「ナシ泥棒」で登場してもらいました。49日法要の際、吉川区に遺族が来られるということなのでお別れに行ってこようと思います。

 きょうは、朝からお二人の訃報が入ってきました。そのうちの一人はSさん、白髪のおばあちゃんで、市議選の時には後援会ニュースにも登場し、私への投票を訴えてくださいました。Sさんの玄関には、裸電球が1個ぶら下がっていて、そこには小さな鈴も一緒に下がっていました。訪問した時は、その鈴をチリンチリンと鳴らすと、居間から出てこられ、「なんだ、おまさんか、アハハハ」とやっていました。先月、久しぶりに娘さんのところから帰ってこられたので、トマトを持って顔を見に行ってきました。それが最後になりました。

 いまひとりはTさん、長年にわたってわが家とは付き合いがありました。父とは酒屋もんの仲間でした。私の方は、旧吉川町農業委員をたしか2期ほどご一緒させてもらいました。まじめに農業を考えている人で、私のチラシを丁寧に読んでいてくださいました。体調を壊されているというので、どうされているかと心配していたところです。Tさんのお父さんも長生きだったので、まだ、亡くなるなんてことを考えたことがなかったのですが、残念です。

2011年08月14日

盆礼、Tさんの葬儀、そして同級生と尾神岳へ

 午前は原稿書きを少しやって、その後、盆礼で親戚をまわりました。明日、大潟、直江津方面をまわれば終わりです。

 お昼過ぎからはTさんの葬儀でした。猛暑なのでご自宅での葬儀はさぞかし暑かろうと思っていましたが、家の中ではずっと風が通り抜けていて、あまり暑さを感じませんでした。参列者は市役所関係者、地域の人たちなどで大勢でした。

 喪主を務めた息子さんは最後のお礼の挨拶の中で、「10月にはひ孫が生まれる予定で、父に見てもらいたかったのですが、かないませんでした。天国からしっかり見守っていてくれるものと思います」とのべました。Tさんは自宅で療養していて、10日ほど前に体調を崩し、最後は眠るようにして亡くなったとのことです。心のこもった挨拶でした。

 葬儀が終わってからは中学時代の同級生と一緒に遊びました。尾神岳の麓でビールを飲み、イワナ、ニジマスを食べ、おしゃべりを楽しみました。また、尾神岳にも登り、野の花を見てきました。雪解けが遅かったので、まだ、咲き始めたばかりでしたが、ツリガネニンジンの花を今年初めて見ました。いつ見てもきれいです。

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 市政レポート1514号、「春よ来い」第165回「盆参」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

2011年08月19日

野菜をもらう立場に

 昨日は午後10時過ぎにわが家に到着しました。木曜日は市政レポート作成日なので、パソコンに向かったものの、日記を書くのが精いっぱいでした。それで、今朝は早起きして市政レポートを作成、印刷を終えたのは午前10時頃になりました。それから夕方まで、市政レポートのポスト下ろしと「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。

 7月30日の豪雨災害から3週間です。きょうは2人の方から野菜をいただきました。わが家の畑は先日の豪雨で1㍍ほど冠水し、台無しです。大雨が降るまではキュウリもナスもとれすぎて、よその人にくれていたのに、今度はもらう立場になりました。きょう、もらったのは、キュウリ、オクラ、トマトなどです。ありがとうございました。来週もよろしくお願いします。

 豪雨災害の時、自分の生まれ育ったふるさとがどうなっているか心配された人がたくさんいました。きょう、川谷で久しぶりに会ったMさんは上越市の春日地区在住ですが、全国各地の知人から電話をもらったといいます。その際、私のHP、ブログを見て災害状況を確認している人が何人もいたと教えてもらいました。役に立てたことを確認できてうれしかったです。

 ところで、楽しみにしていた一口メロンも水害で完全にやられてしまいました。どうしても食べたくて、きょうは、市政レポートのポスト下ろしの途中、あるるん畑(農協の農産物直売所)に寄って、まくわ瓜とともに一袋買ってきました。まくわ瓜の実は白く、さっぱりしていて、甘味もあります。一口メロンは小さいながらも糖度が抜群です。高級メロンよりもはるかに安くて、味は最高級。2、3日は楽しめそうです。

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 名木山からまるたき温泉付近に下りた時、ススキの穂が出ているのを見つけました。今年初めてです。お盆が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。

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2011年08月22日

自選ミニ随想集『春よ来い』出来上がる

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 私が書き続けている随想シリーズ「春よ来い」をより多くの人から読んでもらおうという声が仲間たちから上がったのはひと月ほど前のことでした。すでに160回を超え、170回にもなろうとしているシリーズの中から5話を選び終わったのがお盆前です。それから2回の校正を経て、きょう、出版にこぎつけました。

 自選ミニ随想集『春よ来い』はわずか16ページの小冊子です。掲載したのは、「父の『小旅行』」、「手をつなぐ」、「どんぐりの『あてっこ』」、「ばあちゃん料理」、「スマイルカフェ」の5話。10分ほどの時間で読むことができます。発行は文化印刷㈱、頒布価格は100円です。ぜひ、あなたもご一読ください。お申込みは電話かメールにてお願いします。電話は090-5392-1961、メールアドレスはhasiznyg@ruby.ocn.ne.jpです。市内のいくつかの書店でも販売していただく予定です。

 市政レポート1515号、「春よ来い」第166回、「百日紅(2)」をホームページに掲載しました。

2011年08月25日

病院のつき添い、そして市政レポート作成

 母は3か月に1回、病院で診てもらっています。担当科は脳外科と眼科。きょうは診療日でした。きょうはどういうわけか月曜日並みの混みようで、たっぷり3時間かかりました。いまのところ、頭の中の動脈瘤も落ち着いているようなので安心しています。ただ、念のため次回はMRI検査をするといいます。

 家に戻ってからは市政レポートの作成、印刷、ポスト下ろしと続きました。先日、党内の会議をやったところ、年配の党員から「橋爪さんのビラは文字が多すぎる。もっと写真やカットを入れて短くするように」「わたしらの地元の記事も書いてもらわないと読む人は少ない」と注文をつけられました。まったくその通りなのですが、いざ、パソコンに向かってみるとこれがまた難しい。地元記事に関しては、私の体はひとつなので、「橋爪レポート記者」になってもらわないと……。

 また、雨が降り始めました。大雨警報も出ています。稲の五百万石も倒伏しはじめていますので、これ以上降るとさらに倒れてしまいます。それに先月の大雨で被害が出たところが心配です。被害が広がらないことを祈るばかりです。

2011年08月28日

川谷地区大運動会、法政ゆい祭、いとこ会

 昨日は恒例となった川谷地区大運動会でした。今年は大雪で苦しみ、7月30日の豪雨の際には一時孤立状態となった同地区ですが、同地区のみなさんを励まし、ともに楽しもうと法政大学コメコメクラブのみなさんや総合事務所の幹部などが駆けつけました。私も今回で連続7回目の参加です。

 開会は午後3時から。今回は雨の影響でグランド状態が悪く、久しぶりに体育館の中での競技となりました。すっかりおなじみとなったボード渡し競争、ビン釣りレース、玉入れ、輪投げ競争、一気飲み競争、パン食い競争などでは、思いがけない展開等があって、たびたび歓声が上がったり、大笑いがおきたりしました。

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 私はボード渡し、ビン釣り、一気飲み、玉入れに出場。玉入れは複数の玉を入れ、チームに貢献しました。しかし、個人種目のビン釣り、一気飲みはまったくダメでした。特に、ビン釣りは釘をビンの中まで入れるのは早かったものの、なかなか釣り上げることができずビリになってしまいました。

 運動会が終わってからは懇親会が行われ、その後、法政大学コメコメクラブのみなさんによるゆい祭が実施されました。今回の注目は、太鼓演奏でした。吉川区の太鼓グループ、鼓舞衆のみなさんと大潟区、柿崎区の太鼓グループが連携し、それに法政大学の学生のみなさんも加わって演奏したので、会場はこれまで以上に大きく盛り上がりました。

 ゆい祭の最後はじゃんけんゲーム。今回のリーダーは小林さんではなく、女装が似合う学生さんでした。私はじゃんけんの最後のゲームで勝ち抜いて、この日、一番高価だという東京スカイツリーの手ぬぐいを手に入れました。

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 昨日は旧川谷校体育館を午後7時頃に出て、その後、大島区板山へ行きました。10日前に東京駅で一緒に飲んだ千葉の従弟と一緒に呼び掛けて、「いとこ会」を民宿「伊作」でやることになっていたからです。急な呼びかけにもかかわらず、6人が集まり、楽しいひと時を過ごすことができました。文章が長くなるので、記念写真を一枚掲載します。

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2011年08月29日

稲の匂いがする

 朝、車を走らせていたら窓からいい匂いが入ってきました。稲の香りです。熟してきた稲ならではの匂い、この匂いがするようになると稲刈りが始まります。きょうは、吉川区下町、浦川原区六日町で稲刈りをしたようです。刈ったばかりのあとを確認できました。品種はいずれも五百万石かと思います。なお、吉川区では町田が一昨日から始まっています。

 きょうは議員団会議でした。9月議会に提出される議案について検討し、総括質疑の質問項目を決めていく作業をしました。限られた時間の中で、すべての資料を読むことはまず不可能です。そういうなかで4人の議員がそれぞれ気付いた問題点を出し合い、みんなで検討する。いつものことながら、集団の力っていいなと思います。おそらく、一人で読んでいただけでは気づかないことを教え合うことになるんですから。議員団会議は明日も続けます。

 会議の最中に、私の活動地域の仲間から電話が入ってきました。私の自選ミニ随想集「春よ来い」を50冊も買ってくださるという人がいたという連絡です。先週は、70代の女性の方が10冊まとめ買いして、広げてくださるという知らせもありました。うれしいですね。

2011年09月01日

年間4万キロ突破へ

 「しんぶん赤旗」購読のお願い行動と市政レポート作成の一日でした。広い上越市ですので、車での移動時間は3時間にもなりました。市政レポートは週刊のものと月1回発行の広域版の作成です。先日の会議で、「もっと配布地域の話題を載せて」という注文が出て、それに少しでも応えようとしました。これからのレポート作成では、車で移動して取材する時間が増えそうです。今年になってからの私の軽乗用車の走行距離は約2万8000キロとなりました。このままのペースでいっても、4万キロ突破は確実。こりゃ、たいへんだぁー。

2011年09月02日

大量印刷でぐったり

 市政レポートの印刷は単純作業ですが、枚数が多いとなかなかきつい。きょうは8000枚、それも裏表両面印刷しました。終わったのは午後11時半過ぎ、ぐったりとしました。ということで、きょうはこれでお終い。明日は柳川月さんを囲む会が牧区深山荘で行われます。私にプロジェクターとスクリーンを持ってきて、という声もかかりました。どんな展開となるのか楽しみです。

2011年09月05日

フィルモンなどたくさんの「であい」がありました

 3日、4日と上越市牧区の深山荘で行われた「柳川月さんを囲む会」に参加してきました。総勢23人。そのうち月さんとサトノさん、それと樋口さん、この3人の女性だけは会ったことがありましたが、あとは全員初対面の方でした。たくさんの人との出会いがあり、夜遅くまでいっぱいおしゃべりをしてとても楽しい会でした。

 会のメインは月さんの「90年の人生を語る」です。夫を亡くし手づくり新聞「ざ・むーん」を書き始めた頃の話、レッドパージにあった家族とその後、全国家族新聞交流会のみなさんとの様々な交流等、初めて知ることが多く、ひきつけられました。この日、月さんは、「ざ・むーん」の創刊号から100号まで(?)を1冊に製本したものを離さず、語り続けられました。「ざ・むーん」は月さんの「宝物」であり、語りの源泉でした。話のなかには苦い体験もあったはずなのに、なぜか、すべての話が輝いていましたね。

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 「月さんを囲む会」を提案してくださったのは全国で家族新聞を発行し交流しているみなさんです。脇山さん、清水さん、鈴木さん、市川さんなどは、長く家族新聞を発行し、頑張ってこられた人たちでした。参加者のなかには家族新聞や地域新聞を出していない人たちも何人かおられました。けれど、みんな、「ざ・むーん」を読み、月さんを好きな人ばかりでした。参加者全員が「ざ・むーん」との関わり、感想などを語り合いました。私もガリ版時代の月さんのチラシのこと、「ざ・むーん」を通じて励まされたことなどを語りました。みんな、話は尽きず、お風呂の中でも、ロビーでもおしゃべりが続きました。

 2日目の企画は牧区原の明願寺の訪問です。ご住職の池永文雄さんとは10数年前に直江津のイトーヨーカ堂で開催された「家族新聞展覧会」でお会いしています。明願寺では、法話をお聴きし、その後、このお寺から全国最初の有線放送を行った当時の思い出などを語っていただきました。それだけではありません。自宅の2階においてある当時の有線放送設備や昭和初期の蓄音機、フィルモンなどを公開してくださったのです。ずっと、ワクワクしっぱなしでした。

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 フィルモンは、上越タイムスによると、「大阪の工場経営者、小西正三が昭和初期にに開発した当時としては驚異的な36分の長時間プレイができる画期的な蓄音機」「統制をうけたセルロイドなどの材料不足のため、わずか4年で製造中止となった。我が国で今も動くフィルモンは5、6台といわれ、幻のオーディオだ」(1993年10月8日号)ということです。昨日は、このフィルモンで浪花節と思われるものを聴かせてもらいました。動画で記録しましたので、その感動をみなさんにお裾分けしましょう。

 市政レポート1517号、「春よ来い」の第168回「いとこ会」を私のホームページに掲載しました。ごらんください。
 

2011年09月12日

妙高市へ

 東日本大震災から6カ月ということで昨日の新聞、テレビは特集を組んでいました。新聞ではお連れ合いが依然として行方不明で、どうしてもあきらめきれず、死亡届を出さないでいる人の記事を切なく読みました。

 昨日は午前中に常任委員会資料を読み、午後からは妙高市へ行ってきました。わが家から県道新井柿崎線に出るまで田んぼをずっと見て、車を走らせました。早生品種の刈り取りをほぼ終え、いよいよコシヒカリの番です。30度を超える暑さの中、稲姿はとてもいい感じがしました。

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 妙高市では、前市議の望月さんからスピーカーを譲り受けてきました。また、長野県須坂市の農家の友人と会う約束をし、おしゃべりを楽しんできました。今年のりんごの出来具合、農政のことなどをたっぷり話し合うことができました。お土産にもらったのは友人が栽培しているモモとブドウです。もぎたてだけあってとてもうまかった。

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 私からの土産は山岸トマトと『自選ミニ随想集春よ来い』でした。

 市政レポート1518号、「春よ来い」の第169回、「有線放送」を私のホームページに掲載しました。ごらんください。

2011年09月16日

信越本線(脇野田駅)移設事業で質問

 昨日、帰宅したのは午後9時過ぎでした。早朝から市政レポートの作成、印刷、総務常任委員会、党務と動きました。体も頭も動く限界があります。とうとう日記は書けませんでした。

 昨日の委員会では、北陸新幹線開業に伴う信越本線(脇野田駅)移設事業についての質問に集中することにしていました。先日明らかにされた総事業費は約42億円で、2005年度(平成17年度)に専門的なコンサルタントがはじき出した約30億円を大きく上回るものでした。昨日の質問ではそもそも5年前に出された数字はいくらだったのか、なぜ今回の総事業費と大きな差が生まれたのかなどについて説明を求めました。

 その結果、5年前の数値には設計費が入っていなく、設計費を含めるとその段階での総事業費は約32億円だったことが明らかになりました。また、雪処理など雪国では欠かせぬ対策など重要項目がいくつも抜けおちていることが改めて明らかにされました。大きな差がどこでどんな積算の中で発生したかについては、総合政策部長に、近く詳細なデータを議会に示すことを約束してもらいましたので注目していきたいと思います。

 今朝の新潟日報「窓」欄に吉川区の石野武安さんの投稿、「献体に協力 医学の進歩願う」が掲載されています。難病に長年苦しみ、たたかってきたお連れ合いは今年、亡くなりましたが、連れ合いへの手紙というかたちで献体に協力したことの思いを綴ってあります。長年、夫婦一体となって病気とたたかってこられた姿を見てきただけに涙が流れました。

2011年09月24日

初めて句会に参加

 新潟日報の俳句選者で、「21世紀の風狂の俳諧師」と言われている中原道夫さんの句碑建立5周年を記念した句会があるというので、昨晩からきょうの昼過ぎまで旧岩室村へ行ってきました。句会があった場所は新潟市西蒲区福井(旧岩室村)の旧庄屋佐藤家です。

 佐藤家の中原さんの句碑は、庭の一角にありました。句碑を真ん中にして中原さんと一緒に撮らせてもらった写真です。句碑にある俳句は、

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 独活(ウド)は私の大好物です。きょうの句会ではこの独活の漬物が小昼に出され、お土産にも使われました。
 
 私が句会に参加するのは今回が初めてです。したがって、記念すべき日ではあるのですが、これから句作をはじめるためというより、よりよい文章を書きたいので勉強のために参加したといった方がいいかも知れません。

 選句、披講、選評のなかで言葉についていろいろと学ぶことができました。言葉を選ぶ、どういう助詞を使うか練る、漢字にするか「ひらがな」にするかなど、限られた時間の中で言葉と真剣にかつ丁寧に向き合っている点はすごいと感じました。

 中原さんの話の中できょう一番印象に残った言葉は、「どこでキュッとウエストをつくるか。私はウエスト(の位置)が高い方が好き」。日頃、じっくり考えないで思いつくままに文章を書いていることが恥かしくなりました。それにしても、中原さんの話はユーモアたっぷりでおもしろかった。「最近、シーベルトが流行って、作曲家のシューベルトが追いやられている」といった調子です。

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 句会の合間に佐藤家のなかにある民俗資料館にも入ってきました。米俵編み機などいろいろな道具、田の草取り、稲運び、脱穀作業などの写真、懐かしいものがたくさんありました。

 

2011年09月25日

久しぶりに草刈り

 昨日に続いてきょうもよく晴れました。午前は11時頃まで市政レポートの原稿書きです。次号は議会の質問の準備と重なるので、早めに書き始めました。

 11時過ぎからは牛舎周辺の草刈りをしました。今年はさぼっていて、今回でまだ3回目です。草は伸び放題、あまりにもみっともないので、約1時間ほど頑張りました。草刈りの途中、友人がやってきて、「橋爪さんの草刈り姿は似合うなぁ」と言われました。まあ、草刈りが商売だったようなものですから、似合うと言われれば、そうかも知れません。ただ、休みなしで機械を使ったのはまずかった。お昼の時、箸を持っても手が震えるのです。草刈りはたまにドンとやるのではなく、毎日少しずつやるようにしないと……。

 午後からは高田まで妻を送り、その後、原発問題学習会に参加しました。活発に発言される女性が何人かおられ、とてもいい勉強になりました。

 市政レポート1520号、「春よ来い」の第121回、「心の故郷」を私のホームページに掲載しました。「春よ来い」は新聞に折り込んだものに事実と違う点があることが判明し、タイトルも原稿もだいぶ直しました。ごらんください。

2011年09月29日

脚本家たちのトーク

 やっと起きて仕事をしようと思ったのにテレビを観てしまいました。NHKの「ディープピープル」の再放送です。今回はNHKの連続テレビ小説「おひさま」を執筆している岡田惠和など3人の脚本家が登場、連続ドラマの脚本をどう書いているかを語り合っていました。取材をどうしているか、書けなくなった時にどうするか、実際の執筆場所はどこかなど、まあ、興味深いことが次々と語られ、ハマってしまいました。

 脚本が書けなくなった時に脚本家のひとりは喫茶店へ行く等、「場所を変えて書く」と言っていました。私の場合は、近くの山に行って、野の花を見る、シャワーを浴びる、寝る、この3つのうちのひとつを実行していますが、これはヒントになります。今度、図書館にでも行って書いてみようかな。ドラマの1話を書くにしても、全体をどうするかB4サイズの紙に書いて練る人もいれば、ワンシーンを書いて流れにまかせてしまうタイプの人もいる。これも参考になりました。

 さて、仕事、仕事。これから、市政レポート裏面の「春よ来い」の執筆です。書き始めて3分の2くらいまで一気に書いたものの、ピタッと止まってしまっています。あと、1時間ほどで書き上げないと、一般質問の記事のところまで進めません。こちらは、インターネットでもう一度、市長等とのやりとりを見て、答弁の内容を確かめる必要があります。もう、こんな時間か。急がないと。

2011年10月01日

手づくりのお菓子

 意外や意外、あるお寺へ行ったところ、ご住職の手づくりケーキをお土産にいただきました。家に戻ってから、さっそく食べてみましたが、甘味も適度で私にぴったりの味でした。

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 このご住職はきょうも尾神岳でクルミを拾ってきたとのこと。来年の3月12日、尾神岳の報尽碑で行われる法要では、「クルミ入りのケーキ」を持って行きたいと言っておられました。楽しみです。

 こんなことがあった後に妙高市のYさんのブログ、「軽薄短笑~新潟県上越・妙高発」を見たら、サツマイモでスイートポテトを作った話が紹介されていました。こちらは、サツマイモと砂糖と牛乳があれば、簡単に作れるとあります。私も「自分で作ったお菓子」を食べてみたくなってきました。

2011年10月02日

修正案、提案理由の説明などをアップ

 一昨日の日記でお約束した上越市の2011年度一般会計補正予算の修正案ならびに修正案の提案理由の説明をホームページに掲載しました。
 また、市政レポート1521号、「春よ来い」の第172回、「父の思い出の地」もアップしましたので、ごらんください。

スイートポテトづくりに挑戦

 二人の男性の菓子づくりに影響を受けて、「では、おれも」とスイートポテトをつくってみました。畑で採ったばかりのサツマイモを煮てやわらかくし、牛乳と蜂蜜を入れて焼いてみました。

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 出来上がりはまずまずです。お菓子というよりも蒸かしたサツマイモに近い感じでした。まあ、最初ですから、こんなものでしょう。次回、うまくいったら市役所へ持って行って、食べてもらおうかな。

 きょうは越後よしかわ酒まつりでした。あいにく、雨が断続的に降る中での祭りとなりましたが、人出は、これもまずまず。人の流れがずっとあったので、3500人くらいは訪れていただいたのではないでしょうか。

 酒造り唄をやってくださった人たちを見ていたら、若い人が加わっているのでうれしくなりました。出稼ぎに行かなくても、酒造り唄は歌うという人たちがおられるのかも知れません。すばらしいことです。

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 今回のステージで一番注目されたのは、ご当地アイドルのトップランナーとも言われている「ねぎっこ」(Negicco)の歌と踊りです。正直言うと、私が観たくなるようなグループではないと思っていたのですが、舞台のすぐ近くで観ていたら、踊りも歌もなかなか良くて、気に入りました。いつしか夢中になって動画を撮っていました。動画は、私の近くでマスコミ関係の人も撮っておられましたので、舞台の正面下からの素敵な映像がそのうちアップされることでしょう。

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2011年10月05日

木の実の名前が判らなくて

 きょうは午前9時半から夕方まで議会報告会の案内ビラ配布でした。久しぶりに訪ねた家がほとんどです。「お茶飲んでいかんかね」と誘ってくださる家が何軒もあって、すっかり「お茶っぱら」(お茶でお腹がいっぱいに)になりました。話題は、「春よ来い」に書いたことが一番多く、「おまん、とちゃの酒屋へ行って来たてが、いかったね」「イクさん、おらも知ってるよ。元気そうでよかった」などといったことが次々と出てきます。どこでも、楽しいお茶飲みとなりました。

 もちろん、こちらから話題を出したものもあります。そのひとつは木の実のことです。昨日の散歩で見つけた木の実のひとつに、子どもの時分から「かしの実」と呼んでいたものがあります。これがいま食べ頃を迎えています。上着のポケットにいくつか入れといて、「食べたことあるかね」と見せると、50代以上の人はたいがい食べたことがあると言いました。山間部だけでなく、平場の人もけっこう食べていたんですね。

 この木の実の正式名称は何だろうと家に帰ってからインターネットで検索しました。しかし、大勢の人が食べたことがあるという木の実でありながら、出てきません。「木の実」「緑色」などをキーワードにして1時間以上がんばってみましたが、ダメでした。私の性分として、こういうものの名前が判らないとずっと気になって落ち着きません。ご存じの方は教えてくださいませんか。以下に写真を掲載します。

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2011年10月06日

ミンミンゼミの鳴き声にびっくり

 きょうは、朝から「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、市政レポートの作成、ポスト下ろしと大忙しでした。土曜日に県立安塚高校の創立100周年事業に参加するため、すべて1日前倒しで仕事をしました。

 市政レポートを印刷している時、近くの林からミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきたのでびっくりしました。人に信じてもらえないかもしれないと思い、印刷の仕事を手伝ってもらっていたTさんに声をかけると、「聞こえる、聞こえる」。間違いなく、ミンミンゼミの鳴き声でした。鳴き声は1分ほどで終わりました。最後の弱弱しい「ミーン」がいまも耳に残っています。この次にミンミンの鳴き声を聞くのは、おそらく来年でしょう。

 市政レポートのポスト下ろしでは、チラシにたいする読者の声を聴くことができました。浦川原区では、「春よ来い」を毎回楽しみに待っているという人がいました。牧区では旧牧村議の男性から、「おらたりのこと書いてくれてありがとね。みんな喜んでいたよ」と励ましてもらいました。いずれも、地元密着型の記事にたいする反応です。頑張って、もっと取材網を広げたいなぁ。

 明後日は安塚高校へ行ってから長野市へと飛びます。じつは長野市在住のあるお医者さんから私の似顔絵を描いていただくことになっているのです。似顔絵は人の特徴をクローズアップする力が無いと描けません。私の顔のどこが強調されるのか、いまからわくわくしています。

2011年10月09日

似顔絵懇親会

 昨晩は長野市で医師の中野友貴さん宅へおじゃまし、懇親会でした。中野さんは最近、ベトナムへ旅行したばかり。先日、中野さんの旅行記を見て興奮しました。訪ねた場所で次々と似顔絵を描きまくり、現地の人たちとじつに楽しく交流されていたからです。そこで紹介されていた似顔絵は描かれた人の特徴を見事なまでにつかんで表現してありました。ひょっとしたら、性格まで似顔絵に描いちゃっているのではないかと思うくらい、惚れこんでしまいました。

 「これなら、おれも描いてもらいたい」そう思ってお連れ合いに連絡したところ、「ぜひ、おいでください。ただ、お酒を飲まないと描けないそうですよ」。それで、昨日は、上越の酒を持参して、懇親会をしたというわけです。

 お酒を2合ほど飲んだところで、中野さんの「仕事」がはじまりました。腰に付けたバッグからペンテルの筆ペン、3本を取り出し、まず、私の似顔絵を描き、それから山口さん、橋本さんなどを次々と描いていきます。筆ペンのキャップを口にくわえ、描く対象となった人間をいくつかの角度から観察、その後、一気に描く。まあ、見事でした。

 中野さんは若かりし頃、似顔絵を描いたことがあったそうですが、20年ほど前から似顔絵描きにはまり込みました。これまで、勤務先などで似顔絵をたくさん描いてきたそうです。描いている様子があまりにも楽しそうだったので、私も山口さんも似顔絵描きに挑戦しました。中野さんいわく、「おれが描いていると、みんなが自分も描けそうだと思うんだよな」。私が描いたのは、中野さん(中野さんが手にしている絵)ですが、似顔絵描きは久しぶりでした。中野さんの作品と違って、まだ、おそるおそる描いているといった感じです。写真は左から私、山口さん、中野さん。

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 中野さんは昨晩、似顔絵だけでなく、私の母が作った漬物や私が持って行ったツノハシバミの実なども描いていました。ちょっと時間があれば、すぐに筆ペンをもつ。さすが、似顔絵描き20年のベテランです。昨日の作品をごらんいただきましょう。

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 長野からは普通列車に乗り、正午前に家に帰ってきました。家に帰る途中、文房具を買ってきました。筆ペンと私製はがき、それにクレヨンです。ちょっと似顔絵描きのまねごとをやってみようと思うのです。さて、どうなることやら。

2011年10月10日

むかご入りご飯

 秋になっての楽しみのひとつはむかご入りご飯です。一昨日、長野でむかご入りご飯のことを話したせいでしょうか、急に食べたくなりました。それで、夕方、ご飯を炊いた時に山芋のむかごを入れました。水加減がちょっとうまくいかず、べたっとした感じとなってしまいましたが、それでもむかごはむかご、いつもの美味しさがありました。

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 きょうは朝から動きました。県道新井柿崎線整備議員連盟の視察ビラの作成、市政レポートの配布などです。ビラ配布は新聞折り込みと違って読まれる割合が高くなります。それに、これまでのビラの感想や市政の関心事について意見も聴くことができます。きょうは、災害対策と(仮称)厚生産業会館問題で頑張っているねと激励されました。

2011年10月17日

看取り介護同意書を初めて見た

 午前は葬儀でした。この間、おじいちゃんが亡くなったばかりの家で、今度はおばあちゃんが亡くなりました。1週間の間に夫婦とも亡くなったのです。おじいちゃんがおばあちゃんを迎えに来た、いや、おばあちゃんがおじいちゃんのところに手を伸ばしたのだ、などとみんなが話していました。葬儀が始まって間もなく、式場でひとりの方が倒れ、救急車で運ばれました。これもびっくりしました。

 夜の会議でHさんが一枚の紙を見せてくれました。看取り介護同意書です。Hさんは親を福祉施設であずかってもらっています。入所者の寿命の終わりが近づいたと福祉施設が判断した段階で、家族にそのことを説明して、救命治療はしない、危篤状態になっても病院へは搬送しないということを家族等に示して同意を求めるものです。家族が了承すれば、この入所者を施設で最後まで看取りをすることになります。初めて見ました。Hさんによると、こういう同意書を出していても、土壇場で病院へ運んだりするケースもあるということでした。勉強になりました。

 今週は市議会の会議開催日は少なく、地元で動けそうです。きょうはカメムシの異常発生で困っている人の相談で動きました。明日は早めに市政レポートの原稿書きをできればと思っています。生活相談がなければの話ですが。

2011年10月31日

62歳女性ランナーから手紙

 昼間の活動を終えて家に戻り郵便受けを見たら、うれしい手紙が届いていました。市政レポート10月23日号で紹介した女性ランナー、塚田さんからです。

 手紙には、「チームに迷惑をかけては…と心配しましたが、タスキを渡した瞬間、ホッとしました。とても楽しく走れて最高にうれしかったです」「今年は2月に東京マラソン2011で完走できたことと橋爪さんからすてきなプレゼントを頂いたので、ふたつの宝物が増えました。私も幸せめっけ~です」とありました。

 吉川区の駅伝が最初の走りかと思って、レポートでは、「塚田選手は初出場、強風の中、頑張って完走しました」と書いたのですが、東京マラソンで完走した実績を持っていたなんてびっくりしましたね。塚田さんは、走ることのメリットについて、姿勢が美しくなり、若返ると書いておられます。そういえば、若々しくて、きれいな走りでした。

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 きょうは、午前が議員団会議、午後から地元に戻って「しんぶん赤旗」の集金、対話活動でした。途中で、また、柿をもらいました。小さくて甘い柿でした。

2011年11月02日

上越市版レッドデータブックを入手

 発行されたらすぐ読んでみたい、そう思っていた上越市版レッドデータブックをきょう入手しました。レッドデータブック作成検討委員会の長谷川康雄委員長が書いておられるように、「すべての生物は、種の多様性といった一つの系のなかで存続してきた」ことを考えると、この本で市内の動植物の絶滅危惧の現状を知ることができることの意義は大きい。ぜひ、今後の対策に活かしたいものです。

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 まだ読みはじめたばかりですので、全体的なことは言えませんが、植物のなかでヒトリシズカ、コシノカンアオイなど私がよく目にしているものまで準絶滅危惧種になっているとは思いませんでした。全体的には減ってきているということなのでしょう。レッドデータブックでは、それぞれの種について、環境省や県のカテゴリーとの比較もできるし、市域における分布の状況も知ることができます。確認地区についての記載もあるので、私の記憶と照らし合わせて読んでいます。レッドデータブックは普及版と合わせて2冊で3000円、市役所環境保全課または各区総合事務所で購入しすることができます。

 ところで、先日、初めて出合った野の花の名前をきょう確認できました。キク科の多年草、キッコウハグマ(亀甲白熊)です。小さな白い花がひとつだけポツンと咲いていて、散歩の足が止まったのですが、名前を確認できた時はいつもうれしくなります。これで、久しぶりに私のホームページの「野の花」を更新できます。

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2011年11月06日

これから東京へ

 東京吉川会があるので、これから東京へ行ってきます。マイクロバスの乗って、日帰りになるので、たぶんぐったりして帰ってくるでしょう。東京では60人くらいの吉川出身者が集まるといいます。どんな人たちと会えるのか楽しみです。

 家に戻ってからすぐに寝てしまいそうですので、市政レポート1526号及び「春よ来い」の第177回「遺作」をホームページに掲載しました。ごらんください。

2011年11月08日

聴く耳を養ふべしと秋の声

 ぐんと冷えてきました。暖房なしだと布団の中にすぐ入りたくなります。まだ黄葉が100%まで進まないのに、イチョウの葉が散り始めました。わが家のまわりで聞こえていた虫の声もポツンポツンとしか聞こえてこなくなりました。

 昨日は党議員団会議、地区委員会幹部との打ち合わせ、JA幹部との懇談会の申し入れなどが続きました。一週間に一度は半日くらい休みを入れたいと思っているのですが、なかなかそういう時間はとれません。今週も会議、視察などが続きます。

 昨日の「見てある記」にひとつ書き忘れました。地元新聞、新潟日報の読者文芸に妻の俳句が掲載されたことです。聴く耳を養ふべしと秋の声。選者の中原道夫さんから【評】も書いていただき、妻はもちろんのこと、私もうれしくなりました。

2011年11月16日

タイヤ交換

 急速に気温が下がっています。山間部では降雪も予想されるという報道もあり、きょうは予定を変更してタイヤ交換をしました。週末に山間部で新聞配達などをしなければならないからです。

 昨日から失敗続きです。昨日は市政レポートの配布中にすってんころり、スーツだけでなく下着まで腐った柿に汚されてしまいました。そのため、いったん帰宅し、着替えましたが、運転中に汚れたズボンを履いているわけにはいきません。パンツ一枚で車を運転しました。

 さて、その市政レポートですが、そこに記載してあった議会報告会の日程に誤りがあることが判明しました。配布した最後の家でお茶をご馳走になったところ、曜日が違っていたことがわかったのです。それで、夕方、いま一度配布することに。いやー、まいった、まいった。

2011年11月17日

激しい腰痛で予定変更

 また腰をやってしまいました。一年ぶりでしょうか。きっかけは昨日のタイヤ交換、タイヤを運ぶ時に腰に違和感をもったのですが、今朝になったら痛みに変わっていました。

 きょうの午前は母の定期検査の日でした。腰の痛みをこらえ、病院への送迎、付き添いをしたのですが、まともに歩けません。それで、午後からの医師会との懇談会は欠席させてもらいました。平良木、樋口議員などにまかせました。なお、母の状態は血圧が高いものの、まずまず。MRI検査の結果も「当面は心配いらない」ということでした。それにしても、母の視力のいいのにはびっくりしました。片方が1.0、いま一方は0.8だというのですから。

 午後からはいつもお世話になっているところでハリ治療をやってもらいました。いまのところ、何とか歩けます。今夜は早く寝て、明日の行動が予定通りできるようにしたいと思います。写真は午後の風景です。吉川区大乗寺の市道から米山、尾神岳を撮影しました。

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2011年11月19日

再びハリ治療

 腰の具合を気にしながらの一日となりました。朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達でしたが、部数の多い日曜版の方は仲間に手伝ってもらいました。私は車の運転をし、新聞は仲間から配布してもらったのです。これでも午前いっぱいかかりました。

 お昼前からはハリ治療です。背中の左の方の筋がガチンガチンでした。約1時間の治療でだいぶよくなりましたが、大事をとって午後からは予定した行動はキャンセル、自分の家でゆったりと過ごしました。休みの人がいる土曜日、動かないのはもったいない感じもします。でも長い目で見れば、休養がプラスになると判断しました。

 夜は区内で議会報告会。これは事前に案内をしてあったので中止するわけにはいきません。しゃべっている時はすっかり腰の痛みを忘れていました。少しは休養の効果が出てきたのかも知れません。明日は法事です。

2011年11月20日

義父の一周忌法要

 義父の1周忌法要が妻の実家で行われました。この日を選んだのは義兄の判断でした。義父の大好きだった庭の紅葉を観てもらいながら故人を偲んでもらいたいということだったのです。たしかに見事でした。私もきょう、妻の実家を訪れた時、紅葉の美しさに誘われ、家に入らず、しばらく赤と黄色の風景を楽しみました。

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 妻はこの日のために短歌20首を一枚の紙にプリントして用意していました。読んでびっくりしたのですが、80数年にわたる義父の生涯をこれらの歌にまとめていたのです。これを見て、私も今朝、義父について書いてきたエッセイのうち、昨年から今年にかけて書いた分を一冊にまとめ印刷しました。

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 法要が始まる前から妻の短歌が話題になりました。20首は、「四男に生まれ二歳で母逝きて父そして兄結核に死す」にはじまって、「提灯の灯を消さぬようそろそろと都会に住まう曾孫歩めり」まで。生まれた家で次々と発生した不幸に耐え、若くして家を継いだことや戦争での苦しみ、義母との結婚のことなどが歌われています。義父とほぼ同年代のTさんは、「ここにある通りだ。一生の出来事が網羅され、凝縮されている」とほめてくださいました。これらの20首は下線をつけた部分をクリックしてお読みください。PDFファイルで横になっていますので、「表示を変更」で90度回転させると読みやすくなります。

 お斎は葬儀が入った方丈さんがおられないのが残念でしたが、義父のことが次々と話に出て、義母も「おじいさん、喜んでくれたと思うよ」と感激していました。自宅でのお斎は久しぶりでした。料理屋さんからとったという料理だけでなく、親戚の人が持ってきた料理や義母の手づくり料理も堪能しました。写真は初めて食べた「いとこ煮」です。レンコンとあんこの組み合わせでした。

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 市政レポート1528号、「春よ来い」の第179回「夢を持ち続けて」をホームページに掲載しました。ごらんください。

2011年11月29日

議会モードに

 昨日の午前は党議員団会議でした。党地区委員会の幹部にも参加してもらい、当面する市政の課題について話し合いました。災害対策、原発と放射能問題、行財政改革、TPP問題などかなり突っ込んだ議論ができました。この間、いくつかの団体や市民との懇談を重ねていることが議論をするうえでプラスに作用したと思います。

 夕方からは吉川区地域協議会でした。副会長の岩井栄子さんが議長席につき、澄んだ声でテキパキと進める姿は新鮮でした。会議では、公の施設の再配置計画をめぐって、区内の施設をどうするかの議論に熱が入りました。特にスカイトピア遊ランドについては、地域活性化を考えたときに、欠かせない施設だけあって、発言が相次ぎました。

 数日前に雷が落ちて、わが家でパソコンを使っても思うようにインターネットと接続できないようになりました。もちろん、メールもうまくいきませんでした。昨日、有線農協からみてもらい、ようやく復旧しました。家で不自由なく使えることのありがたさを感じています。

2011年12月01日

朝、目が覚めなくて

 朝の3時半に目覚ましをセットしておいたのに、起きたのは5時少し前でした。この遅れが響いた一日となりました。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達もあったので、市政レポートの原稿書きと印刷が終わったのは8時45分。その結果、市政レポートのポスト下ろしがすべて終わらないうちに市役所へ向かうことになってしまいました。

 これまで、目覚ましをかけておいても、鳴らないうちに目が覚めたものです。それが最近は全くダメ。起きようとしても腰がなかなかいいことをきかなくて、再び眠ってしまいます。どこかでゆっくり休んで、腰を早く治さないと……。

 きょうから12月定例市議会がはじまりました。一般質問の通告の締め切りもきょうです。議員団会議で、質問テーマを決め、その分担までは決めてありましたが、通告文は書いてなく、午後3時半ころにようやくまとめました。私の担当はTPPと組織機構の見直しです。

2011年12月04日

囲む会で初めて朗読

 昨日開催された「橋爪法一を囲む会」では、志位委員長の党創立89周年記念講演ダイジェストを視聴し、その後、私の話を聞くという流れになっていました。日本共産党をよく知ってもらい、私への支持を広げてもらおうというわけです。

 私の話は、これまでの私の議会での活動とこれからどんなことをやっていこうとしているのかが中心となりますが、今回初めて、この話の中に朗読をとりいれてみました。朗読したのは、「春よ来い」の中に書いた私の入党物語です。思った以上に反応があり、その後の懇談では、「日本共産党にたいするイメージは戦前からのデマ宣伝の影響を依然としてうけている。どうしたらいいか」などといった質問が相次ぎました。戦前から一貫して戦争に反対し、常に働く者の立場に立ってがんばってきた党のことを語り、理解してもらえないと、私への支持は簡単には広がりませんので、昨日はとても良い経験をさせてもらいました。

 夕方、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を終え家に戻ったら、友人が天然のなめこを届けてくれました。これから1、2か月、山を歩けば、ひらたけ、なめこなどに出合うこともあるのですが、私がそうした時間をとれないことを知って、お裾分けしてくれたのだと思います。ありがたいです。

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「市政レポートを読んだよ」の声が次々と

 午前から夕方まで親戚の人と一緒にビラ配布をしました。生憎の天気でしたが、気分は上々でした。というのは、あちこちで今朝の市政レポートを読んだとの声を寄せていただいたから。まあ、5軒に1軒ほどの割合でしょうか。びっくりしたのは、私が生まれた当時のことを語ってくださったお母さんがいたことです。うれしい出会いでした。

 その市政レポートは1530号です。ホームページに掲載しましたので、ごらんください。「春よ来い」の第181回、「母が嫁いだ頃のこと」も合わせてごらんください。

 おもしろいことを発見しました。パソコンのデスクトップの背景に貼り付ける写真のことですが、サイズの小さな写真を使った場合、同じものがズラーッと並ぶんですね。例えば、私が描いた似顔絵だと下のようになります。今後はいろんな写真で試してみようと思います。

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2011年12月06日

人間ドッグ

 午前11時45分まで市議会文教経済常任委員会を傍聴し、その後、人間ドッグでした。ドッグの結果は後日郵送されてきますが、体重などきょうの段階でわかった数値は昨年よりも若干改善されていました。例えわずかであっても、良い方向に向かっていると医師から言われると気分がいいですね。

 もっともこれで安心していられるわけではありません。肝臓の数値は依然として芳しいものではありませんし、栄養士さんからは夕食のご飯の量を減らすことを意識すること、食後、起きている時間をもう少し長くするようアドバイスされました。話を聴いていて、数値が良くなったのは、最近、歩く時間が長くなっているからだと思いました。運動も意識して取り組まないと……。

 そうそう、きょうのドッグでは、肺機能、肝機能検査など通常の検査項目のほかに新たな検査も3つほど追加検査してもらいました。ひとつは動脈硬化検査、あお向けに寝た状態で両腕・両足首の血圧と脈波を測定して、動脈の詰まりやかたさを検査するものです。それから、CT検査による内臓脂肪測定と消化器系がん検査もやってもらいました。ドッグの費用は追加検査を含めて2万7750円でした。

2011年12月10日

昨晩は忘年会

 今朝も寒いですね。昨晩は地元地域協議会の忘年会でした。地元の人たちとゆっくり酒を飲み、地域のいろいろな話が出来ました。話も弾み、楽しい夜になりました。正確な時間はよくわかりませんが、たぶん、家に着いたのは夜の10時過ぎだったのではないかと思います。

 議会の方は昨日で12人の一般質問が終わりました。私の一般質問は13日の火曜日午後になる予定です。この間の日記や市政レポートに曜日を間違えて書いたようです。失礼しました。

2011年12月15日

降雪予報を聞いてフル回転

 朝から「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、市政レポートの作成・印刷・ポスト下ろし、「しんぶん赤旗」日曜版の配達とフル回転でした。目覚ましは午前3時にセットしておいたのですが、実際に起床したのは午前4時45分。この1時間45分の遅れが響き、このところ、毎週書いていた随想は途中で断念しました。

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達はいつもなら金曜日からはじめています。きょうは、夜から雪になるという天気予報だったので、夕方から山間部に向かいました。ある家で新聞を手渡ししたところ、私の目の前で新聞を開き、市政レポートの裏面を見ようとされました。「あっ、ごめんなさい、今週は書けなかったんです」と言うと、「『春よ来い』の続きがどうなったかと思って…」という言葉が返ってきて、びっくりしました。「続きもの」として読んでいてくださる方があるんですね。

 夜から降雪という予報で心配になったのは、主要地方道上越安塚柏崎線の災害復旧工事です。先日通った時には完了までもう少しという段階だったのですが、午後7時前に通ってみたら、舗装が終わったばかりでした。どうもきょう終わったらしい。よかった、よかった。これで雪が来ても大丈夫です。

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2011年12月19日

夢を見る人がいた

 「そば会をやるから、その前に議会報告をしてもらえませんか」と誘われ、喜んで出かけてきました。パワーポイントも使わず、口頭だけでの議会報告は久しぶりでした。10数分の時間で12月の質問を中心に語りましたが、いいもんですね、口だけというのも。聴衆の表情を見ながら話をしているので、何に関心が高いかもわかります。昨晩の私の話の中で一番反応があったのは総合事務所の見直し問題でした。

 報告が終わって、そばを食べる時間になっても、「TPP参加後、減反はどうなるのか」「中山間地域振興基本条例制定後、何をやるべきだと考えているのか」などいろんな質問が出ました。もちろん、質問、話題は政治のことばかりではありません。フキノトウの天ぷらが出てきたので、「柿崎で蝋梅(ろうばい)の花がもう少しで咲きそうだ」という話を私からしたら、花の話題で盛り上がりました。

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 花の話題で私もひきつけられたのはヒマラヤ桜の話です。自分の故郷には雪がいっぱい降る、この雪景色の中でピンクの桜を咲かせて全国から人を呼びたい。そんな夢を語ってくれたのは牛飼いだったYさんです。この桜は、1月から2月にかけて咲くのです。わざわざネパールまで出かけ、種子を入手、木は現在、2メートル以上に生長したといいます。高山性の植物ですので、高温多湿型の気候風土の中で育ってくれるかどうか心配ですが、夢はとても素敵です。ぜひ成功させてほしいと思いました。

 昨晩、そばを準備してくださったのは高校の先輩、高田のNさんでした。私もいろんなそばを食べてきましたが、抜群の味でした。Nさん、ありがとうございました。

 市政レポート1532号、ホームページに掲載しました。ごらんください。

2011年12月23日

雪の中、安塚、大島区へ

 寒い一日でした。きょうは、安塚、大島、吉川とまわり、最後は直江津まで行きました。一時、車の前方が真っ白になるほど激しい降雪がありましたが、その後は比較的おだやかで助かりました。

 大島区の母の実家は従兄の連れ合いがひとりでした。先日は伯父の月命日ということで、仏壇にぼたもちをあげてあったことは「春よ来い」に書きました。偶然にもきょうは5年前に亡くなった伯母の月命日でした。今度は赤飯をあげたといいます。ほんとうに感心してしまいました。

 板山では災害復旧工事が完全に終わった不動尊のそばの県道を通ってきました。11月27日の段階で施工業者の代表は、12月半ばには終わらせると言っておられましたが、その言葉通りになりました。これで、雪がいくら降っても大丈夫です。写真は11月27日の時のものときょうのもの、よく終わったなと思います。

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 年末まであと8日、年賀状書き、市政レポートと議員団ニュースの原稿書きもあります。明日も忙しい日になりそうです。

2011年12月25日

町家で祝賀会兼忘年会

 昨晩は楽しかったです。先日、国の登録文化財に指定されたばかりの町家、「大鋸町ますや」(上越市仲町)で祝賀会兼忘年会が行われたのです。町家を保存しようと頑張っている人たち、NPO法人頸城野郷土資料室のメンバー、高田高校の同級生などが大勢集まりました。

 「大鋸町ますや」での飲み会は、私にとってこれで二度目。家主は高校時代の同級生、石塚正英さん。二年前にお邪魔した時も、天井や台所などの雰囲気に何とも言えない魅力を感じたものですが、この建物の中に集うだけで心の中まで暖まるように思います。国の登録文化財に指定されたのはすばらしい。明治元年に建てられたこの町家は、いうまでもなく老朽化しています。でも、この点は同級生で建築家の清水恵一さんがしっかりフォローしてくれています。ずっとずっと大切にして、大いに利用させてもらいたいものです。

 昨晩集まったメンバーはじつに多彩でした。大学の研究者、マッサージ師、マスコミの記者、花火師、会社員などが集まったので、いろんな話を聞くことができました。私の隣の席に座ったのは東京からやってきた谷夏樹さん、まだ20代だと思いますが、町家に関心を持っていて、しっかりしているのでびっくりしました。彼は短い論文をみんなに見せてくれました。読んでみてください。

 昨晩の飲み会の後半、石塚さんは参加者にテレビニュースのDVDを見せてくれました。それは平成3年に放映された県立吉川高校の酒造りのニュースです。「若泉」が登場し、生徒や杜氏さんも出ていて感動しました。杜氏の松村さんはいまと同じ顔をしてうつっていました。あまり老けていないんですね。みんなも、「こんないいものなくしちゃいけないよ」と映像に集中してくれました。石塚さん、ありがとう。

2012年01月01日

新しい年に

 紅白の途中からうとうとし、目が覚めたら新しい年になっていました。昨年は豪雪から始まって、地震、原発事故、豪雨と休みなしでした。新年になっての願いは、何よりも災害のない一年となってほしいということです。そして、私の仕事は災害に強いまちづくりであり、市民の命と暮らしを守ることであります。4月には4年に一度の審判もあります。全力で走り抜けたいと思います。

寺年始の行きと帰りに

 元日は恒例となっている町内会の新年会からはじまりました。会館で約1時間、地元の人たちと話をしました。私の隣に座ったのは同い年のSさん、数年前に亡くなったお父さんの実家のことなどで懐かしい思い出話をしました。

 私の町内には浄土真宗本願寺派の2つのお寺がありますが、新年会が終了してから、町内の人たちはいっせいにお寺に年始の挨拶に行きます。すでに新年会でお酒をいただいていますので、みんな歩きです。私はわが家に近いお寺を先に訪ね、その後、もうひとつのお寺へ行ってきました。今年は雪が少なく、田んぼ道を歩きました。その時の足跡です。

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 寺年始を済ませたあと、少しまわり道をしました。お寺で柿のことが話題になったからです。それは私がブログに載せた鈴なりの柿の木でした。先日の雪でも枝は折れず、まだ柿の実をたくさんつけていました。すぐそばには、キクの花もまだ残っていました。天気が良ければ、もう少し良い写真になったのですが、ま、ごらんください。

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 私のホームページに市政レポート1534号を掲載しました。読んでみてください。

2012年01月11日

ネクタイ購入

 昨日は朝から夜11時過ぎまで辻立ち、議員団会議、宣伝行動などと続く行動があり、ぐったりでした。そんななかで友人から電話やメールがいくつも来ました。テレビニュースに私が出たので懐かしくなったり、うれしくなったりして電話をくれたというのです。なかには「私も食べてみたい」というのもありました。9日の謙信勝負飯に参加しただけで、こういう反応があるとはうれしいことです。

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 さて、昨日は久しぶりにネクタイを一本購入しました。ここのところ、身につけるネクタイの色はどちらかというと地味なものが多く、もう少し明るいネクタイがほしかったのです。というよりは、選挙ポスター用の写真を撮る時にどれにしようかと思ってみたら、気に入ったものがなかったのです。そこで薄黄色のネクタイを購入しました。このネクタイをつけた写真は近いうちに紹介できるでしょう。

 

大島区町内会長連絡協議会も要望書

 大島区町内会長連絡協議会がこのほど大島区地域協議会に要望書を提出しました。総合事務所のあり方についての検討は、もっと大島区内の現状や住民の意見を尊重して検討するよう、市に強く働きかけてほしいというものです。

 この要望書は先月28日に行われた大島区町内会長会議で出された意見をもとにまとめたもの。「大島区は、高齢者が多く、豪雪地のうえ災害が多く、地元に専門の職員がいなくなったとき、最も大事な初動の対応ができるのか」「大浦安をモデルとする理由は何か。やり易いからモデルにするのか」「行政サービスが落ちることはないとの説明ならば、大きなブロックで実施すれば効果が大きい」「市全域で同時に実施すべき」「今日聞いて、3か月後に実施とは住民無視もはなはだしい。市長公約の住民がど真ん中はどこに消えたのか」「住民への説明もなく、意見も全く無視したことには絶対反対をする。このままでは住民の反対運動が拡大する」「市長の説明、または住民の声を聞く公聴会の開催を強く望む」「町内会長の立場で、町内会の住民に説明ができない」などの意見が書き込まれ、「現在の状況下ではこの試行計画には絶対反対していくことに至りました」とあります。

 こうした要望書は安塚区でも提出されていることはすでにお知らせしたとおりです。行政主導で進めてきたことのつけがここにきて一挙に噴き出した感じになりました。市では、来週中には大島、浦川原、安塚区の地域協議会の幹部と話し合いに入りたい意向のようですが、今回の動きの底流には地域事業費制度の見直しなどへの不信感が横たわっています。簡単には解決への道が開けないでしょう。

 きょうは、写真屋さんへ行き、ポスター写真を撮り、出来上がったところで印刷屋さんへも行ってきました。来週前半には出来上がってくるものと思います。写真は53枚も撮り、そのなかから12枚の候補を選びました。下の写真は12枚の候補のひとつです。バックの色との兼ね合いなどから、最終的に1枚にしぼります。

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2012年01月15日

議会報告、柏崎訪問

 きょうも雪でした。予定を変更して午前中は除雪です。牛舎、家周辺などの除雪で約2時間半、作業を行いました。除雪機はお陰さまで順調です。

 午後から市政レポート作成のための取材、議会報告と続きました。議会報告は柿崎区でした。私のほか、地元の2市議も報告しました。聴衆はほとんど初めての人たちです。私は最近の行革の動き、原発問題を中心に報告させてもらいました。あとで感想をお聴きしたところ、3人の個性が出ていて面白かったと言われました。

 夕方、妻と一緒に柏崎へ。突然の訪問に柏崎の義母は大喜びでした。妻も久しぶりに母親と話ができて満足したようです。それにしても、雪は柏崎もかなり降っていて、道路状況はよくありませんでした。

 市政レポート1536号、「春よ来い」の第186回、「三分間の交通誘導」をアップしました。

2012年01月20日

基幹的な総合事務所設置、再検討せよ

 大島区、浦川原区、安塚区でこの4月から予定している産業建設グループの集約化試行は見送るべきだ。13区選出の15人の議員が本日午後、村山市長に申し入れを行いました。

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 すでにお知らせしたように、大島区、安塚区の地域協議会や町内会長連絡協議会は今回市が予定している試行について、「住民の意向をくんでいない」「過疎化がますます進行する」などとして強く反対しています。今回の市議の申し入れは、こうした動きに応じたものです。

 申し入れでは、「昨年3月の長野県北部地震や7月末の豪雨災害などを体験された被災者からは、総合事務所職員の体制強化を望む声が多く聞かれます。このような中での産業建設グループの集約は、市民の不安を増大させる」として2項目の要求をしました。1つは、地域住民が頼りとしている総合事務所のあり方など組織機構の見直しを進める場合は、13区に暮らす人たちの理解が十分得られることを前提とすること。いまひとつは、該当区の地域協議会委員と町内会長には説明されたが、地域住民の理解を得ていないことに併せて、サービス低下を招かないための体制が明確になっていないことから、今年4月1日からの実施は見送るべきだということです。

 応対した村山市長は、「市議の皆さんからは応援していただけるものと思っていた。地域協議会や町内会長さんたちが理解してくださらないというなら、私が直接出向いて市民のみなさんから分かってもらうしかない」などとのべていました。昨日も総務管理部長や人事課長などが関係3区の地域協議会会長などを説得にあたりましたが、溝は埋まりませんでした。市長が市民のなかに入っていくことはいいことですが、説得しに行くのではなく、しっかりと市民の意見や気持ちを聞き、キャッチボールしてきてほしいものです。

 

2012年01月24日

マイナス7度の冷え込みにびっくり

 夕方、国道253号線、県道新井柿崎線を車で走った時、すごい靄でした。県道新井柿崎線沿いにある気温表示は何とマイナス7度。急激に冷え込んだようです。当然のことながら、道はガチガチに凍り、とても滑りやすい状態です。スピードを出せば危ないと思い、時速40キロで走行しました。

 きょうはビラ作りのための取材であちこちへ行きました。午後からは青空も広がりました。写真は大島区の秋葉山です。

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2012年01月26日

お茶飲み会は楽しい

 外は荒れている。こんなときの楽しみは近所の人とのお茶飲み会です。昨日はそうしたお茶飲み会でご馳走になってきました。こたつに足を突っ込み、持ち寄った食べ物を食べ、おしゃべりをする。楽しくて、帰りたくなくなりました。テーブルの上のごっつおとおしゃべりの雰囲気を写真で感じとってください。いいでしょう。

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2012年01月28日

おこるべくして起こった福島第一原発の事故

 新潟市在住の研究者、大野隆一郎先生から「おこるべくして起こった福島第一原発の事故」という論文を送っていただきました。これは地学団体研究会の『地学教育と科学運動』66号に掲載されたもので、中越沖地震の時に発生した柏崎刈羽原発の事故のもととなった活断層の存在や福島第一原発事故との関連などについて書かれた貴重なものです。

 私が読んで注目したことのひとつは、柏崎刈羽原発の至近距離にある活断層、寺尾断層の存在です。東電は、原子炉施設等の主要構造物の基礎となる岩盤は十分な支持力があり、敷地とその周辺には活断層の存在は認められていないとしていますが、論文は「寺尾断層は椎谷層を切る断層内に安田層中の腐食質泥炭層を巻き込んでおり、断層角礫を含む破砕帯を伴った乖離型断層である。各地層の変位状況から断層は複数回起こったことが推察され、一番新しい活動は4.6万年前頃に堆積した番神砂層を切っていることから、それ以降、動いたことになる。この断層を東電が主張する地すべりによる滑動面であるとすると、断層面の傾斜から判断して現地形の高い方に滑ったことになり、重力の法則に反するという矛盾を生じる」と言い切っています。

 そしていまひとつ、「柏崎刈羽原発のトラブルは福島第一原発の事故とあまりにも共通点が多い」「地震発生から津波が福島第一原発を襲うまでに56分の時間がある」「原子炉や配管などが地震の最初の一撃でダメージを受け、津波が襲来する前にすでに炉心溶融(メルトダウン)が起こり、格納容器などに重大な破損をきたし、内部から高濃度汚染水が流失していた可能性が高い。東電および国は真相に蓋をせず、徹底した事実の調査と検証を行い、結果を公表しなければならない」と書かれている点も注目しました。

 この論文とともに大野先生が同封してくださった手紙には、「4年半前の中越沖地震でトラブルを起こした柏崎刈羽原発が福島第一原発のようなシビアアクシデントに至らなかったのはほんとうに不幸中の幸いでした。トラブルの内容はほとんど同じものでした。まさに紙一重だったのです」とあります。この事実をもっと多くの人たちに知ってもらい、すべての原発を止めて再稼働させない運動に役立てたいものです。

2012年01月29日

柿崎、吉川、大島区の山間部をまわりました

 災害救助法が上越市に適用されて2日目。市では、要援護世帯の安否確認や県が取り組む重機貸し出し制度の利用希望調査などを行っています。私は午前9時過ぎから吉川、柿崎、大島区の山間部を宣伝カーで回り、「お困りのことがあればお知らせください」と話してきました。また、町内会長などから集落内除雪の状況などをお聞きしてきました。

 宣伝カーで私の声を聞いて、手を振ってくださる方や私の携帯に除雪に関する要望を寄せてくださる方がありました。また、町内会長さんなどからは、「いっときも早く重機を投入してほしい。体の不自由な人が必死になって家を守ろうとしているケースもある」「高齢化が進んで集落を維持することがたいへんになってきている。集落全体を救助してほしい」などの声が寄せられました。

 写真は上から柿崎区東横山、吉川区上川谷、大島区竹平です。

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 市政レポート1538号、「春よ来い」の第188回「踊りびと」をホームページにアップしました。